假面特攻隊の一寸先は闇!読みにくいブログ(笑)

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WHITE ALBUM2 ~「冴えカノ」原作者が自ら手懸けた悲恋物語の埋もれた大傑作!

『冴えない彼女の育てかた♭』 ~低劣な萌えアニメに見えて、オタの創作欲求の業を美少女たちに代入した生産型オタサークルを描く大傑作!
『冴えない彼女の育てかた Fine』 ~「弱者男子にとっての都合がいい2次元の少女」から「メンドくさい3次元の少女」へ!
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 2019年10月26日(土)から深夜アニメ『冴えない彼女(ヒロイン)の育てかた』(15年)とその続編『冴えない彼女の育てかた♭(フラット)』(17年)の完結編映画『冴えない彼女の育てかたFine(フィーネ)』が公開記念! とカコつけて……。『冴えカノ』原作者の丸戸史明(まると・ふみあき)が自ら全話の脚本を手懸けた名作深夜アニメ『WHITE ALBUM2(ホワイト・アルバム・ツー)』(13年・原作ゲーム版の初出は10年)評をアップ!


『WHITE ALBUM 2』 ~「冴えカノ」原作者が自ら手懸けた悲恋物語の埋もれた大傑作!

(2013年・PROJECT W.A.2)


(文・久保達也)
(2015年2月2日脱稿)


 美少女ゲーム界隈では相応のビッグタイトルで、自身もヒロインを演じた深夜アニメ版の主題歌『深愛(しんあい)』を歌唱したアイドル声優水樹奈々が、この歌曲を契機に「NHK紅白歌合戦」で2009年から6年連続出演を果たした、1986年を舞台とした恋愛ものの深夜アニメ『WHITE ALBUM(ホワイト・アルバム)』(09年・原作ゲーム版の初出は98年)の続編ではない。そのタイトルだけを冠に掲げた、原作者も異なるまったくのオリジナル作品。


 峰城大付属学園3年E組の北原春希(きたはら・はるき)。彼はコミュニケーション能力も高いけれど軽佻浮薄な男子では決してなく、性格も実に良くて博愛的で公共心・モラルにも富んでいる爽やかな好青年である。
 そんな彼が所属している軽音楽同好会が相次ぐ部員の脱退により、学園祭への参加が危ぶまれてしまう。それをあきらめきれない春希が、同好会に勧誘したふたりの少女との運命的な出会いから物語は始まる。


 軽音楽同好会なんていうと、それこそ軽薄な「ロック命!」みたいな輩を連想するかもしれない――春希の親友で部長の飯塚武也(いいづか・たけや)の方は、ルックスも制服の着崩し方もいかにもそれっぽいが――。
 だが、春希は成績が常に学年順位トップの優等生であり、クラス委員長も務めて、他人や弱者に対する面倒見がよいのに加えて、チョイ悪(わる)の生徒に対しても物怖じせずに対等にクダけた会話もできるような、極めてモラリスティックかつ裁けたタイプの柔和な生徒なのである。
 いや、そうでなければ、本作のような物語は決して成立しなかったように思えるのだ。


 春希がギターを練習する第一音楽室の隣にある第二音楽室から聞こえてくる、まるで春希と合奏しているかのようなピアノのメロディ。
 その奏者が誰であるのかを第2話のラストまで正体不明としたままで、合奏にあわせて歌う声が屋上から響き渡り、春希が矢も盾もたまらずに階段を急いで駆け上がってドアを開けるや、美しい夕焼けの中でひとりの美少女が夕日に向かい手を高々と掲げながら歌唱しているという、あまりに幻想的なムードが、彼女が本作のヒロインであることを絶妙に描き出している!


 彼女は2年連続でミス峰城大付属に選ばれるほどの学園のアイドル・小木曾雪菜(おぎそ・せつな)。ルックス的にはメジャーな作品で例えれば、名作ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(95年・GAINAX テレビ東京https://katoku99.hatenablog.com/entry/20110827/p1)の栗色の髪の毛の明るい元気なヒロイン・アスカから毒を抜いた感じってところか?――

 だが、そんな学園のアイドルが眼鏡をかけ、地味な格好でスーパーの裏方としてアルバイトする姿を春希が目撃したり、「ひとりカラオケ」が趣味であることを春希に暴露したあげく、バイト姿とは一転しフリル付きのミニスカ姿で中島みゆきの名曲『悪女』(81年)を歌うなど――これは立派な「伏線」となっている――、雪菜が単なる学園の高嶺の花の苦労知らずのリア充(リアル充実)のアイドルではない、苦労人で常識人でもあり(ひとり)ボッチ的なところもある、本作のメイン視聴者である我々キモオタ(笑)にも微量に通底している存在であるとして、親近感を持たせていく塩加減の描写も絶妙である。


 さらに言えば、雪菜の声はキャピキャピとした、いわゆるアイドル声とは微妙に異なる。
 作品の題材や役柄的に歌唱力が要求されたこともあるだろうが、意外に芯が強くハッキリと自己主張をするかのような声の持ち主を起用したことが、雪菜本来のキャラクターを見事なまでに浮き彫りにしている。


 第2話のラストでは、もうひとりのヒロインが劇的な登場を果たす。
 鍵のかかった第2音楽室で自分のギターとセッションする奏者の正体を突きとめるために、春希はたまたま現れた柔道部員から帯を借り、それを命綱として校舎づたいに第2音楽室を覗こうとする――ほとんどスパイダーマンである(爆)――。
 あわや宙づりとなった春希の手を、がっしりと受けとめたピアノ奏者の正体は……


かずさ「バカヤロウ! ……大事な手をこんなことに使わせやがって!」


 彼女もまたれっきとした本作のヒロインであることを強調するには、あまりにドラマチックな超絶インパクトの演出である!


 もうひとりのヒロインの名は冬馬かずさ(とうま・かずさ)。かずさは名作深夜アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20150403/p1)のWヒロインのひとり、雪ノ下雪乃(ゆきのした・ゆきの)を、さらに暴力的にした(笑)ツンデレ娘と言えばピッタリであろうか? 黒髪ロングで普段は憂(うれ)いを秘めたクールさがあるも、少々気が強くて姉御肌である点が共通しているように思える。
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 かずさは海外で活躍するピアニスト・冬馬曜子(とうま・ようこ)――これがまた典型的なアラフォーリア充女のルックスで、どうしようもない母親であることを絶妙に表現している(爆)――の娘であり、母親譲りのピアノの才能を誇る。


 その才能から音楽科に入学したかずさだが、あまりの素行不良が教師たちに問題視されるものの――例によって無神経な体育教師が本作にも登場!(爆)――、曜子が学園に多額の寄付をしていることから、普通科への編入を条件に退学を免れたという、曰(いわ)く付きの娘である。


 第3話で春希と雪菜がかずさを軽音に勧誘しようと雪菜の自宅に呼んだ際、かずさが美脚を強調したショートパンツ姿であることに春希が言及しようとするや、


「感想なんか言ったら蹴飛ばすぞ」


などと、初期は粗暴な面を見せることが多いかずさだが(笑)、一方で教室では授業も聞かずに、ほぼまる一日机に突っ伏して寝ているという、やはりどこまでもミステリアスな雰囲気を徹底しているのは圧巻である。


 そんな「3人」が、学園祭限定のユニットを組むことになり、猛練習の日々の中、当初は人を寄せつけない性格だったかずさも次第に打ち解けていき、雪菜は出会った当初から春希に抱いていた想いをいっそう強くしていく。


 第7話で、大盛況となる「3人」のステージの描写は、黒いブラ1枚と青のミニスカ姿という露出度大のかずさが間奏部分で突然サックスを吹くサプライズが絶妙だが、その裏では実は雪菜とかずさが春希をめぐって火花を散らしていた!


 「祭り」のあと、雪菜は春希に愛を告白、春希はそれを受け入れ、ふたりは熱い口づけを交わす。
 それでもなお、これからもずっと「3人」でいたいと考える春希と雪菜は、クリスマスや忘年会・ちょっと早めの卒業旅行などを兼ね「親友」のかずさを誘い、「3人」で温泉旅行に出かける。
 これが第8話までの概略である。


 アラスジだけ書くと一見、おもいっきりの「リア充」たちの物語であるかのような、我々みたいな種族の「敵」が描かれているように誤解されるだろうが(爆)、観ている分には実にていねいで繊細な筆致でストーリーや各キャラも描かれていて、ついつい没入して見入ってしまうのだ。


 だが、これは「起承転結」の「承」までにすぎない。
 これまで春希=主人公の視点で描かれてきた群像劇が、第9話でかずさが登校しなくなるのを皮切りに、第10話中盤から第11話にかけ、かずさ=真のメインヒロインの視点で時系列をさかのぼることで、これまで明かされていなかったかずさ、そして春希がその心情を吐露するという、衝撃的な「転」――そもそも春希の主観で物語が進められてきたハズなのに、そこでかずさに対する想いがいっさい語られてこなかったというのは、完全な作劇的「反則技」である!(笑)――。
 そして第12話から第13話の、あまりに「残酷」にすぎる「結」へと至る展開は、おもわず一気に視聴してしまったほど、片時も目が離せないものであった。


 第10話で、かずさが卒業したらウイーンに旅立つことを知った春希は、それを自分と雪菜に黙っていたかずさを責める。だが……


かずさ「あたしの前から先に消えたのはおまえだろ!」


 これを皮切りに、第11話に至るまで、それまでのかずさの心の内で進行していた、「雪が溶け、そして雪が降るまで」の物語が描かれる!


 「連れていくことに意味はない」と、パリに旅立っていったピアニストの母から、誕生祝いに贈られた犬のぬいぐるみを引き裂いてしまったほどのかずさは、E組の教室では机に伏せてばかりで級友との交流を一切断っていた。
 委員長で隣の席だったとはいえ、そんなかずさのことを春希はずっと面倒を見続ける。


 毎日夕方になると第二音楽室で母が寄贈したピアノを弾いていたかずさは、隣の第一音楽室から聞こえてくるヘタなギターを演奏しているのが春希であることを知り、ぶっきらぼうながらも彼をコーチし「ギター入門」なる書籍を勧める。
 春希はギターを教えてくれた礼にと、中学のときに自分が使っていた「英文法」の本をかずさに進呈。
 かずさはそれを、引き裂いたはずの犬のぬいぐるみとともに部屋に飾る――これにより、育児放棄な自由過ぎる母に対して、憎しみだけでなく愛情を渇望していることも示唆される――。


(字幕)「恋してた、君といた、夏は終わり」


 「祭り」のあと、疲れて眠りこけていた春希の唇をかずさは奪う。
 それは、春希と雪菜が口づけを交わす前のことであったのだ……


(字幕)「戻れない、君といた、秋を想う」


かずさ「いつも気持ちと逆のことばかり。気づいたら何もかも失ってた」


 第9話で、かずさは春希の姿をまざまざと見つめたあげく、こうつぶやいている。


かずさ「どんだけ見ても、何も感じない」


 だが、第5話では、かずさの自宅で練習を終えた帰り道の夜の歩道橋で、雪菜が春希のことをこのように表現していたのである。


雪菜「春希くんって、たいしてカッコよくないね」


 それは第4話のラストで、雪菜がかずさ邸の洗面所で春希のトラベルセットを発見したことで(!)、「合宿」以前から春希がかずさの家に泊まりこんでいた事実を知って衝撃を受け、春希のことを半ばあきらめようとして出た言葉だったのである。


 これとほぼ同じ趣旨の発言をかずさにさせることによって、かずさが春希に抱いていた熱い想いを一度はあきらめようと決意を固めるさまが、そしてふたりともに「私が私が」的なミーイズムの権化ではなく、本来は相手に譲り合い、人の恋路を邪魔するような下劣なメンタルの持ち主ではないことが、のちのちの衝撃の展開以前にさりげなく表現されているのは見事というよりほかにない。


 そうした観点で振り返れば、第5話で春希が作詞し、かずさが譜面を書いたノートを没収した教師に、「返せ!!」と気も狂わんばかりにかずさがブチギレしたのも、第7話の「まつり」のあと、かずさが露出度の高いステージ衣装のまま、春希に「寒い」とつぶやいたのも――「抱きしめて」「甘えさせて」の含意でもあるだろう――、すべては春希に対する本心、「愛」ゆえのものであったことが、この時点になってようやく明るみになる構造となっているのである。


 こうしたことが最初から描かれていたならば、よくある単なる三角関係ものに過ぎず、面白くもなんともなくなったワケであり(笑)、それを思えば視聴者を驚愕させること必至の「反則技」も、本作に関してはむしろ作劇的「正攻法」の手段であったと言うべきではなかろうか?


かずさ「手の届かない相手から一緒にいようって言われて……毎日毎日心えぐられて……」


 そうなのである。一見無口な「暴力女」にしか見えなかったかずさであったが、母に捨てられたときも、春希の唇を奪ったときも、温泉旅行を終えて春希と雪菜を見送ったあとも、かずさは常に「涙」を流し続けていたのである。


 こうしたかたちで視聴者を感情移入させ、「サブヒロイン」を「メインヒロイン」へと転じさせる手法は、かの中学生少年が中学生悪女にたぶらかされて転落していく異色の深夜アニメ『惡の華』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20151102/p1)をも彷彿とさせるものである。
 学園祭のクラスの出し物である「大正浪漫喫茶」(笑)の女学生姿をした雪菜を、ステージの練習に連れ出すために春希がそのままかっさらい、電車の中で春希の背中に雪菜がずっとしがみついているなんてあまりに劇的な第6話の描写は、春希は雪菜に気がありメインヒロインは雪菜である、などとおもわず視聴者を錯覚させてしまう確信犯的なフェイク・ミスリード演出だったのである。


 そしてよく観ると、第8話では親友で部長の武也にも、同じく春希の遊び仲間であるボーイッシュな少女・水沢依緒(みずさわ・いお)にも、ヤンキーチックな早坂親志(はやさか・ちかし)にも、春希が本当は雪菜ではなくかずさを好きであることがバレバレになっている描写があるのだが、雪菜のためを想ってなどと、ここでは3人に口止めさせているというのも心憎い。


 だが、第12話で春希が「別れた女を想う歌」をギターで奏でたことにより、さすがの武也も遂に「あきらめろ」と春希を諭す。
 そして、「オレ、かずさにコクっちゃおうかなぁ」とおどけた早坂に対し、露骨に動揺の色を見せる春希。


 春希がそんな男であることを見透かしていたのか、単に募る恋慕でついに堪(こら)えることができなくなったのか、かずさは卒業式にわざと出席せず、雪菜の机の中に置き手紙をしたり、春希が送信しまくったメールに返信しないなどという、ひたすら春希をジラす戦法に出る。
 この段になって、意外なまでの未練たっぷりのしたたかさを見せるかずさではあるが、急展開後の集中的な描写により数多くの視聴者の感情移入を獲得し、晴れて「メインヒロイン」に昇格したことにより、ようやくそのような行為も許されることになったのだ(笑)。


 すっかり傷心した春希に、ようやくにして電話を入れてきたかずさだが、それすらも「手の届かない遠くにいる」と発言する。
 だが、かずさが春希のマンションのすぐ近くの公園にいるのを春希は見つける!
 白い雪が舞い散る公園で、直接対話ができるにもかかわらず、「声だけなら伝えられる気持ちがある……」と、ふたりが向き合ったまま、携帯を通して本当の「気持ち」を伝えあう演出が実に秀逸である!


春希「オレ、冬馬が好きだ!」
かずさ「あたしはおまえのことが大好きだった……おまえが雪菜を選んだとき、つらかった……悲しかった……悔しかった!!」


 最終回冒頭、春希の部屋で遂に一夜をともにするふたりだが、春希がかずさを押し倒したはずみで、春希が雪菜の誕生日プレゼントとして買っていたアクセサリーが割れ、雪菜からの着信があるのに春希が気づいて衝撃を受けるも、かずさがその携帯を手で払いのけるという、どこまでも雪菜を「サブヒロイン」へと陥落させてしまう描写が壮絶である!


 これとは対照的に、ふたりが結ばれたあとの朝帰りの電車の中で、かずさが両手に春希の制服のボタンをしっかりと握りしめながら、春希と相思相愛になれた望外な喜びと同時に、雪菜を押しのけて彼氏を奪い取ってしまった申し訳なさも混じったかのような、涙を流し続ける描写は実に切ない……


 そして、かずさの見送りに行く空港への電車の中で、春希は雪菜にすべてを打ち明ける。だが……


雪菜「全部知ってたのに、あとから割りこんだ。一番悪いのは私……」


 雪菜は第3話で、家に友人を呼ぶのが3年ぶりであると語っていたように中学時代、恋愛トラブルが原因で友人をすべて失ったことが第5話で明かされ――壁に貼られた当時の記念写真に、現在でも仲が良いひとりを除き、それ以外の顔が見えないようにアクセサリーが飾られているのが強烈にすぎる!――、


「私は、仲間はずれが一番こわい」


と春希に語っている。


 「学園のアイドル」ともてはやされながらも、実は高校に入って以降、雪菜は本当の友人はひとりもいなかったのである。


 そんな雪菜が、


「仲間はずれにしてほしくなかったから、そのためだけに恋人に立候補した」


ことを、いったい誰が責められるというのか!?


 そして、「仲間外れ」うんぬんも、彼女の本心の的を突いた表現であったのか? 彼女もホントウは春希のことが心の底から好きではなかったか?
 その物言いは、春希がかずさを選んだ際に抱いてしまうだろう、雪菜への申し訳なさや罪悪感を和らげてあげるための「思いやり」としての偽悪的な物言い、「優しい嘘」ではなかったか!?


 実は雪菜は「祭り」のあと、かずさが春希に口づけするのを目撃していたことが判明し(!)、にも関わらずズルいことに、第8話では「本当にいいの?」と恋に奥手なかずさにムリやりな言質(げんち)を取ってしまっていたのであった。
 しかし、表向きは幸せそうでも、内心ではそのことに大きな罪悪感や自己嫌悪を抱いてしまったことも判明していく…… 第12話では依緒に対して、自身を「醜い女」「汚い女」「エゴイスト」とまで称しているのである!


雪菜「かずさには春希しかいない」


ことを知っていながら、春希とかずさが「いい子」であることを知っていたからこそ、ふたりが想いを告げる前であれば「絶対に勝てる」と、雪菜はズルい計算をして強硬な手段に出たのであった。
 春希も、そしてかずさも、自身の想いよりも、雪菜の想いを優先するような「いい子」であったがために、春希とかずさの「愛」は遠回りをすることとなってしまったのだ。


雪菜「好きだけど、かずさほど真剣じゃなかった」


 空港でかずさを見つけた春希は、かずさに春希を譲ってあげるための雪菜の嘯(うそぶ)いた発言を真に受けたのか、そもそも彼女に気を遣う余裕もなくなっているのか、雪菜の眼前でかずさを激しく抱き締める!


 ここに至っても、雪菜を涙目で横目に見ながら気遣って、


「ごめん……雪菜……」


と、まだ雪菜の「想い」を尊重してしまうかずさは、あまりにも「いい子」にすぎる!
 床にこぼれ落ちる大粒の涙が、あまりに生々しい……


雪菜「そんなわけないじゃない……どうしてこうなるんだろう……夢のように幸せな時間を手に入れたはずなのに……」


 雪菜もまた、結局は春希とかずさの「気持ち」を優先し、自身の「気持ち」と逆の発言をしたばかりに、何もかもを失ってしまうような、最後まで「悪女」に徹することができない「いい子」だったのである……


 恋愛バトルの勝者となるためには、やはり相手の「気持ち」よりも自身の「気持ち」を優先するべきであり、「いい子」でいては恋愛が成就するハズもないという「残酷」な事実が、あまりにリアルに描かれすぎている!


 第7話ではあえて割愛された、「3人」のオリジナル曲『届かない恋』の学園祭でのライブ場面がここで切なく響き渡る……


 雪が舞い散る中、かずさが乗る飛行機を見送る春希と雪菜……


春希「もうここには何もない。帰る」


 それでも春希に寄り添い、離れようとしない雪菜……


雪菜「春希くんが凍えてしまわないように……ううん、違う……自分の心が凍えてしまわないように……」


 すでに春希に対する「想い」が成就しないことを、如実に象徴する雪菜のセリフで物語は締めくくられる。



 あまりに濃厚なラブシーンや、雪菜やかずさのシャワーに着替えの場面やフェチアングル(笑)など、実は本作の原作は「18禁」の恋愛シミュレーションゲームなのである。
 だが、「人を好きでいることを、ずっと続けていく物語」としては、バブル景気の時代に流行した、まずは世間や若者間で優れているとされる風潮やルックスに達していることが大前提で、周囲に対する虚栄的な優越アピールが目的であるようにも見える、自己愛が強そうな「恵まれた人種」たちによる恋愛系トレンディードラマ――今の若い世代にあんなものを観せたら「いい気なもんだよな」などとネット上で叩かれまくるのでは?(笑)――なんかよりも、よほど真面目でリアルで極めて完成度が高い物語が描かれていたのではなかろうか?


 こうした神懸かった良質な作品が深夜枠の美少女アニメとして、マニアの間だけで楽しまれてしまうというのは、実にもったいないように思えてならない。
 近年の視聴率が低迷しているあまたのTVドラマなんかよりも、よっぽど一般の主婦層や女性層の間でも共感を得られるのではないかと思えるのだが。


(了)
(初出・オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.69(15年2月8日発行))



WHITE ALBUM2 6(Blu-ray Disc)

#アニメ感想 #冴えカノ #冴えない彼女の育てかた #wa2 #WA2 #WHITEALBUM2 #ホワイトアルバム2 #丸戸史明


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(文・T.SATO)
(2014年4月28日脱稿)


 仮面ライダー鎧武(ガイム)の新たなる強化形態、仮面ライダー鎧武・カチドキアームズ!
 背中に2本の幟(のぼり)を挿した、冗談もほどほどにしろ! というスタイル。


 「エイ! エイ! オーー!!」


 登場した時点で、まだ勝利もしてないのに、「勝ち鬨」(かちどき)をあげる掛け声の電子音声が鳴り響く! 冗談もほどほどにしろの二乗!(笑)


 はるけきむかしの幼少時代にドコで覚えたのか、近所の子供たちと「エイ! エイ! オー!!」を連呼していたことを思い出す。子供がマネしたくなるであろうフレーズの使ったモン勝ち! さすが近年のバンダイイカレてます!(ホメてます・笑)


 しかし、カチドキアームズって、もう「果物モチーフ」ですらないよネ? どのへんが「火縄銃」なのかもよくわかりませんけど(笑)、「火縄銃」には80年代初頭に勃興したDJ(ディスク・ジョッキー)風にアナログレコードを指でスクラッチする意匠までもが組み込まれて!


 とゆーワケで、今にして思えば、カチドキアームズが本作におけるあまたのライダーたちの共通デザインモチーフでもある「果物」ではなく、「火縄銃」に「DJ風ギミック」が組み込まれた異質なデザインモチーフとなったことから逆算して、少しでも「劇中での必然性」なり、それがムリなら「意匠的な関連性」を持たせるために、NHK大河ドラマ新選組!』(04年)での主要隊士・永倉新八役での好演も記憶に新しい(?)、グッサンこと山口智充(やまぐち・ともみつ)演じる「DJサガラ」が設定されたとゆーことなのでしょうか?


 そして、鎧武=葛葉紘汰(かずらば・こうた)にカチドキアームズへの強化変身をもたらす変身補助パーツ=錠前型の「ロックシード」なるアイテムを貸与する役割もDJサガラに与えることで、カチドキアームズが巨大企業・ユグドラシル社製造の「果物モチーフ」のモノとは別個・別系統であることから、DJサガラもまたユグドラシルとは別の勢力であることにする! とゆーふーに煮詰めて設定&ドラマを考案していった……とゆートコロなのでしょうか?


 オモチャ・オモチャした設定をムゲに否定せず、むしろオモチャが効果的に引き立つように、設定&ドラマの方をこそ逆算でコジツケてチューンナップしていく作劇でもあり、加えてそれにより登場人物たちの動機&行動に内的必然やウネりやナゾや深みも生じさせていて、なかなかに好感大!


 そーいえば、映画『平成ライダー昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.(フィーチャリング) スーパー戦隊』(14年)ほかで出てくる変身補助アイテム、「昭和ライダーロックシード」とか「ウィザードロックシード」とか「平成ライダーロックシード」なんてのも、明らかにユグドラシル社製なワケがないけれど。
 コレもひょっとしてDJサガラが造ったモノだったとか!?……


 もちろん真の正解は、映画の方には本作のメインライター・虚淵玄(うろぶち・げん)センセイは関わっていないので、そこまで面倒見てはいません!(笑)



 80年代以降の主にアニメをはじめとする日本のジャンル作品は、そして特撮ジャンルでもオタク第1世代が送り手の側にまわった主に90年代後半以降、大文字の「正義」は敬遠されるようになる。
 むしろ、それは一歩間違えれば「正義」の名のもとに遂行される独裁的・独善的な「専制」や「思想統制」にも通じる危険なものだと警戒された。


 その代わりに、「ヒーロー活動の言い訳」として、「大きなスローガン」は掲げずに、「等身大の正義」や「せめて、身近な人間たちだけは守りたい」「身の丈の手に届く範囲で出来ることをする」ことで、大文字の「正義」のスローガンが醸す「専制」や「思想統制」の匂いを脱臭して、免罪符を得ようとせせこましく汲々としてきた。


 まぁそれはそれで、その世代の作り手たちなりの「内的必然」なり、抜きがたい「警戒心」などもあったのだろうとは思う。
 筆者も往時、『宇宙刑事シャリバン』(83年)の「♪強さは愛だ」とか、同じく東映メタルヒーローシリーズ『巨獣特捜ジャスピオン』(85年)の「♪俺が~俺が~俺が~正義だ~~」などの歌詞はやや右派的・マッチョにすぎて抵抗があったので(笑)。


 とはいえ、逆に往年の『電撃戦隊チェンジマン』(85年)で、戦隊メンバーのひとりが「トンカツ屋を開くのが夢」だという設定を知ったときには、


「地球存亡の危機に見舞われてるのに、地球守備隊の軍人がそんな私的で小市民的な夢をいだいているダなんて、ソレどころじゃねーだろ! 単なる個人のエゴじゃネ!?」


などというプチ反発をいだいたモノである(笑)。


 こー書くと、「じゃあその後のミーイズムや小市民的な生活に走った特撮変身ヒーロー作品なんて、観てらんねーんじゃねーのか!?」という、読者のツッコミも入りそうではあるけれど……。
 そのへんはナシ崩し的に慣らされて、気にならなくなりました(オイ)。サッカーの中田英寿(なかた・ひでとし)が潰しが効くように簿記1級の資格を取得していたみたいなモノで、むしろ「トンカツ屋を夢見る」チェンジマンの彼の方こそが正しかったとも思っているくらいで(笑)。


 そんなワケで、「等身大の正義」とか「自分の手が届く範囲はせめて守りたい」というテーゼには、作り手たちの誠意は信じて疑わないけれども、でもそれって「自分たちの仲間以外」や、「手の届かないトコロ」は放っておいてもイイのかよ!? 的な疑問符もあったりしてェ……。


 その部分への目配せがナイという点では、少しお知恵が足りないのでは? との違和感もあったのだ。
 この歳になって、しょせんは子供番組に何かを教えてもらおうとか影響を受けよう、なぞとは思っていないので(笑)、大声でガナって批判したりはしてないだけで。


 ところがドーだ! 本作はそんな「公私」テーマにカスってみせている!
 それも、潔癖・無垢な、万年野党的な立場からのオボコい理想や公私葛藤ではなく、すでに手を汚していて無罪じゃない、罪を背負っている立場から!


 とはいえ、ウス汚れたオッサンの当方としては、メロンのライダーであるユグドラシル社の兄ちゃんの


「人民のパニックや、危機を前にしても、世界各国がひとつになることはなく、むしろダシ抜き合戦になることを恐れるので、シビリアンコントロールをしよう」(大意――ココでは「文民が軍人を統制する」という意味ではなく、識者が市民を統制してあげようという程度の意味――)


とする言い分の方に理があるように思えて、おおいに共感するけれど(笑)。


 しかしジュブナイル作品としては、メロンのライダーの兄ちゃんのシニカルで性悪説な見解の方が正しかったという方向に落とすワケにも行かないので、それはそれでそーいうテーマにカスって、そっち方向にも理を認めたという程度のオチでイイかとは思います。



 そんなテーマで行くのかと思いきや、「オーバーロード」なる存在も出現!


 「オーバーロード」といえば、古参オタならおなじみ、半世紀も前の古典SF『幼年期の終り』(53年)に登場する、地球人類よりも上位の存在の宇宙人ではあるけれど、進化の袋小路に入ってそれ以上は進化ができずに、より上位の神に近き存在に命じられて、地球人類が「地球」という惑星まるごと(!)高次な別存在・超存在へと進化していく――今このオチでやったのならば、非科学的なドンデモSF扱いだけど、昔の作品だから許される!?(汗)――ことを傍観する宇宙人のお名前。


 異論はあろうけど、筆者が見るところ、虚淵センセの『魔法少女まどか☆マギカ』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20120527/p1)に出てくる妖精・小動物チックな「キュゥべえ」も、脚本家・市川森一(いちかわ・しんいち)ライクな詐欺師的な「試す者としての悪魔」ではなく、人間的な価値観とは別原理で動いていて、人間の道徳・尺度の次元で批判してもイミがない「オーバーロード」や侵略的外来種植物「ヘルヘイムの森」みたいな存在で、QB(キュゥべえ)自体は根本悪ではない。


 便宜的に『鎧武』世界の用語で云うなら、「ヘルヘイムの植物」同様、個々人の悪意には起因しない「現代社会のシステム自体の歪み」に近い、まさに「理由のない悪意」といったモノであろう。


 そして、その歪みを直せば別所にシワ寄せが生じ、それを直したらばまた別種の歪みが生じ、さらにそこを直せばまたまた別所にシワ寄せが生じて、コレらの歪みやシワ寄せは根本的な次元で超克できずに、「症状に応じて永遠にシステムに微調整を重ねていく覚悟」のようなモノを、特撮変身ヒーロー作品ごときでホンキで描く気なのであろうか?


(了)


仮面ライダー鎧武』前半合評2

多数ライダー制の『仮面ライダー鎧武』は、「白倉ライダー」の継承者といえるのか!? ~「仮面ライダー鎧武の敵」とは!?


(文・久保達也)
(2014年4月22日脱稿)


 第8話『バロンの新しき力、マンゴー』に至るまでの、ビートライダーズ(=ストリート・ダンサーズ)の縄張り争いが中心に描かれていたころの初期の時点では、まったく想像もつかなかったような極めて重い話が、『仮面ライダー鎧武(ガイム)』(13年)では2クール目以降展開されることとなっている。


*まず、原作者の「石ノ森章太郎イズム」とは何か!?


――それでも、平成の世に仮面ライダーは復活しました。ただし、その設定は昭和のライダーよりもずっと複雑で過激です。02~03年放映の『仮面ライダー龍騎(りゅうき)』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20021109/p1)には13人の仮面ライダーが登場し、それぞれ自分自身にとっての「正義」を掲げて戦いあった。次作の『仮面ライダー555(ファイズ)』(03年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20031108/p1)は主人公自身がオオカミ男に変身する怪人であり、敵の怪人たちもライダーベルトを身につければ仮面ライダーに変身できる。敵と味方の同質性を極限まで追求しました。



「01年の9・11テロ以降、『こっちが正義、向こうは悪の枢軸(すうじく)』といった紋切り型の対立構図が日本にも波及し始めていました。アメリカが間違っているとか言うつもりはありませんでしたが、色々な人がいて、色々なモノの見方や考え方があって、そういう状況を局外から俯瞰(ふかん)し『こっちが正しい』『あっちが間違っている』と、上から目線で言えるような人など誰もいない。それをどう伝えるか、と自問した結果です」

(『朝日新聞』13年4月12日付「仮面ライダーの敵」 東映取締役・映画プロデューサー 白倉伸一郎(しらくら・しんいちろう))



 白倉プロデューサーが直接関わっていない『仮面ライダーW(ダブル)』(09年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20100809/p1)以降の近年の平成ライダー諸作品を、それまでのシリーズの作風や思想性のちがいから、「第2期平成ライダーシリーズ」と定義する動きが、特撮マニアの間では広がっているようである。
 しかしながら、今回の『鎧武』の根底に流れているのは、先にあげたような「白倉イズム」にかぎりなく近いものである。


*巨大企業ユグドラシルやネオショッカーは悪か!?


 ヘルヘイムの森に生殖する果実は繁殖力がきわめて高く、しかもそれを口にした者は皆インベス怪人と化し、人に危害を加えてしまう。
 そして、いずれは沢芽市(ざわめし)全体がヘルヘイムの森に飲みこまれてしまうことが判明した。
 あと10年で地球そのものが、禁断の果実によって埋め尽くされてしまう……


 ユグドラシル社の研究により、地球人口のうちの約10億人は、大量生産される変身ベルト・戦極(せんごく)ドライバーによってアーマードライダーに変身することで、この危機から救われることとなった。
 だが、残る60億人分の戦極ドライバーを製造する能力がユグドラシルにはないのである。人類の未来のため、残念ながら60億人には犠牲になってもらうしかないのだ。
 それがユグドラシルが主張する「正義」である。


 『仮面ライダー(新)』(79年)の敵組織・ネオショッカーは、地球人口の爆発的増加に伴う食料危機を理由に、優秀な人間のみを残すことで、人口を3分の1にまで減少させることが目的であった。
 これは第2話『怪奇! クモンジン』において、ナチの軍人のようなネオショッカー日本支部初代幹部・ゼネラルモンスターが主人公の筑波洋(つくば・ひろし)=スカイライダーに語っていたことである。



鉄のカーテンの向こうには、我々と根本的に相入れない集団が存在し、我々の世界を滅ぼそうと日々画策(かくさく)している。彼らがいつの間にか我々の隣人として忍び込み、何かをたくらんでいるかもしれない――。そういう世界観が共有されていたからこそ、ショッカーはリアリティーのある『悪』になり得た」

(『朝日新聞』13年4月12日付「仮面ライダーの敵」 東映取締役・映画プロデューサー 白倉伸一郎



 ユグドラシルもネオショッカーも、その手段はともかくとして、その理念・目的に関しては、果たしてそれが本当に「悪」と言い切れるのか? という根本的な問題があるのだ。


 西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしたほど――直接的な原因はソビエト連邦→現ロシアがアフガニスタンに侵攻したことに対する抗議の意味合いであり、日本も例外ではなかった――、東西の冷戦構造が深刻だった70年代末期から80年代であれば、ネオショッカーを「悪」と定義し、スカイライダーのみならず、「昭和」の8人の仮面ライダーの力を結集させて倒すことは、立派な「正義」だったのである。



「でも80年代後半に冷戦が終結に向かい、えたいの知れない巨悪という実感が失われた。現実世界ではオウム真理教のようなテロリスト集団が出てきた。それと戦うのはヒーローじゃない。警察ですよね」

(『朝日新聞』13年4月12日付「仮面ライダーの敵」 東映取締役・映画プロデューサー 白倉伸一郎



 『仮面ライダーBLACK RX(ブラック・アールエックス)』(88年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001016/p1)をもって、「昭和」の仮面ライダーシリーズが終焉(しゅうえん)を迎え、『仮面ライダークウガ』(00年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20001106/p1)に始まる「平成」ライダーシリーズに至るまでの長いブランクが生じたのは、まさにこの時代であった。


 「こっちが正しい」「あっちが間違っている」などと明快な「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」を描くことが、時代を重ねるごとにどんどん難しくなってきているのである。


*「複数の正義」「ライダーと怪人の同質性」 ~2大テーマの併存!


 ユグドラシルの御曹司(おんぞうし)・呉島貴虎(くれしま・たかとら)=仮面ライダー斬月(ザンゲツ)に、かつてヘルヘイムに侵略され滅亡した異世界の都市の廃墟(はいきょ)を同じように見せられながらも、葛葉紘太(かずらば・こうた)=仮面ライダー鎧武と呉島光実(くれしま・みつざね)=仮面ライダー龍玄(リュウゲン)ではその反応が180度真逆だったことはなんとも象徴的である。


 ユクドラシルの悪事を世間に公表する! と、実の兄である貴虎に息巻いていたハズの光実は、ヘルヘイムの正体を見せられるや「絶対公表なんかできない」と大きなショックを受け、貴虎の指示でユグドラシルのために暗躍するようになる。


光実「この幸せを守れるなら、僕はどんな裏切りでもできる」


 第18話『さらばビートライダーズ』のラストで、本作ヒロインの高司舞(たかつかさ・まい)が企画したビートライダーズによる合同ダンスイベントが無事成功に終わった際に、光実が語った言葉である。


 「人類の未来」=「公(おおやけ)」のために、ヘルヘイムによる地球侵略の件を隠蔽(いんぺい)する光実だが、その内実にあるものは、紘太や舞ら仲間たちと笑顔で楽しく過ごせる時間を大事にしたいという「個」としての欲望なのである。
 真実をすべて隠し通すことで、みんなの笑顔を守れる。
 これが光実にとっての「正義」なのである。


 一方、紘太は事実を隠蔽(いんぺい)するユグドラシルに怒りをブチまけ、異世界からの侵略に対し、世界はひとつになるべきだと主張する。
 貴虎はそんな紘太に、事実を公表すれば世間はパニックと争いに包まれるだけであり、人々から平穏(へいおん)な日々を奪うことがおまえの言う「正義」なのか? と逆に問われてしまう。


 それでもなお、誰かが「犠牲」になる上で成立する希望なんてあり得ない、と食い下がらなかった紘太は、知らない方がよかったと思われる、さらなる事実を貴虎に知らされることとなる。


 紘太が舞を守るため、初めて仮面ライダー鎧武に変身して倒したインベス怪人は、ヘルヘイムの森に迷いこみ、禁断の果実を口にしたことで怪物化した、紘太のダンス仲間・裕也(ゆうや)だったのである!


 悪の組織のテクノロジーから生み出された改造人間のヒーローが、同じ組織の怪人と戦うという、「善」と「悪」、「味方」と「敵」の境界線が判然としない、まさに『仮面ライダー』原作者である「石ノ森章太郎(いしのもり・しょうたろう)イズム」がここに炸裂(さくれつ)!


 登場キャラそれぞれの「正義」が衝突した『龍騎』、ライダーとオルフェノク(怪人)の「同質性」を追求した『ファイズ』、その双方を『鎧武』は継承しているように見受けられる。
 思えばそれらこそが、究極の「石ノ森イズム」である。


 東映の故・平山亨(ひらやま・とおる)プロデューサーや脚本家の故・伊上勝(いがみ・まさる)らによる乾いたゲーム的な攻防劇が主体で、「勧善懲悪」カラーが強かった「昭和」ライダーの作品群よりも、むしろ古いマニアに「こんなのは『仮面ライダー』ではない!」と批判されてきた『龍騎』や『ファイズ』の方こそが皮肉にも「石ノ森イズム」がよほど濃厚な作品群ではなかったか!?
――平山亨や伊上勝の「勧善懲悪」カラーはそれはそれで否定されるべきものでは断じてないにしろ――


*すでに手を汚していた「仮面ライダー鎧武の敵」とは!?


 自身がすでに友人を手に掛けており、その「犠牲」によって救われていることを知った紘太は、一時茫然自失(ぼうぜんじしつ)となるが、DJサガラに新たなロックシードと励ましの言葉をもらうことで、同じあやまちを再度繰り返さないと、ユグドラシルと戦う決意を新たにする。


 紘太の敵は、決してヘルヘイムの侵略ではない。
 DJサガラが看破(かんぱ)したように、「希望」の対価として常に「犠牲」を要求する「社会」の構造=システムそのものが、紘太にとってはヘルヘイム以上の「敵」であり、絶対に許すことができるものではなく、断固としてそれと戦おうとするのだ。
 それが紘太にとっての「正義」なのである。


 だが……



――最近のライダーは活躍の場が狭くなっています。09~10年の『仮面ライダーW(ダブル)』は街の平和、11~12年の『仮面ライダーフォーゼ』は学園の平和を守り、昨年(12年)から放映中の『仮面ライダーウィザード』は人々の心を絶望から守っています。


「物語の作り手に『社会全体を変えられる』という実感がないからでしょう。現代社会はグローバル資本主義やインターネットという巨大なシステムに覆われ、個人がそれに手出しできるとはとても思えない」

(『朝日新聞』13年4月12日付「仮面ライダーの敵」 東映取締役・映画プロデューサー 白倉伸一郎



「かつて私たちは「国家や巨大企業などピラミッド型組織の腐敗が諸悪の根源で、そのトップを正せば世の中はよくなる」と信じていた。仮面ライダーがショッカーの首領を倒せば、平和が訪れるように。だがグローバル資本主義もインターネットも「網」のような存在であり、どこにも中心がない。どう戦えばよいのか。ライダーも私たちも迷いの中にいる」

出典同上「取材を終えて」・太田啓之(引用者註 64年生まれの朝日新聞記者))



 自身の手を離れた「第2期」平成ライダーシリーズが、街・学園・人の心と、守るものが次第に小さくなってきていることに対し白倉氏は、作り手に「社会全体を変えられる」という実感がないからでは? と分析している。
 近年そんな傾向が強まっていたにもかかわらず、仮面ライダー鎧武が戦っているのは、「社会の構造」=システムそのものなのである!
 これは何を意味するものなのであろうか?



「あらゆる物語は作り手の意思と関係なく時代を反映しますから、ライダーも自然と小さな話になってしまう。それでも、最後によって立つのは自分自身、というのが仮面ライダーの本質です。作り手自身の実感から物語を始めるしかありません」

(『朝日新聞』13年4月12日付「仮面ライダーの敵」 東映取締役・映画プロデューサー 白倉伸一郎



 映画『平成ライダー昭和ライダー 仮面ライダー大戦』において、交通事故で死んだ幼い息子を生き返らせるために、黄泉(よみ)の国・バダン帝国による「死者と生者を反転させて、死者がこの世を支配するメガ・リバース計画」について語る悪のライダー「仮面ライダーフィフティーン」に対し、紘太はこう叫び、仮面ライダー鎧武に変身していた。


「たとえどんな理由があろうと、今を生きる人々の未来を奪うことは、絶対に許せない!」


 今を生きる人々の「未来」が、ひょっとしたら「社会」の構造=システムによって脅(おびやか)されているのではないのか?
 紘太の叫びはまさに、『鎧武』の作り手の「実感」から出たものではないのだろうか?


仮面ライダー2号「昭和から平成へ」
仮面ライダーX(エックス)「平成から、次の世代へ」
仮面ライダー1号「未来は、おまえたちにまかせたぞ!」


 映画『平成ライダー昭和ライダー 仮面ライダー大戦』において、「平成」ライダーは「昭和」ライダーから、人類の「未来」を守ることを託(たく)された。
 「未来」を担(にな)うことになるのは、今を生きる若者たちだからでもある。


 その若者たちの「未来」が今、脅かされているのではないのか?
 近年ライダーの活躍の場が狭(せば)まる傾向にあった中で、『鎧武』があえて「社会」の構造=システムを「仮面ライダーの敵」として描いているのは、やはり作り手がそれを強く実感しているからこそではないのだろうか?


*「ダンス」が暗喩する「社会」構造と「若者」の暗黒面


・葛葉紘太  20歳
・駆紋戒斗  20歳
・呉島光実  16歳
・高司 舞  17歳


 以上は『鎧武』のメインキャラの設定年齢である。
 この世代は90年代前半のバブル経済崩壊以降に生まれ、その時々の「大人の事情」によって踊らされてきたため、常に閉塞(へいそく)感に包まれ、日々鬱屈(うっくつ)した想いを抱(かか)えながら育ってきたと思われる。


 『鎧武』世界のストリートダンサーであるビートライダーズの設定は、『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)のエンディングのダンスが話題になるほど、この国の立派な文化のひとつとしてダンスが根づいている、という理由も大きいだろう。
 しかしながら、これはまさに、今を生きる若者たちが「大人の事情」に「踊らされている」ことの暗喩(あんゆ)でもあると筆者には思えてならない。


 戦極ドライバーの実験台にされたり、そのためにユグドラシルが彼らに流行(はや)らせたインベスゲームこそが奇病が蔓延(まんえん)した元凶である、と市民たちから徹底的に非難されるビートライダーズの姿こそ、誰かの「犠牲」の上に成立する現代「社会」の「若者受難」の構造そのものではないのか?


光実「今楽しいと思うことをして、本当に大事な何かを探しているんじゃないですか?」


 第9話でビートライダーズを街の「クズ」呼ばわりした貴虎に対し、光実は彼らの気持ちを「自分探し」だとしてそう代弁・擁護したのだが、必ずしもそれはすべてを代弁する的確なものではなかったようである。


 第16話でインベス怪人に宝石店を襲わせたダンスチーム・レッドホットの連中は、ストリートダンスを踊る理由について舞に、


「めだちたい。暴れたい。ただそれだけ」(!)


と答えていた。


 そして、第18話で合同ダンスイベントが成功したにもかかわらず、第19話では多くのビートライダーズがすでに解散してしまっていた事実が語られた。


 本当にストリートダンスが好きで踊っていた者はごくわずかに過ぎず、大半の者たちにとっては、流行に乗っただけの自己顕示に過ぎず、ダンスは自分の「力」を示すための、手段のひとつにすぎなかったことが明らかになったのである!


 若者たちもまた、単なる無垢(むく)な被害者ではなかった。
 いざとなれば長いものに巻かれて自己保身に走り、それまでは自身も無力な弱者の立場にあったのに、弱者を目前にしても同胞として憐れんだり助けあったりはせずに、むしろ喜んで見下(みくだ)して、あわよくば収奪する側にまわって悦に入り、それを恥じらいもしない下劣な連中が多々いることを明らかにしたのだ。
――『ウルトラマンダイナ』(97年)第33話『平和の星』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/19971207/p1)のような、公共心皆無で街で遊び呆けている私的快楽至上主義者なだけの若者たちを「自由の象徴」として単純肯定してしまうような一面的な作品は、本作をこそ見習え!(笑)――


 あまり大声では言えないが、もちろん個々人の生まれついての「品性」や「性格」の問題もあるだろう。
 元々は「品位」も「常識」もあったのに、仕方なく悪童仲間向けに「処世術(しょせいじゅつ)」としてそのように偽悪的にふるまっている者もいるのだろう。
 あるいは、それまでの生育過程で「大人の事情」に常に踊らされてきたり、あまりにも凄絶な虐待を受けて、仕方なく酷薄な人格になってしまった同情すべき者もいるだろう。


*よりラディカルな「仮面ライダーバロンの敵」とは!?


 その極端な例が、まさに駆紋戒斗(くもん・かいと)=仮面ライダーバロンの姿だ。
 父親の勤務先の町工場も、幼いころによく遊んだ神社のご神木(しんぼく)も、ユグドラシル社の「力」によってすべて奪われてきた戒斗の眼中にあるものは、ただ「力」による支配あるのみ。


「ヘルヘイムと戦って、生き残った者だけが未来をつかめばいい」(!)


 ヘルヘイムの侵略から人類の未来を守ろうとするユグドラシルを、


「なぜこの世界を守ろうとする。いっそ壊れてしまえばいい」(!!)


とあざ笑うほどの戒斗だったが、彼もまた「社会」の構造=システムをブチ壊したいと考えているのは、紘太と変わりはないのである!


 しかしながら、戒斗はユグドラシルをも「弱者」(!)呼ばわりする!


 「侵略は最大のチャンス」であるとして、ヘルヘイムを自身が「本当に戦うべき相手」だと位置づけるのである! これが戒斗にとっての「正義」なのである。
――ただし、『仮面ライダーウィザード』に登場した2号ライダー・仮面ライダービースト=仁藤攻介(にとう・こうすけ)の口癖(くちぐせ)だった「ピンチは最大のチャンス!」とは、かなり意味が異なるように思える――


 もっともこの行為すらもが結果的に、ユグドラシルのプロフェッサー・戦極凌馬(せんごく・りょうま)=仮面ライダーデュークやその女秘書の耀子(ようこ)=仮面ライダーマリカ、錠前ディーラー・シドたちの「野望」のてのひらの上であり、戒斗が「踊らされている」だけなのがまた痛くて、絶妙に多重的な作劇なのだけど。


 その目的自体は「個」、「私」的な自己実現・野望ではあるものの、「力」をもってして地球存亡の危機をもたらす「侵略」と戦おうとする戒斗の姿は、本来なら変身ヒーロー作品の「主人公」として描かれるべきハズのものなのである。
 だが、そうはならずに、異界からの「侵略」そのものよりも、一企業のトップたちによる「野望」の方が「悪」に見えてしまう『鎧武』世界の、決して一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないところは、やはり「白倉イズム」の立派な継承(けいしょう)ではないのかとも思えるのだ。


 いろいろなキャラが存在し、さまざまなモノの見方・考え方・思惑(おもわく)、大人と若者、「公」と「個」など、単純な「正義」対「悪」ではなく、ありとあらゆるものが激しくぶつかり合う『仮面ライダー鎧武』の世界。
 これはまさに、「白倉ライダー」の再来、もしくはその再構築、リマジネーション(リ・イマジネーション)、「白倉ライダー」にあった欠点(後述)をも克服した発展形態であるようにも思えるのだ。


*敵を倒せば戦いは終わるのか!? 紘太・戒斗・光実、誰の生き方が正しいか!?


「大人向けのエンターテインメントならば『悪代官をやっつける』など単純な図式でかまわない。たいていの大人には『現実は違う』と理解できる分別がありますから。だが、それが育っていない子どもに向けた番組は、絵空事であってはいけない」

(『朝日新聞』13年4月12日付「仮面ライダーの敵」 東映取締役・映画プロデューサー 白倉伸一郎



 子供向け番組でこそ『悪代官をやっつける絵空事』で、たとえウソや願望でも「善意や正義が勝利してほしい」という気持ちを育(はぐく)んでおき、現実の社会や人間関係の酷薄さや複雑さを知るのは(ひとり)ボッチアニメ(笑)などを鑑賞できる思春期後期の年齢に達してからの方がいいのでは? とも思えるので、上記の白倉の発言がホントウに正しいかは疑問符をつけるけれども、『絵空事』どころか、どうにもできない現実の「社会」の構造=システムの中でもがく若者たちの姿が、『鎧武』にはしっかりと投影されているのである。
 メインキャラである紘太・戒斗・光実の中で、誰かの「犠牲」の上に成立する「社会」で生きていくためには、果たしてどの姿が最も「正しい」ものであるのかは、一概(いちがい)には判断し難いところである。
 強(し)いて言うなら、最も常識的で「社会」に順応(じゅんのう)していける、と思えるのは光実だろう。


 筆者からすれば、光実がやっていることは、ただの「偽善(ぎぜん)」にしかすぎないものである。
 しかしながら、「偽善」は、「人」の「為(ため)」に「善(よ)い」とも書くのである。たしかに周囲に対してカッコをつけて優越感にひたることだけが目的のチョイ悪(ワル)の「偽悪」や、公共心のカケラもない私的快楽だけを優先したヤンキー・不良の態度よりかは、「偽善」の態度はマシなものではあるだろう。


 だが言わせてもらえば、たとえヘルヘイムの侵略がなくとも、人々の共同体において波風を立てることなく、何事も穏便(おんびん)に済ませようとする姿こそが、日本的な「ムラ世間」そのものなのであり――実は個人主義を標榜する西洋でも実態は同じなのかもしれないが――、近年の大企業の多くが新入社員に最も求める要素である「コミュニケーション能力」も、あくまで波風を立てることなく穏便の範疇に囲い込まれた中での、調子のいいチャラ男的な社交能力に過ぎないものなのである。


 その次は戒斗であろう。
 たしかに「はみ出し者」ではあるだろうが、「怖いもの知らず」の彼を利用価値があると考える輩(やから)は、プロフェッサー凌馬にかぎらず、誰かを「犠牲」にする上で成立する「社会」の中ではいくらでも存在する、と思えてならないものがあるからだ。


 「社会」の中で、最も厄介(やっかい)であり、戒斗以上に「危険人物」扱いされてしまうと思われるのは、誰あろう主人公であるハズの紘太にほかならない。
 そもそもユグドラシルの秘密を知るたびに、自身が激しく動揺し、「絶対許せない!」といちいち絶叫しているほどなのに、それが世間の人々に知れたらパニックや争いが起きるのは必至(ひっし)であることに想いが至らない、ということ自体がヒジョ~に痛い(笑)。


 たとえどれだけ紘太が絶叫しようが、やすやすと一挙に「社会全体を変えられる」ハズがないということは、劇中人物たちよりも年長である作り手たちはイヤというほど実感しているハズなのである。
 それでもあえて、紘太のような「反逆」のヒーローを、『鎧武』で主人公としているのはナゼなのか?


仮面ライダー鎧武=紘太に見る、現代的な「公私葛藤」描写の臨界点!


 第12話において、変身すればするほどユグドラシルの思うツボになるのだからと、今後は仮面ライダー鎧武への変身を極力控えるよう、光実は紘太に進言する。
 だが、インベスに襲われる女性の悲鳴を聞き、光実が必死にとめるのを振り切って、紘太は変身しようと飛び出していく!


紘太「奴らをとめられるのはオレだけだ!」


 3体ものインベスを相手に孤軍奮闘(こぐんふんとう)する仮面ライダー鎧武の姿を前に、仮面ライダー龍玄への変身を躊躇(ちゅうちょ)する光実……


 第14話『ヘルヘイムの果実の秘密』では、ライバルチームのリーダーだった仮面ライダー黒影(クロカゲ)こと初瀬(はせ)がヘルヘイムの果実を口にしたことからインベス怪人と化し、チーム・ガイムに所属するラット青年に重傷を負わせてしまう。


 なおも街で暴れ続けるインベス怪人に対し、


鎧武「もしこのまま続けるというなら、おまえはもう初瀬じゃねえ!」


と、そうは言いながらも、鎧武はインベスに初瀬の姿が重なったことから、剣を捨てて拳(こぶし)で殴り続ける!


 だが……


鎧武「オレには人殺しなんかできない! こいつは初瀬だ!」


 公園の池にガックリとひざまづき、その拳を何度も激しく池にたたきつける鎧武……


 第9話ではポリバケツの中でコウモリインベスの出現を待ちかまえる(笑)など、本作でも再三コミカルな演技を披露してきた、鎧武のスーツアクター高岩成二(たかいわ・せいじ)ではある。
 が、この迫真の演技こそ、まさに公私葛藤(かっとう)に揺れる紘太の胸の内を、絶妙に表現している!


 インベス怪人を倒そうとした行為と、インベス怪人を倒すことができないという行為。この紘太の行動はたしかに矛盾ではある。
 しかしながら、前者は当然として、後者もまた紘太が「個」よりも「公」を優先しようとしたことに変わりはないのである。
 「個」が自分自身であれば「犠牲」になることができるが、「個」が仲間――「私」的なものともいえるが、「公」的なものへと至る端緒――である場合は「犠牲」にすることができないのだ。


 これらのことから思うにつけ、紘太は


・「自分(や仲間たち)さえよければ、他人などどうでもいい」などという、過剰なミーイズム・エゴイズムに走っているワケではない。
・かといって、個人を「犠牲」にしていた、戦前の軍国主義集団主義全体主義に通じるような、過剰な滅私奉公(めっしほうこう)に陥(おちい)っているワケでもない――だからこそ、ユグドラシルに象徴される、誰かを「犠牲」にして成立する「社会」の構造=システムが許せないのである!――


ことになり、「公」と「個」がかろうじて両立している、極めてバランスがとれた「正義感」「公共心」の持ち主であるように、筆者には思えてならないものがあるのだ。


仮面ライダー1号「世界平和のためには、優しさを捨てる覚悟も必要だ!」――実際『仮面ライダー』(71年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140407/p1)第3話『怪人さそり男』において、仮面ライダー1号=本郷猛(ほんごう・たけし)の親友でライバルだった早瀬(はやせ)が、悪の組織・ショッカーによって改造されて誕生した「怪人さそり男」を、1号は必殺技「ライダーシザース!」で倒している!――


と、映画『仮面ライダー大戦』で平成ライダーたちに対し、声高(こわだか)に主張していた仮面ライダー1号ではあったが、


「たとえ自らを犠牲にしてでも、一輪の花を守ろうとする優しさを貫くことこそ、本当の強さかもしれん」


と、ラストの鎧武とのガチンコバトルで、1号は鎧武からたしかに「自己犠牲」の精神を感じとり、潔(いさぎよ)く負けを認めたのである。
 鎧武のようなライダーこそ、今の時代に必要であると、1号から「お墨付き」を与えられたことにより、「平成」ライダーたちは「昭和」ライダーたちから「未来」を託されることとなったのだ。


*戦後70年の「公私」観の変遷。両極端に振れた時代が終わった今こそ!


 「昭和」ライダー、特に第1期ライダーシリーズ(71~75年)が放映されていた1970年代前半は、1960年代の高度経済成長期の余韻(よいん)がまだ残っていた。
 日本経済のために「個人」の「私的欲望」や「家族」が少々の「犠牲」になるのはやむを得ないとする風潮が、高度成長期から連綿(れんめん)と続いていたのだ。
 だからこそ、「滅私奉公」的印象の強かった仮面ライダーというヒーローが、爆発的に人気を得ることとなった、という背景はあるかと思われる。


 しかしながら、日本に限らず、先進各国の高度大衆消費社会化が加速した1980年代以降、思春期の若者の間では差異化競争が巻き起こった。
 現在の学校内におけるスクールカーストの発端(ほったん)となる「ネアカ」や「ネクラ」、「イケてる」「イケてない」などという妙な尺度で、当時の若者たちが同世代の内部を区別=差別=序列化する動きが始まったのだ。


 また、少年期から青年期にかけて体験した戦争体験でそうなってしまったのは同情するし無理からぬことではあったのだろうが、ノーベル賞作家でもある大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)をはじめとする「左」寄りの人々が唱えてきた、あるいは特撮ジャンルにおいても脚本家・上原正三(うえはら・しょうぞう)が自身の終生のテーマにしてきたかもしれない「個の重視」。


「『個』よりも『公』を重視することは、即座に『全体主義』や『軍国主義』に通じる」


というような、我らが敗戦国・日本の戦後の左翼が長らく唱えてきた、あまりにも極端な論法。


 その論法が間接的にお墨付きを与えるかたちで援用されて、1970年代後半以降に大衆や若者レベルでも非常に通俗化されたかたちで普及もして、過剰に「個人主義」・「私的快楽」・「享楽(きょうらく)」などを優先する風潮に拍車をかけてしまい、当時の若者たちを――筆者の世代もここに含まれる・汗――、さらに倫理面・道徳面でも堕落(だらく)させることになってしまった。
 そして、それらとのパラレル・並行で、必然的に「公共」や「社会」や「世界」の問題を考えることは「ダサい」こと、場合によっては「危ない」こととされるようになっていったのだ。


 その結果、「マジメはダメ」で「遊び人の方がイイ」ということにされて、そうした「快楽主義」にはノレない者は「ダサい」だの「クラい」だのと世間ではすっかり相手にされなくなってしまい、貧乏くさい四畳半フォークソングや優しげなニューミュージックが流行っていた1970年代には想像もつかなかった、どころか世界人類の倫理面での歴史においても前例がなかったような(笑)、前代までとは真逆の「軽佻浮薄(けいちょうふはく)」で「狂躁的」で「レジャー礼賛」な風潮が、1980年代初頭に突如勃興することとなったのだ。
――もっともそのおかげで、結婚もせず、会社や地域や社会に帰属意識も持たず、我々のようなオタク趣味に「個人主義的」(笑)にどっぷりと浸(つ)かっても、「地域共同体」「日本的ムラ世間」も半ば崩壊して人々も他人に対して無関心になったがために、隣近所や親戚のオバサンたちから後ろ指を差されたり「人並みに結婚しろ!」というプレッシャーや、異分子を露骨に地域からムラ八分にして迫害するような「同調圧力」も、前時代と比したら大幅に減じた環境が整えられた、という良い面があったことも否定はできない――


 この時代に「快楽主義」に走っていた若者は、現在40代から50代に達しているが、その連中が社会情勢や経済状況や産業構造が変わったゆえに、その価値観や時代に合った処世術などもまったく異なる今の若者たちに対し、「若いうちはもっと遊ばなきゃダメだ!」などと説教しているのは笑止千万(しょうしせんばん)である。
 そういうことじゃないだろう。「昭和」ライダーが「平成」ライダーに「未来」を託すことができたほどの、立派なことをおまえたちは本当にやってきたというのか!?


 過剰な「滅私奉公」が叫ばれた時代。
 その反動として、過剰な「個人主義」や「私的快楽」が尊ばれた時代。
 そうした両極端な時代が一巡(いちじゅん)した今の時代に求められているのは、極端な「公」にも極端な「個」にも陥らない、それらを両立する姿こそが「ヒーロー」として描かれるのが理想的なのであり、その点、本作の主人公・紘太はかなりイイ線を行っていると個人的には思えるのである。


 たしかに紘太は不器用でアブなっかしい奴ではある。
 それでもあえて紘太を主人公にしたのは、たとえ「社会」をすべて一挙に変えることはできないとわかってはいても、その「理不尽(りふじん)」さに対し、決して従順(じゅうじゅん)になるのではなく、紘太=仮面ライダー鎧武のように、


「ここからはオレのステージだ!」


と、声をあげるくらいの気概(きがい)を持って、閉塞感が漂う今の世の中を生き抜いてほしい、それにより少しでも社会を良くしてほしい、という作り手からの若者たちに対するエールではないのか? と深読みしたいものがある。
 「若いうちはもっと遊ばなきゃダメだ」なんて、80年代のケーハクな若者像を再生産したいような説教をしている場合ではない!(笑)


*「白倉ライダー」と『仮面ライダー鎧武』との相違点!


 ここまで書けばわかってもらえると思うが、「白倉イズム」を継承とは言ってきたけど、初期平成ライダーシリーズで脚本の井上敏樹(いのうえ・としき)が書いていたキャラの中には、明らかに「私的快楽」の方を優先する「享楽主義」的な傾向の人物が多かった。
 それらは80年代~90年前後のバブル経済期の典型的な成り金キャラであり、我々イケてない特撮マニア諸氏の反発をおおいに買っていたのも結局はここであろう――筆者個人もその気持ちはおおいにわかるものの、アレはアレで非常に面白い人物像たちだったとも思ってはいるのだが(笑)――。
 『鎧武』ではそういう露骨な私的快楽至上主義キャラは主要人物としては登場しない。むしろ『鎧武』ではそれらのキャラクターを相対化しているようにも思えるのだ。


 いささかカタくて重たい話が続いてしまったが、実際『鎧武』がそういう作品だから仕方がない。
 『鎧武』における多彩で多面的な「公私葛藤描写」を持ち上げてきた。だが、これを「人間ドラマ」中心でやって、ラストの数分でしかバトルが描かれていないような作品だったら、マジでキツいぞ(笑)。
 『鎧武』は本作「序盤評」(編註:拙ブログには未UP)であげたようなカッコいいアクション演出、派手派手なデジタル特撮を駆使したライダーバトルの数々が、本編の公私葛藤ドラマの流れときちんと融合して描かれることにより、「子供番組」としての体裁(ていさい)は「第2期・平成ライダーシリーズ」らしく、きっちりと保たれているのである。


 その点で言うなら、仮面ライダーブラーボ=鳳蓮(おうれん)・ピエール・アルフォンゾ(笑)の存在は、やはり特筆すべきものがある。


・第11話で仮面ライダーバロンを襲いながら、「クリスマスはパティシエにとって一番忙しい日なの♡」と語ったブラーボに、バロンが「だったら仕事しろ!」と返したりとか(爆)。


・第13話でブラーボが夜景を背にワインを傾(かたむ)ける、ってなんで人間体に戻らんのや!(笑)


・第18話でブラーボが「ビートライダーズ追放!」を訴え、選挙カーで演説したりとか(笑)。


 こういう妙なテンションのエキセントリックなキャラの登場は、まさしく白倉&井上ライダーの時代からずっと継承されているワケだが、初期平成ライダーではここまでのお笑いを披露してくれることはなかったと思う。


 だが、決してそれだけではない。
 ユグドラシルと契約関係にあるピエールは、第17話で紘太の戦極ドライバーを奪還するため、紘太の清純派な姉・晶(あきら)を自身が店長を務める洋菓子店・シャルモンに監禁……いや、ケーキバイキングにご招待する(笑)。


 いろいろあってピエールの弟子となってしまった(笑)仮面ライダーグリドンこと城乃内(じょうのうち)が、グリドンに変身して晶を襲おうと「ロックオン!」するや、ロックシードからピエールの


「バッカモン!」


と怒鳴る音声が(笑)。


 こんな緊迫した場面に平気でギャグ描写を入れてしまうのが、『鎧武』のいいところである(笑)。


ピエール「私のお客様に万が一でも失礼があってはならない。あとは力づくで奪えば済む話。これが私の仕事の流儀」


 おネエキャラやのに、メチャメチャ男らしいやんけ!(笑)


 この洋菓子店・シャルモンもそうだが、紘太たちのたまり場となっているオシャレなフルーツパーラー・ドルーパーズなんかの舞台も、やはり女性視聴者ウケをねらっているのであろう。
 ここのマスター・阪東(ばんどう)は、「昭和」ライダー第1期作品を通してレギュラー出演していた立花藤兵衛(たちばな・とうべえ)に匹敵する、まさに「おやっさん」と化しているような印象を受ける。


 第16話で、阪東は紘太に


「弱い奴全員が善人と思うか? 力を持った奴がみんな悪人だと思うか?」


と問いかける。そして、


「力そのものに善悪はない。それをどう使うかでヒーローにも怪物にもなる」


と、実に深い話を語るのである!


 権力者といえば皆「悪」であり、庶民(しょみん)・大衆は皆「善」であるのだから、後者を疑ってはいけないなどという、1970年代までのインテリ学者の過半が信じていたマルクス主義的な階級闘争図式の極端な善悪二元論を「左」寄りの識者たちが主張していた時代も80年代いっぱいまで本当にあったのだが、「おやっさん」の方がよっぽどマシなこと言ってるぞ(笑)。


 さらに、第21話『ユグドラシルの秘密』において、「隠しごとは悪いと思うか?」とたずねた紘太には「場合によりけりだな」と答え、


「何かを秘密にする奴には疑ってかかれ。秘密は力になる」


と、常に的確なアドバイズをすることにより、紘太に戦う決意を新たにさせているのである!


 それとはまさに好対照なのが、シドの存在であろう。
 第14話で初瀬が変身したインベス怪人を、シド=仮面ライダーシグルドは、鎧武の目の前で倒してしまう!


 「どうして殺した!」と息巻く鎧武に、


「人を襲う化けものを始末したんだぜ。こいつはいわゆる正義ってやつだ」


と、平然と言ってのける!

 
 続く第15話『ベルトを開発した男』では、


「汚れ仕事を平気でこなせるようになって、一人前の大人になったってもんだ」――たしかにそのとおりです・笑――
「おまえが奴を逃がしたせいで、よけいな犠牲が出た」


などと、もう紘太を挑発しまくり!


 さらに第21話で、シドは守っているのは秘密そのものであって、沢芽市ではないと紘太に語り、いざとなれば


「こんなチンケな街」


と、沢芽市がヘルヘイムの森の植物に占領されれば、その拡散を防ぐために、ユグドラシルが本社でもあるユグドラシルタワーの円盤状の高層部に設置したスカラーシステム(=電波兵器)で、沢芽市ごと消滅させる計画をも暴露する!


紘太「目的が正しくても、やり方が間違っていたら意味がない!」
シド「じゃあ、おまえは俺たちの敵ってことでいいな」


と、どこまでも冷酷に徹しながら、シグが仮面ライダーシグルドに変身するさまは素敵すぎる!


シグルド「ガキは大人の筋書きどおりに遊んでればよかったんだ!」


 変身後も変身前のこうしたやりとりを引きずっているからこそ、仮面ライダー同士の対決、彼らの動機や思想や価値観対立も含めたライダーバトルがおおいに盛り上がるワケである!


 あと、何かと紘太の「味方」であるかのような素振(そぶ)りをするばかりでなく、舞とウリふたつの「はじまりの女」の正体をも知っているなど、こっちの正体の方がよっぽど知りたい(笑)と思えるDJサガラの存在も気になるところである。


 さらには異世界ヘルヘイムでは滅亡したとされていた文明人が、インベス怪人と化しても知性や理性を残したままで進化を遂げた形態、「オーバーロード」なる種族(上級怪人)までもが登場。


 DJサガラならずとも、紘太・戒斗・光実ら若者たちが、「大人の事情」に踊らされることなく、自らが踊れるようになる日が来るまで、その行方(ゆくえ)を見守らずにはいられない!


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2014年GW号』(14年4月29日発行)~『仮面特攻隊2015年号』(14年12月29日発行)所収『仮面ライダー鎧武』前半合評1&3より抜粋)



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 2019年10月25日(金)から虚淵玄(うろぶち・げん)脚本の中華ファンタジーThunderbolt Fantasy 東離劍遊紀(サンダーボルト・ファンタジー とうりけんゆうき)』の番外編映画『Thunderbolt Fantasy 西幽玹歌(サンダーボルト・ファンタジー せいゆうげんか)』が公開記念! とカコつけて……。
 日本でも2018年秋季クールに深夜ワクで放映された台湾の特撮人形劇にして大傑作『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2』(16年)評をアップ!


『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2』 ~前作を凌駕する善悪変転作劇! 悪の美女の懊悩、正義の僧侶の闇落ちも!


(文・久保達也)
(2019年2月15日脱稿)


 かの虚淵玄(うろぶち・げん)が原案・脚本・総監修を務めることで、日本と台湾の共同で製作された、台湾の伝統芸能・布袋(ほてい)劇=人形劇による『Thunderbolt Fantasy(サンダーボルト・ファンタジー) 東離劍遊紀(とうりけんゆうき) 2(ツー)』が、2018年10月から12月にかけ、TOKYO‐MX(とうきょう・エムエックス)・BS11(ビーエス・イレブン)・サンテレビなどで、深夜枠で放映された。


*「風来坊」主役・優雅な「口八丁」・「赤毛の麗人」が織りなす中華ファンタジー


 前作『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』(16年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191109/p1)は、200年前に魔界の軍勢が人類を滅亡させようと攻めてきた際、人類が魔神たちを魔界に追い返すことに成功した力をもつ刀剣類の中で、特に危険な力を秘めた剣をめぐり、主人公側と悪側との間で「お宝争奪戦」が繰り広げられる、実にシンプルな王道冒険ファンタジーであった。


 今回の2作目は、第1作目の第1話でヒロインの「お姫様」の兄が悪党に殺されたのが5年前だとして語られる続編である。


・声優の諏訪部順一(すわべ・じゅんいち)が声を演じる、黒髪で茶色や黒を基調とした質素な衣装を着た「風来坊(ふうらいぼう)」

鳥海浩輔(とりうみ・こうすけ)が声を演じる、白髪で青い羽毛のようなセレブな衣装に銀のアクセサリーをジャラジャラと飾りつけ、常にキセルを吹かせている、優雅(ゆうが)かつ飄々(ひょうひょう)とした「口八丁」


 このダブル主人公による、ボケとツッコミのかけあい漫才的な軽妙なやりとりを中心に、主人公側と悪側との間で「お宝争奪戦」が繰り広げられる冒険ファンタジーであるのは第1作目と同じだ。


 しかしながら後述するように、前作と比べると、かなりハードな趣(おもむき)が強くなった印象なのだ。


 前作の最終回で「風来坊」が魔神を封じる際に使った剣をはじめ、魔剣・妖剣・聖剣・邪剣を36種も封印した「魔剣目録」。
 これを魔界の軍勢の再来に備えて築(きず)かれた難攻不落の城の老城主に「風来坊」が預けようとするも、毒サソリの群れをあやつる「銀髪美女」の襲撃により、「風来坊」は「魔剣目録」の中から2種類の魔剣を奪われてしまい、それが悪用されることで惨劇が繰り返される。


 第1話の初登場時のセリフが


「ひさしぶりだな」


であり、「風来坊」が


「あのときはすまなかった」


と返すことで、旧知の間柄であることが示される今回の新キャラで、赤い琵琶(びわ・楽器)を常にかかえた、盲目(もうもく)で超人的な聴覚をもつ「赤毛の麗人(れいじん)」。


 そして、この新キャラと、「風来坊」・「口八丁」のダブル主人公が、それぞれの思惑(おもわく)の違いによって離合集散を繰り返しつつも、魔剣を取り戻すために強者集結を重ねていく。まさに「平成」仮面ライダーシリーズなどにも通じる、実にヒロイックな群像劇・様式美・カタルシスこそが本作最大の魅力なのだ。


 序盤で「風来坊」は、毒サソリをあやつる「銀髪美女」によって体内に毒を注入され、洞窟(どうくつ)に潜(ひそ)むしかないほどの窮地(きゅうち)に立たされるが、そこに「口八丁」が現れ、


「困ったときは友の手を借りるのが人の世の習いだ」


と語る。
 第1期で相棒となるも、さんざん振り回された「風来坊」は「口八丁」を友として認めようとしないのだが、


「私の手を借りた時点でおまえは私の友なのだ」


と今回も「風来坊」を助けることで、自身の悪党退治のために利用してやろうという算段が、「風来坊」のみならず視聴者にも透けて見えるのだ(笑)。


 盲目だが聴覚とカンに優れた「赤毛の麗人」は、そんな「口八丁」を


「言葉も所業もうわべだけ。おまえは悪だ!」


と判断、一戦まみえるも、「風来坊」を解毒するためにその効力があるとされる角(ツノ)をもつ、人の言葉を話す「邪竜」を退治するため、ともに「邪竜」が住む「業火(ごうか)の谷」に向かう。


 ゾンビ軍団や口から火を吐(は)く直立歩行の巨大怪獣である「邪竜」に襲われるも、戦いを「赤毛の麗人」にまかせ、その強さを見極めるとして、自分はキセルを吹いて高見の見物を決めこむ「口八丁」に、


「おまえこそ、役立たずなら(ここに)置いていく!」


と「赤毛の麗人」は叫ぶ。


 自己紹介的な説明セリフではなく、こうしたバトルアクションにおける各自の行動描写こそが、そのキャラクターを深く掘り下げるための手法なのだと、実感させてくれる演出となっている。


 「赤毛の麗人」と「邪竜」に「のど自慢対決」(笑)をさせ、口から吐く炎の勢いが強すぎてひっくりかえった「邪竜」の角から、まんまと解毒の成分を抜いた「口八丁」の手口は、「邪竜」にまで「詐術(さじゅつ)だ!」と云われてしまうほど(爆)。


 「風来坊」が大軍勢に囲まれて絶体絶命の危機の最中(さなか)、第1期にも登場した魔界に住む猛禽(もうきん)類の足につかまって、空から「赤毛の麗人」が颯爽(さっそう)と登場、解毒剤を投げ渡された「風来坊」が服用するや、


「100回くらい生まれ変わった気分だぜ!」


と、マントを翻(ひるがえ)して見得(みえ)を切るに至るまでの流れは、それぞれのカッコよさを存分に描きつくした名演出であった。


*新キャラ「赤毛の麗人」の声優は、主題歌も熱唱するTMRの西川貴教


 なお、「赤毛の麗人」の声を演じたのは、虚淵氏の強い希望で第1期・第2期ともに主題歌を歌唱した歌手の西川貴教(にしかわ・たかのり)――90年代後半から00年代にT.M.Revolution(ティー・エム・レヴォリューション)の名義でヒット曲を連発。近年はアニメソングの女王・水樹奈々(みずき・なな)とのコラボも話題となった――。
 第1期のプロモーションの際に氏をモデルにして製作された人形が、第2期の撮影では流用されている。


 その喉(のど)には魔性があり、歌声がこれまでに厄介(やっかい)な騒動をひきおこしてきたという設定により、この「赤毛の麗人」は実に無口。
 しかし、彼の想いを代弁するのが、常にかかえている「赤い琵琶」の先端にある小さな「鬼の顔」なのだ。


 「口八丁」に対して、


「アンタは年がら年中しゃべりまくり。オレといっしょだ」(笑)


とホザくなど、「風来坊」や「口八丁」に対して憎まれ口をたたきまくり、よけいなことをしゃべると「赤毛の麗人」が赤い琵琶をかき鳴らすことで苦しんだりするコミカルな「鬼の顔」キャラは、その赤鬼のような顔からして『仮面ライダー電王』(07年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20080217/p1)に登場した正義側のイマジン(怪人)・モモタロスを彷彿(ほうふつ)とさせる。
 「赤い麗人」が赤い琵琶をかき鳴らして振り回すや、その音圧が多数の刃(やいば)となって周囲の軍勢を吹っ飛ばす威力(いりょく)は、『仮面ライダー響鬼(ひびき)』(05年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20070106/p1)の必殺技として描かれた「音撃(おんげき)」をも彷彿とさせるが、琵琶の先端にある鬼の顔が


「へんけ~い(変型)!」


だの


くるりんぱ!」(笑)


と叫ぶと、「琵琶」が「必殺剣」に変型する稚気(ちき)マンマンな描写自体もまた、一見シリアスなようでも玩具的でチャイルディッシュな要素も多々備えた「平成」仮面ライダーにも通じる魅力を放つものだ。


*魅力的な悪役たち! 公権力を盾に虐殺を重ねる外道役人の「青髪メガネ」!


 今回の第2期が第1期よりもハード寄りの展開となったのは、新たに登場した敵キャラたちによるところが大きいものがある。


 幻術を遮断(しゃだん)可能なオシャレなフチなしの「丸メガネ」をかけた「青髪」で赤い衣装をまとうキザ野郎は、奪われた剣によって起きた惨劇は「魔剣目録」を所持していた「風来坊」が諸悪の根源だとして「悪党」に仕立てあげるなど、序盤から公権力を盾(たて)に汚職や虐殺(ぎゃくさつ)を重ねる「外道(げどう)役人」として描かれた。
 このキザな「青髪メガネ」が悪事をたくらむ際に、白い歯を見せていやらしく笑う口元をアップでとらえたカットがシリーズを通して何度も見られたのだが、第1期を含めこのような演出をされたキャラはほかには皆無(かいむ)であり、魅力的なキャラにあふれたシリーズの中で、こいつだけは唯一(ゆいいつ)の例外であるとして、明確な差別化がなされていたのだ。


 「口八丁」は第1期で「人生とは娯楽」(笑)を信条とするほどに、


「世の悪党どもをからかうことが、最大の生き甲斐(がい)だ」


と語ったが、その行動原理は「興(きょう)が乗るか否(いな)かが最も重要」なのであり、今回の第2期では、この「青髪メガネ」が「私のオモチャ」(笑)として「口八丁」のターゲットにされる。


 中盤では「風来坊」と「青髪メガネ」の軍勢の対戦中に、「口八丁」は「風来坊」を「悪党」呼ばわりして「青髪メガネ」に近づき、一時的に行動をともにするようになるが、第1期で「口八丁」の悪党退治に利用され、さんざんな目にあわされた「風来坊」が、「こりゃ放っておいても(青髪メガネは)運の尽(つ)きだな」と語るのが笑えた。


 一方、「青髪メガネ」の方も実は「口八丁」のたくらみを察知してだまされたフリをしていただけであり(!)、ハデな剣術バトルばかりではなく、こうした腹のさぐり合い・キツネとタヌキの化かし合いといった心理戦・スパイ戦が存分に描かれるのも本作の大きな魅力なのだ。
 「口八丁」は「青髪メガネ」が寝ている間に、幻覚を見破るメガネをフツーのメガネとすり替えるセコい戦法に出るのだが(汗)、それを「風来坊」に語る場面では、殷・周革命時の古代中国の名軍師・太公望(たいこうぼう)のように優雅に釣(つ)りを楽しんでいた(笑)。
 先述した「赤毛の麗人」が所持する赤い琵琶が『仮面ライダー電王』のモモタロスとするなら、その琵琶に「インチキ・キセル野郎」と云われてしまう「口八丁」は、「ボクに釣られてみる~?」が口グセのイマジン・ウラタロスといったところか?(爆)


*銀髪で色白の「サソリ使い美女」。悪辣と思いきや苦悩を見せ改心を仄めかすも…


 ただ、「青髪メガネ」以外の敵キャラは確かに「悪」ではあるものの、意外なほどに「人間的な魅力」が感じられ、魔剣に導(みちびか)れてさえいなければ、哀(あわ)れな末路をたどることもなかったのではないのか? と、おもわず感情移入せずにはいられないほどだったのだ。
 このあたりは虚淵氏の代表作『魔法少女まどか☆マギカ』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20120527/p1)や、『仮面ライダー鎧武(ガイム)』(13年)、アニメ映画『GODZILLAゴジラ) 怪獣惑星』(16年・東宝https://katoku99.hatenablog.com/entry/20171122/p1)にはじまる『GODZILLA』三部作などに共通していた「虚無感(きょむかん)」・「無常観(むじょうかん)」が濃厚にただよっていたものだ。


 銀髪で色白の女(め)ギツネといった印象の、赤くて長い両手のツメが印象的な「サソリ使い美女」。
――「魔剣目録」から魔剣をとりだすために妖術を使う際の、両腕・両手のすばやい縦横反復の動きはさすが伝統芸能だと、感嘆(かんたん)の声をあげずにはいられなかったほどだ――
 彼女は魔剣を取り戻しに来た「風来坊」を、人間の精神を支配する魔剣で市民たちをあやつって襲撃させ、自身は町娘に化けて「風来坊」に助けを求め、背後からサソリの毒を注入して窮地に陥(おとしい)れるなど、徹底した悪辣(あくらつ)ぶりを見せる。


 だが、休戦を申し入れて共闘関係と見せかけた「青髪メガネ」にその魔剣を奪われてしまい、「風来坊」にも剣術ではかなわず、「サソリ使い美女」は悪の首領に忠義を果たせない無力感にさいなまれ、深い葛藤(かっとう)に苦しむ描写により、本来は実に生真面目(きまじめ)なキャラであることが掘り下げられていくのだ。


 その「サソリ使い美女」の心を救うこととなるのが、黒髪短髪が仏像や大仏のようにパーマした螺髪(らほつ)となっていて顔面が蒼白(汗)の「イケメン僧侶(そうりょ)」だ。
 彼はあらゆる所業において意味を見失い、その答えを求めるために行脚(あんぎゃ)の旅をしており、出会った者の要求を受け入れる代わりに、その意味を問いたださずにはいられない。


 雨宿りのために「サソリ使い美女」が住処(すみか)とする掘っ建て小屋に入った「イケメン僧侶」は、


「成果を早急に求めるのは報償を求める我欲にすぎず、それは忠節ではない。失敗しない範囲の行ないを地道に積み重ねていけばよい」(大意)


 などと、我々サラリーマンの視聴者からすれば目からウロコな説法で「サソリ使い美女」を諭(さと)すのだ。


 このあたりから「サソリ使い美女」に心の変遷(へんせん)、迷いや改心の兆(きざ)しが見られるようになる。
 それにも関わらず、いや、だからこそ皮肉にも、「風来坊」から奪ったもうひとつの魔剣で、それを見た者はその魔剣を手にせずにはいられなくなり、人を斬ることに最高の快楽をおぼえさせ、血を吸うことでその魔力が高まる剣の呼びかけに翻弄(ほんろう)されてしまい、その虜(とりこ)となることでさらなる悪行を重ねていくのだ!――赤い照明の中で人形が目をトロ~ンとさせる操演が実に秀逸(しゅういつ)だ――


 この魔剣の妖(あや)しい声を演じたのは、先述した『魔法少女まどか☆マギカ』の主人公・鹿目(かなめ)まどかや、『仮面ライダーゴースト』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20160222/p1)のマスコットキャラ・ユルセン、2018年度の深夜アニメの最高傑作といっても過言ではない『SSSS.GRIDMAN(グリッドマン)』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190529/p1)の「新世紀中学生」(笑)の一員であり、黄色髪ツインテールで言動も態度もやたらと乱暴な低身長の少年・ボラーなどを演じた悠木碧(ゆうき・あおい)なのだ!
 そのロリ顔や低身長からファンには「子供先生」(笑)なる愛称で親しまれる彼女が、まさかこんな妖艶(ようえん)な声を出すとは夢にも思わず、これには「サソリ使い美女」でなくとも虜にならずにはいられない(爆)。


 再び悪行を重ねつつ、「これでいいのか?」と葛藤する「サソリ使い美女」の心を最終的に救ったのは、首領に忠義を尽くすための宿敵であったハズの「風来坊」だった。


 最終展開の手前で一騎打ちとなり、敗北した「サソリ使い美女」は、「弱者」にふさわしい落としどころとして、自身を斬るように「風来坊」に請(こ)う。


 だが、「風来坊」は


「勝った奴が生き残るのはあたりまえ。負けてなお生き残る奴は、もっと強いのが道理だろ」


と諭すのだ!


 これこそが、本作の世界観とさして変わらないような、人心がすっかり荒廃した弱肉強食の無法地帯と化した現代社会に最も必要かと思われる「心を救う力」であり、先述した『SSSS.GRIDMAN』で、自身の気にいらない人間を怪獣で殺していた美少女高校生・新条(しんじょう)アカネの心を救った、最終回でグリッドマンが放つ「フィクサービーム!」や、同級生の3人組「グリッドマン同盟」の呼びかけに匹敵するものではないのだろうか!?


 「サソリ使い美女」が魔剣であやつった民衆を斬れずにいた「風来坊」を、


「そこで迷うのがおまえの弱さだ」


と「赤毛の麗人」が民衆をすべて斬り殺してしまったり(汗)、ここは魔境であり「風来坊」の優しさは通用しないと「赤毛の麗人」が「風来坊」を評したり、


「あの男は、おのれよりも他人の血が流れるのを嘆(なげ)く」


と魔剣が語る場面なども見られたが、そうした実に殺伐(さつばつ)とした世界観の中で、「風来坊」の弱さ・優しさを強さに転じさせる展開こそが、弱肉強食の無法地帯に生きる現代人に対する虚淵氏の暖かいまなざし・エールを、最大に象徴するものだといえるだろう。


「おまえの強さは?」


と問いかけた「サソリ使い美女」に、「風来坊」は


「負けた奴の仕返しにおびえない。ただのバカともいえるがな。どうだ、オレはつえぇ(強い)だろ?」


と、こんな場面でも軽妙におどけて見せる「風来坊」こそ、本来の姿なのだが、それが


「何もかも失ったのに、むしろそれがすがすがしい」


と、「サソリ使い美女」の心をさらに浄化させていく。


 「サソリ使い美女」は自分を見つめ直すきっかけを与えてくれたとして、「イケメン僧侶」に流浪(るろう)の旅の同行を願い出る。
 だが、今度は彼が先述した妖しい魔剣の虜となっていたために(!)、短髪パーマから長髪ストレートへアとなり、質素な僧侶の衣装から全身黒の衣装に金のアクセサリーを飾りつけたハデな格好と化した「イケメン僧侶」に、皮肉にも斬殺されてしまうのだ!


 先述した新条アカネもそうだったが、こうしたいわば「破滅型」のヒロインこそ、筆者が最も好みとするところであり、アカネ同様、なんともいとおしくてたまらないのだ(爆)。


*正義の「イケメン僧侶」。無常感や俗世の軽佻浮薄さへの嫌悪からの闇落ち


 一方の「イケメン僧侶」も、初登場は「サソリ使い美女」の毒に侵(おか)された老城主を解毒(げどく)する場面であり――そこでいきなり無遠慮にも「この老人を生かす意味は?」とやらかしたことで、城主の臣下たちの反感を買ってしまう(汗)――、倒れていた行きずりの老夫婦を助ける献身(けんしん)的な姿なども描かれてはいた。
 しかし、その老夫婦が「サソリ使い美女」の魔剣で殺されたことに、自身の行為も老夫婦の命にも「意味はなかった」などと虚無的なことを語りだしてしまう……


 「イケメン僧侶」が「人の命は無意味だ」と語ったことに、「赤い琵琶」の先端に付いたしゃべりまくる「赤鬼」の顔が、


「ロクでもないことに答えを見いだしたら……」


と警戒するのだが、「人を斬ることこそに意味・価値があるのだ」という最悪の「答え」を得てしまい、「イケメン僧侶」が悪党へと転じる契機となっていくのだ。


 それ以降、多数の人間を魔剣の毒牙(どくが)にかけた「イケメン僧侶」は、確かに断罪されて然(しか)るべきである。


 しかし、


「人のにぎわいが理解できない」


と語ったほどに、虚栄的で軽佻浮薄で無意味な喧噪・空騒ぎに明け暮れて悦に入る、俗世間における庶民のリア充(リアル充実)的な生き方には常日頃から疑問を呈(てい)しており、おそらくはそれとは真逆な半生を歩んできたのであろう「イケメン僧侶」が開いた悟(さと)りの境地には、危険な思想かもしれないが、我々のような陰キャ(ラ)・ネクラな人種たちには共感せずにはいられないものがあるのではなかろうか?(汗)


 とはいうものの、「サソリ使い美女」から取り戻した、人の精神をあやつる魔剣を駆使して、「口八丁」にあやつられ尋常(じんじょう)ではない力を発揮する「風来坊」が、


「斬るのではない。その行ないとなった縁(えにし)を断じる!」


として、「イケメン僧侶」とラストバトルを展開する最中、赤い琵琶曰(いわ)く「主役は遅れてやってくる!」と「赤毛の麗人」が途中参戦!
 「風来坊」が空に浮かべた紋章に「口八丁」が「イケメン僧侶」の魔剣を封じこめるといった、最終回ならではの主人公側の華麗な連携(れんけい)プレーによる様式美の連続には、おおいなるカタルシスがあふれていたのだ。


 「ならば一曲、歌いましょう!」との赤い琵琶の合図で、「赤毛の麗人」の声を演じた西川氏の主題歌が流れるエンドロールとなった。



 しかしその直後、赤・青・黄・桃・緑と、スーパー戦隊かよ!?(笑) とつっこみたくなるような妖(あや)しい光の群れが、暗闇の中で会話するさまが描かれる。


 古い世代としては第1次怪獣ブームの時代の特撮時代劇『仮面の忍者 赤影』(67年・関西テレビ 東映)第3クールの「根来(ねごろ)十三忍」編の毎回のラストを彷彿とさせたものだ――筆者はもちろん同作を再放送で視聴した(笑)――。
 しかし、この怪しい光の群れこそが「サソリ使い美女」が所属していた闇の組織であり、第1期で魔神を復活させたあとに消息不明となっていた「妖怪女」の「まずは私が!」との高笑いが響き渡った直後、


「第3期決定!」


がクレジットされた!


 実に期待が高まるあおり演出だが、特撮やアニメではない「人形劇」であることから、本作に注目していなかった人はきっと多いことだろう。
 第3期の放映は数年先のことと思われるが、その前に、ぜひ本作の魅力を多くの人々に知ってほしいと、個人的には願わずにはいられない。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年冬号』(19年2月17日発行)~『仮面特攻隊2020年号』(19年12月28日発行)所収『東離劍遊紀2』評より抜粋)



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 2019年10月25日(金)から虚淵玄(うろぶち・げん)脚本の中華ファンタジーThunderbolt Fantasy 東離劍遊紀(サンダーボルト・ファンタジー とうりけんゆうき)』の番外編映画『Thunderbolt Fantasy 西幽玹歌(サンダーボルト・ファンタジー せいゆうげんか)』が公開記念! とカコつけて……。
 日本でも2016年夏季クールに深夜ワクで放映された台湾の特撮人形劇にして大傑作『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』(16年)評をアップ!


Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』 ~虚淵玄脚本の中華ファンタジー! 台湾の特撮人形劇の大傑作!

(文・久保達也)
(2018年12月4日脱稿)


 2018年10月からTOKYO‐MX(とうきょう・エムエックス)・BS11(ビーエス・イレブン)・神戸のサンテレビなどで深夜枠で放映されている、日本と台湾(たいわん)の共同製作による中華ファンタジーの人形劇・『Thunderbolt Fantasy(サンダーボルト・ファンタジー) 東離劍遊紀(とうりけんゆうき) 2』は、2016年7月から9月に放映された『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の続編にあたる。


 本作が製作されたのは、メインライターの虚淵玄(うろぶち・げん)が、ゲーム・ライトノベル・漫画・アニメなど多方面で展開されている人気シリーズ『Fate』シリーズの1本で初作『Fate/stay night(フェイト・ステイ・ナイト)』(アニメ版・06年 リメイクアニメ版・14年)の前日談を描く『Fate/Zero(フェイト・ゼロ)』(アニメ版第1期・11年 第2期・12年)の原作者として、2014年2月に台湾で開催されたサイン会のために現地を訪問したのがその契機であった。
 会場近くで開催されていた、台湾の伝統芸能・布袋(ほてい)劇の展覧会イベントに、現地のスタッフに案内された虚淵氏は衝撃を受け、日本ではほとんど知られていない布袋劇を啓蒙(けいもう)しようと各方面に自ら働きかけていたところ、台湾の製作会社側からも氏に対して新企画の打診があり、『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』として、日本と台湾の合作が実現することとなったのだ。


*台湾の伝統芸能・布袋劇の魅力とは?


 布袋劇は中国・台湾・インドネシアなどで現代に伝わる人形劇の一種であり、人形の頭部や手足は木製だが、それ以外の身体部分は布製の衣服で製作され、人形の操作は手を衣装部分の中に入れて行われる。
 「布でつくられた袋状の人形」を使って演出されることが「布袋劇」の語原となっており、これは日本でいえば『おかあさんといっしょ』(59年~・NHK)などの幼児向け番組でも使用されていた、手踊り人形に近いものだろう。
 手踊り人形はかつては国内でも玩具として売られており、第1次怪獣ブームのころは、『ウルトラマン』(66年)や『マグマ大使』(66年・ピープロ フジテレビ)に登場した怪獣たちも、ソフトビニール製の手踊り人形として発売されていたのだ。


 テレビ人形劇といえば、筆者より少し上の世代であれば『ひょっこりひょうたん島(じま)』(64~69年・NHK)が頭に浮かぶであろうし、筆者の世代だと『ネコジャラ市の11人』(70~73年・NHK)、『新八犬伝(しんはっけんでん)』(73~75年・NHK)、『真田十勇士(さなだじゅうゆうし)』(75~77年・NHK)、『プリンプリン物語』(79~82年・NHK)といったあたりが印象深いところだ。
 もちろんイギリスのITC(アイティーシー)が製作したSF特撮人形劇『サンダーバード』(日本放映66年・NHK)も忘れがたい。


 ただ、これらの系譜を受け継ぐ「子供番組」、つまり、人形劇を表現の手段として用いるテレビ番組は、国内ではほぼ存在しないのが現状だ。
 アニメや特撮が隆盛をきわめる日本において、大変失礼ながら、人形劇はすでに役割を終えたのではないのか? というのが、筆者に限らず、多くの人々の認識ではなかろうか?
 だが、『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』を観たことで、そうした「人形劇」に対する筆者の先入観は、完全に払拭(ふっしょく)されることとなったのだ。


 虚淵氏が所属するゲーム会社・ニトロプラスのスタッフがキャラクターデザインを手がけ、アニメキャラのフィギュアの製造・販売で知られるグッドスマイルカンパニーの監修により、台湾のスタッフが造形を手がけた登場キャラの人形自体、たしかに完成度が高いものだ――先述した『新八犬伝』や『真田十勇士』で人形美術を担当した辻村(つじむら)ジュサブローの手による人形キャラの数々を彷彿(ほうふつ)とさせる!――。
 だが、虚淵氏が云うところのかなりデカい、遠近感や空気感が存分に再現されたスタジオセットを舞台に、非常に細かいカット割りの連続でテンポよく、登場キャラの髪や衣装が風でなびき、キャラが動くたびに足下(あしもと)が瞬間アップになり、足で踏んばってから地面や壁を蹴って跳躍していくサマを描くことで、アクションのスピード感と力強さを両立させ、砂塵(さじん)が舞い、剣術というよりはサイキックバトルと形容した方がふさわしいほど、剣がまじわるたびに光や稲妻(いなずま)がスパークしたり、キャラの背景に浮かんだ紋章から攻撃が放たれ、周囲で割れた灯籠(とうろう)や陶器が舞い、斬られた敵から血しぶきが飛んだり口から流血するなど、まさに生命の息吹(いぶき)を感じさせる絶妙な演出がなされる中で、キャラが縦横無尽(じゅうおうむじん)な動きを見せる「布袋劇」は、先述した60~70年代の日本のテレビ人形劇が、当時の技術的な限界から動きがどうしてもぎこちなかったことを思えば、やはり革新的なものとして、筆者の目を釘(くぎ)づけにすることは必至であったのだ。


 虚淵氏やニトロプラスのスタッフたちは、撮影現場を視察した際に「奇術やトリックに通じる」「観客のいないサーカス」との感想を語ったが、20世紀のむかしからここまでの映像表現に達していたワケではないだろうけど、これこそまさに21世紀の「布袋劇」がカンフー映画や日本のアニメや漫画などの映像文法なども取り入れて進化を遂げて、台湾においては「お文化」的な古典ではなく大衆娯楽のテレビ放映やビデオ販売の映像作品としても流通している現在進行形として生きている伝統芸能であることを、端的に云い表したものだろう。
 また、魔界から人間界に住みついた猛禽(もうきん)類や、移動する者を敵と認識して襲う巨大石像、ラスボスの魔神など、異形(いぎょう)の怪獣型のキャラがぞくぞく登場するのも、特撮&怪獣マニアとしては、おおいに惹(ひ)きつけられずにはいられなかったのだ。


*『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』(2016)


 さて、2016年度の夏期に放映された『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の第1作目は、200年前に魔界の軍勢が人類を滅亡させようと攻めてきた際、人類が魔神たちを魔界に追い返すことに成功した力をもつ刀剣類の中で、特に危険な力を秘めた剣をめぐり、主人公側と悪側との間で「お宝」争奪戦が繰り広げられる物語であり、実にシンプルな王道冒険ファンタジーといった趣(おもむき)が強かった。
 もちろんこれだけでも充分に楽しめる内容ではあったのだが、やはり見どころは脚本を手がけた虚淵氏ならではの、ひとくせもふたくせもある主人公たちと、その周辺キャラたちとの関係性の変化・離合集散・強者集結の妙や、「お宝」をめぐる各キャラのさまざまな思惑(おもわく)が複雑に入り乱れる群像劇として描かれている部分であるだろう。


 本作は近年の「平成」仮面ライダーシリーズで顕著(けんちょ)に見られるように、主人公が複数制となっている。


 ひとりは黒髪で茶色や黒を基調とした質素な衣装に身を包む、隣国からやって来た「風来坊」(ふうらいぼう)だ。
 彼の「よけいな厄介(やっかい)ごとにはかかわらん」という主義には、古い世代であれば名作時代劇『木枯(こがら)し紋次郎』(72年・C.A.L フジテレビ)の主人公の口癖(くちぐせ)だった、「あっしにはかかわりのねぇことで」を彷彿とさせるかもしれない。


 もうひとりは白髪で青い羽毛のような衣装に銀のアクセサリーをジャラジャラと飾りつけ、常にキセルで白い煙を吹かせている、優雅(ゆうが)かつ飄々(ひょうひょう)とした「口八丁」の男だ――キセルだけではなく、人形の口からもタバコの煙を吐(は)かせているのが芸コマだ!――。


 「風来坊」が雨をしのごうと、通りがかったお地蔵(じぞう)様に立てかけられていた傘(かさ)を拝借(はいしゃく)しようとしたところ、「口八丁」からおまえは傘に対して借りをつくったのだから、それを返すためにこの先で最初に出会った人に慈悲(じひ)をかけてやれ、と声をかけられたがために、「風来坊」は先述した「お宝」の剣を狙う悪党どもに追われる「お姫様」を助けるハメになる。
 「よけいな厄介ごとにはかかわらん」主義の「風来坊」を、本筋に巻きこむ手法としては絶妙であり、普段は憎まれ口が多いものの、「口八丁」が「無頼(ぶらい)をきどっておきながら優しさを隠せない」と語ったように、実は義理人情に篤(あつ)く、傘を斬った悪党に対して「弁償(べんしょう)しろ」などと、意外にセコい面ももつ(笑)「風来坊」のキャラを、序盤で掘り下げることにもなっていたのだ。


 また、「布袋劇」で使用される人形は面長(おもなが)の顔で製作されることが通例だそうだが、今回の「お姫様」が丸顔の造形なのは、アニメの美少女キャラのような可憐(かれん)さを出すためだったとか。
 その狙いは、筆者からすれば充分に達成したかと思える(笑)。


 彼らダブル主人公とヒロインの「お姫様」に、回を重ねるごとに新キャラが仲間として増えていくのは近年の深夜アニメと共通する展開だが、


・「ち~す」(笑)とあいさつし、お姫様にひとめぼれするような「金髪チャラ男」で槍(やり)の使い手
・その「兄貴分」で右目に眼帯をした「弓矢の名手」
・悪名高い「殺し屋」で剣の達人
・さらに死霊術を使う「女妖怪」


が、主人公側と戦った末に仲間に加わっていく。


 これは魔界と人間界の間にある山の3つの関門を攻略するために、「口八丁」の主人公が一流の達人を呼び集めたことによるものだが、「女妖怪」や「殺し屋」までをも含むことが、「お宝」に対するさまざまな思惑をより交錯させ、群像劇としての魅力を際立(きわだ)たせていたかと思えるのだ。


 そして、普段はたがいに反発しあっている一同が、いざ敵陣に囲まれるや、意外なほどの華麗な連携(れんけい)プレーを披露して敵を圧倒するさまは、それこそヒーローの複数制があたりまえになった「平成」仮面ライダーでもよく見られる、強者集結のカタルシスといえるだろう。


 また、唯一(ゆいいつ)の隣国の人間である「風来坊」を、ほかのキャラたちがナゼ奴を仲間にしたのか? 奴は何者なのか? と、関門でゾンビ軍団や巨大石像に襲撃された際、「風来坊」をひとりにしてその力を試したほど、よそ者に対する疎外(そがい)意識から一致団結することとなっていたのは、実にリアルな描写だった。
 これに嫌気がさした「風来坊」は「おまえらとはもうここまでだ」と、一時的に彼らと離れて単独行動するに至ったのだが、こうした互いの腹のさぐりあいから生まれる離合集散の展開は、「人間ドラマ」としての完成度をいっそう高めている。


 そうしたややハード寄りな世界観でありながらも、ダブル主人公の「風来坊」と「口八丁」、そして特に「金髪チャラ男」との間で毎回見られた、おまえ今日まで自分の都合だけで世の中渡ってきただろとか、冗談(じょうだん)だけで世間渡ってきただろ(笑)といった、軽妙でコミカルな、ボケとツッコミのかけあい漫才的なやりとりがあったからこそ、鬱(うつ)展開に陥(おちい)ることもなかったワケであり、これもまた近年の「平成」仮面ライダーシリーズの作風と相似(そうじ)している。


 「万策(ばんさく)尽(つ)きるまでは冗談云いあっている方がいい」とした「風来坊」のセリフは、本作の作風を端的に象徴するものなのだ。


 そして味方が敵に、敵が味方にと、登場キャラの立ち位置をシャッフルさせることで視聴者の興味を持続させる、「平成」仮面ライダーではもはや定番となっている作劇術もやはり見受けられる。
 「女妖怪」が剣そのものよりも、それが封印している魔神を復活させることが目的であるために一同を裏切るというのはまぁよくあるパターンだが、「金髪チャラ男」が「兄貴」と慕(した)っていた「弓矢の名手」も、終盤で「女妖怪」と手を組むことで、実はカネのためなら手段を選ばぬ悪党であったことが発覚した。
 それに失望した「チャラ男」は敵のアジトにとらわれた「お姫様」を救い、「兄貴」から狙われる「お姫様」を守るために、右目を矢で射抜かれてしまうほどの大活躍を見せる!


 これまで外の世界を知らなかったがために、他人を疑ったことがなく、仲間たちをずっと信じていたことを悔(く)やんだ「お姫様」に、「風来坊」が語った「正しくあろうとしたことは悔やむんじゃない」とのセリフもよかったが、「人の生き方に口出しをする」とか「乱暴者」として嫌っていたハズの「チャラ男」が見せた意外な奮闘ぶりに、「お姫様」は「人の世の正義をもう一度信じられる」と涙するに至る!――人形の目から実際に水を流して表現される涙がまた絶妙である――
 「チャラ男」と「お姫様」との関係性に変化が生じた末に、最終回で結ばれるに至る流れを劇的に描くために、登場キャラの立ち位置をシャッフルさせる手法は逆算して行われたのだ、といっても過言ではないだろう。


 「チャラ男」がずっと嫌っていた「風来坊」が危機に駆けつけ、「風来坊」が実は木刀を銀に塗っただけの刀で戦ってきた気功術の達人だと発覚したことで、「チャラ男」と「風来坊」の関係性の変化をも並行して描く作劇もまた然(しか)りなのだ。
 最終回で「お姫様」から厳しい剣術の修行を受ける「チャラ男」は完全に尻に敷かれてはいたのだが(笑)、「兄貴」の形見である眼帯を射抜かれた右目に着(つ)けていたのは、いまだ「兄貴」を慕いつづける「チャラ男」の心理描写として、泣かせる演出でもあった。


 さらに、悪名高い「殺し屋」が敵組織のボスに対し、「勝てぬと悟(さと)った以上、実際に負けてみなけりゃ気がすまぬ!」と、無謀(むぼう)にも勝負を挑(いど)んでその命を散らし、ボスの方も部下に「丁重(ていちょう)に荼毘(だび・火葬の意味)にふすように」と命じる場面もまた、両者を単なる悪党ではなく、多面的に描くことでそのキャラクターに厚みが増し、カッコよさを醸(かも)しだすこととなっている!


 ただ本作で最も立ち位置のシャッフルを見せたのが、主人公のひとりであるハズの、常に飄々として人を喰ったような態度を一貫していた「口八丁」であったのが、本作の特異な点であるだろう。
 中盤で「口八丁」が実は天下の大怪盗であることを知った一同は、「お宝」を得るために自分たちは奴に利用されていたのだと憤(いきどお)り、「風来坊」や「殺し屋」は「口八丁」を斬ろうとするまでに至るのだが、大怪盗であるにもかかわらず、当の「口八丁」は実は「お宝」にはまるで興味がなかったのである。
 「口八丁」は「人生とは娯楽」(笑)を信条としているほど、世の悪党どもをからかって遊ぶことを最大の生き甲斐(がい)としており、そのための大芝居を打つために、これまですべての登場人物を自身の手の平でころがしていたのだ。
 「風来坊」は「てめえ自身が人助けに励(はげ)みやがれ!」と「口八丁」を非難していたが、常にキセルを吹かしながら高見の見物をしているように見えるものの、ここまで人心掌握(しょうあく)に長(た)け、人々を自身の意のままに操ってしまう「超能力」を秘めた「口八丁」には、まったく新しいタイプのヒーロー像が感じられたものであり、これも立派な処世術として、我々オタたちも参考にすべきかもしれない(汗)。


 さらに意外なことに、最終回で「口八丁」は敵組織のボスを相手に、愛用のキセルが変形した(!)剣を駆使したサイキックスピードバトルを演じた末に勝利したほど、実は剣の道を極(きわ)めていたのだが、果てのない剣の道に嫌気がさしたと語っており、これこそが「剣こそは力」とホザくような悪党を、「口八丁」がからかって遊ぶようになった動機なのだろう。
 先述したように「風来坊」が木刀を刀としていたのも、道具の利点は代わりがいくらでもあることであり、結局は使う人間次第である、という信条によるものだったのだ。
 これは科学が悪なのではなく、使う側の人間次第なのだと、古今東西のSF作品で繰り返されてきたテーマと共通する文脈だが、封印を解かれた魔神を時空の狭間(はざま)に封じこめるオチまでもが翌年製作の『仮面ライダービルド』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20181030/p1)と同じなのは、まぁ単なる偶然だろう(笑)。
 それよりも、「口八丁」に敗北した敵ボスが、「おのれの遊び心のせいで世界が滅びるのだ!」と、ずっと求めていたハズの「お宝」の剣をヘシ折って魔神を復活させることで、「口八丁」から受けた屈辱(くつじょく)を晴らし、笑いながら果てていく最期(さいご)は圧巻であり、これにも絶大なカッコよさを感じずにはいられなかったものだ。


 「金髪チャラ男」と「お姫様」が武芸に励む姿に、「苦手なんだよそういうの」と別れも告げずに去っていく「風来坊」に、「口八丁」は餞別(せんべつ)として傘を手渡すが、突然襲ってきた嵐にこれでは役に立たんと、「風来坊」が放り投げた傘がお地蔵様の頭にかぶさるラストシーンは、「風来坊」と「口八丁」との出会いの場面と見事に係り結びとなっており、さわやかな余韻(よいん)を残す、実に秀逸(しゅういつ)な演出だった。


 なお、台湾では布袋劇はかつての無声映画のように、ひとりの弁士が何役もの声をこなして演じているのだが、もちろん本作では声優たちによって演じられており、「口八丁」に鳥海浩輔(とりうみ・こうすけ)、「風来坊」に諏訪部順一(すわべ・じゅんいち)と、主人公コンビの声を演じた両氏はフェロ☆メン(笑)なる声優ユニットを組んでいるだけに、その息はまさにピッタリであった。
 ほか、「お姫様」に中原麻衣(なかはら・まい)、「金髪チャラ男」に鈴村健一(すずむら・けんいち)、敵組織のボスに関智一(せき・ともかず)、敵の女幹部に戸松遙(とまつ・はるか)、ナレーターと魔神に田中敦子(たなか・あつこ)など、この豪華な配役にはアニメ&声優ファンも注目せずにはいられなかっただろうし、登場キャラのビジュアル系ぶりには、近年の深夜アニメに顕著な「イケメン大集合!」的な作品に夢中の腐女子(ふじょし)たちにとっても、必見の作品となっていたのではなかろうか?


*『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀 2』(2018)


 さて、前作の放映終了から2年を経て、2018年10月から放映を開始した続編は、前作の最終回で風来坊が魔神を封じる際に使った剣をはじめ、魔剣・妖剣・聖剣・邪剣を36種も封印した「魔剣目録」を「風来坊」がある城の城主に託(たく)すも、その内の2種の魔剣が奪われてしまい、それを悪用して民衆を大混乱に陥(おとしい)れる敵から奪還せんと、「風来坊」が再び現れた「口八丁」や新キャラとともに戦う展開である。


 今回風来坊と行動をともにする「赤毛の麗人」は、90年代後半以降にT.M.Revolution(ティー・エム・レボリューション)の名義でヒット曲を連発、近年はアニメソングの女王・水樹奈々(みずき・なな)とのコラボも話題となり、虚淵氏の強い希望で第1期・第2期ともに主題歌を歌唱することとなった歌手・西川貴教(にしかわ・たかのり)が声を演じている。
 人形自体は第1期のプロモーションの際に西川氏をモデルにして製作されたものを流用しているのだが、このキャラが実に無口なのは声を演じる西川氏が本業で忙しいためではなく(笑)、その歌声がこれまでに厄介な騒動をひき起こしてきたから、という設定によるものなのだ。
 このキャラが常に携(たずさ)えている楽器・赤い琵琶(びわ)の先端に鬼のような顔があり、これが「赤毛」の言葉を代弁するのみならず、「変形!」と叫んで剣となり、その音圧を刃(やいば)に変えて敵を切り裂く活躍を見せるのは、その赤鬼のような顔や憎まれ口を放つ口調からすれば、『仮面ライダー電王』(07年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20080217/p1)に登場した正義側のイマジン(怪人)・モモタロスを彷彿とせずにはいられないものがある。


 第2期は人の精神を操る魔剣を敵側の女性キャラが悪用したことで、大勢の民衆に襲われた「風来坊」が戦えずにいたところを、西川氏が演じる無口な「赤毛の麗人」が「そこで迷うのがおまえの弱さだ」としてすべて斬り殺してしまったり(汗)、前作の敵ボスとは明確に差別化された、青髪でメガネをかけた色白の新ボスに、「魔剣目録」の所持者こそが悪であり、万事(ばんじ)は「風来坊」の悪事とされてしまうなど、前作以上にハードな展開であるだけに、登場キャラと「しゃべる赤い琵琶」とのコミカルなやりとりは一服の清涼剤となり得ているのだ。


 ただ、今回の敵側の女性キャラがさんざん悪の限りを尽くすも、「風来坊」を倒せず、魔剣も「青髪メガネ」に奪われたことで、首領に忠義を果たせていないと無力感にさいなまれた末に、やはり今回の新キャラで、黒髪で顔面蒼白(そうはく)の「イケメン僧侶(そうりょ)」から、成果を早急に求めるのは報償を求める我欲にすぎない、失敗しない範囲の行(おこな)いを地道に積み重ねていけばよい、などと、我々サラリーマンの視聴者からすれば目からウロコな説法を受けたことで、自決をもって償(つぐな)おうとする考えに至るのには、おもわず感情移入せずにはいられなかったものだ。
 にもかかわらず、「青髪メガネ」の軍勢に囲まれたことで、またも魔剣を抜くことになろうとは……第2期は第1期の「お姫様」のようなヒロインが登場しないのだが、筆者にとってはこうした破滅型の女性キャラは、充分にヒロイン的存在となり得ているのだ(笑)。


 果たして「口八丁」は「青髪メガネ」をどのように陥れるのか? 興味は尽きないところだが、この第2期に関しては放映終了後に総括したいと考える所存である。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2019年号』(18年12月29日発行)所収『東離劍遊紀』評より抜粋)



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『映画 スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて』 ~言葉が通じない相手との相互理解・華麗なバトル・歌と音楽とダンスの感動の一編!

東映系 2019年10月19日(土)公開)


(文・J.SATAKE)
(2018年11月1日脱稿)


 秋期公開のプリキュア映画はそのシリーズの魅力が凝縮された作品となっているが、本作も「相互理解を深める出会いと別れ」「歌と映像のシンクロの妙」「ヒロインバトルアクション」に特化した見どころ満載の作品となった。


 キュアスター=星奈ひかるが宇宙で出会った「星のかけら」は彼女の言葉・行動に反応して姿を変える不思議な生物・ユーマであった。
 自分を押しつけずユーマを受け入れようと接するひかるに応えるかのように瞬間移動能力をみせるユーマ。


 一方キュアミルキー=羽衣ララは未知の生命に対して懐疑を向けてしまい、悪気ない好奇心や無邪気さゆえに迷子になるユーマを叱責してしまう……。
 「怒り」に反応し小さな全身で攻撃性を表すユーマだが、ララもユーマの身を案じる心からこその言動。その想いを伝えるためユーマが興味を持っていたオルゴールのメロディを口ずさむララ……。


 見知らぬ者との「対話」に先入観は禁物。ましてや相手を傷つけようとする言動が見えれば、そのまま自分に返ってくる。いろいろ考えてしまうと難しくなる「相互理解」だが、まっさらな気持ちで臨むことが大切だと優しく示してくれる。それを象徴するのが「音楽」だ。


 すさんだ心では歌や音楽を奏でることはない。その人の想い出や心情を表す音楽=「流れ星のうた」を歌うひかるとララにあわせてメロディをつむぐユーマ。
 言葉は交わさずとも互いを思いやる行動をとることで心を通わせる。大きなテーマの答えが日常の小さなふれあいに隠されている。それを示せるのがプリキュアシリーズの特徴であり、はるかかなたの宇宙からひとりの少女の家庭という舞台の振り幅の大きさが本作にダイナミズムを与えている。


 ともだちになったひかるとララ、ユーマは地球の不思議スポットや大自然が生み出した絶景とそこに生きる動物たちとふれあう。これまでひかるたちは宇宙の星々をめぐってきたが、地球もさまざまな「奇跡」が重なってこの環境となり多様な生命が育ち生きている星なのだ、と教えてくれる旅であった!


 理解が深まり親しくなれば離れがたいのが人情。ユーマはあらたな星を誕生させる核となる「スタードロップ」であり、星空警察が保護に回っていたのだ。
 それでも別れを拒むララ。しかしひかるはそれを受け入れる。相手を思いやる、尊重する気持ちがあれば笑顔で送り出すことを選択しなければならないこともあるのだ。


 実はララとユーマは同じ道をたどっていた。優秀な家族に引け目を感じ宇宙へ飛び出したララは、フワやひかるたちと「未知との出会い」を果たし、時にぶつかり時に共感し理解を深め、伝説のプリキュアとなったのだ。
 そしてユーマにとっての未知の相手がララ。この巡り合わせに思い至った彼女はまたひとつ成長し、送り出そうとするのだが……悪しき存在がそれを阻む!


 スタードロップを高値で売り抜こうと躍起になる犯罪者たち=宇宙ハンター。彼らの利己的で衝動のまま無軌道に悪事を働く闇の感情を取り込んでしまい、危険な星へと成長するユーマ!
 このままでは地球を押しつぶしてしまう……
 ユーマへ突入したひかるとララが目にしたのは、みんなで楽しく巡った地球のスポットの数々を再現した大地であった。悪しき感情で雷鳴轟く黒雲に覆われているが、その大地は楽しくきらめいた想い出から生み出されたものに相違ない!


 ユーマと心を通わせた「流れ星のうた」をイントロにして、ひかるとララは心から溢れる想いを歌とダンスにのせる。それがテーマソング『Twinkle Stars』だ。
 その歌声とメロディーに呼応して空は澄み、木々の緑が映え、花のつぼみが開きはじめる……。モーションキャプチャーでなめらかな動きのダンスを実現させ、360度自由なカメラワークでそれを開放的に捉える。
 CGの技術向上はめざましいが、それでもキャラのいきいきとした表情を仕上げるには人の手によるアニメートが欠かせない。デジタルだけでは表現できない深みもプラスしたソング&ダンスシーンは進化を続けている。


 もうひとつの注目ポイント・バトルアクションも劇場版ならではの見どころが満載!
 ライバルである宇宙ハンターは個性的な面々。炎を操るニトロ星人、液状化で変幻自在のウォーター星人、影に潜み急襲するシャドー星人、多様な武器を装備するメカ星人、巨体でパワーファイターのジャイアント星人。特殊能力でプリキュアたちを追い詰める迫力のアクションが、手描きアニメート独特のタイミング取りが絶妙なダイナミックさで展開される。


 対抗するプリキュアも映画オリジナルのパワーアップを果たす!
 12星座のスタープリンセスの力を借りた必殺技はテレビシリーズでは基本の画がひとつだが、本作ではそれぞれの星座のスターカラーペンをチャージすると、専用のドレスにコスチュームチェンジ! ヘアーアレンジも含めトータルで星座の特徴を捉えたデザインがされているのだ。


 ニトロ星人たち1対1の戦いではじっくりとアクションを描き、宇宙空間での群れを成すハンターとの戦いでは短いカットをつないでテンポよく各星座ドレスでのバトルアクションを見せてゆき、華麗な新変身を強く印象付ける。これはテレビシリーズ後半でも見せてほしいパワーアップであった。


 本シリーズのテーマである相互理解を「言葉が通じない相手」とハードルを上げつつ、ララの成長とあわせて描いた巧みさ。宇宙と同じように地球も不思議な奇跡によって生まれた星であること。激しいバトルアクションをプリキュア独自のきらめきを忘れず見せる。そしてソング&ダンスで心豊かになるラストを迎える。
 各要素がバランスよくまとめられた感動の一編であった。


(了)
(初出・当該ブログ記事~オールジャンル同人誌『DEATH-VOLT』VOL.84(20年3月8日発行予定→4月5日発行)


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『映画スター☆トゥインクルプリキュア ~星のうたに想いをこめて~』オリジナル・サウンドトラック

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