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上原正三の生涯を通じた日本のTV特撮&TVアニメ史! 序章・1937(生誕)~1963年(26歳)

(2024年4月14日(日)UP)
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上原正三の生涯を通じた日本のTV特撮&TVアニメ史! 序章・1937(生誕)~1963年(26歳)

(文・T.SATO)
(2021年7月脱稿)

上原正三の生涯をたどること = 日本のTV特撮&TVアニメの歩み!


 1970~80年代の日本のTV特撮やTVアニメで膨大な数の作品を産出してきた脚本家・上原正三が2020年1月2日に逝去された。


●1960年代後半の第1次怪獣ブーム時代における初代『ウルトラマン』に始まる、本邦日本特撮の雄・ウルトラシリーズ(66年~)などの円谷プロダクション製作の特撮作品。
●日本特撮のもう一方の雄である元祖『仮面ライダー』(71年)誕生時の企画会議にも関わり――その#1を執筆する予定もあった――、はるか後年の『仮面ライダーBLACK(ブラック)』(87年)や映画『仮面ライダーJ(ジェイ)』(94年)にも参画。
●1970年代前半の第2次怪獣ブーム時代における『シルバー仮面』(71年)や『スーパーロボット レッドバロン』(73年)に『スーパーロボット マッハバロン』(74年)などの宣弘社&日本現代企画(円谷プロの分派による会社)製作による巨大ヒーロー特撮。
●同じく70年代前半の第2次怪獣ブーム変じて「変身ブーム」となった時代における、マンガ家・石森章太郎(いしもり・しょうたろう)原作作品である『ロボット刑事』や『イナズマン』シリーズ(共に73年)などの東映等身大ヒーロー特撮。
●『鉄人タイガーセブン』(73年)や『電人ザボーガー』(74年)といったピー・プロダクション製作の等身大ヒーロー特撮。
●合体ロボットアニメの始祖であるマンガ家・永井豪原作の大ヒット作品『ゲッターロボ』(74年)シリーズや、人間搭乗型の巨大ロボットアニメの始祖である「マジンガーZ」(72年)と世界観を同じくするシリーズ第3作である『UFO(ユーフォー)ロボ グレンダイザー』(75年)に、東映オリジナル作品『大空魔竜(だいくうまりゅう)ガイキング』(76年)といった、東映動画(現・東映アニメーション)製作のロボットアニメの数々。
●変身ブーム(=第2次怪獣ブーム)が終了した70年代中盤においても、特撮ジャンル作品としては例外的に大ヒットを収めた元祖スーパー戦隊秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)と着ぐるみのマスコット的なキャラクターを主役に据えたホームコメディー『がんばれ!! ロボコン』(74年)の大ヒット。
●70年代後半における青少年層での宇宙SFブームの到来やマンガ家・松本零士(まつもと・れいじ)のSF漫画ブームとも連動したことで実現した、幼児受けする変身ヒーローが登場しないことによって単なる勧善懲悪ではない作劇をついに達成して、大マンガ家・手塚治虫(てづか・おさむ)が設立した虫プロが73年に倒産したことで流れてきたスタッフが主導権をにぎっていたことでも知られる東映動画作品『宇宙海賊キャプテンハーロック』(78年)。
●劇画原作者・梶原一騎(かじわら・いっき)の人気劇画の実写TVドラマ化作品である『柔道一直線』(69年)や、女性監督の許での少年野球を描いた『がんばれ! レッドビッキーズ』(78年)シリーズや女子バレーボールを題材とした『燃えろアタック』(79年)などのスポ根(スポーツ根性)路線などの東映製作の人気TVドラマの数々。


 他にも、手塚治虫マンガの実写化企画が変遷した果てに実現した巨大ヒーロー特撮『サンダーマスク』(72年)や、日本特撮の本家本元でもある映画会社・東宝が製作することでゴジラキングギドラガイガンなどのゴジラ映画の怪獣も登場した巨大ヒーロー特撮『流星人間ゾーン』(73年)。
 昭和の『仮面ライダー』シリーズのアクションを担当した大野剣友会が原作・下請け製作も担当した等身大変身ヒーロー『UFO(ユーフォー)大戦争 戦え!レッドタイガー』(78年)。
 1960~70年代に家庭用縫製ミシンの製造で隆盛を極めていたブラザー工業1社提供のTBS30分TVドラマ枠「ブラザー劇場」(64~79年)においての現代劇作品と「講談」由来の時代劇作品への参画。
 80年前後からはじまるスーパー戦隊シリーズの再立ち上げや、『宇宙刑事ギャバン』(82年)にはじまるいわゆるメタルヒーローシリーズは云うに及ばずだろう。


 上原正三の軌跡をただ単に芸もなくなぞるだけでも、日本のTV特撮やTVアニメとその周辺ジャンルの歴史、ジャンル内ジャンルの誕生・分岐、そして同時代の大人気マンガ家、製作会社の監督や同僚の脚本家たち、TV局側の担当プロデューサーといった才人たちとのコラボ、各製作会社の栄枯盛衰、1960~80年代の日本の時代の空気、当時の子供間での流行の変遷といったものまでもが、大づかみで把握ができてしまうほどである。


上原正三の作風・作家性とは「沖縄」出自に起因するだけのものなのか!?


 もちろん、特定個人を「個人崇拝」のように持ち上げるのは筆者の好むところではないし、氏にとってもそれは決して本意ではないだろう。よって、上記の作品群のすべてを上原正三ひとりの業績とはしない。
 上原と同様に同時代に実に膨大な作品群を産出してきたジャンル系の脚本家としては、辻真先(つじ・まさき)や高久進(たかく・すすむ)や藤川桂介(ふじかわ・けいすけ)などもいる。
 しかし、辻はTVアニメ中心で特撮作品への参加は少なく、高久も東映作品が中心で円谷特撮にはほぼ参加はしていない。藤川も東映特撮への参加が少ない。
 そうなると、ウルトラ・ライダー・戦隊・ご町内コメディー特撮・合体ロボットアニメ・松本SFアニメ・スポ根モノといったビッグタイトルに始祖の立場で関わってメインライターまで務めた上原の業績をたどることで、期せずして大状況まで俯瞰(ふかん)ができてしまうのだ。


 むろん、企画段階から上原が相応に関わっていた作品もあれば、TV局のプロデューサーが主導権を握っていた作品、製作会社のプロデューサーが企画した作品、アニメ製作会社の演出陣が主導権を握っていた作品、そもそも上原が#1などの基本設定確立編を担当はしなかったものの途中参加のサブライターや実質メインライター、最終展開も担当して、職人芸的にその作品らしいエピソードを多数ものしてみせたこともある。



 それらの作品群を総合的・俯瞰的に振り返ってみて、改めて個人的には以下のようにも思う。


 70年代初頭までのウルトラシリーズを中心とした円谷特撮での担当脚本回でのイメージから、80年代初頭以降に付与されるラテン的・南洋の楽園的なイメージとしての「沖縄」ではなく、それ以前の辺境の地としての「沖縄」出自にその作家性の源泉を求める上原論が80~90年代以降に隆盛を極めていった。
 それもまた決して間違いではないのだが、しかしそのような「中心」と「周縁」間でのディスコミュニケーションというアングルだけでも、氏の担当作品のすべてを説明しきるのにはややムリがあるということだ。


 コレは決して上原への批判や先人による上原観への否定ではない。それらに相応の理を認めつつも、コレ見よがしの作家性の主張が強い作品群ばかりだったというワケでも決してなかったのである。


・「成長過程の悩める若者による甘酸っぱい青春ドラマ性」
・「荒野をさすらう哀愁あふれるヒーロー性」
・「悩める若者時代は卒業した洒脱なプロ集団による乾いたダマし合いのアイテム争奪戦や要人警護のスパイアクション」
・「複数のメカ怪獣や大要塞による物量攻防劇」
・「ホームコメディー」
・「少女ファンタジー
・「熱血スポ根」


 実に多彩で多種多様な作風の作品を産出してきた御仁でもあったのだ。そして、それこそが上原が真の意味で優れた作家であったことの証明ですらあったと思うのだ――もちろん、一方では多作な作家にアリガチな、自身の過去作に似たようなエピソードのリサイクルなども見られなくはないのだが――。


 90年代中盤には、「ボクも『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』を書いてみたい」などといった、子供向け番組卒業後の先輩・伊上勝(いがみ・まさる)が前者に、後輩・曽田博久(そだ・ひろひさ)が後者に、宣弘社や東映のプロデューサー人脈で参加していたゆえだろう、上原を「反体制・反権力の人」と規定していたマニア評論にとってはやや不都合な、杓子定規な尺度によっては権力側のヒーローとされてしまうTV時代劇の執筆も希望したりするような発言をマニア誌でしている。


 どのような人間に対しても当たり前のことなのだが、上原もまたひとつのモノサシでは測りきることができない複雑な御仁であり、筆者個人の見解とは異なる相貌を見せた上原についても、本稿では包み隠さず言及していきたい。
――『水戸黄門』は筆者の誤認かもしれない。少なくとも特撮雑誌『宇宙船』Vol.17(84年冬号)「特集 上原正三」インタビューではTV時代劇『必殺』シリーズを書いてみたいと発言――


上原正三と70~80年世代の子供たちの成れの果てのマニアへの影響!


 とはいえ、70年代前半の変身ブームが原体験で、もうオジサンでもある、いわゆるオタク第2世代にあたるイイ歳のオタクたちにとっての上原正三の存在はあまりにも大きい。
 だいたい後年に同人ライターになったような連中間ではよく聞く共通体験として、幼少時においてもうすでにマニア予備軍であり、子供ながらに漢字も読めないのにTV番組のスタッフ・テロップなどもすべて眼に焼き付けておこうとしてきたようなご同輩たちにとっては、氏のご尊名こそが初めて意識したジャンル作品における製作スタッフ第1号でもあったのだ――小学校の低学年で習うような画数の少ない漢字の名前であったせいもあるだろう――。


 そして決定的なことは、80年代に至って上記の世代が思春期・青年期に達した際に再視聴にて再発見された『帰ってきたウルトラマン』(71年)#33「怪獣使いと少年」というアンチテーゼ編の絶大なるインパクトと寂寥感ゆえといったところもあるだろう。


 ……話はややヨコ道にそれるが、1980年前後の束の間、成長してオトナになってもこのテのジャンル作品を鑑賞しつづけてもイイ、そしてそのことで侮られることがない世の中が到来するのやも! と期待に打ち震えたものだ。しかし、すぐにこのテのジャンル作品に拘泥することは若者間でもダサいこと、クラいことだとされてしまった80年代前半の急激な時代変化がかつてあった――まぁ、同世代内部における、後年でいうイケてる系からのその指摘もまた正論ではあって、まさに正鵠を射たモノではあったけど(笑)――。


 巷間(こうかん)云われるところの「80年安保の挫折」というヤツである。


 その80年代からでも30数年が過ぎた2020年代の今日となっては、『帰ってきた』の「怪獣使いと少年」に対して、我々が思春期・青年期に感じた絶大なるインパクトもまた、「沖縄」や「弱者」などへの憐憫や共闘を純粋に意味していたワケでも決してなかったようにも思うのだ。


 単に80年代に勃興する軽躁・狂騒的な若者文化の中ではウマく生きていくことができずに「弱者」や「少数派」として日々をかこって不全感に苛まれていた我々オタク青年たちの「自分、かわいそ、かわいそ」(汗)といった「自己憐憫」の情もまた相当程度に混ざっていた不純なモノでもあったのだと……。
 むしろ、その不純物こそが主成分ですらあり、まさにその不純な気持ちが混交・ブーストされたモノであったのかもしれない……といった30数年後の後出しジャンケンによる自己相対視も可能なのである――鑑賞・批評している側の問題であって、作家や作品の罪ではないことは、くれぐれも念のため――。


 そのようなマニアによるジャンル評論史の変遷や、鑑賞しているマニアの側の発達年齢に応じた受け取り方の変遷、そのようなもろもろの実に感慨深い記憶の数々とともにある氏を偲びつつ、上原の業績を主線・背骨として日本におけるジャンルの歴史なども微力ながらもこの機会に振り返ってみたい。


1937~50年・上原正三・生誕~子供時代


 上原正三は沖縄出身で1937(昭和12)年2月6日生まれ――早生まれなので実質、1936(昭和11)年度の生まれとなる――。1941(昭和16)年から終戦である1945(昭和20)年の年度までの小学校が国民学校に改称されていた時代、いわゆる「少国民」世代や「疎開児童」の世代でもある。


 この昭和10年前後生まれから昭和10年代生まれの御仁たちは、オタク第2世代の両親たちの世代でもある。


 マンガ家であれば、1938(昭和13)年生まれの石森章太郎や1933(昭和8)年度生まれの藤子不二雄(ふじこ・ふじお)や1938(昭和13)年生まれの松本零士などのいわゆるトキワ荘世代。
 アニメ作家であれば、1941(昭和16)年生まれの宮崎駿(みやざき・はやお)や富野由悠季(とみの・よしゆき)。
 プロデューサーであれば、1935(昭和10)年生まれの東映の吉川進(よしわか・すすむ)やフジテレビの子供向け番組全般を担当していた別所孝治(べっしょ・たかはる)。
 ジャンル系の俳優としては、初代ウルトラマンことハヤタ隊員を演じた1939(昭和14)年生まれの黒部進(くろべ・すすむ)やウルトラセブンことモロボシダン隊員を演じた1943(昭和18)年生まれの森次晃嗣(もりつぐ・こうじ)だといえば、若い世代にとっての理解の補助線にもなるだろうか?


 上原の生年である1937(昭和12)年は日中戦争が勃発した年である。世界に眼を向ければ、その2年後の1939(昭和14)年には欧州でも第二次世界大戦が始まっている。さらにその2年後の1941(昭和16年)には日米間で太平洋戦争も開戦。
 オジサンオタクたちの父母の世代はちょうど上原と同世代にもなる。若いオタクたちにとっては祖父母の世代であろう時代に、500年前の南欧主導による大航海時代の北米・南米・アジア・アフリカ地域の植民地化、もしくは19世紀にはじまる欧州各国による帝国主義の時代の最終形として、日本を含む世界各国やその植民地が複雑に入り乱れて総力戦を展開した不幸な時代に、上原やその同世代の御仁たちは子供時代を過ごしたのであった……。


 沖縄では20万人、日本本土でも1日で10万人が死亡するような空襲や原爆、世界の各地でも戦災による大量死が発生した不幸な時代がたかだか75年ほど前にはあったということでもある。


――余談だが、一挙に世界平和が到来しない以上は、たとえ紙切れ1枚の条文であっても、1907年の第2回万国平和会議で採択した国際法規「ハーグ陸戦条約」に日本も含む当時の先進各国がすでに批准済だったのであるから、民間に被害がおよぶ攻撃一般は「戦時国際法違反」であったのだという批判で国際法に血肉をやどらし外堀を埋めていくかたちで世界平和に接近していく方法もあるのではなかろうか?
 しかし、1991年の湾岸戦争・2001年のアフガン紛争・2003年のイラク戦争では、第2次大戦・1950年代の朝鮮戦争・60~70年代のベトナム戦争のような一度に数万人が死傷するような大規模戦闘は回避されている(そのような事態があれば世界中、当事国であるアメリカでさえも「過剰攻撃だ!」として反戦運動が高まるからだろう)。
 その意味では人類社会は微々たるものではあっても前進しているのだとも思うのだ――


 上原自身も終戦前年の1944(昭和19)年である小学2年生時に、当時は日清戦争(1894年)で割譲されて日本の統治下にあった台湾へと一時避難後、沖縄へと戻る途中で、アメリカ潜水艦による魚雷攻撃によって疎開児童800人近くが犠牲となった「対馬丸(つしま・まる)事件」の一歩手前のような状況での漂流を家族で経験。鹿児島に漂着して熊本県での疎開生活を送ったことで、終戦の年度であり小学3年生時分であった1945(昭和20)年の主に4~6月にかけての「鉄の暴風」といわれた「沖縄戦」には遭遇せずに済んでいる。
 終戦の翌年である小学4年生に進級した1946(昭和21)年に帰郷。その後の小中学生時代は沖縄で過ごしたことになる――中学3年生時分が1951(昭和26)年度――。この間のアメリカ占領下にある沖縄でもタフに明るく米軍相手にイタズラもして生きてきた子供時代は、晩年の自伝的な小説『キジムナーkids(キッズ)』(17年)で推し量ることができるだろう。


1952~54年・上原正三・高校生時代


 氏の高校生時代が1952(昭和27)年度~54(昭和29)年度。1952年は前年に署名されたサンフランシスコ講和条約が発効して沖縄ほかを除く日本本土が独立を回復して、公職追放にあっていた日本特撮の父・円谷英二つぶらや・えいじ)が東宝に復帰。
 俗にいうチャンバラ禁止令も撤回されて時代劇が製作できるようになった年でもあり、1954年は云わずと知れた日本における怪獣映画の元祖『ゴジラ』が公開された年である。


 略歴によればこの高校生時代に、当時としては画期的な作りであった西部劇の名作『シェーン』(53年)に遭遇して感銘を受けたそうである。アメリカの西部開拓時代における先発の牧場主と後発の開拓農民との土地争いに、外界からの流れ者、民俗学でいうマレビト(希人)である異能のガンマンが事態に介入して去っていく……。上原が多感なころにヒーロー活劇に感銘を受けていたことは興味深くて示唆的である。


 超人や改造人間や宇宙人などのヒーローが勃興する以前における、ナマ身の人間ではあるが卓越者ではあったガンマンや剣豪などの西部劇や時代劇におけるヒーロー。我々オタクたちが執着している変身ヒーローの元祖とは彼らのことでもあるだろう。
 しかし、後代の幼少時の我々オタク世代は超人ならぬナマ身の人間に過ぎないガンマンや剣豪たちのことを憧憬対象としてのヒーローだとはあまり認識しなかったことも想起する。皮肉にも内外で西部劇や時代劇といったジャンルが衰退していった一因は、我々が愛する超人ヒーローの勃興にあったのではなかろうか?
――長じてから変身ヒーローの変化球や祖先としての西部劇や時代劇の再評価や研究に傾斜していく特撮マニアも相応にいるのだが、ある意味でそれはすでに手遅れの考古学や罪滅ぼしの鎮魂歌のようなものに過ぎないやもしれない――


 なお、この『シェーン』は、アメコミ(アメリカンコミック)ヒーローである『Xメン(エックスメン)』(63年)の洋画シリーズ(00年~)のパラレル番外「いきなり最終回」(汗)でもあった、一時は相応数が誕生していたミュータント(突然変異)が誕生しなくなり、絶滅寸前の危機にある老いて衰えたXメンたちを、トランプ大統領下のアメリカ風刺もカラめて描いたシブめのヒーロー洋画『LOGAN/ローガン』(17年)でも、そのストーリーの下敷きの一部とされて、劇中でも安宿の個室の中でのTV放映のかたちで引用されている。


1955~63年・上原正三・大学生~沖縄雌伏時代


 氏は大学進学率が全国的にも1割に満たないような時代に、浪人はしているので1956(昭和31)年度~59(昭和34)年度であろう。中央大学に進学して上京も果たしている。その意味では沖縄のみならず本土基準で考えても相当のインテリ・エリートではあって、当時の沖縄人や日本人の平均ではなかったかもしれない――沖縄人の平均ではないから沖縄の純粋な代弁者たりえない、などと云っているワケではないので念のため――。


 氏の在学中の1958(昭和33)年には、国産TVヒーロー第1号『月光仮面』がスタート。続けて、『月光仮面』を製作した広告代理店・宣弘社による『遊星王子』(58年)。『月光仮面』の後番組であった白装束姿や獣面のヒーロー『豹の眼(ジャガーのめ)』(59年)。『月光仮面』の原作者でもあり、映画脚本・歌謡曲の作詞家・政治評論家としても高名であった、1920(大正9)年生まれの川内康範(かわうち・こうはん)を東映でも原作者に据えたかたちで、シリーズ後半では後年1970(昭和45)年にJAC(ジャパン・アクション・クラブ)――現・JAE(ジャパンアクションエンタープライズ)――を設立する1939(昭和14)年生まれのアクション俳優・千葉真一(ちば・しんいち)が主演を務めていた『七色仮面』(59年)。同作と同じく千葉が主演していた後番組『アラーの使者』(60年)、川内の手を離れたさらなる後番組『ナショナルキッド』(60年)。


 実は『月光仮面』の前年1957(昭和32)年にも、アメリカン・コミックスの『スーパーマン』(38年)を模して、のちの名優・宇津井健(うつい・けん)が主演していた顔出しの宇宙人ヒーローではあったものの、映画『スーパージャイアンツ』シリーズ9作品(~59年)が大ヒットを飛ばしている。
 同57年には、名マンガ家・桑田次郎が描いた、仮面ライダーサイクロン号のようなバイクを駆って二丁拳銃で戦った、少年新聞記者が変装したアイマスクの覆面ヒーロー漫画『まぼろし探偵』も登場。59年にTVドラマ化、60年に映画化もされて、同作も相乗効果で大ヒット作となったそうだ。顔出しだがバイクを駆るヒーローとしては、『少年ジェット』(59年)もほぼ同時期に放映されて人気を博している。
 顔出しの超人ヒーローを含めるのであれば、人型ロボット『鉄腕アトム』実写版(59年)や、太古に海底に没した大陸の末裔である科学王国から来た『海底人8823(ハヤブサ)』(60年)なども放映されている。
 この1958~60年のわずか3年の間に、いわば「第1次TV特撮ヒーローブーム」とでもいったムーブメントがあったというべきであろう。世代的には、終戦直後(1945(昭和20)~50(昭和25)年)生まれの「団塊の世代」から、いわゆるオタク第1世代の一番上の層(1955(昭和30)年)までが、これらの作品の直撃世代といえるだろう。上原も手掛けた『ウルトラマンエース』(72年)の主人公青年・北斗を演じた1946(昭和21)年生まれの俳優・高峰圭二も、北斗が白いマフラーを巻いているのは『少年ジェット』からの着想でスタッフに直談判して実現したものだったと証言している。



 なお、大学受験での上京時に「沖縄差別があるので出自を隠してほしい」と叔父から依頼されたり、大学合格後の下宿への引っ越し時に「琉球人はお断り」と拒絶されたのはこのときのこととなる。


――補足をしておくと、80年代初頭になるや、享楽的な若者文化の隆盛とともに、水着美女を配した観光カタログやTV-CMなどとともに、沖縄には南洋の楽園的なイメージが少なくとも往時の若者たちに対しては上書きされることで、地位は相当に高くなっている。
 むしろこの時点では、タレントのタモリが平日正午のバラエティー番組『笑っていいとも!』(82年)で執拗にネタにしたことによって、埼玉をはじめとする北関東や東北地方などが、クラくてダサい位置におとしめられていった。そして、後年のようにそれを受けとめて機転を利かせて自虐的な笑いで返してみせるような流儀・振る舞い方もまだ確立できてはおらず、ただ卑屈な笑いで耐え忍ぶしかないような状況があった。
 筆者個人はそういった差別的なお笑いはキライではあったものの、内心ではどうであったかはわからないが、オモテ向きには当時の級友や若者たちのほとんどはそういったお笑いに爆笑をキメこんでおり、実に嘆かわしい時代が到来したものだと失望していたものだ――


 時折りしも60年安保を控えた時期だが、上原は学生運動には参加していなかったようであり、映画研究会のシナリオ部に所属。
 実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)監督の著書『夜ごとの円盤 怪獣夢幻館』(88年2月29日発行)収録「ウルトラマンを作った男――金城哲夫」(初出『潮(うしお)』82年6月号)での実相寺の聞き語りでは、のちに初期『必殺』シリーズなどのあまたのTV時代劇の脚本家として活躍する国広威雄(くにひろ・たけお)主宰「おりじなる」の同人として、沖縄戦や米軍基地問題をテーマとした脚本を書きためていたとのこと。


――60年安保も国民的な運動なのだが、同年の衆院選では政府自民党が300議席目前を獲得。中高卒である機動隊の隊員たちにとっては自分たちこそ労働者、学生こそブルジョワだと感じていたという証言も残っていることから、複眼的に観る必要もあると思うのだが――


 大学卒業後に肺結核の療養で帰郷して、25歳である1962(昭和37)年に叔母の引きで、のちに第1期ウルトラシリーズのメインライターとしても大活躍する同郷の金城哲夫(きんじょう・てつお)と出逢う。金城の自主映画『吉屋チルー物語』の編集の最中で、のちに光学合成の第一人者になる中野稔(なかの・みのる)も同席していたそうだ。
 翌1963(昭和38)年にも金城プロデュースでお蔵入りとなったTV局・TBSでの放送を目指していた、沖縄が舞台である刑事モノのTV映画『沖縄物語』の制作進行・助監督も務めたとのことだ。



(以下、順次アップ予定!)


1963年・上原26歳『ウルトラQ』始動

1964年・上原27歳『収骨』

1965年・上原28歳『ウルトラQ』参画

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1966年・上原29歳『ウルトラマン

1966年・上原29歳『快獣ブースカ

1967年・上原30歳・第1次怪獣ブームの時代

1967年・上原30歳『ウルトラセブン

1967年・『セブン』#17~モロボシダンと薩摩次郎

1967年・『セブン』「宇宙人15+怪獣35」

1967年・『セブン』橋本洋二&「300年間の復讐」

1967年・『セブン』後半の低落をどう捉えるか?

1968年・上原31歳『怪奇大作戦

1968年・『怪奇』#16「かまいたち

1969年・上原32歳『柔道一直線

1969年・『青春にとび出せ!』『オレとシャム猫』『どんといこうぜ!』

1969~70年・『彦左と一心太助』『千葉周作 剣道まっしぐら』

1970年・上原33歳『チビラくん』『紅い稲妻』~『仮面ライダー』前夜


(初出・特撮同人誌『『仮面特攻隊2021年号』(21年8月15日発行)所収『上原正三・大特集』「上原正三の生涯を通じた日本のTV特撮&TVアニメ史① 1970年まで」より抜粋)


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『発表! 全ウルトラマン大投票』 ~第2期ウルトラ再評価の達成!? 番狂わせ!? ウルトラ作品の評価軸の多様化!

(文・久保達也)

*第2期ウルトラシリーズ再評価のようやくなる達成!?


 2022年9月10日(土)22時から翌日午前0時にかけて、BSデジタル放送「NHK-BS(エヌエイチケイ・ビーエス)プレミアム」で『発表! 全ウルトラマン大投票』なる特番が2時間にわたって放送された。


 20世紀のむかしから――といっても、70年代末期に発行された本邦初の青年マニア向け出版物における記述以降――、2000年代前半あたりまでは、この手の人気投票企画を実施すれば、


●第1期ウルトラシリーズ(『ウルトラQ(キュー)』(66年)・初代『ウルトラマン』(66年)・『ウルトラセブン』(67年)が「頂点」!
●第2期ウルトラシリーズ(『帰ってきたウルトラマン』(71年)・『ウルトラマンA(エース)』(72年)・『ウルトラマンタロウ』(73年)・『ウルトラマンレオ』(74年))が最底辺の「ドン底」!
●平成ウルトラ3部作(『ウルトラマンティガ』(96年)・『ウルトラマンダイナ』(97年)・『ウルトラマンガイア』(98年))が再度の「頂点」!


といった結果になっていたことであろう。それが往時の特撮マニア間でのウルトラシリーズに対する最大公約数的な見解でもあったからだ。そして、「本邦国産SF特撮の最高傑作」(汗)として『ウルトラセブン』が従来どおりに第1位となっていたことであろう。


――厳密には、80年代の中盤には特撮評論同人界では、第2期ウルトラシリーズの再評価ははじまっていて、それが特撮雑誌『宇宙船』(80年~)の同人誌コーナーなどでは紹介されていた。しかし、我が身の非力さを嘆(なげ)くばかりではあるけれど、それらの知見が一般(?)のマニア層にまで大きく還流していくことはなかったのであった(汗)――


 しかし今回の企画では、永遠の第1位かと思われていた『ウルトラセブン』がトップの座からは陥落(かんらく)して、第2位となってしまったのだ!


 初代『ウルトラマン』に至っては、第5位にとどまってもいる! VTRインタビューで、初代『マン』の主人公・ハヤタ隊員を演じた黒部進(くろべ・すすむ)氏はこの結果に冗談まじりに不満を呈していたほどであった(笑)。


 今回の投票企画の結果は、「作品」ではなく「キャラクター」、「ウルトラヒーロー」としての「ウルトラマン」の人気投票であったので、ウルトラヒーローが登場しない元祖『ウルトラQ』は含まれてはいない。
 しかし、「ゲストヒーロー」や作品中で「2号ウルトラマン」として登場したキャラクターではなく、「看板作品を背負っているヒーロー」に対しての人気投票である場合は、そこにはおのずからヒーロー単体としての魅力だけではなく、「看板作品全体に対する好悪や評価」が半ば以上に含まれてしまっていることであろう。
 つまり、実質的には「キャラクター」のみならず「作品」それ自体に対する人気投票といった気配も濃厚になってきてしまうのだ!


 そして、筆者のようなロートル世代からすれば驚愕(きょうがく)の結果であったのが、我が愛しの高く評価もしてきた「昭和」の第2期ウルトラシリーズの各作品が、最底辺の「ドン底」にはランクはされてはいなかったことなのだ! どころか、第10位前後~10位台の前半にそろってランクインまでしていたのであった!


●9位  ウルトラマンタロウ
 (『ウルトラマンタロウ』(73年))
●11位 ウルトラマンエース
 (『ウルトラマンA(エース)』(72年))
●13位 ウルトラマンジャック
 (『帰ってきたウルトラマン』(71年))
●14位 ウルトラマンレオ
 (『ウルトラマンレオ』(74年))


 「たかが10位台の前半にしか過ぎない!」などと侮(あなど)ることなかれ! ウルトラヒーローは「キャラクター」としては現在では約50人もいるのだ! 「看板作品」としてのカウントをしても約30作品も存在しているのである。


 つまり、ウルトラシリーズ全体の中でも、かつては酷評の憂き目に遭(あ)ってきた第2期ウルトラシリーズが、今では上位の存在だとして老若のマニア間では認知されていることのこれは証明でもあったのだ!


 対するに、マニア間での世評が高かった平成ウルトラ3部作は、第1位に輝いた『ウルトラマンティガ』はともかくとしても、


●12位 ウルトラマンガイア
 (『ウルトラマンガイア』(98年))
●17位 ウルトラマンダイナ
 (『ウルトラマンダイナ』(97年)


 上記のとおりで10位台にとどまってしまっている。往時のように第2期ウルトラシリーズをはるかに上回った高品質な作品なのだ! なぞといった評価にはなってはいない。むしろ、第2期ウルトラ作品とも同等、あるいはやや第2期ウルトラ作品の方が優勢! といった評価になっている印象さえをも受けるのだ。


――『ダイナ』が第17位にとどまったことに対して、『ダイナ』の主人公・アスカを演じていた、メインのコメンテーターとして登場していたつるの剛士(つるの・たけし)は「ナットクできない」などと苦言を呈していた……(もちろん、その場の空気を不快にさせない常識の範疇にて軽妙にではあったけど!・笑)。各作品に対する個人や筆者の好悪や評価は別として、作品の関係者かつ代表者としては、それくらいの自信を持って意気込みを見せてくれた方がよいであろう! といったことは付言はしておきたい――



 そして、筆者はこのランキング結果に「第2期ウルトラシリーズの再評価の達成」をようやくに見るのでもあった……。


――これ以上の評価の上昇はムズカしいことだろう。そして、これはそれなりに正当で妥当な評価でもあって、ついにそこに帰結したのだとも見るべきなのであろう。……長きにわたった戦いはついに終わったのであった!? 一部の狂信的な第2期ウルトラ擁護派も、逆効果になってしまうようなヒステリックな論法は今こそホコに収めて妥協をすべきところではなかろうか?(汗)――


*平成ウルトラ3部作の『ダイナ』『ガイア』よりも、『コスモス』『ネクサス』が上位にランクの意味!


 さて、この投票が行われた2022年といえば、巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ(95~21年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)の監督として広く知られる庵野秀明(あんの・ひであき)氏が初代『ウルトラマン』を再構築した映画『シン・ウルトラマン』(22年・東宝https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220618/p1)の大ヒットが記憶に新しいところだ。
 投票期間の2022年7月中旬から8月中旬は『シン・ウルトラマン』の公開から数ヶ月を経た時期であり、その大人気の余波がいまだ冷めやらぬころであった。


 その最中に行われた投票でもあったのに、日本人の大半に広く知られているかと思われる初代ウルトラマンが、「ウルトラヒーロー」部門のランキングで首位どころかベスト3(スリー)にも入らず、第5位にとどまってしまった事実に驚愕した人もきっと多かったことだろう。


 「ウルトラヒーロー」部門にかぎらず「ウルトラ怪獣」部門にしろ「ウルトラメカ」部門にしろ、「平成」時代のウルトラマンシリーズ、あるいは「ニュージェネレーションウルトラマン」と呼称されている2010年代以降のウルトラマンシリーズに登場したキャラクターやメカの数々が、まさに「昭和」のウルトラマンを圧倒するほどに大躍進をとげていたのだ。



 本企画で投票した人々の世代別の割合を見ると、以下のとおりであった。


●19歳以下  (10代)(2003年以降生まれ)      21.6%
●20歳~29歳(20代)(1993年~2002年生まれ)  32.6%
●30歳~39歳(30代)(1983年~1992年生まれ)  16.9%
●40歳~49歳(40代)(1973年~1982年生まれ)   8.2%
●50歳~59歳(50代)(1963年~1972年生まれ)  15.3%
●60歳以上  (60代)(1962年以前生まれ)       5.3%


 私事で恐縮だが、西暦2000年生まれの甥(おい)は、4歳で『ウルトラマネクサス』(04年)、5歳で『ウルトラマンマックス』(05年)、6歳で『ウルトラマンメビウス』(06年)を観て、地球人側の防衛組織のスーパーメカに夢中になって、2022年現在はもう就職して働いてすらいる。そんな世代がすでに立派な社会人となっているワケである。


 世代別では、インターネット・ネイティブでもあるこの「20代」が全体の3割以上を占めており、2位である10代を10%以上も引き離していて圧倒的に多い!
 この世代は、20代の上の方であれば1996年~1999年にかけて放映された『ティガ』『ダイナ』『ガイア』の平成ウルトラ3部作、20代中盤であれば2001年~2002年に1年半にわたって放映された『ウルトラマンコスモス』、20代の下の方であれば2004年~2007年にかけてTBS系列の中部日本放送が製作・放映した『ネクサス』『マックス』『メビウス』の直撃世代に該当している。


 しかし、その圧倒的な占有比率のワリには、第1位に輝いた『ティガ』などはともかくとしても、同じく世評は高い平成ウルトラ3部作の作品であった『ダイナ』や『ガイア』なども、10位以内にはランクインを果たしてはいないのだ。
 つまりは、20代の上の方や30代の世代は必ずしも自身が幼少期に遭遇した当時の最新作であった平成ウルトラ3部作には投票していなかったという分析もできるのだ(汗)――どういったキャラクターに分散投票がなされたのかについての分析は、後述していこう――


 むしろその逆に、平成ウルトラ3部作よりも子供人気のバロメーターともなりうるオモチャの売上・視聴率などではたしかに劣っており、当時の年長特撮マニア間での評価の方も必ずしも高くはなかった「怪獣保護」を唱えていたマイルドな異色作『ウルトラマンコスモス』の方が、『ダイナ』や『ガイア』よりも投票数が多くて、第10位にランクインすらしていたのだ!


 同様に、直前作である『コスモス』とは一転して、共生不可能な怪獣の根絶に振り切っていたシリアスにすぎる作品内容や、玩具の不人気によって放映当時は打ち切りの憂き目に遭ってしまった『ウルトラマンネクサス』も、『ダイナ』『ガイア』『コスモス』をすら上回って、第9位となっているのだ!


 世俗のもろもろの人気投票にかぎらず国政選挙などでも、その選挙結果の読み方は、単一のモノサシではなく、投票者の世代別割合・世代ごとの支持政党や無党派に無投票などの割合・男女差・地域差などなど、いかに複数の直線定規・直角のT字型定規・三角定規・分度器・巻き尺なども同時に駆使してみせて、より立体的・多角的で正確に深度を計ってみせるのかで、評者のセンス・見識・器量なども読者に試されてしまうものだ(汗)。
 おそらくは、「世代論」や「幼少時に遭遇したファースト・インプレッション・ヒーローが絶対である!」といった「神話」自体は、今でも相応には有効ではあっても、決して万能なモノサシなどではなかった! といったところが結論なのであろう。


 もちろん、世代人の方々で『コスモス』や『ネクサス』に対して無条件で思い入れのある方々に対しては非常に申し訳がないことだけれども、あの時代の空気を知る者としては、当時の子供たちの平均層に対して『コスモス』や『ネクサス』が圧倒的にウケていた……といった感覚・手応えなどもなかったものなのだ(汗)。
 だから、当時の世代人の子供たちの全員が、『コスモス』や『ネクサス』に投票していたとはとても思えないのだ。『コスモス』や『ネクサス』の世代人であるウルトラシリーズのファンではあっても、その投票先は必ずしも『コスモス』や『ネクサス』ではなかったのではなかろうか?


――世代人の全員がファースト・インプレッションのヒーロー作品に投票するのであれば、放映当時は『ネクサス』よりも人気があったハズである後番組『ウルトラマンマックス』(05年)の方が、『ネクサス』よりも上位にランクインしていたハズである。しかし、同作が20位以内にもランクインができなかったことが、「世代論」だけでも説明がしきれないことの何よりの証左にもなるだろう!――


 そんな異色作・変化球の作風だったがために、同時期に放映されていた平成仮面ライダースーパー戦隊シリーズには人気や商業面で負けており、リアルタイム世代にも支持層がウスかったかと思われるウルトラマンコスモスウルトラマンネクサスが、その世代の投票だけでベストテン入りを果たすことはムズカしかったことだろう。


 しかし、放映当時はともかく、たとえば後年のヒーロー大集合的な作品などでは、ウルトラマンタロウウルトラマンメビウスウルトラマンゼロウルトラマンゼットといった正統派のウルトラマンが勢ぞろいしている中に、ウルトラマンコスモスウルトラマンネクサスが混じっていた場合に、逆説的なのだが個性的で実に目立っていたりもするのだ(笑)。


 そして、そんな彼らを、後続の映像作品やライブステージなどの仮面劇のドラマの中であっても、そのキャラを立たせるためにか、コスモスの怪獣保護の「慈愛」の精神といった個性や、ネクサス(=ウルトラマンノア)の「神秘性」といった個性を、出典作品にも準拠して反復・強調してみせることで、その他のウルトラマンたちとは明確に異なる別格の個性を持った存在だとして描くことも実は多ったりもしてきたのだ。


――往時は不人気であった昭和の異色作である『ウルトラマンレオ』(74年)、昭和ライダーであれば『仮面ライダーアマゾン』(74年)なども、「異色作であった!」といったことだけでも目立っているのだが(笑)、それに加えて後年のシリーズ作品でも、彼らには別格の特別な扱いや役回りを与えてみせることが多いので、往時はともかく今となってはよけいに目立ってくることとも共通なのだった――


 そうなると、世代人ではない後続の若い世代の子供やマニアたちの方こそ、『コスモス』や『ネクサス』とは何ぞや!? といった興味関心を惹(ひ)かれてしまうといったことは、それが多数派・主流派ではなかったとしても相応の数で存在してきたことであろう。
 そして、そんなかつての不人気だった弱者もとい作品に対してこそ、「長いものには巻かれろ」といったメンタルとは真逆な「判官びいき」で妙に肩入れをしたくなってしまうというメンタルを持ってしまうような、気持ちがやさしい人間も、特にウラぶれたオタク人種(笑)たちの中には一般ピープルよりもはるかに高い比率で存在していることであろう。
 しかし、そんな不人気な存在こそをおもわず、悪平等(爆)ではあっても支持をしてしまうような、マイナー志向の好事家や悪食(あくじき)志向(失礼)のマニアたちのそんな気持ちも、我々のようなオタクであれば実によくわかる心理なのではなかろうか?


 けれど、だからといって、実際に『コスモス』や『ネクサス』に対して、筆者が一票を投じてみせるのかについては別なのだけど(笑)。それに「判官びいき」にしたいキャラクターや作品は人それぞれであって、その対象もまた人によってやはり別々のものにはなってしまうものであろうし。


――とはいえ、往時の毎夏の催事イベント『ウルトラマン フェスティバル2006』において、当時放映中であった『ウルトラマンメビウス』の役者陣も登板した「スペシャルナイト」に登場した、前作『ウルトラマンマックス』の2号ウルトラマンであったウルトラマンゼノンに対して、執拗に大声で応援していた子供がいたという話も聞いたことがあった。実際の劇中でのゼノンの扱いはヒドいものではあったけど(汗)、それであっても応援してみせたくなる健気な子供のその気持ちについてもイタいほどによくわかるのだ――


 つまり、世評やマニア間での平均的な評価は必ずしも高くはなかったのに(汗)、この手の人気投票企画では彼らのような不遇の弱者ヒーローにこそ「慈愛の精神」が発揮されてしまって(笑)、このような高いポジションにランクインされてしまっていたのではなかろうか!?


 その心意気は壮とすべしであっても、その意味では「作品批評」的な意味合いでは正当なランキングにはなってはいなかったのかもしれない。しかし、だとしても、2大異色作となっていた『コスモス』や『ネクサス』が高いランキングになったからといって、特撮マニアの巷間(こうかん)においても、


「今後の「ウルトラ」こそ、『コスモス』や『ネクサス』のような作品を目指すべきなのだ!」


などといった声がモクモクと盛り上がっているといったことなぞはまるでなくって、そのような意見は見掛けたことすらないのだ(笑)。ということは、これらの作品を推している彼らもまた、さすがに『コスモス』や『ネクサス』のような作品こそが絶対正義なのだ! などといったことまで主張するようには思い上がってはいないのだ! といった「読み方」も可能ではあるのだろう。


 『コスモス』や『ネクサス』といった作品の方向性それ自体は、自分たちの志向とも同様にウルトラシリーズの中では決してメジャーではありえない。自身は『コスモス』や『ネクサス』の世代人でもない。そして、ほかにも自分にとってのベストワンのウルトラヒーローやウルトラ作品は存在している。
 しかし、それでもオレはこの作品がまぁまぁスキだからあえて投票してみせる! などといった主張をしてみせるような若年マニアが相応の数で存在していたことが、この両作品の主人公ヒーローがベストテン入りを果たすことができたことの理由であったといった解釈も可能である!? などと思ったりもするのだ。



 なお、00年代中盤に放映された作品の中ではダントツのトップで、ウルトラマンメビウスもまた初代マンの第5位につづく第6位として、非常に高い人気を獲得できていた。
 『メビウス』については本放映当時の子供たちはもちろん、その「昭和ウルトラ」シリーズの直系の正統続編として製作されたことで、熱狂的な歓迎をもって年長マニア諸氏からも迎えられていたし、あの当時の2ちゃんねるの『メビウス』板も、『メビウス』や第1期ウルトラシリーズのみならず、全ウルトラシリーズを等しく愛する物知りたちが集ったウルトラシリーズ総合スレッド! といった様相を呈していたほどだった。
 『メビウス』を鑑賞して第2期ウルトラシリーズも改めて再評価するようになったといったという第2期ウルトラの世代人(爆)――70年代末期のマニア向け書籍の影響で、第2期ウルトラの世代人にも第2期ウルトラ酷評派は実は多かったのだ(汗)――、どころか第1期ウルトラの世代人の中にも少数派ではあるのだが、自身の子供たちによるマニアックではない実に素朴な反応(笑)から第2期ウルトラを容認するように変化していく流れも生じていたほどだったので、これもまた幅広い世代の支持を得ていた作品ゆえの実に妥当なランキングでもあるだろう。


 こんなところにも、単純な「世代論」だけでも決して測れない、作品人気の在り方が現われてもいたのだ。


――まぁ『メビウス』自体は、その作品世界の設定が「昭和ウルトラ」の直系だったというだけであって、その作劇術自体は「少年マンガ」的だったのであり、「昭和ウルトラ」での作劇術や作風ともまたそうとうに異なるものでもあったのだ。しかし、そんなことはドーでもイイ! エンタメとして面白ければそれでイイのだ!(笑)――


*初代マンを差し置いて、ゼロが4位! ゼットも3位に押し上げたZ世代が、タロウ&レオにも投票!?


 「20代」に次いで多いのは、2003年以降に生まれた「19歳以下」である。10歳未満の児童や幼児はあまり投票していないだろうことを思えば、実質的には「10代」、つまりは小学校高学年の10歳~高校卒業直後の19歳の世代だと解釈しておきたい。


 そして、この10代の世代であれば、2009年に公開された映画『ウルトラ銀河伝説』にはじまったウルトラマンゼロが主役の劇場映画やオリジナルビデオ作品、ゼロがホストを務めていた再編集番組『ウルトラマン列伝』(11~13年)、そして『ウルトラマンギンガ』(13年)にはじまる「ニュージェネレーションウルトラマン」シリーズなどといった、ほぼ毎年ごとに製作されてきた新作の「ウルトラマン」作品を観てきた世代でもあるだろう。


●3位  ウルトラマンゼット
 (『ウルトラマンZ』(20年))
●4位  ウルトラマンゼロ
 (映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー))
●7位  ウルトラマンオーブ
 (『ウルトラマンオーブ』(17年))
●15位 ウルトラマンジー
 (『ウルトラマンジード』(18年))
●16位 ウルトラマンエックス
 (『ウルトラマンX(エックス)』(15年))
●20位 ウルトラマントリガー
 (『ウルトラマントリガー』(21年))


 『ジード』『X』『トリガー』は、10位台の前半につけていた第2期ウルトラシリーズよりも下位にはなったものの、10位台の後半のランキングをキープできているのであれば、2010年代のウルトラマンシリーズ作品群も充分に健闘できている! といった分析をしてみせてもよいのではなかろうか!?


 筆者のような高齢オタクであっても、これらのニュージェネレーションウルトラマン作品を楽しんでいるような御仁はいるにはいるだろうが、我々の世代の中では決して多数派ではないであろう(汗)。よって、おそらくは2010年代のウルトラマン作品は2003年以降に生まれた若年層の「10代」が投票していたのだろう……といった見方では、まだまだ浅い!(笑)


 だいたいマニア連中とは、いつまで経(た)っても子供向けヒーロー番組を卒業ができないものだと相場が決まっているものだ(汗)。よって、2010年代のウルトラマンシリーズも熱心に観てきたマニア層とは、10代のみならず、その上の20代や30代のマニア層も同様ではあっただろう。つまり、このへんの世代が満遍なく2010年代のウルトラマンシリーズにも投票していたのだ! と解釈してもよいのではなかろうか!?


 そして、ある程度の予想はマニア諸氏にもついていただろうが、2010年代のウルトラシリーズにおける「先輩ウルトラマン」の役回りとして、ここ10年強のシリーズを牽引(けんいん)してもきたウルトラマンゼロが第4位! つい最近に放映されたばかりで圧倒的な大人気を誇っていたウルトラマンゼットに至っては、ゼロすら上回って第3位を獲得さえしていたのだ!


 この両者の非常に高い人気については驚かされるとともに、多くの特撮マニア諸氏も今となっては「妥当」であり「ナットク」であるとの想いを逞しくしているのではなかろうか? もうあとに残っているのは第1位のウルトラマンティガと第2位のウルトラセブンのみなのであって、第5位の初代ウルトラマンよりもこの両者は高い人気を獲得できてもいるのだ!



 その次に多い「30代」は、1990年代初頭生まれの30代前半であれば、20代の上辺とも同様に平成ウルトラ3部作の直撃世代にあたってはいる。
 しかし、先述してきたとおりで、第1位の『ティガ』はともかく、往時の年長マニア間では第2期ウルトラよりも高品質である! と評されてきた『ダイナ』と『ガイア』は実は10位以下にとどまっていたのだ(汗)。つまり、今となってはウルトラシリーズファンの多数派である彼ら20代の上辺と30代の下辺の世代については、必ずしもこれらの作品には投票していなかったことにもなるのだろう。それはナゼだったのであろうか?


 30代後半の世代がまだ子供時代であった1980年代末期~90年代前半は、テレビ東京系列で『ウルトラ怪獣大百科』(88年)にはじまるミニ番組『ウルトラマンM715(エム・ナナ・イチ・ゴ)』(90年)などが放送されていたころでもある。
 1990年には『ウルトラマンG(グレート)』(90年・バンダイビジュアル)、1993年には『ウルトラマンパワード』(93年・バンダイビジュアル)といった海外との合作がオリジナルビデオ作品としてリリースされ、30分のテレビシリーズの新作はなくとも「昭和のウルトラマン」を身近に感じられた世代なのだろう。


 その当時は現在とは違って地域によって差はあれど、地上波テレビでウルトラマンシリーズの再放送が早朝や夕方などに繰り返されていた。80年代末期はちょうど家庭用ビデオデッキが一般家庭にも普及しきったこともあって、彼らは往時に隆盛を極めていたレンタルビデオ世代でもあったのだ!



 ところで、第9位のウルトラマンタロウと第14位のウルトラマンレオについてのみ、投票の男女比や世代比が公表されている。


 タロウは、世代比では1位が世代人である50代で24.3%を占めているのだが、40代を飛ばしたところでのこの30代が2位として21.6%をも占めていたのだ!――20代も18.6%。10代も15.9%を占めている! しかし60代では4.7%と圧倒的に少ない(汗)――


 レオも、世代比では1位は世代人の50代で24.1%を占めているが、飛んでこの30代が3位として19.9%もの高い比率を占めているのだ!


 つまり、この平成ウルトラ3部作の直撃世代であっても――の中でも長じてから特撮マニアとして残ったタイプにとっては――、ウルトラマンタロウウルトラマンレオを支持しているようなマニアが相応の規模で存在している! といったことにもなるのだ。


 ちなみに、レオの投票世代比における2位は、この30代よりも下であって、『レオ』に対してもはるかに馴染みがないようにも見えてしまっていた20代の22.7%であった! さらにその下の10代でも4位として16.4%をも占めていた!
 これはやはり、『ウルトラマンメビウス』(06年)第34話『故郷(ふるさと)のない男』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061224/p1)における神懸かっていたレオ客演回。そして、その後続シリーズにおけるウルトラマンゼロの師匠としてのレオの再登場! それらの続編作品群でも「強者」としての大活躍! といった描写が連発されてきたことで、レオが魅力的に映ってきたがゆえの、彼の看板作品をまるごと含めた上での再評価の達成! といったところに起因するのであろう。
――タロウの高い投票比率ももちろん同様で、『メビウス』以降、そして2010年代のウルトラシリーズでも重要な役回りを演じてきたゆえであろう――


 しかし…… 「60代」では、タロウは4.7%、レオに至っては1.1%しか占めていない。いかに『ウルトラマンタロウ』や『ウルトラマンレオ』が第1期ウルトラシリーズ至上主義者たちから往時はモーレツな酷評の憂き目に遭ってきたか、そして彼らがいまだに『タロウ』や『レオ』のことを認めてはいなかったのだ! といったことを、読者諸氏も偲(しの)んでみてほしい(汗)。それを考えると今はまさに夢のようでもあるからだ(笑)。



 70年代前半の第2期ウルトラシリーズにリアルタイムで夢中になった、1963年や1964年生まれの50代の上辺であれば66~67年放映の初代『マン』や『セブン』もカジることができていて、1972年生まれの50代の下辺であって第2期ウルトラシリーズそれ自体はリアルタイムでは未体験ではあっても70年代末期の第3次怪獣ブームで第1期ウルトラ~第3期ウルトラシリーズまでのすべてのウルトラシリーズ作品を一応の等価なモノとして享受してきたような「50代」。
 そんな彼らよりも年下の「40代以下」の若い世代の方々の方がはるかに多数派を占めるに至ってしまった現在、もはやウルトラファンの間でも世代交代が完全に達成されてしまったのだと解釈すべきところだろう。


 よって、初代『マン』や『セブン』をリアルタイムで視聴してきた、すでに還暦(汗)を迎えてしまった「60代」の第1期ウルトラ世代の方々が今では少数派となってしまったことからすれば、「最近のウルトラマンはしゃべりすぎだ! 神秘性がなくなる!」などといったウルトラマンオーブダークノワールブラックシュバルツの嘆き(笑)に対しては過剰に耳を傾ることなく、最も支持をしてくれている世代に向けた番組づくりをすべきだろう。


*「空白の15年」に相当する40代の真相! それと、現行作の人気の高低に相関関係はアリやナシや!?


 さて、先に挙げた世代別割合で悪い意味で注目せざるを得ないのが、今回の人気投票における「40代」が占める割合がその前後の世代との比較で突出して低いことだ。30代や50代が占める比率のその約半分程度の数字しかないのであった。


 『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)の放映が終了した1981年3月~『ウルトラマンティガ』の放映が開始された1996年9月に至る15年半もの長期にわたって30分のテレビシリーズが途絶えてしまったことで、「ウルトラマンを知らない子供たち」が多く生みだされてしまったのだが、その過半を占めているのが2022年現在の40代なのだ。
 特に1970年代後半から1980年代初頭に生まれた現在40代前半の世代は、物心がついたときには『80』は終了しており、先述したテレビ東京のミニ番組がはじまるころにはすでに成長してヒーロー番組から足を洗う年頃に達していた場合も多かったことだろう。


 ただ、先にも述べたが、この世代もまた地上波テレビでのウルトラマンシリーズの再放送や、レンタルビデオの世代でもあったのだ。この世代のウルトラシリーズファンの絶対数自体は少ないのかもしれないが、それでも幼少時から夢中になって卒業もせずにマニアとして長じてくれたタイプの人種たちには、かなり熱心なタイプも多いようなのだ!(感謝!・笑)


 私事で恐縮だが、筆者が上京して東京に在住していた1989年5月~1994年12月までのわずか5年半の間にTBSでは、


●初代『ウルトラマン』が1990年・1992年・1994年
●『ウルトラマンタロウ』が1988年・1990年・1993年
●『ウルトラセブン』が1989年
●『帰ってきたウルトラマン』が1991年


に再放送されていた。そして、89年~93年にかけては開局間もない今は亡きBSアナログ放送局であったNHK-BS2でもアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(79年)を除いた昭和のウルトラシリーズが平日深夜枠や平日夕方枠で放送されていたのだ。BS受信機の方はまだまだ普及率が低かったので、そちらを観ていた子供たちは少なかっただろうが、それでもネットを徘徊していると、幼少期に観たNHK-BS2での再放送でウルトラシリーズに開眼したという世代人のことを散見する。


 それだけの頻度(ひんど)で行われていたらば、新たなファンも確実に生みだされていたことであろう。当時は存在していた新聞のテレビ欄の読者投稿欄などにも「子供が早起きして兄弟そろって観たがっていて、いつの時代も子供たちは変わらないものだなとは思うのだけど、さすがに早朝5時台の再放送はやめてほしい」といった趣旨のクレームが掲載されていたほどなのだ(笑)。


 2010年代のウルトラマンシリーズには深夜番組『ウルトラゾーン』(11年)から参加している田口清隆(たぐち・きよたか)監督が1980年生まれなので、まさにこの世代であった。監督も早朝や夕方ではなく深夜に再放送がされていた『ウルトラQ』『マン』『セブン』の再放送を親の目を盗んで観ていた悪い子供だったそうだ(笑)。似たような経緯で特撮マニアとして成長した同世代の人々もきっと多かったことであろう。


 だがその当時は、『キン肉マン』(83~86年・東映動画→現東映アニメーション 日本テレビ)・『北斗の拳(ほくとのけん)』(84~88年・東映動画 フジテレビ)・『ドラゴンボール』(86~97年・東映動画 フジテレビ)・『聖闘士星矢(セイント・セイヤ)』(86~89年・東映動画 テレビ朝日)などの「週刊少年ジャンプ」連載の人気漫画のアニメ化作品、70年代後半に発売されたお菓子のオマケのシールを母体とした『ビックリマン』(87年・東映動画 朝日放送)といったテレビアニメが子供たちの間では大人気となっていた時代でもある。
 特撮ヒーロー作品では、「スーパー戦隊」以外にも『宇宙刑事ギャバン』(82年・東映 テレビ朝日)にはじまる「メタルヒーローシリーズ」が継続して放映され、『仮面ライダーBLACK(ブラック)』(87年)と『仮面ライダーBLACK RX(アールエックス)』(88年)で「仮面ライダー」も一時的に復活を果たしていた時期であった。


 現在の一般層の40代にとってのヒーローといえば、やはりそれらの作品が主流であって、「ウルトラマン」を一応は知ってはいても最新作としての「ぼくらのウルトラマン」がつくられることがなかったことで、それらのアニメやヒーローほどには「ウルトラマン」に対して想い入れが強い人間はどうしても少数派になってしまったといったところだろう。



 社会の中核を占めており決定権を握れるようにもなっている40代のファン層がウスいことは、商業的な企画の決定においてはややよろしくはないことであろう。「ウルトラマン」の番組なり何らかの「ウルトラマン」関連の企画を通してみせたい場合に、世代人としての思い入れがあるか否かによってもその営業力はやや劣ってしまうこともあるだろうし、交渉された相手の方でも食指が動きやすいか否かといった相違によって、どうしても背中を押してくれる決断の相違といったものが生じてしまいがちになってしまうからだ。


 ただし、2010年代の「ニュージェネレーションウルトラマン」の知名度・浸透度が、「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」に比べて格段に低いことは、ウルトラマンを観てくれるような子供たちを育てている30~40代の世代もまた「ウルトラマン」をよく知らないから、あるいは想い入れがあまりなかったからだ……といった分析は俗説の類いにすぎるだろう。


 もしもそのような分析がホントウに正しいのであれば、80年代の「週刊少年ジャンプ」原作のアニメにしろ、90年代後半の『ポケットモンスター』にしろ、2010年代前半の『妖怪ウォッチ!』にしろ、その子供たちの両親の世代もまたそれらの作品を観ていたからである! といった理屈になってしまうからだ(汗)。そんなワケがないのだ。両親の世代や作り手側が子供であった時代には、「ジャンプ」も『ポケモン』も『妖怪ウォッチ』などもカケラも存在しなかったのだから(笑)。


 つまり、作品自体にパワーさえあれば、子供たちは大人の目を盗んででも、絶対に観たがるものなのだ。よって、残念ながら「ウルトラマン」――にかぎらず「仮面ライダー」でも「スーパー戦隊」でも――という作品・コンテンツそれ自体に、現在ではそこまでの子供たちの全員を無条件で吸引するような勢いはないのだともいえるのだ(汗)。


 しかし、作品・コンテンツの勢いとはいったい何なのか? ドラマやテーマといった作品の「質」のことなのか? カッコよさや爽快感といった「戦闘色」といったことなのか? おそらくそれらは魅力の一部であって、総体的に見れば違うだろう。どれもこれも大人になってから振り返ってみるに、大同小異の勧善懲悪ものである。


 強いて云えば、戦後の高度経済成長期やその余波で、科学やSFや重工長大な重化学産業などが輝いて見えた時代に、金属の銀色の輝きを持っていたロケットやコンビナートやメカなどにも通じて見えた銀色の巨大超人・ウルトラマンが、時代にマッチした新しいヒーローとして見えていただけだった……といったことにすぎない。
 ということは、子供の目から見て、作品の内容それ自体ではなく、意匠・パッケージが新しく見えている作品こそが「新しい!」と誤認(笑)されて大ヒットしているだけなのかもしれないのだ(汗)。


 そういった意味では、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」といった存在は、どうやっても「新しく」はなりようがない、日本の子供たちにとってもやや「既知」の今さらの存在にはなってしまっているのだ。


 つまり、原理的にも「ウルトラマン」や「仮面ライダー」といった古典の特撮ヒーローたちは、今後とも60年代後半の第1次怪獣ブーム~70年代末期の第3次怪獣ブーム、あるいは初登場時の『ポケモン』や『妖怪ウォッチ』に比肩する、児童間での大ブームが再燃する可能性は、作品それ自体の罪ではないものの、極めて困難ではある可能性も高いのだ(汗)。


 そうなると、子供番組のつくり方としてはやや邪道ながらも、細々とでも長生きができるように、子供層からマニア層からパパ・ママ層まで幅広くゲットして、そして子供たちが成長して親の世代になったときに自身の子供たちにも見せたい! あるいは見せてもイイか! そして関連玩具を買い与えてもイイや! といったことの敷居を少しでも下げさせるためにこそ(笑)、延々と商売をしていくといったことでもよいのだし、それがまた会社経営としても現実的な方策なのではなかろうか?


 「そんなウルトラマンであれば、いっそ滅びてしまえ!」といった意見にも一理はあるとは思う。しかし、それもまた寂しいでしょ?(笑) とにかく延命さえしていれば、間違って時には中ヒットや大ヒットを成しとげて、児童間や一般層での高い人気を獲得できる可能性もゼロではないのだし……


 そして、そういったことの成功例が、各作品を単独作品としては終わらせずに、同一世界での出来事だとしてユルやかに連続ドラマ性を持たせたり、時にはヒーロー大集合映画を挟んでいくことで、観客の興味関心を長期にわたって持続させることに成功して、2010年代には世界的な大ヒットを記録することになった、1960年代出自(爆)のヒーローたちのリメイクでもあったアメコミ(アメリカンコミック)洋画のシリーズなのである。


 2010年代の東映特撮やウルトラマンも、同じような路線を歩める可能性はそこかしこにあったとは思うのだ。そして、子供のみならずコアなマニア層も周辺のライト層をも興奮させて、もっと高い人気を特撮ヒーロー作品は獲得できていたとも思うのだ。
 しかし、正月の新旧2大ライダー共演映画や平成ライダー勢揃い映画とは異なり、毎春の『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』シリーズの映画はイマイチ・イマニの出来だったために不人気の果てにポシャってしまっていた。2代目・宇宙刑事たちが活躍して東映オールドヒーローたちともチームを組めるハズの「スペース・スクワッド」シリーズも継続には至っていない。このへんにも興行的な鉱脈があったハズなのに、そこに喰らいついて開拓していくようなセンスもある製作会社側のプロデューサーなり玩具会社側のプロデューサーがいなかったことが非常に残念でもあったのだ(汗)。


 そう。もう「ウルトラマン」や「仮面ライダー」といった「既知」のキャラクターでは、「目新しさ」といった要素はないので、その方面での単純な大ヒットは飛ばせないのだ。しかし、「既知」のキャラクターたちを組み合わせたりシャッフルすることで、時に単独のヒーローでは敵わない巨悪と戦わせたりすることでの連続性! といった要素でならば、この手のジャンル作品の古典ヒーローたちはまだまだ延命ができる可能性は高いのではなかろうか!?



 とはいえ、『80』~『ティガ』の間の「ウルトラマン」の新作テレビシリーズ未放映期間である「失われた15年半」はやはり、今ここに来て「ウルトラマン」にとっての逆風にはなっているだろう。


 しかし一方で、『ウルトラマンギンガ』以降のニュージェネレーションウルトラマンはたとえ放映期間は半年間ではあっても、かつてのような大赤字になって製作続行が危ぶまれている……などといったウワサは、平成ウルトラ3部作~00年代中盤までのウルトラシリーズの時代とは異なり、今ではいっさい聞こえてこないことも事実なのだ。これは素晴らしいことである。会社経営の成功でもあるのだ! 円谷一族の同族経営や失礼ながら高野・満田コンビによる経営では果たせなかったことなのだ。


 その意味では実質的にバンダイの傘下に入って、00年代中後盤にバンダイから出向してきた世代人プロデューサー・岡崎聖の往時の『メビウス』大人気の分析発言――せっかくの「昭和ウルトラ」の遺産もおおいに活用したことでの人気!――にもあったとおりで、玩具による収益向上も達成できるようにチューニング(調整)されたBS放送の『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』(07年)にはじまって、2013年に地上波でスタートしたニュージェネレーションウルトラマンシリーズもまた、2023年で早くも10年間も継続できていることになるのだ。


 それを思えば、したり顔の憂国(ゆうこく)の紳士気取りでエラそうに嘆いてみせる必要などはまるでなく(笑)、長期的にはいずれ風向きも変わってくることを軽やかに待っているだけでもよいのだろう。



 ところで、当番組の公式ホームページでは投票者の男女別比率も掲載されている。それによると、男性が78%、女性が18.5%、その他3.5%であり、男性の占める割合が圧倒的に高い。
 まぁ、これは当然といえば当然なのだが、筆者がリアルタイムで『ウルトラマンA』や『ウルトラマンタロウ』を観ていた当時は、ウルトラマンを好きだった女子がけっこういたものなのだ。今回の「ウルトラヒーロー」部門で第9位となったウルトラマンタロウだけは現在でも女性人気が高いようだが。


 単純には云えないが、仮面ライダースーパー戦隊に出演した若手役者のほとんどがブレイクしてドラマや映画に引っぱりだことなるのに対し、ウルトラマンの役者がそこまでいかないことが多いのは女性のファン層のウスさにも一因があるのだろう。
 「ウルトラマン出身」として注目が集まるのは役者の将来はもちろんのこと、ウルトラマンのブランド力を高めることの一助にもなるのだから、今後はもう少し女性層を意識した作風・展開とすることにも一考を要するべきだろう。


 とはいえ、主人公ヒーローをいっそのこと、女性のウルトラマンにしてしまえ! などといった極論などは主張できないであろう。思春期以降の青年マニア向けの作品であればともかく、男児がスーパーヒロインにベタに感情移入をすることは困難なのだし、あるいは男児であるからこそ本能的・性的にも気恥ずかしくなってしまって遠ざけてしまうであろうことは必定だからだ(笑)。そうなってしまっても本末転倒なのである。
 そういった意味では、『ウルトラマンUSA』(87年・89年日本公開・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100821/p1)や『ウルトラマンR/B』のように、3番手くらいに女性ウルトラマンが存在するのであれば、男児層でも抵抗感なく鑑賞してくれるのかもしれない。



 ちなみに、マニア諸氏にはご承知おきのことだろうし、NHKの公式ホームページ上でも半永久的にランキングのページは残るのだろうが、「ウルトラヒーロー」部門のランキングは以下のとおりであった。


 ここまでの論考も踏まえて、改めてそのウラ側にあるタテ糸やヨコ糸や歴史の拡がりまで含めて、その複雑多彩な興趣(きょうしゅ)を味わっていただきたい。


「ウルトラヒーロー」部門(以降、キャラクター名・初登場作品を列記)
●1位  ウルトラマンティガ
 (『ウルトラマンティガ』(96年))
●2位  ウルトラセブン
 (『ウルトラセブン』(67年))
●3位  ウルトラマンゼット
 (『ウルトラマンZ』(20年))
●4位  ウルトラマンゼロ
 (映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー))
●5位 (初代)ウルトラマン
 (『ウルトラマン』(66年))
●6位  ウルトラマンメビウス
 (『ウルトラマンメビウス』(06年))
●7位  ウルトラマンオーブ
 (『ウルトラマンオーブ』(17年))
●8位  ウルトラマンネクサス
 (『ウルトラマンネクサス』(04年))
●9位  ウルトラマンタロウ
 (『ウルトラマンタロウ』(73年))
●10位 ウルトラマンコスモス
 (『ウルトラマンコスモス』(01年))
●11位 ウルトラマンエース
 (『ウルトラマンA(エース)』(72年))
●12位 ウルトラマンガイア
 (『ウルトラマンガイア』(98年))
●13位 ウルトラマンジャック
 (『帰ってきたウルトラマン』(71年))
●14位 ウルトラマンレオ
 (『ウルトラマンレオ』(74年))
●15位 ウルトラマンジー
 (『ウルトラマンジード』(18年))
●16位 ウルトラマンエックス
 (『ウルトラマンX(エックス)』(15年))
●17位 ウルトラマンダイナ
 (『ウルトラマンダイナ』(97年))
●18位 ウルトラマンアグル
 (『ウルトラマンガイア』)
●19位 ゾフィー
 (『ウルトラマン』)
●20位 ウルトラマントリガー
 (『ウルトラマントリガー』(21年))



 ちなみに2019年にも、ウルトラシリーズ以外の円谷プロダクション製作作品も含めての「総選挙」企画が実施されており、その得票数の順番に翌2020年からマニア向けグラビア書籍『ウルトラ特撮PERFECT MOOK(パーフェクト・ムック)』が全40巻で刊行されている。NHKの「大投票」ともだいたい同様の結果が出ているという解釈もできるし、細部ではかなり異なる結果も出ている。マニア向け書籍にまつわる「総選挙」の投票者はややコア層に寄っており、NHKの「大投票」ではややライト層に寄っているのではなかろうか?
 いずれにしても、こちらでも第2期ウルトラシリーズの作品人気は高くなっている。2010年代の作品の中では『ウルトラマンオーブ』の人気が特に高いこともわかる――刊行時期的に2020年放映の『ウルトラマンZ』は投票対象には含まれてはいない――。しかしここでは、『ウルトラマンネクサス』と『ウルトラマンコスモス』の人気が高くはない結果となっていた。


 これはここ3年ほどで『ネクサス』&『コスモス』の再評価が急速に進んだのだ……といったことではさらさらないであろう(笑)。NHKの『全〇〇〇大投票』シリーズはたしかひとりあたり1日1票の投票が可能であって、日付をまたげば複数日にわたって複数日分の投票が可能であったハズである。ということは、自分にとっての№1のみならず、№2・№3・№4・№5といった作品にも投票が可能ではあるのだ。自身にとっての№1ではなかったものの、№2~№5といった作品としてであれば、『ネクサス』や『コスモス』といった異色作も好きである! もしくは、判官びいきで擁護したい! といった心理も可視化・吸収できる仕組であったことで、『ネクサス』&『コスモス』が『大投票』では上位にランクイン、『ウルトラ特撮PERFECT MOOK』では下位になっている……といった分析が妥当だろう。
 個々人のフェイバリット(お気に入り)の№1としては採択されないけど、しかし№2や№3としての人気ならば確保ができている作品は、その人気自体が可視化はされにくい。奇しくも、日付をまたげば1人で何票もの投票が可能だというザルな投票形式が、かえって各作の人気の度合いをより正確に現わせたようにも思うのだ――組織票があったのだとすれば、そうはいえないのかもしれないけれども(笑)――。


 多角的に状況を検討するための参考として、『ウルトラ特撮PERFECT MOOK』におけるvol.1~vol.28までの対象作品も列挙しておこう。


●vol.1 『ウルトラセブン
●vol.2 『ウルトラマン
●vol.3 『ウルトラマンティガ
●vol.4 『帰ってきたウルトラマン
●vol.5 『ウルトラマンメビウス
●vol.6 『ウルトラQ
●vol.7 『怪奇大作戦/恐怖劇場アンバランス』(68年・73年)
●vol.8 『ウルトラマンゼロウルトラギャラクシー大怪獣バトル
●vol.9 『ウルトラマンレオ
●vol.10『ウルトラマンA』
●vol.11『ウルトラマンタロウ
●vol.12『ウルトラマンオーブ
●vol.13『ミラーマン』(71年)
●vol.14『ウルトラマンガイア』
●vol.15『ウルトラマンジード』
●vol.16『電光超人グリッドマン』(93年)
●vol.17『ウルトラマンネクサス
●vol.18『ウルトラマンG/ウルトラマンパワード
●vol.19『ウルトラマンX』
●vol.20『ジャンボーグA(エース)』(73年)
●vol.21『ウルトラマン80』
●vol.22『ウルトラマンダイナ』
●vol.23『ウルトラマンマックス
●vol.24『ウルトラマンタイガ』
●vol.25『ウルトラマンR/B』
●vol.26『スターウルフ/プロレスの星 アステカイザー』(78年・76年)
●vol.27『ウルトラファイトレッドマントリプルファイター』(70年・72年・72年)
●vol.28『ウルトラマンコスモス



 2010年代のウルトラシリーズが放映開始される直前の2013年春にも、朝日新聞の「beランキング」シリーズで、ウルトラシリーズについての人気投票企画があった。2013年3月9日(土)朝刊に、『ぼくらのヒーロー「ウルトラ戦士」』名義にて掲載されたランキング結果の20位までのうち、トップ10までを紹介しておこう。マニア間で評価が高いウルトラマンティガが低位にあることから、こちらもガチなマニア勢ではなく、マニア間での評価などは知らない一般層かつ、やや高齢層の投票比率が多かったのでは? と思われるのだが、それはそれで興味深い結果となっていた。


●1位  初代ウルトラマン
●2位  ウルトラセブン
●3位  ウルトラマンタロウ
●4位  ゾフィー
●5位  ウルトラマンエース
●6位  ウルトラマンレオ
●7位  ウルトラの母
●8位  ウルトラの父
●9位  ウルトラマンジャック
●10位 ウルトラマンティガ


*「ウルトラ怪獣」部門で、バルタン星人が1位じゃない! ジャグラスジャグラーも2位!(爆)


 さて、「ウルトラヒーロー」部門での初代ウルトラマンの第5位もそうだが、「ウルトラ怪獣」部門であの宇宙忍者バルタン星人が第3位となったことにも驚いた人はきっと多かったことであろう。


 第1位が初代ウルトラマンを倒した最強怪獣である宇宙恐竜ゼットンであったことに対しては異論もないのだが、従来であればバルタン星人に次いでの第2位といったところだっただろう。


 バルタン星人といえば、少し前ならばウルトラ怪獣の中でダントツの知名度と人気を誇り、ウルトラマンにはくわしくない一般人でも誰もが知っているキャラクターとされてきたからだ。


 ただ、筆者もそうだったが、この結果に「ああ、やっぱりな」との感想をもらした人も少なからずいたかと思われる。


 初代『ウルトラマン』(66年)で計3回登場し、平日夕方の帯番組として放映された『ウルトラファイト』(70年)では造成地や海岸などでアトラクション用の怪獣たちと激闘を繰りひろげる「星人」名抜きの「バルタン」が登場!
 『帰ってきたウルトラマン』(71年)には初代バルタンの息子と名乗るバルタン星人ジュニアも登場。テレビアニメシリーズの『ザ☆ウルトラマン』(79年)でも登場したのにつづいて、『ウルトラマン80』(80年)にも計2回、それもどちらもチンピラ宇宙人(笑)として登場したバルタン星人は、「昭和」の作品群ではその人気の高さを反映して何度も再登場を果たしていた。


 だが、ビデオ販売作品や映画を除く「平成」のテレビシリーズでは『ウルトラマンマックス』に登場したのみであって、それ以降は映画『ウルトラ銀河伝説』でウルトラマンベリアルがあやつる100匹の大怪獣軍団の中の1匹として、映画『劇場版 ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン』(16年・松竹)でも導入部のイメージシーンとして初代マンと戦う描写がごく短く演出された程度だったのだ。


 周知のとおり、「ニュージェネレーションウルトラマン」では製作予算を軽減する手段として過去の人気怪獣を何度も使い回す手法がとられている。しかし、その中でもバルタン星人はただの一度も再登場はしていない。


 これとは対照的に今回の第1位となったゼットンは、「昭和」の時代では『帰ってきたウルトラマン』最終回(第51話)『ウルトラ5つの誓い』に2代目が登場した程度だったが、「平成」になると『ウルトラマンマックス』第13話『ゼットンの娘』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060315/p1)を皮切りに『ウルトラマンメビウス』・『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル』・『ウルトラ銀河伝説』と毎年のように立て続けに再登場を繰り返し、映画『ウルトラマンサーガ』(12年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140113/p1)ではハイパーゼットンなる新種も登場していた。2010年代のウルトラシリーズでも、『ウルトラマンギンガ』・『ウルトラマンX』・『ウルトラマンタイガ』に登場したきた。


 ゼットンはあまりに登場しすぎであって、初代ウルトラマンを倒したほどの強敵感が21世紀以降の作品ではなくなってしまっている! といった苦言もある。そういった意見もよくわかるし同意はするのだ。しかし、折にふれてゼットンが再登場していたことで、若い世代にとっても印象的になっているのだろう。そういったことを思えば、バルタン星人がゼットンに首位を奪われたのも必然だというべきだ。


 とはいえ、00年代の中盤以降、毎年のように再登場を果たしてきたゴモラ・キングジョー・エレキングなどよりも、一度も映像作品で本格的な参戦を果たしていないバルタン星人の方がいまだに高い人気を誇っているといった、先の主張とは明らかに矛盾が生じてしまっている現象については…… ご容赦を願いたい(笑)。


 先述した映画『シン・ウルトラマン』なども含めて、バルタン星人を登場させていない理由については、バルタン星人のデビュー作となった初代『ウルトラマン』第2話『侵略者を撃て』の脚本を千束北男(せんぞく・きたお)のペンネームで執筆して、同話の監督も担当したことでバルタンの生みの親として知られており、2021年にお亡くなりになられた故・飯島敏宏(いいじま・としひろ)氏の意向を尊重・忖度(そんたく・笑)しているからだとの見方が一部にはある。
 宇宙旅行中に発狂した科学者の核実験で母星を失ったことから住める星を求めて地球にたどり着いたといった悲劇的な背景や、映画『劇場版 ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT(ザ・ファースト・コンタクト)』(01年・松竹)や『ウルトラマンマックス』での再登場時(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060503/p1)に飯島監督が描いたように、地球人との友好関係を築(きず)ける可能性を秘めた存在としてバルタンを描くべきであり、単なる悪い宇宙人として描くことは好まない……などと90年代以降、生前の氏が語っていたことは確かなのだ。


 この氏の主張がそこまで尊重されるべきであったのかについては個人的には疑問である。たとえば、氏が描いたバルタン星人ひとつをとってみても、初代『マン』に登場した「生命」の概念を知らないSF的な存在であったのが初代バルタン星人であった。
 しかし、『80』に登場したベテラン脚本家・石堂淑朗(いしどう・としろう)先生が執筆されたチンピラ宇宙人(笑)としてのバルタン星人とはたしかに異なってはいたものの、90年代の氏による未映像化脚本や『コスモス』『マックス』などに登場したバルタン星人は、その正体が美少女であったりファンタジックな存在と化してしまっており、これもまたそうとうに初代バルタン星人とは別モノといってもよいくらいにイメージがちがいすぎるだろ!(笑)


 あまりにバルタン星人を自由に描けなかったことで、このようにトップから陥落してしまったと観て取ることは可能だろう。しかし、それでよいのであろうか? なにか本末転倒な事態が起きているのではなかろうか?


 かつては「卑怯もラッキョもあるものか!?」などといった迷言を年長マニアにはさんざんに罵倒されてきたメフィラス星人2代目が、今では一周まわって皆に愛されて、そのセリフまでもが映像本編でも引用されているように、バルタン星人もムズカしいことはともかく下品に哄笑してみせる大悪党キャラとして、あらためて「限りなきチャレンジ魂」を見せてほしいものである!(笑)



 しかし、「ウルトラ怪獣」部門の第2位が、『ウルトラマンオーブ』のライバル・キャラクターであった無幻(むげん)魔人ジャグラス ジャグラーであったというのには……


 これもまた、純粋な「怪獣・怪人」としての「変身後の姿」に対しての人気などではなくて、むしろ「変身前の人間態」の姿を演じていた青柳尊哉(あおやぎ・たかや)氏の人気、およびその怪演に対する評価だろ!(笑)


 第33位にはのちにウルトラウーマングリージョに変身できるようなる女子高生・湊アサヒ(みなと・あさひ)ちゃん、第73位にもグリージョ襲名の元となった永遠の17歳(爆)こと美少女・美剣サキ(みつるぎ・さき)ちゃん、第108位にも『マックス』の美少女型ロボット隊員・エリー、第117位に男女合体変身でウルトラマンエースに変身していた南夕子までもがランクインしている。彼女らを「ウルトラ怪獣」扱いしてもよいのであろうか?(爆)


 とはいえ、だからこそ、そこに入れても遜色がなかったどころか、バルタン星人をも上回ったジャグラスジャグラー人気の高さがわかろうとはいうものだ(笑)。


*「露出」を常に絶やさないことの重要性の是非!?


 ゼットンもそうだったが、「ウルトラヒーロー」部門でウルトラマンゼロ初代ウルトラマンの人気を上回る第4位、その宿敵として描かれてきた悪の黒いウルトラマンことウルトラマンベリアルも「ウルトラ怪獣」部門で第6位に輝いていたことも、繰り返して描きつづけることの重要性を示す結果だろう。


 ゼロのデビュー作となった映画『ウルトラ銀河伝説』はそこそこ注目された。しかし、翌2010年度はイベントでのアトラクションショーで活躍するのみでゼロが主演するテレビシリーズが製作されなかったり、宣伝の圧倒的な不足の影響も災いしてか、同年末に公開された主演映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦! ベリアル銀河帝国』は作品自体の質は高かったものの、興行的には大コケしてしまった。この時点ではゼロはヘタをすれば、映画限定のウルトラマンとして2本ぽっきりで忘れ去られてしまう危険性すらあったのだ。


 だが、先述した『ウルトラマン列伝』の枠内で放映された短編シリーズ『ウルトラゼロファイト』(12~13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140115/p1)での主演、そして映画『劇場版 ウルトラマンギンガS(エス) 決戦! ウルトラ10勇士』(15年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200404/p1)で新人のウルトラマンギンガとウルトラマンビクトリーを特訓する役回りを演じたのを皮切りに、『ウルトラマンX』(15年)でもその第5話『イージス 光る時』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1)で早々に助っ人参戦を果たして以降、「ニュージェネレーションウルトラマンシリーズ」では常に頼れる先輩ウルトラマンとして描かれつづけてきたのだ。


 それも、先述した映画『ゼロ THE MOVIE』で、いくつもの世界(宇宙)が並行して存在しているという、実際の物理学の理論でもあった多元宇宙(並行宇宙)=「マルチバース」の世界観が導入されて、ウルトラマンゼロがその中を自在に行き来する超能力をウルトラマンノアから授かったウルトラ戦士として設定されていたことも大きかったのだ。


――『シン・ウルトラマン』でもマルチバースに言及されており、それをアメコミ洋画『アベンジャーズ』シリーズ(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190617/p1)のマネだ! などとアメコミ洋画ファンが批判をしていたけど、映像作品としてはウルトラシリーズでの投入の方が先だったので念のため!(笑)――


 『ウルトラマンジード』ではジードとともにダブル主人公を務めて、『ウルトラマンZ』ではゼットが勝手に師匠(ししょう)としてあがめる存在として近年でも露出度が実に高かったウルトラマンゼロ。そして、そのゼロとも因縁(いんねん)が深い強敵としてゼロの登場作品でほとんどワンセットで扱われてきたといっても過言ではないウルトラマンベリアルが、いまやウルトラマンシリーズを代表する重要な存在にまで登り詰めている。
 そのことからしても、各作品ごとの一過性の興味で終わらせるのではなく継続させることで、各作の「ウルトラマン」の世界を関連づけて描いてきた「ニュージェネレーションウルトラマン」の作劇それ自体は正しかったことを象徴するものであろう。



 とはいえ、00年代中盤以降はほぼ毎年のように映像作品に登場して「露出」を常に絶やさないできたのに、かつてであればトップスリーには入っていたであろう、どくろ怪獣レッドキングは第22位にとどまってしまってもいる、筆者にとっては実に都合の悪い事実も発生している(笑)。同様に、2010年代以降はほぼ毎年登場してきたテレスドンネロンガ・ゴメス・グドンといった中堅人気怪獣に至っては100位前後ではあったのだ(汗)。


 しかし、筆者も読者諸氏も歳若いウルトラシリーズマニアであっても、これらのウルトラ怪獣のことが大スキであろう。そもそもウルトラ怪獣の総数自体が1000数百体以上にも達しているのだ。それを考えれば100位前後でも充分に人気怪獣なのである!


 だから、登場回数や観客に対する接触面積の多さも重要ではあっても、それだけでも決定打にはならない! といったところなのであろう。そのキャラクター単独での存在感! といった要素もまたデカいのだ。ここでもまたモノサシはひとつだけではなかったのであった。



 「ウルトラ怪獣」部門は200位(同点198位が3体)まで公表されている。参考までに20位までを列挙しておこう。


ウルトラ怪獣」部門(以降、キャラクター名・初登場作品を列記)
●1位  宇宙恐竜ゼットン
 (『ウルトラマン』最終回(第39話)『さらばウルトラマン』)
●2位  無幻魔人ジャグラス ジャグラー
 (『ウルトラマンオーブ』第1話『夕陽の風来坊(ゆうひのふうらいぼう)』)
●3位  宇宙忍者バルタン星人
 (『ウルトラマン』第2話『侵略者を撃て』)
●4位  古代怪獣ゴモラ
 (『ウルトラマン』第26話『怪獣殿下(前篇)』)
●5位  宇宙ロボットキングジョー
 (『ウルトラセブン』第14話「ウルトラ警備隊西へ(前編)』)
●6位  ウルトラマンベリアル
 (『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』)
●7位  幻覚宇宙人メトロン星人
 (『ウルトラセブン』第8話『狙われた街』)
●8位  宇宙怪獣エレキング
 (『ウルトラセブン』第3話『湖のひみつ』)
●9位  邪神ガタノゾーア
 (『ウルトラマンティガ』第51話『暗黒の支配者』)
●10位 棲星(せいせい)怪獣ジャミラ
 (『ウルトラマン』第23話『故郷は地球』)
●11位 虚空(こくう)怪獣グリーザ
 (『ウルトラマンX』第21話『美しき終焉(しゅうえん)』)
●12位 友好珍獣ピグモン
 (『ウルトラマン』第8話『怪獣無法地帯』)
●13位 ウルトラマントレギア
 (映画『劇場版 ウルトラマンR/B(ルーブ) セレクト! 絆(きずな)のクリスタル』(19年・松竹))
●14位 コイン怪獣カネゴン
 (『ウルトラQ(キュー)』(66年)第15話『カネゴンの繭(まゆ)』)
●15位 悪質宇宙人メフィラス星人
 (『ウルトラマン』第33話『禁じられた言葉』)
●16位 暴君怪獣タイラント
 (『ウルトラマンタロウ』第40話『ウルトラ兄弟を超えてゆけ!』)
●17位 イーヴィルティガ
 (『ウルトラマンティガ』第44話『影を継ぐもの』)
●18位 宇宙大怪獣ベムスター
 (『帰ってきたウルトラマン』第18話『ウルトラセブン参上』)
●19位 三面怪人ダダ
 (『ウルトラマン』第28話『人間標本5・6』)
●20位 完全生命体イフ
 (『ウルトラマンマックス』第15話『第三番惑星の奇跡』)



 定番の初代『マン』と『セブン』の人気怪獣に列伍して、


●2010年代の作品からは、『X』のラスボス怪獣である虚空怪獣グリーザ
●2000年代の作品からは、『マックス』に登場した強敵怪獣であった完全生命体イフ
●1990年代の平成ウルトラ3部作からも、『ティガ』のラスボス怪獣・邪神ガタノゾーア
●1970年代の第2期ウルトラシリーズからも、かつては往時の第1世代マニアに合体怪獣は邪道だとして酷評されてきたものの、下の世代からは高い人気を誇ってきた暴君怪獣タイラント、そして宇宙大怪獣ベムスター


 それら各時代ごとの人気怪獣たちが、かの第1期ウルトラシリーズ出自の人気怪獣レッドキング以上の順位でランキングされているのだ!


 ウルトラマンベリアルに比べて低人気だと叩かれがちな悪の青いウルトラマンことウルトラマントレギアも、ティガの偽ウルトラマンに相当するイーヴィルティガの第17位よりも高い、第13位にランクインされていたのであった!


初代ウルトラマンウルトラセブンウルトラマンティガの高人気をドー位置付けるべきか!?


 さて、初代『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』のリアルタイム世代を含んでいる60歳以上の投票比率が最も低かったのにもかかわらず、「ウルトラヒーロー」部門ではウルトラセブンが第2位、初代ウルトラマンが第5位と上位で健闘している。これは「40周年」「45周年」「50周年」「55周年」などとして5年周期で周年イベントが展開されてきたことで若い世代にも注目されてきたことが大きかった……
 といったことではおそらくなくて(笑)、この2作品の作風もまたそれぞれで異なってはいるものの、やはり後代のシリーズ作品と比べてみればシンプルではあっても、それゆえの普遍的な面白さがあったから……といったことにも尽きるだろう。


 しかし、それでは後続のシリーズ作品群には普遍的な面白さなどはなかったのだ……などといったこともまた云えないであろう。それぞれの作品に、それぞれなりの見過ごしにできない良さがあったと信じるからだ。


 その一方で、いつものことなのだが、2021年で「50周年」であった『帰ってきたウルトラマン』、そして2022年で「50周年」となった『ウルトラマンA』に関しては表立った動きはほとんど見られずに終わってしまっていて、非常に残念なのであった。


 『ウルトラマン80』が放映30周年を迎えた2010年には、CS放送・ファミリー劇場での再放送や同局での情報番組『ウルトラ情報局』なども含めて、「ウルトラマン80 30周年記念」といったロゴまでつくって一応はプッシュする動きなどもあった。おそらくは往時まだ円谷プロダクションに在籍していたらしき特撮ライター・秋廣泰生氏あたりの発案ではなかったかと憶測している。
 そして、結局はこのような動きは会社などではなくヒト・人材・人間力・プレゼン(テーション)力といったものでも決まるので、そのような企画をたとえ心の中で思っていたとしても、それを実際の行動に移せる御仁がいなければ実現しない! といったことなのでもあるのだろう――コミュニケーション弱者であることが相場である典型的なオタクでもある筆者が「どの口で云うのか?」といった話ではあるけれど(汗)――。



 よって、ウルトラマンティガが「ウルトラヒーロー」部門で第1位となったことは元々の人気の高さもあったのだろうが、2021年に放映「25周年」が派手にクローズアップされ、その世界観を継承したとされる新作の『ウルトラマントリガー』までもが製作・放映されたことも首位獲得に大きく貢献(こうけん)していたのだ……とも考えにくい。良くも悪くも『ティガ』は、本放映時から当時の年長マニア間では絶賛されてきており、その評価が途切れることなく継続されることでブランド化することに成功したのだともいえるだろう。


――ただし、筆者個人はそこまで『ティガ』が別格の優れた作品だったとは思ってはいない。個人的には2010年代のニュージェネレーションウルトラマンシリーズ作品の方がスキだし、「価値判断」としてはそちらの方に作品的な評価をしていたりもする(汗)。しかし、筆者の実に個人的な見解なぞはともかく、2022年時点での世評の大勢が『ティガ』を第1位として評価しているという「事実」そのものについては認めなくてはいけないのだ。個人としての「価値判断」と「事実」とは別々のものだという認識ができなければ、「分析」それ自体が「願望」へと堕してしまう、それでは近代的合理人・近代的自我の持ち主だとはいえない、未開の原始人にすぎないのだとも、20世紀初頭の社会学の中興の祖であるマックス・ウェーバーも云っていた(多少、誇張表現をしております・爆)――


 事実、ティガが第1位となって、VTR映像として『ティガ』最終章3部作の第1部である第50話『もっと高く! ~Take Me Higher!~』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961207/p1)の終盤における、女性隊員・レナが操縦する後部座席でダイゴ隊員がティガに変身する直前のシーンでのレナの独白シーンが流されて、昭和ウルトラや2010年代のウルトラシリーズにも非常に造詣が深い中堅声優・潘めぐみ(はん・めぐみ)氏は、同時に彼女にとっての最初の新作ウルトラマンが『ティガ』でもあったためでもあろう、このシーンの映像では人前をばかることなく滂沱(ぼうだ)の涙を流しつづけて止まらなくなって声を震わせていたのであった…… たとえ『ティガ』否定派であっても、こういった自分の価値判断とは異なるものとしての他人の作品に関しての好意表明に対しては、決して否定をしてはならないのだ。



 といったところで、当番組の司会者にもふれておこう。


 1990年代末期から2000年代に若者たちに人気があったボーカリストで、近年はアニメソングを多数歌唱していることでオタク層にも知名度の高い西川貴教(にしかわ・たかのり)氏と、NHKの局アナ・杉浦友紀(すぎうら・ゆき)氏。


 そして、「ウルトラマンシリーズゲスト」として


●『ウルトラマンダイナ』(97年)の主人公アスカ・シン=ウルトラマンダイナを演じたつるの剛士
●『ウルトラマンコスモス』(01年)の主人公春野ムサシ(はるの・むさし)=ウルトラマンコスモスを演じた杉浦太陽(すぎうら・たいよう)氏
●『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年)の主人公ナツカワ・ハルキ=ウルトラマンゼットを演じた平野宏周(ひらの・こうしゅう)氏


のお三方が招かれていた。


 さらに、「ファンゲスト」として


●往年の東宝特撮映画に多数登場した怪獣・ゴジラの大ファンとして知られ、『ウルトラマンマックス』(05年)でナレーションを担当、さらに『ウルトラマンオーブ』(16年)第24話『逆襲の超大魔王獣』~最終回(第25話)『さすらいの太陽』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170415/p1)では防衛組織・ビートル隊日本支部の菅沼(すがぬま)長官を演じた俳優の佐野史郎(さの・しろう)氏
●バラエティ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』(82年)でデビュー以来、歌手・タレントとしてアイドル的人気を獲得、先述した『ウルトラマンコスモス』の劇場版全3作品(01~03年・松竹)に防衛組織のキド隊員 → キド隊長として連続出演を果たしたほか、映画『ウルトラマンメビウスウルトラ兄弟』(06年・松竹)や映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年・松竹)のゲスト出演、さらに『ウルトラマンタイガ』(19年)に佐倉警部役でセミレギュラー出演した俳優でタレントの風見しんご(かざみ・しんご)氏
●大の特撮好きで知られ、仮面ライダースーパー戦隊で数多くのヒーローや悪役の声を演じ、ウルトラシリーズでは映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE(ザ・ムービー) 超決戦! ベリアル銀河帝国』(10年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111204/p1)以降の炎の超人・グレンファイヤーの声や、映画『ウルトラマンギンガ 劇場スペシャル』(13年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200820/p1)以降の異次元宇宙人イカルス星人の声などを担当した声優の関智一(せき・ともかず)氏
●『ウルトラマンジード』(17年)以降のペガッサ星人ペガの声のほか、『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀(いんぼう)』(20年)では性別がハッキリしない戦士であったウルトラマンジャスティスや青いウルトラ族の少女・ソラの声、WEB(ウェブ)アニメ『怪獣娘 -ウルトラ怪獣擬人化計画-』(16年)のエレキングや3DCG作品『ULTRAMAN(ウルトラマン)』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190528/p1)の北斗星司(ほくと・せいじ)の声など、近年では円谷プロ専属になったのか?(笑) との印象すらある声優の潘めぐみ


といった豪華な顔ぶれも出演している。


 「解説」の担当はロートルオタクであればご存じ、往年の今は亡きアニメ雑誌アニメック』(78~87年)の編集者上がりで、角川書店の月刊アニメ雑誌ニュータイプ』(85年〜)の立ち上げに参加して編集長に登り詰め、一時は角川書店の社長も務めていた、今でもKADOKAWAの副社長でもある井上伸一郎氏が担当していた。氏は特撮マニアであれば、往年の東映特撮『人造人間キカイダー』(72年)のリメイク映画『キカイダー REBOOT(リブート)』(14年)の実質的な発案者・製作者であったことでご承知のことだろう。


 ただし、氏が『ウルトラマンネクサス』を「早すぎた傑作」であったかのように評していたことには同意はできない(笑)。こういった意見は氏にかぎらず各所で散見されるのだが、むしろ同作は「遅すぎた傑作」であったというべきであろう。


 たとえば、西暦2000年に放送された非常にチャイルディッシュな作風であった『百獣戦隊ガオレンジャー』(00年)は開設間もないネット上の超巨大掲示板2ちゃんねるでは、まだハード&シリアス&大人向け指向の価値観が強かった特撮マニアたちによって猛烈に酷評されていた。
 しかし、2001~03年にかけて、大きな価値観の地殻変動が起きている。数多くの口汚い論争の果てに(笑)、子供向けの特撮変身ヒーロー作品をハード&シリアス&大人向けといったモノサシで測ること自体が滑稽(こっけい)だ! 中二病だ! といってバカにするような価値観の方が勝利を収めていったのだ。


 そして、『ウルトラマンネクサス』はその高いドラマ性やテーマ性や志を認めた上でなお、子供向けの特撮変身ヒーロー番組のつくり方としてはドーなんだよ!? といった意味合いでの批判が渦巻いていたのであったのだ。その意味では、あと数年早くつくっていれば、子供間での人気はともかくマニア間での人気は高かったのかもしれない(笑)――筆者も80年代前半までにあういったつくりの「ウルトラマン」を見せられれば高く評価していたかもしれない。しかし、80年代後半以降に遭遇していたならば、もう評価はしなかっただろうな(爆)――。


*「ウルトラメカ」部門ランキングにも、マニアの価値観の大地殻変動を見る!


 放送前の2022年7月15日から8月21日にかけて設けられた投票期間に寄せられた総投票数は35万5563票であり、その集計結果をもとに決定した「ウルトラヒーロー」「ウルトラ怪獣」「ウルトラメカ」の部門別ランキングが発表されていた。


 ここまで言及ができなかった「ウルトラメカ」部門は、以下のとおりであった。


「ウルトラメカ」部門(以降、メカ名・所属防衛組織・初登場作品を列記)
●1位  特空機1号セブンガー (ストレイジ
 (『ウルトラマンZ』)
●2位  ウルトラホーク1号 (ウルトラ警備隊)
 (『ウルトラセブン』)
●3位  ポインター (ウルトラ警備隊)
 (『ウルトラセブン』)
●4位  ガッツウイング1号 (GUTS(ガッツ))
 (『ウルトラマンティガ』)
●5位  特空機3号キングジョーストレイジカスタム (ストレイジ
 (『ウルトラマンZ』)
●6位  ジェットビートル (科学特捜隊
 (『ウルトラマン』)
●7位  ガンフェニックストライカー (CREW GUYS(クルー・ガイズ))
 (『ウルトラマンメビウス』)
●8位  ガッツイーグル (スーパーGUTS)
 (『ウルトラマンダイナ』)
●9位  ナースデッセイ号 (GUTS-SELECT(ガッツ・セレクト))
 (『ウルトラマントリガー』)
●10位 マットアロー1号 (MAT(マット))
 (『帰ってきたウルトラマン』)
●11位 ハイパーストライクチェスター (ナイトレイダー)
 (『ウルトラマンネクサス』)
●12位 XIG(シグ)ファイターEX(イーエックス) (XIG)
 (『ウルトラマンガイア』)
●13位 特空機4号ウルトロイドゼロ (ストレイジ
 (『ウルトラマンZ』)
●14位 マットビハイクル (MAT)
 (『帰ってきたウルトラマン』)
●15位 GUYSガンフェニックス (CREW GUYS)
 (『ウルトラマンメビウス』)
●16位 アートデッセイ号 (GUTS)
 (『ウルトラマンティガ』)
●17位 マグマライザー (ウルトラ警備隊)
 (『ウルトラセブン』)
●18位 GUTSファルコン (GUTS-SELECT)
 (『ウルトラマントリガー』)
●19位 マットジャイロ (MAT)
 (『帰ってきたウルトラマン』)
●20位 スペースペンドラゴン (ZAP SPACY(ザップ・スペーシー))
 (『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル』(07年))


 ここでも恐るべき結果が出ていた! 従来であれば、ダントツで第1位や上位を占めていたであろう、『ウルトラセブン』の怪獣攻撃隊である地球防衛軍ことウルトラ警備隊のスーパーメカの数々を差し置いて、『ウルトラマンZ』に登場した怪獣攻撃隊であるストレージが建造した巨大ロボット・セブンガーが第1位を獲得していたのだ!(笑)
 そして、同作からは3号ロボット・キングジョーストレイジカスタム、闇落ちしてしまったウルトラマン型の5号ロボット・ウルトロイドゼロまでもがランクインを果たしているのだ!


 「ウルトラメカ」のランキングも、第1期ウルトラシリーズのメカのみならず、


●2010年代からは、『Z』の巨大ロボットや『トリガー』の飛行メカ
●2000年代からは、『ネクサス』『メビウス』『大怪獣バトル』の飛行メカ
●1990年代からは、『ティガ』『ダイナ』『ガイア』の飛行メカや宇宙戦艦
●1970年代からは、『帰ってきた』の飛行メカ


といった塩梅で、見事に各時代ごとに票が分散されていたのであった……


*得票結果から読み込む「ニュージェネレーションウルトラマンシリーズ」の諸相!


 投票対象としてはシリーズ最新作にあたる『ウルトラマントリガー』の主役であったウルトラマントリガーの「ウルトラヒーロー」部門での順位は第20位。その元ネタとなったティガの第1位とは異様なまでの差が見られる――投票期間直前の2022年7月上旬に放映を開始したばかりの『ウルトラマンデッカー』(22年)は今回の投票対象には当然のことながら含まれていない――。


 マニア諸氏であればご承知のとおりで、この投票結果を見るまでもなく、若年マニア間では『トリガー』の人気が放映当時から著(いちじる)しく低くて、ネット上でも酷評されまくっていたことは承知の事実であるだろう。Amazon(アマゾン)での同作のDVDレビューや、アマゾンプライムビデオのコメントでも酷評ばかりが並んでいる。


 筆者個人も実は同作のことをあまり評価はしていなかったのだが(汗)、そのこととも別に『トリガー』酷評の原因は2つあったと思うのだ。


●1つ目は、大人気番組となった『ウルトラマンZ』の後番組となってしまったために、大人気番組の後番組にはアリがちなことなのだが、それと比べて物足りなく思えてしまったことで、相対的にキビしく観られてしまったこと
●2つ目は、『ウルトラマンティガ』へのオマージュだと謳(うた)いながらも、それは営業的なセールストークで、実は『ティガ』っぽくする気はなかったらしいこと(笑)


 以上の2点に尽きるだろう。しかも、『Z』を愛するウルトラファンと『ティガ』を愛するウルトラファンとは、重複する場合もあるのだろうが、基本的には同じウルトラファン・特撮マニアだとはいってもやや別傾向の存在ではあるだろう。しかし、そのへんの相違は突き詰められずにフワッとした野合(笑)となることで、依拠する立場が異なる2つの陣営からの挟撃によって酷評されていた! といったところが、より正確な実態だったのではなかろうか? といった分析などもできるのだ。


 とはいえ、それもそれで単なる分析にすぎない。『トリガー』という作品それ自体に、『Z』や『ティガ』といった作品にも負けないだけの「強度」さえあれば、そんな批判をモノともせずに、独自の人気を獲得することもできたハズであろうからだ。


 その一方、『トリガー』の前作『ウルトラマンZ』の主役だったウルトラマンゼットは、「ウルトラヒーロー」部門で彼の師匠のウルトラマンゼロをも上回る第3位を達成している。
 そればかりか「ウルトラ怪獣」部門では、『Z』で防衛組織・ストレイジのヘビクラ隊長を仮の姿としていたジャグラス ジャグラーが第2位、「ウルトラメカ」部門では『ウルトラマンレオ』第34話『ウルトラ兄弟永遠の誓い』に怪獣ボールとして登場していたセブンガーを元ネタとした特空機1号セブンガーが第1位に輝いて、放映終了から1年半を経ても『Z』がいまだ根強い人気を誇っていることが示される結果となったのである。


 「ウルトラヒーロー」部門で第3位に輝いたウルトラマンゼットといえば、敬語とタメ口を混同したあまりにデタラメな日本語で変身前の主人公・ハルキと交わす軽妙で爆笑モノの絶妙なやりとりが多くの視聴者に強烈な印象を残すことに成功していた。
 ゼットの仮の師匠(汗)であり、第4位となったウルトラマンゼロもまた「しゃべりまくるウルトラマン」の元祖であって、従来は圧倒的に優等生タイプが多かったウルトラマンのイメージを完全にひっくり返したベラんめぇ口調のヤンキー兄ちゃん(笑)として描かれていたのだ。


 その両者が第3位と第4位に輝いたということは、近年のウルトラマンを支持する若い層にとってはゼットやゼロのようなキャラクターこそが、もはやスタンダードなウルトラマン像として定着しているということなのであろう。


 その意味では、トリガーも「しゃべりまくるウルトラマン」にしておいた方が、ゼットやゼロを支持する若い層にもっと受け入れられたのかもしれない。
 いや、繰り返しになるが、もちろん作品評価や作品人気のモノサシはひとつだけではない。「しゃべりまくり」さえすれば、それだけで高い人気が誇れるウルトラマン作品になれるワケでもない。事実、2022年に公開された映画『シン・ウルトラマン』では、ウルトラマンがベラベラとはしゃべってはいないのに、実に高い興行収入を上げていたからだ。そこは盛大にツッコミを浴びてしまう前に先回りをして釈明しておこう(笑)。



 とはいえ、「しゃべりまくるウルトラマン」は、決してB級でコミカルなばかりの低劣な存在に堕(だ)してしまったワケでもないのだ。


 ウルトラマンたちがその必殺ワザの名前を、昭和の仮面ライダーや合体ロボットアニメの主人公たちのように絶叫する2010年代以降に入ってからの演出は、たしかに先人の第1期ウルトラ至上主義者たちが20世紀のむかしから主張してきたように「ウルトラマンの神秘性をウスれさせてしまう側面」「作品をハイブロウではなく子供向けにしてしまう側面」があったことも事実なのだ。


 しかし必殺ワザ名の絶叫で、そのヒーロー性や彼らの人間像、戦闘シーンで強敵を倒す際のカタルシス・熱血活劇度を倍増させることができるといった効用があることもまた事実なのである。変身ヒーロー作品にとっては「神秘性」うんぬんを上回ってあまりあるメリットの方がはるかに大きい! とすら思うのだ。


 そういった意味では、そうした効用を十全に発揮していたゼットとゼロが第3位と第4位を占めていたのだから、今後のウルトラマンも、必殺ワザの絶叫路線を継続していった方がよいと思う。
 まぁ、筆者が特に力説などしなくても、2010年代のウルトラシリーズはそうした演出をしてきたのだし、今のスタッフたちもそうした子供たちが喜ぶであろう機微やツボについては百も承知であろうから、そこについては特に心配もしてはいないのだが。


 必殺ワザ名を絶叫していても、地球人にはその声は聞こえていない! ヒーロー名を絶叫しながら変身していても、その瞬間にはナゾの異空間に入っている! といった、我々のようなスレすぎて一回転してしまったマニア側での好意的なSF考証・脳内補完も可能なのだし(笑)。



 しかし意外や意外、『トリガー』の玩具の売り上げは、マニア間でも大人気であったハズの『Z』の数倍(!)であったというデータも出てきてはいる。ということは、『Z』ファンとも『ティガ』ファンともまた異なる価値観を持った、第3極としての子供間での人気は相応にはあったという分析もできるだろう。
――ただし、2021年度の玩具売上は、『Z』の売れ行きの好調で小売店が発注を増やしたために出荷数が倍増したのであり、実売の数字ではないという説もある――


 ということは、本放映当時には決して評判がよくはなかった『コスモス』や『ネクサス』が今回は大健闘していたように、20年後の「大投票」企画では『トリガー』も意外なダークホースとなっているのかもしれない。


 ともあれ、作品憎しのあまりに、自分では少数派の意見のレジスタンスのつもりでその実、その下の世代にとっては抑圧的な多数派によるふるまいでしかなかった! となってしまっては、かつての安保闘争学生運動を牽引していた終戦直後生まれの「団塊の世代」が、実際にはその10歳強ほど下の「新人類世代(=オタク第1世代)」の上辺世代に対しては非常に高圧的なふるまいをしてきており、実に閉口していたといった証言も多々あったことの滑稽な繰り返しにもなってしまう。後続世代である我々もまた今こそ歴史に学んで、そういった愚行を繰り返してはならないのだ。


*得票結果から読み込む「ウルトラマン」が目指すべきものとは!?


 ところで、そういった堅苦しい話はともかく(笑)、「ウルトラマン」にかぎらず「仮面ライダー」にしろ「スーパー戦隊にしろ」、若い層のファンがネット上で発信するコメントを読んでいると、それらに登場するキャラクターが「ネタキャラ」としていかに笑えるか、そしてファン同士でどれだけ「ネタ」として楽しめるかという観点を重要視している傾向がうかがえる。


 それが特撮変身ヒーロー作品を視聴する姿勢として正しいかどうかは別として、たしかに「ウルトラ怪獣」部門でジャグラス ジャグラーが第2位、「ウルトラメカ」部門でセブンガーが第1位と、「ウルトラヒーロー」部門で第3位のウルトラマンゼットと併せて、『ウルトラマンZ』のキャラクターが各部門の上位を独占したことからすれば、若い世代にとって『Z』は「ネタキャラ」の宝庫として人気を集めた面もあったかと思えるのだ。


 ただ、注意しておかねばならないのは、単に面白いキャラを見たいだけならばお笑い芸人が多数出演するバラエティ番組を見れば済むワケである。そして、特撮ヒーロー番組は本来そんな需要を満たすための場ではない、ヒーローによる戦闘のカタルシスを満たす場であるということである。


 ジャグラーのデビュー作となった『ウルトラマンオーブ』でジャグラーを演じた青柳尊哉氏は「観ている子供たちを心底こわがらせるために」各話で妙なテンションで怪演していたのが、結果として大きなお友達である我々マニア視聴者にはそれが「お笑い」にも見えてしまった代表的な例なのだ。
 本来の「ネタキャラ」とはジャグラーのようなキャラを指す用語なのであり、コミカルなキャラならなんでもかんでも「ネタキャラ」と呼んでしまう近年の用法は誤りなのだが、それはひとまず置いておく。


 ジャグラーが「ウルトラ怪獣」部門で第2位を獲得するほどの支持を集めた理由としては、「ネタキャラ」うんぬんのことは重要ではあったかもしれないけど、それだけでもなかったからだと思えるからだ。


 『オーブ』から『ウルトラマンジード』の劇場版などを経由して『Z』へと至るまで、敵が味方に、味方が敵に、はたまた敵にと実にめまぐるしく矢継ぎ早にその立ち位置を変化させてきたことで、次はいったい何をやらかしてくれるのか? と視聴者に常にビックリ箱的な興味・期待を与えつづけて、番組をおおいに盛り上げてくれたことこそが、ジャグラー最大の魅力ではなかっただろうか? 通常ならば過去作品の敵キャラが最後に防衛組織の隊長の座におさまるなんぞ、とうていあり得なかったワケなのだから(笑)。



 それとは対照的に、『Z』同様に一見は「ネタキャラ」の宝庫だったように見えたにもかかわらず、『Z』の前作『ウルトラマンタイガ』が、その前作『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年)も、まだファンの記憶に新しいハズの近年の作品のキャラクターが各部門でほぼ圏外となってしまったのはナゼだったのであろうか?


 『タイガ』でウルトラマンタロウの息子として華々(はなばな)しくデビューを果たしたウルトラマンタイガに、その仲間のウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマのトリオも、放映序盤ではベラベラと饒舌にしゃべりまくっており(笑)、ネット上の反響を見るかぎりでは若年特撮オタクたちの大きな支持を集めていたものだ。『タイガ』という番組がその勢いを持続させて完走できていたならば、今回の「大投票」でも一定の得票数を集めていたかと思われる。


 だが、1話完結形式の「昭和ウルトラ」の時代のような「つくり」に戻したいというチーププロデューサーの意向があったことも明かされているとおりで(汗)、実際の同作のシリーズ中盤以降では、タイガ・タイタス・フーマの掛け合い漫才的なコミカルなやりとりの描写が減少してしまっていた。そして、各話のゲストの人間ドラマを重視せんとばかりに、毎回のドラマ自体があまりに陰鬱(いんうつ)な作風の話がつづいてしまったのだ。
 そして皆が期待していた、タイタスの同族であるウルトラの星・U40(ユーフォーティ)出身であるウルトラマンジョーニアスの助っ人参戦! フーマの同族であるO50(オーフィフティ)出身のウルトラマンオーブウルトラマンルーブなどの助っ人参戦! といったイベント編などもなかった。何よりもタイガの父であるウルトラマンタロウも『劇場版 タイガ」ではともかくテレビシリーズ本編では助っ人参戦をしなかった(汗)。


 それらもろもろのために、本来であれば『仮面ライダー電王』(07年)に登場した正義の怪人4人組のモモタロス・ウラタロス・キンタロスリュウタロスや、映画『ウルトラマンゼロ』に登場したウルトラ族以外のヒーローであったミラーナイト・グレンファイヤー・ジャンボットたちとも同等の高い人気が誇れるだけのポテンシャル(潜在能力)があったタイガ・タイタス・フーマだったのに、そこまでのブレイクができなかったといったところでの分析もできるだろう。


 『タイガ』放映開始当初の特にウルトラマンタイタスの筋肉マッチョにして賢者(笑)でもあるというキョーレツな「ネタキャラ」ぶりも大好評であったというのに、番組中でのヘンな抑制の効かせ方については、非常に残念でならないのだ。



 また、タイガ・タイタス・フーマがあくまで日常場面でコミカルなやりとりを交わしていたのに対して、『R/B』の場合はウルトラマンロッソとウルトラマンブルの兄弟が戦闘の最中にも兄弟ゲンカをしてしまうのをはじめ、変身後のウルトラマンをコミカルに描く演出が目立っていた。
 そういったところで、変身ヒーロー作品としての戦闘のカタルシスをウスめてしまったことも、得票数を減らしてしまったことの原因であったのかもしれない――筆者個人は往年の少年ふたりが合体変身して誕生する『超人バロム・1(ワン)』(72年)みたいだ、スーパー戦隊でもよくあったような戦闘中の不和だよな、などと思ってそこはあまり気にしてはいなかったものの(笑)――。


 『R/B』のシリーズ前半のレギュラーとして登場した愛染マコト(あいぜん・まこと)社長=ウルトラマンオーブダークノワールブラックシュバルツ(笑)も、先述したジャグラーの「ネタキャラ」ぶりとは違って最初から視聴者の笑いをとる気マンマンのキャラとして描かれていた。
 おそらく愛染社長を演じた役者さんの力量でスタッフの想定以上にそのキャラクター人気が膨らんでしまったところで(笑)、2010年代のウルトラシリーズは撮影に入る前にほぼ全話のシナリオが完成しているようなので、当初のシリーズ構成どおりにシリーズ中盤では退場してしまったことによる「残念感」もまた、『R/B』という作品をやや失速させてしまった原因でもあっただろう。
 すべてが計算ずくでつくりきれるワケでもない、水モノ・ナマモノでもある総合芸術としてのフィクション映像作品の構築における、想定外のムズカしいところでもあったのだ……



 もちろん、大勢による人気投票の結果と個人による作品評価は別モノであってよい。筆者個人のウルトラシリーズ各作に対する作品評価ランキングと今回の人気投票の結果もまたそうとうに異なったものではある。20位以内にランクインできなかった作品の中には筆者が個人的には高く、または相応に評価もしてきた作品も含まれていたかもしれない。そして、そこに対して残念には思ったものの、卑屈に思ったり憤(いきどお)ったりするような小物チックな言動をするつもりもまたないのだ。


 それはさておき、ニュージェネレーションウルトラマンシリーズの『ギンガ』『ギンガS』『R/B』『タイガ』といった作品が20位以内には入れなかった理由もまたさまざまではあったのだろう。しかし、各作品のファンはそれについても卑屈に思う必要はないだろう。


 不当である! この作品にはこういった良い要素もある! と思うのであれば、各人がそれを堂々と論理的に明るくカラッと主張していけばよいだけのことなのだから!(笑)


 『ウルトラセブン』が第1位にはならなかったり、かつて長きにわたって酷評されてきたハズの第2期ウルトラシリーズウルトラマンたちが平成ウルトラ3部作の『ダイナ』や『ガイア』に劣ることなく10位前後に並んでいたり、ニュージェネレーションウルトラマンが早くも上位にランクインしていたりもした今回の投票結果。
 それは、古典も新作も、シリアス系もコミカル系も、ハード系もマイルド系も、それらすべてが肯定されて併存がなされている点で、ウルトラマンの人気や作品評価をめぐる状況が、21世紀の今となっては実に理想的な状態となっていることの証しなのではなかろうか!?


 70年代末期~2000年代の半ばに同様の投票が行われていたのならば、本論の冒頭で論述してきたとおりで、第1期ウルトラ作品だけが最高で、第2期ウルトラ作品は酷評されて終わっていたであろうから(汗)。


 この結果を1回こっきりの特番企画に寄せられた声として終わらせてしまうのではなく、今後の「新しいウルトラマン」が目指すべき指針・方向性として的確に読み込んで、そしてそれを最大限にいかしてみせることこそが、ウルトラマンシリーズの人気を拡充させることに寄与するだろう。

2022.10.28.
2022.12.24.改稿


(了)
(初出・当該ブログ記事)


[関連記事]

特撮評論同人界での第2期ウルトラ再評価の歴史概観

  http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20031217/p1


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ウルトラマンX(エックス)』(15年)前半評! 5話「イージス光る時」・8話「狙われたX」・9話「われら星雲!」 ~ゼロ・マックス・闇のエージェント客演!

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ウルトラマンギンガ』(13年)序盤評 ~低予算を逆手に取る良質ジュブナイルだが、それゆえの危惧もアリ!?

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ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』(08年)#1「レイオニクスハンター」

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ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』(07年)#1「怪獣無法惑星」

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ウルトラマンメビウス』(06年)#1「運命の出逢い」 ~感激!感涙!大傑作!

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ウルトラマンマックス』(05年)#1「ウルトラマンマックス誕生!」 ~序盤評・原点回帰は起死回生となったか!?

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ウルトラマンネクサス』(04年)#1「Episode.01夜襲 -ナイトレイド-」 ~ハイソな作りだが、幼児にはドーなのか!?

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ウルトラマンネオス』(00年)#1「ネオス誕生」

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ウルトラマンダイナ』(97年)#1「新たなる光(前編)」~#11「幻の遊星」

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ウルトラマンティガ』(96年)#1「光を継ぐもの」~#15「幻の疾走」

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ウルトラマン80(エイティ)』(80年)#1「ウルトラマン先生」 ~矢的猛先生!

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『ザ☆ウルトラマン』(79年)#1「新しいヒーローの誕生!!」 ~今観ると傑作の1話だ!? 人物・設定紹介・怪獣バトルも絶妙!

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ウルトラマンタロウ』(73年)#1「ウルトラの母は太陽のように」 ~人物像・超獣より強い大怪獣・母・入隊・ヒロイン・5兄弟の正統タロウ誕生を漏れなく描いた第1話!

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ウルトラマンエース』(72年)#1「輝け! ウルトラ五兄弟」 ~超獣・破壊・防衛組織結成・先輩&新ヒーロー登場を豪華に描く!

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館長 庵野秀明 特撮博物館 ~「特撮」ジャンルの本質とは何ぞや!?

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』 ~コミュ力弱者の対人恐怖を作品図式に反映させ、福音も与えんとした26年間を総括!
『シン・ゴジラ』 ~震災・原発・安保法制! そも反戦反核作品か!? 世界情勢・理想の外交・徳義国家ニッポン!
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 2021年10月1日(金)~12月19日(日)にかけて国立新美術館にて「庵野秀明展」が開催記念! とカコつけて……。2012年に開催された『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技~』合評をアップ!


『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』 ~「特撮」ジャンルの本質とは何ぞや!?

(2012年7月10日~10月8日 東京都現代美術館
 主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館日本テレビ放送網/マンマユート団)

合評1 『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』

(文・久保達也)
(2012年12月2日脱稿)


 大ヒットした巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)を手掛けた庵野秀明(あんの・ひであき)監督を博物館の「館長」名義とするこの展覧会。


 2003年から毎年夏に、東京都現代美術館日本テレビスタジオジブリの協力を得てアニメ関連の企画展を開催してきたが、今回の第10回目となる2012年度の展示は、以下のような経緯で決定したようだ。



「それで、確か4年ほど前だったと思うのですが、庵野秀明さんたちと呑(の)む機会があって、庵野さんとはそれまで何度か仕事をしていましたし、僕のコレクションにも興味を持っていたようです。そのときに、僕が「特撮映画で使用したミニチュアを展示保存できるような美術館みたいなものがあったらいいですね」みたいなことをしゃべったんです。そのときはあくまで思いつきであって、本気で考えてもいませんでした。でも、庵野さんは「それはいいですね!」と、すごく乗り気だったことを憶えています。
 それから、しばらく経ってからお会いしたときに、「美術館のような財団法人にしようとすると、何億円もお金がかかってしまうので、ちょっと無理のようです」と。一瞬、何の話かわかりませんでした(笑)。「でも企画展レベルなら実現できるかもしれません」と、庵野さんがさらに語るに至って、この人は僕の思いつき話をかなり真面目(まじめ)に受けとめ下さっていたんだなあと思いました」

(『館長 庵野秀明 特撮博物館 ~ミニチュアで見る昭和平成の技~』図録(日本テレビ放送網 12年7月5日発行・ASIN:B0766C83HY)「庵野秀明監督の執念が支えた復元作業」原口智生(はらぐち・ともお)(「特撮博物館」展示コーディネート・修復師))


「特撮の博物館を作りたい。協力してもらえないだろうか。某日、古い友人の庵野秀明が唐突にこんなことを言い出した。2010年の夏のことだったと記憶している。
 なんでも、特撮を作ってきた人、そして、会社も需要が減ったことで、これまでに作り、保管してきたミニチュア、様々な資料などなどが、このままだと雲散霧消してしまう危険性が出てきた。多くの人にとって、それらはほとんど意味のないものかもしれないが、特撮ファンの自分としてはやりきれないし、自分以外にもそういう人は実に数多くいると思う。特撮を使ったテレビシリーズや映画を観て、子供のときに明るい未来を夢見た人はいっぱいいたはず。いや、いるはずだという庵野の熱意にほだされたが、しかし、手立てが難しい。どうやればそれを実現できるのか?
 こういうときはいろんな人の意見を聞くしかない。早速いろんな人を集めてこの話をもちかけると、まずは現代美術館で夏の展示をやるのはどうかという話になった。どういうミニチュアと様々な資料が残っているのか、まずはそれを調べて所有する人たちの協力を得ることが博物館実現への第一歩だというのだ。非常に現実的な案だった」

(出典同上「されど、われらが日々」スタジオジブリプロデューサー 鈴木敏夫



 こうして、わが国日本でかつて製作された特撮映画やテレビシリーズに登場した怪獣やヒーロー・スーパーメカばかりではなく、ビル・民家・電柱といったミニチュアまでもが、各映画会社や製作プロダクション・コレクターらの協力のもとに収集されて一同に会したのが、『館長 庵野秀明 特撮博物館 ~ミニチュアで見る昭和平成の技~』だったのである。


 特撮ファンのひとりとして、これに興味を抱かないはずはなかった。けれど地方在住の身でもあり、足を運ぶことなく終わってしまった。
 しかしながら、今回の企画展の「図録」とその展示の一環として製作・上映された短編映画『巨神兵(きょしんへい) 東京に現わる』のパンフレットのセットが、セブンネットショッピング限定で2012年11月初旬に発売されたことを知り、これは即座に入手。
 さらに主催のひとつである日本テレビが毎週日曜朝に放送している『シューイチ』名義の番外出張編特番『シューイチ』×『「館長庵野秀明特撮博物館」SP(スペシャル) コレが決定版! 最強特撮ベスト10(テン)」』で、この企画展の特集を組んだ回の録画DVDも入手したために、一応の疑似体験(笑)はさせてもらった。


 本企画展では展示品は、以下のようなパートに分けて構成されていた。


*原点 人造


・映画『海底軍艦』(63年・東宝)に登場した海底軍艦轟天号(ごうてんごう)
ゴジラ映画『怪獣総進撃』(68年・東宝)登場のムーンライトSY-3(エスワイ・スリー)
・空飛ぶ戦艦が活躍するテレビ特撮『マイティジャック』(68年・円谷プロ フジテレビ)の主役メカである万能戦艦MJ号(エムジェイごう。劇中ではマイティ号などさまざまな呼び方をされている)


・映画『メカゴジラの逆襲』(75年・東宝)に登場したメカゴジラ2(ツー)のスーツ
・映画『ゴジラ対メガロ』(73年・東宝)に登場した人型巨大ヒーローロボット・ジェットジャガーのマスクに飛行シーン用の人形


・さらには、映画『地球防衛軍』(57年・東宝)に登場した遊星人ミステリアンの宇宙ステーションやミステリアンドーム、防衛軍のメカ・α号(アルファごう)や巨大パラバラアンテナ型の光線発射装置・マーカライトファープなどの、戦前から近未来絵図や兵器などの絵画やプラモデルの箱絵などで活躍されたことでも有名な小松崎茂(こまつざき・しげる)によるデザイン画


など、主に特撮映画に登場したスーパーメカの類いが集められていた。


 図録では庵野館長が展示品の中で、おそらくは自身が特にこだわりを持っているものに対して、コメントが添えられていた。


 たとえばジェットジャガーに対しては、



東宝特撮映画初の巨大ヒーローです。いや、なんともいえずいいですね。心惹(ひ)かれます。個性的なデザインが素晴らしいとしかいいようがありません」



などと、70年代末期~90年前後にかけてはオタク第1世代の年長マニアからは、70年代前半の完全に子供向けのプログラム映画『東宝チャンピオン祭り』の1本となっていて、その中でも特に低評価を与えられてきた『ゴジラ対メガロ』という作品自体、そして「ゴジラ」という偉大なる存在を低劣なものへと堕(だ)さしめる一因になったとして、このウルトラマンもどきの見てくれをしている、いかにもな子供ウケをねらった巨大ヒーローキャラクターとしての姿をボロカスに酷評されてきたジェットジャガーを高く評価していたりするのである!――庵野も1960年生まれなので、オタク第1世代のハズなのに(笑)――


 この展示室には、テレビ特撮『マグマ大使』(66年・ピープロ フジテレビ)の金色の巨大ヒーローであるロケット人間・マグマ大使自らが変型する金色のロケットも展示されていたのだが、



ピー・プロダクションの巨大ヒーローものは、『宇宙猿人ゴリスペクトルマン)』(71年・ピープロ フジテレビ)もお勧めです」



などと、東宝円谷プロ製作の作品と比べて低予算だったこともあり、これまた東宝・円谷特撮至上主義のマニアたちからは「特撮がチャチい」と批判されることが多かった『スペクトルマン』を、「お勧めの作品」として挙げている!
 実際にもマニア目線で鑑賞していると、東映系の特撮研究所所長の矢島信男(やじま・のぶお)特撮監督が登板した回だけは、持ち込みの手弁当なのか突如としてミニチュアが豪華になったり、火薬を派手に使ったりしていたので、低予算作品であったことは明白なのだが(笑)。


*原点 超人


ウルトラマンシリーズの主人公ヒーローたちのマスクや飛行シーン用の人形
ウルトラマンの胸の中央にあるカラータイマーや変身アイテム
ウルトラマンシリーズに登場する防衛組織の専用銃やスーパーメカ
成田亨(なりた・とおる)や池谷仙克いけや・のりよし)らによる前述のアイテムの基となったデザイン画


・『ミラーマン』(71年・フジテレビ)
・『ファイヤーマン』(73年・日本テレビ
・『ジャンボーグA(エース)』(73年・毎日放送


といった、ウルトラマンシリーズ以外の円谷プロ作品の主人公である巨大ヒーローたちの着ぐるみのマスク。


・『スペクトルマン
・『快傑ライオン丸』(72年・フジテレビ)
・『電人ザボーガー』(74年・フジテレビ)


など、ピープロ作品の主人公ヒーロー。


・『シルバー仮面』(71年・宣広社 TBS)
・『アイアンキング』(72年・宣広社TBS)
・『流星人間ゾーン』(73年・東宝映像 日本テレビ
・『サンダーマスク』(72年・ひろみプロ 日本テレビ)――現在では権利関係の諸問題で放映やソフト化が絶望的となっているのに!――


に至るまで(!)の70年代前半の「第2次怪獣ブーム」→「変身ブーム」時に放映された特撮変身ヒーロー作品の主人公ヒーローのマスクなど!――『アイアンキング』のマスクは、おそらくはコレクターでタレントのなべやかんが所蔵しているものかと思われる――



 ここでは庵野は『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)に登場した防衛組織・TAC(タック)専用兵器類について、以下のようにコメントしている。



「タックアローは細長く戦闘的なフォルムに、機首の曲がり方がいいですね。TACは全体的に球と直線での立体構成がいい感じです。特に超光速ミサイルNo.7(ナンバーセブン)がいいですね」



 70年代末期の本邦初のマニア向けにおける70年代前半に放映された第2期ウルトラシリーズに対する酷評による悪影響によって、『ウルトラマンA』とその防衛組織・TACのメカには特撮マニア間でもいまだに正当な評価が与えられているとは云いがたい。
 しかし、庵野はTACのメカのデザインコンセプトが「球」と「直線」であることを見抜いて、超音速旅客機・コンコルドのような少々下に垂れた「機首」についても好意的な感想を述べているのだ。
 のみならず、第14話『銀河に散った5つの星』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1)で、ウルトラ4兄弟が磔(はりつけ)になったマイナス宇宙にあるゴルゴダ星爆破のために、主人公の北斗星司(ほくと・せいじ)が自ら乗りこんで打ち上げられたという、たった1回こっきりの登場である超未来的な光子ロケットのような光子噴射口と鉄骨的な胴体デザインを持ったゲストメカ・超光速ミサイルNo.7にも言及してくれるとは!
 そう。第2期ウルトラシリーズや『ウルトラマンA』に対しても偏見なしに曇りなく眼を向けていた御仁であればすでに気づいていたことであろうが、このロケットミサイルのデザインはたしかに実に未来的で超科学的でカッコいいのだ! そこにも庵野は言及してくれているとは!



 そして、『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)に登場した防衛組織・ZAT(ザット)の「超科学」兵器群についてのコメントはこうである。



「空体力学や化学燃料推進などではなく、重力制御や空間磁場の働きなど、未来科学の力で飛んでいるイメージの兵器類です。これまでのウルトラシリーズとはまるで違う、奇抜で自由奔放な世界観を、余すことなく完璧に表しています。
 特にここにあるコンドル1号とスカイホエールはナイスです。好きですね」



 奇抜で流線形や曲線を主体としたデザインのコンドル1号も、第2期ウルトラシリーズや幼児向けになったとされてきた『ウルトラマンタロウ』を酷評してきた第1期ウルトラシリーズ至上主義者のマニアたちから坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、「翼に穴が空いてる飛行機が飛べるワケないだろ!」などと嘲笑(ちょうしょう)の的にされていたのだ――まぁ実際にもあの翼だと揚力(ようりょく)が逃げてしまうので空は飛べないとは思うが(笑)――。
 庵野はこれに対してすらも、当時の現代の日常に近しい作品世界を描いていた『帰ってきたウルトラマン』(71年)に登場した防衛組織・MAT(マット)の現有兵器に近い兵器や戦闘機のような「現代科学」の延長線上にあるテクノロジーではなく「未来科学」の結晶としてのメカであって、それがデザイナーの計算であったか直観であったかはわからないが、『タロウ』のやや非リアル寄りかつ奔放な作品世界観ともマッチさせたかたちでのデザインであったという見方をしているのだ!


*「決定版 関係者75人が選ぶ~日本の特撮ベスト10」


 先述の『シューイチ』では番組の合間に少しずつ折りこむかたちで、「決定版 関係者75人が選ぶ~日本の特撮ベスト10(テン)」が発表されたが、結果は以下のようなものであった。


*第1位 『ゴジラ』(54年・東宝
*第2位 平成『ガメラ』シリーズ(95~99年・角川映画
*第3位 『モスラ』(61年・東宝
*第4位 『日本沈没』(73年・東宝
*第5位 『妖星ゴラス』(62年・東宝
*第6位 『空の大怪獣ラドン』(56年・東宝
*第7位 『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(66年・東宝
*第8位 『地球防衛軍』(57年・東宝
*第9位 初代『ウルトラマン』(66年)
*第10位 『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年・東宝


 このように、ランクインした作品の大半が1950~60年代に円谷英二つぶらや・えいじ)特撮監督によって撮られた東宝特撮映画が占める結果となったのだ。
 ザッと半世紀も前の作品がほとんどなのである。最近の若い特撮マニアの中には、ひょっとしてタイトルさえも聞いたことがない作品もあるのではなかろうか?
 そんな若い人たちにお断りしておくが、日本においてミニチュア特撮はそんなに「大昔」にばかり撮られていたワケではない。1970~2000年代にもミニチュア特撮作品はあったのだ。なのに、なぜこうなるかなぁ。そもそも「関係者」っていうのがクセモノだよなぁ。ロートル業界人ばかりだろ(笑)。


 このランキング紹介の各冒頭では、


・『帰ってきたウルトラマン』(71年)第31話『悪魔と天使の間に……』のウルトラマンジャックvs囮(おとり)怪獣プルーマの決戦場面!


・『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)第44話『激ファイト! 80VS(たい)ウルトラセブン』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110226/p1)における、エイティvs妄想(もうそう)ウルトラセブンの決闘。それもエイティが両手から放った光の矢・ウルトラダブルアローを、妄想セブンが夜空を身軽に宙返り(!)してかわす名場面!


・『ミラーマン』のミラーマンvs巨大宇宙怪獣ボアザウルスの決闘場面!――第44話『魔の救出大作戦』に登場時か、第48話『赤い怪鳥は三度来た!』に登場時の映像なのかは判別できなかった――


など、ベスト10にランクインしなかった作品の特撮名場面までもがオープニング映像的に使用されていたのだ。今回の企画展を観に行った知人の話では、それらはすべて会場でも「庵野館長おススメ」の特撮名場面として流されていたものだそうだ。つまり、「庵野館長おススメ」の特撮名場面はこのベスト10以外の作品からも多数セレクトされていたのだ!


 先のコメントの数々、そして特撮名場面。庵野は30数年間もの間、まったく変わりばえのしない旧作特撮至上主義者の特撮マニアたちとは異なり、マニア間では評価が芳(かんば)しくなかった作品群に対しても偏見なく実に細部の特撮演出やアクション演出も込みで観尽くしており、彼が良いと思った「特撮」やその「演出」に対しては積極的に高く評価しているのだ!


*力(ちから)


平成ガメラシリーズのために製作された大怪獣ガメラのスーツや飛行形態の人形、渋谷パンテオンの建物やヘリコプター、民家・電柱・街灯
・映画『日本沈没』リメイク版(06年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070716/p1)の銀座和光ビル
・映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101223/p1)の横浜赤レンガ倉庫


などのリアルなミニチュアの数々。


*特撮美術倉庫


 かつては東宝撮影所内にあった特殊美術係倉庫の一部を再現して、


ゴジラ映画『怪獣大戦争』(65年・東宝)~80年代中盤に復活した映画『ゴジラ』(84年・東宝)や映画『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年・東宝)に至るまで使い回されてきたという水爆大怪獣ゴジラの大サイズの足
・この『大怪獣総攻撃』に出自設定を改変して登場した護国聖獣キングギドラのスーツ


などをはじめ、戦車・戦闘機・ヘリコプター・潜水艦・機関車・都電といった、往年の東宝特撮映画で使用されたミニチュアが勢揃い!


*特撮の父


 先に挙げた東宝特撮映画の特撮監督を永く務めて、特撮会社・円谷プロダクションを創設した円谷英二が使用してきた、


・35mmフィルム用の大型カメラであるNCミッチェル
・映画『ゴジラ』第1作目の絵コンテのアルバム


・同作のラストでゴジラを退治した新兵器である水中酸素破壊剤ことオキシジェン・デストロイヤーを詰めているとされた大きなカプセルのプロップなど


*技


・長年、東宝特撮映画で特殊美術を担当し、本年2012年に逝去(せいきょ)された井上泰幸(いのうえ・やすゆき)や、円谷・東映東宝と多岐に渡って特殊美術を務めた大澤哲三(おおさわ・てつぞう)によるミニチュアセットのデザイン画


・第1期ウルトラシリーズの怪獣造形で知られる高山良策(たかやま・りょうさく)による、時代劇特撮映画『大魔神』(66年・大映)の頭部や上半身モデルに造形用の図面


東宝で怪獣造形を担当していた安丸信行(やすまる・のぶゆき)や小林知己(こばやし・ともみ)による映画『大怪獣バラン』(58年・東宝)のムササビ怪獣バランの頭部
・映画『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』(72年・東宝)に登場したサイボーグ怪獣ガイガンの胸~腹~股を縦断するかたちで装着されていた巨大な回転カッター


などの展示により、まさに「巧(たくみ)」の技に触れられるようになっていた。


――ガイガンの回転カッターは、男のコの子供心をくすぐる稚気満々(ちきまんまん)な武器であり実にカッコいいのだが、70年代末期~90年前後においては昭和の前期ゴジラシリーズのみを神格視する第1世代マニアから「幼児でも考えつきそうなアイデアだ」などと酷評されていたものなのだ(汗)――


*研究


・手前のミニチュアの縮尺を大きく、奥を小さくすることで画面に奥行きを感じさせる「強遠近法ミニチュアセット」


・下界を俯瞰(ふかん)したセットを天井につくり、そこから戦闘機の模型を逆さに吊して、それらを下側から撮影することにより、吊り線も目立たせずに戦闘機の上空から見下したような眼下の風景を再現する「天地逆転セット」


・オプチカル(=光学)合成の仕組み


など、アナログ特撮時代に試みられた、さまざまな創意工夫の数々を紹介。


 もはや「過去の遺物」にすぎなくなったかに見えたこれらの展示が人々の注目を集めて、聞いた話では大盛況となったようである。
 その現象から判断するかぎりでは、「デジタル特撮」が台頭してきたところで、その逆に一般大衆にかぎらずに我々特撮マニアたちも同様なのだが、かつては「どう見てもニセものでチャチい!」としか思えなかった「ミニチュア特撮」に対しての「ニセものだけど、よく出来ていて魅入ってしまう」といった改めての「驚き」が生じてきているようにも思うのだ――もちろん、良く出来た精巧なミニチュアだけに限定されるのだろうが(汗)――。
 先述の『シューイチ』の司会者でモデル上がりの女優でもある片瀬那奈(かたせ・なな)などは元々オタク的な性向もあったのだろうが、番組内でもミニチュア好きを公言して、民家のミニチュアの「配電盤」(!)に対して「このへんが萌(も)える」などと発言していたほどだ(笑)。


*「ミニチュア特撮」衰退の原因とは!? 90~00年代特撮を回顧!


 「ミニチュア特撮」なり「巨大特撮」が衰退したのは、たしかにデジタル技術が急速な勢いで進歩したことが最大の理由ではあるだろう。だが、本当にデジタルだけが原因なのであろうか?


 日本を代表する「ミニチュア特撮」といえば、やはり東宝ゴジラシリーズ、角川(大映)映画のガメラシリーズ、そして円谷プロウルトラマンシリーズが筆頭に上がるであろう。だが、ゴジラガメラも銀幕からその勇姿を消して久しくなっている。
 ウルトラマンシリーズもまたテレビシリーズの新作が製作されることはなく、年1のペースで公開されてきた劇場版ですら映画『ウルトラマンサーガ』(12年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140113/p1)につづく新作の話は2012年12月現在、聞こえてこない始末である。
 「ミニチュア特撮」自体が人々に飽きられたというのならば、ミニチュアをデジタルで代替すればいいだけの話なのだ。だが、デジタルを大活用した特撮映画やテレビ特撮がつくられるようになったというワケでもない。ということは、「ゴジラ」・「ガメラ」・「ウルトラ」自体が人々や子供たちに飽きられてしまった、あるいは魅力的には見えていないということはないだろうか?


 「デジタル特撮」が主流になる直前の1990年代後半~2000年代前半にかけては、映画『ゴジラ2000 ミレニアム』(99年・東宝)にはじまるミレニアムゴジラシリーズが公開、映画『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』(99年・角川映画)が最終作となった平成ガメラシリーズ3部作も公開。そして、『ウルトラマンティガ』(96年)から始まった平成ウルトラシリーズも続々と放映されていた。
 「ゴジラ」も「ガメラ」も「ウルトラ」もまさに活況を呈しており、「平成ガメラ3部作」と「平成ウルトラ3部作」は特撮マニア間での人気も評価もすこぶる高かったのだ――個人的にはそれらの作品群の高評価にはやや異論もあるのだが(汗)――。


 だが、その当時はまだ特撮マニア間ではリアル・ハード・シリアス・アダルトなどといった要素を求める声が強かった。よって、「特撮」の見せ場そのものよりもそういった要素を重視する傾向の作品も多かったのだ。


 当時なりに本格志向を目指しつつも、良くも悪くもオタク第1世代がまだメインスタッフではなかったために、ややラフな作風に終わっていた90年代前半における平成ゴジラシリーズと比べれば、特撮マニア間での評価はまだマシには思えたシリアス志向のミレニアムゴジラシリーズは、当時の子供向け大人気アニメ『とっとこハム太郎』(00~06年・テレビ東京系)の劇場版と同時上映せねばならないほど低迷していった末に、映画『ゴジラ ファイナルウォーズ』(04年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060304/p1)でシリーズ打ち切りの憂(う)き目にあってしまう――この同時上映形式がまた、シリアス志向のマニアの癪にさわったようである(笑)――。


 そして、特撮マニア間ではひたすらに評価が高かった平成ガメラシリーズもまた、興行的には低迷したこのミレニアムゴジラシリーズを実はさらに下回る程度の観客動員数だったのである(汗)。第1世代オタクたちには酷評されるも、当時の子供たちや若年マニア間では人気も高くて興行的にも大ヒットを記録していた平成ゴジラシリーズの半分の興行成績も達成できていなかったのだ。


 90年代後半の平成ウルトラ3部作にも同じようなことがいえる。実は同時代のテレビ特撮の視聴率としては東映メタルヒーロービーファイターカブト』(96年)やその後番組『ビーロボ カブタック』(97年)などの方が視聴率は高いのだ。そして、平成ウルトラ3部作よりもチャイルディッシュな作風の『ポケットモンスター』(97年)や『遊☆戯☆王』(98年)の方が児童間では大人気を博していたのだ。
 映画『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』(98年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971206/p1)の配給収入は4億5千万円だったのだが、その10倍に近い41億5千万円――21世紀以降の「興行収入」基準だと75億4千万円!――をポケモン映画の第1作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(98年)は稼いでいたのだ(汗)。


 その平成ウルトラ3部作の世界観をリセットした21世紀のウルトラマンシリーズ作品は、戦闘ヒーローとしての高揚よりも怪獣との共生を謳(うた)った『ウルトラマンコスモス』(01年)と、さらにまたそれをリセットして共生の余地などない宇宙怪獣との殲滅戦を描いた『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041108/p1)であった。
 どちらも意欲作ではあるのだが、いずれも子供が好みそうにない要素での極端な振り幅を示したウルトラシリーズは人気が低落していってしまうのだ。


 しかし、同じころに元々「ミニチュア特撮」が占める比重が極めて少なかった東映仮面ライダーシリーズが『仮面ライダークウガ』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001111/p1)で復活する。そして、00年代前半には大人気を博することになり、「平成仮面ライダーシリーズ」として10年以上も継続している。


 この平成ライダーシリーズの大人気による特撮ジャンルのメインストリームの大転換! これが皮肉にも「ミニチュア特撮」とそれをウリにしていた90年代~00年代前半のゴジラガメラウルトラシリーズなどの「巨大特撮」を、よけいに一時代前の古びた作品として感じさせることになってしまったようにも思うのだ。



 90年代前半に大ヒットを飛ばしていた平成ゴジラシリーズも、そのシリーズの第1作目となる84年版の復活『ゴジラ』やその続編『ゴジラVS(たい)ビオランテ』(89年・東宝)は、後年の平成ガメラシリーズのように当時の特撮マニア諸氏も望んでいた一応のリアル・シミュレーション路線をねらって製作されたものだった。しかし、


・『ゴジラVSキングギドラ』(91年・東宝)では、未来人やタイムトラベル・ネタが登場
・『ゴジラVSモスラ』(92年・東宝)では、原典の怪獣映画『モスラ』(61年・東宝)にならって妖精なのか小人なのかもわからない小美人や超古代文明も登場
・『ゴジラVSメカゴジラ』(93年・東宝)では、現実世界の延長線上にある自衛隊ではなく架空の近未来的な防衛組織・Gフォースが登場して巨大ロボット・メカゴジラを建造する
・『ゴジラVSスペースゴジラ』(94年・東宝)では、リアリズム路線とは程遠い宇宙怪獣や、漫画チックな造形となったゴジラの息子怪獣までもが登場してしまうのだ(笑)


 昭和の後期ゴジラシリーズとはイコールではないにしても、それとも似たような変節。1970年代前半の昭和の後期ゴジラシリーズで育った特撮マニアの一部には、各作の細かい出来それ自体への評価は別として、大枠としては結局はこういうB級ノリで怪獣映画はよいのでは? などという意見も出てきていた。
 しかし、1950~60年代の昭和の前期ゴジラ映画で育って怪獣映画を本格的な大人の鑑賞にも耐えうる作品にすることで、特撮ジャンルのステータスを上げたいという70年代末期からの特撮マニア間での風潮にどっぷりと染まっていたオタク第1世代にとっては、それは許せない変節であったことも確かなのだ。そして、この反発の流れが平成ガメラシリーズへと結集していく。


 しかし、昭和のむかしも平成も、子供たちが好むようなワクワクとするものは、やはり退屈な「日常」の延長線上ではなく「非日常」。つまり、巨大怪獣のみならずタイムトラベル・4次元・未来人・宇宙人・地底人・近未来的スーパーメカ・超古代文明・巨大ロボット・宇宙怪獣といった疑似SF・B級SFとしての異形(いぎょう)のモノたちが跋扈(ばっこ)するようなパノラマワイドな見せ物的な世界観だったのではあるまいか!?
――悪い宇宙人の再登場は、ミレニアムゴジラシリーズ最終作『ゴジラ ファイナルウォーズ』まで待たなければならなかったが。飛んでこの時期になると、宇宙人が登場してもオールドマニア連中もケチをつけないどころか、宇宙人が「マグロ喰ってるヤツが」どうこうのメタフィクションなギャグを口にすると喜ぶまでに意識変容を遂げていた(笑)――


 だから、ゴジラガメラもウルトラもヘンにマニア向けにリアリティーや小難しいドラマやテーマなどを重視せずに、少々B級ノリでも巨大ヒーローや巨大怪獣や精巧なミニチュアなどをカッコいいバトルや特撮シーンを通じて見せていく娯楽活劇、我々のようなマニアだけではなく大衆や子供にも顔を向けたオモチャ箱を引っ繰り返したような楽しい「見世物」に徹してさえいたならば、たとえ平成ゴジラシリーズほどの大人気や興収は維持できなかったとしても、ゴジラシリーズもコンスタントに製作できて相応の人気も保てたのではなかろうか?


 とはいえ、平成ゴジラシリーズ終了後に同シリーズにはやや欠如していた女児層や女性層を取り込もうとして製作された平成モスラシリーズ3部作が製作された。しかし、これらは思った以上に人気が出なかったことも厳然たる事実なのである。これは大衆・ライト層向けにあまりにマイルドに製作してもダメだということなのだろう。
 だから、もっと男児向けに平成ゴジラシリーズの世界観を引き継いだかたちで、Gフォース製の巨大ロボット怪獣・メカゴジラやモゲラが宇宙から襲来してきたガイガンキングギドラと戦うようなバトル色を前面に押し出した、いわば平成メカゴジラシリーズ、『メカゴジラVSガイガン』や『メカゴジラVSキングギドラ』などのような作品を製作していった方がよかったのではあるまいか?(笑)


*「特撮映画」「怪獣映画」の本質とは何か!?


「映画の初期に、かつてトリック映画と呼ばれていたもの、たとえば児雷也(じらいや)が印を結ぶと大ガマになるとか、そんな忍術映画みたいなものの延長で怪獣映画って存在しているとも思うんですけど、つまり「見世物(みせもの)」ですよね。
 最初の『ゴジラ』のすごいところって、当時ゲテモノとも呼ばれていた類いのものに、メッセージ性やドラマ性を盛り込んだことで、完成度の高い名作映画として成り立っているところです。
 でも、本来の怪獣映画って、むしろ『ゴジラの逆襲』(55年・東宝)のような、何もないけど、とにかく怪獣が暴れて街が破壊されてスゲェという方かと」

(『特撮映画美術監督 井上泰幸』(キネマ旬報社 12年1月11日発行・11年12月28日実売・ISBN:4873763681)「座談会 現役クリエイターが語るミニチュア特撮の魅力」庵野秀明



 特撮マニア向けムックが発行されて特撮マニアも在野に増えてきた70年代末期から評価が高まって神格化の域にも達した『ゴジラ』第1作。そのメッセージ性やドラマ性の高さについては認めつつも、『ゴジラ』第1作は怪獣映画としてはあくまでも「例外」的な存在なのであり、怪獣映画の本来の魅力とは「ドラマ性」「テーマ性」でなく、「見世物」「特撮」場面にこそあるのだ! 庵野は語っているのだ。


 本誌にかぎらずいわゆる特撮同人誌に目を向けても、その「特撮」についてはほとんど触れずに、作品内で描かれているドラマ性やテーマ性にばかり着目して、ひたすらそればかりを論じている論考が、かつてと比べれば随分と減ってはいるものの、21世紀になった今でも散見される現状がある。


 だが、「特撮」ジャンルとは「非現実」的な事象を「トリック撮影」によって描くことで観客に「驚き」を与えるジャンルなのである。


・実在するワケがない巨大怪獣の出現!
・現実世界では滅多にないスペクタクルな天変地異!
・未来的なデザインのスーパーメカやそれらが繰り出すレーザー光線!
・変身ヒーローの華麗でアクロバティックな肉体的アクション!


 そのような「非日常」的な「見世物」を見せるものが「特撮」ジャンルなのだ。ドラマやテーマなどはなくてもよいとまでは云わないまでも二の次なのだということに、今回の「特撮博物館」でマニア諸氏にも気づいてほしいものである。
 そう、リアリティーやドラマやテーマ性などをヘンに重視してきてしまったがために、見世物・エンタメ活劇としてはモヤッとした弾けていない特撮作品ばかりを、ある時期からこのジャンルは量産してきてしまったのではなかろうか!?


 庵野ピープロの巨大ヒーローもので「お勧め」の作品として挙げた『スペクトルマン』においては、第48話『ボビーよ怪獣になるな!!』~49話『悲しき天才怪獣ノーマン』前後編ばかりが、その高いドラマ性で「異色作」として注目されてカルト的な人気を誇っている。


 そういったドラマ性の解題もよいのだが、この第48話ではスペクトルマンの両脚と股の間から犬怪獣ボビーの姿を、切り返して犬怪獣ボビーの股の間からもスペクトルマンの姿を捉えるといった特撮映像。
 のちに『ウルトラマンタロウ』(73年)や『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)での矢島信男特撮監督の担当回での特撮演出などでも見られた、狭い特撮セットでの対決場面に少しでも奥行き・遠近感を疑似的に与える手法を同話でも採用していたことにも、特撮マニアとしては注目したいのだ――厳密には第34話『ムーンサンダーの怒り!!』でもすでにスペクトルマンの股の間から月怪獣ムーンサンダーを、それらに先立つ東映特撮『ジャイアントロボ』(67年)でも同様の手法は採られている――。


 その後編である第49話に登場した天才怪獣ノーマンの眠たそうな目(笑)は、同じく高山良策が造形した『ウルトラQ』(66年)第5話『ペギラが来た!』&14話『東京氷河期』の登場怪獣である冷凍怪獣ペギラとの共通性を見いだすことができるだろう。


 むろんマニアックな目線で鑑賞せずに、素朴に単に面白かったという見方であっても悪いことではないのだが、ややマニアックであってもそうした観点からも「特撮」作品を楽しんで、むしろ逆にその「演出意図」が作品自体のドラマ性やテーマ性に与えた「効果」を分析的に語ることが、真の意味での「特撮評論」だとも思うのだ。


 ちなみに、このこの前後編と同じ時期に放映されていたのが、かの『帰ってきたウルトラマン』の名作回である第33話『怪獣使いと少年』である。『怪獣使いと少年』の特撮といえば、ウルトラマンジャックvs巨大魚怪獣ムルチの場面をカットを割らずにカメラを横移動させるだけの長回しで撮られていたことを、特撮シーンも観ているマニア諸氏であればご存じだと思う。
 しかし、実はこれは大木淳(おおき・じゅん)特撮監督が同時撮影だった第32話『落日の決闘』の特撮の方に時間をかけたかったための「苦肉の策」だったことが明かされている――特撮作品にかぎらず、むかしからテレビドラマは2話分を1班体制で撮影するためだ――。その結果があれほどの名場面になるのだから、手抜き(?)も一概に悪いものではないのだ(笑)。


 『帰ってきた』の1クール目は一部を除いて都市破壊がほとんど描かれなかった。しかし、同作よりも製作予算が少なかったはずの『スペクトルマン』1クール目では、新宿駅周辺――小田急デパートや自動車メーカー・スバルの看板までも!――や浜松町など、現実の都市が地下鉄やモノレールも含めてミニチュアで再現されている! 自前で製作したのではなく他社からレンタルしてきた可能性も高いのだが、こうした部分についてこそ今後は言説化や研究が必要だろう。



三池敏夫(みいけ・としお)「復活『ゴジラ』(84年)も(映画館の有楽町)マリオンの下まで正確に作られているのに、実際の映画では映ってないんですよね」


樋口真嗣(ひぐち・しんじ)「新宿のセットもそうですよ。実際は代々木の先から新宿御苑(ぎょえん)のあたりまで広大なものが作られているのに、最初に1カット長いのをクレーンで撮っただけで、しかもそれが途中で切られちゃっていて、全貌はほとんど映ってないんですよ」


庵野秀明「もったいない。本編を切ればよかったのに」(……引用者註:爆笑!)


出渕裕(いずぶち・ゆたか)「その通り!(笑)」


(『特撮映画美術監督 井上泰幸』(キネマ旬報社 12年1月11日発行)「座談会 現役クリエイターが語るミニチュア特撮の魅力」庵野秀明



 70年代前半における昭和の後期ゴジラシリーズや同時期の第2期ウルトラシリーズについても寛大な庵野館長ですら、84年版『ゴジラ』の本編はお気に召さなかったようである(笑)。つまり、怪獣映画の本来の魅力である特撮シーンを削ってまで、人間ドラマをやる必要はないのだ。


*『ウルトラファイト』! 『ウルトラマンA』の超獣! 怪獣の出現タイミング! その評価の変遷!


樋口「『(初代)ウルトラマン』(66年)も『ウルトラセブン』(67年)も既に終わってました。だから俺にとってウルトラの最初って『ウルトラファイト』(70年)なんです」


出渕「あの、本編の怪獣バトルだけ抜き出したやつのほう?」


樋口「そうです。あれは子供なら食いつきますよ。俺は『ファイト』派です(笑)。でもおかげでのちに全長版――引用者注・初代『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』の本編――を観ても、「早く怪獣出せよ!」っていう、頭の悪い子供になってしまった(笑)」


(『特撮映画美術監督 井上泰幸』「座談会 現役クリエイターが語るミニチュア特撮の魅力」庵野秀明



 樋口も本格リアル志向の平成ガメラシリーズをつくったからには、70年代末期~90年代においては初期東宝特撮・初期円谷特撮至上主義者であったことには間違いがない。よって、やや奇を衒(てら)って後出しジャンケンで他人と差別化しようとしている気配をプンプンと感じなくもない発言ではある(笑)。
 しかし、記憶の古層を丹念にたぐれば、世代的にも『ウルトラファイト』はたしかに氏の原体験のひとつではあるだろう――往時は初代『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の再放送もひんぱんにあったので、当時もう5才の樋口が『マン』や『セブン』よりも先に『ウルトラファイト』を観たということもなかっただろうが――。


 子供心にそれがチャチいものだとわかっていても、それでも夢中でヒーローと怪獣の格闘シーンを観てしまう。そんな心理を客観視して理論化すれば、まさに「見世物」たる「特撮」ジャンルの本質を『ウルトラファイト』こそが体現していたのだともいえるだろう。


 「早く怪獣出せよ!」という発言もまた、70年代末期~90年代における特撮評論においては、


・「なかなか怪獣が出現しない怪獣映画こそが、大人向けであり高尚なのである!」
・「怪獣登場が遅ければ遅いほど、怪獣映画としては優れている!」(爆)


といった論調が特撮マニア間では主流であった時代あってのそれへのアンチテーゼなのである。
 自身の子供時代を振り返って子供のメンタルの何たるかを考えてみれば、それらは70年代の子供たちにかぎった話ではないだろう。1950~60年代の子供たちでも同様であっただろうし、かの名作『キングコング対ゴジラ』(62年)も特撮シーンを除いては子供たちは劇場内を走り回っていたという証言もあるのだ(笑)――アニメ映画『ドラえもん のび太の恐竜』(80年)大ヒットにまつわる新聞記事だったと記憶――。
 子供どころかマニアならぬ若者、庶民・大衆などもいつの時代も通俗的で物見高くて飽きっぽく、映画館にまで「怪獣映画」を観に来たからには結局のところ、「早く怪獣出せよ!」などと思っていたのに相違ないと気づいたことからこその樋口の発言でもあっただろう。


 1960年生まれで60年代後半の第1次怪獣ブームの直撃を受けた庵野――先述してきたように、氏は決して初期東宝特撮映画や第1期ウルトラの至上主義者ではない!――。それに対して、65年生まれで「第2次怪獣ブームの洗礼を受けた」と公言した樋口は、先の「座談会」でも出渕から



「(『ウルトラマンA』の)超獣好きだもんね」



などと暴露もされている。


 そう。『ウルトラマンA』全話に通じた怪獣種族である「超獣」。異次元人ヤプールが製造したこの生物兵器は、色彩が赤や緑などを基調としたサイケデリックでドギツい色彩や突起を多数備えるなどのハデな見た目を持っていた。
 しかし、中高生になっても子供番組から卒業ができなかったオタク第1世代の一部がそんな自分自身を自己正当化するためにはアリがちの心理だったのだろうが、長期シリーズの初期に登場したシンプルで地味シブなデザインやスタイルの怪獣を「大人の鑑賞にも耐えうる」として持ち上げて、シリーズ後期に登場して差別化として色彩や形態をハデにした怪獣(超獣)たちを劣位に置くことで、後者の存在は特撮ジャンルを社会に認めさせて市民権を得るためには低劣で不要な存在だとした理論武装の果てに、70年代末期~90年代にかけてはマニア間での狙い撃ちの標的にされていたのが「超獣」だったのだ!


 樋口もきっと70年代末期~90年代中盤にかけては、そんな風潮に洗脳されて「超獣」をキラっていたことと思うのだが、やや奇を衒って後出しジャンケンで他人と差別化しようとして……以下略(笑)。
 しかし、平成ガメラシリーズ最終作『ガメラ3』に登場した人型巨大怪獣イリスについては、当時の月刊アニメ雑誌ニュータイプ』誌での連載コラムなどで、それまでの平成ガメラシリーズに登場した怪獣たちとの差別化、そしてそのための「超獣オマージュ」や初期超獣をデザインした「井口昭彦リスペクト」を90年代末にはすでに公言はしていたのだ。


 樋口や出淵の発言は、そんな特撮ジャンルにおける評価の変遷といった歴史的な経緯があった上でのものである。彼ら自身も染まりきってきただろう歴史的な評価をズラしてみせて、かつては彼ら自身も低評価を与えてきた『ウルトラファイト』や「超獣」に対しても、その見解を改めて再評価をするようにもなったのだ! という意味を言外や行間にも込めてある一言でもあることに、ジャンルの評論史の紆余曲折・変遷を知らない年若いマニア諸氏にも理解されたし。



 ところで、『マン』『セブン』の特撮バトル場面の抜き焼きフィルムと、怪獣倉庫に眠っていたセブンや怪獣のスーツを使い回しで特撮セットならぬ屋外で巨大感もなしに新撮された映像で構成された作品が『ウルトラファイト』であった。
 樋口に近い年齢である筆者も、実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)監督作品でありアンチテーゼ編の傑作として特撮マニア間での評価も高い初代『ウルトラマン』第23話『故郷は地球』の初代マンvsワケありの怪獣ジャミラの特撮シーンを抜き焼きした、『ウルトラファイト』は正確な放映順が不明であるが一応の第191話とされている『ジャミラ 虫の息』を、リアルタイムで観た記憶がいまだに残っている。
 もちろん、初代ウルトラマンが水に弱い棲星怪獣ジャミラを合わせた両手の先から噴射したウルトラ水流で倒すのは原典『マン』第23話と同じである。しかし、『ファイト』版ではこの回にかぎらずBGMやSE(エスイー=サウンド・エフェクト=効果音)が差し替えられているので、元は某国(フランス? フランスの植民地だったアルジェリア?)の人間であり宇宙飛行士でもあったジャミラの断末魔の悲しそうな呻(うめ)き声までもが消されてしまって、いつもの『ファイト』同様に初代マンが単に悪い宇宙怪獣を始末するような趣(おもむき)になっていたのだ(爆)。幼児ながらにマニア予備軍の気があった筆者はこれに対する違和感を持ってしまったようであり、リアルタイムで観賞した際の記憶がいまだに残っていたりする(笑)。


短編特撮映画『巨神兵 東京に現わる』


 『ウルトラファイト』の2分40秒ほどの尺と比べれば短くはないのだが、9分3秒という短い尺により、宮崎駿(みやざき・はやお)監督作品であるアニメ映画『風の谷のナウシカ』(84年・東宝)に登場した巨神兵が、東京の街を破壊し尽くすさまを描いた短編特撮映画『巨神兵 東京に現わる』が、今回の企画展の展示の一環として制作・公開されていた。庵野館長による企画意図は、以下のようなものである。



「特撮の魅力、面白さとは何かを再考し、その答えの集合体となった作品を創る。
 特撮作品の魅力として、巨大生物や街の崩壊など、見たことがない画面の創造。
 ミニチュアと思えなかった画面が、それと知った驚きの技術。
 現実の中に描ける夢の映像。人間が創造の空間の中にいる違和感の面白さ。
 ――などの特撮映像が本来持っている面白さを改めて伝える。
 そのための短編作品をミニチュアを主力として創りたいと考えます」



 氏が語る「特撮の魅力、面白さ」の中には「優れたテーマやドラマ」なぞといった言葉は一言もない。「特撮本来が持つ魅力・面白さ」を追求した短編映画をつくるのであれば、テーマやドラマの方を削るべきなのだろう。
 一応、庵野館長による脚本はつくられてはいるのだが、セリフとしては氏の代表作『新世紀エヴァンゲリオン』のヒロイン・綾波レイ(あやなみ・れい)の声で知られる声優の林原めぐみ(はやしばら・めぐみ)によるモノローグで構成されているのみである。
 あとは「早く怪獣出せよ!」と叫んでいだ『ウルトラファイト』世代であり、今回の企画展の「副館長」も務めた樋口真嗣によって、巨神兵が早めに登場(笑)して東京大破壊絵巻が描かれているばかりなのだ!


・CGでお手軽(?)に描くことができるはずの巨神兵の動きを、全高180センチの人形を製作して、文楽(ぶんらく・人形浄瑠璃)人形の要領で人の動きと操演を連動させて各パーツを動かすとか!
・大小スケールが異なるミニチュアを組み合わせることで、遠近感を強調するとか!
・その中に人物の後ろ姿を撮影したものを切り抜いて配置するとか!
・森ビルが製作した東京の巨大な都市模型を、空撮の代わりに使うとか!
・市販の犬のぬいぐるみを改造して、巨神兵に向かって吠えるさまを再現するとか!
・アパートの一室の雑多な雰囲気をミニチュアで再現し、その窓から見える巨神兵や周辺の風景を映しだすとか!
採石場跡地でガソリンと火薬を派手に爆発させ、それを映像素材に使用するとか!
・巨大な原子雲を、なんと綿(わた)でつくり、ワイヤーで吊(つ)って動かすとか!
円谷英二特撮監督作品すべての背景を描いたのみならず、黒澤明(くろさわ・あきら)監督や伊丹十三(いたみ・じゅうぞう)監督作品にも関わっていた「雲の神様」と呼ばれる背景美術の第一人者・島倉二千六(しまくら・ふちむ)が描いた「暗雲」と「地獄雲」を背景に使用するとか!


 筆者は残念ながらこの作品の動く映像は観ていないものの、「短編」どころか「大作」映画並みに用意されたパンフレットに掲載されたメイキングの数々は、まさに「驚き」の連続であったのだ! まだまだ「アナログ」特撮だって、ここまで「スゴイ」ことができるのである!


「特撮」映像のサプライズ・高揚感が、次世代へと「特撮」を継承していく!


「このインタビューは、パンフレットの最後なんですよね。
 では、このパンフレットを隅から隅まで読んで、僕のページまでたどり着いた、君!
 なおかつ「スゲー!」って言いながら全ページ読みふけっちゃった、君!
 しかも小学生だったりしたら……。
 君の人生は、今狂い始めたぞ。
 特撮の未来は君に任(まか)せた!


 来館された方で、ひとりでもふたりでもいいですから、「オレもやってみてぇ!」と思って欲しいですね。フィギュアとか模型を集めたりするよりも、作ったり動かしたり壊したり撮ったりした方が、もっともっと楽しいよ!」

(『館長 庵野秀明 特撮博物館 ~ミニチュアで見る昭和平成の技~』別冊『巨神兵東京に現わる』(日本テレビ放送網 12年7月5日発行)「オレもミニチュア特撮を撮ってみたい! と思わせたい。」樋口真嗣



 そうなのである。「特撮博物館」とは決して古いミニチュアを寄せ集めた懐古趣味(かいこしゅみ)だけのイベントではなかったのだ。それどころか、それらに込められていた、今失われつつある「巧の技」を次の世代に継承する。それこそが真の目的だったのである!
 かつて樋口副館長がそうであったように、「スゲェ~! これどうやって撮ったんだろう?」などという新鮮な驚きから特撮の道へと進んでいく。「特撮博物館」は、まさにそのための道標(みちしるべ)であったのである!


 「デジタル特撮」が主流となった今、これはどうやって撮ったのだろう? などと驚く子供は数少なくなってしまっているのかもしれない。本来、「ミニチュア特撮」もそれとバレずに「リアル」に見えることが目的とされていたので、それはそれで理想が達成されたのかもしれない。
 しかし、常にいつの時代も少数ながらは存在するマニア気質の子供であれば、「特撮」が「非現実」のウソだということはわかっていて、それでも「非日常」の世界に惹かれてしまっているものだろうし、そしてそのデジタルも含む「特撮」のウラ側のことをも気にしてしまうものだろう。


 アナログ時代の「ミニチュア特撮」をよく知る者たちが今後は「特撮」ジャンルの本質・映像的快楽・サプライズとは何ぞや!? ということに自覚的になるのであれば、ドラマやテーマのための「特撮」ではなく、「特撮」自体を主眼に据えた作品を、そうでなくても「特撮」シーンがクライマックスとなるためにドラマやテーマが逆に配置されているような作品をつくっていくべきではなかろうか?

2012.12.2.
【展覧会図録】館長庵野秀明 特撮博物館-ミニチュアで見る昭和平成の技
(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2013年号』(12年12月29日発行)所収『館長・庵野秀明 特撮博物館』合評1より抜粋)


合評2 「特撮博物館」考 ~オタクとプロフェッショナル、そして発達障碍~

(文・H.KATO@汗牛軒主人)

《破壊は、必ず反面に建設をうながす。屈辱が栄光を約束する。》(むのたけじ


 「特撮博物館」がようやく名古屋にやってきました。
 筆者は中部地方の愛知県在住なので、仕事の関係でそうそう県外に出られません。なので、東京での開催も四国の松山での開催も見送らざるを得ませんでした。それはもう泣きたくなるぐらい切ないことでした。悲しいですけど、大人ですから。「現場」で踏ん張らざるを得ない、社会人ですから……ネ。


 そ・れ・がッ! ついに来ました愛知県! 「特撮博物館 名古屋展」、開催です!


 さっそく出かけました。さっそく出かけましたとも! ええ、……5歳の娘を連れて……(これもまたなかなか県外に出られない理由だったりします)。


 到着するや目に飛び込んでくるのは、会場である名古屋市科学館前にズラリとならんだ大行列! 心が折れそうになります……。行列が苦手なタチです。
 そういや「特撮博物館」の館長・庵野秀明(あんの・ひであき)のロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)の旧劇場版(97年)は、公開初日に始発で観に行ったら映画館を中心に行列がとぐろを巻いており、圧倒されて行列にも並ばず帰った苦い思い出があるのですが……。さすが庵野、あなどれねぇぜ!


 ……と思いきや、大行列は名古屋市科学館名物のプラネタリウムに並んでいる人たち。「特撮博物館」に並んでいたのはほんの十数人でした……。
 大行列じゃなくてひと安心ではありますが、そんな常設のプラネタリウムじゃなく、「特撮博物館」こそ「文化」なんじゃない? あんたらそれでいいのか? だから名古屋は「文化不毛の地」などと揶揄され、有名アーティストに「名古屋飛ばし」されちゃうんだよ、ええぃこの愚民どもめ! なんぞとそれ自体いかにも愚民めいたことを屈辱的に考えつつ、数分並んであっさり栄光の入場。5歳の娘がぐずる暇もありませんでした。


《自由ってのもけっこう面倒なもんでよ。いつも自由でいるためには、やんなきゃなんねえしんどいことだってあるんだよ。》(ルパン三世


 会場に入るや、メカゴジラによるお出迎え。娘は怖がっちゃってメカゴジラには近寄れません。おとーさんとしてはもっと近寄って心ゆくまで鑑賞したいのですが、メカゴジラにおびえる娘が許してくれません。


 さらばメカゴジラ、そしてヒーローのスーツ、そして地球防衛チームのメカ……。ああ……視界の端っこに初代『ウルトラマン』(66年)の科学特捜隊のスーパーガンが見えるけれど……立ち止まれません、さようならさようなら、われらのスーパーガン……。


 メカゴジラにおびえた娘、次は巨神兵(きょしんへい)におびえます。薄暗い特撮美術倉庫も立ち止まってくれません。キングギドラも怖くて正視できません。ガメラでついに泣いちゃいました……。


 最後の展示、ミニチュアの街並みには興味津々の娘でしたが、今度は触りたがっちゃって……仕方なく肩車したところ、会場係さんから「肩車は禁止となっております!」。


 半泣きで(筆者が)、会場をあとにしたのでした。



 などと、うちの娘のことをさんざん書いてしまいましたが、実はうちの娘、発達障碍(はったつ・しょうがい)があるのです。


 発達支援センターの先生によれば、「自閉傾向あり。ただし、知的レベルは高そう」という診断。


 自閉症、あるいは自閉症スペクトラム障害……Wikipediaウィキペディア)によれば「社会性の障害や他者とのコミュニケーション能力に障害・困難が生じたり、こだわりが強くなる精神障害の一種」とあります――字面から内向的な性格や症例を示すと誤解されがちですが、必ずしもそうではありません――。
 筆者も娘が自閉傾向であると分かって以来、さまざまな本を読んで勉強してきましたが、スペクトラム(分布範囲)の名の通り、一概に「自閉症とはこうだ!」と割り切れない難しさのある障碍なのだそうです。


 自閉症の症例として、いくつかの特徴があるのですが、そのひとつが「初めての場所や経験が苦手」というもの。


 わが娘。考えてみればこんなに大人がたくさんいるところは初めて。ついでに、博物館とか美術館というものも初めて。そりゃ泣くよなあ。娘同伴がしんどいことはないのですが、今度は一人で来て自由にしようと、コブシを握りしめた筆者です。


《友よ 明日のない星と知っても やはり守って戦うのさ》(宇宙海賊キャプテンハーロック


 そしてやってきましたセカンドインパクト、です。今度は嬉しくて嬉しくて、やっぱり涙ぐみながらの鑑賞となりました。


 展示されているものについては圧巻のひと言で、これは事前から予測していたとおり。スゲえよなあ、匠(たくみ)の技だよなあ、現代の名工だよなあ、こんなものをテレビシリーズでやるって、どれだけ手間暇とコストがかかってんだよって感じ。


 初代ウルトラマンのデザインを担当した成田亨(なりた・とおる)画伯の描かれた『真実と正義と美の化身』……。胸の中央にあるはずのカラータイマーがない初代ウルトラマンそのものじゃないですか!
 もともとは初代ウルトラマンにはカラータイマーが付いていなかったそうですね。成田本人は自身のデザインしたウルトラマンにカラータイマーという装飾をつけられたり、ツノやヒゲをつけられたりするのは納得していなかった……という話があって、後継シリーズに登場したウルトラの父ウルトラマンキングのことも愛する世代人としては成田の理論に全面屈服するわけでもないのですが、なるほどデザイナーの中ではウルトラマンはこういう姿をしていたんですねえ。泣けてくるなあ……。


 会場のそこかしこから子どもの泣き声が聞こえてきます。うちの娘が泣いちゃったのは、発達障碍ゆえにと思っていましたが、もともと怪獣などというものは子ども向け作品としての愛嬌がありつつも相応には怖いものでして、もちろん洋ものホラー映画に出てくる怪物ほどではないにしてもプロフェッショナルが本気で造形したものが幼児一般に怖くないわけないですものね(かく言う筆者は幼少時に怪獣を怖がって泣いた記憶はないですが・笑)。


 しかし実際、子どもの審美眼というものはバカにできないものがあります。私事で恐縮ですが、うちの娘などは移動の車中では常にアニソン(アニメソング)や特撮サントラ(サウンドトラック)などを聴かせて英才教育(?)に努めておりますして、『ドラえもん』(79年)や往年の女児向けアニメ『キャンディ キャンディ』(76年)や『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』(76年)などなど、世代的に作品そのものは視聴できない作品でも、世間で名曲の誉れ高いものから彼女のお気に入りになっていきますから。大人の本気に、少年時代の庵野秀明もシビれたってことなんでしょうね。


 そんなこんなで、ため息と涙、めくるめくエクスタシー的なひとときだったのですが、その感動の立役者となったのが庵野秀明による展示品の解説文。
 展示品のいくつかには庵野秀明の妻である安野モヨコのイラストとともに、庵野秀明の解説文がつけられているのですが、それがまた展示品を引き立てるのです。なんといっても語彙が豊富なのです。
 職業柄、中学生の読書感想文などを読むと、「すごいと思いました」「感動しました」「自分だったらとてもできないと思います」のオンパレードなのですが、それぞれの展示品について、多種多様な表現で絶賛しているのです。
 それをイチイチここで書くことはしませんが、オタクやマニアには新しい楽しみ方の視点を与え、素人衆には展示品がいかに価値あるものかを伝える、見事なポップになっており、「やるじゃないか、庵野秀明!」という感じなのです。


 庵野秀明の凄さはもちろんそれだけにとどまりません。明日のないミニチュア特撮だと知ってはいても、やはり守って戦ってみせた新作短編映画『巨神兵東京に現わる』のなんと面白いこと!


 「特撮映像が本来持っている面白さを観客に伝える」というのが、庵野秀明がパンフレットに書いていた企画意図だそうです。


 でも、わずか9分強の映画を観たあとは、描かれたさまざまな自然災害もひょっとして、原典のアニメ映画『風の谷のナウシカ』(84年)における「火の七日間」のプロローグじゃないのかとか、ひょっとして今後の人類社会が直面する災厄を「巨神兵」に象徴させているのではないかとか、それに対する警告なのではないのかとか、意図せざる結果的なものだったとしてもテーマ的な深読みもしないではいられなくなります。


 庵野秀明、スゴい! 天才! ブラボー!


 庵野秀明の妻・安野モヨコのエッセイ漫画『監督不行届』(02年)や、熱血ギャグ漫画家・島本和彦私小説漫画『アオイホノオ』(07年)で描かれる庵野秀明は、風呂嫌いで偏食家の「変な人」です。直接の面識はむろんありませんが、それらマンガの影響でそういう「変な人」として、筆者は庵野秀明を認識しておりました。
 でもその認識も、「スゴい映像監督」というふうに変更せねばなりません。やっぱり庵野秀明って名前は、ダテじゃないです! 突出した天才です!


《めんどくせえなあ。まことにめんどくさいよね。あーめんどくさい。めんどくせえぞ。めんどくさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。》(宮崎駿


 で、その「天才」なのですが、やっぱり庵野秀明の「天才性」の土台となっているのは、大変失礼ながらも勝手に踏み込んだことを云ってしまえば、彼自身の一種の広義での「発達障碍」のようなものではなかろうか? などということも考えてしまいました(汗)。仮に発達障碍だとしたらば、高機能自閉症(知能な発達の遅れがない自閉症)ではないかと推測されます。


 だからこそ風呂嫌いで、だからこそ偏食家で、だからこそ服装に無頓着で、だからこそ過去のアニメ・特撮作品に異常に詳しくて、だからこそあんなにも物事に集中できるのではないでしょうか?(ここでいう「集中」というのは「執着・こだわり」とほとんど同義です)。
 まぁ、庵野個人ももちろんディテールの細かいメカや爆発シーンの作画をしながら「めんどくせえなあ」と思っていたことはあったでしょう。その気持ちと戦いながら、仕事を仕上げてきたという意味では、そこに自発的な意志も込められていたことでしょう。
 しかし、先に挙げたマンガで庵野秀明の「変なところ」として紹介されていることのほとんどは、自閉症の特性と同じだったりするのです。


 自閉症児の親には「うちの子、エジソンと同じ障碍なんですって。発達障碍っていっても、その特性を生かしてスゴい人になる人がいるんですよ。長嶋茂雄とか、黒柳徹子とか……」などと言う人もいらっしゃいます。ちょっと行き過ぎたプラス思考や自分と自分の子どもに対する慰めの言葉で、それはそれで時としてゲンナリしたりもするのですが、「特撮博物館」を見学して「やっぱりちょっと自閉症、スゴいかも」などと考えて、わが身を励ましたくなったのも事実です。


 物事に対するこだわりが異常に強かったり、いわゆる「ふつうの人」と物の考え方や感じ方が違ったりと、発達障碍を持つ人には生きづらさがつきまといます。でも、それらの特性をうまくいかすことによって、発達障碍者はふつうの健常者以上の高みに到達しやすいということが実際にあると思います。


 発達障碍は庵野秀明にかぎりません。『巨神兵東京に現わる』のメイキング映像に出てきた数々のプロフェッショナル。彼らの並々ならぬ意欲・こだわりが画面を通して伝わってくる、メイキングものとしても出色の出来だったと思います。あれだけのこだわりをもって映像に挑むというのは、もちろん彼らのプロ意識であるとか、特撮に対する愛ゆえに……ということもあるのでしょう。
 でも、それと同等に、あるいはそれ以上に、失礼ながら彼らにも広義での発達障碍の傾向があるからではないでしょうか?


 発達障碍児というのは、周囲のクラスメイトから浮きがちになります。大人になれば他人の少々の変わった言動などについては、露骨に指摘や攻撃などはせず、それだといじめになってしまうと自覚して寛容に許すようになれるのがふつうなので「ま、こういう変な人もいるよな」というふうに許容されることは増えます(もちろん、他人に対する配慮のない方々ばかりが集まってしまった職場もあるでしょうから、そこでご苦労されている方々にはご同情申し上げます)。
 しかし、彼らの持つ「異常な集中力」や「ふつうとは違う感受性」ゆえに「ふつうの子たち」の集団の中では浮いてしまうことでしょう。個人の「個性」というよりかは明らかな「違い」、モノサシの当て方によっては「弱点」「劣った点」とも取られる要素については、いわゆる性善説人権派の方々の認識とは異なり、遠慮がなく容赦もしない子どもたちの間では、時にそれが蔑視や仲間外れやいじめなどにも発展して、つらい少年時代を過ごす者も少なからずいます。
 発達障碍というのは、そういう意味では常に誇れる「個性」などではなく、やはり時に人生を生きづらくさせてしまう(「障碍」ならぬ)「障害」になってしまう局面があるのも否めないとは思うのです。ハンディキャップであり、ハードルであったりします。


 一介の素人が「発達障碍」の定義をあまりに広げてしまうことは問題含みであることは重々承知していますが、特に「自閉症スペクトラム」は「スペクトラム」の名の通り、症状としてはグラデーション、段階的に変化していく広い幅があり、健常者との境界もかぎりなく曖昧ですので、あえて拡大解釈させていただきます(笑)。
 これは推測ですが、庵野秀明以下、この『巨神兵東京に現わる』に携わったスタッフの多くは、あるいはオタクの道に進んだ我々は、そしてこれを読んでいる皆さまも、大なり小なり「発達障碍」の傾向があるのではないでしょうか!? そして、おそらくは「生きづらい」少年期・思春期を過ごしたのではないでしょうか!?


《面白きこともなき世を 面白く住みなす者は 心なりけり》(高杉晋作


 『巨神兵東京に現わる』パンフレット、最後のページには「特撮博物館」の副館長にして『巨神兵東京に現わる』の監督である樋口真嗣(ひぐち・しんじ)からの檄文(げきぶん)が掲載されています。大切なところなので、引用してみます。


《このパンフレットを隅から隅まで読んで、僕のページまでたどり着いた、君!
 なおかつ「スゲー!」って言いながら全ページ読みふけっちゃった、君!
 しかも小学生だったりしたら……。
 君の人生は、今狂い始めたぞ。
 特撮の未来は君に任せた!(中略)
 「オレもやってみてぇ!」と思って欲しいですね。フィギュアとか模型を集めたりするよりも、作ったり動かしたり壊したり撮ったりした方が、もっともっと楽しいよ!》


 筆者は樋口真嗣の人となりはよく存じておりません。
 でも、前述したように、発達障碍であるか否かはともかく、オタクやマニアとして、ふつうの日常生活にはなじめずに面白くない人生を送っているのであれば、好きなことを追求することでプロにはなれなくても、ちょっとした生の高揚なども味わえて、少しは面白く生きられるのかもしれません。面白く生きられなくても自分への少々の慰めや励ましにはなりえます(笑)。


 そして、このメッセージは少年に対してだけ、という読み方をしなくてもよいでしょう。「発達障碍」の症状が「個性やわがまま」として黙殺され(そういう時代でもありましたが)、自分自身でも健常者のつもりで成人してしまい、あるいは内向的な性格であるための生きづらさを抑え込み、健常者の数倍もの努力で面白くない社会と折り合いをつけて生活している、筆者を含めた多くのオタク諸氏に向けてのメッセージだと勝手に読み替えてしまっても許してほしいとすら思います。
 少なくとも、娘のために勉強すればするほど、自身も発達障碍だったのかもしれない、発達障碍ではなかったとしても生きづらくはあったことを思い出さざるをえない筆者としては、そんなふうに受け止めてみた次第です。


 ……もちろん、実際の庵野秀明樋口真嗣らの発達障碍の有無については別として……。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2015年号』(14年12月28日発行)所収『特撮博物館 名古屋展』評より抜粋)


合評3 「特撮博物館」に見る「特撮」の過去回顧と未来展望!

(文・T.SATO)
(2012年10月執筆)

特撮博物館」展示終了日の前日は大混雑!


 展示終了日の前日の10月8日(日)、三連休のなか日に観覧。


 JR線で例えるならば、まるい緑の山手線・圏外。真ん中通るは中央総武線で例えるならば、山手線とのターミナル駅でもある秋葉原から電車で東に2駅の数分で「隅田川」を超えた両国駅以東の「江東」の地。実際には中央総武線の南に沿って走っている地下鉄・都営新宿線菊川駅を下車する。
 整然とした碁盤目状の道路が走っているが、駅前は閑散としていて商店やチェーン店居酒屋の類いも1~2件しか存在しない。駅の近くには新築高層マンションが多少あれども古クサいビルや建物ばかり。同好の士らしい人物たちが会場へと向かっていく様子も見当たらない。「現代美術」の香りなどは一切しない近代下町である(汗)。


 やや拍子抜けして道路を南下していき、徒歩15分ほどの地にあるハズの巨大公園の敷地内にある「東京都現代美術館」へと向かった。


 ……着いてビックリ! 途中の歩道は閑散としていたのに、ドコから沸いてきたのか、別の最寄り駅から来ていたのだろうが、


「チケット待ち15分! 入場待ち2時間!!(!)」


などというアナウンスが流れている! そんなに並んでいるようにも見えないのだけど。


 事前にオタク友達からチケット購入が大変だとの情報を得ていたので、前日の晩のネットサーフィンで調査済であった公園真向かいのコンビニエンスストアセブンイレブンの自動券売機にてチケットを並ばすして購入(汗)。
 博物館の建物の中にもアッサリ入れて、長い廊下の通路を占めている行列もさしたる長さに見えずに拍子抜けする。しかし、館内の行列は途中から右の扉外へとハミ出していた! そして、建物の外に隣接している公園の長い長い数百メートルものミゾ状になっている歩行者通路を通じて、牛歩戦術のU字型の行列になっていたのだった!


 仰天! いったい何千人が並んでいるのやら。実際には2時間はかからなかったが、1時間半は並んだ行列となった(汗)。


 ようやくイベント会場に入場したところ、そこにもまた都心のラッシュアワーの電車並みの混雑状態が! この日時点で入場者数が20万人だか25万人だかを突破したとのこと。よって、イベント開幕の7月上旬~10月上旬の約3ヶ月だと約90日。計算の便宜で100日間だとすると、1日あたり2000~2500人は入場している。平日の入場者数は少なくて週末は混雑しているだろうから、土日には4000~5000人以上の入場者があったのではなかろうか!?


 私事で恐縮だが、今回同行した特撮同人ライター・I氏は都合3回目の入場だったそうで、7月と9月の平日に入館した際にはガラガラだったとのこと。また、畏友が発行している某特撮同人誌『ゴジラガゼット』などでは早くも8月夏コミ号で、この「特撮博物館」をレポートしているが、逆にコチラの記事では夏休み期間中であったせいか家族連れで盛況だったとのことだ。好事家諸氏にあられては客入り状況の歴史証言の参考にされたし(笑)。


 だが、筆者が観覧した日は夏休みが終わって久しかったせいか、子供連れの家族はゼロではないにせよ極少であった。ではどんな客層であったのか? そこから見えてくる光景とは? といったことは後述していきたい。


 パンフレットが売り切れで購入できなかったために――会場内でも通販はしており、帰宅間際にそちらを申し込むも翌月11月に現物が到着予定――、記憶だけで記していくので、細部にまちがいがあった場合にはご容赦を願いたい。


 まず、入場してすぐの短い通路の右壁には、巨大なシルエット絵で初代ゴジラ(54年)や初代ウルトラマン(66年)や新ゴジラ(84年)が描かれていた。特撮監督の御大(おんたい)・円谷英二つぶらや・えいじ)の簡単な説明文もあったと記憶する――日本テレビで放映された2012年7月22日(日)14時からの1時間の宣伝特番『シューイチ』×『「館長庵野秀明特撮博物館」SP(スペシャル) コレが決定版! 最強特撮ベスト10(テン)」』でもそーなっていたので、この記憶にまちがいはない――。


まずは「人造エリア」×「メカゴジラ」!


 そして、入った展示スペースは「人造エリア」。いわゆる「メカニック」の類いの展示スペースである――「人造の間(ま)」であったように記憶していたのだが、先の宣伝特番で再確認をしてみると「人造エリア」という名称が正解であるようだ――


 程々に高い天井とけっこう広大なスペースの中には、いわゆる「ミニチュア」が多数展示されており、壁には往年の1960年代・東宝特撮怪獣映画の宣伝ポスターの巨大な復刻版などがいくつも飾られている。


 近未来的なスーパーメカニックの類いだけではなく、東京タワー・鉄塔・送電線。方眼紙に描かれたそれらの特撮美術のデザイン画(=ミニチュアの設計図)。
 各種マニア向け書籍の図版などで知らなくはなかったけれども、特撮ジャンルに限定した話ではなく当時の日本全般がそーであったということなのだが、1950~60年代(昭和20~30年代)という時代を反映してか、「メートル」や「センチ」ではなく「尺」の単位で設計されている点なども、当時の世情までもが偲ばれて改めて印象的である。


 往年のゴジラシリーズ映画『メカゴジラの逆襲』(75年)に登場した「メカゴジラ2(ツー)」の着ぐるみなども展示されている。カッコいいけどコレが案外と小さいのだ。37年もの歳月の経年変化で縮んでしまったのであろうか? それとも当時の日本人の平均身長がまだ小さかったのであろうか?


 コレらも先に述べた日本テレビで放映された宣伝特番にて紹介されていたので、現地に行かなかった方々でも同番組を観賞したマニア諸氏であれば、展示内容についてはご承知のことだろう。



 平成版ではなく21世紀版でもなく70年代前半の第2次怪獣ブーム時代の昭和のメカゴジラといえば、世代人には絶大なるインパクトを残した名悪役怪獣である。しかし、「ゴジラ」シリーズは「劇場作品」ではあったので、メカゴジラなどは幼児誌『テレビマガジン』などでは紹介されてはいたものの、実際にリアルタイムで過半の子供たちがスクリーンで鑑賞したとは云いがたい存在ではあった。
 けれども、70年代中盤での初登場~70年代末期の第3次怪獣ブーム時代においては、印刷媒体などで常に子供たちには知られていたスター怪獣ではあったのだ。


 1970年代は年末年始・春休みなどの時期の夕方になると、ひっきりなしに1960年代の「ゴジラ」シリーズの映画が、当時は東京12チャンネル(現・テレビ東京)とも民放・最下位レースを競っていたフジテレビ(汗)にてひんぱんに放映されていた。よって、往時の関東圏の子供たちは自然とゴジラシリーズに啓蒙されていったのだ。


――すでに70年代初頭にはTVはカラー放映が一般化していたので、1950年代のモノクロ時代の元祖『ゴジラ』(54年)&『ゴジラの逆襲』(55年)の2作品と、公開からまだ間がなかった70年代の東宝チャンピオン祭り時代の昭和の後期『ゴジラ対~』シリーズの映画は放映されていなかった。しかし、同世代の地方出身者でもゴジラ人気は高いので、他の地方でも大同小異な状況だったのだろうとは推測する――


 よって、筆者のような70年代前半の第2次怪獣ブーム~70年代末期の第3次怪獣ブームの洗礼を受けた世代の子供たちにとっての『ゴジラ対メカゴジラ』の初視聴は、だいたいが1979年4月のTV番組改変期に日本テレビで夜7時台のゴールデンタイムに初放映された時点であっただろう。


 この1979年3~4月は体感的にはいわゆる第3次怪獣ブームが猛烈なるピークに達していた時期であった。ちなみに、この第3次ブームはその前年である1978年からはじまったものである。


ゴジラ対メカゴジラ』(74年)がTV初放映された79年4月は第3次怪獣ブームの頂点!


・本邦初のマニア向け書籍『ファンタスティックコレクションNo.2 ウルトラマン 空想特撮映像のすばらしき世界』(朝日ソノラマ・78年1月25日発行・77年12月25日ごろ実売?・ASIN:B0068ZH1VM)の発行
――この時代の「怪獣博士タイプ」でのちのち特撮評論同人ライターになったような後年でいうオタクの気がある小学生たちは学年を問わずに皆がそうであったようだが、イラスト主体で怪獣解剖図鑑とは異なる体裁である大人向け(厳密には青年向け)の内容に衝撃を受けて即座に購入。定価500円であったことも小学生たちが購入に踏み切れた大きな理由で、同書籍は10万部も売れたそうだ――


小学館の幼児誌『てれびくん』でも78年になると巻頭カラーグラビアにて毎号、大々的にウルトラシリーズの特集を開始し、居村眞二(いむら・しんじ)先生によるそれまでのウルトラシリーズ各作の番外編を漫画として描く連載もスタート


・78年のゴールデンウィークの時期には『キングザウルスシリーズ』というブランド名で、足のウラに当時の怪獣図鑑などによく掲載されていた足跡である「足形」がモールドされているウルトラ兄弟ウルトラ怪獣のソフトビニール人形(ASIN:B09C4Y37NS)が、ポピー(83年にバンダイに吸収合併)から380円で発売


・関東圏では78年5月15日(月)からTBSの平日早朝6時25分の枠で『ウルトラマンタロウ』を筆頭に歴代ウルトラシリーズの再放送を開始


・先立つこと大阪圏でも78年3月9日(木)からフジテレビ系の関西テレビの平日夕方16時30分の枠で『特集! ウルトラ60分』と銘打って『帰ってきたウルトラマン』を皮切りに歴代ウルトラシリーズを2話連続の2本立てでの再放送がスタート


・加えて関東圏では78年8月21日(月)からフジテレビの平日夕方18朝の枠で初代『ウルトラマン』の再放送が、10月からTBSでも毎週土曜朝7時から『ウルトラセブン』の再放送も開始されて、朝夕で『ウルトラ』が週に最大10本も再放送!――70年代の民放の夕方のニュースは18時30分からの30分間しかなかったのだ(!)――


・78年7~8月から発売が開始された、20円ガチャガチャの怪獣消しゴム(ASIN:B09NCVSGRM)の大流行!――怪獣ソフトビニール人形は幼児向けでハズいけど、新興ジャンルの怪獣消しゴムならば小学生が集めていてもオッケーという、今から思うに非合理かつ小学生ながらその幼稚な趣味を自己正当化したいがための風潮・空気もあったのだ(笑)――


・駄菓子屋で売っていた1袋20円で5枚入り、ラッキーカードが当たると番号ごとに全108番号で貼る場所が決まっているミニアルバムがもらえる、山勝の『ペーパーコレクション ウルトラマン』シリーズも大流行!
――こちらは先立つこと77年から発売されており、79年までに連番で1000番前後の第9弾あたりまで発売。『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)放映開始とともに同作主体で再スタートもする――


・その逆に最初にカード未貼り付けのアルバムを購入して、あとから袋入りのカードを順次購入していく、書店で販売していた講談社の大判の『ワールドスタンプブック 怪獣の世界』(ASIN:B08SHSCDFW)――もちろん、ウルトラヒーロー&ウルトラ怪獣に限定されたもの――


・二見書房の箱入りの厚紙写真カードめくり形式の『ウルトラ大怪獣100枚』(ASIN:B01LTIQLC2)――こちらも3~4弾まで発売――


竹書房の大判安価写真集である「アドベンチャー・ロマンシリーズNo.2『GO! GO! ウルトラマン』、同No.3『ガッツ! ウルトラ』(ASIN:B09FZ7W96R)、同No.9『アクション! ウルトラ』(ASIN:B09FZ4GTYM


キングレコードウルトラシリーズ主題歌集『ウルトラマン大百科!』、つづけて名場面+BGM集の『サウンドウルトラマン!』が78年5月21日までに、遅れて怪獣活躍場面の音源再録が中心の『ウルトラ怪獣大百科!』も、これらすべてが第1期ウルトラ世代の特撮マニアたちの特撮研究サークル「怪獣倶楽部(かいじゅうクラブ)』主宰で円谷プロ所属であった酒井敏夫(竹内博)による構成&解説で発売


・同じく「怪獣倶楽部』の面々による、グラビア+研究書ムックであるウルトラシリーズや特撮の歴史の概観である『てれびくん別冊① ウルトラマン』(78年8月15日号・7月15日実売・ASIN:B0076GJ71Y)と、『てれびくん別冊② ウルトラセブン』(78年11月15日号・10月15日実売・ASIN:B0076GM1GC


・同じく彼らの手になる、『ウルトラマン大百科』(ケイブンシャの大百科26・78年8月10日発行・ISBN:476691564X)や『ウルトラマン全(オール)百科』(小学館コロタン文庫30・78年10月10月発行・ISBN:4092810350)をはじめとする、児童書を装いながらも妙にマニアックな豆百科の類い



 正直に云うと、「ゴジラ」シリーズではなく「ウルトラ」シリーズの方が、この狂乱の第3次怪獣ブームの中心ではあった。しかし、もちろん「ゴジラ」シリーズ作品と当時は正義の怪獣王(!)であったゴジラは、子供たちにとっても別格・特段でゴージャスな印象を与える存在ではあったのだ。とにかくその一環として「ゴジラ」シリーズだけにとどまらずに東宝特撮映画の怪獣たちもペーパーコレクションや怪獣消しゴムのラインナップに登場。改めての注目が集まっていたのだ。


 より正確に当時の状況を語らせてもらえば、この時期は「特撮」だけがブームになっていたワケではない。


・いわゆる「第1次アニメブーム」ことTVアニメの総集編映画『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ(77・78年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)や同作も手掛けた松本零士(まつもと・れいじ)原作マンガであるSF系TVアニメの大ヒット、そしてそれと連動した本邦初の月刊アニメ雑誌の創刊ラッシュ
スピルバーグ監督の『未知との遭遇』とジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』(共に77年・日本公開78年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200105/p1)の2大SF洋画の大ヒットで到来した「SF洋画ブーム」


 それらとも不離不即・不可分のものとして、ジャンルの時代精神・気分としては、当時の青年層もコレらの作品群に夢中になっているので、「子供心にいつかは卒業せねばならない」と思っていたジャンル趣味を「長じてからでも卒業しなくてもイイのかもしれない!」などと誤解(笑)をさせたものとしても、コレら一連の大ブームは語られるべきだろう。


 折しも79年2月からは1年半のブランクを経て復活した戦隊シリーズ第3作『バトルフィーバーJ』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120130/p1)、同年4月からはTVアニメシリーズ『ザ☆ウルトラマン』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971117/p1)に東宝製作の巨大ヒーロー特撮『メガロマン』なども放映がスタート。
 79年3月中旬には子供たちへの春休み興行をねらって、初代『ウルトラマン』(66年)のテレビ放映エピソード数本を再編集した映画『ウルトラマン 実相寺昭雄監督作品』も公開されて大ヒットを記録した。つづけて4月下旬のゴールデンウィークには、映画『ウルトラ6兄弟VS(たい)怪獣軍団』(日タイ合作・75年・タイ公開)の公開を控えていた時期でもある――地方では先の3月公開の『ウルトラマン 実相寺昭雄監督作品』とすでに同時上映されていたのだが――。


 まさに第3次怪獣ブームの大興奮が頂点に達していた折りの新学期の直前である79年4月4日(水)夜7時からTBS系で『ザ☆ウルトラマン』#1(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090505/p1)が放映されたコーフンも冷めやらぬその直後の7時30分から日本テレビ系で、満を持して『ゴジラ対メカゴジラ』がTV初放映を果たしたのであった!


 偽モノのゴジラが出現! ゴジラvs偽ゴジラ! 片方の化けの皮が剥がれるやメカの装甲が露出!
 ついには露呈する白銀のボディにリベット(ネジ)が多数埋め込まれたメカニカルな勇姿! 光線にバリアーにフィンガーミサイル!


 しばらくは登校班・クラスメイト・クラス外の友だちとの場すべてにおいて、この『ゴジラ対メカゴジラ』の話題で持ちきりとなって、休み時間や放課後の廊下・校庭・校外での「ごっこ遊び」では戦闘シーンの再演がそこかしこで繰り広げられたものだった。おそらく全国各地で同じような光景が見られたことであろう(笑)。


 今から思えば、『ゴジラ対メカゴジラ』などは79年基準でたかだか5年前の映画作品のTV初放映に過ぎなかったワケである。しかし、小学生にとっての5年前とは自身にとっての懐かしい幼少時代のこととなる。家庭用ビデオは登場していたが高価で普及などはしていなかった時代なので、小学生たちにとっては同作は「幻の作品」という観もあったのだ。
――ということは、今(後日注:執筆時点の2012年当時)の小学生たちにとっては、我々年長世代にとってのつい最近の作品でしかない、ちょうど5~6年前の『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)や『仮面ライダー電王』(07年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080217/p1)あたりが懐かし作品となっているのだろう!?――


 もう当時すでに20歳前後に達していたオタク第1世代の先進層であれば、同作『ゴジラ対メカゴジラ』に対する感慨はこのTV初放映当時のモノではないらしい。同79年の夏休みに今の映画館・有楽町マリオンの地にあった日劇東宝での夕方~夜にかけての東宝特撮映画の日替わりリバイバル上映。その前座映画として、日中にコンスタントに上映されていた3本である『キングコング対ゴジラ』(62年)・ゴジラ映画『怪獣大戦争』(65年)などのシンガリの1本として、本作は強く印象に残っているようだ。
 お目当ての日替わりプログラムの東宝特撮映画を観るために毎日夕方に劇場内へと入っていくと、ちょうどいつも『ゴジラ対メカゴジラ』終盤の戦闘シーンなのであった! などという記述が、特撮雑誌やオタク第1世代たちが作った同人誌などでも記述されている――90年代中盤以降は全席指定の入替制、途中入場などは不可となったシネコン全盛の当今では考えられない光景だが、むかしは客席の真後ろにも扉があって、開け閉めされる度に外光が入ってきてスクリーンが見えにくくなってしまっていたのだ(笑)――。


 当時の子供たちは皆がそーであっただろうが、筆者などもこの日替わりリバイバル上映を新聞夕刊の映画広告で知ってモーレツに観たい! と思ったクチである。しかし、東京都に隣接する関東圏在住の身ではあっても、小学生にとっては東京ははるかな遠方の地であった。お小遣い的にも「とてもとても……」とアキラめるしかない見果てぬ夢であったことなども思い出す。


メカゴジラの逆襲』(75年) ~80年代を通じて愚作認定が傑作へと評価が激変!


 とはいえ、ここに飾られているのは初代「メカゴジラ」の方ではなく「メカゴジラ2」であった。初代メカゴジラの改造マイナーチェンジ版であり、チラ見しただけではまったく違いが分からないメカゴジラ2は、『ゴジラ対メカゴジラ』の次作にして一応の昭和ゴジラシリーズ最終作『メカゴジラの逆襲』(75年)に登場したロボット怪獣であることは云うまでもない。
 この『メカゴジラの逆襲』という作品については、子供時代の記憶ではなく、マニア文化が定着した以降の80年代を通じた話になるのだが、特撮マニア間では「酷評」から「肯定評」へと評価が転じていった作品としても印象に残っているのだ。


 70年代末期に本邦初のマニア向けムックが出現するや、それらを編集・執筆していた当時はまだ20代前半であったオタク第1世代の特撮ライターたちによる見解によって、「ウルトラ」シリーズとも同様に昭和「ゴジラ」シリーズもまた「前期」と「後期」に裁断されてマニア間で理解されることとなった。大ざっぱに云えば、「前期」の方が優れており「後期」の方が子供向けとなって堕落した……といったアレである。
 その価値の基準線としては、「ゴジラが恐怖の対象ではなくなった」とか、「ゴジラが人類に敵対する脅威の悪者から正義の味方になった」などといった尺度が設けられていた。


 大急ぎで付け加えておくと、そのような特撮マニアたちの価値観・モノサシを知る以前に大方の子供たちは、そして筆者なども、もちろん「ウルトラ」や「ゴジラ」に「前期」や「後期」といった区別などはまるで付けてはいなかった。
 それどころか、当時は幼児誌での特集記事などはあっても、ゴジラシリーズの時系列を明かすような情報自体がまったく存在せず、TVでの放映も当然に公開順とは無関係にランダムになされていた。よって、大方の昭和「ゴジラ」シリーズ映画においては正義の味方の怪獣王なのに、『キングコング対ゴジラ』(62年)や『モスラ対ゴジラ』(64年)などでは悪者であったりして、当時の子供たちは少々困惑していたのだ(笑)。
――平成ゴジラシリーズ最終作『ゴジラVSデストロイア』(95年)のパンフレットにて、主演の辰巳琢郎(たつみ・たくろう)も「自分は正義のゴジラ世代なので、ゴジラが悪者だと云われると少し違和感がある(大意)」といった趣旨の発言をしている――


 その伝で云うならば、前作『ゴジラ対メカゴジラ』と比すれば戦闘色・娯楽活劇色には乏しく、昭和のゴジラシリーズの最終作となってしまった本作『メカゴジラの逆襲』などは、往時においては最も「後期」である作品なので(笑)、マニア文化が勃興して以降はナンとはなしに愚作といった趣きのレッテルを貼られていたのだ。


 しかし、その後に「ゴジラ」シリーズに対する特撮マニアたちによる研究が進んでいくと、「前期」と「後期」といった単線に対しての二元論的な割り振り・カテゴライズではなく、もっと錯綜した評価も出てくるようにもなっていく。


 『メカゴジラの逆襲』は、特撮マニアたちが神格視してきた『ゴジラ』第1作(54年)のカントクにして、世界の黒澤明カントク作品にも助監督として関わってきた本多猪四郎(ほんだ・いしろう)カントクが実はひさしぶりに登板して、その重厚な演出ぶりも披露していた作品だったのだから、「後期」ゴジラシリーズの中でも特別で例外的な作品でもあったのだ! といった「論法」、もしくは論法以前の「風潮」が勃興してきたのだ。


 そこでは、子供たちがピンチの折りに、


ゴジラーーーっっっ!!」


などと助けを求めて大声で叫けべば、ナゼだか伏線もなしにそこにゴジラが出現してしまっているという(笑)、昭和の大映製作の怪獣映画『ガメラ』シリーズのような幼稚な作品だとばかり思われていた本作『メカゴジラの逆襲』に対して、世には受け容れられていない孤高の科学者とサイボーグ少女の悲劇といったウエットなドラマ性が再発見されて、そこにスポットが当てられるようにもなったのだ。


 本作に関しては70~80年代のTVドラマ・TV時代劇・映画などでも活躍されていた脚本家・高山由紀子のデビュー作でもあったとして、そちらの方面でもマニア人種によって再発見されたことも大きかった。80年代中盤以降に「エッ、あの高山由紀子が!?」「なぜに我らが愛するゴジラ映画なんぞに!?」などといった具合である――往時はよく同世代~同世代以上のマニア連中がこの高山に関する件を話題に上せたものだった――。


 このナゾは80年代末期、『ゴジラVSビオランテ』(89年)の公開前後の時期に、ドコかのシナリオ雑誌のインタビューにて判明した。いわく、同作はシナリオ学校在学時の習作であって、それがそのままデビュー作にもなったというモノだ(!)。そして、高山のリップサービスなのかもしれないが、


「自分はこの手の作品の方が向いているかもしれない。また私にゴジラ映画を書かせてくれないかしら?(大意)」


などという、我々オタク人種たちにとっては実にうれしいことをのたまってもくれていたのだ。


 ただし、仮に油が乗った時期の高山が、ドラマ性&テーマ性にも優れたゴジラ作品をモノすることができて、孤高の科学者&サイボーグ少女によるウダウダ愁嘆場に象徴されるような実に湿っぽい作風のゴジラ映画が誕生したとしても、それが90年代以降の大衆向け娯楽活劇映画として、あるいは特撮マニアたちにもウケる作品として流通することはムズカしかったことだろう。
――今観返すと、この孤高の科学者&サイボーグ少女がまた、イケてない青年とその彼に従順なメイド型ロボットや妹キャラみたいな美少女アニメの元祖、ダメ男の願望みたいなネタにも見えてきたりして……。まぁ、『ファイヤーマン』(73年)で名優・岸田森(きしだ・しん)が執筆した異色作である#12「地球はロボットの墓場」なども同様なのだけど(汗)――



 本多猪四郎カントクで思い出したことがある。特撮マニアたちが神格視してきた、当時まだご存命である本多猪四郎カントクが再度「ゴジラ」シリーズの監督に再登板さえすれば大傑作ができるのだ! といった素朴な願望も、この90年代前半の平成ゴジラシリーズの当時にはまだ一部にあったことをだ。
 当の本多猪四郎カントクご自身も、当時の特撮雑誌『宇宙船』においてであったか、特撮評論家・池田憲章センセイが聞き出したところの記事によると、ゴジラが群体かつ一体でもある変幻自在な新怪獣と戦うというアイデアをお持ちであって、それを池田センセイが斬新であるとホメちぎっていたとも記憶する。


 このアイデアがホントウに斬新であったのかも怪しいところがあるけれど――往年の変身ヒーローものや合体ロボットアニメでもあったような敵キャラネタだと思うので(汗)――。
 本多カントク一流の古き良き時代の大勢の大部屋エキストラ俳優たちをロング(引きの絵)でヘンにヒネらずに正面から堂々と力強く撮影するような重厚なスタイルが――個人的にはオッサンと化してしまった今ではスキだが――、移り気で堪え性がない90年代以降の観客たちにとってもキャッチーであるのかについても個人的には心許(こころもと)ない。旧時代の映画の文法には慣れていない、テンポのよいジェットコースター的な映画を求めている現代の観客たちにとっては、その演出は少々タイクツにも映りかねないのではなかろうか? とも危惧をしたのだ。


 そんなことどもを瞬時に同時多発的に想起しながら(笑)、メカゴジラ2の前を通り過ぎていったのであった……。


「人造エリア」×「昭和ウルトラのメカニック群」!


 「人造エリア」のメインディッシュは、スペース奥の中央に、細長い楕円テーブルの円周に陣取るかたちで展示されていた昭和ウルトラシリーズの怪獣攻撃隊の戦闘機を中心とするメカニック群であった。レプリカ(複製)なり、倉庫に保管してあったものを展示用にキレイに修復・再塗装を施したものだそうだ。
――それら戦闘機群はプラスチックのワイヤーであったかで固定されていた。ムキ出しであったかガラス越しであったかは早くも忘却の彼方。「手をふれないでください」という注意書きがあったと記憶するのでムキ出しでの展示であったと思う――


・後年のスペースシャトルにも酷似しているスタイルでもある、科学特捜隊の戦闘機・ジェットビートル(初代『ウルトラマン』66年)
・紙飛行機のような鋭角三角形の直線的なフォルムが美しい、ウルトラ警備隊の戦闘機・ウルトラホーク1号(『ウルトラセブン』67年)
・短い両翼の突端にある巨大なプロペラで垂直離陸、さらにはプロペラ部が前部を向いて水平飛行へと移行する姿が印象的な、怪獣攻撃隊・MAT(マット)の小型戦闘機・マットジャイロ(『帰ってきたウルトラマン』71年)


 「前期」と「後期」の区分でいえば、昭和ウルトラシリーズの「前期」であるゆえに高評価を与えられてきた、初期ウルトラシリーズに登場した戦闘機群はもちろん展示されていた。マットアロー1号も展示されていたと思う――昭和ウルトラシリーズとは異なる世界観の作品である、はるか後年の『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)に登場した戦闘機・ガッツウイング1号は、色彩こそ黄色だけれどもそのフォルムは明らかにマットアロー1号へのオマージュでもあっただろう――。


 しかし意外なことに、そして個人的には実に喜ばしいことだけど、特撮マニア間では低評価を与えられることが多かった、


・細長い胴体にやはり細長い両翼をつけた、TAC(タック)の主力戦闘機・タックアロー(『ウルトラマンエース』72年)
・複雑な流線と曲線を組み合わせて色彩もメタリックブルーで奇抜な、ZAT(ザット)の戦闘機・コンドル1号(『ウルトラマンタロウ』73年)


なども展示されていたのだ!


――残念ながらスペースの都合か、『ウルトラマンレオ』(74年)に登場した怪獣攻撃隊・MAC(マック)の戦闘機群は展示されていなかったと思う――


 たしか月刊模型誌ホビージャパン』1999年9月号にて、特撮ライター・ヤマダマサミによる連載「リング・リンクス」でも小さな写真付きで掲載されていたのだが、新宿ロフトプラスワンでのヤマダ主催の平成ウルトラ3部作賛美のイベントに突如乱入してきて、あえて場の空気を壊してまで(笑)、特撮評論同人界での再評価などはともかくマニア一般的には当時もまだまだ酷評されていた『ウルトラマンタロウ』について


「『タロウ』は面白いので、みなさん観てください!」


と賛美して立ち去っていったという、庵野秀明(あんの・ひであき)館長の面目躍如といったところか?


 そして、その巨体ゆえにさすがに同じ展示卓ではなかったものの、部屋のカドの隅に隣接したスペースには、全長も全幅もともに1.5メートル以上はあろうかという、劇中でも巨大な機体というイメージで描写されていたZATの母艦的な指揮官専用戦闘機・スカイホエールが飾られていたことも特筆に値するだろう!
――スカイホエールのミニチュアは、『タロウ』再評価を目的とした大冊の特撮評論同人誌『ALL ABOUT THE ウルトラマンタロウ』(95年・黒鮫建武隊)にも、1987年のさるイベントだったという宙に吊るされた展示物の写真が掲載されているのを確認しているのだが、1.5メートルもの巨大ミニチュアを宙に吊るしていたとはとても思えないので(?)、これはそれとは別の小型スケールのミニチュアでもあったのだろうか?――


 スカイホエールの巨体の迫力。スカイホエールといえば、『タロウ』のオープニング主題歌のバック映像にて、ZAT基地の格納庫内部からの主観で大型シャッターが上方にスライドして、スカイホエールが大空へと発進していく一連のシークエンスが印象深いだろう。フィルムが劣化する以前、80年代初頭あたりまではピカピカのおそらくは本放送用フィルムでの再放送の時代までは、子供心にミニチュアだとは頭ではわかっていても、ホントウにセットも含めて巨大に見えてこのテの特撮ジャンル作品には珍しく設定の全長通りの巨大な機体にも見えている……などと子供心にも思ったものだった。
――もちろん、格納庫の特撮セットもミニチュアも数メートル規模のモノであり実際にも充分に大きかったのであろうし、各話に抜き焼き(コピー)で流用していくことを前提にバンクフィルムとして16ミリフィルムではなく35ミリフィルムで撮ったものではあったそうだけど――


・コンドル1号やこの場にも展示されていたミニチュアのZATの特殊車両・ラビットパンダ(!)
・そして、おそらくはイギリス国旗を意識的にしろ無意識にしろ裏モチーフにしていたとおぼしき、青地に赤の十字架状の模様とした隊員服にヘルメットなどのカラーリングとも共通させている、メカ群におけるメタリックブルーの地に赤いライン
・「直線」を主体としつつも、両翼や尾翼には複雑な「流曲線」や「円」に「突起」などを階層的に連ねたデザイン


 かつては、『ウルトラQ』(66年)・初代『ウルトラマン』(66年)・『ウルトラセブン』(67年)だけを支持している第1期ウルトラシリーズ至上主義者たちからは猛烈に酷評されてきた『ウルトラマンタロウ』(73年)、およびその怪獣攻撃隊・ZATのメカデザインにそのカラーリング。しかし、そんな先入観などはないとおぼしき若い女性客が「カッコいいね」と連れに話していたのも印象的であった。


マニア間では小バカにされてきた『タロウ』の奇抜なZATメカを擁護するための理論武装!?


 そう、旧来のウルトラシリーズファンからは蔑視されてきたZATメカ。たしかにZATの戦闘機・スーパースワローの円形の翼の中心部に大きな空洞が空いているのを指摘して、コレでは浮力で空を飛べないではないか!? などといったツッコミは一応は正論なのである。しかし、それを云い出したならば、初期ウルトラシリーズマニアたちが「リアルだハードだSFだ」と持ち上げつづけてきた『ウルトラセブン』に登場した戦闘機・ウルトラホーク3号の翼の形やウルトラホーク1号の分離機体・アルファ号のあまりに小さな翼だって、空には浮かべないハズなのである(笑)。


 マーチャンダイジングをねらったハデなデザインでありながらも、まだそのノウハウが確立しきってはいなかった70年代前半のことだったことから、「ZATメカは幼児層の好みに特化した幼稚で玩具的で低劣なデザインなのだ!」という批判に対して反論したいがために、「むしろ玩具化・大量生産用の金型化には適していない複雑高度なデザインであったのだ!」などと主張して、ZATメカを持ち上げるムキの第2期ウルトラ肯定派の御仁が存在することも知っている。それはそれで、そーいうアクロバティックな理論武装も成り立たないワケではないのだし、そんなロジックがあってもイイだろう。
 ただし、その理論武装の方法を全面的に肯定にしてしまうと、ハイエンドマニア向け・評論家ウケはしても、「子供や一般大衆を置いてけぼり」にして玩具化には適していないお高くとまったハイブロウなデザインに仕上がった、子供たちにも不人気なメカが登場した場合に、それを否定できるロジックの提供ができなくなってしまうのだ。よって、ZATメカを擁護するためではあっても、個人的にはそのようなロジックにはスナオに賛同しがたい。


 筆者個人は周到なマーケティング戦略に基づく、その時代時代の子供たちの好みを刺激するコンセプト・デザイン・流行のアイテムから着想された玩具の存在や、玩具業界との共存共栄が悪いこととも思わない。むしろそれについては、積極的に肯定すべきだとも思うのだ。
 なので、素朴に「子供に好まれるハデハデでトゲトゲな玩具なりデザインセンスとなった作品の何が悪い!」といった論陣を張った上で、ZATメカの「稚気満々さ」をも肯定して、その上で発現している奇抜な色彩や形態を「芸術」的に解釈して愛(め)でてみせるような理論武装を施すかたちの「幼児性」と「芸術性」の双方イイとこ取りのロジックこそが、『タロウ』やZATメカの双方を真の意味で擁護ができる包括的なロジックだとも思うのだ。


TAC・ZAT・MAC・超獣デザイン、東宝に下請け丸投げ・ナゾの広場(笑)!


 ちなみに、ZATメカのデザイナーは、実はかの『ゴジラ』第1作の時代から活躍されており、90年代前半の平成ゴジラシリーズまで「本編班」や「特撮班」の美術でも活躍してきた鈴木儀雄(すずき・よしお)の手によるものである。ウルトラシリーズでは、ウルトラマンエースウルトラマンレオのデザイン、異次元超人エースキラー・地獄星人ヒッポリト星人・殺し屋超獣バラバ・黒雲超獣レッドジャックなどのデザイン画でも有名である。
――超獣レッドジャックは、往年の草創期のマニア向けムックにして、第2期ウルトラシリーズを中心に、かつ批判的にも扱った『ファンタスティックコレクションNo.10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマンPART2』(朝日ソノラマ・78年12月1日発行)の記事にて酷評されて以来、いまだにその一節を芸もなく引用して不当に貶(おとし)める「生きた化石」のようなムキもいるのが実に嘆かわしい(笑)――


 加えて、TAC・ZAT・MACといった第2期ウルトラシリーズに登場した怪獣攻撃隊のレギュラー隊員たちの隊員服デザインや基地の司令室内のデザインなども氏によるものだったそうである。


――ただし、ウルトラマンレオの弟・アストラや、『レオ』で初登場したウルトラ一族の長老・ウルトラマンキング、『レオ』の怪獣・宇宙人やMACの戦闘機のデザインなどは大澤哲三が担当している。初期スーパー戦隊シリーズや平成ゴジラシリーズの特撮美術監督を歴任し、映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』(10年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111204/p1)が遺作となった大澤は、往年の円谷プロ製作の特撮巨大ヒーロー『ミラーマン』(71年)の巨大合体戦闘機・ジャンボフェニックスのデザインがナンといっても代表作であろう――


 東宝の社員スタッフでもある鈴木が、なぜに「ウルトラ」に参加していたのか? それは『エース』、そして『タロウ』前半の特撮部分が、東宝に丸投げで下請けに出されていたためだろう。腐れオタクがテロップを見ればわかると思うが、特撮美術や膨大なミニチュア群にかぎらず、カメラマンから照明に至るまで、基本的には東宝の人材や機材にスタジオとなっている――もちろん、字幕に出ていない末端やセカンド・サードのスタッフなどは、美大などから来た契約社員や学生アルバイトだったのだろうが――。
――後日付記:「TELEMAGA.net」の「なぜ売れた? 放送から20年後に出版の『ウルトラマンA超百科』」(2022年5月17日記事)によれば、『エース』の特撮部分は「東宝映像」(映画会社・東宝の子会社)に委託されて、東宝№3ステージと№5ステージが使用されたとのこと――


 『エース』や『タロウ』の時期に、円谷作品は作品面でのクオリティのみならず、特撮面でのクオリティも劣化したのだなどと、したり顔で嘆いてみせる特撮マニア諸氏もいる――筆者個人はスタジオの広大さ・ミニチュアの数・背景美術などの面から必ずしもその意見には同意しない。ただし、各作のシリーズ序盤を除いた怪獣の着ぐるみ造形の仕上がり面については同意する(笑)――。
 特に都会の戦場の中心に「ナゾの広場」(笑)が出現するようになったことにケチをつけたい御仁たちは……、円谷プロにではなく天下の大東宝の特撮スタッフたちに云いなさい!(爆)――筆者なども含む当時の子供たちも幼児のころはともかく小学校の中高学年時の再放送での視聴になると、「ナゾの広場」に気が付いてケチをつけていたものだ(汗)――


 ただし、たとえ同様に東宝に丸投げ・下請けに出されていた作品でも『ウルトラマン80』の時代になると、もうすでに70年代末期に本邦初のマニア向け書籍なども発行されており、マニア諸氏の特撮サークルなどからの批判の声も届いていたのであろうか、自分たちでも欠点に気が付いていたのであろう。
 特撮ミニチュア群を単なる碁盤目状には並べずに、カメラの前に種々様々な角度で斜めに並べたりすることで画面構成を単調には陥らないようにして、ウルトラマンvs怪獣の格闘場所には相変わらずの「ナゾの広場」は存在してはいるのだけれども(笑)、それは隠して写さないように気を遣うようにはなっていく……。


ZATメカ=オーバーテクノロジー由来説を、昭和ウルトラメカ&科学史にまで敷衍せよ!


 ZATの戦闘機群の特異なフォルムは、おそらく放映終了30年近くも経ってからの21世紀になってからだったと思うのだが、それまでの歴代ウルトラシリーズの侵略宇宙人たちの円盤の残骸から得られたオーバーテクノロジーによるものだ……などというまことしやかなSF設定が追加的に特撮マニア間でも浮上してきた――20世紀にはZATメカに対して、このような深読みはされていなかったと思う――


 後付けのコジツケにすぎないといえば、その通りではある。しかし、個人的にはこーいうお遊びは、青スジを立ててムキになったり排他的になったりするような設定至上フェチには陥らずに「絶対的な正解はこーである!」などと叫んでいるような周囲の人間が鼻白むような断定口調にも陥らずに、イイ歳こいて「なんちゃって~」と照れ隠しに愛想笑いを浮かべつつ頭をポリポリ掻きながらの、劇中内での真実はこーだったのかもしれないですよネ……などといった程度にとどめた、節度もあるオトナの余裕ある知的遊戯としての文体・口調で行なう分には、とても楽しいことだとは思うのだ。


 そして、初代『ウルトラマン』(66年)~『ウルトラマンネクサス』(04年)までの歴代ウルトラシリーズに登場した怪獣攻撃隊のメカをまとめたマニア向け書籍『ウルトラ超兵器大図鑑』(竹書房・06年6月1日発行・ISBN:4812428017)では、「独自のSF的考証」だと謳(うた)いながらも「異星人の技術由来の重力制御コイル」によってZAT戦闘機は浮遊しているために両翼に大きな穴があっても大丈夫なのだという説明までもが登場している。


 そこまで来たならば、もうあと一踏ん張りだ! この書籍が発行された2006年に放映中であった『ウルトラマンメビウス』(06年)では、特撮同人屋上がりの編集プロダクション・タルカスのライター兼、脚本家・赤星政尚センセイ&谷崎あきらセンセイが、番組公式ホームページ内のウラ設定披露サイト「Web(ウェブ)メビナビ」において、往年の「怪獣図鑑」的なウラ設定を毎週毎週発表していた。この「Webメビナビ」あたりで、ドサクサついでに「ZATのメカ群はオーバーテクノロジー由来説」を公式設定の域にまで高めてほしかったものである(笑)。


 ちなみに、庵野カントクも「特撮博物館」に展示されていたZATメカ群に対して、以下のようなコメントを添えていた。



「空体力学や化学燃料推進などではなく、重力制御や空間磁場の働きなど、未来科学の力で飛んでいるイメージの兵器類です。これまでのウルトラシリーズとはまるで違う、奇抜で自由奔放な世界観を、余すことなく完璧に表しています。
 特にここにあるコンドル1号とスカイホエールはナイスです。好きですね」



 今や天下の大権威となった庵野カントクのお墨付きもついたので、40年後の後出しジャンケン! もうZATの飛行メカの奇抜な形状は、重力制御や空間磁場の働きゆえのモノだという公式設定でトドメを刺してしまいましょうヨ(笑)。


サコミズ隊長の亜光速飛行実験・超光速ミサイル№7・光子力エンジンのマッキー1号などを一本線でつなぐ!


 そこで、古い腐れウルトラオタクたちの間で定期的に話題に登るのが、『タロウ』の直前作『ウルトラマンエース』の#10「決戦! エース対郷秀樹」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060709/p1)にて、「帰ってきたウルトラマン」ことウルトラマンジャックもといニセ郷秀樹ことアンチラ星人が使用していた長身の銃器・ウルトラレーザー!
 この悪い宇宙人由来の銃器を、『エース』の#43「怪談 雪男の叫び!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070224/p1)や#47「山椒魚の呪い!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070324/p1)ではTACの隊員たちは再利用をしているのだ!――単に本編小道具班がその出自を忘れて現場に持ってきて役者さんたちに使わせていただけの可能性も高いけど(笑)――
 加えて、#13「死刑! ウルトラ5兄弟」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1)では竜隊長直々のご指名で戦闘機・タックアローの機首内に内蔵されていたウルトラレーザー(!)が超獣バラバに向けて発射されているのだ! つまり、悪い宇宙人由来のテクノロジーを地球人たちはすでにこの時点で活用していたのである!


 地上で隊員たちが人間サイズの通り魔宇宙人とナイフや銃器でドロくさい追跡や肉弾戦を繰り広げているイメージが強かった『ウルトラマンレオ』の怪獣攻撃隊・MACにしてからも、放映数年後の70年代後半にマニア向け書籍ではじめて(?)明かされた大型母艦戦闘機・マッキー1号のマシンスペックは、光子力エンジン起動で最高速度が光速の0.4倍(!)なぞというトンデモなくオーバースペックな設定が付与されている――実はさらなる後年には同機の最高速度は光速の98.9%だったという記述の書籍も登場している。ドッチなんだよ!?(笑)――。


 70年代初頭~80年代のウルトラ怪獣の身長・体重・別名や戦闘機だののスペック設定は、1987年ごろに退社するまでは円谷プロに在籍していた第1世代の特撮ライター・竹内博(酒井敏夫)によって主に設定されていたようだ。よって、このトンデモ設定も竹内センセイによるものではないのかとも推測するのだが。
――ただし、『ザ☆ウルトラマン』はTVアニメであることに対する反発もあったのだろうか、担当はされていなかったそうだ(世代的にも同作の大ファンでもある筆者なぞには残念なことなのだが)。『ウルトラマン80』のメカニック設定なども、『円谷プロファンクラブ』会報Vol.71(03年3月5日発行)での『重箱の隅のまた隅(33)~円谷プロ・裏街道の30年~』「第十九章『ウルトラマン80誕生!』」における、後年に平成ウルトラ3部作の「シリーズ構成」などにも名を連ねている円谷プロ企画室所属の江藤直行センセイの連載記事によれば、江藤氏が手掛けたものだそうだ――



 余談だが、70年代前半の竹内は小学館学年誌などの記事や小冊子付録などにも奥付の署名を見ると手伝いやアルバイトとして参加しておられる。そして、ウルトラの国の40万年にもわたる歴史年表(!)などを作っていたことが、後年長じてから再確認してみるとよくわかる。


 ウルトラの星の星系の中心にあった恒星(太陽)が爆発四散したあとに、人工太陽・プラズマスパークを建造したウルトラ長老が、宇宙旅行をしていてウン十万年も前の地球にも立ち寄ったことがあるだとか、ウルトラ長老の奥さんがウン万年前に死んだなどの、小学生男子レベルの科学的・SF的・歴史的好奇心・ワクワク感を惹起する、別の見方をすればその場の思いつきのテキトーでトンデモでいかがわしい本格ハードSFの高尚さの香りの欠片もないB級・Z級の稚気満々な設定の数々!(ホメてます!)


 オタク第1世代の第1期ウルトラ至上主義者たちが、


ウルトラマンは神であるのだから、背景設定を付与することは神秘性を損なう」


なぞど批判をしてきたウラ設定の数々に、よりにもよって第1期ウルトラシリーズ至上主義者でもある竹内センセイご自身が加担していて、下の世代を楽しませてきた皮肉についても言及しておきたい。竹内センセがイヤイヤやっていたのか意外と楽しんでノリノリでやっていたのかについてはわからないものの(汗)。



 よって、MACの戦闘機は大気圏内では劇中で見るかぎりでは火力推進なのだろうけど、宇宙空間ではきっと光子力エンジンで推進するのだろう!? とはいえ、70年代末期の小学生としてはそのSF設定自体はカッコいいとは思ったものの、あまりにも遠未来のテクノロジーに過ぎて、それまでのウルトラシリーズの飛行メカの駆動システムとは隔絶しすぎているという意味ではプチ違和感もあったのだ。


 しかし、先のTACのウルトラレーザーやZATの戦闘機の浮遊原理という2クッションが後出し(汗)で用意されたことによって、このプチ違和感は30数年もの歳月を経て緩和もされてきた!(笑)



 ところで、昭和ウルトラシリーズ直系の正統続編として製作された『ウルトラマンメビウス』(06年)#42「旧友の来訪」において描かれた、同作における怪獣攻撃隊ことクルーGUYS(ガイズ)のサコミズ隊長の前歴! それは初代『ウルトラマン』(66年)と次作『ウルトラセブン』(67年)との間の東映宇宙特撮『キャプテンウルトラ』(67年)放映中の半年間のミッシング・リンクの時代を埋めることにもなった、初代『マン』の怪獣攻撃隊である科学特捜隊のジェットビートルの機体を流用した、太陽系外縁部の宇宙空間での「亜光速飛行」実験でのテストパイロットであったとされていた!


 ということは、『レオ』におけるMAC戦闘機・マッキー1号の光子力エンジン以前に、宇宙人由来のテクノロジーの取得・研究が充分ではあったとは思えない初代『マン』の時代においても、すでに人類の科学力は光速飛行が試みられるほどの域には達していたことにはなるのだ!


・『エース』#6「変身超獣の謎を追え!」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060611/p1)において登場した、研究施設・TAC第3研究室にて進行していた「光速に迫り4次元世界も覗ける可能性がある」という「新型ロケットエンジン」の研究
・同じく『エース』#14「銀河に散った5つの星」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1)において登場した、光の速さを超えることでウルトラ4兄弟が十字架に磔(はりつけ)にあっているゴルゴダ星が存在する「裏宇宙」=「マイナス宇宙」にも潜入することができた「超光速ミサイルNo.7」
・同じく同作のシリーズを通じての宿敵であった異次元人ヤプールとの決戦を描いた『エース』#23「逆転! ゾフィ只今参上」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061012/p1)において登場した、空間自体を「メビウスの輪」のように湾曲させることでオモテ側からでもウラ側へ行けるように、我々の住まう3次元世界の一角をウラ世界でもある異次元人ヤプールが生息している異次元空間へと局地的に連結させて、人間1名を異次元へと転送させることを可能とする「異次元突入装置」


 そもそも昭和ウルトラシリーズの世界観でも、地球人類はすでに光速の壁に迫っているどころか突破さえできていたことが、後出しジャンケン(笑)で整理もできたのだ! 苦節ウン十年。ついにマッキー1号が光子力エンジンで飛行して光速の0.4倍だか98.9%だかを達成可能なトンデモ・スペックにも、その技術的な根拠・正当性を与えられる日が来たのだ!?
 そして、アインシュタイン相対性理論によれば、光の速さこそが「絶対不変」で、時間と空間の方が「相対的」であってネジ曲がるのであった。つまり、光速に迫れたことでのマイナス宇宙や4次元や異次元への突入実現についても、昭和ウルトラの世界観では後出しのそれも含めて、人体に与える危険性も度外視(笑)すればSF理論的にはついに可能になったのだ!?


――『タロウ』のオープニング主題歌映像にしか登場しないZATの宇宙航行用メカ・アンドロメダも、ググってみたら光子力エネルギーで飛行するとのことだった!――


超光速ミサイル№7が突入したマイナス宇宙とは!? ヤプール人が潜む異次元世界とは何か!?


 ところで、『エース』#13~14にかけて登場した、そして90年代児童向け漫画『ウルトラマン超闘士激伝』(93~97年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210131/p1)にも登場した「マイナス宇宙」とは、ゴルゴダ星の存在が可視光で地球からでも観察できることから、宇宙の果ての外である文字通りの隔絶した「異次元」だったり、いわんや我々の宇宙の「正物質」とは共存できずに接触すれば「対消滅」で大爆発が起きてしまうという、電荷がプラス・マイナス逆の物質で構成されている「反物質宇宙」のことではないのだろう。つまりは、「異次元」でもなく「反物質宇宙」でもない、それらともまた別な世界のことなのだ。
 地球は人間には「平面」にしか見えなかったとしても、実は「球面」の「表面」なのである。同じように、宇宙も人間には「立体」にしか見えなかったとしても、実は4次元なり5次元以上の「超・球面」の「表面」なのである。つまり、一方向に直進していくと「超・球面」の「表面」を一周してきて、最終的には真後ろの方向から元の地点へと帰ってきてしまうのだ。
 しかし、この説にはいくつかのバリエーションがある。この宇宙は「超・球面」ではあっても「正円」ではなく「楕円」であったり、「布団」のように湾曲して「U字型」や「三つ折り型」に折れ曲がった世界の「表面」なのだという説もあるのだ。その場合には直進していったとしても真後ろから元の位置へと戻れることはできなくなってしまうのだ(汗)。ということは、この「超・布団」のウラ側の「表面」が、もしくは折り畳んで接してしまった真向かいの「超・布団」の「表面」あたりが、超光速だと移行できる「マイナス宇宙」ということになるのではなかろうか!?


 ……もちろん真の正解は、当時の製作者たちはそこまで深くは考えてはいなかった(笑)。



 『エース』#23に登場した「異次元突入装置」も、「メビウスの輪」の原理を「空間」と「人体」に適用して異次元空間へとつなげるというモノであった。こう書くと純・物理的な装置なのだが、一方でこの装置を開発したTACの兵器開発研究員・梶さんは、この装置を駆動中に今で云う配線コードが多数つながっているヘッドギアを頭部に装着してもいるのだ。
 ということは、単に物理的に空間を湾曲させれば異次元空間へと即座につながるモノでもなく、そこに人間の脳波や精神エネルギーといった要素も加味することで、はじめて異次元世界につなげることが可能になるということなのではなかろうか?
 そう。異次元人ヤプール自体も、そして彼らが住まう異次元空間それ自体も単に物理的な異次元存在だという感じでもなかったのだ。むしろ、彼らは地球人・動物(の霊)・宇宙人・星座の精霊(!)といった存在たちの肉体ではなく精神・魂にこそ干渉してくる存在なのであった。
 ヤプールも一応は物質としての肉体も持っているのであろうが、半ばは精神生命体・精神エネルギー・霊的魂のような存在なのでもあって、彼らが住まう異次元空間も純物理的な4次元世界やこの宇宙の外部にある異次元世界というよりかは、現世と霊界の中間にある幽界のような霊的世界という意味でのスピリチュアルな異次元世界であるようにも思えるのだ。


 ……コレも多分、脚本には配線付きヘッドギアなどとは記されておらず、本編美術班や小道具班の若手の誰かがSF的機転を利かせたアイデアが採用されただけであって、結果的にそのような深読みが可能になっただけなのではあろうけど(笑)。



 ウルトラシリーズなどの特撮ジャンルは基本的には「特撮」=『特殊撮影で巨大ヒーローvs巨大怪獣のバトルを描いてみせるフィジカルな驚きを見世物』とするジャンルではある。そのことはくれぐれも強調しておきたい。しかし、二次的な要素としては、たしかに児童レベルでの知的SF・伝奇SF的なジャンク知識収集癖をも刺激するようなジャンルでもあったのだ。
 長年の酷評に甘んじてきた70年代前半の第2期ウルトラシリーズの擁護派であればあるほど、ネガティブなルサンチマン階級闘争意識で自己&作品を正当化するのではなくって、ポジティブに作品それ自体の特撮シーンやSF設定を理知的に読み込んでみせる話芸(笑)によっても、作品を持ち上げて集客にコレ務めた方が有益だし効果的でもあるだろう!


 そんなことをも瞬時に同時に脳裏に思い浮かべつつ……、などと云いつつ半分は観覧後における後日の感慨なのだけど(笑)、「人造エリア」における鑑賞はまだまだつづくのであった……。


バッカス三世号」×「マイティ号」!


 「人造エリア」の進行方向・右側の一角の壁面には、歴代ウルトラシリーズの怪獣攻撃隊の各種マークが飾られていた――NG版などもあったような――。
 『帰マン』のMAT基地・指令室内部や基地内通路のデザイン画なども各種飾られている。後者は多分、既存のマニア向け書籍や映像ソフトのライナーなどでも既出のものだったとは思うのだが、MAT指令室のデザインはシャープでクールでシックでもあり、よく見ると別室(通信室? 隊長室?)につながる空間までもが描かれている。このMAT基地関連のデザインは、マニアならばご存じ池谷仙克いけや・のりよし)によるものだとも明記されている。池谷氏所蔵でなければ、円谷プロ側で保管されていたものでもあろうか?


 怪獣絵師こと開田裕治(かいだ・ゆうじ)画伯が往年の70年代末期のマニア向け書籍『ファンタスティックコレクション』用に描き下ろしたモノだったと記憶する、科学特捜隊の基地の断面図の巨大な原画(拡大コピー?)などもナゼだか壁面の上方に展示されていて、放映当時の撮影用プロップでもその修復版でもデザイン原画でも何でもナイ、放映終了10数年後に作画されたモノではあったと思うけれども、コレも特に文句などはない(笑)。多少の変化球も適宜入れつつ、このイベント空間をさらににぎやかにしていってほしいのだ。


 78年4月より放映が開始された円谷プロ製作の宇宙特撮TVシリーズ『スターウルフ』に登場した主役宇宙船「バッカス三世号」も飾られていた。白銀褐色で細かいディテールに覆われて汚し塗装も施されたボディー。それでいて端正で精巧でもあるようなハイセンスなミニチュア・メカ。
 本メカは前年77年には米国で公開されるも日本では公開まだきであった『スター・ウォーズ』にあまた登場した敵味方の宇宙船や戦闘機メカニック群のデザインや表面メカへのディテール処置の影響が濃厚であることは世代人であればご承知のことだろう。外壁のディテールのそれらしいデコボコな突起やハッチなどが膨大に施された細やかな表面、それに対する汚し塗装や剥がれ塗装によって醸されるリアリティ。


 これらのメカの表面処理は、2年後の『ウルトラマン80』における敵宇宙人のミニチュア円盤群の造形や、特撮ジャンルに限定しなければ、当時の本邦SFアニメの大ブーム下における宇宙メカ・宇宙戦艦群のデザインにまで、強く影響をおよぼしていく……。


『マイティジャック』 ~幻のオトナ向け特撮の立ち位置からの転落!


 その先の隣の部屋にも、メカ主体の人造エリアのつづきとして、往年の円谷プロ製作作品にして初期1クール分はオトナ向けかつ日曜夜8時からの1時間枠ドラマとして放映された空飛ぶ巨大戦艦もの『マイティジャック』(68年)のやはり全長2メートルはあろうかという万能戦艦マイティ号の巨体が鎮座ましましていた!


 『マイティジャック』自体は、変身ヒーローや怪獣がメインではない作品ではあるし、特殊な放映スタイルであったことも手伝ってか――第2~3クール目は日曜夜7時30分からの30分枠番組に変更――、再放送もほとんどなかったようだ。筆者も世代的にTVの地上波の放送を一度も観たことがない。しかし、オールド特撮マニア的には、そしてオタク第1世代の庵野カントクにとっても、相応に印象的な存在ではあるのだろう。


 かつては第1世代の特撮マニア間で、この60年代末期の時点でオトナ向けの特撮作品『マイティジャック』が人気面でも成功していれば、日本の特撮は子供向けのジャンルにはならずにオトナ向けとしてのオルタナティブ(代替的)な歴史をたどれたのではないのか? といった夢想を逞しくする論法などもあったものだ。
 それはたしかに論理的にはアリの可能性ではある。しかし、実際には60年代末期の日本のオトナたちにはそのようなモノを受容するような畑自体がなかっただろう。SF・未来・ハイテクメカ・宇宙・タイムトラベル・超能力・4次元といった超常的なガジェット(小道具)を用いた娯楽作品を水や空気のように摂取して育った初の世代は、いわゆる1960年前後生まれのオタク第1世代=新人類世代からであろう。
 戦前にも『少年倶楽部(しょうねんクラブ)』という雑誌があって、そこで海野十三(うんの・じゅうざ)などが児童向けSF小説を連載して大きな影響を与えていたことも事実なのだが、アレはやや裕福な家庭の子供たちだけが読めていた定期刊行物なのであって、私事で恐縮だが戦中世代の筆者の父母や親戚たちの中で『少年倶楽部』を読んでいたという人間には会ったことがない(汗)。


 SF的または非現実的なモノを一概にバカバカしいとは否定はせずに、娯楽の一種として摂取するような土壌自体がそもそも一般大衆のオトナ側にはなかった1968(昭和43)年という時点では、作品自体の純クオリティーともまた別に『マイティジャック』という作品に浮上の目はなかったようには思うのだ。


 そして、この『マイティジャック』には純・内容面においても実は問題点があった(汗)。飛んで80年代末期。家庭用ビデオが急速に普及してレンタルビデオも大盛況となった時代に、『マイティジャック』も幾本かの話数はビデオ化がなされて店頭に並んだのだ。そして、同作のリアルタイム世代ではない特撮マニアたちもこの時期に本作の初鑑賞を果たしたワケだ……。
 しかし、「幻の名作」であったハズなのに、何度も繰り返して再視聴をしてみても間が抜けた展開&演出に終わっており、あまりにもタイクツで途中で眠気に襲われてしまった……。コレが80年代末期にすでにマニアとなっていた世代人たちの共通体験ともなっている(爆)。


 とはいえ、このようなイベントでの展示でもなければ、『マイティジャック』という作品自体を露出して、世間一般なり下の世代の特撮マニアたちにも啓蒙していくことができないワケであり、埋もれている特撮ジャンルの異色作として周知にコレ務めることにはもちろん異議はないのだ。


ウルトラマン80』に登場した宇宙戦艦スペースマミーも見たかった!


 ただし、マイティ号ともまた別に展示のスペースさえ許せば、『ウルトラマン80』に登場した怪獣攻撃隊・UGMが保有していた巨大な宇宙戦艦スペースマミーなども展示してほしかったモノである。
 2年ほど前の2010年4月に放映されたばかりのCS放送・ファミリー劇場『ウルトラ情報局』2010年5月号においても、この番組の構成・監督を担当していた特撮ライターにして第2期~第3期ウルトラシリーズ各作を1990年前後からすでに擁護してきた秋廣泰生(あきひろ・やすお)個人の趣味で実現したのだろうとも思われる(笑)、スタジオのカメラ手前に全長数メートルはあろうかという巨大ミニチュアがデカデカと飾られたことで、スペースマミーのミニチュアはその美麗な姿のままでの現存が確認されてもいたからだ!


 とはいえ『80』のメカニックも、この博物館の中では決して軽視されてはいなかったことは指摘しておきたい。現有の戦闘機にも近いフォルムを持っているUGMの戦闘機・スカイハイヤーなどもキチンと展示はされていたのだ!


 余談だが、このスカイハイヤー。放映当時に発売されたポピー(バンダイの子会社。のちにバンダイと合併)製の玩具では、戦闘機から戦車形態へと変型ができたようだ。劇中ではついぞ見られなかった戦車形態なのだけど、なにゆえあってのことであろうか?
 先にもふれた『円谷プロファンクラブ』会報Vol.71での連載『重箱の隅のまた隅(33)~円谷プロ・裏街道の30年~』「第十九章『ウルトラマン80誕生!』」によると、山口修(やまぐち・しゅう)によるUGM戦闘機のシャープな元デザインは、玩具会社によって武骨にリファインされてしまったというのが事の真相であったらしい。江藤センセイご自身はそれを残念に思ったとのことだそうだが。
 戦車形態が登場しなかったのは、現場サイドからの玩具会社への意趣返しなのか(汗)、単にミニチュアの変型ギミックの製作が間に合わなかっただけなのか?


 ただ、個人的には先にも語ったように、特撮業界は玩具業界とも共存共栄すべきであって、子供たちの趣味嗜好&流行・空気にもダイレクトに顔を向けている玩具業界の意見にこそ耳を傾けるべきだとも思うのだ――もちろん、玩具業過に全面屈服しろ! などといった極論なども云わないけど(笑)――。自分の中の子供心に聞いてみても、リアルであるかはともかくとして、戦闘機が戦車に変型するギミックがあった方が、往時もっとスカイハイヤーを好きになれたような気もするのだ。
 今見るとたしかに現有戦闘機に近しいフォルムでカッコいいとも思うのだが、児童であった当時はスカイハイヤーのことを「地味だなぁ」とは思ったし、2機に分離・合体するUGM戦闘機・シルバーガルの方がやっぱりカッコよく思えてスキだったものなので。



 加えて、スペースマミーのミニチュアが現存していたのならば、やはり昭和ウルトラとは地続きの世界観・時間軸で、『80』の25年後の世界を描いていた『ウルトラマンメビウス』でも、スペースマミーを再登場させてほしかったものだ!


 太陽系圏内の宇宙空間をパトロールする怪獣攻撃隊・クルーGUYSの戦闘機に、悪い宇宙人の円盤群が襲ってくる!
 しかし、大ピンチのそのとき、UGMのワンダバBGM、もしくは『80』エンディング主題歌『レッツゴーUGM』のイントロダクションに乗って、GUYS配下に再編成されていた元UGMのオオヤマキャップ(隊長)かイトウチーフ(副隊長)が操艦しているスペースマミーが颯爽と登場!!


――スペースマミーのミニチュアがデカすぎて今の狭い特撮スタジオには格納できる余裕がなかったから、再登場が見合わされたのであろうか? スケール違いの小さなスペースマミーのミニチュアなども残存してはいなかったのであろうか? まぁ、オオヤマキャップ(中山仁)やイトウチーフ(大門正明)に対する高額なギャラの支払ができない! といったようなお財布事情はアリそうだけど(笑)――


 ついでに云えば、このスペースマミーも出撃している『80』#37「怖(おそ)れていたバルタン星人の動物園作戦」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110108/p1)――云われているほど、悪いエピソードではない。いや、今になって観返してみると、むしろ面白いエピソード!――において、セリフでのみ言及されていた、直径10キロにもおよばんとする火星の近くに造られたという第5番目の大円盤状の「惑星間宇宙基地」についても、『メビウス』でこそ映像化してほしかったものだった!(笑)


「超人エリア」×「70年代特撮変身ヒーロー」!


 その次の「間」(部屋)は、たしか「超人エリア」。


初代ウルトラマン帰ってきたウルトラマンの飛び人形(飛行シーン用の人形)
・壁面には、初代マン・セブン・ウルトラマンキングウルトラマンエイティの顔面マスク


などが飾られていた。


 マン&セブンのマスクには、成田亨(なりた・とおる)によるデザインだとも明記されていた。


 そして驚くべきことに、ウルトラマンキングについてもキチンと正しく、濃ゆいマニア諸氏には常識ではあってもヌルオタ諸氏には知られていないであろう(失礼)、特撮美術デザイナー・大澤哲三によるデザインだとも記されていたのだ!


 ただし、エイティについては、特撮美術デザイナー・山口修によるデザインであるとは記されてはいなかったような気がする(自信ナシ)。もしも記憶通りであったのならば、片手落ちだと主張したい!(笑)


 もちろん、キングのマスクは近年の吸収合併騒動のついでで、期せずして円谷プロの一部門として編成された造形会社・ビルドアップの造形家・品田冬樹の手によって、映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)合わせで、元のデザイン画に忠実に新たにカッコよく造形され直して以降に使用されつづけているモノではなかった。
 新造形のキングのマスクに慣れてしまった目で見ると、目が小さくて両眼も離れていて今となってはややダサくも見えてしまう、『レオ』に初登場した時点での形をした旧型マスクなのであった……(ひょっとして当時のオリジナルであろうか?)。個人的には(そして多分、多くのマニア諸氏も)、『ウルトラ銀河伝説』以降に新調されたキングの新たなマスクの方がカッコいいと感じているとも思うのだ。


 悪ノリして云わせてもらえば、『80』終盤の#49「80最大のピンチ! 変身! 女ウルトラマン」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210307/p1)にて初登場したウルトラの女戦士・ユリアンのマスクも、品田冬樹センセイあたりが新規造形してくれないものであろうか? もうちょっと小顔で両目は大きくして鼻と口は小さくし、アニメ絵の美少女キャラのように(汗)。具体的には往時は有名であった自主特撮映画で、現在も断続的に続編が製作されているらしい特撮仮面巨大ヒロイン『マイティレディ』(83年)みたいなお顔の感じで一丁!


――ちなみに、両目は大きくして鼻と口は小さくするキャラデザは、日本のアニメや漫画ジャンルでは80年代中盤には早くも定着しているが、直接には芦田豊雄(あしだ・とよお)がキャラデザを担当した女児向けアニメ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(82年)が始祖。間接的にはその前史として80年前後に漫画マニア(原オタク)間で小流行した、当時の人気漫画家・吾妻ひでお(あづま・ひでお)センセイなども関与していた70年代少女漫画絵の派生形である同人誌『シベール』(79年)などに端を発するロリコン漫画ブームが源流であろう(もちろん、世代的にも筆者は未見だが)。そして、82~84年にかけては月刊エロ漫画雑誌各誌の絵柄も劇画調から今でいう美少女アニメ調へと雪崩を打ったように急速に置き換わっていったのだ(爆)――



 その他には、70年代前半のいわゆる変身ブーム(=第2次怪獣ブーム)時代の特撮変身ヒーローたちのマスクが、次の通路の両壁面に飾られていた。


 円谷プロ作品であれば、


・『ミラーマン』(71年)
・『ジャンボーグA(エース)』(73年)
・同作に登場した2号ロボ・ジャンボーグ9(ナイン)
・『ファイヤーマン』(73年)


などの巨大ヒーローたち。


・『トリプリファイター』(72年)
・その合体変身前の3戦士であるレッドファイター・グリーンファイター・オレンジファイター


といった、人間サイズの円谷プロ製作の変身ヒーローたちもいた。ピー・プロダクション作品であれば、


・『スペクトルマン』(71年)
・『快傑ライオン丸』(72年)


 しかし、続編『風雲ライオン丸』(73年)のマスクはなかったと思う。その次作『鉄人タイガーセブン』(73年)と次々作『電人ザボーガー』(74年)もなかったと思う。


 コレら変身ヒーローのマスクには、ボディーのスーツ部分がなかった。おそらくは人間が着用していたのでゴムの部分が汗で痛んでカビが生えてきたりなどの理由で、切断されて破棄されてしまったのだろうと推測する。


 ただし、天下の大東宝によるTV特撮の巨大ヒーローである、


・『流星人間ゾーン』(73年)


 コレのみマスクと一体化された上半身&ツーピース仕様であった下半身のスーツがナンと現存! 全身立像での展示ではなかったけれども、ボディーはていねいに折り畳まれて展示されていた。


 「超人エリア」と同じスペースであったかは失念したけど、怪獣映画『ゴジラ対メガロ』(73年)に登場した正義の人型巨大ヒーローロボット・ジェットジャガーもあった。


 ちなみに、往時は何の伏線もリクツもなしに物語の終盤で巨大化してみせるジェットジャガーといった作劇が、70年代末期~80年代までの特撮マニア間では大いに罵倒されていた。それもまた仕方がないとも思うけど、筆者は小学生ではなく幼児の時分にこの巨大化を目撃したので、往時はそこに疑問を感じることなどはなかった――どうぞ罵倒してください(汗)――。
 ところが、1970年前後生まれのオタク第2世代が成長した1990年代以降になると、特撮評論同人誌や不定期刊行雑誌『ゴジラマガジン』(勁文社・92~96年・ASIN:B00BN0GOYC)などで「子供向け作品としてはコレはコレでよかったのではなかろうか?」「今で云う『ネタ』的には面白いのではなかろうか?」(大意)などといった『ゴジラ対メガロ』やジェットジャガーに対する再評価もはじまるようになる……。


 このスペースの展示物に対しても、


ウルトラマンティガ(96年)しか分からな~い」


などと連れの男性にのたまっている若い女性客がいる一方で、


ミラーマンはミラーナイトの元で、ジャンボーグAはジャンボットで、ファイヤーマンはグレンファイヤーで……」


などと両親に解説している小学生などもいて、その父親が母親に対して、


「ほら、わかってるよ……」


などとのたまっている微笑ましい光景も見られた――きっと歳若い父親の方が世代的にも元ネタがキチンとわかっていないとは思うけど(笑)――。


 この一例だけをもってして、映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』に登場した、新しい宇宙警備隊こと通称ウルティメイトフォース・ゼロのヒーローたちであるミラーナイト・グレンファイヤー・ジャンボットの元ネタを知っている少年の存在が一般的・普遍的でもあるのだ! ……なぞといった結論はまったく導けはしないけど(笑)、そーいう子供も実在していたという証言だということで。


「赤い通り魔」(爆)こと『レッドマン』にこそ、「特撮」ジャンルの本質を見る!?


 往年の日本テレビの平日早朝番組『おはよう! こどもショー』(65~79年)の枠内にて放映されていたミニ番組であった、


・『レッドマン』(72年・円谷プロ
・『行け! ゴッドマン』(73年・東宝


 彼らのマスクまでもがあった。『レッドマン』も今では低予算の脚本なし、岩場というか造成地でのぶっつけ本番撮影の数分間の「怪獣殺戮ショー」(笑)として一部では名高く、ネットの無料動画配信サイト隆盛の当今では若いオタの一部にも「赤い通り魔」(爆)としてネタ的に流通していたりする作品ではある。


 ただ放映当時、幼児であった身にしてみれば(歳がバレるなぁ)、チャチいという気持ちもなくはなかったかもしれないけれども、ヒーローと怪獣が出てきてドッタンバッタン組んずほぐれつの格闘を演じてくれれば、子供心にそれだけで満足でコーフンしており、毎朝毎朝その時間帯が楽しみで楽しみで仕方がなかったものである(笑)。


 コレは別に「ネタ」として「笑い」を取ろうという「座興」で書いているワケではない。


 「特撮」ジャンルの本質とは何なのか? 高度な「テーマ」や「ドラマ」を語るための手段としての「特撮」であったのか? 「SF」を語るための「特撮」であったのか? 「テーマ」を語るための「特撮」であったのか?
 そーいう高尚なモノに奉仕するため、「文学」や「SF」を下支えするためのモノであったのか? もっと云うならば、「特撮」はそれらのジャンルの下位として従属するしかない、劣位な存在に過ぎなかったのであろうか?
 いや、きっとそーではなかったハズである。


 「日常」にはなかなかアリエそうにもないモノ。あったとしてもレアなモノ。


・珍奇でスペクタクルな天変地異などの光景!
・ヒーローや神々や怪物などの異形の姿!
・そして、それらのアクロバティックな体技や超能力!


 そういったものの「美」なり「醜」なり「神々しさ」や「いかがわしさ」などを覗き見してみたい! 「破壊」や「破滅絵図」なども覗き見してみたい! などという、いささか不謹慎な願望に沿ったものではあるけれども、つまりは「見世物」興行の延長線上にこそ、「特撮」ジャンルというものの本質があったのではなかろうか?


 そうであるから、「特撮」ジャンルにとってはドラマやテーマなどは実は不要でもある! なぞという極論を云いたいワケでもない――ドラマやテーマなどがなくても、『ウルトラファイト』や『レッドマン』のように作品として成立してしまうのが、「特撮」ジャンルというモノなのかもしれないとは思うけど――


 ドラマやテーマはあってもイイのだが、それらは「特撮」ジャンルにおいては、「特撮」という見せ場に奉仕すべき「従」の存在であるべきなのだ。従って「特撮」ジャンルにおける作劇も、つまりはドラマやテーマも「特撮」(にまつわる諸々)という「見せ場」が効果的に盛り上がるように、それらがクライマックスとなるように、奉仕すべく組み立てられるべきなのだ。


 「特撮」ジャンルとは、プリミティブ(原始的)で文字通りのフィジカル――物理的・肉体的――な、視覚的・身体的な快感・驚き・喜び・恐怖などの情動を喚起することこそがその本質なのである。その本質に自覚的であるならば、「特撮」作品における「作劇」とはそのように組み立てられて、また同時にそのように「批評」されるべきモノなのではなかろうか?
 だからこそ、あえて映像のディテールや「特撮演出」、ヒーローのマスク・怪獣・メカのデザイン&造形、そしてそれらによるアクロバティックな体技などの「アクション演出」にも注目して、これらを言語化していくべきではなかろうか? 近年の筆者はそのようにも考えているのだ……。



 それから次の「間」までの短い折り曲がった通路には、比較的に近年の作品である怪獣映画のミニチュアが展示されていた。


平成ガメラシリーズ最終作『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(99年)における、渋谷の某商業ビル前の道路に沿って立つガメラ
・映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年)における、横浜の煉瓦倉庫の前で激突するウルトラマンメビウスvs海獣ゲスラもといキングゲスラ


 もちろん、劇中では破壊されてしまった建築物なのだから、撮影当時のミニチュアが残っているハズもなく、今回のためにワザワザ新造したというワケでもおそらくない、何か別のイベント用に過去に製作されたミニチュアの流用展示なのだとは思われる……。


新作特撮映画『巨神兵 東京に現わる』!


 そこから先の右に折れ曲がったすぐ先のスペースには、上映時間が約9分だかでご見物衆をドンドンと回転させていく本イベントの目玉でもある、映画『巨神兵(きょしんへい)東京に現わる』の上映スペースがあった。


 観客で満員になっているために、音響と銀幕の光が漏れてくるのみで、その先のカドを曲がれない(笑)。よって、次の上映回を待つことにした。


 待つこと数分。入ってみると、映画館で例えれば100席程度しかない長方形の平面スペース。前方の1/3程度に7~8列程度のイスを並べて、残りの2/3は立ち見で観てください……といった風体になっていた。


 アッという間に満員となって上映を開始する。


 少女性を残しつつも、元気いっぱいでキャピキャピとした少女像とは程遠い、あるいは娘ムスメしていて甘ったるくてオトコに媚び媚びとしたボイスとも程遠い、血液温度&テンションも低めでボソボソとした小声のささやきウィスパーボイスによるナレーションがはじまる。


 00年代オタク系・饒舌系文体の人気小説家・舞城王太郎によって書かれたというモノローグが、ホントはテンション高めの元気いっぱい声優なハズなのに、あえて無気力にモゴモゴとしゃべってみせている(笑)、大人気巨大ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220306/p1)のヒロイン・綾波レイ(あやなみ・れい)を演じていた往年の大人気声優・林原めぐみによって延々とつぶやかれていく……。


 白昼屋外でのオープン撮影によるミニチュア・ビル群の先頭の突起に囲まれた上空に、全長数百メートルどころか1キロメートル程度はアリそうにも思える超巨体である「巨神兵」1体がウツ伏せの体勢で中空に浮遊したかたちで突如として出現する!
 地面に降り立ちノソノソと歩きだすや、小さな顔面の小さなお口の中から、銀色メカの細長い銃口が変型しながら突き出してきて、強力なビームを発射!!


 あたりを薙ぎ払うように放たれた、ヨコ移動していく光線の着地点には、ドカドカドカドカとCG火炎ではなくモノホンのガソリン火炎大爆発が起きていく!


 一面ガラス張りの近代的なビルのガラス窓が一斉に割れるや、専門家による爆薬でのビル解体の記録映像のように、瞬間的にビル全体が真下に向かうように一挙に倒壊していくサマも実に圧巻!
 デパートの中層階を熱線ビームが横断するや、コンクリの外壁や内壁だかが高熱によって融点を超えたのか、オレンジ色のマグマのようなドロドロとした粘着質な液体がドバッと大量に飛び散ったりもしている!


 まぁ、シニカルに見れば80年代以降のアニメであれば既視感もあるようなビジュアルイメージだとも云えはするのだけど、だからこそ実写特撮でもメンドくさがらずに押さえておくべきであった普遍の王道だともいえる破壊美の映像ではあるのだ!


 都市破壊や戦争という事実をリアルに真摯に受け止めるべきだと云うのならば、このような映像を楽しんでしまう心性は「不謹慎」だとさえ云えるだろう。しかし、そのことの是非はいったんカッコにくくって棚上げにすれば、「巨大な物体が動いていくだけでも存在してしまう絵的な迫力」と「破壊のカタルシス」、そしてそれに伴なう「荘厳の美」や「終末の美」といったモノもたしかにあるのだとも云えなくはないのである。


 まぁそれは、「炎」の絵がウマく描けるようになったと、妻子が屋内にいるのにも関わらず自宅が火災にあったことを喜んでもいる(爆)、古典『宇治拾遺物語』の「絵仏師 良秀」(芥川龍之介の小説『地獄変』の原案)のような狂気と化していく可能性もゼロではないのかもしれない――「絵仏師 良秀」がコレまた、学生時代にバス停でライターの炎を見ながら「炎のゆらぐサマ」を研究していたという庵野の先駆者のような御仁でもあるよなぁ(汗)――。
 今回のイベントが昨2011年の開催であったならば、同年3月11日(金)に発生した東日本大震災に配慮して、この短編特撮映画も製作中止になっていたのかもしれない。


 このように「特撮」ジャンルとは甘美で適度な毒をもハラんだ、怖いもの見たさのジャンルでもあるのだろう。つまりは「特撮」とは、実は本質的には「不謹慎」なジャンルなのだと開き直ってもイイのではなかろうか?(爆)――


 そのうちに、暗闇と炎に覆われてしまった大地を、その手には光の剣を持った量産型の巨神兵たちが大挙して、遠方からカメラの方に向かって闊歩して来る、実に絶望感にあふれたサマが描かれる。
 要は現代文明が終焉したあとの遠未来、中世のような社会に回帰してしまった人類の姿を描いていた往年の名作アニメ映画『風の谷のナウシカ』(84年)で、人類の文明をいったんは滅亡させて腐海の底へと沈めてしまった巨神兵たちによる「火の七日間戦争」。その発端は現代の東京にあったのだと仮定した作品ではあるのだけど、もちろん『ナウシカ』を知らない人間が観ても楽しめる作品にはなっていた。


 あとからケチを付ければ、東西冷戦の真っ只中で製作されて、ドコとなく「火の七日間戦争」とは東西2大国のいずれかの新兵器だったのだろうという感触を残していた『ナウシカ』の巨神兵と、平和な世界に突如として空から降って湧いたように出現してしまった本作の巨神兵とでは、やや不整合な感があるとも云えなくはない。
 しかし、設定の整合性を厳密に求めてみせるような作品ではないのだし、あくまでも『ナウシカ』の「巨神兵」を活躍させることそれ自体、そしてその「都市破壊」を描くことそれ自体が目的の「特撮映画」なのだから、そのあたりについてはご愛嬌ということで済ませてもイイだろう。


新作特撮映画『巨神兵 東京に現わる』のメイキング映像も!


 この映画のシーンの一端は、開催前後の7月に放映された宣伝特番でもメイキングシーンを含めて流されていた。あえてCGやデジタルを使用せず、むかしながらのアナログな手作り特撮(特殊撮影)にこだわるとのことだった。
 半信半疑であったスレた特撮マニア諸氏も多かったことであろう。さすがにいくら何でもオール・アナログ撮影、アナログ合成ということはないに違いない。若干は、あるいは細部にCGも使うにちがいない……と。


 実際に本編の映像をこの会場で直に観てみても、冒頭で舞っている火の粉はCGだろう、爆発キノコ雲などもCGなのだろう。……と思っていたのだが!


 その次であったか、その次の次の「間」であったかが、『巨神兵 東京に現わる』のメイキングビデオの間になっており、そこで特撮マニアにとっては衝撃の事実が明かされる!(笑)


 冒頭で舞っていた火の粉はナンと実際にも「粉」を舞わして撮影し、キノコ雲のシーンもナンと綿(わた)によるミニチュア表現であって、ワイヤー(ピアノ線?)で引っ張ることでキノコ雲の上昇や拡散を表現していたのであったのだ!


 ヒエェーー-ッ! そうだったのかぁ~~! ……まったく見破れませんでした~~! CGだとばかり思っていました~~!(汗)


 とはいえ、「CG特撮」ではなく「手作り特撮」であったのだ! とは見破れなかったという「ミニチュア特撮」。コレを素晴らしいモノ、イイ意味でゼイタクで豪華なモノだとして見るのか、それとも「CG」の方が低予算で済んで同等の効果が得られるのであれば、やはり「CG」でイイと取るかは、個人の趣味の問題ももちろんあるのだけれども、ゼニ勘定の計算としては時に後者になるのは否めないとも思うのだ。


 「特撮」ジャンルそれ自体を賞揚してきたのにナニではあるけど、筆者個人は貧乏性の人間でありアナログ特撮至上主義者というワケでもないので、予算の多寡によっては後者の立場に組みすることにはなるだろう。「ミニチュア特撮」は「特撮」にとっては重要な一要素ではあっても、必ずしも常に必須である要素ではないとすら思うし、同等の映像効果が得られるのであれば実景との「デジタル合成」や「CG特撮」に代替されても構わない。
 ただし、チャチではない真にリアルな「デジタル特撮」や「CG特撮」を作るとなると、結局は「ミニチュア特撮」よりも金銭・人員数・時間もかかってしまうという話もあるのだけど(汗)。


 そうなると安価で製作せざるをえない本邦日本特撮から「ミニチュア特撮」が完全に廃れることもないのではなかろうか? あとはデジタルでミニチュアのビルを増やして合成したり、背景ホリゾントの天井側をデジタルで青空に変えたりしてセットを高く広く見せたりもする。結局は比較的に安価で済ませられるセット撮影でのアナログを主体としてそれとデジタルとの併用で収まるのではなかろうか?
 具体的には、人間体型の超人キャラクターなどはCGでの表現ではやはり違和感が生じてしまうので、そこについては旧来のスーツアクターに演じさせるアナログ特撮の延長線上にてやりくりしてほしいモノなのだけど、「火の粉」や「キノコ雲」などであればムリにアナログにはせずCGやデジタルで代用して、浮いた予算&時間を別の方面へと振り向けた方がイイのではなかろうか?(笑)



 同じくこの「メイキングの間」(仮)には、


・『巨神兵 東京に現わる』の絵コンテ
・『風の谷のナウシカ』における巨神兵登場シーンの原画


などが展示されていた。今や古典の域に達している世界の宮崎駿カントクの出世作風の谷のナウシカ』製作時における、アニメマニア間では知られているが、庵野カントクもとい庵野館長が作画を担当していた巨神兵のアニメ「原画」である。


 当時はアニメスタジオに寝泊まり(汗)していたという庵野を、


庵野、もっと早く描け!」「もっと仕事しろ!」「寝すぎだ!」


などとドヤしつけるメモ書きが記された、天下の宮サン直筆による当時の伝言メッセージ、というか似顔絵・落書きの紙片も数枚飾られており笑ってしまう。



 一番最後は、広大な吹き抜けのフロアに特撮ミニチュアによるビル街を設置したスペース! そこでの撮影は自由に可となっていたのだけれども、大勢の観客が隙間なく周囲を取り囲んでいるために、彼らを避けてミニチュアのみを被写体に収めるような撮影は実質的には不可能なのであった(笑)。


特撮博物館」の客層に思う「特撮」の未来!


 コレは決して批判ではないのだが、今回のイベント名それ自体に天下の「庵野秀明」の名前を入れてみせた手法は、70年代末期~80年代初頭にかけての月刊『アニメージュ』誌の編集長にして、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫による入れ知恵でもあったのだろうか?


 純粋に「特撮」というお題目だけでは、人々をここまで大勢は集められなかった可能性は非常に高いだろう。しかしココに、かの『ナウシカ』における「巨神兵」の作画なり、『エヴァンゲリオン』の監督を担当してきた「庵野秀明」の名前を入れれば、あら不思議。お文化なものにも多少は関心を持っていた層や、オサレ(オシャレ)・サブカル層あたりであれば、庵野の名前は知られていたワケであって、まさに「庵野秀明」の名前によって、そちら方面からの動員が見事なまでにできていたのだ!


 そこに複雑な想いもなくはない。しかし、それは必ずしも悪いことでもない。やはり良くも悪くも純然たる「特撮」の看板だけでこのイベントが開催されていたとしたならば、客層は男児がいるファミリー層なり、我々のようなスキ者のマニア層だけに限定されてしまって、それ以上の広がりは見せなかっただろうとも思うからだ。


 『エヴァ』が90年代後半に大ブームとなった折りに、「『ヤマト』や『ガンダム』を超えた!」ばりの主張をする当時の若い論者がいたものだけど、「いやいやいや、待ってくれよ。オタク差別がなかった時代の『ヤマト』や『ガンダム』はクラスの男女のほぼ全員が観ているような作品で『エヴァ』どころじゃなかったんだヨ!」などと思ったものだった(笑)。けれど、今となっては人気面でも興行面でも『エヴァ』の方が圧倒的にステータスが高くなって歴史にも残っており、複雑な気持ちにさせられる。
 もちろん、『エヴァ』という作品自体も優れてはいる。しかし、『ヤマト』や『ガンダム』は人間集団・社会・敵国を描いた群像劇で登場人物も多かったからこそやや難解だと捉えられて、『エヴァ』の方は敵も人格が備わっていない巨大怪獣であり人間関係も私小説的に狭くて主要登場人物の数も少なかったのでやや理解がしやすかったからこそ後世にも残ったのだ……という気がしないでもないのだ――20世紀の『エヴァ』ファンとは異なり21世紀の『エヴァ』ファンは作品世界に散りばめられた難解なナゾ解き要素には反応していないように見えるあたりもその証左――。


 オタクが圧倒的メインの参加者である同人誌即売会などではあまり見かけない男女カップル客などもけっこういた。もちろん、こーいうイベントに出張ってくるような人種であるからには、体育会系であったり街で遊んでいたりするようタイプではなく、文化的なモノにも最低限は関心がある人種ではあるのだろうけど、デートがてらに観覧しているとおぼしきお文化な男女カップルなどもいたモノだ。
 そして、まったく嘆かわしいことに……もとい、うらやましことに(笑)、男女混合の集団で来ている若者グループなぞもいたりする。おそらく割引チケットなどが配布された美術・服飾のデザイン系専門学校のサークル仲間や同級生たちが連れ立って来ているのではなかろうか?


 我々のようなコアでヘビーユーザーなオタクばかりではなく、その周辺にいるライト層をも動員できなければ、この手のイベントを、引いては「特撮」ジャンルそのものを幅広い層に拡大・越境して浸透させることもできないのだ。そして、このイベントを鑑賞後の彼らの心に少しは何かが残って、自分たちの子供が特撮変身ヒーロー作品を観たいと云い出したときに、


「『ディズニー』はオシャレだけど、『戦隊』とかはダサくてオタクっぽいからイヤ~」


などというような態度を取らせずに(笑)、自由に観させてくれるのであれば、次代の特撮ファン・特撮マニアの拡充に益することにもなるだろう。
――私事で恐縮だが、仕事関係で立ち寄った北関東の某所で昼食を取るために入店した郊外のファミレスで、コレからレンタルビデオ店に行こうとしているヤンキーなママが幼児の息子に前述の発言をしている光景を数年前に目撃したことがあったのだ。おそらく、そーいう趣味カーストから特撮変身ヒーローものを見せていないようなファッション&スイーツなママ層も相応にはいるのだろう(汗)――


 それはともかく、1960年代の東宝特撮や「第1次怪獣ブーム」で育ったオタク第1世代や、1970年代前半の「変身ブーム」(=「第2次怪獣ブーム」)世代が40~50代に達して、このようなオタク企画にもGoサインを出せる管理職の立場になったということをも、今回のイベントは意味している。
 60年代末期に「大学生にもなってマンガを読んでいる!」なぞと世間を嘆かせていた、オタク第1世代よりも10歳強上である終戦直後生まれで「右手に『(朝日)ジャーナル』、左手に『(少年)マガジン』などと称された「団塊の世代」がすでに定年退職をするような時代(後日註:2012年現在の話)に突入しているワケだから、考えてみれば当たり前のことではある。


 それは喜ばしいことでもある。しかし、逆の方向に眼を向けてみれば、若い世代の特撮マニアが育っていない……ということはないのだとしても、60年代後半の「第1次怪獣ブーム」~70年代末期の「第3次怪獣ブーム」世代と比すれば、そのマスとしての人口はやや少ないワケであり、ジャンルの延命については予断を許さないものがあるのだ。


「特撮」ジャンルを延命させるための方策!


 では、どうすればイイのだろうか? 具体的には何ができるのだろうか? 万能薬などはないのだろう。それは関係各位の小さな一歩の総合としてしか果たされないようなことでもあるだろう。
 もちろん、最優先事項は個別具体の新作のTV特撮シリーズや特撮映画を製作して観客をゲットしつづけることである。しかし、「特撮」ジャンルに対する援護射撃・カラめ手からの攻め方としては、このようなイベントを展開して「文化」としての「パッケージ」をまとって世間一般の眼をあざむく(笑)。「特撮」ジャンルそれ自体に一定程度の文化的な「権威」も必要悪的に与えて、それをバリアにして延命を図るということもひとつの方策ではあるのだろう。


 ただし、それだけでも下の世代は育たない。小さな子供たちを「特撮」というジャンルに誘導して、次代の特撮ファン・特撮マニアに育てあげるには不充分でもあるだろう。よって、やはり年1製作の特撮映画なり毎年製作のTV特撮シリーズで、コンスタントに切れ目なく現今の子供たちにとっての魅力的な特撮ジャンル作品を常に継続的に露出しつづけていくことが肝要だとも思うのだ。


 一時的にではあっても途切れてしまってはダメなのだ。往年の第2次怪獣ブームや第3次怪獣ブームはその前次ブーム終息後に数年間のブランクを経て、子供間での待望の果てに復活を遂げたブームでもあった。そして、この数年間のブランクが往時の子供たちにも新鮮味を与えてくれてもいたし、東映で昭和の『仮面ライダー』シリーズを製作してきた平山亨(ひらやま・とおる)プロデューサーなども「シリーズには数年間の休止期間を置くことで新鮮味を出した方がイイ」という趣旨の発言をしていた記憶もある。


 しかし、その手法が通用したのは1980年ごろまでではなかろうか? それは例えば、1981~96年までの16年間にもおよぶTV放映形式のウルトラシリーズの長き中断。そして、1990年代前半にはアレほどの大人気を獲得した平成ゴジラシリーズが一時の休止をして、この児童間でのブームの変化も激しい時代に00年前後に復活を果たしてみても、その人気がついに回復することはなかったという事例である。
――平成ゴジラシリーズや平成ウルトラ3部作が終了した90年代後半には、カプセルから召喚したモンスター同士を戦わせる『ポケットモンスター』(97年)とカードから召喚したモンスター同士を戦わせる『遊☆戯☆王』(98年)が大人気となって、怪獣からモンスターへと人気が移ってしまっていたのだ――


 そのようなことは百も承知しているが、ミニチュア特撮を必要とする巨大ヒーローや巨大怪獣が登場するような特撮ジャンル作品は、一般のTVドラマや深夜ドラマなどと比較すると、本編と特撮の2班体制になったり在りモノのミニチュアやCGに基地の本編セットなども準備する必要があることから、どうやっても金銭がかかるので製作にGoサインを出すこと自体が困難なのだ! といった問題もあるのだろう。


 そうなると、何らかのかたちで低予算でも作れる作品内容&スタッフ体制を達成できる企画なども、模索しつづけるべきだということにもなる。


 そのような製作ウラ事情や金銭事情を考慮することなど汚らわしい! 真に斬新な番組であるのならば、小細工など弄せずとも子供のみならずオトナたちをもゲットできる特撮作品を製作できるハズなのだ! といったような意見もあるだろう。それはたしかにそうなのかもしれない。


 しかし、斬新さとは何なのだろうか? それもまた、時代に応じて相対的に斬新に見える……といった程度のモノではなかろうか? 人間の想像力・イマジネーションにもおそらく限界があって一定のパターンがあり、一見したところは新しそうに見えたとしても、それは表層の意匠・パッケージだけが新しく見えているだけに過ぎないのやもしれない。名作漫画『サルでも描けるまんが教室』(89年)や英国近世の劇作家・シェイクスピアなども言及している通り、物語の基本パターンは36通りしかないのかもしれないのだ(爆)。


まったく新しいヒーローを誕生させることは可能なのだろうか!?


 特撮雑誌『宇宙船』の本年2012年度のいずれかの号で、ベテラン脚本家・上原正三が「いまだに僕が企画から考えた『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』や『宇宙刑事』がつづいている。若いヒトたちは新しいものを作る努力をしなければ……(大意)」などとのたまっていた。
 たしかにそのような見解にも一理はあるだろう。しかし、客観的に見れば『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』や『宇宙刑事』もパッケージ・意匠が異なるだけであって「悪の怪人と戦う正義のヒーローもの」で一括りにできる程度のモノだ。もっと云うならば、神話や古代の時代から連綿とつづいている英雄vs怪物の物語パターンとしてカテゴライズができる程度のモノである。真の意味で新しいワケではなかったのだとも思うのだ――まぁ、平成仮面ライダーシリーズあたりだと、タイトルだけが『仮面ライダー』で、内容面では昭和のソレとはまるで別モノといった感もなくはないのだけれども(笑)――。


 よって、真に斬新なものなどはナイのではなかろうか? あるいは、仮に斬新な変化球やパターン破りなどの作劇ができたとしても、ソレが単なる肩透かしにしか見えなくて万人の心を打たないのであれば、それは意味がないのではなかろうか? その逆に、アリがちな展開でもそれが万人といわず多数の人間の心を動かしうるモノならば、むしろそれこそが普遍・王道ですらあるのだろう。



 しかし、『ウルトラマン』も『仮面ライダー』も『戦隊』も『宇宙刑事』も真の意味では新しくはなくても、歴史のある時点においては表層的には新しく見えたということも厳然たる事実ではある。


・それまでの覆面をカブっただけの変装ヒーローが、日本や先進各国の高度経済成長・人工衛星・月ロケット開発競争などを間接的・無意識に反映していたのかもしれない、金属の銀色の輝きを持ったロケットのような姿をした「初代ウルトラマン」や「マグマ大使
大自然の使者としての側面があったとしても、やはりメカニカルなバイクを駆使する黒革のライダースーツを模した改造人間でもあった「仮面ライダー
・一般家庭内でも普及してきた電子パネルやデジタル時計などとも連動して、メタリックかつ電飾ライトなども施されていた「宇宙刑事」やそれにつづく「メタルヒーロー



 たしかに物語の「深層」面での新奇さではなく「表層」面での新奇さもまた重要なのであった。そして、その目新しいモノ・珍奇なモノこそを見たい! という、ある意味では低劣で幼稚な情動もまた非常に重要なのである。そして、そんな「意匠」にこそまさに「特撮」の本質もあるのだと。


 とはいえ、重厚長大な眼に見えてわかる重工業やら電車や自動車から、マイクロチップブラックボックスナノテクノロジーやらに、科学がその主役の座を譲われて久しい。しばらくは科学マニアやパソコンオタクなどではなく、庶民大衆・子供でも眼で見てわかるような大きな産業変化や技術革新などが発生することは、今後はもう数百年くらいはナイようにも思える(爆)。
 そうなると、それら社会や住宅地の風景までをも一変させてしまうような技術革新の無意識的な反映でもあった特撮変身ヒーローの見てくれの面での大きな変化も、今後はなかなか望めないのではなかろうか?(汗)


現今の子供たちにとっての魅力的なヒーロー像とは何か!?


 90年代後半以降の子供向け娯楽作品の新たなスタンダードとなったのは『ポケモン』と『遊戯王』である。我々のようなロートル世代の視線でコレらの作品をお勉強的に鑑賞していると、カプセルやカードから科学的・SF的な説明ヌキでモンスターが現実世界に召喚されてしまうことには少々の抵抗感は抱いてしまう(笑)。
 とはいえ、コレは良くも悪くも一般家庭内でも電子家電やケータイ電話が普及しきったあとに、それらがすっかり日常となってしまったことで、我々が子供だった時代とは異なり、現今の子供たちには電飾満載な秘密基地の指令室、スイッチやレバー満載な戦闘機のコクピット、宇宙戦艦の艦橋の壁面などを飾っていた多数の目盛り付きパネルのようなモノに対する「非日常」的なあこがれが、完全にゼロになってしまったのだとはいえないにしても、昭和の土俗的な日常との落差から来るあこがれ・憧憬はガクンと減じてしまったのではなかろうか?


 むしろ、宇宙SF的な科学性よりも異世界ファンタジー的な魔法の方にこそ子供たちや若者はワクワク感を抱いているのではなかろうか? そう考えると、科学SF的な原理面では相当にインチキな「カード」や「USBメモリー」や「メダル」や「スイッチ」や「指輪」などの実は同工異曲(笑)のサブアイテムに秘められたパワーを用いて平成仮面ライダーに変身したりパワーアップしてみせている現今は、マーケティング的にも正しいのであろうし、その絶好調な売上も見るにつけ、それらのサブアイテムに対して当の子供たちこそ呪術(汗)に近いようなオーラや憧憬を感じてもいるのだろう。
 おそらくそーなのだろうと推測しつつも、このあたりは現今の子供たちが成長してから、自らの嗜好・感慨を客観視して論理的に分解して語ってくれるようになる日まで待ちたい。


 ただし、それを悠長に待っているだけでも手遅れになってしまう(笑)。そこで踏み込んで仮説を述べてみたい。


 素体となるウルトラマン仮面ライダーなどのデザインは、現実世界での技術革新の反映でもあるかもしれないので抜本的な変革を求めることはムズカしい。しかし、カプセルやカードといった小型サブアイテムからある意味では呪術的に召喚されてくるパワーや武器などに対しては、実際にも子供たちは心を惹かれているのだ(と仮定する)。


 魔法というよりかはやや科学・SF寄りな足場を作品世界に据えてきた「ウルトラマン」や「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」にそれらを導入してみせる。
 そのための方法論としては、人間の科学よりも進んだ宇宙人由来のオーバーテクノロジーや、現代人よりもはるかに進んでいた超古代文明由来のロストテクノロジーだともしたり、そこにやや科学的・SF的な意匠などもまとわせて、「カード」や「メモリ」や「メダル」などを昭和のウルトラマンではおなじみだった手首のブレスレットや手甲や腕甲のガントレット、あるいは仮面ライダーの変身ベルトのバックルなどにハメると、ヒーローの色や属性や能力が変わったりタイプチェンジをするような作品を今後は継続して製作していった方がイイのではなかろうか!?


 怪獣攻撃隊なども戦闘機のみならず合体巨大ロボットなどを建造して、ウルトラマンvs巨大怪獣との戦いにも参戦させた方がイイのではあるまいか!?


 ついでに、ウルトラマンも怪獣攻撃隊が製造した鎧(よろい)を着込むなどしてパワーアップしていってもイイのではなかろうか!?


 かつての子供たちではなく、現在の子供たちがほしくなるような玩具的な魅力にも満ち満ちた作品を製作して、玩具の売上高も上げることなのだ。


現今の子供たち以外にも「特撮」を越境・浸透させるための方策とは!?


 そして、少子高齢化に伴なう子供層のパイの減少が進行している現代日本において、視聴率や関連商品の売上を増大させるためには、やはりメインターゲットである幼児層のみならず小学生も、加えて大きなお友だちでもある我々オタクや女性層や子供たちのパパ・ママ層、オタクの周辺層であるライト層やサブカル層をもゲットするための方策なども望まれる。
 OB先輩ヒーローの再登場、イケメン役者のゲット、オサレ系アーティストとの主題歌タイアップによる宣伝、サブカル筋に権威があるビッグネームの投入による話題性。


 それらは邪道といえば邪道である。先にも主張した「特撮」のための「SF」や「ドラマ」や「テーマ」といった主張とも矛盾はしてしまう(汗)。しかし、「特撮」至上を原理主義的に試みるだけでもウマくはいかないのだろうとは思うのだ。


 本来であれば、特殊撮影こと「特撮」それ自体で、あるいは「特撮変身ヒーロー」や「巨大怪獣」という看板だけでお客を呼び寄せられることが理想ではあるのだ。しかし、100年以上も前の「映画」というジャンル自体の草創期、もしくは70年代後半における『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』などのような前代とは次元を画した「特撮」技術革命を達成して、出演俳優のネームバリューなどではなく、その新奇な映像のパワーとサプライズだけで一般大衆を集客できた時代が再来するようなことがあるともなかなか思えない。
 そして、「デジタル特撮」や「CG特撮」は早くも完成の域に達しており、演出家や特撮班やCGディレクターなどのセンスの面ではともかく、「新技術」それ自体で人々を驚かせることができるとも思えなくなってしまったのが今の時代なのだ。


 しかし、それはそれで演出家、あるいは特撮班やCG班などの「個人個人」による「絵作り」や「動き」や「タイミング」の「センス」といった属人的なモノに「特撮」ジャンルが再び舞い戻ってきつつあることを意味しているのかもしれない。


 むろん映画・映像作品は総合芸術ではある。何が「主」で何が「従」であるかという優先順位は付けつつも、「従」を軽視してもイイ、無視してもイイというのも極論であり暴論ではあるのだ。
 「特撮」ジャンルの本質・中核の何たるかについては忘却せずに、その周囲には子供たちが喜びそうな玩具性やB級SF的なウラ設定なども忘れずに配置して、オタク層や女性層やパパ・ママ層の各位が喜ぶようなサブ的な要素も全方位に配置しておく……。


 そのような目配せの仕方に、「特撮」ジャンルの未来や「特撮」マニアのあるべき未来もあるのではなかろうか?


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2013年号』(12年12月29日発行)所収『館長・庵野秀明 特撮博物館』合評2より抜粋)


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金城哲夫論!? 光の国から僕らのために-金城哲夫伝- ~金城・上原・円谷一の業績を凝縮した良舞台!

(文・T.SATO)
(2016年2月28日脱稿)

開幕は「米軍追放! 沖縄への自衛隊の誘致!」を主張する1970年代前半の金城哲夫


 開幕早々は意表外なことに、誰でも予想するであろう、初代『ウルトラマン』(66年)を製作中の1960年代中ばの円谷プロを舞台にした、甲斐甲斐しくも頼もしく立ち回る、ウルトラシリーズを立ち上げた脚本家・金城哲夫(きんじょう・てつお)の若き日の勇姿……といったアリガチな導入部にはなっていなかった。


 飛行機に搭乗しての――実は航空自衛隊(!)のヘリコプターだと徐々にわかってくる――、金城のレポートによるラジオ中継の姿が描かれるのだ。そして最後には、


「米軍を追い出して、代わりに自衛隊を沖縄に誘致すべきだ!」(!)


といった趣旨の発言をしてしまうのであった……!


 当然のことながら、沖縄の故地では物議を醸してしまう金城哲夫


 特撮マニア的には沖縄における仕事での光景ということで、コレは金城が円谷プロを退職して沖縄に帰省したあとの1970年代前半のことだろう、という推測はつくのだけど。


 あとでめくった本舞台のパンフレットでの解説や関係各位へのインタビューでの発言を総合すると、コレは1972(昭和47)年を舞台とした一幕である。つまり、太平洋戦争での1945(昭和20)年の日本の敗戦以来、そして沖縄ほかを除く日本本土が1952(昭和27)年に独立を回復したあとも、アメリカの占領下にあった沖縄が日本に返還された年である。


 72年にホントウに起きた出来事であったのかについては、筆者の乏しい調査力ではウラ付けが取れなかったのだけれども、コレは沖縄のローカルラジオ局の番組『トヨタ・モーニング・パトロール』(RBC琉球放送ラジオ)において、自衛隊のヘリに搭乗してラジオ中継を行なっていた際のエピソードであるようだ。


 その結果として、



自衛隊を賛美したと沖縄の教職員に嫌われ、袋叩きにされたみたいですね」

(本作パンフレット「金城の同僚の脚本家・上原正三インタビュー」)



ということになり、このラジオ番組を降板(!)することになってしまったという逸話の舞台化なのであったのだ。



 コレは世間一般でイメージされている「沖縄ナショナリスト」、あるいは沖縄と日本本土との仲介者たらんとしたような「インターナショナリスト(国際人)」としての金城の姿でもない。
 米軍の駐留には反対するけれども、日本の自衛隊の駐留には賛成する! あるいは米軍には出ていってもらうけれども、その代わりに自衛隊には入ってもらおう! などという、当時の日本や沖縄の左派はもちろん、アメリカに奴隷的に屈従するどころか、むしろ安全保障や経済発展のためには米軍に駐留してもらおうとさえする、自主防衛などは可能性としてすら考えもしない御仁が圧倒的な多数を占めるに至っていた当時の右派や政府自民党ともまた異なる、第3の思想的な立場ですらあるのだ(汗)。


 1990年前後からの東西冷戦体制終了後、あるいはアメリカの国力が相対的に低下してホントに有事の際には日本を防衛してくれるのかについてが怪しくなってきた21世紀の日本でならば、アメリカに頼らないかたちでの日本の自存自衛や自立について考える、などといった言説なども表面化はしてきたけれども、コレはそんな言説などはほとんど微塵もなかった、あるいは表面にはなかなか出てこなかった1972年時点での発言なのである。
 金城の右派でも左派でもない、その両者をもはるかに踏み超えて、時代もはるかに先駆けていた高踏派といった感じの発想ではあり、しかもそれを沖縄内での空気も読まずにシレッと発言してしまっているあたりで、筆者には金城の頭脳がやはりイイ意味での「宇宙人」、時代をはるかに超えていた異能のヒトに思えてきてしまう。


 しかも、この金城の発言は、いわゆる特撮評論におけるあまたの金城論での、「近代」や「戦後民主主義」の理念に合致した良心的な御仁であったということにしておこう! というような文脈には合致しない、ある意味では不都合な事実ですらあるのだ。
 おそらく、本舞台の脚本家さんもその取捨選択には迷ったことであろう。しかし、仮にご自身の思想的な立場とは異なっていたとしても、このような歴史的な事実を見て見ぬフリをする……それは自身の思想的な立場とは真逆な陣営を利することになるので、お仲間・身内を守るためにも隠蔽しておこう! なぞといった左右双方で共にアリがちでも実に卑劣なふるまいなどはせずに、金城の発言自体の是非・価値判断はいったん棚上げとして、それをも包み隠さずに舞台劇の脚本としてみせた! といった事実にまず、筆者個人は絶大なる誠意を感じてしまうのであった。


 そんな意表外な短い導入部を経て、本舞台は時代を7年ほどさかのぼっていく……。


ウルトラシリーズを立ち上げた金城哲夫の略歴! 本舞台を公演した劇団民藝


 金城哲夫。1960年代後半の第1期「ウルトラ」シリーズのメインライターにして、同シリーズを製作した円谷プロの企画文芸部の部長を20代後半の若さにして務めた御仁である。といっても、創立当初の円谷プロはあくまでも弱小映像製作会社に過ぎなくて、部員がひとりしかいないような「部」の部長ではあったそうだけど。
 それに「20代後半の若さ」とはいっても、筆者個人の子供時代の記憶でも、1980年前後よりも前の時代における20代後半~30歳前後の人間というのは、1990年前後以降からの昨今とはまるで異なり、今の基準でいったら充二分に見た目もオトナであり、思春期・青年期的なモテ/非モテなどの価値観の内面化などもあまりないことから、そこのあたりに過剰にマウント心や劣等感を持つことなどもなく、メンタリティも含めて早々に落ち着いて成熟もできていたオジサンですらあったと思うのだ。


 そして、劇団民藝(げきだん・みんげい)。筆者のように関心領域が実に狭くて特撮やアニメといった虚構性の高いジャンルしかロクに鑑賞してこなかったような重症なオタクであっても(汗)、マニア向けムックなどでのジャンル作品に登場した役者陣の略歴紹介などは読んできたので、その存在くらいはナンとはなしに知っていた歴史と実績のある「新劇」の一派であるベテラン演劇集団である。
――「新劇」というのは、歌舞伎などの江戸時代以前の歴史時代を舞台とした伝統演劇ではない、明治以降に誕生した近代演劇・現代演劇一般のこと。しかし、1970年前後に誕生した、いわゆる「アングラ劇団」や下北沢の小劇場などで公演している、さらなる新しい演劇集団ともまた別モノとして区分する慣習であるようだ――。


 ほかの「新劇」集団などとも同様に、「劇団民藝」からも有名俳優を多数輩出していたハズだと記憶していたので、試しにネットでググってみると……。奈良岡朋子(ならおか・ともこ)・宇野重吉(うの・じゅうきち)・大滝秀治(おおたき・ひでじ)・多々良純(たたら・じゅん)・加藤嘉(かとう・よし)・佐野浅夫(さの・あさお)・佐々木すみ江(ささき・すみえ)・米倉斉加年(よねくら・まさかね)・吉行和子(よしゆき・かずこ)・中尾彬(なかお・あきら)・山田康雄(やまだ・やすお)・綿引勝彦(わたびき・かつひこ)……と主に昭和後期に活躍していた壮々たるメンツが出てくるワ、出てくるワ。
 このうち、綿引勝彦については、我らがウルトラシリーズである『ウルトラマンメビウス』(06年)#15「不死鳥の砦(とりで)」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060924/p1)において、昭和の歴代ウルトラシリーズの怪獣攻撃隊の戦闘機の整備士だったとして出演を果たして、重厚な演技を見せているのはご承知の通りである。


 そんな由緒もある「劇団民藝」が金城哲夫を主人公とした舞台を2016年2月10日(水)~21日(日)にかけて上演するという。場所は21世紀以降に開拓されたオシャレな新興エリアである、新宿駅は南口正面に横たわる甲州街道の横断歩道を渡ったさらに先、高島屋東急ハンズが南一直線に連なっていく木製テラスの通路の徒歩10分弱の先の果て、紀伊國屋(きのくにや)書店・新宿南口店ビルの7階、数百人は収容可能なサザンシアターである。試しに2月の晴れた暖かい日曜の午後、オタク仲間数名とともに鑑賞に行ってみた。


 「劇団民藝」さまも我々オタク層に媚びやがって! なぞと思わないでもなかったけれども(笑)、実際に出掛けてロビーで待ち合わせをしていると、少なくとも筆者の観劇した回では、同好の士のオタク層がワラワラといるというようなことはまったくなかったのであった。明らかに我らと同類の異形の士(失礼)だと看て取れたのは、2~3人の年輩オタク集団1組だけである。
 してみると、オタク層の誘致には失敗したと見るべきか?(汗) 映画の3.5倍ほどの高額料金がオタクたちを遠ざけているのか? 単に宣伝不足なのか? 意外にも60~70代以上の年輩層の観客がほとんどであり、彼らのみで満席となっているような状況であった。
 彼らは招待客や長年の「劇団民藝」ファンや演劇マニアの方々なのであろうか? パンフレットによると、「民藝」協賛会員で年会費を払えば、年に数回ある毎回の公演に招待券が配布されるようではあるけれど……。


実在の著名人を材に取った舞台を観る際の心構え!


 舞台は15分の幕間(まくあい)休演を挟んで、約1時間ずつの前編・後編トータル2時間ほどの芝居を通じて、金城哲夫の1965年~1976年にかけての10年強、その若すぎる享年37歳の逝去を、簡にして要で手堅くまとめていた。


 筆者のようなスレたロートル・オタクにとっては、金城についての目新しい発見は冒頭の導入部を除けばあまりなかったのも事実ではある。しかし、もちろん我らのようなスレた特撮マニアたちに向けた舞台であろうハズもない。より広くに開かれた、金城哲夫はおろか『ウルトラマン』すらもロクに知らないような一般層――厳密には一般層ではなく演劇マニア層とでもいうべきだろうけど――にも理解ができるように、翻案されて表現された舞台劇であるべきだ。
 もちろん本舞台はドキュメンタリーではなく、ノンフィクションや人物研究・評伝でもない。あくまでもフィクションである。であるからには、細部がことさらに正確である必要はさらさらなく、トータルでの事物や金城とその時代の本質・エッセンスを抽出・凝縮して「事実よりも真実」、そのへんをシンボリックに表現ができていれば、細部の大胆なアレンジも問題はないのである。


 もちろんフィクションとはいえ、金城はマニア間での研究も進んでおり、ある大ワクの中での評価や人物像も確定してしまった実在の人物ではある。その人物の可能性的には充分有り得たかもしれない別の一面を付加してみせる……というようなことではなく、それは有り得そうもない、その解釈はさすがにいかがなモノなのか? といったようなハズしてしまった描写があったのならば、それはたしかに長年の特撮マニアとしての金城への一応の理解からしても「こんなのは金城じゃないやい!」などとイヤ~ンな気持ちになってしまったことだろう。


 しかし、そのような極端な不備などはまったくなかった。そして、金城の性格・人となり・その想いや、その人生の精髄・キモなどを手堅く抽出して、舞台劇として見事に仕上げることができていたとも思うのだ。


遡って穏当に『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の1960年代後半!


 1965(昭和40)年。本邦初の本格的TV特撮番組『ウルトラQ』(66年)の放映間近、すでに次作である初代『ウルトラマン』(66年)をも企画中であった円谷プロ企画文芸部が描かれる。


 特撮の神様・円谷英二つぶらや・はじめ)特撮カントクの長男にして、兄貴分でもある長身スマートなTBSのディレクター・円谷一つぶらや・はじめ)カントクを前にして、明朗快活・豪放磊落(ごうほうらいらく)にふるまって、『ウルトラマン』の企画を披露している若き日の金城哲夫が登場する。
 ついでにその場で、『ベムラー』⇒『レッドマン』⇒『ウルトラマン』と、特撮マニア間では知られてきた仮題タイトルが連呼のかたちで正式タイトルへと変化していき、一挙に一瞬にして決定していく。そして、興が乗った円谷一も、その場で即興で初代『ウルトラマン』の主題歌を作詞してみせて、金城と肩を組んで仲良く合唱をはじめてしまう(笑)。


 コレらはタイムスケールを極端に縮めてしまったウソである! 歴史修正主義である! なぞと糾弾するヤボな特撮マニアなどは今さらいないだろう(多分)。微笑ましいシークエンスではある。



 同じく1965年。『ウルトラマン』の準備が本格的にスタートする。そこに新たに登場するのが、本舞台の副主人公でもある同郷の沖縄出身の新参脚本家・上原正三(うえはら・しょうぞう)である。


 すでに前作『ウルトラQ』などに登場した怪獣の着ぐるみを流用、もしくは改造した怪獣を用いて、1話あたりの登場怪獣の個体数を増やしてしまうことを着想する金城哲夫たち。しかし、ヒーローに倒されるためだけの存在としての怪獣に早くも疑念をいだいて、そのアンチテーゼとして善良なる可愛らしい小怪獣である友好珍獣ピグモンのキャラクターの着想も同時に得るのだ。


 その着想イメージの舞台演出的な具現化として、実際にスーツアクターが着用したピグモンの着ぐるみまでもがココで登場。可愛らしい挙動をさせることで、劇場の観客までをもナゴませる。なお、本舞台ではピグモンピグマリオン・モンスターの略だとされていた――今では差別用語になってしまったので黒歴史(くろ・れきし)として大声で語るべきことではナイのだろうけど、元々はアフリカの低身長部族の名称から取ったピグミー・モンスターの略称としてのネーミングであったハズである(汗)――。



 飛んで1968(昭和43)年。円谷プロ製作である空飛ぶ空中戦艦が活躍する『マイティジャック』と怪奇現象を科学的に解決する専門チームを描いた『怪奇大作戦』(共に68年)が視聴率的には低迷して、関係各位からのプレッシャーにさらされている金城哲夫が描かれる。
 『ウルトラマン』の視聴率が異様に高すぎたのであって、直前作『ウルトラセブン』(67年)や今作『怪奇大作戦』の視聴率も充分に高いじゃねーか!? と金城はのたまってみせている。この観点はドチラかといえば後世の我々特撮マニア諸氏による後出しの視点のような気もするけれども、そんなメタ視点をも代弁するかのようにグチってみせる金城が描かれることで――観客とのメタ対話だとも受け取れる――、金城の苦悩がセリフや演技としても体現されていくのだ。


1970年代初頭の『帰ってきたウルトラマン』でのゲスト脚本は、上原脚本の名作前後編に刺激されたと解釈!


 さらに飛んで1971(昭和46)年、故郷の沖縄に帰還後――69年の帰郷前後の悶着は描かれない――、ひさしぶりに金城哲夫は上京して顔を出した円谷プロで、子供間で勃興してきた新たな第2次怪獣ブームに乗じて製作されることになった新番組『帰ってきたウルトラマン』(71年)のメインライターとなった上原正三や、円谷英二逝去後に2代目社長となっていた兄貴分・円谷一らと旧交を温めていた。


 人前では子供じみた強がりであろうか、『帰ってきた~』の上原のシナリオを提示されても「フ~~ン」と気のナイ返事で、手をつけないでいた金城を描写する。


 だが、上原と円谷一が席をハズすや、パッと手に取って熟読玩味をしだすのだ(笑)。周囲には誰もいないのだから目撃されたハズがないであろうその光景に対するベタな脚色は、もちろん舞台劇としてのストーリー展開上での都合論ではあるだろう。
 しかし、「そーいうこともあってもイイかも……」「金城ならば、いかにもそーいうこともアリそうだ……」といった感慨とともに、金城個人の陽気でヤンチャな子供性、幼児っぽいところも多分に残っている性格、そしてイイ意味でそれをカリカチュア(戯画的)のかたちで描くことで、そのキャラクター・人物像を立てることもできている。ごくごく個人的にはこーいう描写も許容範囲だし、喜劇的な描写として私的には好印象ですらある。


 けれど、上原が手掛けた『帰ってきたウルトラマン』のシナリオは、金城が手掛けた初代『ウルトラマン』のシナリオとはやや異質な手ざわりを持っていた。そう、それはある意味では牧歌的ですらあった初代『マン』での局所的な怪獣による匿名的な都市破壊の物語ではなかったからだ。
 局地的な怪獣災害ではなく巨大怪獣の大移動を伴なう広域災害ですらあり、2大怪獣が実在の記名的な大東京の各所を荒らしまくって、ついには怪獣攻撃隊・MAT(マット)の上部組織である地球防衛庁の長官たちが1千万都民を避難させて、東京に小型水爆級の火力を持ったスパイナー爆弾を使用することで怪獣を撃滅せんとするストーリーとなっていたのだ。そう、それは上原が執筆した脚本回である#5「二大怪獣 東京を襲撃」~#6「決戦! 怪獣対マット」の前後編であったのだ!


 その内容に深甚なる衝撃・感銘を受けて執筆を決意する金城! 在京中の数日間のうちに、『帰ってきたウルトラマン』#11「毒ガス怪獣出現」を執筆してみせるのであった……。


 金城執筆の動機が『帰マン』#5~6の前後編にあったという逸話は寡聞にして知らないので、このへんは脚色だとは思われる――新たに発掘された新事実に基づいていた描写であったのならばスイマセン(汗)――。


 ドチラかといえば本舞台の脚本家さんが、この舞台を書き起こすにあたって歴代ウルトラシリーズを再鑑賞して、この金城ならぬ上原脚本回である、子供時代にも幾度か鑑賞したハズであろう『帰マン』#5~6が、――我々特撮オタクたちも子供のころはともかく中高生、あるいは青年期の再視聴で改めて絶大なる感銘を受けたように――「太平洋戦争」や「東京大空襲」に「疎開」といった先の大戦での国民的な記憶にもセリフや記録写真でふれてみせている、非常に重厚なる内容であったことを再発見!


 この名作前後編の劇中での、先の大戦がらみのセリフの数々も長々と引用してみせるかたちで、


「ただの子供番組だと思われている『ウルトラマン』シリーズだけど、実はこんな社会派の題材も扱われていたんだゾォ~!」


などというように、ココぞとばかりに一般層にも紹介・啓蒙をしてみせたかった! という気配もプンプンとしてくるのであった……。スレたマニア的には一方で「何を今さら」的な気恥ずかしさもあるのだけれども、むろんそんなごくごく少数の自意識過剰な老害オタクなぞは無視しても問題はないのだ。これらの引用をカンゲイいたします(笑)。


 ただし、舞台作品にかぎらずフィクション・ドラマというモノは、正確性が求められるドキュメンタリーではない以上は、ディテールを超えたエッセンス、「事実よりも真実」を目指すべきではあるのだ。
 金城がナンとはなしに『ウルトラマン』シリーズのシナリオをフワッと再び手慰みで書いてみました! というようなナチュラルなストーリー展開では、劇的ではないのでフィクション・物語作品としてはあまり面白くはないだろう。
 やはりふたたび筆を執るに至るまでのキョーレツなる背景・原因・動機などをウソでも設定してみせたり、あるいはココで『帰マン』の大傑作回である#5~6にも同時にスポットを当ててみせることで、ウルトラシリーズの傑作編自体の紹介やその裏面史などもダブらせるかたちで、ダブルミーニングやトリプルミーニングで事物を全的に一挙にウキボリにもしてみせよう! といった作劇の方が、劇的・ドラマチックでもあり、事物の「事実」ならぬ「真実」にはより接近していけるともいえるだろう。
 そして、その方が観客も金城の変心自体に腑が落ちてナットクもできるだろうし、ストーリー展開自体にもメリハリ・抑揚も出てきて、フィクションの作劇術としては正しいとすら思うのだ。


 なお、本舞台においては、『帰マン』#11の初稿は「毒ガス」が「米軍」由来ということにされていた。そして、TBSのプロデューサー側からそれでは「マズい」というダメ出しが出たことで「旧日本軍」由来の毒ガスとして改稿することになったというストーリー展開になっている。
 浅学で恐縮なのだけど、コレも新発見の実話なのであろうか? たかが一介の子供番組にもTV局側からの介入があったのだ……という「一般論」を、ココで具現化させるための脚色であったのだろうか?――繰り返しになるけど、脚色があっても構わないと考えていることは、くれぐれも念のため――


 本舞台においても、この#11の劇中セリフの数々がコレまたそのまま長々と引用されることになる。この「旧日本軍由来の毒ガス」が、MATのイヤミなレギュラーキャラでありエリート隊員でもあった岸田隊員の父――もちろん旧日本軍のおエライさんだったのだろう――の汚点、そしてそれは岸田隊員の兄の自殺の原因にも関わってくる「家系の恥」でもあったのだ! という一連のシーンでの実に重たいセリフの数々のことである。


 ただし、ヤボを承知で細かいツッコミを云わせてもらえば、「米軍出自の毒ガス」を「旧日本軍由来の毒ガス」として、それを岸田隊員の苦悩や人物像への肉付けともした改稿版の方が、ドー考えてもマイルドな方向には中和されておらず、子供番組としてはよっぽどヘビーでヤリすぎで踏み込みすぎてしまってヤバい方向へと振り切れてしまっているのではなかろうか?(汗) 『帰マン』#11の内容自体もさることながら、金城の劇中初稿の「米軍」出自を「旧日本軍」出自の毒ガスに改訂させてもっとヘビーにして、しかも結局はそれにOKを出してしまった、そのTBS側のザルなチェック体制に至っては、もっとマズいだろ!(笑)


 いやまぁ本舞台では、TV局側を一種の無理解で作品内容にも干渉してくるプチ権力としての「悪役」に割り振って、それであってもウラから抜け道を探し出して、むしろよりテーマを明確にした作品を仕上げて、しかもそれを通してみせる老獪なところもあった金城! といったところでの、物語的に主人公を立ててみせた一連の描写ではあるのだろうけど。


 とはいえ、コレが実話であろうがなかろうが、金城の独力のみならずTBS側の横ヤリによっても、むしろこの『帰マン』#11のドラマ性やテーマ性は格段に高まったことにはなってしまうだろう。小説ならぬ映像作品というモノは集団作業・総合芸術でもあるので、この事実を描いてしまうことで、金城個人の才能の特権性についてはややウスれてしまうやもしれない。そして、創作において多数といわず複数の人間の意向が入り込んでいく過程自体には「船頭多くして何とやら」に陥(おちい)る危険性ももちろんあるのだ。しかし、作品に作家個人の初期構想以上の多層性・重層性をも付与していくという効用があるのも事実である以上は、むしろTV局や玩具会社などの外部からの介入も適宜には肯定されてもイイようには思うのだ。


 ただし、1970年代初頭当時においても、我々日本国民にとってはそこまでアメリカさまが怖かったり、アメリカへの反対意見表明や在日米軍基地批判、日本政府批判や政府自民党批判などがタブーであったことなどはないだろう(汗)。むしろ「米帝批判」(アメリカ帝国主義批判)は常套的なスローガンですらあったハズである。
 それは本作『帰マン』放映直前の1970年秋クールに放映が開始された、我らが初代『ウルトラマン』にも関わった脚本家・佐々木守脚本による、左派的な志向も多大にあったコミカルなホームドラマ『お荷物小荷物』が沖縄問題をテーマに据えており、その最終回では日本国憲法9条が廃棄されて人々が戦地に招集されていくようなストーリー展開を持った作品が平気で放映されて、視聴率も30%を達成していた事実でもわかることである。
 学生運動の成れの果てである連合赤軍が翌1972年に起こした「あさま山荘事件」とその後の取り調べで仲間内での大量リンチ殺人が発覚するまでは、むしろ国民間では相応の規模でこのテの左派的な社会派テーマと共鳴するような空気が良くも悪くもあったのだ。
――もちろん近隣諸国の国際情勢が大きく様変わりした21世紀においては、『お荷物小荷物』などが提示していた問題意識は古びてしまった面があるのも否めない。しかし、それはまた別の議論であるし、全肯定でも全否定でもない是々非々で、各自が個々に判断すべきことではあるだろう――


75年海洋博:「科学の光と影」以前、沖縄の「南海楽園性」と「ムラ世間的因習性」!


 1975(昭和50)年、沖縄で開催された海洋博「EXPO 75」の開会式やその前夜祭、閉会式の構成・演出を務めて、実質プロデューサー&各位への折衝役をも務めることになった金城哲夫


 式での披露に備えて、いかにも沖縄的で南洋の多幸感に満ち満ちた、浅黄色の着物を着た娘たちによるハイテンポな沖縄舞踊の練習光景が相応の長尺を使って描かれる。
 と同時に、この海洋博に特に限定した話でもナイ、どこにでもある話だとは思うので、この出来事を特にヒドい話として特権化することもないとは思うのだけど、日本本土のお役人や主催者側からは「さらにもっとハデに!」「人員を増員して!」「でも、予算の範疇で!(笑)」などとハッパをかけられている、中間管理職的な悲哀に満ち満ちた金城の姿も描かれていく――古今東西・世界中、下請け会社は皆こーなっているとも思うけど(汗)――。


 増員したことで、踊り子の娘たちから「ひとりひとりの給金が減らされた」ことを知らされる金城……。


 ここの展開で安直な善悪二元論に陥(おちい)って、本土=日本が「絶対悪」の加害者で、沖縄こそが被害者で純粋無垢(むく)な「絶対善」なのだ! 沖縄こそが大正義! なぞといったような陳腐凡庸(ちんぷぼんよう)で単純な構図になってしまったのならば、思いっきり小バカにしてやろうか!? そーいう論評をする観衆の側も小バカにしてやろうか!? などと構えていたのだけれども……(心の中だけで・笑)。


 ここでは古き良き、もとい古き忌(いま)まわしき「日本」、もしくは古き忌まわしき「地方」、ついでに古き忌まわしき「沖縄」の、悪い意味で因習的で土俗的なムラ世間といった要素も露呈してくるのであった……。


 会場前の大海原に漁船を大量に登場させることについての交渉の際の出来事である。海洋博によって漁場を失ってしまったガラの悪い漁師たちは、ムリからぬことではあるし同情の余地もあるのだけれども、「武士は喰わねど高楊枝」で乞食のようなマネはせずにストイック(禁欲的)にふるまってグチも吐かない! ……などといったことはさらさらなくって(汗)、すでに充分とはいえないまでも補助金が出ていたハズなのに、したたかにもおカネをせびってきて、あいさつに来る際には前近代的なワイロまがいの酒瓶の持参までをも金城に要求してくるのであった……。


 そんな理不尽なことがあっても、「日本ナショナリズム」の側にも、「沖縄ナショナリズム」の側にも付かない(性格的にも付くことができない)、筆者から見ると実にカッコよくて左右双方に存在しているそれぞれに種類が異なる悪へと自堕落に墜ちていく道には決してハマっていくことがない気高き苦渋の金城哲夫! しかして、その行為はまた「日本」からも「沖縄」からも同情されずに、つまりはその両者からの挟撃・板挟みにあってしまって、誰にも理解されない細くて高き尾根の道を進んでいくことをも意味していたのであった。


 一応の「コスモポリタン」(世界市民)的な先駆的な理想の持ち主が、前近代的な意識を保持したままである「日本」と「沖縄」の両陣営の人々に、自身の一応の高邁なる理想を理解されずに糾弾されてしまう理不尽と苦悩が、二元論ならぬ三元論(!)として、ここではシッカリと描かれているのだ……。


76年昇天:後年の特撮マニアや40年後の上原正三とメタ会話する臨終の金城!


 1976(昭和51)年、逝去の年。アルコール中毒と化して、妻にお酒を制限されている金城哲夫が描かれる。


 そこに、後年の我々オタク族の代弁者の役目も務めさせているのだろう、『ウルトラマン』シリーズのマニアであるという青年が金城のもとに訪ねてくる――当時はまだオタクという言葉もオタク差別すらもがなく(イケてる系/イケてない系のスクールカーストの分化すらもがまだナイ時代であり)、そもそもオタクやマニアの存在すらもが世間には認知はされていなかった時代だけれども――。


 1960年前後生まれのオタク第1世代が青年期を迎えてマニア活動をはじめた70年代末期の第3次怪獣ブームというモノは、TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(74年)の総集編映画化(77年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)にはじまる第1次アニメブームや、SF洋画『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』(77年・78年日本公開・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200105/p1)にはじまるSFブームとも一体化した超特大ブームでもあった。


 しかし、この1976年とは、そのブームの直前の雌伏の時期であり、本邦初のマニア向けムックが発行されるのも翌77年末のことであるからして、金城や上原が沖縄出身であることは世間や特撮マニア間でも知られてはいなかったので、コレも実話ではなく本舞台劇におけるフィクションなのだろう。そして、彼を後年のオタクの代弁者――あるいは本舞台の脚本家の分身?――として、金城と仮想的に対話をさせることで実現させるメタ・フィクションでもあるのだろう。


 初代『ウルトラマン』放映からでもすでに10年が過ぎた1976年。放映当時の子供が青年へと成長した姿でもあり、早稲田大学に在学中だという彼は、『ウルトラセブン』における金城脚本回である#42「ノンマルトの使者」における、地球の先住民(!)である海底人・ノンマルトたちが地球人こそが実は侵略者なのだ! と糾弾してみせるシーンを身振り手振りで再演してみせる(笑)。そして、


「アレは沖縄の怨念の象徴ですよネ!」


などと、いかにもオタク的な、自分の得意なジャンルの話題になると急に冗舌となってテンション高くて、空気も読まずにマクし立てていく光景が描かれる。


 それを面映ゆそうに受け止めている金城……。


 1980~90年代におけるマニア向け書籍などでの研究で、その沖縄出自の境遇とストレートに紐付けるかたちで深読み・解読されるかたちで確立してきた金城哲夫論。しかし、90年代末期以降は金城の周辺人物へのインタビューなどによって、「金城は当時そこまでストレートに沖縄問題を『ウルトラ』シリーズなどの虚構作品に仮託していたワケではなかった(大意)」とする証言が多々出てくることにもなっていく。
 それもごもっともなことではある。沖縄出自の要素が無意識に作品にも反映されていた面はたしかにあったのだろうけど、その一方で作劇の都合論でのストーリー展開にすぎなくて、深読みすれば沖縄論にも接続できるストーリーに着地しただけのこともあっただろう。つまりは「出自」と「作劇的都合」というコーヒーと牛乳の双方があったのであり、あるいはその両者がコーヒー牛乳的に混合していたこともあったのであろう。


 ということは、「ノンマルトの使者」というエピソードには、金城による「沖縄の怨念の象徴」といった面もたしかに無意識にはハラまれていた可能性はある。しかし、さすがの金城もそこまでは考えてもいなかった可能性もある。つまりは相矛盾する両方の可能性が論理的には同時に成立してしまうのだ!


 「ノンマルトの使者」というエピソードにはそんな両義的なところもたしかにある。よって、金城個人にそのような作品解題を捧げてみせることで、しかも「無意識」の次元において発揮された作劇のことまで指摘されてしまえば、それはたしかに自分でも「肯定」だとも「否定」だとも取れない、あるいは「肯定」&「否定」の両者を同時に「メタ肯定」するような態度を、つまりは「面映ゆそう」なドッチだとも取れる複雑な表情をさせてみせることこそ、実に正しいストーリー展開であったかもしれないのだ。


 そして、このシークエンスは我々特撮オタクたちにとっては実にイタい(笑)。まぁこの描写の一点だけをもって、本舞台は「オタク差別」というモノを作り手たちがそのメンタルの根底にはやどしていた作品でもあったのだ! なぞとケツの穴の小さい糾弾などをする気は毛頭ナイけれど。
 個人的には、オタク第1世代のライターたちであるオタキング岡田斗司夫唐沢俊一的な「オタク・イズ・ビューティフル」言説や「オタク・エリート」論などの方がネタであってもドーかとは思ってきたし(汗)、オタクの在り方について少しでも疑義や異論を差し挟んでみせたら「それはオタク差別だ!」、「オタクの側にも改善すべき欠点があるんじゃネ?」などというような異論を述べてみせたら、即座に「裏切り者!」呼ばわりをしてきて、我々オタク自身を批判も許さぬ神聖不可侵の天皇的な存在に祭り上げかねない、狭苦しい論法もドーかとは思っているけれど(笑)。



 アルコール中毒の更正のために(汗)、病院へと入院することになった金城。しかしそれなのに、自宅のウラにあるさとうきび畑に隠し埋めておいた酒瓶で最後の一杯とばかりによろしくやっているダメンズ金城哲夫も描かれる。


 そこにちょうど40年後の現在、つまりは2016年の未来(!)から、かつての同僚・上原正三のお迎えがやって来てしまう!


 そして、時空を飛び超えて、その後の40~50年間の歴史・世相風俗・戦争廃絶の有無・国際情勢をふたりが問答しながら鳥瞰(ちょうかん)していく、反則ワザでメタフィクション形式でのしばしの邂逅(かいこう)が行われて……。


総括:鑑劇を終えて。脚本&演技ともに金城のエッセンスの抽出には成功!


 ムチャクチャに面白かったとまではいえないけど、ダレることなくタイクツすることなく、鑑賞することができた。要所要所でウルッとも来た。筆者よりもウルサ型のイジワルな特撮マニア連中がナニを云うのか、どのようなキビしい持って回った感想を持つのかはわからないけれども……(汗)。大名作だった! なぞとは確言しないけど、脚本・演出・役者陣が、作品の題材を見事に自身たちの血肉と化して消化できた上で、金城の半生を物語として表現・定着できていたとも個人的には思うのだ。


 舞台劇である以上は、美術セットの関係からも細かい場面転換は不可能である。しかも主要な登場人物は実質3人だけなのである。よって、TVドラマや映画の演出技法で云うならば、長廻しのワンカットで延々と少数の役者陣の芝居を観続けているような作品でもある。


 もちろん鑑賞中はよけいなことは考えずに、筆者も基本はストーリー展開に没入している。しかし、あとで冷静に考えれば、金城哲夫役の役者さんはほとんど全編出ずっぱりの一人芝居に近いものがあり、金城の生前の人柄も再現するために、基本は終始テンション高くて明るくしゃべりっぱなしなのであった……。ある意味でこの演劇は、演者である氏の技量にかかっている。そして、氏はその責務を充分に果たしていたといってイイだろう。


 加えて我々マニアには、見た目からして眉毛が太くて意志的でエネルギッシュさをも感じさせる、昭和末期の1980年代に大ヒット曲も放った豪放なコミックソング的な演歌歌手・吉幾三(よし・いくぞう)をもほうふつとさせる金城哲夫の風貌は、マニア向け書籍に掲載されてきた写真によってもよく知られてきたところでもある。
 もちろんフィクションである以上は、ソックリさんを演者に起用する必要は毛頭ナイ。筆者個人のことをいえば、仮に金城にそれほど似ていない御仁が演者を務めていたとしても、そのへんは割り切って金城だと見立てて鑑賞することもできるタイプではある。


 しかし、それが役者さんの演技の力というものなのだろう。本舞台を鑑賞していると、この「金城」はいかにも豪放・快活で、伝え聞いて個人的にイメージを膨らましてきた「金城」らしいのである。


 当初はTBSの映画部ディレクターで、円谷英二の没後には円谷プロの2代目社長に就任する「円谷一」もまた、ムダに粘らず早撮りで有名で快活な御仁であったと各種マニア向け書籍で伝聞されてきた。この役を務められた長身で若干(じゃっかん)年輩ながらも快活な役者さんの方も、筆者個人の脳内補正もあるのだろうけど、七三分けっぽい髪型からしてコチラがイメージしてきた円谷一、あるいは円谷一の息子さんであられる往年の『宇宙刑事シャイダー』(84年)こと、こちらもすでに故人であられる俳優・円谷浩つぶらや・ひろし)の風貌からも類推される、いかにも円谷一らしい姿に見えてきてしまうのだ。


 脚本家でありながらも円谷プロ文芸部の部長として対外交渉・プロデューサー的な役回りも務めていた金城や、撮影現場にいる大人数を大声でまとめあげていた円谷一監督と比すると、相対的に線が細くて凡人の平均的なテンションの持ち主であることからしてホッともさせられる「上原正三」役の役者さんのルックスや演技もまたしかり。


異色派ならぬ埋没気味な王道派作家・金城哲夫に陽が当たるまでの歴史!


 正直、スレた特撮マニアであれば、70年代末期に本邦初のマニア向けムックが発行されて以来、金城哲夫は研究も進んでいて、その人物・人となりも昭和特撮マニア間では充二分に知られてもいる。
 ここ四半世紀の間でも金城は、すでに1993年8月5日(木)にNHK-BS2での90分枠特番『ウルトラマンの世界』などの1コーナーでも金城の足跡目当てで沖縄まで取材に行ったり――近年では読売新聞の鈴木美潮(すずき・みしお)が特撮スポークスマンだが、当時はNHKのアンドロイド美少女もといニュースキャスター・宮崎緑(みやざき・みどり)が『ウルトラマン』マニアであることをカミングアウトして本番組の司会も務めていた――、『知ってるつもり?!』(日本テレビ・89~02年)1998年9月13日(日)放映回や、2010年にも『歴史秘話ヒストリア』(NHK・09~21年)2010年9月15日(水)放映回などの、一般層に向けた評伝形式の人気TV番組でも幾度か紹介されてきたほどなのである。


 とはいえ、昭和特撮も遠くなりにけり。平成も約30年に至ろうとする、昨今の若い平成特撮マニアたちにとっては、金城も重きを置かれた特別な存在ではナイのだろう――それが悪いというのではなく――。しかし筆者のように昭和特撮で産湯を浸かったロートル・マニアたちにとっては、金城哲夫は相応に大きな存在なのである。


 とはいえ、その人物・作品評価も一朝にしてなったものではない。オタク向けのジャンルが青年層の間ではじめて勃興した70年代後半~80年代初頭にかけては、第1期ウルトラシリーズが神格化されるようになるに伴ない、それらを支えた脚本家たちや本編演出の監督たちに対する注目や神格化が始まった。
 それでも「ウルトラ」評論史の黎明期においては、いわゆる変化球・アンチテーゼ編、怪獣攻撃隊の隊員たちの意外な一面や湿った苦悩、ゲストキャラとのカラみなどをヒューマンに描いた「人間ドラマ」や、科学の進歩やヒーローの正義に疑義を呈してみせる「社会派テーマ」などを扱った「問題意識」が明瞭な作品の方が、圧倒的な注目を浴びていた。


 つまり、「怪獣もの」や「変身ヒーローもの」の本来の魅力、本来の路線である、怪獣との一進一退の乾いた攻防劇、作戦・知謀のゲーム的な面白さ、怪獣自体の特殊能力から着想して作ったエピソード、ヒーローの特殊能力を活かして爽快な戦いのカッコよさを描いた作品などには、あまり注目は集まってはいなかったり、批評的な言辞や解題などは与えられてはこなかったのだ――今でも同じか?(笑)――。
 よって、変化球・アンチテーゼ編のエピソードの作り手たちであった、佐々木守脚本・実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)監督コンビなどの作品群の方が、年長マニアたちによる「ウルトラ」評論の俎上に真っ先にのぼることになったのだ。続けて、沖縄・辺境・弱者の怨念といったカラーを感じ取ることができる上原正三作品や、スパイスもある独自の叙情性を備えていた市川森一(いちかわ・しんいち)作品が俎上にのぼるようになっていく。


 しかし、金城哲夫は第1話・最終回・イベント編などといった、カラッと乾いたSF的な世界観設定をも提示する基本設定編を手掛けた脚本家だというイメージはあっても、その「作家性」がどのようなものであったのかについては判然としない感じではあり、そのような観点から70~80年代においては、その作家性の詳細についてはあまり語られてはこなかったのも事実なのだ。


 そこに転機が訪れる。もう早くも四半世紀も前の出来事になってしまうけれども、1992年に発行されたムック『別冊宝島 映画宝島Vol.2 怪獣学・入門!』(JICC出版局(現・宝島社)・92年5月30日)に掲載された、当時ともにまだ20代の若者であった切通理作(きりどおし・りさく)と佐藤健志(さとう・けんじ)による長編論文の鮮烈な登場である――両論文はともに切通の方は『怪獣使いと少年 ―ウルトラマンの作家たち 金城哲夫佐々木守上原正三市川森一』(JICC出版局・93年6月1日発行・ISBN:4796606718)、佐藤の方は『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋・92年7月1日発行・ISBN:4163466606)の名義で、単著として刊行されることになる――。


 ココで現在までにつづく、金城哲夫の「作家性」と「作家像」がはじめて断片ではなく体系的に言語化・成文化されて確立されたといってもイイだろう。正直、筆者もこの両者が確立してみせた「金城像」については当時、大いに感銘を受けている。影響も受けているし、大ワクとしては異存もないのだ。


 ただし、そのころには筆者ももう子供ではなく小賢(こざか)しい若造になっていたので(汗)、読後数ヶ月もすると細部においてはコレはいかがなものであろうか? というような疑問をいだくようにもなっていく。コレはやはり、金城哲夫を「王道」の「娯楽活劇作家」として語るというモノではない。今までの佐々木守上原正三を持ち上げていたのと同じく、旧態依然の社会派テーマ優先主義的な「論法」のバリエーションの応用ではないのかと……。
 しかも、完成作品それ自体ではなく、作品の外側にある彼の生育環境・志し・挫折・逝去時の模様などの情報によった答案の答え合わせですらあり、金城のあまたの作品群の中から必ずしも金城らしくはない……と云っては云い過ぎやもしれないけれども、数は少ない例外的なドラマ性やテーマ性が高く感じられるエピソードの断片や描写などをひろってきて、そこに金城の人生模様から汲み取れた苦悩を代入してみせることで、「そーだ、そーだ、金城の人間性や作家性、沖縄と本土との架け橋たらんとしたテーマ意識がここに表出されているのに違いない!」といったかたちで証明するといったモノである。


 あげくの果てに、金城が東京では沖縄での戦争体験のことや基地問題をあまり語ってはこなかったという、当時の円谷プロのスタッフ側の証言が出てくると、今度は特撮マニア諸氏は別所での上原正三などによる推測発言なども援用するかたちで、


「安易には語れないほどに重たい、封印したい体験があったのだ……」


などという、歴史上の敬虔(けいけん)なクリスチャンの修道者がよくやるような「艱難辛苦(かんなんしんく)、我にのぞみたまえ!」ばりに、「戦争体験が重たければ重たいほど、作家としてのステータスやステージが上がる」のだと云わんばかりの、新たな神格化が始まりだしたり、深読み競い合い合戦・信仰告白競争が始まったりもする。


 オイオイオイ。怪獣との一進一退の攻防劇、作戦や知謀のゲーム的な面白さ、怪獣自体の特殊能力から着想して作った王道の娯楽活劇エピソードの作劇術の方こそを、分析・解析する気はもうまったくなくなってしまったのかヨ!?(笑)



 ところで、金城の作家性については、後天的な環境や学習によらない、もって生まれた先天的な気質・性格面の要素の方が大きいとも私見する。筆者個人の見解や人間観で恐縮なのだが、社交的な人間と控えめな人間の「性格」の違いから来る感情表現の違いや人生観や人間観は、享楽的であったり厭世的であったりして、筆者の乏しい経験からも非常に大なる落差をもたらすものだとも思うのだ。
 そして概して、生まれつき快活で豪放磊落な「性格」の人間は、シミったれた陰気なお話や、自分に同情・憐憫(れんびん)を乞うているような話題が「卑屈」にも思えてキライだくらいに思っているようなのである――偏見であるのならば失礼(汗)――。だからこそ、単に自身の明朗な「性格」ゆえに、過去の悲惨な戦争体験を積極的には語らない、といったようなこともあるようには思うのだ。


 筆者も含むシミったれた「性格」の弱々しいオタク一般は、自身の悲惨な境遇(汗)をドコかで打ち明けて、自戒も込めて云うのだけど、ダメ人間同士の間でだけは認め合ったり慰め合ったりキズをナメ合ったりしたいと思っているフシがあると思う(笑)。コレは若いオタク世代であれば、2010年前後から勃興する(ひとり)ボッチを題材としたライトノベルや深夜アニメの隆盛などにも通じていると私見


 しかし、金城哲夫はその点では我々のようなオタク側の「性格」類型の人種ではナイようではある。そーいう意味では従来の金城論は、「性格」の問題と「境遇」の問題を混同して、「性格」問題をあまり見ないか、見えてはいても意識的にか無意識にか無視して「境遇」問題の方ばかりを優先しすぎていたようにも思うのだ。
 筆者個人の見立てでは、「後者」も無視はできないものの、金城の作風に大きな影響を与えているのは、あくまでも「前者」の「快活」「豪放磊落」たる底抜けに明るい「性格」であったと思えるのだ。そしてそれに挫折を与えて鬱屈させるのではなく、自由気ままを可能にして、あの時代のアメリカ占領下の沖縄で湯水のように大枚はたいて、琉球王国時代の実在の遊郭の遊女を主人公にした自主映画『吉屋チルー物語』(62年)を20代前半の若さで製作ができてしまったような、実家のプチ・ブルジョワ的な裕福さが、その純粋培養を可能にさせてもいる。


 とはいうものの、60年代後半における第1期ウルトラシリーズにおいては、その楽天的なカラーが脚本作品にもある程度まではストレートに表出されていたともいえるけど、先の『帰ってきたウルトラマン』#11「毒ガス怪獣出現」の作風を見てみれば、コレはある意味では上原正三よりも上原正三らしくて、『帰マン』そのモノといった作品に仕上がっていたとも思うのだ。
 そう考えると、オトナたちはともかく70年代初頭の子供たちはまだ濃厚には感じていなかったかもしれない、科学や進歩や高度経済成長に対する楽天的な希望があった60年代とそれへの懐疑が前面化した70年代との時代風潮の断絶・亀裂を、金城個人もその全身でナチュラルに体現していただけのようにも思えて来るのだ。


 第1期ウルトラシリーズ至上主義者のオタク第1世代の特撮マニアたちは、第2期ウルトラシリーズでも金城が登板さえしてくれれば近未来的な明るいSFテイストを維持できたであろうものを……とグチってみせる言説が、20世紀においては定番ではあった。けれども、やはり金城自身が仮に登板を継続していたとしても、70年代前半の「時代の空気」の中で執筆したのであれば、今あるかたちの日常寄りの『帰ってきたウルトラマン』(71年)のような作品に仕上がったのではなかろうか?
 もっと云うなら、『帰マン』の反転として日常性よりもスペクタクル性を志向した次作『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)、『A』のアンチとしてマイルドで牧歌的な作劇となった次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)、そのまた『タロウ』の反転としての実にシビアで切迫感と孤立感にあふれる作劇となった次作『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)。たとえ金城でも70年代前半という「時代の空気」の中では、結局は今あるいわゆる第2期ウルトラシリーズのような作風の変遷を遂げていったような気がしないでもないのだ。
 それは金城が沖縄に帰郷後に手掛けた、沖縄の史実に材を取った沖縄芝居に、子供向け特撮ではないからだとの理由もあるのだろうが、牧歌的な要素があまり感じられないところからも察せられてくる。


 加えて、沖縄の米軍を追い出して、その代わりに自衛隊に駐留してもらおう! なぞと、同時代の左右の思潮とも次元の異なる着想を得てしまう金城が、その後も生き長らえていたとすれば、その後にどのような思想的な変遷を遂げていき、どのような高い境地へと到達していたかについても興味はそそられる――もちろん始末が悪くて出たがりでおしゃべりな老害的な存在に堕してしまった可能性だって有り得るけれども(笑)――


 とはいえ、まずは60年代後半における初代『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』における、ドラマ性やテーマ性よりも明るく楽しいエンタメ活劇を実現できていた金城脚本回の妙味を、いかにそのように言語化・言説化していくのか? そして、それをそのままに踏襲とは云わず、いかに日本特撮の進むべき道標の補助線ともしてみせるか? それをさしあたっての筆者個人の課題としていきたい。


追伸:沖縄でも居場所を見つけられないであろう我々オタクたち(汗)


 我々オタクは地縁・血縁・学校・会社などにはさして帰属意識なぞは持っていないのがフツーである。しかし、そーいう意味では虐げられしものの象徴とはいえ、金城や上原には帰るべき、あるいは依拠すべきものとしての密で牧歌的な人間関係も保持した楽園性のある沖縄があったのは幸いなのだろう。
 しかし、コミュニケーション弱者であり、現実世界・3次元世界ではなく特定のマイナー文化趣味にアイデンティファイしてしまった我々のようなオタクたち、もとい筆者にとっては、そのような地縁・血縁的な濃密な人間関係の中で生きている沖縄もまた、典型的なムラ世間ではあり、気が合う人間が見つけられなかった場合には息も付けない場所となってしまう可能性が高い気もしている(汗)。そして、そのような空間には馴染めない趣味人に対する異物を見るような蔑視の視線までもが先回りして想定されてくる。
 やはり我々のようなオタク人種は、周囲が後腐れのない他人ばかりの匿名性が維持できる都心や近郊などでこそ、浮かぶ瀬もあるようには思うのだ(爆)。


追伸2:隣席の上品な高齢女性が円谷一役の役者さんの母君であらせられた!


 観劇終了後、隣席の上品で小柄な高齢女性が突如として話しかけてこられた。しばしの社交辞令的なカルい雑談のあと、どのような関係や興味でこのような舞台を観に来られたのですか? といった趣旨の質問をされてきた。ガチのオタクであることをカミングアウトすることは憚られたし、マニアといった存在自体を知らない可能性もあるので(汗)、遠回しに『ウルトラマン』などのファンなので……といった返答で、こちらも逆に同様の質問を返していった。
 すると驚くなかれ。この高齢女性は円谷一役の役者さんの母君だというのだ! 「スゴいじゃないですか!?」と返すも、この役者さんはどうも役者の道を進まれてからはご実家には帰省されたことがないらしい……。エ~~~ッ!? ……ウ~ム。
 たとえTVドラマでは見ない役者さんではあっても、劇団民藝ほどの団体で、端役ではなく主役級の役者さんとしてご活躍されている以上は相応のポジションにはいるハズなので、その旨を語り合いつつ、貴重な5分間ほどの時間を座席に座ったままで過ごしたのであった……。


(了)


『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』寸評

(文・フラユシュ)


 最近の金城の研究で発掘された新たな事実を踏まえつつ、基本的には山田輝子の『ウルトラマン昇天 -M78星雲は沖縄の彼方』(朝日新聞・92年7月1日発行・ISBN:4022564903、『ウルトラマンを創った男 -金城哲夫の生涯』として朝日文庫化・97年8月1日発行・ISBN:4022612088)や上原正三の『金城哲夫 ウルトラマン島唄(しまうた)』(筑摩書房・99年10月1日発行・ISBN:4480885072)を基に再構成したといった印象。
 論壇誌中央公論』か『文芸春秋』だったかに90年代に発表されたルポ――現物紛失のため詳しい内容を記載できず――なども参考にしているかもしれない。


 自衛隊賛美発言なども再現。ここでその発言に対して思想的なことをカラめると、左右いずれの陣営にも思考停止をした議論にならない輩がケンカを吹っかけてきそうなので、ヘタレてしまうけど、そこには深くはふれないようにする。
 各関係者の発言をまとめた人物伝としてよくできていた。ただ何か物足りなさというか、「夢見る心」や「舞台劇的な飛躍」が少し足りないような気もする(最後に夭折する直前、2016年の上原と通信するあたりなどはスキなのだが)。それは、本舞台以前に観賞した、別の金城哲夫の舞台劇の印象が筆者の心の中に残っていたからかもしれない。


 最後の方で、特撮ファンらしき大学生が金城を訪ねて、金城本人も意識していなかった(?)ような沖縄問題や日米問題などの風刺を、『ウルトラ』シリーズに対して深読みして演説しているシーンには、我ら深読みオタクのまさに鏡像にもなっていて思わず苦笑。以前、リアルロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)を手掛けた富野監督が、自分の下に付いた若いアニメーターに「僕もインドに行けばニュータイプ(新人類)になれるでしょうか?」と真顔で言われたという話も思い出してしまった(笑)。
 この芝居では金城自身がポカンとそれを聞いていて、それに対して特にコメントはしないで終わるのだけど、実に妥当な表現だろう。



 実は90年代にも金城哲夫の伝記芝居が上演されたことがある(題名失念)。先日の芝居に刺激を受けて、もう手持ちの資料も散逸してしまったこの芝居に関して、記憶のみだが覚えていることを書き綴ってみよう。この芝居、Wikipediaにも記載がないのだが、92~93年の冬であったと記憶している。まだ当時は先の『中央公論』か『文芸春秋』に掲載されたルポと『映画宝島 怪獣学・入門!』(92年・JICC出版局(現・宝島社))が出たばかりで、切通理作の『怪獣使いと少年』(93年・JICC出版局(現・宝島社))も書籍化されていなかったと思うからだ。場所は東京は両国の舞台だったと思う。


 では、筆者が覚えているかぎりでのアラスジを記そう。


 冒頭は晩年の金城の2階からの転落事故から始まる。そして舞台は、青春時代の円谷プロ時代と沖縄へ帰ってからの地元との衝突が、交互に描かれていたと思う。
 そんな中、沖縄へ帰郷してから、金城は米兵の子を宿した自殺未遂の少女と知り合う。仕事のさなか親身になり彼女の世話をする金城。最初は自暴自棄だった彼女は、親身になる金城にだんだんと心を開いて、やがて彼女は自分の子の父親を探すために米国へと旅立つことを決意する。
 そのとき彼女は金城に対して「あなたは私の命の恩人でヒーローだ」と言っていたような。あるいは「あなたは私のウルトラマンだ」と言っていたような。
 希望の空へと旅立つ彼女を空港で見送ったあと、金城は以前から家族が薦めていたアル中治療をする病院に入院することを決めて、もう一度イチからやり直そうと決意して、希望を見出したところで幕だったと記憶している。


 なにぶん資料も残っておらず、記憶のみで書いているので、間違っていればご容赦を願いたい。ちなみに往年の円谷プロの特撮巨大ヒーロー『ミラーマン』(71年)の発端企画は69年に沖縄へ帰省する直前の金城による企画書で、発想の元は米兵と沖縄人の少女とのハーフの子供達がヒントにあったとする説があることを記載しておく。もちろんその少女とのエピソードは架空のエピソードなのだろうが、物語としては妙にカタルシスがあったことを記憶している。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2016年春号』(16年2月28日発行)~『仮面特攻隊2017年号』(16年12月29日発行)所収『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』合評より抜粋)


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金城哲夫 西へ! [DVD]

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 2019年5月31日(金)から洋画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が公開記念! とカコつけて……。「ゴジラ評論60年史」をアップ!


ゴジラ』評論60年史 ~50・60・70・80・90・00年代! 二転三転したゴジラ言説の変遷史!

(文・久保達也)
(2014年7月12日脱稿)

2014年 ~『ゴジラ』第1作リバイバル公開


 14年7月25日公開のハリウッド版『ゴジラ』宣伝の一環としての意味合いが強いのだが、『ゴジラ』第1作(54年・東宝)の4Kスキャン・デジタルリマスター版が、14年6月9日から2週間の期間限定で公開された。


 実は正直、画質も音質もどこが向上しているのか、個人的にはまったく気づかず、こんな「違いがわからない男」ではマニアとしては失格か、と思ったりもする(汗)。むしろそうした部分ではなく、これまで再三鑑賞してきたにもかかわらず、今回初めて気づいた演出・描写があったりしたのである。


ゴジラ上陸の被害に遭った大戸島の住民たちが国会で陳情する場面で、故・志村喬(しむら・たかし)演じる山根博士が見解を述べる際、最初スーツからハミ出していたネクタイを、話しながら上着の中に突っこむ描写があること。
 生物学者たるもの、やはり日頃は身なりに無頓着(むとんちゃく)であるということが、こうしたさりげない演出で端的に表現されているようにも思える。
 マニアがいうところの、故・本多猪四郎(ほんだ・いしろう)監督の怪獣映画では、登場人物たちの「日常」がキチンと描かれている、という点は、まさにこうしたものを指しているのであろう。


ゴジラが国会議事堂を破壊する場面に続き、燃え上がる東京の街を背景にゴジラが進撃するのをロングでとらえたカットの中で、ナゼか破壊されたハズの国会議事堂が無事な姿で映っている(笑)。
 これはおもいっきりの編集ミスかと思われるのだけど、これまで星の数ほど出された『ゴジラ』関連書籍の中で、筆者が知るかぎりでは、これについて指摘したものは皆無だったかと思えるのだが。


ゴジラ東京上陸や品川襲撃の場面など、巨大感を表現する手段として、ゴジラをあおりで撮影したカットが散見されるが、路面電車の架線ごしにゴジラをとらえたカットがあること。
 都電荒川線は現在でも走っているが、それ以外の東京都内の路面電車は67年に全廃されており、ほかの東宝特撮映画では見られない描写ということもあるのだが、画面に奥行きが感じられる味わい深い特撮演出となっている。


●個人的には、山根博士の娘で本編ヒロインの恵美子を演じる故・河内桃子(こうち・ももこ)に、「昭和」の女優が「昭和」の女性――ただし、高度経済成長期以前――を演じている、と痛感し、こうした「絶滅危惧種」に想いを馳(は)せる筆者的にはたまらないものがあったとか(笑)。
 ただし、これはあくまで「個人的趣味」の範疇(はんちゅう)にとどめておくべきものであり、「昭和」の女優&女性が「平成」のそれよりも優れている、などと断言してはならない性質のものである。これは「特撮」評論でも同じことがいえるのではなかろうか?


 あと、観客の反応で驚かされたことがある。


ゴジラ東京襲撃の場面にかぶる、


アナウンサー「テレビをご覧の皆さん、これは劇でも、映画でもありません! いま我々の目の前で起きている、現実の出来事なのです!」


なるアナウンサーの実況。


●そして、ゴジラテレビ塔を破壊する場面で、


アナウンサー「右手を塔にかけました! ものすごい力です! いよいよ最後! さようなら皆さん! さようなら!」


と、実況したアナウンサーやカメラマンたちが、テレビ塔ごと地上に落下していく場面。


 これらに対しては、80年代から90年代初めのリバイバル公開では、必ず観客から「笑い」が起きていたものであった。現在のようにはジャンル作品がまだ「市民権」を得られてはいなかったこの時代は、80年代が若者たちの間で躁病的な「軽薄短小」のお笑い文化が隆盛を極めた時代であったこともあってか、コアな特撮マニアはともかく文化的なものに多少は関心があってもサブカルチャーの一環としてリバイバル公開を観に来るようなヤング層にとっては、怪獣映画そのものが「お笑い」の対象であったのだが、それをまさしく象徴するような現象であったと、今は思えてならないものがある。
 それが今回は老若男女(ろうにゃくなんにょ)問わず、観客の層は幅広かったが、これらの場面に対し、誰ひとりとして笑い声を上げる者はいなかったのである。2011年3月11日に起きた東日本大震災津波からの避難に伴う人間模様などを経(へ)ていることもあるかもしれないが、ゴジラの世間における位置づけ、そして観客の意識というものが、時代とともに確実に変化し続けている、とも読みとれるのではなかろうか?


 そうなのである。2014年に誕生から60年、まさに「還暦」を迎えたゴジラだが、その60年というあまりに長い歴史の中で、ゴジラに対する評価の基準もまた、目まぐるしく二転三転の変遷(へんせん)を遂げてきたのである。


1954年 ~『ゴジラ』第1作封切時の評価


 今は亡き朝日ソノラマ――07年に朝日新聞社に吸収合併――が78年5月1日に『ファンタスティックコレクション』No.5として刊行した『特撮映像の巨星 ゴジラ』(ASIN:B00CBS4EXI)の巻頭文「刊行によせて」において、昭和から平成に至るゴジラシリーズをプロデュースしてきた東宝の故・田中友幸(たなか・ともゆき)は、『ゴジラ』第1作の公開当時の評判について、以下のように述懐(じゅっかい)している。



「当時の評判はあまり芳(かんば)しくはなく、“ゲテもの”扱いされたものですが、ただひとり、作家の三島由紀夫(みしま・ゆきお)氏が“文明批判の力を持った映画だ”と、高く評価して下さったのを記憶しております」



――故・三島はその後も初期東宝特撮映画をよく観ており、当時の文壇仲間に宛てた書簡の中で、それらについての感想を述べている。いわば特撮「マニア」の先駆けともいえる人物だったか、と思えてならないものがある――


 なお、『ゴジラ』公開翌日の54年11月4日付『毎日新聞』夕刊に掲載された、「ちょっとスゴイ!? 放射能の怪獣『ゴジラ』(東宝)」と題した映画評では、特撮の出来に関しては概(おおむ)ね好意的に評価している一方で、本編部分に関しては以下のように記述している。



志村喬の学者以下人間の方のお話がついているがこっちはあまりうまくない。最後にナントカいう新発明の一物をもって若い学者が海底に潜っていき、ゴジラが一休みしているところにぶっつけるところなんか、やたらに決死隊みたいでかえってナンセンスである。人物はどれもセンチメンタルでミミっちく、人臭くてゴジラ氏の感じとちぐはぐだ。何となく科学的で、何となく学者らしいという程度でいいわけだが、その程度の人間を出すのにも日ごろの教養ということになりそうだ。この点外国製はやはりもっともらしい。(O)」



 これは80年代にウルトラシリーズの同人『ペガッサ・シティ』でご活躍されていた籾山幸士(もみやま・こうじ)氏が、82年11月25日に発行した同人誌『特撮資料再録集』に掲載されていたものである。
 同じく籾山氏の同人誌『東宝特撮映画新聞広告集』(発行日不詳)には、出典未記入だが(54年11月3日付『朝日新聞』夕刊)、「新映画」なるコラムにおいて、「企画だけの面白さ 『ゴジラ』(東宝)」と題し、以下のように論評した記事が掲載されている。



「とくに、ゴジラという怪獣が余り活躍せず、「性格」といったものがないのがおもしろさを弱めた。『キング・コング』(33年・アメリカ)の時代と比べても、なんとかなりそうなものであったし、『放射能X(エックス)』(53年・アメリカ)のアリのような強烈さに及ぶべくもない。ただ、企画だけのおもしろさはあり、一般受けはするだろう。宝田明(たからだ・あきら)と河内桃子の二人の青年と娘の恋愛が、なにか本筋から浮いているが、これは構成上の失敗だった」



 これらを見るかぎり、当時の『ゴジラ』に対するマスコミの評価は、先に挙げた田中の「ゲテもの扱いされた」という証言とは、若干(じゃっかん)ニュアンスが異なるような印象がうかがえる。怪獣=ゲテもの=くだらない、などという分析やロジックはなしにレッテルを貼るだけの最初から見くだした紋切り型では決してなかったのである。


 むしろ、ゴジラの登場場面の少なさや、そのキャラクター性の弱さ、いささかセンチメンタルな本編演出など、『ゴジラ』を「特撮映画」として観た場合に、不満が残る点について、あまりに「的確」に指摘されていたのではないのかと、現在の視点からしても思えるほどなのである。


1950~60年代 ~各界の批評家が語った傾聴すべきプレ特撮評論


 実際「新映画」では『ゴジラ』を酷評する一方、映画『空の大怪獣ラドン』(56年・東宝)については「迫力もあり面白い」と題し、以下のように絶賛している。



「『ゴジラ』と同じような設定なのだが、今度の方が大分(だいぶ)迫力があり技術の進歩が見られる。話にこだわらないで見ていると、相当におもしろい。特殊技術の撮影に心魂を打ち込んでいる円谷英二つぶらや・えいじ)の努力を認めたい。九州北部の大都市が、ラドンの飛ぶ勢いで、メチャメチャに破壊されるところは、特に見ものだ。自動車や電車がオモチャのように(実際にもオモチャを撮影したのだが)飛ぶところは、理屈抜きに痛快でおもしろい。本ものの部分とトリックの部分の見わけも、なかなかつきにくいところもある。三、四年前はアメリカの空想映画と比べて、はるかに劣っていた日本映画も、この作品あたりではかなりのところまで来た。色の調子も悪くない」



 「ゲテもの扱い」どころか、まさに「『特撮』評論」とはこうあるべき! と、現在でも立派に通用する視点をもって書かれた「名文」であるように筆者には思えるのだが。


 実は『ラドン』については、飛んで70年代前半には映画雑誌『キネマ旬報(じゅんぽう)』(キネマ旬報社)で、今で云うジャンル系映画のレビューを一手に引き受けていた感のある映画評論家の故・石上三登志(いしがみ・みつとし)も、『キネマ旬報1973年11月20日増刊 日本映画作品全集』(キネマ旬報社・73年11月20日発行・ASIN:B00LWS6OEU)で「わが国のSF映画中、ベスト・ワンにおくべき秀作」として、以下のように高く評価している。



ラドン登場に至るまでの様々な伏線がサスペンスを盛り上げ、演出・本多猪四郎としては最良の出来である。さらにクライマックスは、終始ロング・ショットでとらえ、大スペクタクルの中に、見事な悲壮美さえ描き出しており、これは特撮担当の円谷英二の功績だろう。ここには、怪獣映画を単なる子供だましとは考えず、少なくとも怪獣そのものに“生命”を与えようとする、本来のドラマ作りがあった」



――さらに後年のことだが、年末の復活『ゴジラ』公開が迫る84年夏にも、



「数年前(ゴジラ復活と騒がれ出す前)までは東宝特撮、怪獣映画の中では「ラドン」が最高傑作だというのが最も一般的な意見で、私も「ラドン」を最高傑作だと固く思っていた(今でもそう思っている)一人です。ところが最近は、皆が口を揃えて「ゴジラ」が最高傑作で、後の作品はどれも「ゴジラ」を超えてはいないなどと言うではありませんか」



といった意見が『宇宙船』Vol.19(84年8月号)の読者投稿欄にも掲載されている――



 その一方、封切当時の『キネマ旬報』57年1月下旬号(№167)(ASIN:B01L5OBUNA)で文芸評論家の故・荒正人(あら・まさひと)は、



「空想科学映画の本質は、スペクタクル映画を越えて、文明批判を行う点にあるのではないか。その点で、『ラドン』は反省の余地を残している」



と書いており、マニア第1世代よりも上の世代も、決して一枚岩ではなかったことがうかがえよう。


 さらに『キネマ旬報』61年9月上旬号(№293)では映画『モスラ』(61年・東宝)について、哲学科の大学教員(のちに教授)でもあった故・福田定良が以下のように好意的な評価をしている。



「今度の作品は全体の感じが何となく童話的なので、わざとらしく見えるところも御愛嬌(ごあいきょう)になっている場合がある。子供たちが適当にこわがったり、げらげら笑ったりしていたところを見ると、おとぎ話的スタイルはこの作品にふさわしいとも言えそうである」



 筆者はこの『モスラ』を契機に、東宝特撮映画が当時の東宝のキャッチフレーズであった「明るく楽しい東宝映画」へと、文字通りに変貌(へんぼう)を遂げていった、との印象を強く感じている。子供が「適当に」こわがり、「笑って」観ていられるという、「怪獣ファンタジー」の路線すらも、当時の『キネマ旬報』では、すでに肯定(こうてい)する声が見られたのである。


1960~70年代 ~黎明期のSF陣営が否定した怪獣映画


 だが、50~60年代においては、やはりそうした声は少数派だったようである。



「怪獣があばれまわっているぶんにはこの種の作品として結構たのしめるのであるが、困ったことに脚本家と監督者はいとも現実的なみみっちい場面をもちこみ、小市民映画みたいなぼそぼそとした演出をえんえんとはさみ、なんだか深刻な理屈まで加えて普通の劇映画も及ばぬくらい人物を懊悩(おうのう)させる。
 そのために全体がひどくちぐはぐになり、空想を空想としてたのしめず、うす暗いいやな後味がのこる。もちろんこの怪獣によって水爆時代に対するレジスタンスをこころみようという意図があったにちがいない。が、それはいささか欲張りすぎだし失敗である」



 『キネマ旬報』54年12月上旬号(№106)で、SF・ホラー映画も批評してきた映画評論家の故・双葉十三郎(ふたば・じゅうざぶろう)によって書かれた『ゴジラ』第1作に対する批評である。『毎日新聞』や「新映画」と論旨は同じであり、『ゴジラの逆襲』(55年・東宝)の娯楽性の方を高く評価した氏は、それはそれで筋が通っている――マニア第1世代の故・竹内博は「双葉十三郎に至っては論外で、大伴昌司の爪の垢でも飲むがよい」と『円谷英二の映像世界』(実業之日本社・83年12月10日発行・ASIN:B000J79QN6→01年に増補版・ISBN:4408394742)で猛反発していたが――。


 70年代から現在に至るまでの特撮論壇において、『ゴジラ』第1作を最も『ゴジラ』たらしめているとされている要素、つまり怪獣映画を単なる「ゲテもの」にさせないために付加された部分が、公開当時は完全に「否定」されていたのである!


 だが、だからといって、テーマ性よりもエンターテイメント性を追求するようになったその後の東宝怪獣映画が「肯定」されるようになったかと思えば、決してそういうワケでもないのである。


 明治・大正・昭和初年代の戦前生まれの評論家がまだ多数を占めていた当時の『キネマ旬報』で、70年前後からは「SF」ジャンルに思い入れる世代の評論家が台頭してくる。



「怪獣映画は本来はSF映画の一テーマにすぎないのだが、わが国では独立して論じてもよいほどの特異な存在となる」



と、「前世代」の「SF」プロパーに属する石上(昭和10年代生まれ)が定義したように、「怪獣映画」は「SF映画」よりも一段低いものとする論調が登場したのである。


 「SF」も当時の日本においては新興のジャンルであり、まだ「市民権」を得ていなかった「SF映画」というジャンルを日本に成立させようという使命感にかられて、彼らも伝道活動にいそしんでいたのであろう。だが、「SF」プロパーの「前世代」の人々は、『ゴジラ』第1作にかぎらず「怪獣映画」の存在そのものを、「SF」というモノサシだけで図(はか)って「否定」的に捉えて斬り捨てようとしていたのである。



「63年の『キングコング対ゴジラ』――引用者註:62年の誤りである(笑)――あたりから、この種の作品は“人間不在”の巨獣トーナメント的傾向をたどりはじめ、次第に年少者のみを対象とし、“怪獣映画”なる名称を定着。以後それは他社に飛び火し、大映の『大怪獣ガメラ』(65年)、東映の『怪竜大決戦』(66年)、松竹の『宇宙大怪獣ギララ』(67年)、日活の『大巨獣ガッパ』(67年)が誕生。これらはすべて、66年の『ウルトラQ』を出発点とする、テレビ用怪獣映画に吸収され、いわゆる“怪獣ブーム”となった。
 わが国の怪獣映画の幼児化現象の最大の要因は、怪獣創造のほとんどすべてを“ぬいぐるみ”方式にたよったことにあり、これは欧米の“アニメーション”方式とは決定的に異なる。いいかえれば、わが国の怪獣は、あくまでも中に“人間が入る”スタイルなのであり、そこにすでにイマジネーションの基本的飛躍が見られないのである。これは、わが国に本格的SF映画の生まれない理由でもある」



 先に挙げた73年発行の『日本映画作品全集』において、当時30代の石上は「怪獣対決」路線へとシフトしていった、わが国の怪獣映画を、日本で本格的なSF映画が生まれない「元凶」であるとして切り捨てている。


 実は石上は『ラドン』とともに、映画『大怪獣バラン』(58年・東宝)を、



東宝怪獣映画中、徹底した攻防戦だけで構成された作品であり、小品ながら大いに評価すべきもの」



として高く評価している――これ自体には筆者も強く賛同する! 実は筆者は隠れ『バラン』ファンであり、個人的には『ゴジラ』第1作よりも面白いと思える!――。


 だが、『ラドン』も『バラン』も、ひょっとしたら、着ぐるみ以外に飛行タイプの造形物が多く活躍していたことが、石上に評価を高くさせる一因になったのではないか、とさえ思えてしまうほどである。



 ミニチュア特撮が衰退し、CG全盛となったわが国において、平成仮面ライダースーパー戦隊の劇場版で、巨大モンスターが「アニメーション方式」で暴れるようになってから久しい。だが、いまだ日本に本格的な「SF」実写映画が生まれていない現状からすれば、その理由となるものが、決して怪獣映画の「ぬいぐるみ方式」にあったのではなかった、という事実は、もはや明白であるだろう。



「この(怪獣)ブームの重要なことは、おとながいままでは、「なんだ、怪獣なんて」ということがあった。ひいてはそれがSFが、普及しないことにもつながっていた。それは一種の習慣だと思うのです。ああいうものもある、おもしろいと。それに慣れてきたのは、たいへんいいことだと思います。これで、SFものを次に出してもばかにしないでしょう」



 これは『世界怪物怪獣大全集』(キネマ旬報社・67年5月15日発行・ISBN:4873761913)において、第1次怪獣ブーム時に講談社少年マガジン』巻頭グラビアの怪獣特集や、数々の怪獣図鑑を執筆したことで知られる故・大伴昌司(おおとも・しょうじ)が述べた言葉である。怪獣映画の存在が日本で本格的「SF」が普及しない元凶である、としていた石上に対し、石上と同世代でもあった大伴はまったく逆の立場であり、むしろ怪獣映画のブームを契機に、世間一般に「SF」を普及推進させようという狙いがあったのだ。



 だが、第1次怪獣ブームも終焉(しゅうえん)を遂げて久しかった、69年11月20日にキネマ旬報社が発行した『キネマ旬報臨時増刊 世界SF映画大鑑』(ASIN:B07PX8QJX4)において大伴は、



ゴジラが現れるまでの不安な状態や、異常なパニックの描写が優れ、特撮シーンと本編(劇の部分)との調子が分裂せずに融和している唯一の作品である」



として、『ゴジラ』第1作を高く評価したのだ。ここでマニア第1世代が継承し、人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)した「本編と特撮の一体化」理論が誕生したのでもあった!――この理論が本当に特撮ジャンルの無謬(むびゅう)の尺度・目標であったのかの疑義については、本稿全体で検証し、結論も提示するつもりだ――



 しかし一方、掲載された「SF映画ガイド」の中では、



「国産の宇宙怪獣映画は、そのほとんどがSFとは認められないので除外した」



と、「SF」の普及推進につながるのならと、67年の『世界怪物怪獣大全集』では擁護(ようご)していた怪獣映画を切り捨ててしまっていたのである。



「どうかみなさんがおとなになっても、たくさんの人たちの心のなかから生まれたすばらしい怪獣たちを忘れないでください」

小学館入門百科シリーズ18『怪獣図解入門』(小学館・72年7月10日発行・ISBN:4092200188・ISBN0:4092203349)大伴昌司「あとがき」



 小学館入門百科シリーズ15『ウルトラ怪獣入門』(小学館・71年9月10日発行・ISBN:4092200153)と並ぶ怪獣図鑑の「名著」を、第2次怪獣ブームのころにも手がけていた大伴が、それ以前に先のような見解から、「怪獣映画」を「SF映画」から切り捨てていた。
 「SF性」とは異なり、自身の「幼児性」から来る「ヒーロー」や「怪獣」への理屈抜きの好意や執着を、この時代の特撮ジャンルに関わる人々はまだうまく言説化することができなかったのだろうなと思いつつも、やはり心の底から「怪獣」を好きだったわけではなく、あくまで方便として「怪獣」を擁護していたのかもしれないと、個人的にはかなり複雑な想いも残る。
――「怪獣映画」や「特撮映画」を、「SF映画」のサブカテゴリーだと捉えて心のどこかで卑屈になる必要はさらさらなく、自立した別個のジャンルであると自信を持って云い切れる現在の筆者ではあるものの――


 第1次怪獣ブームが衰退した68年に公開された映画『2001年宇宙の旅』を機に、当時のマスメディアは「SFブーム」を起こそうとしたが不発に終わり、子供たちの間では「妖怪もの」や「スポーツ根性もの」が人気を得るようになった。結局は「怪獣ブーム」が「SFブーム」を誘発することはなく、むしろそれとはあまりに相反する「土着的」なものや「肉体的」なものがブームとなってしまったのだが、そうした背景もまた、大伴を「心変わり」させる一因となったのではなかろうか? 60年代最後の年の末に至るまでの時点では、東宝特撮映画はまだ「神格視」されてはいなかったのである。



――後日編註:ビッグネームファン上がりの日本の古典SF研究家として高名な故・横田順彌(よこた・じゅんや)。2019年1月4日の逝去後に氏が残された資料を整理していた際に、1960年代前中盤の読書メモや映画鑑賞メモが記されたノートが数冊発見されたそうである。これがそのままスキャンされて、2019年末の冬コミコミックマーケット97)3日目の評論ジャンルにて同人誌『ヨコジュンの読書ノート 附:映画鑑賞ノート』(2019年12月30日発行)として刊行されている。氏はSFに限定せず今で云う隣接ジャンルのジャンル系映画も旺盛に鑑賞されておられるが、『ゴジラ』初作をはじめとした初期東宝特撮映画についても、後世の特撮マニア諸氏とは異なる見解が述べられており、オタク第1世代以前の第0世代とでもいうべき往時のSF人がどのように初期東宝特撮を見ていたのか、実に興味深いのでここで採録をさせていただきたい。



「1965年8月29日。『ゴジラ』。SF大会での記念映画。当時は実にすごいと思ったが(編註:氏は終戦の年の昭和20(1945)年生まれなので当時9歳)今見ると最近の東宝ものとちっとも変っていないくだらない映画だ」
「1966年12月30日。『地球防衛軍』(TV)(東宝) 今から10年前(編註:1957年)の日本本格SF映画である。その当時非常に感激して見た事を憶えていたので期待していたが残念ながら現在見るとやはり出来はそれほど良くない。但し東宝はこの後本格SFを1本しか作っていない事を考えて見ると貴重な作品であると云う事が出来るかも知れない」
「1966年12月31日。『ゴジラの逆襲』(TV)(東宝) 続々と東宝の旧作がTVに放映されはじめた。この『ゴジラの逆襲』はゴジラ物の最高傑作ではなかろうか。今の東宝ものよりははるかに良い出来の作品である。それにしてもこの様な旧作をTVで見られるのはうれしい事である」
「1966年12月31日。『空の大怪獣ラドン』(TV)(東宝) これまた旧東宝作品であるがこれは傑作である。全東宝SF物の中でも1・2位にランクされるものであろう。概して旧作品がおもしろいのはやはり原作がしっかりしているからであろうか。東宝よ!! 昔に返れ!!」
「1967年1月6日。『宇宙大戦争』(TV)(東宝) 同じく東宝物である。そしてこれは怪獣の登場しない唯一のSFである。見た当時は何かもの足りなく思ったが今度TVで見た結果かなりの傑作であるような気がする」
「1967年2月26日。『ゴジラ』(TV)(東宝) 余りにも有名な古典(?)である。この映画は単なるSFではなく原爆禁止に対する思想があると云うが僕には何もない様に思えた」



 「原作」が字義通りの「原作」ではなく、今で云う「メディアミックス」や「ノベライズ」であることを理解されていないことは、情報露出不足の時代ゆえに仕方がないけれども、往時はマニア気質のある人間でも真面目に「原作」だと受け取っていた貴重な記録たりえている。その他、『大怪獣ガメラ』(65年)、『大魔神逆襲』『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』『黄金バット』『怪竜大決戦』(いずれも66年)、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(67年)をいずれも封切日やその翌日に鑑賞されていて、律儀にも感想をメモにも記されており、頭が下がる思いだ。機会があればコミケなどにて購入後にご一読されたし――


1970年代 ~オタク第1世代によるゴジラ東宝特撮の神格化


 だが、70年代になると、手塚治虫(てづか・おさむ)の漫画やアメコミヒーロー、海外SFで育ち、『ゴジラ』第1作に中学生で触れた昭和10年代中盤生まれの小野耕世らが台頭するや、『ゴジラ』第1作を「傑作」として神聖視するようになる。
――小野耕世(おの・こうせい)。映画&漫画評論家、海外コミックの翻訳家として知られる。なんと、元NHKの職員であり、在職当時から早川書房の『SFマガジン』に「SFコミックスの世界」を連載、海外漫画作品の紹介に力を注いでいた。だが73年、ミュージシャンの矢沢永吉(やざわ・えいきち)が所属していたロックバンド・キャロルのドキュメンタリー映画を、ATGで製作したことがバレてNHKを解雇され、それ以降映画やアメコミの評論家になったという、異色の経歴の持ち主である――



「そう、この映画――『日本沈没』(73年・東宝)――が少しも恐くないのは、急速な経済成長をとげた〈豊かな国・日本〉の壊滅を描いているからなのだろう。思えば、「ゴジラ」には、当時の日本人の飢餓感が反映されていて、映画を鮮烈なものにしていたのだ。私は「ゴジラ」を見ながら恐怖に恍惚(こうこつ)となって震えていたことを思いだす。再び日本人が飢餓意識にとらわれる時が来るとするならば、SF映画はあの「ゴジラ」の輝かしい緊迫感を取りもどすだろうか」

(『キネマ旬報』74年2月上旬決算特別号(№624)(キネマ旬報社))



 「恐怖」をキーに、ここで『ゴジラ』第1作を称賛するための論法「怪獣恐怖論」も誕生したのだ!



 ただし、当時すでに30代である氏も後続の東宝特撮映画にはやはり否定的であり、『キネマ旬報』では映画『惑星大戦争』(77年・東宝)を以下のように酷評している。



「それは、よく見れば、『スター・ウォーズ』(77年・アメリカ)も、かなり荒っぽい映画なのだが、ぐいぐいと観客をひっぱっていくテンポと熱気はすばらしい。なによりも、全編にユーモアがゆたかである。その点、『惑星大戦争』は、いやになるほどユーモアがなく、またしても、特攻隊的悲壮感の押し売りには、うんざりしてしまう。こうした映画で人間を描かなくては――などという情けないことは、どうか考えないでくださいね」

(『キネマ旬報』78年2月上旬号(№727)・ASIN:B07CMF6BPX



 筆者も最後の一節にはおおいに賛同するが(笑)。


 50年代から70年代半ばにかけては、国産の特撮映画は、このように概ね酷評される傾向が強かったのである。


 だが、70年代中盤から『PUFF(ぱふ)』『怪獣倶楽部(クラブ)』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20170628/p1)などのアマチュア同人誌活動を展開してきた、1955~60年(昭和30~35年)前後生まれのマニア第1世代(オタク第1世代)のマニアあがりの諸氏が、70年代末期に勃興(ぼっこう)したマニア向け雑誌やムックでゴジラを語るようになるや、状況は一変する。


 同じころ、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(77年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20101207/p1)の公開が発端(ほったん)となった「SF」アニメブーム、『スター・ウォーズ』(77年・日本公開は78年)が起こした海外「SF」ブームに付随(ふずい)する形で、第3次怪獣ブームが巻き起こったのである。



 ただ、その当時のジャンル評論の論調は、


●石上が『ラドン』を高く評価するのに用いた、子供だましではない、大人の鑑賞に耐えるような、高い「ドラマ性」(人間ドラマ)


●荒が『ラドン』に欠けているとした、文明批判をするのが空想科学映画の本質であるとする「テーマ性」(社会派テーマ)


●大伴が『ゴジラ』第1作以外には「皆無」であると断じた、「SF性」(SF的リアリズム)


など、それまで『キネマ旬報』において、SFプロパーたちが怪獣映画を「断罪」するのに用いたフレーズを重要視し、その手法をほぼ「継承」する形をとっていたのである。



 当時、関西で活躍していた特撮ファンダム・コロッサスによる『大特撮 日本特撮映画史』(有文社・79年1月31日発行・ASIN:B000J8INIE・80年に朝日ソノラマから再刊・ASIN:B000J893VU・85年に改訂版・ISBN:4257031883)では、「“怪獣映画”ばかりが“特撮映画”ではない」とアピールするために、いわゆる怪獣やメカが活躍するキャラクターもの以外の特殊撮影を含んだ作品をも幅広く紹介し、論評が加えられていた。
 そこでは決して怪獣映画が切り捨てられていたわけではないのだが、『キネマ旬報』が怪獣映画を日本で本格的な「SF」映画が誕生しない「元凶」としたように、当時のマニアたちも、日本で本格的な「特撮」映画が誕生しない原因は「マンネリズム」に陥った怪獣映画にあり、それ以外の新たな鉱脈を見つけださねば、日本特撮の「復興」はあり得ない、と考えたのだろう。


 「前世代」によるジャンル批判に対抗するための論理として、当時まだ20代前半であったマニア第1世代は、当時の映画評論=社会批評の流儀に依拠(いきょ)することを「戦略」としていたのだ――仕方がないことだが、当時においてはそれしかお手本にする理論武装の武器がなかったこともあるのだろう――。



 彼らは日本特撮を「復興」させるためのドグマとして、


ゴジラは「恐怖」の対象であるべきだ。


ゴジラ「正義の味方」ではなく、「悪」の怪獣でなければならない。


●「怪獣プロレス」ではなく、「人間対ゴジラ」を描くべきである。


ゴジラを「反核」の象徴として描くような、文明批判・人類批判といった「テーマ」がなければならない。


といった論調で、『ゴジラ』第1作を含む「初期」東宝特撮映画を「神格化」することで、以降の怪獣対決路線や、70年代に興行された「東宝チャンピオンまつり」時代のゴジラシリーズの存在を「否定」していたのである。まるでSFプロパーたちが、怪獣映画を「SFではない」として、その存在を「否定」していたように。



「大学生になって上京した昭和50年――1975年――前後、その頃から流行し始めた特撮映画やアニメのオールナイト、あるいは自主上映会などでそれらの作品を再見し、子供の頃に観ていた以上の感動と衝撃を味わったとき、僕は自分が観てきたものが決してプロの映画評論家やSF作家たちがいうように幼稚な内容で、技術的にも稚拙(ちせつ)で、同時代のアメリカのSF映画に比べて見劣りのするものだとは、とても思えないという事実を再確認できた。そして、そうやって特撮映画やアニメを貶(おとし)めてきた大人のほうにこそ、大きな偏見があったのだということに思い至ったのだ。だから特撮系の同人誌に参加して文章を書き始め、その縁で児童雑誌の編集のアルバイトをするようになってからは、そういった間違った世間の認識を少しでも変えたい、と考えるようになった」

(『僕たちの愛した怪獣ゴジラ』(学習研究社・96年3月1日発行・ISBN:4054006574)・中島紳介



「高校生の頃に、「空想創作団」というSFファンダムに所属したんです。ところが、SFの人は活字中心なんです。怪獣なんかは見向きもされない。「おいおい、ゴジラは入らないのかよ」と思わずいいたくなってしまう。ヴィジュアルなものは全然といっていいほど、相手にされない。子供時代にそういうものを見てSFに入ってくるんだから、SF史の中で映像セクションというものがあってもいいのじゃないかと思うわけですよ。
 SFはもともと世間の偏見を笑っていた集団ですよ。その集団の中でさらに偏見があるんですからね。特撮とか、怪獣なんかは見もしないで駄目のレッテルを貼られている。ぼくなんか、それが悔しいから、何とか特撮映画を映画論として語っていきたかった。『ガス人間第1号』(60年・東宝)や『マタンゴ』(63年・東宝)、『ゴジラ』のドラマ派を重視したのはそのためだった」

(『宇宙船』VOL.83(98年冬号)(98年3月1日発行・ASIN:B007BJ0HWO)・池田憲章



 特撮映画やアニメに対する世間の偏見と戦うこと、そして、特撮映画を立派な「SF」として認めさせること。それが彼らを突き動かす原動力となったのである――後出しジャンケンで恐縮だが、それは無意識に「特撮」よりも「SF」の方を上位に見立てていたのだが――。


 そうした動機の部分では、それまでひたすら虐(しいた)げられてきたという経緯を踏まえれば、世間一般に認知させるため、ひいてはこのテのジャンルにイイ歳こいて拘泥(こうでい)する自分自身を正当化するために、当時まだ10代後半から20代前半であったオタク第1世代が、ただの娯楽作品・子供向け作品ではない! と擁護するための手段としてこれらのドグマや論法を採択したのには、同情する余地が充分にあったとは思える。


 ましてやほぼ同じころである、77年6月30日に奇想天外社から発行された『吸血鬼だらけの宇宙船 怪奇・SF映画論』(ASIN:B000J8VDFO)においてさえも、先に挙げた石上が『ゴジラ』第1作に対し、



「わが国のSF映画を、奇形のままあらぬ方向へと導いた最大の原因」


「SF映画の無限の可能性をもろくも砕き去った愚劣(ぐれつ)な存在」



などと、いまだ徹底的にコキおろしていたような時代だったのである。


 昭和30年(1955年)前後生まれの中島紳介(なかじま・しんすけ)や池田憲章(いけだ・のりあき)が『ゴジラ』第1作を「神格化」したことを手放しでは肯定できないものの、心情的には充分に理解できるというものである。


 そして彼らは、東宝特撮映画のみならず、円谷プロウルトラマンシリーズに対しても、そうした主張を展開することとなる。



「特撮映画は、特撮以上に本編の部分が重要となる。映画にとっては、まずストーリーとドラマだ。すばらしい特撮シーンも、特撮に至るまでのドラマの盛り上がりがあってこそ、はじめて生きるのである」

(『ファンタスティックコレクション No.11 SFヒーローのすばらしき世界 ウルトラセブン朝日ソノラマ 79年1月20発行・ASIN:B00CBS4ILQ



 M78星雲光の国の、「ウルトラ兄弟」3番目の戦士・ウルトラセブンが、「変身ヒーロー」や「スーパーヒーロー」ではなく、「SFヒーロー」として定義されたのは、まさに象徴的である。


 本書において、池田は『セブン』全49話の中で、


●第8話『狙われた街』
●第42話『ノンマルトの使者』
●第44話『円盤が来た』


の「SF」風味ないわゆるアンチテーゼ編の3本を「傑作」として挙げている――はるか後年の98年12月20日に発行された『ファンタスティックコレクション ウルトラセブンアルバム』(ISBN:4257035544)に再録されたこの池田の『セブン』総論では、自身の見解を改めたのか、娯楽活劇編の第39~40話『セブン暗殺計画』前後編を追加していたが――。そして、その理由を、



「SFの機能のひとつである現代の寓話(ぐうわ)になり得ている」



と述べている。


 「特撮怪獣番組」をそうした基準によって評価する価値判断は、そうした要素が著(いちじる)しく欠落しているとされた第2期ウルトラシリーズを、彼らが酷評する充分な理由となり得たのであった。


1980年代 ~ SF > 初期東宝&円谷 > 変身ブーム。カーストの再生産


 だが、第2期ウルトラシリーズは酷評されただけ、まだマシだったのかもしれない。平成仮面ライダースーパー戦隊が隆盛を極める現在からは考えられないかもしれないが、当時は東映が製作した等身大スーパーヒーロー作品なんぞ、「特撮」として認められてはおらず、論壇に登ることがあるとしたら、「お子様ランチ」の代表=「軽蔑」の対象として扱われるくらいだったのである。


 池田は若いころにSFファンダムの中で偏見に遭(あ)ったことに不満を述べていたが、当時の特撮ファンダムの中においてさえ、偏見は相似形ですでに形成されていたのであった。



「いわゆる怪獣ファンダム第一世代、ゴジララドンとともに生まれウルトラシリーズで育った世代の中にあって東映怪人番組のファンであることは偏見との戦いの連続だった。我々の年代の中では円谷怪獣番組→大人の鑑賞に耐えるSFドラマ、東映怪人番組→幼児向け単純アクションもの、といった固定観念が厳として存在し、変身ものと言えば『仮面ライダー』(71年)も『快傑ライオン丸』(72年・ピープロ フジテレビ)も『トリプルファイター』(72年・円谷プロ TBS)も十把(じっぱ)一からげに一段低いカテゴリーへ押しやられていたわけである」



 『宇宙船』Vol.6号(81年春号)に掲載された「初期東映怪人番組論」において、故・富沢雅彦(とみざわ・まさひこ)はそう述べたうえで、


●『人造人間キカイダー』(72年・東映 NET→現テレビ朝日)、および『キカイダー01(ゼロワン)』(73年・東映 NET)の「キャラクターの魅力」


●『イナズマンF(フラッシュ)』(74年・東映 NET)の「ドラマ性」


を高く評価していた。


 また、第8号(81年秋号)では、富沢はスーパー戦隊シリーズ『バトルフィーバーJ』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20120130/p1)を「カッコいいヒーロー」として絶賛していたが、その富沢すらもが「昭和」の仮面ライダーシリーズに対しては、



「昭和30年代的感性で作られているからカッコ悪い」



としていたのである。


 意外にも、この時代に遂に最後まで正当に評価されずに終わったのは、現在は「日本特撮」の頂点を極める『仮面ライダー』だったのである。


 81年春にも初期13話のいわゆる旧1号ライダー編だけに焦点をあてた『Town Mook増刊 Super Visualシリーズ4 仮面ライダー』(徳間書店 81年4月25日発行)という先駆的な書籍は刊行されていたが、『ライダー』を本格的に再評価しようとする動きが出始めたのは、84年秋から東映ビデオがビデオソフトのリリースを始めたり、86年春に講談社が『テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』(86年5月3日発行・ISBN:4061784013)を発行したりという動きがあった、80年代も半ばに入ってからのことだった。


 そして、その富沢でさえも「昭和30年代的感性」と評した『仮面ライダー』は、のちに「平成時代の感性」でつくられることによって、ゴジラやウルトラに代わる「日本特撮」の「最高峰」として、現在に至るまで君臨することとなったのである。


 この当時の動きを思うにつけ、やはりマニア第1世代の「戦略」には、重大な見落としがあったのかと思える。彼らは初期東宝特撮映画や第1期ウルトラシリーズを成長してから再見することにより、「子供の頃に観ていた以上の感動と衝撃」を受けることとなった。それと同じように、「東宝チャンピオンまつり」や第2期ウルトラシリーズ東映の変身ヒーロー作品などを、成長してから再見することにより、「子供の頃に観ていた以上の感動と衝撃」を受けた世代が、いずれは社会で発言権を得られるようになるということを。


●チープ
●チャイルディッシュ
●破天荒(はてんこう)
●奇想天外


といった要素。


●ドラマやテーマ性よりも優先された娯楽性や肉体的アクション
●実は職人芸的だったストーリーテリング
●不条理コメディ……


 マニア第1世代が切り捨てて、いっさい文章化しなかったそうした魅力があればこそ、先に挙げた作品群に夢中になった人間は、いくらでも存在したハズだったのである! 案の定、マニア第1世代は90年代以降、そうした世代から「逆襲」されるハメになる。



「ただ、そのときに戦略を誤ったと思うのは、僕自身が「これは大人の鑑賞に耐え得るドラマで」というふうに、それまでの評論家と同じ論法で作品のイメージアップを図ろうとしたことだ。子供向けだから、あるいは単なる娯楽映画だから低級で、大人向けだから、芸術作品だから、社会的なテーマをもっているから高級で――などといった区別は、実はまったく無意味である。というより、前にも触れた興行成績や観客動員数による権威づけと同じで、“木を見て森を見ない”の愚を犯すだけなのだ」

(『僕たちの愛した怪獣ゴジラ』(96年)・中島紳介



 彼らの活動は、たとえばそれまでは世間一般には「子供向け」と思われていた『ウルトラセブン』にも、「大人の鑑賞に耐える」ドラマが存在することを知らしめることとなった。そうした部分では、一定の成果を上げることができたといえるであろう。


 しかしながら、実は「大人の鑑賞に耐える」ドラマもあるんだよ、くらいでとどめておけばよかったものを、それを「絶対的」に崇(あが)めてしまったことが、「諸刃(もろは)の剣」となってしまったのである。


 石上三登志は「SF」を持ち上げるあまりに、『ゴジラ』第1作を「(日本の)SF映画の無限の可能性を砕き去った」としていた。


 それと同様に、初期東宝特撮や第1期ウルトラシリーズを持ち上げるあまりに、後期ゴジラシリーズや第2期ウルトラシリーズや70年代変身ブーム(第2次怪獣ブーム)時代の作品群を「特撮映画の(SF的な方向性での)無限の可能性を砕き去った」とばかりに「否定」するというマニア第1世代がとった戦略。


 それは、


●バラエティに富んだ路線の作品
●クールなSF性は欠如していて野暮(やぼ)ったいけど高いドラマ性は達成していた作品
●あるいは、ノンテーマ、ノンドラマのナンセンスな作品、
●チープでチャイルディッシュな作風でも高いエンターテイメント性を確保している作品、


などなどの別方向での広大な可能性をも「否定」してしまうという、それこそ「特撮映画の無限の可能性を砕き去」りかねないものではなかろうか?



「怪獣をズバリ恐怖の対象として描いているところが『ゴジラ』の特徴である。日本の怪獣映画は『ゴジラ』の頃から、あくまでも“恐怖”から出発し、そしてそれが怪獣映画の本質のはずなのだ」

(『ファンタスティックコレクションスペシャル 世界怪獣大全集』(朝日ソノラマ・81年3月20日発行))



 だから「こわい怪獣映画」をつくれば、このジャンルは再び世間に受け入れられるという、現在の観点からすれば実に素朴(そぼく)な「幻想」を元に展開された、当時の「怪獣恐怖論」。『世界怪獣大全集』では初代『ウルトラマン』(66年)や『マグマ大使』(66年・ピープロ フジテレビ)に登場した怪獣たちを、



「ここでは怪獣は完全に「悪役」に回ってしまうわけだが、それでもまだ怪獣の「恐怖」は残されていた」



としている。


 怪獣に「恐怖」――人間にとっての広い意味での一種の「悪」――を求めながらも、「正義」の味方に倒される「悪役」としては描かれてはならない。


 怪獣が登場する物語を終結・着地させるためには、どうやっても「破綻」してしまうこの論理への弥縫(びほう)策として、そもそも怪獣が「ほかの怪獣」や「ヒーロー」なんぞと対決すべきではなく――怪獣に感じる「恐怖」が消滅してしまうから――、あくまでも怪獣は「人間」の勇気や英知と対決するべきである――対峙する人間側が感じる「恐怖」が一応は残せるから――、とする趣旨の主張が垣間(かいま)見える。


――だから、初期東宝特撮ファンの中には、変身ヒーローが登場する第1期ウルトラシリーズの存在さえ許せないとする特撮マニアも存在していた。だが、そんな彼らも『ウルトラQ』だけは許せたという(爆)――



 怪獣親子の「情愛」を描いた『大巨獣ガッパ』に至っては、



「怪獣というものを、何か勘違いした作品であった」



と手厳しい。


 小学生のころにテレビ放送された際、子ガッパを探しに静岡県熱海(あたみ)市の温泉街に上陸したガッパの巨大な足が、旅館の宴会場の天井をブチ破り、酔客(すいきゃく)の上に覆いかぶさるカットには、個人的には充分に「恐怖」を感じたものである。「勘違い」はアンタらやろ! と今さらツッコむのも大人げないので(笑)、これについてはのちほど、具体的な現象面を、順を追って例に挙げることにより、反論していくこととする。


1983~84年 ~『ゴジラ』復活ムーブメント


 さて、80年代も半ばになると、マニア第1世代よりも少し下の世代、第1次怪獣ブーム期に小学校高学年や中学生ではなく、幼稚園児や小学校低学年だった人々が社会で発言権を得ることとなった。ミュージシャンやイラストレーター、コピーライター、作家や漫画家、落語家、学者の卵といった文化人たちが、サブカルチャーの一種として、「ゴジラを語るのがトレンド」とばかりに、一斉に声を上げはじめたのである。


 こうした動きが、80年代当時のマニアの間で起きていた「ゴジラ復活運動」を、強く後押しすることとなったのだ。


 ロックグループ・サザンオールスターズのリーダー・桑田佳祐(くわた・けいすけ)は、著書『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』(新潮文庫・84年5月1日発行)において、以下のように語っている。



「数ある怪獣の中で、一番しっかりした怪獣なのね。
 完成品に近い怪獣。イイ男、なの。
 プロレスラーで一番イイ男はアントニオ猪木(いのき)。
 プロ野球で一番イイ男は長嶋茂雄(ながしま・しげお)。
 怪獣ならやっぱりゴジラ



 また、当時を象徴する出来事としては、筆者的には女性たちの間で大人気だったアイドルグループ・チェッカーズのボーカル・藤井郁弥(ふじい・ふみや)が、歌謡番組『ザ・ベストテン』(78~89年・TBS)において、「ゴジラ大好き宣言」をしたことが、鮮烈に印象に残っている。彼らの2枚目のシングル『涙のリクエスト』が、番組のランキングで5週連続1位を獲得した際(84年4月26日)にそれがなされたのである。
 曲の冒頭では『ゴジラ』第1作の名場面が流れ、間奏部分ではスタジオに用意された簡素なミニチュアセットを、藤井がメンバーの高杢禎彦――たかもく・よしひこ。のちにスーパー戦隊シリーズ星獣戦隊ギンガマン』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19981229/p1)でギンガマンたちに住み家を提供する青山晴彦(あおやま・はるひこ)役でレギュラー出演している!――らやゴジラとともに破壊する、というパフォーマンスを披露したのである!
 以来、藤井の所属事務所には連日大量のゴジラグッズがファンからのプレゼントとして届けられるようになったそうだ。これは当時の若い世代にゴジラを幅広く再認知させることとなったのであった。


 マニアの「怪獣恐怖論」ではなく、「ただの怪獣映画じゃねえか、こんなもん」といわんばかりの、こうしたパフォーマンスの方が、世間一般に対しては圧倒的に影響力が強かったようには思うのだ。


『宝島84年10月号』&『ニューウェイブ世代のゴジラ宣言』


 当時サブカル誌の中心に位置していた雑誌『宝島』84年10月号(JICC出版局→現・宝島社・ASIN:B07JBVK7DP――90年代にはいつの間にかアイドルグラビア誌へと変貌を遂げてしまったが(笑)――)でも『ゴジラ』が特集されることになった。


 ただ、この特集「ゴジラがくる!」中の「ゴジラ・カルチャークラブ」に寄せられた若手文化人たち―――当時流行した「80年代ポストモダン」・「ニューアカデミズム(現代思想)」の旗手である若手学者・中沢新一浅田彰も名を連ねている!――の声を見るかぎり、当時はいくら「サブ」ではあっても「カルチャー」=文化なのだからと、ゴジラになんらかの「象徴」としての意味を求めていた感が見受けられ、マニア向け書籍の影響を直撃した世代でもあったからか、第1作至上主義の傾向が強い。


 なお、論壇誌などで学者がマジメにジャンル作品を論じた第1号がこの中沢新一であり、『中央公論』83年12月号に掲載された「ゴジラの来迎 もうひとつの科学史」がこれに当たる――『雪片曲線論』(青土社・85年3月1日発行)に収録・ASIN:B000J6VQTO→中公文庫・88年7月9日発行・ISBN:4122015294)――。



 『ニューウェイブ世代のゴジラ宣言』(JICC出版局・85年1月1日発行・ASIN:B00SKY0MJW――「ニューウェイブ」という用語自体がモロに80年代前半である!――)に掲載された「ゴジラ映画30年史」では、まさに当時の「ゴジラ観」を象徴する文面が踊っている。



「(作家)筒井康隆(つつい・やすたか)の疑似(ぎじ)イベントSFを思わせるような、ブラック・コメディの傑作だが、これ以降の怪獣映画が「恐怖」を失った原因ともされる作品である」(『キングコング対ゴジラ』62年・東宝


「怪獣どうしが闘う場所を、広大な空き地にしてしまったのがこの映画の罪である」(『モスラ対ゴジラ』64年・東宝


――以上は、約10年前の本誌バックナンバー『仮面特攻隊2004年号』(03年12月29日発行)にて自主映画監督としても名を知られた特撮同人ライター・旗手稔が中心となった「日本特撮評論史」大特集に採録されていた図版コピーからの引用で、当の『ゴジラ宣言』の書籍自体は手許にないので記憶になるが、当時は大人気タレントのタモリによる、名古屋をバカにするネタがウケていたためか、本作についてはたしか「舞台が名古屋だからダメだ」とも書かれていたような(爆)――


「ついにゴジラにガキまでできた。もうゴジラもダメである」(『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』67年・東宝


ゴジラシリーズ最低の内容である。福田純(ふくだ・じゅん)監督にとって映画作りは、生計の手段でしかないのだろうか。その彼が、この映画ではシナリオまで書いているのだから頭が痛い」(『ゴジラ対メガロ』74年・東宝



 「怪獣恐怖論」のみならず、「怪獣映画では都市破壊が描かれねばならない」とか、「子供だましはダメ」だという、当時のマニア間での主流だった主張がここでも展開されているのだ。


 しかも、


●故・円谷英二特撮監督=「善」、中野昭慶(なかの・あきよし)特撮監督=「悪」


本多猪四郎本編監督=「善」、故・福田純本編監督=「悪」


●故・伊福部昭(いふくべ・あきら)の音楽=「善」、故・佐藤勝(さとう・まさる)の音楽=「悪」


といった、あまりに素朴で極端な「善悪二元論」により、「善」のスタッフによる作品は「善」であり、「悪」のスタッフによる作品は「悪」である(爆)などという基準が、各作品の評価にものの見事に反映されていたのであった。


――「過去の作品から映像を大量に流用している」とか、「子供が主人公である」といった理由により、それまで特撮マニアからは「駄作」扱いされていたハズの映画『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(69年・東宝)が、本書では児童ドラマとしての出来のよさを批評的に解題して語るというよりも、「本編監督が本多猪四郎だから」というロジック(爆)によって、史上初めて「傑作」として扱われていたようにも記憶する。本書ではなかったと思うが、怪獣が1体しか登場しない作品は優れており2体、3体と数が増えていくほど劣っていくという論法などなど、むかしは色々あったよな(笑)――


 当時のマニア間では、こうした妙な尺度により、60年代後半から70年代にかけ、娯楽志向や子供向けの作風が強まり、ゴジラが悪役から正義の味方へとシフトしていった昭和の後期ゴジラシリーズは、「下等」な存在として「断罪」されていったのだ。


1984年12月 ~復活『ゴジラ』公開とその反響


 実は「ゴジラがくる!」や「ゴジラ映画30年史」の構成と文を担当したのは、現在はコラムニストや映画評論家として、マニアの一部では広く知られているであろう、当時はJICC出版局→宝島社の編集者であった町山智浩(まちやま・ともひろ)だったりする。


 ところで町山が翻訳(超訳?)を担当した、『オタク・イン・USA(ユー・エス・エー) 愛と誤解のAnime輸入史』(太田出版・06年8月9日発行・ISBN:4778310020ちくま文庫・13年7月10日発行・ISBN:448043061X)では、著者のパトリック・マシアスが、『ゴジラ』(84年・東宝)について、以下のように評している。



「うーん、確かにかったるくて意味なく重い映画で、自分勝手にシリアスで、(ヒロインを演じた)沢口靖子(さわぐち・やすこ)の聖子ちゃんカット――当時の人気アイドル・松田聖子(まつだ・せいこ)に似せた髪型――は巨大すぎる」



 この指摘、ほぼ、いや、完全に的を得ている(爆)。


 ちなみに、『オタク・イン・USA』の著者のパトリック・マシアスは、雑誌『Otaku(オタク) USA Magazine(マガジン)』の編集長である。氏は6歳のときに深作欣二(ふかさく・きんじ)監督の「SF」映画『宇宙からのメッセージ』(78年・東映)を観たのを機に、日本の特撮・アニメ・マンガにハマってしまい、今日(こんにち)に至っている。
 なお、この『宇宙からのメッセージ』は全米で程々にヒットを飛ばしたにもかかわらず、国内での興行は失敗に終わっている。国内での失敗について、先に挙げた『大特撮』では、本作が『スター・ウォーズ』のブームにあやかった「借りもの」の映像作品だからであり、「オリジナリティ」に欠けていたから、などと分析している。
 だが、それならば『スター・ウォーズ』の本場であるハズのアメリカで「パクリ」と非難されるどころか、むしろヒットしてしまった理由の説明がつかないワケであり、問題の本質はもっと別の部分に存在したのではなかろうか? なにせ同じころにヒットしていた映画『スーパーマン』(78年・アメリカ 日本公開は79年)と「語感が似ている」(爆)として輸入された『スペクトルマン』(71年・ピープロ フジテレビ)が好評を得てしまったほど、アメリカではブームにあやかった「借りもの」は立派に通用していたのだから(笑)。


 上は20代後半に達したマニアたちのゴジラ復活運動と、サブカル界で起きたムーブメントが80年代前半に渾然(こんぜん)一体となって盛り上がったことにより、遂に84年末、ゴジラは復活した。観客動員数360万人、84年度の邦画興行成績では第2位を記録するなど、興行的には立派に成功をおさめた。


 にもかかわらず、この花火を一発打ち上げただけで、せっかく巻き起こった「ゴジラ・フィーバー」――表現が古いか?(笑)――は急速に萎(しぼ)んでしまい、単なる一過性のブームに終わってしまったのである。続編は元号が「昭和」から「平成」と変わった年に公開された映画『ゴジラVSビオランテ』(89年・東宝)に至るまで、5年間も製作されることはなかったのである。


 マニアたちは「第4次怪獣ブーム」が「幻」に終わってしまったことをおおいに嘆いたものであった。「怪獣恐怖論」を忠実に反映し、「こわい」「悪役」のゴジラが描かれたハズなのに、どうしてそうなってしまったのか?


 それどころか、当時の『宇宙船』では、確かこれは特撮ライター・聖咲奇(ひじり・さき)の発言だったと思うのだが、


「少なくともこれはマニアが望んでいたゴジラではない。そのことはハッキリしていると思う」


って、オイ!(笑)


 マニアが望んでいたように、せっかく東宝が「こわい」「悪役」のゴジラをつくってくれたのに、それが「マニアが望んでいたゴジラではない」って、どういうこっちゃ?(爆)



「物書き仲間には、「ひどい作品でも褒(ほ)めないと興行的に失敗するかもしれない。そうなったら、日本から特撮の火が消える」と主張する人達もいた。しかし、僕にはとても納得出来なかった。くだらんものは、くだらんのだし、そういうジャーナリズムの無責任が特撮映画の質の低下につながったのではなかったか」

(『宇宙船』Vol.72(95年春号)(95年6月1日発行)・聖咲奇



 これは10年飛んで95年の発言だが、96年のゴジラ書籍で、自分たちのかつての「戦略」の「失敗」を潔(いさぎよ)く認めていた中島紳介とは、あまりにも対照的である。


 84年版『ゴジラ』の不評の原因は色々な要素が複合しており、「怪獣恐怖論」を作劇に採用したからダメになったのだ、などとはもちろん単純には云えない。だが、少なくとも聖は、作品を「くだらん」というレッテル貼りの一言で片づけず、せめて、「怪獣恐怖論」という「戦略」が、「万能」ではなかったことにも思いを馳せて、そこをこそデリケートに腑分(ふわ)けして分析、言説化していくべきであったと思える。それこそが、ジャーナリズムの「責任」ではなかったか?


1960~80年代 ~ゴジラ東宝特撮・イン・USA


 さて、これに関連して、先に挙げた『オタク・イン・USA』の中で、実に興味深い話が紹介されている。


 映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(65年・東宝)、ゴジラ映画『怪獣大戦争』(65年・東宝)、映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(66年・東宝)などを、東宝と共同製作したベネディクト・プロの持ち主だったヘンリー・G・サパスタインの話である。


 サパスタインは映画の放映権をテレビ局に販売する事業を展開していたのだが、1960年ごろ、テレビ局がSF映画をほしがっていることを知り、そこで目をつけたのが東宝の怪獣映画だったのである。


 ロサンゼルスにあった日系人向けの映画館で『ゴジラ』第1作――といっても、「核」に関するくだりをいっさい削除し、アメリカ人俳優のレイモンド・バーが出演する場面を追加した『Godzilla, King of the Monsters!』(56年・57年に日本公開・邦題『怪獣王ゴジラ』)の方であり、オリジナルの第1作が全米で初公開されたのは、実に初封切から50年目の2004年のことである――を試しに観たサパスタインの目に映ったのは、東京の街を破壊し、炎で焼き払うゴジラを、まるで「ヒーロー」に対するかのように、「応援」する観客たちの姿だったのである!


 「反核」の象徴どころか、少なくとも60年ごろのアメリカでは、ゴジラは「恐怖」の対象ですらなかったのである!


 サパスタインは東宝と契約を交わし、北米におけるゴジラシリーズの劇場とテレビへの配給権、さらにはマーチャンダイジング権すらも手に入れた。


――『サンダ対ガイラ』にクラブ歌手役で出演しているキップ・ハミルトンなる女優は、サパスタインの恋人だったとか(笑)。なお、本文では「彼女はガイラに食べられてしまうが」と書かれているが、これは誤り。ガイラの手に握られるものの、光を嫌うガイラに照明があてられたことにより、間一髪難を逃れているのだ。もっとも同じ誤りは往年の書籍『大特撮』も犯していたが(爆)――


 そして先に挙げた3作品を共同製作するに至るのだが、『怪獣大戦争』の際、氏は東宝に以下のようなアドバイスをしたというのである!



ゴジラを明快なヒーローにするべきだ。何かのややこしいメタファーじゃなくて。もし私の言うとおりにすれば、ゴジラは世界的ブームを巻き起こすだろう」


「古典的な勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の話がいい。ゴジラは10ラウンドまで敵に打たれ続けるけど、最後に逆転勝利するんだ」



 『怪獣大戦争』以降のゴジラシリーズが、人類の「味方」という側面を強くしていったことを思えば、時期的にはこれはピッタリと符合する。また、映画『ゴジラ対ヘドラ』(71年・東宝)や、映画『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』(72年・東宝)のクライマックスにおいて、公害怪獣ヘドラやサイボーグ怪獣ガイガン――かつては腹部の回転カッターが「幼児でも思いつきそうなアイデア」と酷評されていた(爆)――に大苦戦した末に勝利するゴジラの姿は、まさにサパスタインがアドバイスしたとおりなのである!


 60年代半ば当時、政府が支援をしてまで、輸出による外貨獲得のために特撮映画が盛んに製作されていたという背景を考えれば、東宝ゴジラシリーズの方向転換をしたのは、怪獣映画の観客に占める子供の比率が次第に増えていったこと、『ウルトラQ』『ウルトラマン』を筆頭とする第1次怪獣ブームも起きたからそれに合わせたということが主因であろうが、サパスタインのアドバイス東宝首脳陣たちの心の隅っこにあったからこそ背中を押したのではないか、と思えてくるのである。ゴジラが「核」のメタファー(隠喩(いんゆ))から、「勧善懲悪」のヒーローへと変貌を遂げたのは、世界的ブームを巻き起こすためであったのか!?(笑)


 マニア第1世代はそうした事情は知る由(よし)もなかったであろうが、少なくともこれによって、ゴジラの海外への販売・浸透ははるかにやりやすくなったハズである。


 もしサパスタインのアドバイスを聞かずに、どこか愛嬌もある戦う「ヒーロー」ではなく、「反核」「恐怖」としての姿だけを60年代後半以降もずっと貫いていたならば、果たしてゴジラは、世界的に知られるキャラクターに成り得ていたであろうか?


 「昭和」のゴジラシリーズが休止になって以降も、サパスタインはゴジラグッズを販売することで儲(もう)け続けたが、それらはどれもケバケバしいアメコミ調のデザインであり、本物のゴジラにはまるで似ておらず、パチモンみたいな出来であったようだ。しかしながら、84年版『ゴジラ』公開の際、サパスタインが香港のインペリアル社に作らせたゴジラ人形は、1年でなんと300万個(!)も売れたらしい。
 かつて日本でマルサン商店ブルマァクが出していた怪獣ソフビ人形も、派手な原色の整形色に蛍光(けいこう)スプレーが着色されているなど、本物とは似ても似つかない装(よそお)いだったものである。だが、玩具としては実際その方がよく売れたのだ。


 この点に関しても、とかくマニアたちは、派手な原色のケバケバしいデザインの怪獣や超獣を嫌う傾向が強く、黒や茶色などの地味な色合いの怪獣を好んだものである(笑)。だが、派手でケバケバしいコンセプトでデザインされているからこそ、平成ライダーの変身ベルトやスーパー戦隊の合体ロボの玩具はバカ売れしているワケであり、それがまさに作品の人気を不動のものにしているのである。



「私が言いたいのは、ゴジラというのは単なる映画のシリーズではないということだ。ゴジラはひとつの産業なんだよ」



 映画そのものよりも、版権商売の方が儲かるということを、サパスタインはアメリカで最も早く気づいた人物であるとされている。これまで挙げてきた彼の戦術を、日本の映像産業も学ぶべきだと思えてならないものがある。


 そのためには、作品やキャラクターを、あくまでひとつの「商品」である、と割り切る発想が必要なのだ。その数を多く、幅広く売ろうと思えば、それが「マニア」ウケではなく、「大衆」ウケすることが「必須」条件であるのは、云うまでもなかろう。「こわい」ものや、「ややこしいもの」では、販売数を増やすことはできないのである。


1990~2000年代 ~「怪獣恐怖論」の去就


 これは先に挙げた、『キネマ旬報』における61年版の元祖『モスラ』評の中にも、よいヒントが隠されているように思える。


 観客の子供たちの反応として、



「適当にこわがったり、笑ったりしていた」



とあるが、この「適当に」という点がポイントであるように筆者には思える。


 まったく「恐怖」が感じられない怪獣というのも、子供には魅力が感じられないのかもしれず――筆者的には『ゴジラの息子』で初登場したゴジラの息子=ミニラの、あからさまに人間の乳幼児の仕草を表現した、まったく「恐怖」が感じられないスーツアクターによる演技を、「絶品」だと思っているほどなのであるが――、「ある程度」こわがらせてくれる、というのが、キャラクター的にはちょうどいいのであろう。


 これがサジ加減を間違えると……



「怖いゴジラでは集客に自信がなかったのでしょう。その結果、観客動員数は前作と比べ80%も増えたのです。ただし、怖いゴジラハム太郎とでは水と油。ハム太郎目当てにやってきた園児たちが、ゴジラを観て泣き出す騒ぎが続出したため、劇場入り口には注意書きまで張られる始末です」

(『週刊文春』02年6月30日号・映画記者)



 時代が飛ぶが、70年代末期~90年代初頭の特撮論壇で隆盛を極めた「怪獣恐怖論」を、異論はあろうがわりと忠実に継承・体現したと思われる映画『ゴジラ2000 ミレニアム』(99年・東宝)が200万人、続く映画『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(00年)が135万人と、90年代前中盤に大ヒットを記録した平成ゴジラシリーズ休止から4年を経て再開したミレニアムゴジラシリーズは、観客動員数の低迷を続けた。
 その救世主として、当時の子供向け人気アニメ『とっとこハム太郎』(00年)の劇場版を併映するも、「凶暴な悪役ゴジラ」を表現するため、眼球のない「白目」で造形されたゴジラが登場した映画『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年・東宝)は、「怪獣恐怖論」にいまだに固執(こしつ)していた古いタイプ(失礼)の特撮マニアや、マニア向け映画誌『映画秘宝』などではカルト的な評価を得たが、先に挙げたように幼い観客からは「拒絶」されるハメになる。


 すでに少子化が顕著になっていたこの時代、『ハム太郎』を目当てにやって来た幼児たちを新たなファンとして開拓するという試み自体は、将来的な展望からすれば、うまくやれば戦略としては充分に機能するハズだったのである。だが、「こわすぎる」ゴジラは幼児たちのトラウマとなってしまい、新たなファンを開拓するどころか、ゴジラという存在を、この世代にとって「必要のないもの」にしてしまったのだ。
 2014年現在、すでに彼らも10代後半にさしかかっているハズだが、果たして00年代前半に子供であった世代の中でゴジラに思い入れが強いファン・マニアは、90年代までの子供時代にゴジラや怪獣たちに接した世代ほどには、ある程度規模のあるマス層としては存在していないのではなかろうか? 「こわい怪獣映画をつくれば世間に受け入れられる」とした「怪獣恐怖論」は、やはり「幻想」でしかなかったのである。


 その一方、平成ゴジラシリーズで「400万人」(!)という、最高の観客動員数を記録した映画『ゴジラVSモスラ』(92年・東宝)は、いわゆる怪獣の「恐怖」を描いた作品ではなかった。『キネマ旬報』で元祖『モスラ』を評するのに用いられた「おとぎ話」という作風を継承した作品だったのである。


 元祖『モスラ』では、当時の人気女性デュオだったザ・ピーナッツにインファント島の「小美人」を演じさせていた。彼女らを起用することで「歌謡映画」「アイドル映画」としての側面も持たせたことにより、集客に成功したという点は大きいと思える――ちなみに、『ゴジラVSビオランテ』と『ゴジラVSキングギドラ』(91年・東宝)の間に大森一樹監督が構想した流産企画『モスラVSバガン』でも、小美人をバブル期当時の超人気デュオ・Wink(ウインク)に演じさせる想定であったとか(笑)――。


 『ゴジラVSモスラ』でも、当時の東宝シンデレラあがりの新進女優ふたりが小美人=コスモスを演じ、「モスラの歌」を歌唱した。


 モスラが幼虫から生物感あふれる蛾(が)というよりもヌイグルミのパンダのようにモフモフした(笑)成虫へと変貌を遂げる場面では、観客の女子児童――平成ゴジラシリーズの観客層の中心は、ウルトラマンシリーズや東映特撮変身ヒーローの劇場版とは異なり、「幼児」ではなく「小学生」だった!――から「かわいい!」「きれい!」などの「感嘆(かんたん)」の声があがっていたのである!


 もちろん愛玩動物のような平成モスラの造形に対する特撮マニアの批判が当時もあるにはあった。しかしそれに対して、技術やセンスの未熟ゆえではなく、作品自体や造形のコンセプト自体がリアリズム至上ではなくマイルドでファンシーになっていることに気付いて、複雑な気持ちになりつつも、意図的に確信犯でそのように造形・演出されているのだと正しく指摘する者もいて、特撮マニア雑誌『宇宙船』の読者投稿欄などを騒がせていた。


 90年代に入ると特撮マニアも上の方は30代に達して、それより下の若い世代もすでに特撮批評の蓄積が充分ある時代ゆえにスレてきて、自己のそれまでの信念を多少は相対化できるようになったせいか、個人としてはその特撮映像クオリティに必ずしも讃嘆はできなくても、その隣で少女たちが「かわいい!」「きれい!」と称賛する声と、自身の感慨とのあまりにものギャップにアイデンティティが揺らいでいる旨の述懐が、当時の特撮雑誌『宇宙船』のライター陣による合評記事や読者投稿欄などでは散見されたものだ。


 思えば筆者が小学生の70年代中盤のころは、決してマニア気質の強い子供ばかりではなく、ゴジラガメラは当然としてギララやガッパすらも、小学生男子であれば「一般常識」としてクラスの大半の者が知っているのが当然だったのである。そして、当時の筆者たちは、ゴジラガメラ、ギララやガッパが、「こわい」から好きなのではなかったのだ。


●『ゴジラVSモスラ』で描かれた、「リアル」とは対極にある「ファンタジック」な要素
●映画『ゴジラVSキングギドラ』で描かれた、「怪獣」はもちろんだが、「未来人」に「タイムマシン」、「アンドロイド」に「メカキングギドラ」といった、「男の子」であれば「ワクワク」を感じずにはいられない「非日常的」な要素


 オタク第1世代の大勢からは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われた「平成ゴジラシリーズ」が、「小学生」の間に怪獣映画を幅広く認知させるのに成功したのは、まさしく筆者たちも子供のころに夢中になった「スーパーメカ」や「宇宙人」や「南海の孤島・怪獣ランド」に類するものが描かれていたからだったのだ。決して怪獣の「恐怖」なんぞではなかったのである。


 90年代後半に、ゴジラが4年も眠りについている間に登場したアニメ『ポケットモンスター』(97年~)などにマーケットを奪われてしまったのも、かつての怪獣映画には存在したそうした要素を『ポケモン』が継承しているにもかかわらず、その元祖であるハズのゴジラでそれらが描かれなくなってしまったためではないのか?


1990年代 ~平成ゴジラシリーズ時代のゴジラ観の分裂


 こうした新たな「現実」から、マニアの『ゴジラ』観にも変化が見られた。


 インターネットがなかった90年代前半、「平成ゴジラ」の商業的成功に「日本特撮の再興」を夢見た、オタク第1世代よりも下の世代の当時20代のマニアたちは、『宇宙船』やケイブンシャから92~96年に年2回、刊行されていた『ゴジラマガジン』(ASIN:B00BN0GOYC)の読者投稿欄や特撮評論系同人誌などで、「平成ゴジラシリーズ」各作の出来に一喜一憂を表明していた。


 それだけでなく、『ゴジラマガジン』の作品人気投票の読者コメント欄などで、70年代末期~80年代に望まれていたリアル&シミュレーション路線ではなく、SFやファンタジーやチャイルディッシュな方向に傾斜していく「平成ゴジラ」の作風を肯定したり、『ゴジラ』第1作の神格化に疑義を呈して相対化してみせたり、70年代の東宝チャンピオン祭り時代の昭和の後期ゴジラシリーズをも再評価・肯定するような論調も多々見られたのだ。


 しかしながら、『ゴジラVSビオランテ』『ゴジラVSキングギドラ』の監督・大森一樹(おおもり・かずき)の



「“昔はよかった”と言うのはもうよしましょうよ」



という発言が、大勢のマニアから反発を食らったように、自由奔放(ほんぽう)な作風の「ファミリー路線」として製作された「平成ゴジラシリーズ」は、いくら興行的には大成功していても、あるいは『宇宙船』に80年代末期に新たに参加した編集者――のちにアニメ・特撮の脚本家となる古怒田健志(こぬた・けんじ)と、90年代末期以降は『ハイパーホビー』誌で編集者を務める江口水基(えぐち・みずき)――や、本同人誌主宰者に本誌古参寄稿者たちをも含む(爆)『宇宙船』読者投稿欄の常連投稿者たちの一部が「平成ゴジラシリーズ」の奔放な路線を肯定して、「特撮論壇」の風潮がいっときは変わるかのように見えても、当時の特撮マニアたちの大勢にはそれは気に食わないことだったようである。


 先の中島紳介による、かつての自身らの「戦略」が誤っていたとする発言のラストで挙げた例えとは真逆になるが、当時は「視聴率」「興行成績」「玩具売上高」で作品を少しでも語ろうものなら、潔癖(けっぺき)にも「権威主義」「視聴率・商業主義こそ悪である」として罵倒されていたくらいなのである(笑)。
 「平成ゴジラ」の興行が成功したのは「大衆」への「迎合」によるものであり、それこそが「諸悪の根源」であるなどという、現在で云うところの「中二病」的な実に浮き世離れした主張がまかり通っていたくらいなのだから(爆)――特撮マニアのほとんどだれもが、特撮ジャンルの継続には興行成績・玩具の売上高なども大切だよね、ということが充分にわかっている現在とは隔世の感――。



「振り返ってみれば、VSシリーズは、マニアや熱心なファンをターゲットにはしない、ファミリー路線ということだろうか。もちろん、ドキュメント映画のような昭和のゴジラのリアルなモンタージュは、スピーディーな現代の見せ方でないかもしれない。
 昭和から平成に変わって、湾岸戦争(91年)、雲仙・普賢岳(うんぜん・ふげんだけ)災害(91年)、オウム(真理教)の地下鉄サリン事件(95年)など、信じられない光景が次々と報道されるなか、ゴジラのドキュメントのインパクトはもはやそれらに及ばない。現実の事件・事故・災害がはるかに想像力を越えていたからだ。
 そこで、子供たちを飽きさせないため、ゴジラが数分おきに登場する作劇が計算された。ゴジラ自体も生物の息吹(いぶき)をリアルに見せるのではなく、ゲームのキャラクターのように分かり易く描かれた。特に怪獣の出す光線とミニチュアの爆発は、チャンピオンまつり以上に連発された。
 スタッフとマスコミとファンとが遊離した時代……」

(『ゴジラ/見る人/創る人 ―at LOFT・PLUS・ONE トークライブ』(99年12月26日発行・ソフトガレージ・ISBN:4921068453) ヤマダ・マサミ「ゴジラという現象」



 何かのメタファーではない、わかりやすいキャラクターのゴジラが数分おきに登場し――これはオーバーだが(笑)――、派手な光線をブッ放してミニチュアを爆破させて大暴れする!
 これこそがゴジラ最大の魅力であり、それをメインで描くことで、マニアや熱心なファンではなく「小学生」を中心とする観客にウケたことこそ、「平成ゴジラ」が興行的に成功した要因であることがわかっているハズなのに、自分たちが主張してきた「恐怖」だの「リアル」だのとは相反する要素で「平成ゴジラ」が成功したことに対し、やはり当時のマニアの大半は素直に受け入れることができなかった、というところであろうか?


 ヤマダが構成・執筆を担当した、「特撮」や「SF」ですらなく「幻想映画」という斬り口で東宝映画のあまたのジャンル系作品群にアプローチした竹書房の『ゴジラ画報 ―東宝幻想映画半世紀の歩み』(93年12月9日発行・ISBN:4884752678→『GODZILLA』1998年版公開に合わせて増補『ゴジラ画報第2版』98年7月発行・ISBN:4812404088→『ゴジラ2000』公開に合わせて増補『ゴジラ画報第3版』99年発行・ISBN:4812405815)が刊行され、映画『ゴジラVSメカゴジラ』(93年・東宝)が公開された93年も押し迫ったころ、ひとりのマニア上がりの若手評論家による『ゴジラ』第1作至上主義を暴走させた書籍が物議(ぶつぎ)を醸(かも)し出すこととなった。


 それは『さらば愛しきゴジラよ』(佐藤健志(さとう・けんじ)・読売新聞社・93年11月10日発行・ISBN:4643930802)である。



「問題点を指摘する前に、著者の論旨を要約しておこう。著者は「恐ろしい脅威」として象徴的なリアリティーを持つ怪獣を


①人間社会にとって外部的(非日常的で異質)


かつ


②人間社会を襲撃し、大規模な破壊をもたらす存在


と定義したうえで、「正統的な怪獣映画」とは、そういった怪獣が「人間の正義と力によって撃退される物語」としている。


 そして歴代すべてのゴジラ作品の対立の図式を分析しながら、昭和29年の第1作では満たされていた前記の条件がいかにして崩壊していったかを論証しようとする。


(中略)


 結局、著者はゴジラを愛しながらも、自身の中で第1作しか認知することができないのである。ジレンマに苦しみそれを正当化するために以降の作品を否定し支配しようともがいているのだ。その心情は実は非常によく解る。


 なぜならそれは、84年の復活ゴジラ以前のファンダムに広く見られた感情だからだ。当時のファンダムには、第1作を至上とするファンの比率も高く、ゴジラの一般的な評価もこれからという時期だったため、ゴジラ作品は第1作たるべしという認識が支配的だった。そのため後期の作品がお子様ランチと呼ばれて必要以上に過小評価されることも多かった。第1作をリアルタイムで鑑賞した世代にとってそれは正論である。
 だが、昭和41年生まれ――1966年生まれ――の著者がこの世代の感覚を持ち得るはずがない。昭和30年代以降に生まれた世代のほとんどが愛していたのは子供のころ親しんだ対決路線、もしくはまさにお子様ランチと呼ばれる後期シリーズのゴジラだったのだ。それらの作品が無ければ、現在ゴジラがこれ程多くのファンに支持されていただろうか?
 それはいい歳をして怪獣映画などに夢中になっている自分を肯定できないいらだちの表れでもあっただろう。時代的に、ファンがまだ大人として自分の中の幼児性を客観視することに慣れていなかったが故(ゆえ)の苦しみだったのだ。
 権威主義的な映画ジャーナリズムの中で唯一正当に評価されていた昭和29年の『ゴジラ』――引用者註:先に挙げてきた1950~70年代後半までの『ゴジラ』の評価を思えば、これはやや正確さには欠ける指摘であるようにも思えるが、70年代後半以降はその評価を「不朽の名作」であるかのように盤石(ばんじゃく)にしていったのも事実だろう――を免罪符にし、後期作品をいけにえに捧げることが救済の道だった。この行為の繰り返しが『さらば愛しきゴジラよ』の正体である」

(『宇宙船』Vol.67(94年冬号)(94年3月1日発行)『「ゴジラ論」10年の呪縛(じゅばく)を解(と)く。』・古怒田健志



 80年代に怪獣映画の時代は終焉し、すでにゴジラ映画は時代の後ろ盾を失っていると結論づけ、今後のシリーズ制作を発行年に27歳になった佐藤は完全に否定。そのくせ、失礼ながらあまり出来がいいとは思えない自作の長大なシノプシスを掲載し、これをシリーズを終結させる作品として映像化したら大成功する! などと自画自賛する始末(爆)。


 佐藤は『さらば愛しきゴジラよ』を上梓した93年の前年92年にも『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋・92年7月25日発行・ISBN:4163466606)を刊行。今ではともかく当時はとても珍しかった、「戦後」や「戦後民主主義」を批判・相対化もしてみせる右派的な論客の走りとして実質的なデビューを果たした。右派的な観点から、それまでのアニメや特撮の評論における常識・スタンダードを引っ繰り返していく論法はとても鋭いものがあり、見るべきものもおおいにあったと思うが、それはまた左派的なマニアの反発をおおいに買う内容のものではあった。


 とはいえ、そんな逆張りを得意とする佐藤でもまだ、『ゴジラ』第1作至上主義や第1期ウルトラシリーズ至上主義、ひいてはドラマ性やテーマ性至上主義、ハードでシリアスな作風の至上主義といった、往時主流であった原理主義的なテーゼ自体の相対化・逆張り(笑)はできていなかったようである。


 よって、特撮作品の政治思想的な内実――反核反戦や平和主義など――が「近代」や「戦後民主主義」の理念にいかに合致していたかを強く主張して擁護する手法を、佐藤が小バカにするかのごとくそれらは偽善であり欺瞞であり米軍への奴隷的依存であるとして全否定をしてみせる論法で、旧来の特撮マニアたちからの反発を買う。その逆に、『ゴジラ』第1作至上主義の呪縛から逃れ始めた一部の若い特撮マニアたちからも、佐藤は旧態依然とした守旧的な『ゴジラ』第1作至上主義であるという一点でもって反発を買ってしまう。


 つまり、真逆でもある新旧2方面の特撮マニアたちから、『さらば愛しきゴジラよ』は案の定、感情的な猛反発を食らってしまったのであった。


――かといって、後述するヤマダ・マサミのように、当時の『ゴジラ』関連の全書籍を紹介したその著作『ゴジラ博物館 ―世界初のゴジラアイテム40年史』(アスペクト社 94年11月1日発行・ISBN:4893662953)から、右派的な佐藤健志の著作いっさいをあえて除外、黙殺した行為は大いに問題だろう。そういう行為は右側からのファシズムならぬ、左側からのファシズム全体主義・言論封殺なのであって、学術的な専門用語では「スターリニズム」と呼称される批判されてしかるべき振る舞いなのであった(汗)――


 佐藤より2歳年上の1964年生まれで当時、『宇宙船』編集者であった古怒田は、


「時代遅れなのはゴジラではない。佐藤健志さん、あなたのファン意識なのだ」


と結んでいる。


 ただこの当時、マニアの世代交代やマニアの一部に急速な意識の変化が実際に起こっていたのだとしても、翌95年に公開された怪獣映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年・角川大映)が特撮マニアの間で大絶賛され、「平成ゴジラ」に対するバッシングが一斉に巻き起こったことを思えば、ファン意識が「時代遅れ」だったのは佐藤だけではなかったように思える。


 そもそも、古怒田自身が94年初頭に発表した先の論考のちょうど3年前、本同人誌主宰者が90年12月に発行した、車に乗りレーザーブレードを必殺技とし三段変身もして、「こんなの『仮面ライダー』じゃないやい!」(爆)と当時の特撮マニアたちから猛烈なバッシングにさらされた『仮面ライダーBLACK RX(ブラック・アールエックス)』(88年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001016/p1)を肯定してみせた同人誌『太陽の子だ!』を、91年初頭の『宇宙船』の同人誌欄で紹介する中で、


「最終展開に触れずにケンカ売ろうっていうのは虫がよすぎるんじゃないのか」


などと編集者が一介の投稿者に対して「暴言」を吐いていたではないか?(笑)


 救われるべき怪魔界50億の民もろともに敵首領を滅ぼして、大物議を醸した『RX』の最終回に一切触れないで、『RX』の同人誌をつくってみせた若き日の本同人誌主宰者のセンス(暴挙?)もたしかにドーかしていたとは思うけど(爆)。


 というか、94年初頭の時点では先進的でも、少なくとも80年代末期~90年代初頭の古怒田は先の佐藤健志同様、『仮面ライダー』観にかぎらずその『ゴジラ』観についても、当時の『宇宙船』各号で手懸けた各記事での記述を読むかぎり、ファン意識の面ではまだまだ「古い」人だったはずである(苦笑)。


――この時期、「怪獣恐怖論」も、84年版『ゴジラ』の失敗を受けてか、若干の進展が見られた。「恐怖」とは「未知の脅威」に対する「一回性」のものであり、だから人類がゴジラに「初遭遇」した『ゴジラ』第1作は怖かったのだ。しかし、同じく「怪獣恐怖論」をめざした84年版『ゴジラ』はかの『ゴジラ』第1作の世界に直結する30年後の続編として描かれた。よって、ゴジラは人類にとっては「既知」の存在である。ゆえに「恐怖」が感じられなかったのだ! という論法である。その論法の当否については、読者諸兄の判断に委(ゆだ)ねたい(笑)――


1995年 ~平成ガメラ登場と平成ゴジラへの猛烈バッシング


「今や子供でも失笑する類(たぐ)いの生命感のないぬいぐるみや、金の浪費としか思えない巨大な機械人形の代わりに、『ガメラ』で我々が見るのは、本来の権威を取り戻した大怪獣の姿である。ガメラを見た時、涙が出るほどうれしかったのは、日本でもこんな作品が作れたという事実だった。僕が宇宙船創刊から10年近くかけて書き続けてきた事を、この作品はたった2時間程度で具体的に証明してくれたのだ。長い間、メインストリームであるゴジラに裏切られ続けてきた人民による、これは革命のようなものだと僕は思う」

(『宇宙船』Vol.72(95年春号)・聖咲奇



 あからさまに平成ゴジラを批判したうえで――当時は怪獣のスーツを「着ぐるみ」と称するのがすでに一般的であったにもかかわらず、あえて旧来の云い方である「ぬいぐるみ」と書いているのは、明らかに「侮蔑(ぶべつ)」の意味を含んでいる――、聖は映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』を絶賛した。


 これは決して氏だけではなかった。平成ゴジラシリーズとは相反する、リアルでこわい『ガメラ』こそ、長年求めてきた本来の怪獣映画であるとして、マニアたちは絶大に支持する一方、それを裏切ってきた平成ゴジラを徹底的にバッシングしたのである。やはり90年代半ばの時点では、マニアの「意識改革」は、決して進んでいるとはいえなかったのだ。


 「怪獣映画はかくあるべき」と、聖が「成功例」とした『ガメラ』は、同作の樋口真嗣(ひぐち・しんじ)特撮監督がアニメ誌『ニュータイプ』の連載コラムで女性客が実は少ないと当時明かしていたように、配給収入が20億円前後――21世紀以降の興行収入基準だと40億円前後!――で推移していた平成ゴジラに対し、その半分の10億の壁を突破することができず、営業的には「大成功例」であったとはいえなかった。「怪獣恐怖論」同様、「マニアが観たいと思うものをつくれば、特撮映画は必ず復興する」などという第1世代の主張もまた、根拠のない「幻想」に終わってしまったのである。


――70年代後半から始まる「日本特撮 冬の時代」は90年代中盤まで続いて、平成ガメラの誕生をもって終了したとする意見までもがあるようだが、それはいかがなものだろうか? 平成ゴジラが大ヒットする中、平日夜のゴールデンタイムから日曜朝8時の放映枠に飛ばされて視聴率も下落していた東映メタルヒーローは、90~93年のレスキューポリスシリーズが最高視聴率15%を記録し(!)、同じく金曜夕方に飛ばされたスーパー戦隊も『鳥人戦隊ジェットマン』(91年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110905/p1)と、当時の戦隊マニアは酷評したが高い幼児人気を誇った『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20120220/p1)で10%を突破した。特撮マニア第1世代のお眼鏡には適(かな)わなかったか、視野の外にあっただけで、言説化はされていないけど、90年代前半にも実は平成ゴジラシリーズを筆頭に「特撮ブーム」はあったのではなかろうか?――


 これは翌96年にスタートした『ウルトラマンティガ』(96年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19961201/p1)、『ウルトラマンダイナ』(97年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971215/p1)、『ウルトラマンガイア』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19981206/p1)の「平成ウルトラ三部作」にしても同じことがいえるであろう。「16年ぶりのウルトラマン」などと、世間の飢餓(きが)感を煽(あお)るような触れこみでスタートした『ティガ』は、昭和ウルトラで育った世代が親になる時代とちょうど重なったこともあり、親子二世代のヒーロー作品として、特にバンダイ製関連玩具の売り上げでは商業的にも一応の成功をおさめた。また、そのリアルでアダルトな作風は、マニアの間では圧倒的な支持を獲得したのも事実である。


 だが……



「視聴者層を未就学児童から一気に底上げしたテレビの『ガイア』の特異性は特筆ものだった。まるで深夜枠で見せるようなカルトサスペンスのノリで、ウルトラマンを通じて人間と地球の関係を探っていく一種哲学的なシリーズとなった」

(『ゴジラ/見る人/創る人』 ヤマダ・マサミ「ゴジラという現象」



 『ウルトラマン』で「カルトサスペンス」に「哲学」……(苦笑) 平成ウルトラ三部作は幼児層にも一定の人気を得たとは思うが、『ポケモン』や『遊☆戯☆王』(98年)といった、現在にまでその系譜が継続している、カプセルやカードから「モンスター」を召喚して「戦わせる」、平成ウルトラ三部作よりもはるかにチャイルディッシュな作風のアニメの方が、当時の児童間での「王者」だろう。
 その証拠として、映画『ウルトラマンティガウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』(98年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971206/p1)の配給収入は4億5千万円に留まったが、同年夏に公開された『ポケモン』映画第1作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(98年)の配給収入はその10倍近くの41億5千万円(現在の「興行収入」基準だと75億4千万円!)であったという事実を挙げておきたい。


1998~99年 ~ヤマダ・マサミのトークライブとその観客のゴジラ観。両者間に生じた亀裂


ヤマダ・マサミ「ウルトラを子供からとりあげろ! が合い言葉ですから」
開田あや「子供にはもったいないよ」


 新宿・歌舞伎(かぶき)町のロフトプラスワンで、ヤマダ・マサミが特撮映画をテーマにしたトークライブを主催するようになったのは、98年1月からのことであった。


 98年6月、平成ウルトラ三部作で異色作を連発していた川崎郷太(かわさき・きょうた)監督――ゴジラ映画『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年・東宝)の劇中番組ではないが、「あの方(かた)はどうしているのでしょう?」(汗)――をゲストに招いて開かれた「いまどきのウルトラマン」は、濃いマニアたちよりも「女性客」の姿が目立ち、当のヤマダ自身が驚いたという。それまでには見られなかった新しいファン層を獲得し、裾野(すその)を広げたことが、平成ウルトラ三部作の功績のひとつではあった。


 だが、翌99年5月1日開催の「朝までウルトラ」でかわされたのが、先のヤマダと開田(かいだ)あや――マニア第1世代のイラストレーター・開田裕治(かいだ・ゆうじ)夫人――の会話である。新たな鉱脈を築いたのはよいが、それまでの最大の支持層だった「子供」たちから、ウルトラをとりあげたらダメだろう(笑)。この「子供からとりあげろ」発言に対しては、老舗の特撮サークル「日本特撮ファンクラブG」の当時の会報での主要メンバーによる記事でも批判的に言及されていた。



「子供にとって怪獣との出会いは通過儀礼だ。しかし大人になってこそ特撮映画は楽しめる」

(『ゴジラ/見る人/創る人』 ヤマダ・マサミ「ゴジラという現象」)



 ここには、「大人」になっても特撮映画や怪獣やアニメなどを楽しんだり執着してしまったりするのは、我々のようなアダルトチルドレンだけかもしれない、それはそれなりに優れた特性かもしれないけれど、同時にひょっとしたら何らかの人格的な欠陥かもしれない、少なくともそんな可能性があるかもしれない……などというような自己懐疑・自己相対視が微塵(みじん)も見られない(笑)――むろん、そんな「趣味」や趣味にかまけてしまう「自分」のことを、過剰なまでに卑下する必要もないけれど――。


 アラフォー(40歳前後)に達していたヤマダも開田夫人も、99年の時点においてさえ、古怒田が云っていた自分の中の「幼児性」を客観視できてはいなかったのである。


 これらのイベントに、大ヒットロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110827/p1)で有名な庵野秀明(あんの・ひであき)監督が突如乱入して、


「『ウルトラマンタロウ』は面白いので観てください!」


と主張して去っていったという例外的な椿事(ちんじ)が、ヤマダ自身の『ホビージャパン』誌・連載コラム「リング・リンクス」でも写真付きで明かされたというような突発的な例外事項もあるにはある。


――70年代前半に放映されて長年マニア間では低評価に甘んじてきた第2期ウルトラシリーズの再評価は、特撮評論同人界ではすでに80年代には始まっていた(「特撮評論同人界での第2期ウルトラ再評価の歴史概観」:https://katoku99.hatenablog.com/entry/20031217/p1)。しかし、一般的な特撮マニア間では00年前後になってもまだまだ低評価に甘んじることが多かった、それも特にチャイルディッシュな作風であった『ウルトラマンタロウ』(73年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20071202/p1)を、よりにもよって第1期ウルトラ至上主義者の牙城であるヤマダ・マサミ主宰のイベントの場でワザワザ持ち上げてみせるとは!(笑)――


 とはいえ、一部の(大勢?)特撮マニアたちがこうした主張を00年代初頭になっても断固として貫き通して、そしてそれを作品の側でも一部採用してしまったがために、ゴジラやウルトラは子供たちから本当に「とりあげられる」こととなってしまったのである……



「平成シリーズを振り返ると大森さんが89年の『VSビオランテ』で新しいゴジラ像を作ったと思うんです。しかし、それ以降のゴジラ映画になると、どこから観てもゴジラが出てるという子供を飽きさせないためのつくりが特徴としてあって…… 大人の視点からみるとゴジラが5分おき10分おきに出るのは、子供っぽく感じるんで、僕はもう少しドラマをしっかり見せるゴジラを観たいなと思います」

(『ゴジラ/見る人/創る人』 ヤマダ・マサミ「ゴジラ復活祭・トークライブ」)



 同じ「大人」でも「コアなマニア」と「ヌルい一般層」の対極的な両者がいることを区分けできずに、当時の東宝映画プロデューサー・富山省吾(とみやま・しょうご)に、こんな主張を平気でぶつけてしまうくらいだからなぁ。


 特撮評論同人界ですら1990年前後には、「マニア向け」作劇を懐疑する視点、逆に「子供向け」「一般向け」作劇を評価するという風潮が誕生して、90年代前中盤にはもうそういった論調が主流となっていたというのに……――特撮マニア雑誌の読者投稿欄レベルだと、まだまだ「子供向け」作劇の賞揚という意見は極少だったけど(汗)――。


 スーパー戦隊や近年の平成ライダーは、冒頭からヒーローや怪人が5分おき10分おきに出てきても、ドラマもしっかりと見せることに成功、バトルの最中でも会話をさせることでドラマを継続させることにも成功しており、だからこそ長年に渡って支持を集め続けているのである。それを思えば、多少チープでラフな作風であろうと、平成ゴジラの手法は極めて正しかったということが実証されているようなものである――そういえば、ゴジラの登場が遅ければ遅いほど作品として優れているという論法もむかしはあったよな(笑)――。


 映画『ゴジラ2000 ミレニアム』の製作が正式決定したのを機に、ヤマダはロフトプラスワンで「ゴジラ復活祭」と題したトークライブを、99年に隔月で計6回開催した。平成ゴジラシリーズが公開されていたころを、「スタッフとマスコミとファンとが遊離した時代」としたヤマダが、スタッフとファンに同じ時間と空間を提供することで自由闊達(かったつ)な意見交換をさせ、ホビー誌やマニア誌の自らの連載コラムでそれをレポートするという試みは、まだインターネットが黎明(れいめい)期であった時代を思えば、たしかに画期的ではあった。



 「ゴジラ復活祭」では、会場に来たファンが富山プロデューサーに直接要望を伝えることができた。しかしその中には、ヤマダのように「ドラマが見たい」ではなく、ヤマダの意向に反して(?)、70~80年代の特撮マニアにはありえなかった、「反核」の象徴・「怪獣プロレス」批判というドグマを相対化する、以下のような意見も見られたのである。



「今度の新しいゴジラでは、ゴジラが水爆、核から生まれたことにどのくらいまでこだわるおつもりなのか。もうあまりこだわらなくてもいいんじゃないかと思ってるんですが」


「平成になってから、どうも怪獣同士の取っ組み合いが少ないような気がするのですが。例えば、ガバラを一本背負いしたり(会場笑)、キングコングに蹴りを食らわせて崖から突き落としたりですね、あれやっぱりいいんですよ。ああいうのをやってほしいなと思うんですが」


「僕はゴジラアンギラスが特に好きなんです。平成ゴジラアンギラスが復活するかと楽しみにしてたんですけど(会場笑)、無理でした。今度アンギラスが出てくるということはあるんでしょうか。取っ組み合いもあるとなるとアンギラスなど適任だと思うんですけど」



 これらは99年3月18日に開催された第1回のライブでファンから出た意見だが、この時点ではゴジラスーツアクターはまだ正式には決定してはいなかった。



「怪獣は大好きでした。ただおれはウルトラマンが好きだったんですよ。ウルトラマンになりたくて東京に出てきたんですけど、なれなかったんです。JAC(ジャパン・アクション・クラブ)はそういうのはやっていなかったし」

(『ゴジラ/見る人/創る人』 喜多川務「ゴジラは入る人を選ぶ」)



 ミレニアムゴジラシリーズでゴジラを演じることとなったのは、『バトルフィーバーJ』以来、90年代半ばくらいまでのスーパー戦隊シリーズスーツアクターを務めてきた喜多川務(きたがわ・つとむ)であった。氏は1957年生まれの第1期ウルトラ世代であることから、ウルトラマンになりたくて東京に出てきたというのは、充分にうなずけるところである。
 氏を起用したことで、ドラマ面や作風はともかく、特撮怪獣バトル演出においては、たとえば『大怪獣総攻撃』における箱根(はこね)での対バラゴン戦や、映画『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(03年・東宝)における対メカゴジラ戦など、実に印象に残る怪獣同士の派手な取っ組み合いが描かれるようになったのは喜ばしいかぎりだ。ひょっとしたら、先の「取っ組み合いをやってほしい」なるマニアの要望が、反映された成果かもしれない!?
――かつては怪獣映画の幼稚化の根源のように批判されてきた昭和ゴジラの「怪獣プロレス」を、平成ゴジラが避けてスマートにバトルしてみせれば、今度は「光線作画の垂れ流しだ!」などと批判するように変わり身してしまう特撮マニア連中もつくづくワガママな存在ではあるが(笑)――


 『大怪獣総攻撃』に「護国聖獣」として登場したモスラキングギドラも、当初案では実はアンギラスとバラン(!)であったという。興行側からの「もっと知名度がある怪獣を」との要望により、モスラキングギドラに差し替えられてしまったのであるが――たしかに客寄せ面では賢明な判断ではあった(笑)――。


 アンギラスの復活は、映画『ゴジラ対メカゴジラ』(74年・東宝)以来、実に30年ぶり(!)のこととなった映画『ゴジラ FINAL WARS(ファイナル・ウォーズ)』(04年・東宝https://katoku99.hatenablog.com/entry/20060304/p1)まで待たねばならなかった。
 先のマニアの悲願(笑)がここでようやく達成されたのであるが、「チャンピオンまつり」世代の筆者としては、『対ガイガン』や『対メカゴジラ』にゴジラの相棒として登場したアンギラスには思い入れも強かったワケであり、たしかに再登場を強く願っていたものであった。「ピャ~オ」というかわいい鳴き声もたまらんではないか?(笑)


 好きな怪獣を出してほしいとか、怪獣同士の取っ組み合いが見たいとか、ビジュアル面の充実に対する要望が反映される分には、この「ゴジラ復活祭」なるトークライブは非常に意義深いものとなったかと個人的には思われる。


――時期はこのトークライブの数年後となるが、「怪獣プロレス」を展開した昭和の後期ゴジラシリーズを数多く演出した福田純監督が逝去された折り、朝日新聞01年1月22日の文化欄「惜別」コーナーの求めで、生前の福田が「後期ゴジラ批判」を気にしていたとの記者の言に、マニア第1世代の特撮ライター・竹内博は「でも今見ると結構面白い」とコメントしている。故人へのリップサービスも当然あろうが、氏もかつての昭和の後期ゴジラシリーズ批判の見解を改めて心変わりをしているさまも伺える一節だ――


 ただ……


2000年代 ~平成ガメラ要素のミレニアムゴジラシリーズへの投入


「これは東宝のファミリー路線とは相入れないと思うんだけど、ぼくは昔からどんなにうまくミニチュアが壊れても、死の恐怖が描かれているかどうかが凄く気になるんですよ。


(中略)


 だから『VSビオランテ』の(故・)峰岸徹(みねぎし・とおる)さんや『VSキングギドラ』の土屋嘉男(つちや・よしお)さんが死んだときは嬉しかった(笑)。でもああいう特別な人じゃなく、無辜(むこ)の民(たみ)の死を描いてほしいなというのあるんですよ。何で戦後まだ9年目の人々が、自分たちが復興した暮らしをメチャクチャにしてしまうゴジラに拍手したのかもう一度考えてみるべきだと思う。だって普通に考えれば、自分たちが殺されるわけですから」

(『ゴジラ/見る人/創る人』 切通理作(きりどおし・りさく)「ゴジラ復活祭・トークライブ」)



 『ミレニアム』のラストで阿部寛(あべ・ひろし)が死んだのも、氏にとってはきっと嬉しかったのだろうな(笑)。


 いや、こう考えていたのは、決して氏ばかりではなかったであろう。映画『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』(99年・角川大映)がマニアの間で評判を呼び、『ゴジラ』を平成『ガメラ』的に描くべきだ、とする声が高まりを見せていた。90年代末期から00年代初頭にかけては、まだまだ大半のマニアの意識はそうしたものであったのだ。


 いや、平成ゴジラに対する反発もあってか、再び「怪獣恐怖論」が声高に叫ばれるようになり、それを反映した、いささか過激な作品が生み出されることとなっていった。


 『ガメラ3』ではガメラと宿敵の超音波怪獣ギャオスの戦いに巻きこまれ、夜の渋谷の街にいた人々が多数犠牲になるさまが描かれていた。


 翌00年、『仮面ライダーBLACK RX』以来、久々のテレビシリーズ復活となった『仮面ライダークウガ』(00年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001111/p1)では、敵組織グロンギが「ゲーム」と称して怪人たちが競い合って、毎回、人間を大量に殺戮(さつりく)していたのである。


●警官の眼球をえぐって殺害
●毒針を高度数千メートル上空から発射して人間を刺殺
●トラックをバックで走らせて人間を次々とひき殺す
●バイクからひきずり降ろした人間をひき殺す
●地下街に閉じこめた人々を大量撲殺(ぼくさつ)
●東京23区をあいうえお順に各区9人づつ襲い、5時間で126人を殺害


 いま思えば、「日曜朝」に、よくこんなことをやっていたよなぁ(爆)。


 そして翌01年、平成『ガメラ』シリーズでマニアから絶大な支持を集めた金子修介(かねこ・しゅうすけ)を監督に迎えた『大怪獣総攻撃』では、怪獣たちがガメラ・ギャオス・グロンギのように、大量に人間を殺戮するさまが描かれた。バラゴンが暴走族を、モスラが遊び人の大学生たちを、ゴジラが箱根の観光客を、といった具合に、私的快楽至上主義に走る、いわば「リア充」――オタ趣味やネットではなく、リアル=現実の生活が充実している人間――たちが徹底的にターゲットにされて殺されていった。


 しかも、この際のゴジラには「太平洋戦争の犠牲者」の怨念という、妙な属性までが背負わされていたのである。また、金子監督の意向を受け、品田冬樹(しなだ・ふゆき)が造形したゴジラの目には、「黒目」の眼球が存在せず「白目」だけとなった。これにより、生物・動物である以上はゴジラにも最低限は存在するであろう「感情」もまったく見えなくなり、観客の「感情移入」も拒絶されることで、ゴジラは徹底的な「悪役」を演じることができたのである。
 案の定、『大怪獣総攻撃』はミレニアムゴジラシリーズ中、マニアの間ではカルト的な高い人気を獲得することとなった――もちろん一部では、「これは中二病的なやりすぎの作劇であり、ここまでやると幼児や子供層をゴジラ映画からムダに排除してしまう」と批判する意見もあったことは付言しておく――。


 だが、ここで描かれたゴジラは、正直『ウルトラマンレオ』(74年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20090405/p1)初期に登場した、「通り魔」星人たちと、やってることはほとんど変わりがないように思える。「スーパーヒーロー」としてのゴジラよりも、マニアたちは「通り魔」としてのゴジラを観たかったのであろうか? だが、少なくとも子供たちは、「感情移入」もできないような、「通り魔」としてのゴジラなんぞ、好きになるわけがなかったのである。


 『大怪獣総攻撃』・映画『ゴジラ×メカゴジラ』(02年・東宝)・『東京SOS』を上映した劇場では、『ハム太郎』を観終わった親子連れが『ゴジラ』を観ずに、観ても人々がゴジラに無下に蹴散らされて死んでいく冒頭の残酷シーンだけで子供の情操に悪いと思ったのかワラワラと足早に退場し、観客が半減してしまう現象が数多く見受けられた。そして、それを見越したマニアたちの多くは、『ハム太郎』を観ずに、『ゴジラ』の回から入場していたのである。


 これでは併映どころか、完全に「入れ替え制」である(爆)。それはそうだろう。『大怪獣総攻撃』を、「今回のゴジラはとてもこわいのでご注意下さい」などと、興行側の方から観客に注意喚起(かんき)を促したのだから、以降の『ゴジラ』を親子連れが警戒するようになったのは必然であった。


 『クウガ』の時点では怪人の「怪奇」「恐怖」が強調されていた平成ライダーではあるが、近年の作品ではそうした要素は薄れ、あくまで主役のライダーの活躍の方に重点を置き、明朗・軽快なバトル面を充実させる方向にシフトしてきている印象が感じられる。もしも『クウガ』のような「怪人恐怖論」がその後も継続していたならば、現在まで平成ライダーの人気は果たして持続していたであろうか?


 また、スーパー戦隊の近年の傾向としては、怪人の「怪奇」「恐怖」が描かれることは、ほぼ皆無といってよい。『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)では、もう見た目からしてギャグ系の奴ばかりだったが、『烈車(れっしゃ)戦隊トッキュウジャー』(14年)では、敵組織シャドウが貴族として描かれているからか、見た目は結構スマートでカッコいいデザインなのに、やっていることはギャグという(笑)、新たな怪人の鉱脈の例が散見されるのである。


 そもそも元祖である『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年)からして、機関車仮面・野球仮面・牛靴仮面といったギャグ系怪人が児童間で大きな話題となったことが、放映が2年にもわたるロングランとなった遠因であるように思われるのである。もっとも、放映中に小学4年生に進級した筆者的には、そのギャグ系怪人の登場こそが幼稚に思えて、『ゴレンジャー』を「卒業」する原因になってしまったのだが。「怪獣恐怖論」と同様にこのへんのサジ加減もむずかしい(笑)。


 とはいえ、「怪人恐怖論」を廃しても、変身ヒーロー作品が立派に成立することを、スーパー戦隊は「40年」にも渡って証明し続けているのである! 「怪獣恐怖論」に改めて固執し続けたからこそ、ミレニアムゴジラは低迷を続けた末に、シリーズの打ち切りを招いてしまったのではなかろうか?


ミレニアムゴジラシリーズが連続性・大河ドラマ性を放棄したことの成否


 そして、ミレニアムゴジラシリーズが興行的に低迷した理由がもうひとつある。



「“平成ゴジラ”以降は1作1作が完全な続編になってますよね。たとえば“84ゴジラ”のときのゴジラ細胞を奪い合うとか(中略)、アニメのシリーズ設定のようになってしまって。(中略)完全に世界が続いているのでなく、ゆるい縛りで作ってくれるといいな、という願望があるんです」

(『ゴジラ/見る人/創る人』 切通理作ゴジラ復活祭・トークライブ」)



 切通の願望を実現させたミレニアムシリーズでは、毎回世界観がリセットされてしまい、1作1作が独立した作品となってしまっていた。かろうじて『東京SOS』が、前作『×メカゴジラ』の続編として描かれたのみである。そのくせ毎回『ゴジラ』第1作の続きであることだけは語られており、それ以外のゴジラの物語は、全て「なかったこと」にされていたのである。
――ただし『×メカゴジラ』『東京SOS』では、かつてモスラフランケンシュタインの怪獣ガイラなどの巨大生物に日本が脅(おびや)かされていたことが語られており、特に後者には『モスラ』に登場した言語学者・中條信一(ちゅうじょう・しんいち)を、小泉博(こいずみ・ひろし)が42年ぶりに演じることで、世界観をつなげることに成功していた――


 平成に入ってからのウルトラシリーズもそうであったが、これでは同一世界観の長期シリーズを歴史系譜的に追い続ける楽しみを奪われてしまうのである。それこそが『ゴジラ』と『ウルトラ』の商品的価値が凋落(ちょうらく)した原因のひとつであると思える。
 アメリカでは日本のミレニアムゴジラシリーズや平成ウルトラシリーズとは真逆で、むしろアメコミ(アメリカン・コミックス)原作の超人ヒーロー、アイアンマンや超人ハルクに雷神ソーやキャプテンアメリカらがそれぞれの主演シリーズ映画を持ちながらも、同一の作品世界を舞台としてシリーズを継続させる手法を2008年から継続させており、巨悪に対しては超人ヒーローたちが全員集合して立ち向かう映画『アベンジャーズ』(12年)を商業的にも大ヒットさせて、今もなおシリーズを継続中である。
 そもそも超人ヒーローたちを作品の壁を超えて共演させる『アベンジャーズ』の原作マンガは、今から50年以上も前の1963年に端を発する由緒もある企画なのだ。日本でも『ゴジラ』『ラドン』『モスラ』といった単独で主役を張っていた怪獣たちが『三大怪獣 地球最大の決戦』(64年)では共演したり、遂には東宝特撮映画に登場した怪獣たちが大挙して登場する『怪獣総進撃』(68年)といった映画が1960年代にはつくられていたのだ。初代『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の世界観はつながっていなかったが、『帰ってきたウルトラマン』にウルトラセブンをゲスト出演させたことで、それまでのウルトラシリーズが同一世界での出来事となったような処置も1970年代初頭には施(ほど)されてきたのだ。
 昭和のゴジラシリーズを始めとする初期東宝怪獣映画や昭和のウルトラシリーズこそが、『アベンジャーズ』と同じようなクロスオーバー作劇に奇しくも独力で到達していたのだから、21世紀の今日こそゴジラシリーズやウルトラシリーズも改めてアメコミ洋画を見習うべきではなかっただろうか!?


 「平成ライダー」や「スーパー戦隊」の新旧ヒーローが共演する劇場版では、旧作テレビシリーズや前作の映画の設定・セリフ・描写を受けた演出が毎回のように描かれている。旧作を知らない観客にもストーリーの理解に支障が生じない範囲での、こうした適度にマニアックな点描(てんびょう)としての連続性にはニヤリとさせられるし、シリーズを追い続けることの動機付けのひとつにもなっている。だからこそこの少子化の時代に少しでも子供たちの卒業を遅延させたり、移り気な女性ファンたちにも数年に渡って支持されることができている。にもかかわらず、「ゴジラ」と「ウルトラ」はそれを放棄(ほうき)したことにより、人気と関心を長期に渡って確保しにくくなっている面もあると思う。


 「怪獣恐怖論」の今さらの過度な強調と「連続性」の放棄により、ミニレアムゴジラシリーズは平成ゴジラシリーズよりもアダルトな作風で作劇上の隙(すき)や粗(あら)もはるかに少なかったハズなのに、シリーズをまたいで次作や前作をも鑑賞する子供や若いマニア予備軍の固定ファン・お得意さまの開拓にも、完全に失敗してしまったのであるった。『ハム太郎』を目当てに劇場に足を運んだ世代も、今や10代半ばから後半に達しているであろうが、その中でミレニアムゴジラシリーズに強い想い入れがある者は少ないことであろう。同じころに人気が絶頂となった平成ライダーに夢中になり、現在でもファンを続けているという者はいくらでも存在するというのに……


 そうなのだ。当時の子供たちの大半もそうであったが、マニアたちもまた、低迷するばかりで実績を出せない「ゴジラ」や「ウルトラ」に見切りをつけてしまい、「平成ライダー」やそれとともに勢いを盛り返してきた「スーパー戦隊」へと、このころから興味の中心が移り変わってしまったのである。マニアの世代交代やインターネットの普及などの要因もあるだろうが、商業誌や同人誌といった紙媒体において、ゴジラ論が展開されることは、それ以前と比べて激減してしまったことは確かである。しかも、30数年前に雑誌やムックで読んだゴジラ論はいまだに記憶しているものがあるほどなのに、この00年代当時に書かれたものの中には、個人的には印象に残っているものがほとんどないのは、筆者の加齢に起因するだけではないだろう。


2014年 ~『GODZILLA』来航


 90年代には『宇宙船』が年末になると、「ゴジラの本はこれだけ出たのだ!」と題して、その年に出版された何十冊にも及ぶゴジラ本を紹介していたものだが、すでにゴジラについて語ることは、マニアたちにとって「トレンド」ではなくなってしまったのである。


 『ゴジラ FINAL WARS』でシリーズが打ち切られてから、早いもので10年になる。映画『メカゴジラの逆襲』(75年・東宝)から84年版『ゴジラ』の間に生じた長いブランクと、ほぼ同じほどの年月が経ってしまった。だが、あのころ積極的に行われた再評価や、復活に向けての熱心な運動といった主立(おもだ)った動きは、この10年間、ほとんど見られることはなかったのである。



「映画の初期に、かつてトリック映画と呼ばれていたもの、たとえば児雷也(じらいや)が印を結ぶと大ガマになるとか、そんな忍術映画みたいなものの延長で怪獣映画って存在しているとも思うんですけど、つまり「見世物(みせもの)」ですよね。最初の『ゴジラ』のすごいところって、当時ゲテモノとも呼ばれていた類いのものに、メッセージ性やドラマ性を盛りこんだことで、完成度の高い名作映画として成り立っているところです。でも、本来の怪獣映画って、むしろ『ゴジラの逆襲』(55年・東宝)のような、何もないけど、とにかく怪獣が暴れて街が破壊されてスゲエという方かと」

(『特撮映画美術監督 井上泰幸』(キネマ旬報社・12年1月11日発行・ISBN:4873763681)「座談会 現役クリエイターが語るミニチュア特撮の魅力」・庵野秀明


 本稿執筆時点の2014年現在、マニア第1世代(第1次怪獣ブーム世代)も50代に突入し、70年代前半の変身ブーム世代(第2次怪獣ブーム世代)も40代中盤、70年代末期の第3次怪獣ブーム世代もアラフォー、90年代前半の平成ゴジラシリーズ世代はアラサー、90年代後半の平成ウルトラ三部作世代も20代に達した、そんな2014年夏。


 遂にゴジラが海の向こうから帰ってきた!



 だが……


●「最高の恐怖」
●「テーマは『リアル』」
●「1954年の第一作『ゴジラ』の精神を受け継ぐ」


 こんな文面が踊る『GODZILLA』2014年版(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190531/p1)のチラシを劇場で見かけたとき、筆者はおもわずコケそうになった(笑)。これではまさに、「いつか来た道」ではないか……


 本誌『仮面特攻隊』では、


・旗手 稔氏による長編論文 「歴代特撮演出家〈作家性〉解析」――新たなる『大特撮』を目指して―― (仮面特攻隊2002年号)


・伏屋千晶氏による長編論文 「スーパー戦隊アクション監督興亡史」――[山岡戦隊]×[竹田戦隊]――  (仮面特攻隊2003年号)


といった特集が、「作家性」といえば脚本家や本編監督のみが注目されがちだった00年代初頭に掲載されていた。


 それまでのテーマ性やドラマ性の解析一辺倒ではない。「特撮演出」「アクション演出」といった、観客が実際にもそこに強烈に「視線」を誘導されている映像・見せ場・ヤマ場そのものを重視しようという文脈からのアプローチであった。そこから逆算して、作品のテーマ・ドラマ・作劇などを語り直していき、「特撮ジャンル」それ自体の本質・特徴・アイデンティティーをも浮かび上がらせようとした、転倒・逆立ちした試みは、当時としてはまさに画期的であり、筆者も含む本誌ライター陣にもおおいに影響を与えていた。


――それらの先駆け的な試みとして、おそらくはこの両名のロジック構築にも影響を与えたとおぼしき、「演出」ではないが「キャラクター」――ヒーロー・登場人物・敵幹部・怪人たち・役者さんや、それらのデザインの「美術的意匠」や風貌・人となり――を軸にして、「キャラクター自体にすでに作品の傾向やドラマ展開やテーマも孕(はら)まれている」と語った、森川由浩氏による長編論文「『仮面ライダー』 キャラクターの成り立ち」(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140407/p1)(仮面特攻隊2001年号)なども忘れがたい――


 そして、それらがその後の特撮マニアたちの意識にも大きな影響を及ぼした……らばよかったのだが、そのような事実は残念ながら見当たらない(笑)。しかし結果的には、その後の特撮作品や特撮マニアの風潮・論調を先取りしていたと思えるほど、現在の観点から見てもこれらは超一級の評論である――同じころに筆者が執筆していた文章は、もう文体も内容もあまりにもフザけすぎており、とても読むに耐えない(汗)――。


 以下につづっていく事項については、特撮マニア間でも明瞭に言語化・意識化されているとは云いがたい。しかし、今となっては、まさにそれら「特撮演出」・「アクション演出」・「ヒーロー」・「怪獣・怪人」・「スーパーメカ」・「スペクタクル」などの映像的な見せ場こそが「特撮」ジャンルの真の魅力なのであって、そこを「ヤマ場」とするために「テーマ」や「ドラマ」や「登場人物」なども配置されるべきなのだ! とでもいったニュアンスの世論が形成されて、「平成ライダー」や「スーパー戦隊」の新作のスタッフたちもそれを反映したかのように、マニア向けなだけの独り善がりな作品には決して堕(だ)させずに、子供・ファミリー・女性層にも多角的な目配せもできている、ある意味ではとても理想的な娯楽活劇・特撮ジャンル作品を、実に巧妙に仕上げてみせることもできているといった、実に「いい時代」になってきてはいるのだ。


 だが、「ゴジラ」の場合、そうした兆(きざ)しがようやく出始める前にシリーズが打ち切られたことにより、以後は現在に至るまで、そうした文脈で語られる機会がないままに、つまりは「前時代的」な「怪獣恐怖論」のままで思考が停止して、それからまた10年もの歳月が過ぎ去ってしまったのだ。


 先のパトリック・マシアスではないが、「フジヤマ・ゲイシャ」といった誤解されたイメージではなく、いまや「ゴジラ」という存在が、日本でどのように受容されているのかさえ、海の向こうまで正確に伝わってしまう時代になっているのである。それを反映して、どのような『ゴジラ』をつくれば最もウケるのかについてを、ハリウッドがそれなりに分析した結果が、今回の「恐怖」・「リアル」・「1954」といったキーワードになったのかとは思えるのだ。個人的には、いっそのこと「チャンピオンまつり」時代のゴジラ作品しか観ていないような、ゴジラが核のメタファーであることさえ知らない、正義のヒーロー怪獣であると思いこんだ人間が、監督だったらよかったのに、と思えるほどである(笑)。


 今、我々には新たな使命ができたように思える。


 たしかに海の向こうにいるマニアたちの頭の中を一挙に変えてしまうような、そこまでの影響力を発揮することは困難かもしれない。


 だが、ゴジラが「反核」だとか「恐怖」や「悪役」や「善悪を超越した神」だとかいう見方や、「大人の鑑賞にも耐えうる」などの物云いは、あくまでゴジラの「本質」ではなく「一面」に過ぎない。長い歴史の中でゴジラを「権威主義的」に持ち上げるために編(あ)み出されてきた「論法」にすぎないのだと、我々は世間を新たに啓蒙(けいもう)していかねばならないのではなかろうか?
――我々はそれらの「論法」を用いて、ゴジラへの「信仰」の強さを競い合う中世キリスト教的な「神学論争」(爆)をしてきたのだともいえるのだ(汗)――


 そもそもゴジラや怪獣とは、恐竜や動物型の巨獣が「ガオガオ」と連呼して闊歩(かっぽ)し、建物を破壊するのを見て「スゲェ!」と歓喜して、闘鶏(とうけい)のように同類とも戦わせて、どちらが強いのか!? といったことに「ワクワク」とするような、いささかに不謹慎で、しかしスプラッタの域に達するような残酷描写は巧妙に回避されてマイルドにされた、きわめて「幼児的」で「プリミティブ(原始的)」な「暴力衝動」の「疑似的発散」こそが最大の魅力なのである。そしてそれこそが、ゴジラの「怪獣王」たる所以(ゆえん)であったとも思えてくるのだ。



「ひとくちに「特撮評論」と言っても、そこには本当に多くの「立場」があります。そして、「立場」が異なれば出てくる結論もおのずと違ったものになるでしょう。「自分」が書いているのは「SF評論」なのか「映画評論」なのか「怪獣評論」なのか「脚本論」なのか「監督論」なのか「メカ論」なのか「俳優論」なのか「サブカル論」なのかそれとも「自分論」なのか。それを前もって明らかにしておくことで、対立や衝突のいくつかは事前に回避することが出来る筈(はず)。ちなみに、私は飽くまでも<特撮演出論>にこだわっていくつもりです」

(『仮面特攻隊2004年号』(03年12月29日発行)「日本特撮評論史」 マニア出現以後の四半世紀~マニア出現以前のプレ特撮評論・旗手稔



 先の伏屋氏や旗手氏の両名は同人活動をフェードアウトされてしまった。しかし筆者は、先の両名の巨人の両肩の上にまたがる小人に過ぎないものの、「ゴジラ」にかぎらず「特撮映画」をあくまでも「特撮演出」「アクション演出」などの「見せ場」・「ヤマ場」を軸にして、「ヒーロー」・「怪獣・怪人」・「スーパーメカ」・「スペクタクル」を経由してから、そうして初めて「ドラマ」や「テーマ」を語っていこうと思うのだ。


後日付記


 2014年夏、CS放送・日本映画専門チャンネルで『ゴジラ総選挙』が行われた。


●6月5日発表の「第一次投票 中間発表」で発表された上位10位にノミネートされたのは、ミレニアムゴジラ1本・昭和ゴジラ4本。平成ゴジラはなんと5本も!


●「第一次投票」(5月5日~6月22日)で決定した4トップは、昭和ゴジラ2本。平成ゴジラ2本。


 この4トップに投票する「決戦投票」(7月1日~7月18日)では、上位2本を平成ゴジラが占めていた!


●「最終プレゼン」~「最終投票」(7月19日)を経て決定した「ベスト・オブ・ゴジラ」は、『ゴジラ』第1作を2位に抑(おさ)えて、平成ゴジラ作品『ゴジラVSビオランテ』が1位に輝いていた!


 まさに平成ゴジラ世代の台頭であり、隔世の感である。


(資料出典調査協力:樹下ごじろう)


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2015年号』(14年12月28日発行)所収『ゴジラ評論60年史』より抜粋)


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