(ファミリー劇場『ウルトラマンエイティ』放映開始記念「全話評」連動連載開始!)
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『ウルトラマン80』第8話「よみがえった伝説」 ~3000年前の日本に「光の巨人」の来訪が判明!
復活怪獣タブラ 光の巨人登場
(作・平野靖司 監督・深沢清澄 特撮監督・高野宏一 放映日・80年5月21日)
(視聴率:関東14.9% 中部15.6% 関西17.6%)
『ウルトラマン80』第8話「よみがえった伝説」 ~合評1
(文・内山和正)
(1999年執筆)
この回以降、主人公・矢的猛(やまと・たけし)先生が関わる生徒たちは、12話「美しい転校生」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100718/p1)を除き、レギュラーである数人の生徒のみとなる。生徒自身の個人的な問題にタッチする形式ではなくなるのだ(生徒たちが問題を起こさないわけではないのだが)。それも悪いわけではないものの、企画意図のひとつが“五十人の生徒には五十のドラマがある”であることを思えば残念だ。
矢的と京子先生が希望生徒だけを連れて、石倉山へ鍾乳洞見学に出掛けるが、そこで事件が発生する……といったストーリー。
この時期の学園ドラマには多く見られた個人的な課外活動、学校外での教師と生徒のつきあいである。しかし、数年後には公私混同やプライベートへの介入、特定生徒へのひいきなどの面で問題視されてしまうので、いま見ると懐かしい。
ドラマ全体からすれば付録のようなエピソードであるが、道中のバスのなかで小事件が起こる。レギュラー生徒のひとり・落語(らくご)の悪ふざけだ。人を騙す、度のすぎたイタズラの罪深さを説くところが、些細だからこそ大切な訴えとなっている。教育ドラマとしての意義を感じさせる。
古代に光の巨人が封印していた人食い怪獣タブラがよみがえり……という中心ストーリーは、全体的にはインパクトに欠ける。
現場で矢的と鉢合わせになった防衛組織・UGMのハラダ・タジマ両隊員が、生徒たちやマドンナ教師・京子先生や日比野(ひびの)博士に、UGM隊員でもある桜ヶ丘中学校教師・矢的のことをただの友人だとごまかす。このあたりは矢的の中学教師とUGM隊員の二重生活がオオヤマキャップ(隊長)以外の隊員にも知らされているのかが、これまで不明確だっただけに興味深い。
鍾乳洞が落石で埋まって閉じ込められてしまったために、隊員たちや生徒の前で宇宙人(ウルトラマン)としての超能力を使ってしまい(単なる馬鹿力で岩石を持ち上げただけだが)、驚かれてしまってゴマカそうとする矢的。そして、象形文字の石板に「光の巨人がふだんは人間の姿をしている」との記述があったことから、彼がウルトラマン80(エイティ)であることに気づいたかもしれないラストの日比野博士など、見どころもあるのだ。
「光の巨人」は幼児はともかく小学生以上であれば、放映当時のだれもが初代『ウルトラマン』(66年)7話「バラージの青い石」で古代の中近東に出現したというノアの神を連想したことだろう。当地では「ノアの神」なる初代ウルトラマンとそっくりの巨人の石像が祭られていたのだ。
もちろん、ノア以外にもウルトラマンたちが過去に地球に来訪していても不思議はないのだが。その意味ではSF的・伝奇的なセンスがあったのだ。しかし、矢的が発現した「光の巨人は僕の遠い先祖かも?」というセリフで疑問も浮かんできてしまう。初代ウルトラマンはその最終回で明かされたとおりで2万歳だし、ウルトラ兄弟たちも1万歳以上の年齢であることは、当時の子供向け書籍でも公表されてきた。ウルトラマン80自身も8000歳であることが児童漫画誌『コロコロコミック』の記事などで公表されていたのだ。
しかし、本話の「光の巨人」は3000年前の存在である。ウルトラマンたちにとっては、3000年前であれば自身もすでに生まれている時代だし、「遠い先祖」ということはありえない。ここではせっかくSF性を醸し出そうとしたのに、歴代ウルトラシリーズのウラ設定とは矛盾が生じてしまったことで、かえって当時の子供たちにも違和感を生じさせてしまっており、実にもったいない。「ウルトラ一族の誰かが古代の日本にも来訪していたのだろうか?」といったセリフであれば、こういった不満は生じずに、かえって盛り上がったことだろう。
◎落語と京子先生を救出したあと、ひとり鍾乳洞に閉じ込められてしまった矢的がウルトラマン80に変身するシーンは、カメラが上から見下ろしたアングルかつ、矢的も狭い鍾乳洞の隙間からカメラの方を見上げつつ変身アイテム・ブライトスティックを右腕で突き出す独創的なカットとなっていて、実にカッコいい!
◎砂糖と間違えて塩を使って焼いたクッキーをE組の生徒たちに振る舞ってしまい、文句をつけた落語を突き飛ばしたことで、女生徒・ファッションを矢的は「おまえ女の子なんだから、もっとおしとやかになれよ!」と叱る。今なら苦情電話が殺到必至のセリフだ……。
『ウルトラマン80』第8話「よみがえった伝説」 ~合評2
(文・黒鮫建武隊)
(1999年執筆)
「怪獣は学校の近所にしか出ないのか?」
『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)の放映開始当初、こういう批判がよく聞かれた。
そんな批判を考慮した結果なのかどうか、この8話は猛・京子・生徒たちが校外学習へ出掛けた先で怪獣に遭遇する物語。しかも現地へはUGMのハラダ・タジマ両隊員が先行しており、猛があくまで教師として同僚の隊員に協力する、という大変ユニークな状況が描かれている。
UGMメンバーと(校長以外の)学校側レギュラーが同一画面におさまるのも今回が初めてで、『80』の二つの世界が文字通り融合したという嬉しさを、オンエア時には強く感じたものだ。更にノアの神を彷彿とさせる「三千年前の光の巨人」の存在が語られていることも含め、見た目の新鮮な印象に恵まれたエピソードといって良いかも知れぬ。
見た目といえば特撮。今回は舞台が山間のため、都市・住宅街破壊シーンがない代わり、オープン撮影での自然(太陽)光のもとでの土砂崩れのシーンや逃げる生徒たちの前に地割れが突如出現するという驚きのある合成カットなど、地味ながらリアルで丁寧(ていねい)な特撮を楽しめる。特撮と連動して本編部分でも地割れに生徒と京子先生が飲まれてしまうシーンも大迫力。
難を言えばタブラ自身の、あまりに無個性な姿形か。デザイン段階であった、両生類を思わせる案が採用されていたら、と思うと惜しい(当時の関連商品のCMにタブラが出ていたものがあったのだが、どの怪獣か、即座には判別できなかった記憶がある)。
話の方は、鍾乳洞の入り口が落盤で埋まって落語と京子先生が閉じ込められ、外にいた生徒たちが救出をあきらめかけた時に日比野博士が励ます
「わしはこれまで、何でも一人でやってきた。(中略)みんなで力を合わせれば、何でも絶対にできるんだ」
という言葉がテーマらしく感じられるのだが、「一人でやり抜くことの素晴らしさ」と「みんなで力を合わせることの素晴らしさ」のどちらにウェイトがかかっているのか不明確で、効果のほどは今一つか。
話の前半は、日比野博士の一匹狼ぶりの印象が強烈だっただけに、変に説教などさせず、最後までそれを通しても良かったのではないだろうか。
ついでに言えば、往路のバス車内での騒動や光の巨人の設定も、後の展開には直接つながっておらず、今回は全体的にやや散漫な作りに感じられる。
もっとも、リュックを背負った山男姿でヒゲ面の日比野博士の印象が強烈なおかげ(円谷プロのSF戦艦もの『マイティジャック』(68年)10話「爆破指令」などで知られる佐竹明夫氏の好演が光る)で、見ている間は、一本の筋が通っているような錯覚を得ていられるのだが。
(重箱のスミ)
・自室で独り言をして噂をされるとクシャミをするノンちゃん、ずっとカメラ目線です。
・三千年前の光の巨人について「僕の遠い祖先」と猛が考えるが、エイティの設定年齢は八千歳……。
・光の巨人の造形物はエイティの全身にスコッチテープを貼り付けて真っ白に光らせたものだそうだが、エイティではなくアトラク用か何かの初代ウルトラマンなどを土台にした方が、同一シリーズとしての雰囲気が出たのではないだろうか。