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ザ・ボーイズ & ブライトバーン ~超人ヒーローに強者の傲慢や増長、生来の不徳義や凶暴性を仮託した2作

『ガーディアンズ』 ~酷評のロシアのスーパーヒーロー集合映画を擁護する!
『アベンジャーズ/エンドゲーム』 ~タイムパラドックス&分岐並行宇宙解析!
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 2020年9月4日(金)からアンチ・ヒーロー洋画『ザ・ボーイズ』シーズン2がアマゾン・プライムで配信中記念!
 2020年10月2日(金)早朝にアンチ・ヒーロー洋画『ブライトバーン/恐怖の拡散者』がBS放送・WOWOWにて再放送記念!
 とカコつけて……。『ザ・ボーイズ』シーズン1&『ブライトバーン』(共に19年)評をアップ!


『ザ・ボーイズ』シーズン1・『ブライトバーン/恐怖の拡散者』 ~超人ヒーローに強者の傲慢や増長、生来の不徳義や凶暴性を仮託した2作!

(文・くらげ)
(2019年12月19日脱稿)

『ザ・ボーイズ』シーズン1

(2019年7月26日配信)


 アマゾンプライムのオリジナルドラマですが、非常に面白かったので紹介します。とはいえ配信が2019年7月なのでとっくに見てる人もいると思いますが、地味なタイトルにヒーローものと気付かずスルーした人も多いと思うので(自分もそうでした)。
 第1シーズンは8話しかないので見始めたらほとんど1日でイッキ見してしまうはずです。2020年にはシーズン2の放映も決定なので今のうち予習しておきましょう。


 空を飛び目からビームを出す。超高速で走行する。深海に潜り魚と会話する。光を操り透明になる。そういうどこかで見たような超能力を駆使するヒーローが当たり前に存在するアメリカが舞台ですが、ここに登場するヒーロー達は人格に問題のあるクズばかりです。
 人類を腹の底から蔑視し、超能力を悪用して欲望のままに振舞いながらメディアの力で聖人に祭り上げられているヒーロー達。


 考えてみれば空が飛べたり目からビームを出せるだけでも相当の悪事が出来るはずで、それでもヒーローなら善良なはずと信じる我々の方が虫がいいのかも知れません。人格に問題のある超人ならヒーローでなく「ヴィラン=悪役」になりそうですが、このドラマの超人たちはあくまでも「ヒーロー」です。ヴィランならいずれはヒーローに倒されて退場するでしょうが、ヒーローがクズなら手のつけようがありません。


 そんな理不尽な彼らに敢然と立ち向かうのがヒーローに恨みを持つただの人間たち“ザ・ボーイズ”です。地味そのもののタイトルはこの物語の主人公が何の力もない男たちであることを示しています。


 物語の発端はオーディオショップで働く平凡な青年ヒューイ・キャンベル(ジャック・クエイド)が、将来を誓い合った恋人のロビンをヒーローとの衝突事故で失うところから始まります(余談ですがこのジャック・クエイドの父親は性格俳優ランディ・クエイドで、母親はメグ・ライアンだとか。80年代は遠くなりにけり)。


 たった今まで話をしていた恋人がヒューイの目前で血と骨の飛沫に変わる描写がエグ過ぎて、このドラマが18禁であることを改めて思い知らされます。暴走するヒーローを例えばスーパーカーに乗ったアメリカン・セレブに置き換えれば現実にあり得る状況で、要するに善良な一般庶民が住む世界とは違う世界の人間に生活を奪われる悲劇です。


 すかさずヒューイの前に代理人を名乗る弁護士が現れ、はした金よりはやや多い額の補償金で事を収めようとするあたりも分かりやすくて、つまりこのドラマにおける「ヒーロー」はハリウッドスターやスポーツ選手のように巨大なシステムの中で増長した人間の象徴でもあるわけです。補償金を前に揺れ動くヒューイの前に現れるのがFBIを名乗る謎の男、ビリー・ブッチャー(カール・アーバン)で、何故かヒーローを激しく憎むブッチャーがヒューイの復讐を手伝うと申し出ます。


 ここでちょっと背景を説明しておくと、この世界では娯楽産業がスーパーヒーローによって成り立っていて、映画やビデオゲーム、スポーツ中継やCM、テーマパークに至るまであらゆるポップカルチャーがヒーローに依存しています。その中で最も人気を集めるのが「セブン」と呼ばれる7人のスーパーヒーロー(ホームランダー、ディープ、Aトレイン、トランスルーセント、ブラック・ノワール、クイーン・メイヴ、スターライト)です。彼らを中心とする何十億ドルに及ぶヒーロー産業は「ヴォート社」という組織によってマネジメントされていて、ヴォート社は世界を牛耳る大企業となっています。まあ○ィズニーをイメージすればいいでしょう。


 そもそも最強の力を持った超人が、私欲も持たずボランティアのような弱者救済をする方が不自然なわけで、子供向けヒーローなら許されるとしても、あいにくこのドラマは18禁でその辺の描写がリアルです。カメラの前では立派なことを言って、その裏では新人の前でパンツを脱いで枕営業を要求したり、男娼をはべらせたり、麻薬に溺れたり、セクハラ・パワハラ何でもアリのグロテスクな人間模様が展開します。
 誰も止められない力を与えられた者は増長するという見地に立てば、ヒーローが人格者の方がむしろおかしいわけで、過去のヒーローものが目を背けてきた事実です。この悪趣味ともいえる作品に感じる一種の清々しさは、そうした欺瞞を身もフタもなく描くところですね。


 ブッチャーはヒューイのオーディオショップに現れ、「ヒーローを存在させるのは大衆の恐怖だ」と喝破します。大衆がテロや犯罪に脅威を感じるからヒーローを求めるのだと。店に陳列された乳母監視用のカメラ付きテディベアを手にとってブッチャーが言います。


アメリカで子供を虐待する乳母が何人いる? 1%もいないだろう。だがこのカメラは10億ドルも売れてるんだ」


 大衆の不安を盾にとって何が起こるかを的確に表すシーンです。最後まで迷っていたヒューイですが、ブッチャーに連れていかれたヒーロー専用のクラブでロビンを殺したAトレイン(ジェシー・T・アッシャー)が彼女の死を肴(さかな)に爆笑しているのを見て復讐を決意します。


 こうしてヒューイとブッチャーに旧友のフレンチー(トマー・カポン)、マザーズミルク(ラズ・アロンソ)を加えた4人とセブンとの全面戦争が幕を開けます。
 弾丸を弾き返すスーパーヒーローを、果たして人間の武器で殺せるのか? が一つのテーマになっていて、例えば透明人間のトランスルーセントは皮膚はダイヤ並みに硬いけど内臓は人間と同じなので、スタンガンで気絶させて尻の穴から爆弾を突っ込むとか、あまりヒーローものでは見ないえげつない戦いが展開します。しかも戦う相手が悪ではなく正義の味方なので、だれの賛同も得られない孤独な戦いです。


 戦いの中でザ・ボーイズはヒーロー専用の麻薬「コンパウンドV」の存在を知るんですが、その出所を探るうち、この薬物がヒーローの誕生に深く関わっていると分かってきます。ヴォート社は70年代から新生児にポリオワクチンと偽ってコンパウンドVを与え、人工的なスーパーヒーローを世に送り出していたのです。軍との契約を望むヴォート社は反対する議員を次々とヒーローの力で殺害していました。ヒーロー達はショービジネスの世界にとどまらず、より大きな権力を手に入れようとしていたのです。


 スキャンダルとは無縁の完璧超人・ホームランダー(アントニー・スター)が中盤からその本性を表します。星条旗をプリントしたマントを付けた姿は明らかにスーパーマンがモデルですが、スティーブ・マーティン似のパッとしない白人男性が演じていて、まあ権力を持った白人の典型というリアリティなんでしょうけど、もう少しマッチョなハンサムをキャスティングすればいいのに。
 このホームランダーがハイジャックされた飛行機の救出に乗り込むんですが、ハイジャック犯を軽く皆殺しにして事件解決のつもりが、ホームランダーの目ビームが操縦席まで破壊してしまい、助けてくれと懇願する乗客たちを飛行機ごと見捨てるエピソードあたりからこの男の性根が見えてきます。ホームランダーにはかつてブッチャーの妻・ベッカをレイプした過去があり、ブッチャーの憎しみの源泉となったヒーローです。セブンの中で彼だけがコンパウンドVで作られていない天然のヒーローのようで、謎を匂わせます。


 中盤からザ・ボーイズに参加するのが紅一点のキミコ(カレン・フクハラ)で、名前は日本人なのにベトナム人のような生い立ちで、制作者が明らかに日本を勘違いしていることが分かります(笑)。キミコには家族ともどもテロリストに仕立て上げられた過去があり、どんな深い傷も直ってしまう治癒能力を持っています。彼女もまたヴォート社にコンパウンドVを与えられた能力者で、つまりヒーローとテロリストを作り出したのが同じ企業ということです。ここで先ほどのブッチャーの言葉が生きてきます。恐怖を与える者とそれを回収する者は同じなんですね。


 権力を持った者がより大きな力を手に入れ、力のない者を支配する。「病めるアメリカ」なんて言われて久しいわけですが、政治に軍隊、宗教にマスコミといったベールに包まれた権力の実態がネットによって暴かれその正当性を失う。あるいは正当性を失いつつもウソとやらせに満ちたメディアの力で存続し続ける。それが現代社会で起こっていることで「堕落したスーパーマンにただのオッサンが喧嘩を売る」このドラマのインディーズ精神は、そういう時代性から生まれたといえるでしょう。


 2020年に配信予定の続編にはホームランダーがブッチャーの元妻に産ませた子供が登場しますが、予告で見る限りサイコパスそのものといったクソガキに成長していて、こいつとホームランダーの親子がどういうゲスい活躍をするか今から楽しみです。
ザ・ボーイズ シーズン1


『ブライトバーン/恐怖の拡散者』

(2019年11月15日公開)


 育成失敗したクラーク・ケントが田舎町を恐怖に陥れるホラー版スーパーマンです。あっ、クラーク・ケントってスーパーマンの本名ですからね。常識と思えることも一応説明しておかないと最近は譬え話もできません。最近は若い世代に「スーパーマンって何ですか?」とか言われてもなるべく驚かないようにしてます。
 監督はデヴィッド・ヤロヴェスキーなる無名の新人ですが、映画のカラーは製作のジェームズ・ガンのものでしょう。今やマーベルとDCを股にかける大物監督ですが、元々はトロマ映画のB級からスタートした人で、ネットでの放言が過ぎてマーベルのアメコミ洋画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3』(2022年以降公開?)の監督を降ろされかけたりにシンパシーを感じます。
 脚本はマーク・ガンとブライアン・ガン。要するにマーベルを干されたジェームズ・ガンが親族を集めて作ったファミリームービーです。


 2006年のある日、カンザス州の田舎町・ブライトバーンに隕石が落下します。タイトルの「ブライトバーン」は町の名前なんですね。カンザス州といえばスーパーマンの故郷のスモールヴィルの場所でもあり、ヒーロー誕生の聖地です。この隕石が実は宇宙船で、中から現れた赤ん坊が子供のいない夫婦に拾われるまではスーパーマンと同じですが、その赤ん坊が悪魔だったらどう落とし前をつけるかという映画です。あっ、悪魔というのは比喩であって、本当には悪魔じゃないですからね(もうええわ)。


 子宝に恵まれなかったトーリ(エリザベス・バンクス)とカイル(デヴィッド・デンマン)のブライヤー夫妻は、得体の知れない赤ん坊を天の贈り物と信じ喜んで育てます。ブランドン(ジャクソン・A・ダン)と名づけられた赤ん坊は、両親の愛情を一身に受けスクスクと成長します。見た目こそ人間と変わらないブランドンですが、ある日草刈りを頼まれたブランドンは草刈り機を100メートルくらい放り投げるスーパーパワーを発揮し、回転するブレードに巻き込まれても傷一つ負わない自分の頑丈さに気付きます。ブランドンは確信します。「自分は特別な存在だ」と。


 ブランドンの変化は12歳の誕生日に、伯父さんのノア(マット・ジョーンズ)がプレゼントしてくれたライフルを取り上げた両親に対して「それを寄越せ!」と怒りをむき出しにするあたりから始まります。誕生日に銃をプレゼントするあたりがアメリカですね。強い大人への階段を登るプレゼントとしては悪くないと思うんですが、それで子供が人を殺したり、事故に遭ったりしたら贈った人は恨まれるだろうなあ。その他にもブランドンのベッドにエロ写真が隠してあると思ったら人体解剖図や死体写真だったり。生まれて一度も出血したり傷ついたことのないブランドンは、血や内臓に異常な関心を示します。他にもノートいっぱいに「世界を手に入れる」と電波系のラクガキをしていたり、親を心配させる出来事が続きます。


 自分を特別な存在だと思ったり、ノートに電波な落書きしたり、死体写真でニヤニヤくらいは思春期には誰でもあるでしょうが、ブランドンを猟に連れ出したお父さんが「チン○をいじるのは恥ずかしいことじゃない」みたいなさばけた助言を与えてもブランドンはどこ吹く風です。両親がいくら愛情を注ごうと暴走していくブランドンは止まりません。近所に住むクラスメイトのケイトリン(エミー・ハンター)の寝室に侵入したり、スーパーパワーを生かした悪事のし放題です。まあスーパーヒーローだって思春期もあれば反抗期もあるでしょうが、ブランドンの場合は全てが最悪に転んだケースですね。


 ある日ブランドンは体育の授業で“トラストフォール”という組体操をさせられます(ここは妙にリアリティがあって製作者の誰かの実体験だと思うんですが)。一人の子供を他の子供がぐるりと囲んで、倒れる一人を他のみんなが受け止めることで信頼を深めるというものなんですが、故意であろうと過失であろうと受け損なえば生涯残るトラウマとなるリスクを伴う諸刃の剣です。
 学校というのは時に余計なアクティビティを考え出しますね。案の定ブランドンは失敗して地面に叩きつけられ、助け起こそうとしたケイトリンの手をスーパーパワーで握りつぶしてしまいます。学校に抗議に来たケイトリンの母親を逆恨みしたブランドンは彼女を勤務先のレストランで襲い拉致します。このお母さんがどうなったかは後で明らかになりますが、残されたケイトリンがどうなったかは語られません。スーパーパワーの変態に目を付けられたのが運のツキですね。


 次に犠牲になったのは銃をプレゼントしてくれたノア伯父さんでした。スクール・カウンセラーでもある奥さんを狙われたことでブランドンの正体に気付いたノア伯父さんを襲い、車ごと宙高く持ち上げ、地面に叩きつけます。激しくハンドルに叩きつけられたノア伯父さんの顔面は砕け、病院で息を引き取ることになります。ノア伯父さんは最期にブランドンの正体を誰かに伝えたかったはずですが、きっと喋れなかったんでしょうね。あの状態じゃ……


 兄を殺された義父・カイルは、葛藤の末ブランドンを自らの手で始末する決心をしますが、何しろ相手はスーパーマンです。後頭部に銃弾をお見舞いしても死ぬどころかちょっと痛かったくらいにしか感じません。カイルの殺意を確信したブランドンは目ビームで逆襲し、ためらいもなく育ての父の頭に風穴を開けます。遂にはブライトバーンの警察がブランドンの家に押し寄せ、銃撃戦が始まります。一人また一人と肉塊に変えられていく警官たち。田舎の警察ではブランドンのスーパーパワーの前に歯が立ちません。一人残った義母・トーリがブランドンの弱点に気付きます。彼を運んできた宇宙船の部品ならば彼を傷つけられる。これはスーパーマンの弱点が故郷クリプトン星のかけらだったのと同じで、同じ世界の物質の前には無敵ではない、という理にかなった弱点です。


 最後に母親に向かって「いいことをしたい」と言ったブランドンの言葉に嘘はないのかも知れませんが、ここまで話がこじれたら手遅れです。「あなたは本当はいい子なの」と最後まで信じた母親・トーリは、ブランドンの手で上空数千メートルから墜とされあえない最期を遂げることになります。ブランドンは行きがけの駄賃のように上空を飛ぶ旅客機をブライトバーンの町に墜落させ、事件の証拠を町ごと消滅させます。焼け野原となった町に一人生き残ったブランドンは、飛行機事故で両親を失った気の毒な子供として救助されるのでした。


 この話が救いがないなあと思うのは、ブランドンが歪んでいく原因は愛情の欠如とかじゃないんですね。生まれつき凶暴な生き物が、宇宙船が発する信号で本性を現すだけなんです。冒頭で登場する蜂のエピソードが象徴するように、人類はミツバチでブランドンはスズメバチというだけで。いわばブライヤー夫妻は宇宙人養子ガチャで「ハズレ」を掴まされたわけですよ(「アタリ」はスーパーマンですね)。
 エンドロールで後日談が語られます。ブライトバーンの町に現れた謎の影が世界中を破壊し何百万の死者を出していると。ブライトバーンは恐怖の超人の名前となり、ブランドン・ブライヤーのイニシャルを現すB・Bのシンボルは恐怖と破壊のシンボルとして世界中から恐れられるようになるのでした。


 自分の育てた子供が手に負えない乱暴者だったら親はどう落とし前をつけるか、という洋の東西を問わない普遍的な物語であると同時に、70年代を知る人間には『スーパーマン』(1978)と『オーメン』(1976)をミックスしたような映画に感じました。というわけでこの映画は「天国のリチャード・ドナーに捧げます……」ってまだ生きてるよ! あっ、リチャード・ドナーというのは『グーニーズ』(1985)とかの監督で……あとは自分で調べてください(笑)。
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(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年号』(19年12月28日発行)所収『ザ・ボーイズ』『ブライトバーン』評より抜粋)


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ワンパンマン』 ~ヒーロー大集合世界における最強ヒーローの倦怠・無欲・メタ正義・人格力!

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#ザ・ボーイズ #ブライトバーン #恐怖の拡散者



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ウルトラマンタイガ・ウルトラギャラクシーファイト・スカイウォーカーの夜明け・仮面ライダー令和 ~奇しくも「父超え」物語となった各作の成否は!?

『ウルトラマンタイガ』最終回「バディ ステディ ゴー」 ~タロウの息子としての物語たりえたか!?
『ウルトラギャラクシーファイト』 ~パチンコ展開まで前史として肯定! 昭和~2010年代のウルトラマンたちを無数の設定因縁劇でつなぐ活劇佳品!
『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』 ~並行世界・時間跳躍・現実と虚構を重ねるメタフィクション、全部乗せ!
『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』肯定評 ~陰陽円環な善悪観・草莽の民・自己犠牲的な特攻! 世評は酷評だが、私見ではシリーズ最高傑作!
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ウルトラマンタイガ』『ウルトラギャラクシーファイト』『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』3大作品完結! 『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』公開! ~奇しくも「父超え」物語となった各作の成否は!?

(文・T.SATO)
(2019年12月27日脱稿)


 2019年の年末、奇しくもTV特撮『ウルトラマンタイガ』とネット配信『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』にSF洋画『スター・ウォーズ』の「続3部作」が完結を迎えた。映画『仮面ライダー 令和・ザ・ファースト・ジェネレーション』(いずれも19年)も公開されている。
 暫定的な速報として、この4作品をまとめて横断的にレビューして、4作に通底している「似て非なる要素」と「似て同なる要素」を明らかにしつつ、2020年代の日本特撮が目指すべき方向性を、微力ながらも透かし見てみたい。


ウルトラマンタイガ』は「ウルトラマンタロウの息子」としての物語たりえたか!?


 まずは『ウルトラマンタイガ』だが、本作のファンの方々には非常に申し訳ないけど、その最終回にかぎらず、シリーズ全体を通じてやや物足りない思いが私的には残った。
 タイガは昭和の時代のウルトラ兄弟中でも高い知名度&人気を誇るウルトラマンタロウの息子として設定された。そして、シリーズを通じた宿敵として青黒い悪の超人・ウルトラマントレギアもまたウルトラマンタロウの旧友であるとウラ設定されていた。アリがちといえばアリがちな因縁設定ではあるが、『ウルトラマン』のTVシリーズ作品としては珍しい設定ではある。
 加えて、本作#1冒頭で2010年代の7大ウルトラマン・昭和のウルトラマンタロウ・新番組ウルトラマンタイガに登場する3大ウルトラマンウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマ)vs悪のウルトラマンことトレギアとの一大バトルでトレギアは一歩も譲らず、トレギアとの相打ちの爆発四散のイメージでタロウの消息も行方不明になったというドラマチックな展開で開幕もしていた。


 そうであれば、シリーズのタテ糸として、ウルトラマンタイガは宿敵ウルトラマントレギアが実父ウルトラマンタロウと旧友であったことを、そしてその決裂の理由や経緯をシリーズ中盤で徐々に知っていき、トレギアもまた当初はヒヨッコのタイガを愉快犯的にもてあそび、あるいはのちのちの余興のためにタイガが自分と戦うのにふさわしい強さを兼ね備えさせるための鍛錬まで施して、しかして最後にその鼻っ柱を叩き折って絶望させることで嗜虐心を満たそうとするも、意表外にも強くなりすぎたことに脅威を覚えて、タロウへの憎しみをその息子のタイガにも重ねてホンキで叩き潰そうとするようになる……。
 しかして、終盤ではタロウも復活して助っ人参戦せねばならないほどの危機も迎えさせて、タロウは善戦して頼もしいところを見せつつもトレギアに苦戦し、しかして成長して逞しくなったタイガがトレギアを倒すことで主人公を立ててみせ、タイガの父超えの物語、ビルドゥングス・ロマン(成長物語)としてもストーリーを構築する!
 アリがちで常套で先行きの予想がついたとしても、カタルシスのある「王道の物語」ではあり、幼児はともかく児童や我々大きなお友達であれば、かようなストーリー展開・シリーズ構成を期待したのではなかろうか?



 心理学者フロイトが云うような「父超え」(父殺し)の物語はまったくの偶然だが、映画『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』と『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』でも作品の骨組み・背骨となっていた。ただし、コレらの作品でも「父超え」テーマありきではなく、まずはキャラクターがありきであったと推測される。「父超え」云々は後付けであり、キャラクターにサプライズな出自設定を肉付けしていく過程で、この「父超え」テーマに結果的に到達したのではないのかとも私見する。


仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』も「父超え」の物語であった!


 『令和ライダー』はここ10年の現行&前作の2大仮面ライダー共演の正月映画の伝統に則り、最新作『仮面ライダーゼロワン』(19年)と直前作『仮面ライダージオウ』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191020/p1)が共闘する。さらにココにドラマ性やテーマ性はともかく、映画的な華・旗印やイベント性&キャラクター玩具の販促も込みでの映画限定のキャラクターとして、


・黒の素体に蛍光イエローのパーツがまぶしいゼロワンのさらなるマイナーチェンジ進化型の「仮面ライダー001(ゼロゼロワン)」
・001とゼロワンの系譜を遡及した先行プロトタイプともいえる、黒の素体にシブめの青いパーツをまとった「仮面ライダー1型(いちがた)」
・ゼロワンをいわゆる「敵怪人」にアレンジした存在だともいえる「アナザーゼロワン」


と都合3体もの新ライダーを登場させて、コレを目印としている――かてて加えて、ラスボスには昭和の1号ライダーのネガである「アナザー1号」まで登場!――。


 もちろんコレらをただ漫然とお団子状態で出しても、そのキャラクターが立ってはこない。
 そこで本作では「仮面ライダー1型」を、ゼロワンこと主人公の青年プータロウ社長(字義矛盾・笑)の今は亡きハズの父親が、歴史改変後のアナザー世界では生存していたとして、彼が「1型」に変身を遂げて主人公に立ちはだかる存在だともする。
――父といっても、本作冒頭から明かされて主人公青年も幼いころから熟知していた通り、実父ではなく『ゼロワン』世界で普及している高度なAI(人工知能)を搭載したアンドロイド(人型ロボ)であり、コレをTVシリーズ1話同様、中堅の域に達した俳優・山本耕史(やまもと・こうじ)が演じている――


 「アナザーゼロワン」ことアナザーライダーは、前作『仮面ライダージオウ』における各話ごとの敵怪人にあたる存在だ。それは未来から来た敵集団タイムジャッカーが過去の時代でアナザーライダー怪人を誕生させると、その時代に活躍する正規の平成ライダーが消滅、歴史も改変してしまう存在であるとされていた。この原理でアンドロイドが革命を起こして政権を奪取し、しかして人間とアンドロイドが平等に暮らす世界ではなく(汗)、アンドロイドが人類を旧勢力として抹殺せんとしている世界を舞台とした。
 『ゼロワン』世界の大企業の社長も主人公青年ではなくゲストである壮年アンドロイドが務めており、彼がアナザーゼロワンへと変身! 価値観の異なる3者による三つ巴の戦いとなっていく。
――アナザーゼロワンの蜂起は主人公の祖父(演・西岡徳馬)がアンドロイドへの報酬の概念を笑い飛ばした失望に遠因する。それでは祖父が悪人かといえば、彼も彼でアンドロイドの襲撃から社員を守って絶命。権力や粗暴犯などの積極的な悪だけでなく、善良な個人間の消極的な悪=無神経・不作為・無礼もまた分裂を拡大すると見るのも実に風刺的だ――


スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は2つの「父超え」の物語でもあった!


 実は『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』も同趣向である。「旧3部作」の黒仮面の宿敵ダース・ベイダーもどきの仮面をかぶった悪役青年が主敵となるこの「続3部作」では、この悪役青年はダース・ベーダーの孫であり、「旧3部作」のメインヒロインであるレイア姫とチョイ悪アニキのハリソン・フォードもといハン・ソロ夫妻の息子でもあり、「旧3部作」の主人公ルーク・スカイウォーカーの不肖の弟子でもあって、ダークサイドに墜ちてしまった青年として設定されている。
 加えて、この「続3部作」の完結編でもある本作では、1部&2部では伏線のカケラもなかったのに(笑)、取って付けたように20世紀の「旧3部作」の最後で旧主人公ルーク青年に敗れて死んだハズであった顔面白塗り黒コートの老人、悪の旧・銀河帝国皇帝パルパティーンが36年ぶりに冒頭からすでに復活済みの状態で登場!!
 ネタバレさせてもらうけど、無名の庶民出と思われていた主人公の女剣士もまた、ウルトラマンジード(17年)のごとく銀河帝国皇帝の孫であったことが判明する。そして、物語は悪役青年のみならず、女剣士自身の父超え(祖父超え)の様相をも呈していくのだ。


――まぁたしかに今回の「続3部作」の前2編に登場した旧銀河帝国残党ファースト・オーダーやその老指導者スノークはやや小粒で、彼らとの小規模な前哨戦を延々と描いている感は否めなかったので、最終第3章にふさわしい大スケール・大バトル・大団円を描くためには、チリやホコリを払って説明ヌキでも大物悪党として描ける旧ラスボスにお出まし願って、実はファーストならぬファイナル・オーダー(笑)なる数百数千の無人スターデストロイヤー大艦隊もすでに準備済みであったと描くのは、活劇エンタメの作劇的な都合論ではあるけれども、物語の最後にボリューム感もあるドンパチを配置するために逆算するならば、コレがベストではなくともベターだとは思う。もちろん、ただ出てきただけでもナンなので、悪役青年のみならず主人公の女剣士とも強烈な因縁を持たせることで、彼女に主人公らしい葛藤ドラマを構築することもできる――


『ウルトラギャラクシーファイト』もまた「父超え」の物語の一種!


 牽強付会をさせてもらえば、『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』も「父超え」テーマに結果的にカスった作品でもあった。この作品は最新作『ウルトラマンタイガ』を除く、2010年代の7大ウルトラマンが活躍する作品ではあるのだが、フタを開けてみれば昭和のウルトラ6兄弟や21世紀の大人気キャラ・ウルトラマンゼロに、本作配信半年前の映画でデビューしたばかりのウルトラウーマングリージョまでもが登場する豪華な一編ともなっていた。
 黒いボディーの偽ウルトラマン軍団と宇宙の各所で大バトルを繰り広げる本作ではあるが、2010年代には新米ウルトラマンたちの頼もしい先輩・兄貴分として後輩たちのピンチに助っ人参戦、時に特訓もほどこしてきたウルトラマンゼロが本作では立場を逆転、閉鎖時空に囚われの身として描いて、むしろ7大ウルトラマンたちがゼロを奮闘の末に救出してみせることで、単なるシーソーバトルを描くのみならずドラマ的・テーマ的には7大ウルトラマンたちの成長、一種の「父超え」をも描いているのだ。


『タイガ』における地球に潜伏する宇宙人を「移民・難民」のメタファーとして描くことの是非!


 話を『ウルトラマンタイガ』に戻そう。『タイガ』にもむろんドラマやテーマはある。むしろそれは意表外にも社会派テーマであったりもした。
 『仮面ライダーゼロワン』が2019年9月に放映が開始されて、アンドロイドが人間の労働を一部肩代わりもしている世界観を披露した際、筆者のようなオッサンオタクで窓際族の肩叩き(リストラ)要員でもある我々は(汗)、ついつい条件反射でアンドロイドに職を奪われた人々の苦衷を脳裏に浮かべて、アンドロイドの労働力をバラ色の未来ではなく否定的に捉えもした――手前ミソで恐縮だが、本誌の『ゼロワン』序盤合評を参照されたし(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200517/p1)――。
 ヘソ曲がりの筆者なぞは後出しジャンケンで、その「アンドロイド」を「移民・難民」で代入してみせたら、それでも否定的に論じるのであろうか? 否定的には論じないまでも、失業問題&賃金下降圧力を勘案すれば、「グローバリズム」の美名の許での「移民推進」は善行のように見えて、資本家の利益に加担するだけの悪業に他ならないとナゼにわからないのであろうか? などとイジワルなことを考えていたのだが(笑)。


 しかし、映画の神様のイタズラか、10月からの『ウルトラマンタイガ』後半は、あまたの「宇宙人」が秘かに市井に潜伏しているSF設定を逆手に取って、「宇宙人」を現今の「移民・難民」のメタファーとして描く話が連発されていく!
――むろん7~12月の半年放映、翌春には90分尺の映画を公開する年間スケジュールが確定している2010年代のウルトラは、SNSでのスタッフの発信を見るかぎり、安価で製作するために4~8、9月のほぼ4~5ヶ月間で突貫撮影を敢行しており、全話の脚本も撮影前までにはほぼ完成しているようであるから(今どきの3ヵ月の深夜ドラマも2ヵ月間での撮影を敢行しており同様のようだが)、『タイガ』が9月開始の『ゼロワン』に刺激を受けて向こうを張ったということはアリエナイ――


 「宇宙人」を「移民・難民」のメタファーと捉えてニガ味のあるドラマを構築した態度を「快挙」と見るか「愚挙」と見るかは各自が決めることであり、両方の意見があってイイとも思うけど、個人的には「その志は壮とすべしだが、子供向け活劇エンタメとしてはいかがか?」といった感をいだいてはいる。
 よしんば往年の『帰ってきたウルトラマン』(71年)におけるアンチテーゼ編である#33「怪獣使いと少年」のごとき「移民・難民」「差別」テーマをやるにしても、であればなおのこと、彼らを苦境に追いやるトレギアvsそれを阻止せんとするタイガとの善悪対決色を強めるべきではなかったか?
 レギュラーかと思えばほとんど出てこなかった(爆)ヴィラン・ギルドなる着ぐるみの悪い等身大宇宙人集団も、トレギアの部下としてヒエラルキー化することで、ある程度のスケールがある悪の軍団に立ち向かうヒロイズムも同時に強調しておけば、かえって対比として「移民・難民」問題も「意識高い系」的なクサみがウスれてイヤみなくビビッドにそのテーマも浮かび上がったようにも思うのだ。「甘さ」を引き立てるためには「塩味」を、その逆に「ニガ味」を引き立たせるためにこそ時に「甘味」も混ぜる複合作劇も必要なのである。


 『タイガ』は「移民・難民」問題の一方で、主人公青年が属する民間警備組織の武闘派の先輩格・ホマレ青年にもその正体が宇宙人であるとの出自を与えて、シリーズ前半で彼がその正体を告白する小ヤマ場を作っている――着ぐるみでの宇宙人姿がナイので、幼児には理解ができなさそうではあるけれど(汗)――。
 民間警備組織の紅一点・ピリカ嬢もまた、宇宙人由来のアンドロイドであったことが終盤に明かされることで、チームメンバー全員にもドラマを与えてそのキャラを立てようとしていることもわかる。
 ついにはヴィラン・ギルドの悪役宇宙人の一部も、終盤では地球規模の危機に際して民間警備組織に協力、ラストでは民間警備組織の新入社員となった姿を描くことで、地球人と宇宙人(移民・難民)の平和的な共存を示唆するクロージングも与えていた。


 それはそれで「要素」「点」としてはイイ。しかし、それはウルトラマンタロウの息子として設定されたウルトラマンタイガを主役とした作品に、「イの一番」で期待されていたストーリーやテーマであったのか?


タイガ・タロウ・トレギア・タイタス・フーマの過去や因縁は、YouTubeボイスドラマのみならず本編でも組み込むべきだった!


 むろん、各話のゲストに仮託された「移民・難民」テーマを放棄しろなどと二者択一的なことは云わない。
 しかし、タイガ・タロウ・トレギアの因縁を描きつつ、あるいは動画配信サイト・YouTube上の円谷プロ公式サイトで展開された音声のみのボイスドラマで描かれたような、本作の3大ウルトラマン、タイガ・タイタス・フーマの過去話をTVシリーズ本編にも組み込むことも可能だったのではあるまいか?
 TVアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971117/p1)の世界のウルトラの星・U40(ユー・フォーティー)が出自であるタイタスは、同作#20「これがウルトラの星だ!! 第2部」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090914/p1)に登場したウルトラ人のウルトラ艦隊司令官ザミアスに育てられ、同作#37「ウルトラの星U40の危機!! ウルトリアの謎?」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20100118/p1)以降、第4クールを通じて最終回までに至る宿敵でウルトラ人の反逆者・ヘラー軍団が占領したU40でレジスタンス活動をするも、両親がヘラー軍団に属していたことに引け目を感じていたこともボイスドラマで明かされている。


 もちろんTV本編は役者さんが演じるレギュラー陣がメインであり、彼らが「移民・難民」性を仮託された宇宙人ゲストたちとの交流でドラマを構築する形式でも基本は構わないのだけれども、ここでタイガやタイタスやフーマがヒロユキの内面世界で所感を述べたり、彼らがゲストと自身の過去の境遇とを重ね合わせて述懐させたり、いっそヒロユキに強引に憑依して各々が独特のクセのある口調で(笑)ゲストに直接語りかけることで、タイガやタイタスやフーマの出自や人間味を肉付けしていく二重作劇こそ採用すべきではなかったか?


 加えて云うなら、『タイガ』序盤では主人公青年・ヒロユキにだけ見えるかたちで、小人化して半透明に発光しているタイガ・タイタス・フーマが寝転がったりコップの縁に腰掛けて足をブラブラさせながら愉快なトークを繰り広げるシーンが散見されて、コレならば早くヒーローや怪獣が見たくて人間ドラマ部分は飛ばし見したい移り気な幼児たちも画面に眼が行くであろうと思えたけど(笑)、そのような合成映像が中盤以降は減ってしまったことも不満であった。
――ググってみるとヒロイン役者の交代・撮り直しが勃発したために、この部分の撮影がオミットされたとのウワサも出てきたが(汗)――


ウルトラマンタイタスのピンチにウルトラマンジョーが、ウルトラマンフーマの危機にはウルトラマンオーブやルーブが助っ人参戦するイベント編もあるべきだ!


 ボイスドラマのみならず、『タイガ』放映開始の7月からは例年夏休みに開催されている『ウルトラマン フェスティバル 2019』のアトラクショーで、タイタスと同族のザ☆ウルトラマンことウルトラマンジョーニアスが、フーマと同族のウルトラマンオーブウルトラマンルーブといった先輩ウルトラマンたちとともに、タイガの助っ人として登場して、特にジョーニアスの登場には名のみ知る幻のレアな主役ヒーローの登場に観客たちは感嘆の声をあげていた。
 もちろんそれは世代人限定のローカルな感慨ではナイ。『ウルフェス』にワザワザ足を運ぶようなマニアやマニアの気がある「怪獣博士」的な人種であれば、世代人ではなくとも歴代シリーズのヒーローの存在やその基本設定などは知っており、数話ぽっきり登場のゲストヒーローならばともかく1年を通じての看板を背負ったヒーローなればこその重み&有り難みがあって、微量であっても憧憬を募らせるという心理が人々にも相応にあるから、かような感動を観客一同に巻き起こせるのである。
 そうであれば、アトラクのみならずTV『タイガ』本編でもウルトラマンジョーがタイタスを助けに、ウルトラマンオーブやルーブがフーマを掩護に助っ人参戦するイベント編も各々1話ずつは作るべきではなかったか? TVの後日談の劇場版でもゲスト参戦させるべきではなかったか?
 良くも悪くも人々は結局はドラマやテーマよりも現役ヒーローや先輩ヒーローの勇姿や活躍を確認するために、TVを観たり映画館に足を運ぶのであるのだから。


仮面ライダー令和』も近年の正月ライダー映画同様、近作先輩ライダー5~6人が助っ人参戦する華がほしかった!


 それはまさに新旧2大ヒーロー共演の『仮面ライダー』お正月映画もまたそうなのだ。興収が長期低落傾向にあった『ライダー』正月映画は3作前の『仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴースト withレジェンドライダー』(16年)から路線を変更、2010年代の近作先輩ライダー5~6人が変身前の中の人も含めて助っ人参戦するスタイルに舵を切ったところ、グイグイと興収を上げたのだ。
 人々はTVとはスケールが異なるお祭りとしての先輩ヒーロー大集合映画を観たがっていることが如実に証された出来事でもあった。


 その伝で云うならば、今回の映画『令和ライダー』が旧来の新旧2大ヒーロー共演路線に戻ってしまったことは残念だ。メインストリームのドラマやテーマは申し分がなくても、やはり映画的な華には欠けているので地味に思えてしまうのだ。ドラマやテーマがあのままでも『仮面ライダージオウ』終盤同様、並行宇宙が再度融合しつつあるSF大設定を逆用した言い訳を付ければ、唐突に先輩ライダーたちが登場してレジスタンスたちに加勢をしても許されたようにも後知恵で思うので……。


「旧3部作」「新3部作」「続3部作」「TVアニメ」キャラも総動員した『スカイウォーカーの夜明け』!


 その逆に『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は歴代シリーズの遺産を引用しまくったイイ意味で二次創作的な作品に仕上がっているともいえる。
 先にもふれた旧銀河帝国皇帝のみならず、20世紀の「旧3部作」にも登場したR2-D2やC-3POなどの人気ロボットをはじめ、今回の「続3部作」の第1部で死した旧副主人公ハン・ソロや、第2部で死した旧主人公ルークも、この最終第3部では霊体となって再登場――前者は霊体ではなく幻覚だとかの、劇中では説明されていない細かいウラ設定は置いといてください(笑)――。
 「旧3部作」に参戦した魅惑的な脇役たちまでもが幾人も再戦。さらには歴史上の今は亡き歴代のジェダイの騎士たちが声のみで窮地の主人公の女剣士に声援を送るが、何となく予想は付いたもののググってみると、20世紀の「旧3部作」のヨーダやオビワンやアナキン(ダース・ベーダー)に、世紀の変わり目に作られて「旧3部作」よりも1世代前の時代を描いた「新3部作」こと『スター・ウォーズ エピソード1』~『エピソード3』(99年・02年・05年)に登場した先代ジェダイの騎士たちに、「新3部作」と「旧3部作」の隙間の時代を描いた『スター・ウォーズ 反乱者たち』(14~18年)や、『エピソード2』と『エピソード3』の隙間の時代を描いた『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』(08~14年・20年)などの3D-CGのTVアニメシリーズに登場した歴代ジェダイの騎士たちでもあるという……。何というシリーズの全肯定!!
 演じる役者さんが急逝したレイア姫もといレイア将軍に至っては、今回の「続3部作」の第1部の未使用映像を流用合成したというワリには、ほとんど冒頭から終盤まで出ずっぱりとなった上に(!)、主人公の女剣士に勝機さえ与える厚遇ぶり!
 そう、世界観を同じくする続編である以上は、作品の広大な「世界」と遠大な「歴史」設定を活かしてほしく、ついでに先輩ヒーローたちの再登場&大活躍をも期待してしまうのは、洋の東西を問わない人々の普遍的な心理なのであり、むしろだからこそその願いを叶えるべきなのだ。


地球人たちのドラマと並行して、超人ヒーローたちのドラマや大集合も描いた先駆作『ザ☆ウルトラマン』(79年)を参照する!


 レギュラー陣の役者さんたちを活かして、「移民・難民」問題も描きつつ、タイガ・タロウ・トレギア・タイタス・フーマの因縁や出自劇をも同時に描くことは困難であったとの見解も巷間では散見される。しかし、筆者はそれらの見解には同意しない。
 奇しくもこの2019年には先の『ザ☆ウルトラマン』がタイタスの出自つながりでネット配信されていた。この作品は春~初夏にかけてのシリーズ序盤はオーソドックスな怪獣との攻防劇であり、ゲストキャラのドラマにはあまり頼らない作りであった。しかし、夏休み放映の3部作で200万光年彼方のウルトラの星を紹介しつつ、ウルトラ人との抗争を長きに渡って演じてきた、爬虫類から進化したために意思疎通ができないという宇宙人・バデル族が200万年ぶりにウルトラの星に来襲、互いに宇宙戦艦数千艘を繰り出す宇宙大戦争を展開し、蘇生手術中のジョーニアスを除いたエレクやロトをはじめとする巨大化変身可能な7人のウルトラマンが敵戦艦を撃破していく勇姿も描かれた。
 その後の展開は1話完結の怪獣退治モノに戻るも、秋口の第3クールでは2~3話に1回程度の頻度で、宇宙から来た強敵に対してエレク&ロトらに助っ人参戦させることで時にバトルを宇宙規模にスケールアップ(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20091102/p1https://katoku99.hatenablog.com/entry/20091115/p1https://katoku99.hatenablog.com/entry/20091220/p1)。初代『ウルトラマン』(66年)最終回へのオマージュかウルトラの星での滞在記憶を消されていた主人公ヒカリ隊員も、彼に恋い焦がれるジョーの妹アミアの地球来訪を契機に記憶を蘇らせたり(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20091129/p1)、滅びたバデル族が残していた怪獣兵器を登場させるなどの各話単位を超えてシリーズを貫くタテ糸のドラマも設定していく。
 最終第4クールでは、最強の敵は同族ウルトラ人の反逆者集団とした連続モノの体裁を取って、それまでにも幾度か描かれてきたレギュラーである怪獣攻撃隊の隊員間での恋情や、戦闘中に不在となることでの不和も、終盤では最大の葛藤ドラマとして並行して描きつつ、しかしてエンタメ面や事態のスケール面ではウルトラ人が超古代に地球の南極大陸に隠した超巨大宇宙戦艦でU40奪還を企図し、8大ウルトラ戦士も大活躍する4部作の大バトルとすることで、その作風を過剰に重たくさせずにカタルシスが一掃する担保もできていた。
 重たいテーマやドラマを描きつつも、過剰に重たくはさせずに爽快感も与えるヒーロー活劇として、しかもルーティンな1話完結ではなく通常回を超えたスケールを呈示するために連続モノ的な悪の大軍団vsヒーロー大集合も描いてみせるこの手法!


映画作品でこそヒーロー大集合を! TVシリーズや前日談・後日談に過去作や別媒体ヒーローとの接点・因縁を張り巡らせて、子供やマニアの興味関心を長期に渡って維持させる「世界観」消費を!


 東映は2010年代前半の春休みには、仮面ライダースーパー戦隊が共闘する映画で大ヒットを飛ばしてきたが、東映の白倉プロデューサーも老いたりか、電車モチーフの『烈車戦隊トッキュウジャー』(14年)が放映された折りには同じく電車モチーフの『仮面ライダー電王』(07年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20080217/p1)との共闘映画を構想はしたモノの、本人の言によれば「それを義務的な仕事」と感じて実現させずに、悪い意味でマニアックでニッチなネタの映画『スーパーヒーロー大戦GP(グランプリ) 仮面ライダー3号』(15年)や映画『仮面ライダー1号』(16年)に走って失速し、春休み映画のワク自体を消失させてしまった。
 しかし当時の特撮マニアが観たかったのは、まさに『トッキュウジャー』と『電王』が同じモチーフゆえの接点を契機にブツかって化学反応を起こすような作品ではなかったか?


 クルマ&警察がモチーフである『仮面ライダードライブ』(14年)が放映されていた折りには2015年のエイプリル・フールに一介の特撮マニアがオフザケ企画として、警察ライダーのドライブが往年のロボット刑事(73年)や機動刑事ジバン(89年)に特警ウインスペクター(90年)~特捜エクシードラフト(92年)や仮面ライダーG3に仮面ライダーアクセルなどの刑事・警察ヒーローと共闘するウソの夏休み映画をコラージュポスターのかたちで流布させてマニア連中を狂喜乱舞させていたモノだが、人々が観たいお祭り映画とはこのような企画のモノだったとも思うのだ。
――正直、その後の夏休み映画『劇場版 仮面ライダードライブ サプライズ・フューチャー』(15年)の濃いめの青を基調とした映画ポスターよりも、コッチの背景を黄色とした明朗な4月馬鹿ポスターの方が目立てていると思うしセンスもイイと思う(笑)――


 その伝で、3大歴代恐竜戦隊が集合した映画『獣電戦隊キョウリュウジャーVS(たい)ゴーバスターズ 恐竜大決戦!さらば永遠の友よ』(14年)のあとに、TVでは2大先輩忍者レッドが登場したにも関わらず3大歴代忍者戦隊を集合させなかった映画『手裏剣戦隊ニンニンジャーVS(たい)トッキュウジャー THE MOVIE 忍者・イン・ワンダーランド』(16年)のことを残念に思ったマニア諸氏は多かったのではあるまいか?



 思うに春休みのライダー&戦隊共闘映画こそが、アメコミ洋画で云うところのマーベル社の『アベンジャーズ』(12年~・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190617/p1)でありDC社の『ジャスティス・リーグ』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20171125/p1)なのである。
 新旧2大ライダー共演の正月映画や新旧2大戦隊共演の早春映画で、直前作のヒーローたちのドラマを完結させずに引っ張って、春休みのライダー&戦隊共闘映画に合流させて、そこで彼らのドラマや主題を真に完結もさせるような二重構造の連続性ある導線を作って観客を吸引・動員するようなヒキを、日本特撮も真剣に目指すべきではなかろうか?


 地球上ではライダーや戦隊が平和を守って戦うも、宇宙の星々では2代目宇宙刑事たちスペース・スクワッドが悪の秘密結社・幻魔空界と攻防を繰り広げており、現行ライダーや現行戦隊にも1クールに1回くらいはゲスト出演して彼らと共闘させることで子供たちにも認知させて、映画館ではライダー・戦隊・宇宙刑事が共闘してみせる! といったような多層的な展開は、マニアのみならず子供たちも児童レベルでの知的好奇心・スペシャル感を刺激されてワクワクすると思えるだけに。


 ある意味では『ウルトラギャラクシーファイト』もそれを狙った作品ではあるのだが、この場合は逆にTVの「ウルトラマン」本編でも中盤あたりに番外編として、全編が宇宙を舞台とした仮面劇でもある先輩ヒーロー大集合編を設けることで、子供たちを大興奮させてほしいようにも思うのだ。
 2020年代の日本特撮が目指すべき方向性は、そこにあるとも思えるのだ。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年号』(19年12月28日発行)折込コピー速報『ウルトラマンタイガ』『ウルトラギャラクシーファイト』『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』合評1より抜粋)


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  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200404/p1

ウルトラマンX(エックス)』(15年)前半評! 5話「イージス光る時」・8話「狙われたX」・9話「われら星雲!」 ~ゼロ・マックス・闇のエージェント客演!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1

『劇場版ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』(17年) ~イイ意味でのバカ映画の域に達した快作!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200406/p1

ウルトラファイトオーブ』(17年)完結評 ~『オーブ』と『ジード』の間隙ほかを繋ぐ年代記的物語!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170603/p1

ウルトラマンジード』(17年)序盤評 ~クライシス・インパクト! 平行宇宙のひとつが壊滅&修復! その原理とは!?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170819/p1

ウルトラマンジード』(17年)中盤総括 ~Wヒーロー・特オタ主人公・ラブコメ! 希代の傑作の予感!?

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200523/p1

ウルトラマンジード』(17年)最終回「GEEDの証」 ~クライシスインパクト・幼年期放射・カレラン分子・分解酵素・時空修復方法はこう描けば!?

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180213/p1

『劇場版ウルトラマンジード つなくぜ!願い!!』(18年) ~新アイテムと新怪獣にも過去作との因縁付与で説得力!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180401/p1

『ウルトラギャラクシーファイト』(19年) ~パチンコ展開まで前史として肯定! 昭和~2010年代のウルトラマンたちを無数の設定因縁劇でつなぐ活劇佳品!

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200110/p1

ウルトラマンタイガ』『ウルトラギャラクシーファイト』『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』『仮面ライダー令和』 ~奇しくも「父超え」物語となった各作の成否は!?

  https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200112/p1(当該記事)



決定版 ウルトラマンタイガ 最強ひみつ超百科 (テレビマガジンデラックス)

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スター・ウォーズ/最後のジェダイ肯定評 ~陰陽円環な善悪観・草莽の民・自己犠牲的な特攻! 世評は酷評だが、私見ではシリーズ最高傑作!

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』 ~ライト層の流入増大による功罪の必然。もはやブランド・権威と化したゆえの高評価では!?
『ウルトラマンタイガ』『ウルトラギャラクシーファイト』『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』『仮面ライダー令和』 ~奇しくも「父超え」物語となった各作の成否は!?(2020/1/12(日)UP予定!)
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『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』 ~往年の『猿の惑星・征服』『最後の猿の惑星』再評価!
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 2019年12月20日(金)から『スター・ウォーズ』シリーズ・エピソード9ことSF洋画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』が公開記念! とカコつけて……。
 同作の直前作にしてエピドーソ8こと「続3部作」の第2弾『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(17年)評をアップ!


スター・ウォーズ/最後のジェダイ』肯定評 ~陰陽円環な善悪観・草莽の民・自己犠牲的な特攻! 世評は酷評だが、私見ではシリーズ最高傑作!


(文・T.SATO)
(2018年12月17日脱稿)


(巻頭のみ、拙稿『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』評巻頭とも共通・汗)


 漆黒の大宇宙を白銀の巨大宇宙戦艦や、X字型やH字型の戦闘機が赤細いレーザー光線を放ちつつ滑空し、光沢ある白や黒の甲冑に身を包んだ敵帝国兵たちが闊歩して、姫を助けるために青年はレーザー剣を持って立ち上がる、近代的なSF活劇映画のエポックメイキングともなった『スター・ウォーズ』(77年・78年日本公開)シリーズ。


 甘さの残る青年・姫さま・ちょいワルの兄貴といった、3人の三角関係を中核に、青年がジェダイ(旧・銀河共和国の騎士)になるための東洋的修行を積む姿と、宿敵の黒仮面の暗黒騎士ダース・ベイダーや銀河皇帝が支配する銀河帝国vs宇宙各地のレジスタンスとの戦いを描いたのが、今ではいわゆる「旧3部作」(77年・80年・83年)と呼称される作品群であった。


 15年のブランクを経て再開した、いわゆる「新3部作」(99年・02年・05年)では、「旧3部作」の主人公たちの親の世代と、実は旧作の主人公青年の実父でもあったダース・ベイダーが闇落ちした経緯、旧・銀河共和国が銀河帝国に乗っ取られていくサマを描いた。


 そこからさらに10年の歳月を経て、産みの親であるジョージ・ルーカス監督自身は続編を作る気はもうなかったようだけど(爆)、それとは正反対にファンは続編を熱烈に待望していて、「旧3部作」の約30年後の息子たちの世代を描く「続3部作」(15年・17年・19年)が開幕!


 「旧3部作」の英雄である姫さまとちょいワルの兄貴との間に生まれた不肖の息子のクールな長身青年・レンは、両親の威光が重荷であって反発したのか、すでに銀河帝国残党ファースト・オーダーに所属しており、ダース・ベイダーもどきの黒マスクをかぶる中堅幹部としても活躍中のところから物語がスタート。


 蛮行を働き、罪もない村人を大量殺戮する帝国軍残党に反旗を翻す新世代主人公は、コレまた「時代」を反映してか、古典的で狭苦しい親子関係・兄妹関係を描いてきた「旧3部作」や「新3部作」とは差別化して、今のところは「貴種流離譚」でも何でもナイ名もなき雑草の庶民たち。
 元気な女性剣士を主人公に、帝国白甲冑2等兵の脱走兵でもあるガタイはよくても少々気が弱い黒人青年を副主人公に据えたあたりが、今どきのダイバーシティー(性的・人種的・性格的多様性)を反映しているともいえるけど、そのような配慮や向こうウケのイイ作品の外側にある尺度はヌキにして純・物語的な観点から見ても、妥当なキャラシフトやキャラバランスだとはいえるだろう。


 日本の年長世代の特撮マニア的には、往時に信奉されていた「怪獣恐怖論」や「怪獣1回性理論」とはまったく真逆な、先輩仮面ライダーや先輩ウルトラ兄弟たちが助っ人参戦して、子供たちをワクワクさせてきた大長編シリーズものとしての手法も採用したとも見ることができる。
 レジスタンスの将軍に昇格した姫さま(!)と、相変わらずブラブラしているちょいワルの兄貴もといチョイ悪オヤジと化したハン・ソロ演じるハリソン・フォードも、期待にたがわず再登場させることで、歴代シリーズの熱心なファンたちをも歓喜させている。


 現今ではそーでもないけど、かつては続編作品やシリーズ化自体が悪であり、堕落であり否定されるべきモノとして、昭和の後期ゴジラシリーズや1970年代前半に放映された第2期ウルトラマンシリーズなどが、オタク第1世代(1960年戦後生まれ)のジャンルマニア間で全否定されていたモノであったが、果たしてその理論・言説は正当なモノであったのか?
 その答えは今となってはもう明らかだとは思うけど、広大なヨコ方向の「作品世界」と、長大なタテ方向の「歴史」を作ることで、「続編」や「前日談」に主人公も異なるあまたの「外伝」が自動的に生成され続けていく余地を作り、マニアたちを「虚構世界」に長期にわたってワクワクとするロマンを感じさせて、タイクツさせずに遊ばせつづける「世界観消費」とでも称すべき、21世紀以降のアメコミ洋画にも顕著となった作り方にこそ無限の可能性があるというべきであろう。


 日本の「ウルトラマン」や「仮面ライダー」に「スーパー戦隊」などの長寿シリーズも、一部の好き者プロデューサーや好き者の監督が担当したときのみ、散発的に世界観クロスオーバーを試みるのではなく、意図的・計画的・長期スパンで、製作会社や玩具会社などの全社ぐるみでの取り組みで、そのような「世界観消費」的な方向へと積極的に舵を切って、大いに商売していくべきではなかろうか?


(ココまでは、拙稿『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』評の巻頭とも共通・汗)


40年目の『スター・ウォーズ』シリーズ最新作、『最後のジェダイ』!


 1977年の原典からちょうど40年を経た2017年12月に公開された「続3部作」の第2作『最後のジェダイ』。ここで指す「最後のジェダイ=旧・銀河共和国の騎士」とは、「旧3部作」の主人公青年の成れの果てで、最果ての冷涼な惑星に隠遁して、ヒゲ面のオヤジと化したルーク・スカイウォーカー青年(?)のことであり、ついに彼がマスター(師匠)に昇格して、新主人公を指導する立場となることで、またまた歴代シリーズのファンたちをクスぐりに行く。


 そして、その「続3部作」の第1作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(15年)でアイテム争奪戦の的ともなった『鳴門秘帖(なると・ひちょう)』(1925(大正15)年・吉川英治の時代小説)もとい「銀河地図」が指し示していた、英雄ルークが隠棲している惑星に、同じく『フォースの覚醒』にて中古市場で安売り(笑)されていた「旧3部作」での主人公たちの母船でもある中型戦闘機ミレニアム・ファルコン号をご都合にも入手して駆けつけた女剣士が、ルークに復帰を懇願するサマと、弟子入りを許可されるまでの悶着をも描いていく。


 かてて加えて、初老のルークは師匠の年齢になってもいまだ苦悩し、そこに導き手としてルーク師匠のさらなる師匠でもあるシワシワの小人老人でもあり、「旧3部作」ですでに肉体の生は終えているヨーダ師匠も霊体として登場!


 それと平行して描かれる、帝国軍残党に追撃されるレイア姫もといレイア将軍率いるレジスタンスたちの船団の「出エジプト」ばりの「エグゾダス」(逃避行)。


 帝国軍残党のメンツには、奇しくも姫の実子でもあるレン青年もおり、「父殺し」ならぬ「母殺し」をも達成することで、自身の中にまだ残る甘さを払拭することで「強者」として自立して、「真の悪の力」=「フォースの暗黒面」をも獲得せんとしている……。


 この危機を脱するために、おデブの黒髪東洋人の女整備士は黒人副主人公クンと敵母艦中核の電源ブレーカー(笑)を落とすため、その敵地に潜入するにはコード破りの達人も必要とするために、金持ちどもがカジノでギャンブルに興じる遊興惑星にも寄り道。
 重傷を負った姫の代理を務めるクールビューティーな紫髪の痩身長身の女性提督やら、命令無視を繰り返すソリ跡アオ髭な熱血壮年パイロットの奮闘に、彼らの行き違いの誤解劇なども描かれて……。


 以上までが、本作に対する教科書的な内容紹介でもある。


 以下からが、筆者の個人的な感想となるのだが……。


 コレは歴代『スター・ウォーズ』シリーズ最高傑作ではなかろうか!?(爆)
 『スター・ウォーズ』シリーズではじめてマトモな、単なる設定の「羅列」やスカスカの「段取り劇」ではナイ、物語や細部や登場人物がプリプリとした密度感のある「表現」や「描写」として昇華できている作品を観たような!!


 ……いやコレは洒落やネタや釣りとして炎上目的でそう語っているのではない。心底からそー思っているのである。
 なので、逆に本作に対して、シリーズ最低の駄作だとの評価が世界中のマニア連中によってレッテル貼りされていたことを知ったときには驚いた(笑~どうぞ、罵倒してやってください・汗)。


「旧3部作」の当時でも、シリーズを重ねることでの批判はあったのだ!


 逆に云うなら、今では『スター・ウォーズ』シリーズは先鋭的なマニアやレジスタンスのモノではなく、ふだんはジャンル作品など観もしない、どころか小バカにすらしている一般ピープルでさえ鑑賞するまでに、保守本流のメインストリームと化したブランド・権威主義の作品であるとすら思う。会社のヤンキーな一般ピープル連中でさえ鑑賞しているくらいだから、つくづくそー思う。


 むろんムダにレジスタンスを気取っているワケでもなく、少数派の味方さえすれば即座に前衛で正義ダなどと安直左翼チックな自己陶酔などは考えてはいない。多数派が愛好するモノではあっても、それがドラマ的・テーマ的・エンタメ的にも中身が充実しているのであれば結構だ。
 だが、本『スター・ウォーズ』シリーズについては、今にして思えばドラマ的・テーマ的・エンタメ的にもさほどのモノではなく、もはや大金をかけたチャチくない映像&特撮の大作映画であるから、そのオーラだけで無批判に屈服して、「物語的な達成度」と「映像的な達成度」を選り分けせずに混同して、「コレは超大作=傑作なのだ!」と自分自身に無意識に云い聞かせて鑑賞している大衆やマニア諸氏が多数派である……というのが筆者個人の見立てである――もちろん筆者自身も最終審判者でもナイ以上は、その評価尺度に性格的な偏りやシミったれたヒガ目や偏見も大いに入っているであろうことは認めております(大汗)――。


 かく云う筆者も、子供時代に『スター・ウォーズ』旧3部作をリアルタイムで鑑賞して、絶大なるカルチャーショックを受けて心酔したことがあるような老害オタではあるのだが、インターネットが普及する前なのでアーカイブ化されずに後世にはあまり残らなかった、往時にはそれなりにはあったようにも思う、往年のマニア諸氏の感慨もここに記しておきたい。


 『スター・ウォーズ』の日本初公開は1978年夏のことであった。同時期にコレまたTVアニメ(74年)の総集編映画『宇宙戦艦ヤマト』(77年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101207/p1)の大ヒットに端を発した新作アニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78年)も公開されて超特大ヒットを記録している。
 『スター・ウォーズ』&『ヤマト』の相乗効果で、その後の数年間に日本の宇宙SFアニメも急速な進歩を遂げていく。『さらば』のTVアニメ化『宇宙戦艦ヤマト2(ツー)』(78年)やその続編『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』(79年)に『ヤマトよ永遠(とわ)に』や『宇宙戦艦ヤマトⅢ(スリー)』(共に80年)。
 アニメ映画『銀河鉄道999(スリーナイン)』(79年)やTVアニメ版(79年)の総集編映画『機動戦士ガンダム』(81年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990801/p1)も大ヒット。『伝説巨神イデオン』(80年)や『太陽の牙ダグラム』(81年)に『戦闘メカ ザブングル』(82年)や『装甲騎兵ボトムズ』(83年)などといった、今や古典の通称・リアルロボットアニメの作品群も登場を果たす。


 先の『ヤマト』続編群や『イデオン』にTVアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971117/p1)や『超時空要塞マクロス』(82年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990901/p1)といった作品群では、アニメとはいえ『スター・ウォーズ』以上に数十万年~数十億年の超古代の因縁にまでさかのぼる壮大な時間&空間的スケールで、敵味方のあまたの宇宙戦艦群が数百・数千・数万艘と登場するような圧巻のパノラミックなビジュアルを誇る大宇宙戦争までをも描くようになっていた。
 敵も味方もその存在は相対的にもほぼイーブンであり、単なる勧善懲悪ではなく互いに一理も二理もある思想的・哲学的なバックボーンを背負って戦っており、それらとは実に対照的な末端の兵士たちの無常な生&死などもすでに描かれ切って、目が肥えてしまったあとに、「旧3部作」の最終作『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(83年)(現・邦題『スター・ウォーズジェダイの帰還』)を観た日には……。


 そのラストは、


・初作ラストとさして変わり映えのしない、小惑星サイズのメカ球体「デス・スター」の内部に飛行メカで潜入しての爆破劇のリフレイン、


・その近くの森林惑星での局地的な攻防戦、


・心の揺らぎや多面性や中間グラデーションがあまりナイ正義と悪との対決や、


・本シリーズにおける超能力こと「フォース」の役回りが、オカルト・前近代的に思えて、ハイブロウなSF作品にはとても思えず、「フォースと共にあらんことを」的な神頼み・他力本願の宗教的なテイストの存在であることへのプチ違和感
――往時は「力」を意味する「フォース」という英語が我が日本ではあまり一般的ではなかったので、「理力」という翻訳字幕に読み仮名で「フォース」と振っていた――。


・世界を守るため、あるいは正義や道義や大義などの「公共」的なるモノを守るためというより、あまりにも個人的に過ぎる動機や「私情」で、ウダウダ愁嘆場の甘ったれた卑小な「親子対決」をしているようにも見えてしまう主人公青年vs暗黒騎士ダース・ベイダーとの一騎打ち&和解に収斂していく最終展開……。


 アレ、こんな程度のモノなのか?……と。


 そーいうモノこそが『スター・ウォーズ』の王道なのだ! というのは、もっと後年になってから判ってきて、一般化されて意識化された通念なのである。
 当時の日本のジャンルマニアたちが無意識に望んでいたのは、『機動戦士ガンダム』のような80年代前半のリアルロボットアニメ路線であり、ハードでシリアスでリアルで精神主義が勝利をもたらさず、英雄や美形よりもフツーの平均的な青年や凡人を主人公として、特別機ではなく量産型をメカ主役に抜擢するようなノリである。
――現在の観点からはまだまだヒーローロボットアニメの尻尾を引きずっているようにも思える80年代前半のロボットアニメ群は、往時においてはそのようなモノとして見做され、あるいはそれに足らなかったとしても、日本のアニメの未来はそのような方向性を目指すべきモノとされていた――


 そのような設定や作劇こそが「高尚」であり、ジャンルが目指すべき目標だと賞揚されて、ゆえに庶民や整備兵や看護師やコックさんなどのガヤやモブキャラなども描かれるべきである! というような風潮が醸成された渦中にあっては、『スター・ウォーズ』もアッという間に最先端のトップランナーの座を蹴落とされて、後方に追い抜かれていってしまったような感もあったのだ。


 語彙力に欠けるミドルティーンの原オタク少年であった筆者には、そのへんを明晰・明快に言語化して論理や体系として認識できていたワケではむろんナイけれど、漠とはそのような感慨をいだいてはおり、中学・高校の同年代のマニア少年たちと、そのような小さな違和感をオズオズと散発的に語り合ったモノである。


 たとえば、初作では1艘だけが登場した天体規模の超巨大メカ「デス・スター」が、数十・数百・数千艘とでも出現して、仮初めの一時的にではあっても観客に絶望感を味あわせ、コレをドーやって倒すのか!? というような、さらなるスケール雄大のスペクタクルな光景の特撮ビジュアルを見せて、「知恵」(=SF合理的な作戦)と「勇気」での攻略を主眼としていくような作品を見せてくれれば、また違っていたのではあろうけど(笑)。
 海の向こうの往時のクリエイターのSF&ビジュアル的想像力を、一時的・局所的には日本の当時の若きアニメのクリエイターたちのそれが凌駕していたところも実はあったということなのだ。



 今では若い世代には古びて観えても、往時においては「旧3部作」は、前代とは一線を画する特撮技術やビジュアル・イメージなどで斯界(しかい)に与えた絶大なインパクトによって、映画史やオタク史における歴史年表には特筆大書すべきというイミではたしかに画期ではあった。
 そこに異存はナイし、「特撮」ジャンルとは「特撮」や「アクション」などの「特殊技術」を魅せるモノという定義を作って、それに従うのであれば、むしろその理想形ですらあったといえる。
 しかし、後年長じてから純ドラマ的・純テーマ的に、あるいは作劇の技巧面で、『スター・ウォーズ』シリーズを見直したときに、その部分では実はたいしたことがなくて、むしろ世人は若年時に熱狂したという好感情で、その評価に「思い出補正」が働いているようにも私見するのだ。
――難解・高尚ではなくその程度のマイルドさだったからこそ、大衆・ライト層向けにもちょうどよく、彼らが勝手に本シリーズを神話化して仮託するに足る対象としても、この塩梅がちょうどよかったのかもしれないが(汗)――


善悪の安直二元観 ⇒ 価値相対主義でもないグラデーションの陰陽観!


 かの『機動戦士ガンダム』シリーズにおける「ニュータイプ」(=新人類)の超常能力とは異なり、『スター・ウォーズ』シリーズにおける「フォース」とは、せいぜいが等身大でのレーザー剣での戦闘時の念動力やチョットした予知能力で役に立つくらいであって、銀河帝国vs旧・銀河共和国との大戦争の軍事的去就どころか、宇宙戦艦や戦闘機同士の勝敗にもほぼ無関係であったりで、戦略・戦術的にはあまり意味がナイあたりも、『スター・ウォーズ』シリーズの実は弱点であったと筆者は見ている。


 しかし、本作においては、お互いに鏡合わせの関係であるやもしれない、一応の「善」なる女剣士主人公レイ&英雄たちの不肖の息子でもある一応の「悪」なるレン青年は、何万光年も離れた場所にいるであろうに、本作中盤では「フォース」の神秘の力を通じて時折、互いの姿が間近にいるかのごとく見えて会話までをも交わす。
 女剣士レイは闇落ちしきっていないレン青年の迷いや悔恨を感じ取って、光明面へと引き戻せる未来線を見る。
 レン青年の方でも女剣士の両親を喪った不幸な生い立ちや自由奔放さとはウラハラの不穏さを感じ取って、暗黒面で共闘する未来線を見ている。
――双方ともに「幻覚」ではなく、オルタナティブ(代替可能)な「相反する未来線」が、劇中では「併存」して「実在」するということでもあるのだろう――。


 修行のさなかにあるのに、彼らの空間を超えた精神交流を改めて感知することで、ルーク師匠は弟子たる女剣士レイにも不穏さ(=暗黒面に落ちる可能性)を検知し、レン青年の上官にしてファースト・オーダーのシワシワの老人支配者・スノークも――『キング・コング』(05年)やハリウッド版『GODZILLAゴジラ)』(14年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190531/p1)の中のヒトに、『猿の惑星:創世記』(11年)シリーズ(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20171107/p1)の猿の主人公・シーザー役や、アメコミ洋画『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(15年)で登場して『ブラックパンサー』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20180607/p1)でも再登場を果たした人気悪役なども務めたアンディ・サーキスが演じる――実はすでにそれを検知した上で、なおかつ放置もしており(!)、その交流を自身の手のひらの上での出来事だと豪語することで、女剣士レイの闇落ちの可能性だとも、レン青年の光落ち(?)の可能性だとも、しかしてレン青年が光&闇の双方の力をイイとこ取りで掌握しようとしているようにも取れるかのように曖昧・多義的に描いていく。


 女剣士レイがついに潜入を果たした敵母艦内で、両者の心が通じたから、レン青年を心底から救いたいと思ったから、即座に彼に出会えたのかと思ったら、逆にレン青年の方は女剣士レイを拘束して老支配者の許へと連行し(!)、彼女が拷問を受けるのを冷ややかに見守りつづける……のかと思えば、ついに助けて共闘もして、薙刀なぎなた)ツインブレードや鞭(ムチ)にもなるレーザー剣を使う赤い甲冑姿の親衛隊どもをバッタバッタとなぎ倒し、ラスボス・ポジションの老支配者・スノークまでをも倒したので(!)、彼の光落ちも決定か!? と思いきや。
 そのまま帝国軍残党の長となってしまい(汗)、女剣士レイと袂も分かって、心で通じ合うハズの「フォース」の力もまた「心を偽ったり隠したり」することもできるモノだともする。
 あまつさえ、祖父にあたるダース・ベイダーの黒マクスもどきをカブること自体がまた「自身の弱さ」だと気づいたのか、黒マスクを叩きつけて破壊することで、フロイト(心理学者)的な「父(祖父)殺し」までをも擬似的に達成していく。


 文芸映画・芸術映画ならぬ勧善懲悪の通俗娯楽活劇として、「正義が最後には勝つ」という結論がある程度は決まっているにしても、こーいうダマしやスカしやヒイてジラして紆余曲折してドチラに転がるのかを、一時的にでも判らなくさせる作劇&演出技法は、ジョージ・ルーカス監督の手になる「旧3部作」や「新3部作」には欠如していてやや単調かつ弛緩(しかん)、モタついていた箇所でもあったと思う。
 しかし、そーいった箇所にこそ、単なる「スジ書き」「段取り劇」ではない、血肉の宿った人間のナマっぽい小さな逡巡や小さなストーリー的サプライズを連発でストーリーに込め続ける、「表現」にまで昇華した「描写」が必要なのである。
 それが達成できているか否かの相違で、たとえ基本設定やアラスジが似通った作品同士であったとしても、ある作品には惹き込まれて、別の作品にはタイクツしてしまう……という相違が生じてくるのだ……と筆者個人は考える者であり、本作はそこをクリアしてみせた『スター・ウォーズ』シリーズ初の作品であったと私見するのだ。


小さなダマしやスカしの多彩な多用で単調さを回避。成熟できない時代のルークの懊悩!


 こーいう小さなダマしやスカしは、


・重傷を負った姫もとい将軍の後任となった女提督が、自己保身だけを考える小悪党なのかと思わせて実は……とか、
・裏切りを疑って自身に叛逆してきた命令違反常習の熱血壮年パイロットのことを、女提督が実は個人としては人間味があり頼れる可愛げもあるオトコとして好ましく思っていたとか、
・黒人副主人公&東洋人女整備士コンビが、遊興惑星でお目当てのコード破りの達人とはまた別人の、アルコール中毒なコード破りの達人とも遭遇、意表外にもそっちの彼をスカウトとか、
・そのアル中コード破りの達人も、最終的には共和国に付くのか帝国に付くのかよくわからない……


などなどの描写で本領を発揮しており、本作の展開を単調に陥ることから救っている。


 従来のシリーズではほとんど描かれなかった草莽(そうもう)の下々の者たち……。


・冒頭の爆雷投下艇での不測の事態に生還があたわずとも、身を張って手動で投下せんと奮闘する一女性兵士の姿や、
・遊興惑星にて競馬ウマを世話するため、奴隷労働を強いられている子供たちに、
・先のメカニックの女東洋人整備兵や、
・「ガンダム」シリーズのアナハイム・エレクトロニクス社もかくやの、帝国にも共和国にも武器を売り裁いている商人の存在、


などなどの点描に、『スター・ウォーズ』シリーズではじめて、「主人公」や「英雄」や「戦争」や「政治劇」だけでなく、「社会」や「経済」や「庶民」までをも血肉をもって描いた感すらあるのだ。



 女剣士主人公や不肖のレン青年のみならず、この小さなダマしやスカしは、「旧3部作」の主人公青年でもあったルーク師匠にも適用される。
 それは、日米ともに先進各国では80年代の戦前育ちのレーガン大統領や中曽根首相に象徴されるように、オトナがオトナであり頑固オヤジでもあった――アイデンティティ面での迷いが少なかった――時代が終わり、90年代の戦後育ちのクリントン大統領や細川首相以降のように、大衆消費社会で育った人間たちに特有な、異性に対するモテ・非モテをドコかで内面化してしまうことで、いつまで経っても思春期・青年期的な繊細ナイーブさがドコか抜け切らないオトナたちが跋扈するようになってしまった、今の先進各国における「リアル」さの反映だとも取れる。


 前線復帰を断ったワリには、深夜に懐かしのミレニアム・ファルコン号に忍び込んで往時を忍ぼうとしたら、そこにて「旧3部作」のロボット・R2-D2や猿人・チューバッカに再会して喜ぶことで、ファンサービスと彼の多面性を描くことを同時に達成しつつ、「旧3部作」冒頭の懐かしの「姫が救いを求める立体映像」の再投影に「ズルいぞ」とボヤきつつも、ルーク師匠はその首を肯(がえ)んじない。


 変化の激しすぎる時代には旧来の手法がそのままでも通じないので、先輩ヅラして自信を持って後輩に接することができずに、強面をした瞬間に自身のことを即座に自己相対化もしてしまうような足許が定まらないオトナたちやイイ歳になってしまった我々自身の似姿。
 そのようなオトナになってしまったルーク師匠が、懇願されても前線には復帰しない頑ななまでの態度や、女剣士主人公レイへの腰が引けた態度は、かつてルーク師匠が不肖のレン青年を弟子として預かったときに、彼が暗黒面に墜ちていくことを救えなかったための自信喪失ゆえであり、隠遁が彼なりの責任の取り方でもあったとほのめかされていく。


 しかし、その明かされた真相にも自己弁護や自己正当化のウソが微量に混じっているようでもあり(汗)、レン青年が精神交流を通じて女剣士レイに語ったところとも総合すれば、大ワクではそーだとは云えても、細部においては直接の当事者の認識にすら相違がある「歴史認識問題」(爆)のような観も呈していく。
 レン青年の中にあった「闇」は幻なのか? たとえ「闇」はあってもそれは微量に過ぎなかったのではなかったか? それを見たルーク師匠自身の心にも「闇」はなかったといえるのか? その「闇」の反映ではなかったか? ルーク師匠とレン青年はドチラが先に物理的にも手を(剣を)出して相手を殺そうとしたのか?
 明確な真相は明かされずにそこは流されて、現在進行形で発生している大事件に対するレン青年&ルーク師匠の相反する選択・決断・決闘は、それらの細部・ディテールへのこだわりなど、ドーでもよくはないかもしれないけれども、あくまでも相対的には二次的な些事として押し流されて、イマ・ココの現実に緊急対処せねばならなくなっていく……。


利他・自己犠牲・特攻のお涙頂戴パターンは、日本特有ではなかった!?


 本作の中後盤は、


・大状況としては、レジスタンスの孤高の宇宙戦艦に追いついた帝国軍残党の宇宙戦艦との最後の一戦
・中状況としては、帝国軍残党母艦内で繰り広げられる電源ブレーカー落とし作戦
・小状況としては、同艦内にて老支配者を倒したレン青年vs女剣士レイの念動力でのレーザー剣の束(つか)の争奪戦!


 という3つのエレメントが、イイ意味で云うけれども、ご都合主義にも同時に鼎立(ていりつ)進行して、空間的にもほぼ一箇所で時間的には同時にクライマックスも迎えて(笑)、かつ結局は大状況がすべてをかっさらっていく……。
 そんなご都合主義的な同時展開は、リアリズム至上で考えたならばホントウはアリエナイことではあるけれど、物語・フィクションとしてはその方が散漫にならずに、まとまりも良くなり、作品テーマをシンボリックに重ね合わせることで余韻も二重奏や三重奏となることで、観客にもより良く伝わったりもする。


 その際のキーワードは「利他」の心かとも思えたが、旧日本軍の自爆「特攻」にも見えるあたりで、センシティブな御仁であれば、コレを問題視する意見もあってイイようには思える。


・本作では冒頭からツカミとして、地球型惑星を眼下に見下ろす成層圏で、帝国軍残党の艦船vs鈍重タテ長の中型爆撃艇群との小競り合いが描かれる。
 次々にヤラれて誘爆していく機動性の悪そうな爆撃艇の最後の一艘に鎮座する若き無名の女兵士が、もう戦局的に帰還も叶わないであろう自らの運命を悟って、それでも地上の友軍の脱出時間を稼ぐため、遠隔装置が故障でもあるゆえに、格納庫に趣いて手動で数百の砲丸型爆弾の投下にようやっと成功! 敵艦を撃破するも、自らも爆炎に消える!


・黒人副主人公クンも終盤、塩の惑星での巨大岸壁トーチカ(砦)を背にした広大な平原での攻防戦では、曳航されてきた敵の巨大光線砲――「デス・スター」のそれと同じモノ!――の射線軸上を飛行して、砲口に特攻することで破壊せんとする!


・追っ手の敵艦隊からエグゾダス。逃げるばかりで策もなく、自身だけ秘密裏に小型艇で脱走しようとする卑劣漢か? と観客に思わせた紫髪のスマートで上品な壮齢の女提督ではあったが、それは乗員たちをレーダー捕捉されにくい小型艇で脱出させるための奇策であったことが判明。
 最後は艦橋にひとり残り、宇宙戦艦を反転させて、超光速飛行の初速の勢いの体当たり(!)で、敵艦隊を一挙に瞬時に撃沈して、自身も戦場の露と消える!


 同時期公開の『映画 中二病でも恋がしたい! -Take on me-』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190904/p1)でも、片目に眼帯をかけた小動物チックな中二病のメインヒロインが自動改札に引っかかるや、「ワ、ワタシに構わず、先に行けェェーー!!」と自己犠牲の精神を叫んでいたのと同じパターンが本作では連発されたのであった(……違います・笑)。


 往時とは異なり、2010年代のメリケンの作り手たちも、日本のジャンル作品の悪しき「特攻」ネタに毒されてしまったのか!? ……ということはナイであろう(汗)。
 早くも二むかしも前のSF洋画『インデペンデンス・デイ』(96年)でも、異星人のコンピューター・ウイルス攻撃を受け付けないアナクロ(時代錯誤)な複葉機に乗る老パイロットが、自らの身を犠牲に異星人の超巨大UFOのバリアに自爆「特攻」して勝機を与えていた。
 キリスト教の伝道モノ映画でも、異民族・異教の土地で宣教師たちが悲惨な殉教(死)を遂げていた。
 2001年の911同時多発テロでも、消防士たちは延焼中の超高層ビルへ消火&救出に向かっていった。


 コレらの姿は、自爆「特攻」とは完全イコールではないにせよ、相手が人間か人外かの相違だけであり、一応の大義があるとはいえ自らの生命を犠牲や危険にさらしてもイイと考える非合理な一点においては、大差がナイともいえる――異論は受け付けます(汗)――。
 非暴力・非服従ガンジーによる有名な「塩の行進」も、20世紀前半のインドだから東洋的神秘のベールでオブラートに包まれて美談のようにもなっているけど、イギリス兵の鉄の棍棒に無抵抗で打たれて数千人で死んでこい! という運動であって、コレは旧日本軍の無策なバンザイ突撃や「特攻」と何が違うというのか?(汗~20世紀後半以降にコレをやったらガンジーも批判殺到であったろう)。


 てなワケで、全肯定はできないけれども全否定もできないあわいのところで、日本人に特有ではなく実は世界共通・普遍的でもあろうお涙頂戴パターンで、要所要所のクライマックスも作っていくのだ。


『最後のジェダイ』ラスト~『ハン・ソロ』~最終章『エピソード9』へ


 ラストでは、塩の惑星上の大平原に面した丘陵の天然岩盤に構築した巨大トーチカへの潜伏に成功したレジスンタンスvs帝国軍残党との白昼下での城塞戦。
 最大のピンチに、ついにルーク師匠は冷涼な惑星に本体の肉体を残して座禅を組んで空中浮遊したまま、魂のみを異星に飛ばして物質化・肉体化を遂げて、かつての姫とも再会を果たし、文字通りの一騎当千
 『機動武闘伝Gガンダム』(94年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19990804/p1)中盤回において主人公青年の師匠マスター・アジアこと東方不敗老人がナマ身の東洋拳法で次々と敵巨大ロボットを粉砕していったのと同様に――もうガンダムも要らないじゃん(笑)――、帝国の四足歩行メカ数十機の一斉砲撃にもビクともしない無敵の強者ブリを示す。
 攻撃がやんだあとには、肩に落ちたチリを払う余裕綽々の姿も見せつけることで、ただの神頼みや単なる他力本願な祈りの対象だけではない、「フォース」の物理的な有用性をも描くあたりで、個人的には長年の溜飲が下がる思いでもあった。


 もちろん「フォース」による超能力バトルだけでも、今度はレーザー剣や宇宙戦艦が不要になってしまうので(笑)、それはレジスタンスがさらなる脱出をはかるための時間稼ぎであったとして、最後には女剣士主人公レイが搭乗するミレニアム・ファルコン号も駆けつけて、峡谷や洞窟を往年の「デス・スター」外装のミゾや内部へと至る巨大通路に見立て直したような迫撃チェイス戦も描かれることで、本作最後のクライマックスも作っていく。
 女剣士レイと黒人副主人公もここにて再会を果たし、彼らが発した救難信号に即座の反響はなかったにしても、希望に満ちたトーンで次作へとつづく幕となる……。



 というあたりで、空気が読めないワケではなく、読めはするし、些事であれば合わせもする協調性(笑)もあるつもりだけれども、やはり合わせちゃイケナイこともあるだろうとも思うので、自身の腹を割って見せてみた。


 もちろん本作を他人との同調ではなく心底からツマラない、評価しないと思った人間であれば、それを変える必要はナイと思う。しかし、意志薄弱にもムラ世間的な「空気」に合わせてついつい見解を変えてしまったという自覚があるヒトたちには、ぜひともその見解を改めてほしいとも思うのだ。


 リメイク映画『スター・トレック』(09年)や本作の直前作にあたる「続3部作」の第1弾『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を脚本&監督したJ・J・エイブラムスが監督を務めていないから、本作は駄作なのだ! というような世評もあるようだ。
 けれども、日本とは異なりアメリカでは映画は監督よりもプロデューサーの方が権限がカナリ強いので、本作ではプロデューサーの親玉でもある「製作総指揮」の筆頭を務めた氏が、本作の脚本&演出面の許諾にノータッチであったというようなことも、おおよそ無さそうに思えるどころか、むしろその意向を反映させていたとも思えるので、その見解にもとても同意はできない(笑)。


追伸


 詳細は省いて書くけど、本作公開半年後に公開された原典「旧3部作」の前日談映画『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(18年)も世評は酷評のようだが、筆者個人は楽しめた。その逆に、「続3部作」の第1弾『フォースの覚醒』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191229/p1)や同じく「旧3部作」の前日談『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(16年)については、個人的には大金をかけただけの単なる「設定段取り劇」にしか感じられず、個人的には評価はしていない。


 このあたりについては、来年2019年末に公開される「続3部作」の最終章、J・J・エイブラムスが再登板する『スター・ウォーズ/エピソード9(仮題)』が公開された暁にはまとめて語りたいところだ。
――それが果たせなくても大丈夫。資本主義の世の中だから、きっとジェダイの騎士が正義や平和を守り通しても、悪党もまたまたよみがえることで、『スター・ウォーズ』シリーズは延々とつづくであろうから、その折りに語るのでもイイだろう(笑)――。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』合評2より抜粋)


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 2019年12月20日(金)から『スター・ウォーズ』シリーズ・エピソード9ことSF洋画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』が公開記念! とカコつけて……。
 同作の序章にしてエピドーソ7こと「続3部作」の第1弾『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(15年)評をアップ!


スター・ウォーズ/フォースの覚醒』 ~ライト層の流入増大による功罪の必然。もはやブランド・権威と化したゆえの高評価では!?


(文・T.SATO)
(2015年12月27日脱稿)


 漆黒の大宇宙を白銀の巨大宇宙戦艦や、X字型やH字型の戦闘機が赤細いレーザー光線を放ちつつ滑空し、光沢ある白や黒の甲冑に身を包んだ敵帝国兵たちが闊歩して、姫を助けるために青年はレーザー剣を持って立ち上がる、近代的なSF活劇映画のエポックメイキングともなった『スター・ウォーズ』(77年・78年日本公開)シリーズ。


 甘さの残る青年・姫さま・ちょいワルの兄貴といった、3人の三角関係を中核に、青年がジェダイ(旧・銀河共和国の騎士)になるための東洋的修行を積む姿と、宿敵の黒仮面の暗黒騎士ダース・ベイダーや銀河皇帝が支配する銀河帝国vs宇宙各地のレジスタンスとの戦いを描いたのが、今ではいわゆる「旧3部作」(77年・80年・83年)と呼称される作品群であった。


 15年のブランクを経て再開した、いわゆる「新3部作」(99年・02年・05年)では、「旧3部作」の主人公たちの親の世代と、実は旧作の主人公青年の実父でもあったダース・ベイダーが闇落ちした経緯、旧・銀河共和国が銀河帝国に乗っ取られていくサマを描いた。


 そこからさらに10年の歳月を経て、産みの親であるジョージ・ルーカス監督自身は続編を作る気はもうなかったようだけど(爆)、それとは正反対にファンは続編を熱烈に待望していて、「旧3部作」の約30年後の息子たちの世代を描く「続3部作」(15年・17年・19年)が開幕!


 「旧3部作」の英雄である姫さまとちょいワルの兄貴との間に生まれた不肖の息子のクールな長身青年・レンは、両親の威光が重荷であって反発したのか、すでに銀河帝国残党ファースト・オーダーに所属しており、ダース・ベイダーもどきの黒マスクをかぶる中堅幹部としても活躍中のところから物語がスタート。


 蛮行を働き、罪もない村人を大量殺戮する帝国軍残党に反旗を翻す新世代主人公は、コレまた「時代」を反映してか、古典的で狭苦しい親子関係・兄妹関係を描いてきた「旧3部作」や「新3部作」とは差別化して、今のところは「貴種流離譚」でも何でもナイ名もなき雑草の庶民たち。
 元気な女性剣士を主人公に、帝国白甲冑2等兵の脱走兵でもあるガタイはよくても少々気が弱い黒人青年を副主人公に据えたあたりが、今どきのダイバーシティー(性的・人種的・性格的多様性)を反映しているともいえるけど、そのような配慮や向こうウケのイイ作品の外側にある尺度はヌキにして純・物語的な観点から見ても、妥当なキャラシフトやキャラバランスだとはいえるだろう。


 日本の年長世代の特撮マニア的には、往時に信奉されていた「怪獣恐怖論」や「怪獣1回性理論」とはまったく真逆な、先輩仮面ライダーや先輩ウルトラ兄弟たちが助っ人参戦して、子供たちをワクワクさせてきた大長編シリーズものとしての手法も採用したとも見ることができる。
 レジスタンスの将軍に昇格した姫さま(!)と、相変わらずブラブラしているちょいワルの兄貴もといチョイ悪オヤジと化したハン・ソロ演じるハリソン・フォードも、期待にたがわず再登場させることで、歴代シリーズの熱心なファンたちをも歓喜させている。


 現今ではそーでもないけど、かつては続編作品やシリーズ化自体が悪であり、堕落であり否定されるべきモノとして、昭和の後期ゴジラシリーズや1970年代前半に放映された第2期ウルトラマンシリーズなどが、オタク第1世代(1960年戦後生まれ)のジャンルマニア間で全否定されていたモノであったが、果たしてその理論・言説は正当なモノであったのか?
 その答えは今となってはもう明らかだとは思うけど、広大なヨコ方向の「作品世界」と、長大なタテ方向の「歴史」を作ることで、「続編」や「前日談」に主人公も異なるあまたの「外伝」が自動的に生成され続けていく余地を作り、マニアたちを「虚構世界」に長期にわたってワクワクさせるロマンを感じさせて、タイクツさせずに遊ばせつづける「世界観消費」とでも称すべき、21世紀以降のアメコミ洋画にも顕著となった作り方にこそ無限の可能性があるというべきであろう。


 日本の「ウルトラマン」や「仮面ライダー」に「スーパー戦隊」などの長寿シリーズも、一部の好き者プロデューサーや好き者の監督が担当したときのみ、散発的に世界観クロスオーバーを試みるのではなく、意図的・計画的・長期スパンで、製作会社や玩具会社などの全社ぐるみでの取り組みで、そのような「世界観消費」的な方向へと積極的に舵を切って、大いに商売していくべきではなかろうか!?


『フォースの覚醒』封切当日のお祭り騒動&その内実!(…映画『妖怪ウォッチ2』の方が興収面では上だった・汗)


 おそらく広告代理店などとも組んで大々的に仕掛けているのであろうけど(?)、封切当日は民放各局の夕方~夜のニュースまで動員して、公開直前のシネコン内の行列やコスプレマニア連中をフィーチャーしてまで大宣伝!


 この光景を見て、「あー、日本でもジャンル作品が根付いたんだなー」と弛緩(しかん)して呆けているヒトは、アタマが悪いと思います――上から目線でスイマセン(汗)――。


 ところがフタを開けたら、『スター・ウォーズ』よりも、児童向けアニメ映画『妖怪ウォッチ』第2弾『映画 妖怪ウォッチ エンマ大王と5つの物語だニャン!』(15年)の方が大ヒット!
 あ~、愉快ツ~カイ、笑いが止まらない~、ザマァ見ろ~!――下品でゴメンなさい――。


 『スター・ウォーズ』の客層の大多数は、今となってはファッション&スイーツのミーハーなライト層である。ホントウに心の底から『スター・ウォーズ』がスキな層なのかは怪しい。
 いや同作のことがキライということはないにせよ、世間で流行っているから、大多数がホメているから、バスに乗り遅れるナとばかりに、消費している層がほとんどであるだろう。


 自分が心の底からこの作品がスキだから……というよりも、悪いイミでのムラ世間的な日本人のように「空気」を読んで、その場での多数派・大勢に順応して長いものには巻かれろ! というような直観や自己保身、もしくは周囲の仲間や人々に対しての「自分はイケてる系の流行りモノも押さえてます!」といった自己アピールやアクセサリーとしての「消費」なのである。


 だからジャンルファンは、コレをもって楽観してはイケナイ。周囲の意見に惑わされずに、自分の好悪・センスだけで選んでみせてみた! というモノではないのだから……。
 ある一定の規模・閾値(しきいち)を超えると、浮動層・流動層が、たとえば「彼氏がスキなものだから……それに話を合わせるためにお勉強する~」みたいなミーハー女性層まで流入してくる! そのような軽佻浮薄なダムの決壊現象が今、生じているのである。


 私事で恐縮だが、筆者の会社などでも、ふだんはオタク系作品などはまったく見ない、オタク趣味とは程遠いようなアウトドア系・リア充の連中までもが「『スター・ウォーズ』を観た」「もう一度観る」「迫力があった」なぞとヌルいことをホザいていやがる(笑)。
 だからといって、彼らがオタク趣味やオタク人種そのものにも理解を示した! ということにはならないのだ。「日本特撮」や日本の特撮変身ヒーローものにまで関心を示した! 関心を示す可能性がある! ということにはならないのだ。
 そこのところを、瞬時に細分化して選り分けて、直観的に現象の多層性を認識できるくらいでないと、オタクとしては二流・三流ではあるだろう!?――我ながらそーなのか? とセルフつっこみ(汗)――


――もちろん『スター・ウォーズ』シリーズ・ファンの中核には、コアで熱心なマニア諸氏がいることも承知はしております(汗)――


可もなく不可もなし。むしろ作劇の技巧面では特に優れていないのでは?(歴代シリーズもそうだった?・汗)


 で、10年ぶりの新作『スター・ウォーズ』の内容自体はごくごく標準的な出来で、可もなく不可もなし。


 多少ネタバレするけど――つーか事前に明かされていたけど――、序盤で出てきた辺境の田舎惑星を発端に、男勝りの白人お姉ちゃんと、帝国(?)の白甲冑歩兵なるも少しヘタレが入っている黒人脱走兵が、今や失踪して行方不明の旧3部作の主人公の所在を示す電子地図をゲットして逃避行を企てる中、同じく旧3部作のハリソン・フォードことチョイ悪オヤジのハン・ソロと猿人型宇宙人がかつて搭乗していた、一見オンボロの高性能宇宙船ミレニアム・ファルコン号を中古市場でゲットして、さらにはそのお二方にも旅の途中でご都合主義にも遭遇してしまう! というもの。


 加えて、旧3部作の黒甲冑の宿敵・ダースベイダーもどきの青年の正体は!? 期待にたがわずラストでは、旧3部作の主人公の成れの果てとも、ある銀河の辺境惑星で遭遇して終幕!



 正直、純・ドラマ、純・作劇の題材的には、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」や「ガンダム」などの長期シリーズにおいて、先輩戦士が客演する話と本質的には変わらないことをしているだけだとも思う――それが悪いというのではなく――。


 細かく云えば、旧3部作の当時から思っていたけど、大宇宙戦争のハズが、国産のSFアニメのように理念や思想で戦っているのではなく、血縁・親子関係での非常に狭い戦いになってしまうあたりが、公的なものではなく私怨だけで戦っているショボい感じがして、本作でもそーなってしまい、個人的にはドーかとも思うのだけれども、それがもう「らしさ」であり、『スター・ウォーズ』の歌舞伎的様式美であるのならば、それでもイイのですけれどもネ(汗)。


 ただ、純・映像的に、ヘボさやチャチさのない特撮やCG映像、広大な砂漠や岩場に冷涼だが緑豊かな海の孤島といったロケーション映像がゴージャスということで、庶民・大衆、ファッション&スイーツ層も、細かいコトはともかくとして、おそらくはココらあたりからも受けるスケール雄大感を漠然と評価しているのだろうとも思う。


 しかし、畳み掛けてグイグイと引きこんでいくような、ベクトル感やスピード感あふれるノリノリの本編演出・アクション演出・剣殺陣演出といった面ではドーなのか?
 そのへんもまた、チャチということではなかったにせよ、他の歴代のハリウッドのジャンル系作品群と比しても、本作のそれが圧倒的に優れたものであったのかについては、正直疑問ではある。


 いや、それは実は『スター・ウォーズ』の歴代シリーズにしてからが、すでに同様であったのやもしれないが(汗)。


 で、そのへんを要素要素に分解して、全肯定でも全否定でもなく、理性的に是々非々で語っていく、というような行為がジャンル系評論オタク間でもあまりなかったようにも思うのだ――あくまでも私見です――。
 それは我が敗戦国・日本(笑)、および日本のジャンルファンの過半の無意識下にもやはりある、我らが「日本国」に対する反権力的な相対化はできてはいても――正直過剰の域に達しているとも思うけど――、おフランスざます的な「舶来もの」に対する妄信的な「権威主義」を、明瞭に客観化して認識できていなかったからだとも思う。
 すなわちコレを、「植民地の民の奴隷根性」ともいう(笑)。


 映像的にゴージャスか否かが主たる評価尺度であり、よほどの欠点がないかぎりは、同じような題材&ストーリー展開の作品ではあっても、ある作品には密度感があって心の底から引き込まれて感情移入したり、別の作品には弛緩したフンイキが漂って単なる段取りを演じているようにしか見えなくなる……などというような相違の発生については、庶民・大衆の皆さまはあまり気にかけないどころか、仮にウスウス気が付いたとしても、それを明晰・明快には言語化・成文化はできないモノなのであろう。


 いま挙げた例は極端ではあるけれど、実際にはそれらの両極の中間に、無限のなだらかなグラデーションがあるワケであり、その微差を微に入り細を穿って言語化してみせて「そうそう、たしかにこの作品はそーなっている!」と腑に落としてみせるのが評論オタクの真骨頂だとは思うのだ。


カネをかけた映像面では劣っていても、純・ドラマ面、純・作劇面では、むしろ今どきの国産特撮の方が勝っていやしないか!?


 ごくごく個人的には、「人間ドラマ」寄りで「特撮」や「アクション」がやや軽視されていて「娯楽活劇作品」としてはいかがか? という意見も散見される、同時期公開の今やJAC社長にしてアクション監督上がりの金田治カントクが手掛けた新旧ヒーロー共演映画『仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス』(15年)の方が、映像的なゴージャスさはともかく、まだ『スター・ウォーズ』よりも純「娯楽活劇」的にはまとまりがよくって、グイグイと引きこまれるベクトル感もあって、実は筆者個人は『フォースの覚醒』よりも『仮面ライダーゴースト&仮面ライダードライブ』の方をよほど高く評価するけどなぁ(汗)。


 いやまぁ、『仮面ライダーゴースト&仮面ライダードライブ』よりも、メリケンでのスーパー戦隊のリメイク『パワーレンジャー』シリーズ(93年~・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)の功労者・坂本浩一カントクが手掛けた『ウルトラマンX(エックス)』(15年)中盤の先輩ヒーロー・ウルトラマンギンガ(13年)&ウルトラマンビクトリー(14年)客演編の3部作、一見キン肉バカっぽいけど用意周到に計算されたお話の組み立て方や、アクションの組み立て・並列のさせ方に、タッグマッチの錯綜した入り替え&入れ子化と、それを実現させる演出力の方をこそ、もっと高く評価しますけど(笑)。


 実際、彼らがハリウッド並みの予算と時間を与えられれば、舶来モノの作品にも負けないと思うのだけれどもネ。



 しかして、90年代までのツッコミどころが満載でダラダラと弛緩してタイクツな作品が大勢を占めていた時代とは異なり、さりげに急速に「娯楽活劇」としての作劇・演出・特撮技術が進化している2010年代の「日本特撮」がなぜに正当に評価されないのか!?
 それは、『スター・ウォーズ』シリーズ・ファンへのファッション&スイーツなライト層の流入とは真逆の現象があるからかもしれない。


 すなわち、「日本特撮」と聞くと、庶民・大衆の皆さんは、本誌の読者のような……もとい本誌のライター陣のような……もとい筆者のような(笑)、「キモオタ」のビジュアルイメージを浮かび上がらせてしまうからではなかろうか?(オイ!)


 そう、延々とヘリクツをくっちゃべっているような、ビジュアル的にもTVに写っちゃイケナイ! 世間の前面には出てきちゃイケナイ! 我々のような見るからに異形(いぎょう)で、カタギではない見てくれの「趣味人」の存在が、今や「日本特撮」のイメージアップの障害になっているのやもしれない……(爆)。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.73(15年12月30日発行)。巻頭のシリーズ概説のみ、特撮同人誌『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』合評2より抜粋)


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『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(18年) ~多民族が「共生」ではなく「棲み分け」(笑)する未来像!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180610/p1

パシフィック・リム:アップライジング』(18年) ~巨大ロボ×巨大怪獣×ロリチビ少女×中国大企業×東京&富士山!

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180613/p1

『レディ・プレイヤー1(ワン)』(18年) ~ガンダムvsメカゴジラ! 仮想現実に逃避するオタの心理描写が秀逸(涙)

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パワーレンジャーFOREVER RED』(02年) ~坂本浩一監督作品・戦隊を逆照射!

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洋画『パワーレンジャー』(17年) ~戦隊5人に「スクールカースト」を色濃く反映! 「自閉症スペクトラム」青年も戦隊メンバー!

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ゴジラ キング・オブ・モンスターズ ~反核・恐怖・悪役ではない正義のゴジラが怪獣プロレスする良作!

『ゴジラ評論60年史』 ~二転三転したゴジラ言説の変遷史!
『キングコング:髑髏島の巨神』 ~ゴジラ・ラドン・モスラ・ギドラの壁画も!
『GODZILLA』2014年版 ~長年にわたる「ゴジラ」言説の犠牲者か!?
『シン・ゴジラ』 ~震災・原発・安保法制! そも反戦反核作品か!? 世界情勢・理想の外交・徳義国家ニッポン!
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ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』 ~反核・恐怖・悪役ではない正義のゴジラが怪獣プロレスする良作!

(2019年5月31日(金)・封切)


(文・久保達也)
(2019年6月13日脱稿)

空前のゴジラブーム再び!?


 ギャレス・エドワーズ監督による映画『GODZILLA ゴジラ』(14年・東宝https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190531/p1)で、ゴジラシリーズが映画『ゴジラ ファイナル ウォーズ』(04年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060304/p1)以来、実に10年ぶりに復活した。
 それ以降、かのロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ(95年~・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110827/p1)で有名な庵野秀明(あんの・ひであき)総監督による映画『シン・ゴジラ』(16年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20160824/p1)に、深夜アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20120527/p1)や『仮面ライダー鎧武(ガイム)』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140303/p1)のメインライターとして知られる虚淵玄(うろぶち・げん)が脚本を務めたアニメ映画『GODZILLA 怪獣惑星』(17年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20171122/p1)にはじまる三部作と、この5年間は毎年のように、新作ゴジラ映画が観られる状況がつづいている。
 先述した『GODZILLA ゴジラ』で劇場を埋めつくした客はもうあきれるばかりに中年のオッサンばかりで、そこにオバサンとおじいさんがわずかに混じるという惨状(笑)だったのだが、これはまる10年間も新作ゴジラ映画が製作されなかったために、ゴジラの商品的価値が完全に地に堕(お)ちていた当時を象徴するものだった。


 それがあの庵野監督がゴジラを撮る! といった話題性のみならず、そこで描かれた政界ドラマを左右の政治家連中をはじめ識者やマスコミが大絶賛、怪獣映画としては異例の82億5千万円(!!)もの興行収入をあげた『シン・ゴジラ』を契機に、世間は一転してゴジラに注目することとなった。さらにゴジラがアニメ映画の三部作として製作されたことも、それまでゴジラを知らなかった、あるいは無関心だった若者たちを誘致するには一定の効果をあげてきたかと思える――ちなみに『GODZILLA ゴジラ』は32億円にとどまった――。
 今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を筆者は公開初日のレイトショーで鑑賞した。金曜日の夜だったこともあってか昔からの熱心な中年ゴジラファン以上に一般のカップルや老夫婦(!)などの姿も多く見られ、若者たちも男子のみならずひとりで観に来た女子も目立ち、それもオタではないであろうフツーにリア充に見える娘までもがいたほどだった。
 わずか5年前に公開された『GODZILLA ゴジラ』の当時とは隔世(かくせい)の感があった。まさに「継続は力なり」というべきであり、映画『ゴジラVSデストロイア』(95年・東宝)と映画『ゴジラ2000(にせん) ミレニアム』(99年・東宝)の間に生じたたった4年のブランクが、いわゆるミレニアムゴジラシリーズ(99~04年・東宝)の興行を低迷させる要因となったことを思えば、今後もゴジラ映画を継続して製作・公開していく必要があるだろう。


「モンスター・ヴァース」=怪獣世界シリーズ最新作!


 さて、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は先述した『GODZILLA ゴジラ』の続編なのだが、ゴジラが主役ではなくアメリカの「キング・オブ・モンスターズ」=怪獣王・キングコングが主役の映画『キングコング:髑髏島の巨神(どくろとうのきょしん)』(17年・アメリカ・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170507/p1)とも世界観を共有した続編でもある。
 『髑髏島の巨神』のエンドタイトル後の映像にて今回登場する怪獣王ゴジラ・宇宙超怪獣キングギドラ・巨大蛾(が)モスラ・空の大怪獣ラドンが描かれた太古の壁画が登場することがまさに本作の予告編の役割を果たしており、『GODZILLA ゴジラ』にはじまる一連の作品群を製作側では「モンスター・ヴァース」、直訳すると「怪獣宇宙」=「巨大怪獣たちが存在する作品世界」のシリーズと名づけていることから、正確には本作はその第3弾にあたるのだ。
 先述したミレニアムゴジラシリーズの興行が低迷したのは、毎回世界観がリセットされてしまい1作1作が独立した作品となっていたために、観客がシリーズを歴史系譜的に追いつづける楽しみを奪われていたことも大きかったのであろうし、それぞれが主演作品を持つアメコミヒーローたちが活躍する舞台を同一世界として時に大集合もさせる映画『アベンジャーズ』シリーズ(12年~・アメリカ・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190617/p1)が2010年代の現在では大ヒットしているのだから、ゴジラキングコングの世界観をクロスオーバーさせた今回の作劇の手法は、戦略的には実に正しいものだともいえるだろう。


 先にも記した通り、「モンスター・ヴァース」とは「巨大怪獣たちが存在する作品世界」のシリーズのことである。こういうカタカナ言葉を使うと新奇な感じがしてくる。しかし、そもそもの昭和の時代のゴジラシリーズや東宝特撮映画にしてからが元祖「モンスター・ヴァース」でもあったのだ!
 元祖の映画『ゴジラ』(54年・東宝)や映画『空の大怪獣ラドン』(56年・東宝)や映画『モスラ』(61年・東宝)はそれぞれが別個の独立した作品であった。それが『モスラ対ゴジラ』(64年・東宝)では2大怪獣を対決させた。同年のゴジラ映画『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年・東宝)では早くもゴジララドンモスラを共演させることで 後付けでもそれぞれの作品が同一世界の物語であったことにした。
 ゴジラ映画『怪獣総進撃』(68年・東宝)に至っては、映画『大怪獣バラン』(58年・東宝)や『海底軍艦』(63年・東宝)の海竜マンダや『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(65年・東宝)のバラゴンや『キングコングの逆襲』(67年・東宝)のゴロザウルスなどが登場することで、これらの東宝特撮映画までもがすべて同一世界の出来事であったとされたのだ!


 しかし、1970年代に青年年齢に達した第1世代の特撮マニアたちによるゴジラ映画を論評する論法では、ゴジラが人間に敵対する悪の存在から人間に味方する正義の存在へと変化して悪の怪獣と戦うようになっていったことを「堕落」として捉えた。
 そして、その原因を、怪獣映画がシリーズ化したことで、ゴジラや怪獣が観客や劇中人物たちにとって「未知」ではなく「既知」の存在となって、その「恐怖性」を失ったためであるとした。それゆえに「怪獣と人類との1VS1の初遭遇」という「1回性」を過剰に重視することで、同一世界を描く「続編」や「シリーズ化」を批判するようになっていく。
 怪獣と怪獣が対決する「怪獣プロレス」路線なんぞは、怪獣を「擬人化」して描くことで「既知」の存在そのものとしてしまうことで、怪獣の「恐怖性」を最も失わさせる悪行として徹底的に忌避(きひ)もした。
 1970年代末期から2000年代初頭に至るまでの特撮論壇では上記のような論調が主流であり、ゆえに興行的には大ヒットを記録していて当時の児童たちにも高い人気を博していた平成ゴジラシリーズも、その本格志向でありながらもやや粗(あら)がある作品内容についてのみならず、またも「昭和」のゴジラシリーズのように「同一世界でのシリーズ化」に陥(おちい)ったことそれ自体が間違っている! として批判する第1世代の特撮マニアたちは実は当時は多かったのであった――まぁ、今でもあの『シン・ゴジラ』に対してさえも、そのセンスある特撮映像や畳みかけるようなテンポのよい演出の方で評価するのではなく、ゴジラしか怪獣が登場せずに怪獣対決が描かれていないから良いのだとして評価を高くするような論法を展開する、あいかわらずの旧態依然な輩(やから)も少数ながらいたことはいたけれど(笑)――。


 だが、今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、1945年8月6日に米軍が広島に原爆を投下した直後からゴジラが目撃されるようになったと設定したほどに、


「最高の恐怖」・「テーマは『リアル』」・「1954年の第1作『ゴジラ』の精神を受け継ぐ」


がキャッチコピーであった、あの5年前の『GODZILLA ゴジラ』の続編であるのにもかかわらず、そのテイストはまったく相反するものであり、まさに怪獣対決=「怪獣プロレス」を前面に押しだした、きわめてエンタメ色の強い作風となっていたのだった。


 人間側の主人公は、生物の生体音を流すことでその行動を操作することが可能な装置・オルカを大学時代に共同で開発し、その後結婚して息子と娘をさずかるも2014年にサンフランシスコで起きたゴジラVS怪獣ムートーの戦いで息子を失い、怪獣に対する考え方の違いで離婚した、ともに生物学者のマーク&エマのラッセル夫妻と、その12歳の娘・マディソンである。
 この一家が怪獣災害に巻きこまれる中で心の変遷(へんせん)や関係性の変化が生じた末に家族再生を果たすという、近年では『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20180826/p1)などでも見られた、いわばホームドラマ的な展開を主軸に据(す)えている。
 そして彼らを取り巻く存在として、先述したように広島原爆投下直後から謎の巨大生物が目撃されたのを契機に1946年に実在したトルーマン大統領(!)によって秘密裏(り)に設立された、世界中に前進基地を置いて怪獣たちの動きを監視する未確認生物特務機関・モナークが、『GODZILLA ゴジラ』と『キングコング:髑髏島の巨神』にひきつづいて登場することで、両作を観ている観客であれば「世界観の共有」を印象づけている。
 生物学者であり『GODZILLA ゴジラ』につづいて登場する今や国際スターとなった渡辺謙(わたなべ・けん)が演じる芹沢猪四郎(せりざわ・いしろう)博士をはじめとする科学者陣と、黒人女性のダイアン・フォスター大佐が率いるG(ジー)チームなる武装部隊とで、先のモナークは構成されており、それぞれのゴジラや怪獣たちに対する思惑(おもわく)の違いも描かれていく――ちなみに、芹沢猪四郎とはもちろん、『ゴジラ』第1作のもうひとりの主人公・芹沢大助博士と、「昭和」の東宝特撮映画の多数を監督した故・本多猪四郎(ほんだ・いしろう)をかけ合わせたネーミングであるのは、ゴジラシリーズのマニアであればご承知の通りである――。
 そして人間側の悪役として登場するのは、元イギリス軍の大佐であるも現在は多数の傭兵(ようへい)を従え環境テロリストとして暗躍するアラン・ジョナである。先述したオルカで怪獣たちを操って世界を支配することをたくらみ、エマ&マディソン親子を拉致(らち)してエマ女史に自身の野望への協力を強要するのだ。


*「怪獣プロレス」を盛りあげるための「ホームドラマ」!


 これだけ多数の人間キャラが登場すればその群像劇を観ているだけでも充分におもしろい。先述したゴジラのアニメ映画三部作もそうだったが、ゴジラの登場がやや少なかったことが正直個人的には全然不満に思えないほどだった。
 アニメ映画三部作は熱心なゴジラファンからすればやはりそれが難点だったのだろうが、かの『シン・ゴジラ』もゴジラの登場場面はかなり少なかったのであり、その政界群像劇を絶賛しておきながらゴジラアニメ三部作を批判するのは、おもいっきりのダブルスタンダードにも思える(笑)。


 それはさておき、先述したように本作は科学者夫妻とその娘が中心となるホームドラマ的な展開であるのみならず、環境テロリストのアランに積極的に協力し世界各地を怪獣に襲撃させたエマ女史のマッド・サイエンティスト的なエキセントリックさがキモでもある。
 それこそ『ウルトラマンガイア』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19981206/p1)に登場した藤宮博也(ふじみや・ひろや)=ウルトラマンアグルをはじめ、90年代後半から00年代前半の特撮作品にありがちだった「人類は地球を汚すガン細胞だから滅ぼすべき」(笑)といったセリフをモロに放つ描写まであるほどなのだ。
 だが、ホームドラマ的な展開が世界観を矮小(わいしょう)化するワケでも、人類批判セリフによって陰鬱(いんうつ)な作風に陥(おちい)ることもないのは、本作の人間ドラマが怪獣対決=「怪獣プロレス」の魅力を阻害しないかたちで点描されているというよりかは、むしろ「怪獣プロレス」を盛りあげるためには欠かせない要素に達するまでに昇華がされていたからだ。


 先に今回の本編部分をホームドラマ的な展開と書いたが、それは決して1970年代に日本のテレビドラマ界で隆盛を極めていたホームドラマを揶揄(やゆ)して当時そう呼んだようなお茶の間での「メシ食いドラマ」(笑)ではなかった。
 もちろん冒頭ではマディソン嬢が実の父・マークから来たメールへの返信に夢中だったために、付けっぱなしのガスレンジで朝食を焦(こ)がしてしまう……なんていうベタな「日常」シーンなどが描かれるのだが、中国の奥地にあるモナークの基地にエマ女史が呼び出されて以降は、ラッセル家はマークもエマもマディソンもほぼ「非日常」の世界に放りこまれたままとなり、家族の心の変遷や関係性の変化はそこで描かれていくのである。


 それは娘であるマディソンの描写に最も色濃く表れている。
 中国のモナーク基地でモスラの卵が突然孵化(ふか)して芋(いも)虫のようなモスラの幼虫が基地内で暴れはじめ、幼虫の口からの粘液(ねんえき)で大勢の隊員が固められたり巨体に吹っ飛ばされたり瓦礫(がれき)の下敷きになったりしているのに、エマがオルカを発動させるやモスラがおとなしくなったことで、当初はマディソンは母・エマの研究に敬意を表して満面の笑(え)みでエマと抱き合うのである――多数の隊員が目前で非業の死を遂げていたのにも関わらずである! 母よりかは常識人なようでも、この娘もまた母の血をひいている(笑)――。
 だが、その後エマとマディソンはアランが率いる傭兵たちによって奴らが占領したモナークの南極基地に監禁されてしまう。そこに夫であるマークがモナークの主要キャラたちと救助に来るも、エマは夫による救助を拒絶するどころか学術的興味を優先して基地で氷漬(づ)けにされていたキングギドラを起動させ、エマの夫でありマディソンの父であるハズのマークを絶体絶命の危機に追いやってしまう! この行為でさすがにマディソン嬢でさえも次第にエマ、そしてエマの研究に対して疑念の目を向けるようになっていくのだ。
 そして決定打となったのは、メキシコの火山で眠っていたラドンをエマが起動させたことだ。せめて住民の避難が完了するまで待ってほしいとのマディソンの頼みに、エマが耳を貸さずにオルカでラドンを眠りから覚ましたことで、映画『ゴジラVSメカゴジラ』(93年・東宝)に登場したファイヤーラドンのように全身がマグマの熱で燃えたぎったラドンの急襲により、麓(ふもと)の市街地は壊滅してしまうのだ!
 ここに至り、ついにマディソンは「ママこそモンスター!」だとしてエマと彼女の研究を非難し、ひそかにオルカを持ち出して、アランたちのアジトからただひとりで脱出するのだ。カットによっては少年のようにも見えるマディソンを演じる黒髪ショートヘアのミリー・ボビー・ブラウンは本作がスクリーンデビューだそうだが、その演技はとてもそうとは思えないほどに絶品かと思えた。


 このように、ラッセル家の心の変遷や関係性の変化は、怪獣の出現・大暴れ・対決といった「特撮」の見せ場と分離して並行することなく、常に連動するかたちで描かれており、「本編」の「ホームドラマ」と「特撮」の「怪獣プロレス」のクライマックスが渾然(こんぜん)一体となって盛りあがるように組み立てられているのだ。これは近年の「平成」仮面ライダーシリーズなどとも同じ手法だともいえるだろう。


*「怪獣プロレス」至上主義のオタ監督(笑)


 もちろん今回の怪獣たちも、日本の怪獣映画の伝統として用いられてきた怪獣の着ぐるみを着用したスーツアクターによる演技ではなくCGで描かれている。しかし、特にゴジラキングギドラのデザインや動きは巨大怪獣というよりは中に人が入った怪獣の着ぐるみをリアルに再現しているかのような印象が強いのだ。
 たとえばキングギドラをCGで描くのなら、先述したアニメ映画版三部作の最終章・『GODZILLA 星を喰(く)う者』(18年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20181123/p1)に登場したギドラのように、全長20キロメートル(!)もある超巨大な竜だとか、半透明で実体のない高次元エネルギー体だとか、その気になればもっと自由奔放(ほんぽう)なイメージにすることもできたハズだ。


 だが、今回登場したキングギドラは、デビュー作となったゴジラ映画『三大怪獣 地球最大の決戦』以来、「昭和」「平成」のゴジラシリーズで継承されてきた3本の首・2本の尾・巨大な羽根のスタイルを踏襲(とうしゅう)しており、映画『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年・東宝)に護国聖獣として設定を改変されて登場したキングギドラほどではないにせよ、首や足がかなり太めなマッチョなスタイルなのだ。
 そして、マークたちの危機に颯爽(さっそう)と駆けつけたゴジラは、南極に上陸するやいきなりキングギドラの首を両腕でかかえこみ(!)氷原にたたきつけたのだ!
 筆者はこの場面を観て、本作の脚本も担当したマイケル・ドハティ監督が今回描きたかったのは「怪獣対決」ではなくあくまで「怪獣プロレス」であり、そのためにはキングギドラは先述した『星を喰う者』のギドラのようにあまりにもデカすぎるとかファンタジックなイメージではなく、それこそ中にマッチョなアクターが入っているかのような「人間体型」でなければならなかったのだろうと直観したものだ(笑)。


 本作ではキングギドラは「モンスター・ゼロ」と呼称されている。古い世代のマニアであれば、映画『怪獣大戦争』(65年・東宝)に悪役として登場した、自分たちも名前という固有名詞を持たずに、すべての生物を番号で呼んでいたX(エックス)星人が、キングギドラを「怪物0(ゼロ)」と呼称していた描写を引用したのだと、即座に気づいたことだろう。
 『怪獣大戦争』は彼の地ではかつて『GODZILLA VS.MONSTER ZERO(モンスター・ゼロ)』なるタイトルで公開されていたことは、われわれ年配の特撮マニア間では往年のマニア向け書籍などで目にしていた有名な話である。つまりは、アメリカではキングギドラの「モンスター・ゼロ」なる別名義は、作品タイトルでもあったくらいなのだから、むしろ日本以上にポピュラーだったようである。
 ちなみにX星人はゴジラを「怪物01(ゼロワン)」、ラドンを「怪物02(ゼロツー)」と呼んでいたのだが、たったそれだけの描写がX星人が地球外生命体であることを濃厚に感じさせ子供心をワクワクさせたものであり、幼いころにゴジラ映画に感じたそんな童心レベルでのSF的ワクワク感を、ドハティ監督は本作に徹底的にブチこんでいるようにも思えるのだ。


 ラドンが市街地に巻き起こした衝撃波でメキシコ軍の軍人たちが必死に樹木にしがみつきながらも吹っ飛ばされてしまう描写は、映画『空の大怪獣ラドン』の福岡襲撃場面を彷彿(ほうふつ)とさせるが、ここで市街地の広告看板がやたらと目立つのは、『ラドン』の該当(がいとう)場面にあった「森永ミルクキャラメル」とか「お買い物なら新天町」などの看板群に対する明らかなオマージュなのだろう。
 そもそもラドンの造形――あえてこう書く――や動きも、そのモチーフとなった実在した翼竜プテラノドンのようなシャープなイメージではなく、『ラドン』で使用されたギニョール(ラドン型の人形)を操演で動かす演出をワザワザ再現しているかのようである(笑)。
 戦闘機のコクピットからの主観映像と、ラドンが蝶(ちょう)のように舞い、蜂(はち)のように戦闘機群を次々に撃墜させていく描写を交錯させた演出もまた然(しか)りだ。


 キングギドラが目覚めたのを機に、世界各地で17匹(!)もの怪獣がいっせいに暴れだすのは、もはやゴジラ映画『怪獣総進撃』や『ゴジラ ファイナル ウォーズ』のうれしいパクリとしかいいようがないのだが、怪獣たちの中には先述した『キングコング:髑髏島の巨神』に登場したキングコングや巨大グモのバンブー・スパイダー、『GODZILLA ゴジラ』に登場したムートーらが含まれており、本作がそれらのれっきとした続編であることを強調しているのは実に好印象である。
 幻想的で優雅(ゆうが)な巨大羽根などの昆虫らしさをCGでリアルに描いたモスラが成虫と化す場面では、映画『モスラ』でインファント島の小美人が歌唱して以来、「昭和」から「平成」に至るまでモスラのテーマ曲として継承されてきた「モスラの歌」のメロディが流れ、ボストンでのゴジラVSキングギドラのラストバトルでは、とうとう故・伊福部昭(いふくべ・あきら)作曲の「ゴジラのテーマ」までもが流れてしまった!
 先述した『シン・ゴジラ』でも、『エヴァンゲリオン』の音楽を担当した鷺巣詩郎(さぎす・しろう)による劇伴(げきばん)が流れる中、庵野総監督も往年の東宝特撮映画の伊福部劇伴を多数流していたが、ドハティ監督のオタクぶりはまさに庵野氏に匹敵するといったところか?(笑)
 その『シン・ゴジラ』や『ゴジラVSデストロイア』のクライマックスバトルを踏襲するかのように、最後はついに本作のゴジラも全身が真っ赤に発光するバーニングゴジラと化してしまいましたとサ(爆)。


アメリカで流通した「ゴジラ観」とは?


 まぁ、アメリカではすでに1960年代の昔から、ケーブルテレビにてゴジラ映画をはじめとする日本の特撮怪獣映画が再三放映されており、かのスティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカスティム・バートンといったハリウッドの巨匠(きょしょう)たちも、それを機にゴジラに夢中になったそうである。
 1974年生まれのドハティ監督もまた幼いころから日本のゴジラ映画を観ていたようだが、先述した巨匠たちが若かったころには当然ながらアメリカではまだ放映されるハズもなかった、娯楽志向や子供向けの作風が強まりゴジラが悪役から正義の味方へと次第にシフトしていった60年代後半から70年代前半の「昭和」の後期ゴジラシリーズにもふれていたことが、「怪獣プロレス」をウリにした今回の『キング・オブ・モンスターズ』の作風に影響を与えていたのかもしれない。


 なお、かつて『ニューウェイブ世代のゴジラ宣言』(JICC出版局(現・宝島社)・85年1月1日発行・ASIN:B00SKY0MJW)に掲載された「ゴジラ映画30年史」と題したコラムにて、


「ついにゴジラにガキまでできた。もうゴジラもダメである」(笑)


とされた映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(67年・東宝)や「ゴジラシリーズ最低の内容である」とされた映画『ゴジラ対メガロ』(73年・東宝)など、80年代から90年代の日本の特撮評論では「駄作」扱いされてきたそれらの作品も、アメリカではリピート率が高かったためか結構人気があったそうである。


 もちろん国民性の違いもあるのだろうが、ドハティ監督にかぎらず、少なくともアメリカではゴジラは「反核」の象徴だの「恐怖」の対象だの「悪役」の怪獣だのと認識されていたワケではなかったのは確かだろう。そもそも人類の脅威として描かれた『ゴジラ』第1作が全米で初公開されたのは意外や意外、なんと日本の封切から50年後(!)の2004年のことだったのだから!――1956年にアメリカで公開された映画『GODZILLA,KING OF THE MONSTERS!(ゴジラ キング・オブ・ザ・モンスターズ!)』は、『ゴジラ』第1作から核兵器に関するくだりをすべて削除し、ハリウッド俳優の出演場面を加えた「改変版」にすぎなかった――


 ちなみに日本で第3次怪獣ブームが起きていた1978年、つまりドハティ監督が4歳のころに、アメリカの有名なアニメ製作会社ハンナ・バーベラ・プロダクションによる『Godzilla』と題したテレビアニメの放映がスタートしている。
 その内容は、「人間の味方」の怪獣王・ゴジラが、映画『大怪獣バラン』の主役怪獣・バランのように手足の間の皮膜(ひまく)で空を飛べる親戚(しんせき)怪獣(笑)・ゴズーキーや、調査船・カリコ号の船長や乗組員たちと人間の言葉で会話をしながら(爆)世界を旅する中、さまざまな怪獣や古代恐竜、雪男に宇宙人、はたまた犯罪組織やクローン人間などと対決するというものだったそうだ(笑)。
 ここで描かれたゴジラは、たしかに「反核」でも「恐怖」でも「悪役」でもなく、おもいっきりの正義のヒーロー怪獣だったのだろう。


 同作がアメリカで放映されていたころは、日本でも第3次怪獣ブームだったので東宝怪獣映画やウルトラマンシリーズが盛んにテレビで再放送されていた。そして、当時発行された初期東宝特撮や第1期ウルトラシリーズの至上主義者たちが執筆した本邦初のマニア向け商業本『ファンタスティックコレクション』シリーズ(朝日ソノラマ・77年~)などをまだ読めるハズもなかった当時の就学前の幼児や小学校低学年の子供たちは、そんなマニア向け書籍の影響を受けることも「初期」だの「後期」だの「第1期」だの「第2期」だのと区別することもなく、「ゴジラ」も「ウルトラマン」もすべてのシリーズ作品をありがたく享受(きょうじゅ)していたのだ。
 そんな彼らと同世代のドハティ監督が、旧来のゴジラファンからすればとんでもアニメとしか思えない『Godzilla』を幼少時に「これがゴジラだ」とありがたく受け入れて、氏の「ゴジラ観」が形成される中で多大な影響を及ぼすこととなった可能性も充分に考えられるだろう(笑)。


*ドハティ監督が「怪獣プロレス」にこだわった理由とは?


 今回の『キング・オブ・モンスターズ』で『ゴジラVSメカゴジラ』のファイヤーラドンや『ゴジラVSデストロイア』のバーニングゴジラに対するオマージュが見られたことから、ドハティ監督はわれわれ日本の特撮マニアたちのように20歳(はたち)を過ぎても新旧のゴジラ映画を観つづけてきたオタッキーな御仁であることは明らかなのだが(笑)、映画『ゴジラVSビオランテ』(89年・東宝)から95年の『ゴジラVSデストロイア』に至る「平成」ゴジラシリーズでは、「昭和」の時代と違って高層の建築物が激増したのを背景に、作品を重ねるごとにゴジラの身長と体重が巨大化する一方となり、その着ぐるみはかなり重量感を増した造形となっていた。
 ゆえに撮影現場ではスーツアクターが思うように動けなかったことから、「平成」ゴジラシリーズの故・川北紘一(かわきた・こういち)特撮監督はその代わりとして、光線や熱線をはじめとする怪獣たちの必殺技を作画合成でハデに描く演出を優先したところもあったのだろう。


 だが……



「平成になってから、どうも怪獣同士の取っ組み合いが少ないような気がするのですが。たとえば、ガバラ――映画『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(69年・東宝)の敵怪獣――を一本背負いしたり(会場笑)、キングコングに蹴(け)りを食らわせて崖(がけ)から突き落としたりですね、あれやっぱりいいんですよ。ああいうのをやってほしいなと思うんですが」

(『ゴジラ/見る人/創る人 ―at LOFT・PLUS・ONE トークライブ』(99年12月26日発行・ソフトガレージ・ISBN:4921068453) ヤマダ・マサミ「ゴジラという現象」)



 これは東京の新宿・歌舞伎町(かぶきちょう)にあるロフトプラスワンで、1999年3月18日に開催された特撮ライター・ヤマダマサミ主催の「ゴジラ復活祭」と題したトークライブ第1回にて、当時の東宝映画プロデューサー・富山省吾(とみやま・しょうご)に対してファンから出された一般客からの意見である。先述した「平成」ゴジラシリーズの特撮演出を「光線作画の垂れ流しばかりでおもしろくない」とする批判の延長として、かつては怪獣映画が幼稚になった諸悪の根源としてさんざんに非難されてきた「怪獣プロレス」をその逆に改めて肯定(こうてい)してみせるものでもあったのだ。
 ホントにマニアは勝手だが(笑)、当時20代半ばとなっていたドハティ監督もやはりマニアのはしくれとして「平成」ゴジラシリーズにはこれと同様の感想を抱(いだ)いていたのかもしれない。
 本作のゴジラは先述したアニメ映画三部作のゴジラのように森林が生(お)い茂った巨大な山が動いていると思えるほどにかなりマッチョなスタイルだが、ドハティ監督は重すぎてあまり動けなかった「平成」ゴジラのデザイン・造形をわざわざ再現しつつも、故・川北特撮監督に代わってデカくて重たそうな着ぐるみ型のゴジラをCGで自在に動かして怪獣プロレスさせるリベンジをやらかしたのではあるまいか!?


 もちろんCGを駆使して描かれた、青白く発光するゴジラの背びれ、空のキングギドラに向かってゴジラが首を真上にして(!)口から放つ青白い放射能火炎、キングギドラの全身に常にほと走る金色のイナズマ、マグマの高熱で全身が真っ赤に染まったラドンなどの描写は、『ウルトラマンA(エース)』(72年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070430/p1)第21話『天女の幻を観た!』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20061009/p1)で実にハデな必殺技を多数描いた特撮演出デビュー以来、カラフルな作画合成を得意としてきた故・川北特撮監督に対するリスペクトとも解釈できる演出である。そして、ゴジラを「青」、キングギドラを「金」、ラドンを「赤」とするなど、カラーイメージの統一にも成功しているのだ。
 また、高熱を体内に有したキングギドラの周囲では常に雷雲が発生するために気象レーダーではその姿が台風の渦巻き雲や目(!)のように表示されるとか、その設定をきちんと劇中で踏襲しつづけてキングギドラゴジラとの最終対決も含めた活躍場面が常にその暴風雨の中で描かれるのは、CGの利点を駆使したビジュアル的なハデさのみならず、氷漬けのキングギドラが南極基地で発掘されて鉄骨に囲まれた設備で格納されていたこととともに、かつての東宝怪獣映画の魅力だった疑似(ぎじ)科学性をも継承したものだといえるだろう。
 さらにゴジラキングギドララドンの巨大な目を登場人物たちの背景に据えて描くことで怪獣の「恐怖」をあおったり、ラドンとの対決で勝利したキングギドラが麓の街が壊滅したメキシコの火山の頂上で勝利の雄叫(おたけ)びをあげるさまをロング(ひき)でとらえたカットで画面手前に教会の十字架を大きく描いた「滅びの美学」的な演出には――個人的にはキングギドラのカッコよさが最も感じられたカットだ――、初期東宝特撮至上主義者である古い世代のマニアたちもおもわず注目するほどの出色の出来に仕上がったとも思える。


*芹沢博士に自己投影した特撮マニアの『ゴジラ』第1作へのリスペクト


 もちろん『ゴジラ』第1作への原点回帰を狙った『GODZILLA ゴジラ』の続編である以上は、やはり原点に対するリスペクトも見られないワケではないのだが、そちらは実にあっさりと済まされている感が強い。
 たとえば冒頭の議会の中で、モナークによる怪獣の生態や研究調査の報告・成果などの発表に対し、年配女性の議長が「小学生が喜びそうな講義をありがとう」とあからさまにバカにした態度を見せて議場で笑いが起きるさまは、『ゴジラ』第1作での初老の生物学者・山根恭平(やまね・きょうへい)博士の発言が国会で嘲笑(ちょうしょう)される場面を彷彿とさせるものだろう。ただ、科学者の言動が政界や自衛隊・マスコミなどの人間に嘲笑されるのは、『ゴジラ』第1作にかぎらず「昭和」の東宝特撮映画では定番だったものであり、これはむしろ東宝特撮映画全体に対するオマージュであるとも解釈できるものだ。


 中盤でキングギドラをはじめとする怪獣たちを殲滅(せんめつ)する超兵器として登場する、『ゴジラ』第1作のラストで芹沢博士が使用したのと同じ名の「水中酸素破壊剤」こと「オキシジェン・デストロイヤー」も、アメリカ海軍のウィリアム・ステンツ大将があまりにもフツーにかつ唐突(とうとつ)にそれを登場させるためにさほどの感慨もわかないくらいである――出番は短いものの「少将」だった前作につづいてウィリアム・ステンツ大将が登場することも、『GODZILLA ゴジラ』の続編であることをさりげなくアピールしている――。
 これも『ゴジラ』第1作に対するオマージュというよりは、むしろ半径3キロメートル以内の生物をすべて死滅させるハズのオキシジェン・デストロイヤーでさえも通用しなかった描写で、キングギドラを地球の生物とは別格の宇宙怪獣であることに説得力を与えるために、便宜的にここに配置したという印象の方が強いものなのだ。


 ただし、今回のクライマックスバトル直前に見られた「二代目」芹沢博士の行動は、まだ公開間もないことから詳述は避けるが、『ゴジラ』第1作ラストシーンの「初代」芹沢博士を彷彿とさせる姿で描かれていた。
 ちなみに、芹沢博士を演じた渡辺謙は、前作の公開時に自身の役名の元ネタである故・本多猪四郎監督の名を「いしろう」ではなく「いのしろう」と思っていたと発言し、大のゴジラ好きで知られる俳優・佐野史郎(さの・しろう)から「なんだおまえは!」と一喝(いっかつ)されて平謝りしたというエピソードがあるそうだ。いや佐野センセイ、そりゃ一般人なら「いのしろう」と読んでしまいますって(笑)。ところで、佐野氏は1955年、渡辺氏は1959年生まれであり、ともに1966年~1967年の第1次怪獣ブーム世代である。
 われわれのような特撮マニアからすると、そんなヌルオタ(ヌルいオタク)なエピソードがある渡辺氏ではあるけれど、前作、そして本作でも、共演するハリウッドスターたちが皆ゴジラを「ゴッズィ~ラ」と発音する中、ただひとり「ゴジラ」と呼ぶように演技していたという話は、個人的には敬服に値することだと思っている。
 そして氏が演じる「二代目」芹沢博士は、先述したオキシジェン・デストロイヤーによって一度は生体反応を止めてしまったゴジラに、日本語で「さらば、友よ」と呼びかける……


 ひたすら自宅にこもって研究の日々をすごすばかりで、先述した山根博士の娘・恵美子にひそかに想いを寄せるものの、リア充的な好青年・尾形秀人(おがた・ひでと)と恋仲だと知って落胆(らくたん)する姿までもが描かれた、故・平田昭彦(ひらた・あきひこ)が演じていた「初代」芹沢博士。
 それは、まだ自身のコミュ力弱者ぶりをコミカルに吐露してみせるような(ひとり)ボッチアニメなどがカケラも存在していなかった70年代末期に起きた第3次怪獣ブームの時代においては――ちなみに、この時代はようやく『宇宙戦艦ヤマト』(74年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101207/p1)などが注目されはじめたころであり、そもそもアニメや特撮などは「大人」や「青年」が観るものではなかった――、ちょうど同じころに特撮マニア間で再発見された往年の円谷特撮『怪奇大作戦』(68年)で名優・岸田森(きしだ・しん)が演じた、孤独な犯罪者にも同情してみせるようなどこか厭世的(えんせいてき)なクールなキャラクター、SRI(科学捜査研究所)の牧史郎(まき・しろう)に対するわれわれ特撮マニアたちの執着なども同様だったのだが、そのさみしい心象風景の描写がネクラで内向的なわれわれから過剰(かじょう)なまでの感情移入を集めることとなり、そんな自己投影(!)こそが特撮マニア界の勃興期でもあった当時における『ゴジラ』第1作を神格化させる一因にもなったのではなかろうか?
 実は「初代」芹沢博士にとっても、ゴジラは唯一(ゆいいつ)の「友」といえる存在だったのではなかっただろうか? と、今回「二代目」芹沢博士が放った「さらば、友よ」というセリフに、筆者は感慨を深くせずにはいられなかったものだった。


 「二代目」芹沢博士の自己犠牲によってゴジラは復活、キングギドラを倒すに至るほどの圧倒的なパワーを得ることとなるが、クライマックスバトルではキングギドラが口から放つ金色の電撃光線に敗れたモスラが光の粒子と化し、それを浴びたゴジラがさらにパワーアップを遂げ、全身を赤く発光させたバーニングゴジラとなる。
 これは『ゴジラVSメカゴジラ』のラストで、「機械文明の力」よりも「大自然の神秘」の優位を主張するテーマを体現させるために、メカゴジラに敗退したラドンが金粉と化して倒れ伏しているゴジラと合体し、ゴジラを復活・パワーアップさせたシーンのオマージュでもあるのだろう。
 モスラが成虫と化して優雅な羽根を広げて飛翔する場面で、アジアの超美人女優=チャン・ツィイーが演じるチェン博士がモスラを「怪獣の女王」(!)と呼び、モナークの隊員が「ゴジラモスラはいい仲なのか?」とつぶやくあたりも、子供向けの「昭和」の後期ゴジラシリーズでは善玉怪獣であったゴジラモスラを想起させる、やや幼稚なセリフだとも云えはするのだけれども、そのような適度なB級さも個人的には悪くはないと思う(笑)。
 そんなモスラと同様にゴジラに力を与た「二代目」芹沢博士が、たしかにゴジラの「友」であったことを反復して描いていく演出は、本編の「人間ドラマ」と特撮の「怪獣プロレス」のクライマックスを絶妙に融合させていたのだった。


*ハリウッドにお株を奪われた本家が進むべき道とは?


 キングギドラを倒して天空に向かって勝利の雄叫びをあげるゴジラを囲むように、バンブー・スパイダー、ムートー、ラドンが集結していき、「擬人化」された表現で怪獣たちがゴジラに頭(こうべ)まで垂れてしまう(笑)。そして、そこに入る字幕は


GODZILLA,KING OF THE MONSTERS!」


=「怪獣王 ゴジラ」なる称号である。


 これは先述したように、1956年に『ゴジラ』第1作の「改変版」がアメリカで公開された際につけられたタイトルをそのまま引用したものである。「怪獣たちの王」として君臨するゴジラをそのまま絵にして幕となる本作は、「最高の恐怖」・「テーマは『リアル』」・「1954年の第1作『ゴジラ』の精神を受け継ぐ」といったものとは真逆な、「非・恐怖」・「非・リアル」・「昭和の後期ゴジラシリーズの精神を受け継ぐ」かのような、小笠原諸島にある怪獣たちが住まう孤島・怪獣ランドの王様(笑)としてのゴジラみたいな稚気(ちき)ある描写で賛否はあるだろう。しかし、リアルなゴジラ像しか受け付けないというような頑迷な特撮マニアも歳を取って枯れてしまっているだろうから「もうこれでもいいか」的に意外と許せる人間ばかりとなっているような気がするので、意外と特撮マニアの大勢はあの怪獣たちの平伏シーンに満足しているのではないだろうか?


 ところで、本作の主人公親子・マークとマディソンがひきつづき登場する、まさに往年の映画『キングコング対ゴジラ』(62年・東宝)の再来となる続編映画『ゴジラVSコング』が2020年公開予定ですでに待機している(後日付記:2021年に公開延期とのこと)。しかし筆者は、本作『キング・オブ・モンスターズ』のラストシーンから、先述したアニメ版のゴジラ映画三部作の世界の物語にもつづいていくかのような印象も受けている。
 1999年5月、アメリカにカマキラスが出現して以降、21世紀前半にドゴラ・ラドンアンギラスダガーラ・オルガ……と次々に現れた怪獣たちにより、世界各地は壊滅的な打撃を受けてしまう。そして2030年、アメリカ西海岸に出現したゴジラは人類、そしてほかの怪獣たちをも駆逐(くちく)してしまう脅威(きょうい)的な存在であり、以後15年以上に渡り、人類は地球の覇権(はけん)をめぐってゴジラとの戦いを強(し)いられることとなる……
 これはアニメ版ゴジラ映画三部作の第1章『GODZILLA 怪獣惑星』の導入部にて、その世界観を示すためにあらすじ的に描かれたものなのだが、今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』はまさにこれを1本の作品として映像化したかのような印象も受けるのだ。


 『GODZILLA 怪獣惑星』では、コンピューターが選抜した1万5千人の人々が移住先を求めて2048年に地球を脱出するも、生存可能な星を発見できなかったために20年後=地球時間では2万年後(!)に再度地球に帰還するが、そこはすでに人類が駆逐されてゴジラをはじめとする巨大生物が君臨する、新たな生態系の星となっていた。


 『キング・オブ・モンスターズ』では、エマ女史は


「このまま人類が繁栄をつづけることによる地球の滅亡を阻止するために、怪獣を使って地球を本来の姿(2億5千万年前のペルム紀)に戻すのだ」(大意)


と主張した。


 アニメ版ゴジラ映画三部作の最終章『GODZILLA 星を喰う者』に至っては、先述した『怪獣大戦争』の悪役・X星人が元ネタである異星人・エクシフのクールな美形神官であるメトフィエス


「各惑星で知的生命が科学的に繁栄した末にゴジラ型の原子力怪獣が生まれて、その惑星の知的生命も怪獣災害による苦悩の果てにいずれは絶滅、この大宇宙も最後は終焉を迎えるのならば、すべての事象は結局は最後に虚無に帰結していくことの具現化でもある高次元怪獣キングギドラに人身御供(ひとみごくう)として捧げて、知的生命体の終焉を人工的に早めることでその苦悩も除去してあげよう」(大意)


とまで主張した。


 これらの行動の動機は、イコールではないにしてもその根っこは相似(そうじ)はしている。


 『キング・オブ・モンスターズ』でのエマ女史の「太古の自然の回復」という願いが実現(?)するのに、『怪獣惑星』では「自然の回復」ではなく「新たな自然の誕生」という相違はあるものの、そこに2万年もの歳月を要したことになるのだが、次回作『ゴジラVSコング』の勝者が「怪獣の王」のみならず「地球の王」として君臨するようになれば、人類の行き着く先はアニメ版ゴジラ映画三部作に描かれた未来と同様のものになるのかもしれない。
 『キング・オブ・モンスターズ』のラストで描かれた、壊滅した大都会で雄叫びをあげる怪獣たちの姿は、まさにその伏線であるといっても過言ではないのだ。


 また、息子を殺したゴジラに中盤までひたすら恨みをつのらせていたマークが、侵略者=キングギドラと戦うゴジラの姿に実はゴジラが地球の「守護神」であることを悟(さと)る関係性の変化も、かつて両親をゴジラに殺されゴジラ打倒に執念(しゅうねん)を燃やしつづけたものの、三部作の間に心の変遷を遂げて最終章のラストで芹沢博士のようにゴジラと心中したアニメ版の青年主人公=ハルオ・サカキにも相似するものがあるように思える。
 しかし、今回のハリウッド版もアニメ版も人類の原水爆実験によって誕生させられたゴジラは、そんなものを生みだしてしまう人類に時に牙(きば)を向けるものの、前者はこの星を本来の姿に戻そうとする地球の「守護神」であると定義し、後者は放射能による突然変異で生じた新たなる生態系の「王」であると定義した点においてはハッキリとした相違があり、各作がそれぞれのゴジラ像を見事に描ききったとはいえるだろう。


 そんなゴジラの出自にも前作の『GODZILLA』2014年版よりかは敬意を示しつつも、「反核」でも「恐怖」でも「悪役」でもなくおもいっきりの正義のヒーロー怪獣ゴジラとして「怪獣プロレス」をメインに描いた、きわめて娯楽性の高いゴジラ映画がとうとうハリウッドでつくられてしまった。そして、興行通信社調べによるシネマランキングでも堂々初登場第1位に輝いた!――ちなみに2週目は案の定、ディズニーのアニメ映画『アラジン』(19年・アメリカ)に首位を奪われたものの、第2位には踏みとどまった――


 『シン・ゴジラ』以来、日本の特撮怪獣映画としてはゴジラは3年間も眠りつづけたままとなっている。日本における新作は2024年のゴジラ誕生70周年の際にでも製作しよう……なんて悠長(ゆうちょう)に構えていたら、またハリウッドに先を越されてしまい、海の向こうで公害怪獣ヘドラやサイボーグ怪獣ガイガン、昆虫怪獣メガロやロボット怪獣メカゴジラが復活してしまうかもしれない(笑)。
 巨大なイグアナがニューヨークの街をドタドタと走っていたハリウッド映画『GODZILLA』(98年・アメリカ)の時代ならともかく、ここまでやられてしまった以上は、本家の日本としてこのまま手をこまねいている場合ではなく、早急に次の手を打つべきではなかろうか?
 近年の仮面ライダースーパー戦隊ウルトラマンメタルヒーローなどで、バトルアクションを中心に描きつつも作品テーマや人間ドラマもきっちりと内包した作品を手がけてきた、海の向こうの『パワーレンジャー』(93年~・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080518/p1)上がりの坂本浩一監督あたりにでも、日本版の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を早急に実現させ、本家としてのゴジラの真価を世界中に見せつけてもらいたいものである。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年初夏号』(19年6月16日発行)所収『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』合評3より抜粋)


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