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異世界かるてっと ~原典「劇場版 幼女戦記」「この素晴らしい世界に祝福を! 紅伝説」「Re:ゼロから始める異世界生活 氷結の絆」「盾の勇者の成り上がり」評

『慎重勇者~この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる~』『超人高校生たちは異世界でも余裕で生き抜くようです!』『本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません』『私、能力は平均値でって言ったよね!』『旗揚!けものみち』 ~2019秋アニメ・異世界転移モノの奇抜作が大漁!
『怪獣娘(黒)~ウルトラ怪獣擬人化計画~』 ~5分アニメ1期&2期含めて良作! 『ウルトラマンレオ』のブラック指令&円盤生物が大逆襲!?
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[アニメ] ~全記事見出し一覧


 15分アニメ『異世界かるてっと』(19年)2本立てと続けて『異世界かるてっと2』(20年)2本立てが、TOKYO MXにて再放送中記念! とカコつけて……。『異世界かるてっと』の原典作品群である『幼女戦記』(17年)、『この素晴らしい世界に祝福を!』(16年)の映画版『映画 この素晴らしい世界に祝福を! -紅伝説-』(19年)、『Re:ゼロから始まる異世界生活』(16年)のOVA劇場先行公開『Re:ゼロから始める異世界生活 氷結の絆』(19年)、そして『異世界かるてっと2』(20年)で参戦した『盾の勇者の成り上がり』(19年)、および『劇場版 幼女戦記』(19年)評をアップ!


異世界かるてっと』 ~インター・ユニバースの原典『幼女戦記』・『映画 この素晴らしい世界に祝福を!-紅伝説-』・『Re:ゼロから始める異世界生活 氷結の絆』・『盾の勇者の成り上がり』・『劇場版 幼女戦記』評 ~グローバリズムよりもインターナショナリズムであるべきだ!

(文・T.SATO)

異世界かるてっと』

(2019年春アニメ)
(2019年4月27日脱稿)


 ナンと! 異世界転生モノの4大人気深夜アニメ、


●『この素晴らしい世界に祝福を!』(16年)
●『オーバーロード』(15年)
●『幼女戦記』(17年)
●『Re:ゼロから始まる異世界生活』(16年)


 上記4作品のキャラクターたちが作品の壁を越境して共演し、現代日本の学校の教室で授業を受けている(!)という衝撃の15分アニメ! スゴい、スゴすぎる(笑)。なお、4作すべてが小説投稿サイト発祥作品というあたりがご時世でもある。そして、私的にはこの4作すべてが良作だとも思う。


●ヒッキー(引きこもり)の少年が転生した異世界で、水の女神アクアさま(声・雨宮天)&おバカな仲間たちとパーティーを組む『この素晴』
●オンラインゲームの世界(異世界?)に善い魔王(笑)の役回りで閉じ込められたサラリーマン青年&その眷属たちが活躍する『オーバーロード
●同じくヒッキーの少年が異世界で、銀髪の少女エミリア(声・高橋李依)とともに、時間ループで事態を改善しつづけていく『リゼロ』
●リストラ断行の壮年部長の異世界転生である幼女(爆)(演・悠木碧)が、副長(演・早見沙織)とともに率いる魔法使い部隊で、旧独モドキの軍人として戦う『幼女戦記


 各チームが互いに警戒しつつも同席し、彼らのさもアリなんの発言やいつもの言動がこの場だとギャグになる(笑)。


 ただまぁ、キャラデザはSD(今風に云うと「ぷちキャラ」)化された2~3頭身とすることで、リアリティー・ラインも下がって、この作品はあくまでも番外編でコメディでもあることは主張している。


 低予算作品でもあり、激しいアクションなどはナイどころか、口&眼以外はあまり動かず、書き割り紙芝居(笑)といった体になっているけど、絵柄がこうなってしまうと、あえてその部分にツッコミを入れる御仁はいないだろう(多分)。


 とはいえ、登場キャラクターは各作から2~3名といったワケではない。各作から各々のレギュラーキャラが10人近くも登場しているのだ! アフレコ現場は大渋滞なのではなかろうか? ということは、ギャラは単純計算で通常作品の4倍にも達していることになる!?――そこが本作のキモではあるから、そこで手抜きはできないだろうけど。しかし、ド新人を揃えた作品ではなく、中堅人気声優を揃えた作品群だから、やはりギャラで予算は喰っているとも推測――


 製作&カントクは5分アニメ『怪獣娘(かいじゅうガールズ)~ウルトラ怪獣擬人化計画~』(16年)などの「スタジオぷYUKAI」&芦田みのる。同作も低予算5分ワクの範疇で手堅く職人ワザ的に仕上がっていた小粒良品でもあったので、本作も同様に笑える小粒良品に仕上がるものと予想する。
ブシロードスリーブコレクション ハイグレード Vol.2447 『異世界かるてっと』

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.74(19年5月4日発行))


幼女戦記』 ~異世界近代での旧独vs連合国! 新自由主義者魔法少女vs信仰を強制する造物主!

(2017年冬アニメ)
(2017年4月27日脱稿)


 魔法のホウキの代用品で空を飛ぶ「魔法少女」と、「旧ドイツ軍」との組み合わせ。現役アニオタならば誰もが思っただろうけど、前クール昨秋の『終末のイゼッタ』(16年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201101/p1)とも内容が力ブるなぁ。両作ともに人気声優・早見沙織がサブヒロインだしィ――アッチは気高き「王女様」、コッチは従順な「二等兵」っぽい副官で、正反対だけれども――。


 健康的なイゼッタ嬢は大型銃器にまたがって劇中内ではほぼ唯一絶対の「魔女」だったけど、本作の幼女は眠そうかつ性格キツそうでもある面妖な声でしゃべるおチビの9歳(!)。右足ブーツ底に付けた特製魔法鉄板をホウキ代わりに超高速で空を飛び、ライフル銃を撃ちまくる! 見開いた両眼も爛々、それを隅取る濃ゆいマツ毛もパッチリな、不敵な面構えの金髪ショートの碧眼幼女が魔法使い部隊を鬼隊長として率いるのだ!


 常に重苦しく垂れこめた暗雲と第1次世界大戦を想起させる幾重にも細長く連なる塹壕に、大砲の発砲と着弾の硝煙もただよう草木も粉砕された荒野の戦場。このへんのビジュアルの徹底もスゴいけど、名作反戦映画『西部戦線異状なし』(1930年・79年にリメイク)の時代も遠くなりにけり。一昔前の深夜アニメ『戦場のヴァルキュリア』(09年)にも感じたけど、偽史ではあっても前世紀の欧州世界大戦時の古式ゆかしい兵器や軍装や当時の欧州の牧歌的な田園風景に、レトロなロマンを不謹慎にも感じてしまうのは筆者だけであろうか?(汗)


 そして、『イゼッタ』との決定的な相違は、旧ドイツもどきの立ち位置。ナンと、本作における旧ドイツは敵国ではなく自国である! この幼女は定番悪役のために戦っている「悪徳国家の犬」ですよ~(爆)。


 #1は迫力ある陸戦や空戦を見せるだけといった感じで、中身はさしてナイけどそれだけで間が持つので、タイクツはせずに鑑賞ができた。けれど、作画だけ凝っていて中身はスカスカ、あるいは#2からは作画が並レベルになってしまう作品も珍しくはないことから、真価の判定は#2以降にお預け。


 しかし、#2では#1を上回る衝撃が!(笑) #2こそサブタイトル通りのメタ時系列を遡った「プロローグ」。現代日本の大企業の人事部長とおぼしき冷徹そうな長身エリートサラリーマンが、容赦なくダメ出しして中年社員をリストラ通知していく姿が延々と描かれる。


 ナンじゃこりゃ? と思いきや。電車待ちをしていた東京駅ホームで、逆恨みしたリストラ社員に背中をドンされて……。この小憎らしいエリート男が本作主人公の幼女の前世かよ!?(爆) コレじゃ萌えアニメにならないじゃないか!?――アッ、萌えアニメじゃなかったんですネ(汗)――


 そして、彼を異世界に輪廻転生させる際には、グノーシス主義的な「悪い(?)神さま」も出現!


――この世が不条理に満ちているのは、「天地創造の神」もまた「不完全な存在」であったから……という紀元前からある異端思想。転じて『仮面ライダーアギト』(01年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20011108/p1)などでも引用されたように、我らが住まう「物質世界」を創造したのは「悪い神さま」で、それとは別に「良い神さま」とでもいった存在がこの「物質宇宙」の「外側」にはいて、それが人類の体内にタネをまくように「精神」や「知性」を与えてくれたのだ!(「肉体」や「肉欲」や「劣情」などの物質的なモノの方は「悪い神さま」由来のモノなのだ!)……などのバリエーションもあり――


 基本的に本作は、前世の記憶も引き継いだ反則キャラの幼女が、魔法もアリの異世界近代で孤児院から士官学校に進んで軍人となって立身出世をすることで、身の安泰を図りつつも、かといってムダに戦闘狂でもなく宮仕えの(サラ)リーマンの身だから仕方なく前線に投入されてしまって、その上で勝利を納めていく姿が描かれている――まぁそれでも、幼女の声での「国際法規」に準じた「事前通告」を、敵軍は「子供のイタズラだろう」と思うことを見越して、「国際法規」に反しないかたちで奇襲を仕掛けるなどの悪知恵を働かせたりするあたりで、狂人ではないけど充分に悪人ではある(笑)――。


 それと並行して描かれる幼女と神との対立劇。「現代人は、特にオマエは信仰心がウスい。神への感謝が足りない」との理由で「自身を信仰しろ!」と強制してくる神さまに対して、精神のレジスタンスを行なう幼女の方こそ正義なのだ! という内容だったら、個人的には今となっては陳腐凡庸だから鼻で笑うけど、本作ではそーはならない。
 この幼女がまた、畏(おそ)れ多くも神さまに対して「市場原理主義(!)を叩き込んでやる!」(爆)などとホザいてみせる、さすがに前世は現代日本のリストラ・首切り専門の人事部長の出自だけあって、神なき弱肉強食・優勝劣敗の「新自由主義者」であるあたりで、どっちもベクトルは違うけど、双方ともに「正義」とは云いがたい(笑)、独仏戦のみならず、ロクでもない両極端の2者の対立劇でもあって、本作の構図自体が尋常な作劇術ではナイのだ――しかも、劇中では幼女が超魔法を発揮する際の神との交換条件でイヤイヤ形式的に神を讃えているけど、こんなの正しい信仰といえるのか?(笑)――。


 この作品、旧独が大戦で勝っちゃう不道徳な作品なのかと思いきや……。最終回では後年のド・ゴール大統領ならぬ旧仏もどきのド・ルーゴ将軍(笑)の亡命政府までもが登場。日独伊が滅びても残ったスペインのフランコ独裁政権も、戦争や革命によらず数十年後には軟着陸して今ではノンポリのサッカーの国なのだから、旧独が勝ってもイイじゃんか!? と小一時間……。
劇場版 幼女戦記 クリアファイルB

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.69(17年5月4日発行))


『映画 この素晴らしい世界に祝福を! -紅(くれない)伝説-』

(2019年秋アニメ映画)
(2019年12月15日脱稿)


 小説投稿サイト出自の異世界ファンタジーだが、その投稿サイトで流行したシリアス風味な変化球作品などではなく、出版社出自の00年代ライトノベル異世界ファンタジーで主流を占めていたマンガ・アニメ的で楽屋オチも満載なユカイな作風の作品であったのが原典『この素晴らしい世界に祝福を!』であった。本映画は深夜アニメ版が2期(16・17年)も作られたそんな人気アニメの続編劇場版である。


 原典は異世界に転移したヒッキー(引きこもり)でお調子モノの少年や、彼を異世界に転生させるも少年の陰謀(笑)で自分も下界(地上界)に同行することになってしまったオマヌケな「水の駄女神(ダメがみ・笑)・アクアさま」と、「長身の金髪変態女剣士・ダクネス」に、「やや小柄で貧相な黒髪ショートの魔法使い少女・メグミン」。彼女ら使えない仲間たち(笑)を携えた少年一行が、西欧中世ファンタジー異世界で魔物退治、あるいは日々の糧を得るために単なる肉体労働に勤しむ姿(笑)……でもなく、それもまた言い訳で、彼らのそんな日常・労働・冒険の過程で生じるドタバタ喜劇を愛でる作品でもあった。


 今回の映画版でもヘタにキバらずおバカに徹して、なおかつ近年の実力派人気声優・高橋李依(たかはし・りえ)が演じる、ファンの間では大人気らしい魔法使い少女・メグミンにスポットを当てている。赤い服に巨大なトンガリ帽子と黒マントを羽織って、その杖から半径数百メートル規模の大爆発を起こす絶大なる威力の火球を放つ「爆裂魔法」を得意とする彼女だけど、その魔法は標的には当たらない。加えて彼女はその一発で力尽きてしまって、仲間にオンブしてもらって戦線を離脱するのがお約束のギャグである(笑)。


 実は日本人女子の半分近くがそーであろう小柄で貧乳な彼女の、媚びずにややキバって背伸びをしようとしているけど安全に回収されてしまう程度のソレと、キンキンとしつつもチョットだけくぐもって未熟さ・弱さ・少々の卑屈さ(笑)をも感じさせる声音で、良くも悪くもギャルや成熟した女性とは釣り合いが取れない弱者男子である我々オタク男子にも手が届きそうに思わせるところが、彼女の人気のヒミツか? と邪推するけどいかがでしょ?


 その伝で、一行がメグミンの故郷に出張って彼女の実家に宿泊し、家族や彼女の妹弟が「姉ちゃんが男を連れてきた!」と大騒ぎ!(笑) 余計な気も回して、メグミンと少年が彼女の部屋で何泊もするのに、お約束で何かアリそで寸止めで何もなく終わるあたりが、本作の胸キュン萌えポイント。


 題材・作風・絵柄的にも、良くも悪くもオタ層に限定された愛玩物に過ぎなくて、一般層やオタの周辺層に越境・浸透することがない作品ではあるけれど、ファンムービーとしては成功したようで、いつものお約束ギャグでドッカンドッカン笑いも取っていたようだ。


 その意味では幸福な作品なのやもしれないけど、筆者個人は好きな作家や作品を、信者的な目線で割り引いて好意的にヒイキして観るタイプではないし(?)、ギャグ作品なりの作劇の巧拙も客観的に観たいと思って、やや冷めて鑑賞してしまうタチなので、本作の評価も悪くはないけどTVシリーズ本編の方が面白かったというモノである。
映画 この素晴らしい世界に祝福を!紅伝説

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.76(19年12月28日発行))


『Re:ゼロから始める異世界生活 氷結の絆』

(2019年秋アニメ映画)
(2019年12月15日脱稿)


 異世界転移モノの2クール人気アニメ『Re:ゼロから始める異世界生活』(16年)。時間リープ能力で近過去に戻って事態を改善しつづける作品で、死んでも死なずにヤリ直せるあたりについては倫理的な批判があっても当然なのだけど、その死ぬ際の描写は実にイタくて苦しそうなので、個人的には安直なストーリー展開だとは感じてはいない。……ていうか、キャラやギャグはともかく、劇中内で起きる事件や作戦失敗にまつわる落命描写などについては重たすぎるようにも思えて、2010年前後には毒にも薬にもならない日常系(空気系)といったポワポワまったりな「萌え4コマ」マンガ原作の深夜アニメが流行っていたというのに、こんなシビアな作品がよくも人気が出たなぁ……とも思ったほどである(汗)。まぁこのへんは個人の主観の相違の問題で、本作における生命の扱いを「軽い」と感じた御仁の異論も尊重したいとは思うけど。


 本作も人気アニメにアリがちな出涸らし商法(笑)。語られざる「逸話」や「番外編」に「前日談」などで細かく稼ごうというファンムービー――厳密には中編OVA――の劇場先行公開作品で、本作の銀髪ロングの涼しげで美麗なメインヒロイン・エミリア嬢には、こんなに哀しくて淋しい孤立した人生を送ってきた前歴があったのだ! といったお話である。


 雪深い森林の巨木なのだか洞窟なのだかを小ギレイにして、慎ましやかな生活を送り、時々村落に降りてきては、森林の希少物資を生活必需品と交換するも、村落の人々は彼女に冷淡である。それは彼女の時に暴走してヒトを傷つけてもしまう氷結魔法のせいでもあるらしい――往年のTV特撮『帰ってきたウルトラマン』(71年)の名作回である#33「怪獣使いと少年」に登場した被差別選民のごときゲスト少年のような位置付けであり、大勢の庶民が差別的にふるまう仲で、分け隔てなく商品を売ってくれる商人も少数はいる――。


 といったところで、観客の彼女への感情移入も喚起しつつ、村落や彼女に対して盗賊が襲ってきたり魔物が襲ってきたりで、中盤や終盤のクライマックスも作っていく……。


 本作の2ヶ月前に公開された『映画 この素晴らしい世界に祝福を! -紅伝説-』でもフィーチャーされたサブヒロイン・メグミン嬢ではキンキンしつつもやや卑屈(笑)な声で見事にキャラを表現した高橋李依(たかはし・りえ)嬢だったが、本作では高貴だけれども弱さも少しだけ残した涼しい可憐な声のひとり芝居作品といった感である。


 人気作にふさわしく美麗な映像も魅せてくれるが、可もなく不可もなしの水準作ではあって、突出してドーコーといったことはない印象。筆者も本作のファンではあるけど信者ではないので、その部分での感慨を語る任にはナイ。
Re:ゼロから始める異世界生活 氷結の絆 通常版 [Blu-ray]

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.76(19年12月28日発行))


盾の勇者の成り上がり

(2019年冬アニメ)
(2019年4月27日脱稿)


 若者が西欧中世ファンタジー異世界へと転移したり輪廻転生する、2010年代には掃いて捨てるほどに勃興している陳腐凡庸なジャンル作品の1本。


 ただし、80年代中盤以降に勃興した純然たる異世界ファンタジーと、コレら21世紀の異世界転生ファンタジーはやや異なるとも思うのだ。こーいう非日常的な世界や物語を好んで没入してしまう我々って、リアルの世界で充実できない「弱者」だからだよネ、ということをオタク読者側でも自虐的に自覚しはじめることで、それを作品側でもメタ的に反映して、異世界に転生するのはフツーの少年ではなく、オタでありニートでありヒッキー(引きこもり)が定番ともなっていく。それをまたオタ間で「ニート異世界でチート(万能能力)で最強!」との端的なフレーズでジャンルの特徴を概念化して自覚することで、無自覚な願望発露ではなく確信犯で願望を発露する、メタにメタを重ねるややこしいジャンルともなっていく(笑)。


 本作では西欧中世ファンタジー異世界に、その世界の伝説の存在である「剣の勇者」・「槍の勇者」・「弓の勇者」らとして、4人の日本人少年や青年が召喚されてくる。主人公青年以外は馴れ合わずにカッコをつけてるスカした要領のいいイケメン青年といった感じだけれども、彼らは自身の今の境遇と同じ趣向のライトノベルも山ほど読んでいたのか(笑)、あっさりと状況に適応。この世界で魔物を倒す勇者としてふるまって、国王肝煎りで王宮にて彼らの従者も募ることになる。


 しかし、防御用の「盾」だけが武器である主人公の「盾の勇者」は当然ながら不人気だ。しかし、奇特にも従者に立候補する赤毛の美女がいて、魔王と戦う前にスキルを高めるための冒険の日々が始まる。


 ……と思いきや、この赤毛の美女が実は性悪で狡猾な女で、宿屋で主人公が王から貸与された路銀を奪った末に、自身がレイプされたと婦女暴行の罪までカブせて、主人公勇者は捕縛をされてしまう! 無実を訴えるも、他の勇者たちも王族たちも彼の言い分を信じない(爆)。偽証して内心ビクビクではなく平気の平左どころか「してやったり」と悦に入っている風情の赤毛女。


 ウワァ~、日常生活でも幼少時からこーいう悪女や悪党っていたよなぁ(爆)。私事で恐縮だけど、子供のころに隠れんぼ遊び(笑)をしていて、先に見つかっているのに「鬼」役の男の子に「まだ見つかっていないことにして」との口裏合わせの交渉をしている声が何度やっても聞こえてきて、いつまで経っても「鬼」役をやらないので、糾弾するのもバカバカしくなって無言の抗議の意味も込めて「帰る!」と云って去っていったら、「あーいう子(=筆者のこと・爆)、大ッキライ!」とホザいていた、こまっしゃくれた近所の女の子がいましたヨ(笑)。
 そーいう輩は生来からして、公共心や公平・フェアの精神などは持ち合わせてはいないのだ。仮にそう振る舞うことがあっても、本心からのモノではなく、周囲に多数のそーいう目線があった場合に利害得失を計算した上での「フリ」でしかないという(爆)。


 サヨク的には人間の本質は「性善」であり、「悪」をなすのは「環境」や「格差」や「社会」や「国家」、安倍ちゃんやトランプのせい、昭和後期のころだと「すべては天皇制が悪いからだ」とされていたけど(笑)、筆者はそうは思わない。生まれつきで公共性よりも私的快楽・虚栄心の方を優先し、罰則があるから悪事をしないだけの人間は、いつの時代のどの国でも相当程度にいると私見


 またまた私事で恐縮だけど、筆者は幼稚園に入園数日目にして(笑)、「雨天ではなく晴れの日の始業前は、園庭で遊ぶこと」というルールを破って教室での粘土遊びを誘ってきた悪ガキがいて、情けないことに気弱であった筆者はソレを断れずに、しかもその現場を保母さんに見つかってしまったところで、その悪ガキはサラリと息をするようにウソをついて筆者のことを首謀犯に仕立てあげて、筆者はキビしい叱責を受けることになってしまったことがある(笑)。三つ子の魂、百まで。その子はのちにやはり不良少年となって、小学生のころから突然、同級生に殴りかかったり、風が強い日の冬の公園で枯れ芝生に放火して消防車が来たりもしていた(爆)。でもまた、そーいう不敵なヤツが頼もしくも見えるのか、ある種の女子たちにはモテたりもするのであった(汗)。


 ただ、だから周囲に合わせて処世術として自分も「悪」に染まってしまえ! ということでは毛頭なくて、悪党を見抜いてバリアを張れ! あわよくば改悛させろ! たとえ世界が「悪事」に満ちていても、せめて自身の周囲だけは虚栄心より道理や公正が通るような場・空間を作りたい! と主観的にはそうも考えてはいるのだ――そーいうテメェこそが悪党で虚栄心の塊そのものだろうと思っている知己たちも結構いそうだし、筆者も人生途上で相当程度に失態はあったと自覚もしているので、ここで謝ってはおきますが(汗)――。


 閑話休題。まがりなりにも勇者の身分なので、牢獄には入らずにシャバに放免された「盾の勇者」の青年主人公クンは以降、他人を安易には信用しなくなる。しかして非情になりきれもしないので、虐げられている奴隷の亜人少女を見かねて購入。彼女を従者として地道にスキルアップに務めていくのであった……。


 そんなワケで、他人からそうそう虐(しいた)げられることはないであろう平均的な子供たちには、少年マンガや女児向けアニメのように「他人や世界への信頼」を念仏のように唱える作品を鑑賞させることも悪くはないとも思う。
 しかし、他人から侮(あなど)られがちな「肉体弱者」や「性格弱者」に生まれついてしまった筆者もとい我々のような人種は、「顕教」ならぬオタク「密教」として、ナチュラルにイジワルやイジメをしてくる性悪な人間といかに距離を置いたりイナしたり流してみせたりして、隙を見せずに時にはいかに戦ってみせるか!? といった、「理想論」ではナイ実地に使える「処世術」を、もちろん一般ピープルも知ってしまうとアドバンテージがなくなってしまうので、一部オタ間での一子相伝のかたちで、今だとネット上の巨大掲示板の特定板などに蓄積して参照可能な「知恵」としていくような、ここ20年ほどのオタ間であった流れ自体は、とてもイイことだとは思うのだ。そして、本作もまたラノベライトノベル)やアニメといった「物語」の体裁を採った、そーいうモノの広義での一種としても捉えられる。


 なので、本作の主人公青年クンはこのテの異世界転生モノによくある、あからさまな弱者でもあるニートやヒッキーな主人公たちと比すれば、ややタフな人物造形&キャラクターデザインともなっている。


 近年、小説投稿サイト出自の異世界転生モノを「(小説家に)なろう」系として小バカにする風潮があるが、筆者の印象は少し異なる。近年の『ゴブリンスレイヤー』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200209/p1)・『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190908/p1)・『灰と幻想のグルムガル』(16年)・『GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』(15年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20150901/p1)などは、むしろヘビーな作品といった感があるのだ。
 00年代の既成の商業ラノベ異世界転生モノが意識的にか無意識にかマーケティング的にマイルドで口当たりのいいナンちゃって楽屋オチ感や美少女ハーレム感が満載のファンタジーばかりになってきたところで、そのアンチテーゼとして既成の商業誌では通りにくいヘビーでシリアスな異世界転移モノがアングラなネット媒体や新進の弱小出版社を苗床に勃興していったという面もあったのではなかろうか?
 いやまぁ、同じく小説投稿サイト出自でも、『魔法科高校の劣等生』(14年)・『この素晴らしい世界に祝福を!』(16年)・『ナイツ&マジック』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200202/p1)あたりを反証に出されてしまったならば、謝りますけれど(笑)。


 2019年冬アニメでは本作が一番面白いと思ったけど、オタク世間でも同様だったようだ。ダークホースでありながらも開幕してみれば一番人気となり、#1を60分スペシャルとして作った製作陣の自信のほどもダテじゃない! とも云うべきである。
盾の勇者の成り上がり 第1期 DVD-BOX1 (全1-13話, 325分) アネコユサギ アニメ [DVD] [輸入版] [NTSC]

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.74(19年5月4日発行))


『劇場版 幼女戦記』 ~グローバリズムよりもインターナショナリズムであるべきだ!

(2019年冬アニメ映画)
(2019年4月27日脱稿)


 大企業の人事部で非情なリストラを断行していた冷徹なサラリーマンがその不信心を神さまになじられ、演技派のロリチビ系アイドル声優悠木碧(ゆうき・あおい)が眠たそうで狡猾そうでもある面妖なボイスで演じる金髪ショートの不敵な9歳児の幼女として、西欧近代チックな異世界へと転生。
 前世の知識を持ち越した彼(彼女?)は、生活のために軍人に志願。魔法部隊の部下を率いて敵国と戦い、イヤイヤながらも神を讃える呪文で発動する超魔法の力も借りて(汗)、旧独モドキ国家を勝利へと導いていく……。そんな背徳感にも満ち満ちた深夜アニメの続編が映画で登場だ。


 今度の主敵はソ連ソビエト連邦)モドキ。さすが市場原理主義者(=新自由主義・経済絶対主義)を自称する幼女だけあって、劇中でも自身のポリシーとは真逆な共産主義者や共産イデオロギーへの蔑視や敵視を公然として隠さない(イイのか?)。とはいえこの作品も、主人公幼女を劇中内絶対正義として描く作品ではない。「神」・「新自由主義」・「共産主義」すべてを懐疑してみせる視線がある。


 ちなみに筆者も、90年代以降は「右派」や「左派」よりもグローバリズムな「新自由主義」こそが最大の悪であり、日本のみならず世界中に「競争至上」・「利己主義」・「貧富の格差」・「駅前風景同一化」をもたらしたと考える。「新自由主義」経済による「ヒト・モノ・カネ」の「過剰流動性」に人間一般が適応できるワケがない。持続可能な「地域」・「家族」・「個人」・「職業」の安定性をも毀損する。
 だから、対抗策として「毒には毒を」で、「ナショナル」で「ローカル」で「インディビジュアル(個人)」な「右派」や「左派」を「新自由主義」経済にブツけて、せめてこの風潮に対してブレーキをかけることこそが喫緊であるとは私見する――筆者個人は「右派」「左派」ともに信じちゃいないけど(笑)――。


 「世界」は「人類補完計画」な無個性で均質な溶けたスープとも実質的には変わらない世界統一ルールに基づく「グローバリズム」で統一されるべきではない。粒度が粗い粒立った「インターナショナル」で「インターローカル」で「インターインディビジュアル(インター個人)」な、各々が「個性」や「地域性」や「お国柄(くにがら)」を保ったままで、個別で相互に都度都度で交渉・調整するような世界になるべきで、その伝でアメリカのトランプ大統領現象や各加盟国の「関税」を撤廃するTPPからの離脱、イギリスのEU離脱も大局では正しい! とすら考えているのはココだけの内緒である(爆)。


 上から目線でザル頭向けに書いておくと、「日本は鎖国をすべきだ!」などとは云っていない。「細胞膜」を通して早すぎず遅すぎず、「適度なスピード」で養分を摂取したり老廃物を排出することこそが肝要なのだ。コレが早すぎると経済的にはインフレ、もしくは国内産業や体内器官・内臓の破壊や体液の流出、遅すぎると経済的にはデフレ、老廃物も蓄積してしまうのである。
 「適度なスピード」で「ヒト・モノ・カネ」がバランスよく内外に流動・輸出入をしつづけることが望ましいのであって、「グローバリズム」はコレを急加速する方向性で破壊をしてしまうモノなのだ。


 むろん、人間や生物の「細胞膜」なり「体表」なり「皮膚」に相当する、各国における「国境」なり、自宅と隣宅や道路との「境界線」、自分と他人の「輪郭」それ自体を撤廃することなどは論外ですらある。
 各個や各国が自我やアイデンティティー・個性を保って、各自の必要性に応じて外物を摂取し、自身にとっての毒物であれば排除をする。あるいは、善悪両面があるモノであれば条件を付けて適量で摂取をする。国内の産業や雇用を破壊するモノであれば、「関税」をかけることで産業や雇用は保護すべき、もしくは世代交代に費やす数十年分をかけて退場させるべきモノなのであり、その「関税」収入は「富の再分配」などに回すべきなのだ。
 「自由貿易」それ自体を疑え! 「保護貿易」を再評価せよ! 経済学には元々「幼稚産業保護理論」といったモノまであるのだ! 「グローバリズム(一体化主義)」ではなく「インターナショナリズム(国際主義)」であるべきなのだ! 


 「国家」には「富の再分配」機能が一応は潜在している。しかし、公的な「国家」を弱体化させて私的な「企業」のみを優先させる「グローバリズム」には「富の再分配」機能がそもそも備わってはいないのだ。
 ネット上の巨大掲示板2ちゃんねるの投稿小説出自の深夜アニメ『まおゆう魔王勇者』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200123/p1)終盤では、破綻国家が「変動為替レート制」を導入。自国通貨を「為替安」に誘導して輸出増で稼ぐことで自国経済&国家財政の再建を果たしていた。しかし、ドル通貨を残したイギリスを除くEU諸国は統一通貨・ユーロを採用してしまったばかりに、財政破綻国家・ギリシャはこのテも使えなくなってしまったのだった。EUから離脱してユーロから元の通貨・ドラクマに戻して「変動為替レート制」に戻した方がイイと思うゾ(汗)。


 脱線が過ぎたので本題に戻ろう。


 TVアニメシリーズ『幼女戦記』は神懸かった大傑作であったとは私見する。しかし、この『劇場版』は駄作ではないけどイマ半な感じがする。その理由のひとつは、幼女が本作では終始、苦戦が続いていることで勝利のカタルシスには乏しいこと。そして、幼女を父の仇と付けねらうメリケン義勇兵の少女の描き込み不足にあると私見する。


 実に合理的な戦術・戦略・政略眼で今まで快勝を重ねてきた幼女が、脅しのハズの首都・モスクワ奇襲を、好悪の情からヤリ過ぎてしまったがために、「過ぎたるは及ばざるがごとし」の「窮鼠、猫を噛む」で、ソ連モドキによる人海戦術での大反撃を惹起してしまう。史実の独ソ戦でもいくつかあったようなソ連軍の雲霞のごとき物量投入による、倒しても尽きない絶望感あふれる東部戦線での都市包囲戦が本作では描かれる。


 それと並行して描かれる、前日譚たるTVアニメシリーズでは幼女との連戦の果てに戦死してしまった連合国の魔法軍人の遺児である娘さんの復讐劇! 新大陸(アメリカもどき)へと疎開した清楚であったお嬢さんが、軍規違反を繰り返して幼女を執拗に付けねらう狂気の義勇兵として再登場するのだ。
 しかし、ソ連モドキとは異なる、顔や人格も見える敵役として、彼女が戦う動機や変貌の経緯も相応に尺を割いて描くべきだったと思えるのにコレがウスい。製作予算(=短めの上映時間=約1時間40分)の問題があったのやもしれないけど、ならばなおのことTVシリーズでのその娘さんやその親父vs幼女との歴戦の映像を、本映画の冒頭や端々でそのまま再利用するかたちで尺数を増やして、ベタでも舞台設定や背景設定を説明して、義勇兵と化したお嬢さんに対しても観客にももっと「感情移入」といわずとも何らかの「同情」なり「一理」はあるのだと思わせるべきだったのではなかろうか?


 亡命先の自由な新大陸でも保守的・敬虔な(狂信的な?)宗教者に徹していた義勇兵少女と、それとは対極的な存在である無神論国家のソ連モドキ。この両者を幼女が同時に敵に回してみせる、「2元論」ではない「3元論」な構図自体はとても魅惑的なのだけど、完成作品ではそのへんのエッジもあまり立ってはいなかった。
劇場版 幼女戦記(dアニメストア)

(了)
(初出・オールジャンル同人誌『SHOUT!』VOL.74(19年5月4日発行))



 2021年9月現在、放映中のTV特撮『ウルトラマントリガー』(21年)に、前作のヒーロー『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200723/p1)が並行宇宙を越境してきて客演した#7のサブタイトルは「インター・ユニーバース」!
 直訳すると、「宇宙」と「宇宙」間、異なる「宇宙」と「宇宙」相互同士の関係性! といった意味になる。「インター・ナショナル」という語句とも同様に、両者が溶け合って混ざって平均化・均質化されてしまうのではなく、互いの個性・特質を保ったままでの併存! もしくは、鎖国ではなく併存しつつも相互で影響は与え合っている! といったことを意味することになるので、実に示唆的でもある。


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ウルトラマンZ最終回 後半評 ~ネタキャラが敵味方に多数登場だが熱血活劇! 2020年代のウルトラはかくあるべし!

『ウルトラマンZ』序盤総括 ~セブンガー大活躍! 「手段」ではなく「目的」としての「特撮」!
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 シリーズ最新作『ウルトラマントリガー』(21年)#7~8に、前作『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年)が客演記念! とカコつけて、『ウルトラマンZ』後半評をUP!


ウルトラマンZ』最終回・後半評 ~ネタキャラが敵味方に多数登場だが熱血活劇! 2020年代のウルトラはかくあるべし!

(文・久保達也)
(2021年4月22日脱稿)

*途中退場した巨大ロボット・セブンガー、予定調和されていた復活宣言!(笑)


 さて、『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年)第21話~第25話(最終回)の最終章5部作には、往年の『ウルトラマンダイナ』(97年)第49話『最終章Ⅰ 新たなる影』・第50話『最終章Ⅱ 太陽系消滅』・最終回(第51話)『最終章Ⅲ 明日(あした)へ…』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971211/p1)との類似性を指摘する声がかなり多かったものだ。
 それは『Z』『ダイナ』ともにその最終章は、「地球は我々人類自らの手で守らねばならない」とした初代『ウルトラマン』(66年)最終回(第39話)以来のテーマの変化球として、防衛組織の上層部が最強兵器=「人造ウルトラマン」の製造を強行した結果、逆に「地球最大の危機」を招くに至る展開となっていたからだ。


 ただ、たとえば『Z』第21話で筆者が最も印象に残ったのは、地球に大挙来襲した宇宙凶剣怪獣ケルビムの「マザー」としてデタラメにデカすぎる姿で宇宙空間に現れた親怪獣を、ウルトラマンゼット・デルタライズクローが「デスシウムスラッシュ!」と超特大の紫色のビームサーベルでブッた斬る描写だった。
 これに対して『ダイナ』の最終章で最も印象的だったのは、昭和の第2期ウルトラマンシリーズによく登場した横暴な「バカ長官」のごとく、防衛組織・スーパーGUTS(ガッツ)のゴンドウ参謀(さんぼう)がひたすら暴走する姿だった(笑)――「ゴンドウ参謀はホントウは善人だ」などと擁護(ようご)する声が意外に多いのは承知しているのだが、申し訳ないけど本編中の舌っ足らずな描写や演出では個人的にはとてもそうは思えなかった――。


 まぁ、『帰ってきたウルトラマン』(71年)でも「今度の作戦に失敗したら(防衛組織)MAT(マット)は解散だぞ!」と「バカ長官」がよく恫喝(どうかつ)していたが。しかし、『Z』の最終展開ではストレイジが本当に解散させられる(!)など、これまでの明朗快活な作風とは一変してやや陰鬱な描写もたしかに見られたのだ。
 だが、この最終章は本作のタテ軸・連続ドラマの総決算としてよりも、これまで『Z』の人気を支えてきた魅力の数々を総動員させてみたという印象が強く、やはり最後まで「ドラマ性」や「テーマ性」よりも「キャラクター」や「特撮」の魅力の方が主導で描かれていたと思えるのだ。


 第14話『四次元狂騒曲』で特空機3号として新たに装備された巨大ロボット・キングジョーストレイジカスタムにバトンを渡して、セブンガーは5年間の活躍を終えてついに退役(たいえき)、特空機のPR用として地球防衛博物館に展示されることとなった――小学館の幼児誌『てれびくん』2020年12月号掲載の『セブンガー友の会 特別編』によれば、初めて倒したのは火星怪獣ナメゴンだったそうだ!――。
 これには『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)の「ネタキャラ」でもある当初の宿敵・愛染マコト(あいぜん・まこと)社長がシリーズ中盤で退場したことを彷彿(ほうふつ)としてしまい、失望を感じた人もいたかもしれない。だが、セブンガーの一時的な退場は、シリーズ終盤で再登場させるためだろうと予測したスレた特撮マニアも相応には多かったことだろうし、実際にも第22話『それぞれの明日(あす)』のクライマックスでのセブンガーの奇跡的な復活をおおいに盛り上げる意図で確信犯的に行われたのだ! と解釈すべきところだろう。


 しかし、その相手はあの「ネタキャラ」であるバロッサ星人の「三代目」であったのだが(笑)。


 ちなみに、バロッサ星人三代目はヨウコが飲んでいたタピオカドリンクに含まれる「でんぷん」(笑)をエネルギー源として巨大化する。コレは『激走戦隊カーレンジャー』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110521/p1)の敵組織・宇宙暴走族ボーゾックの怪人たちが地球の「芋長(いもちょう)」の「芋(いも)ようかん」を喰って巨大化していたのと同じノリだよな(爆)。
 かつてであれば非難必至であった科学的・SF的根拠もヘッタクレもない、こんな描写が堂々と映像化されたこと自体は、それだけマニア視聴者の側がこんなことでイチイチ目くじらを立てたりせずに、良い意味で子供番組らしい稚気満々(ちきまんまん)な描写だとして笑い飛ばせるだけの成熟(せいじゅく)を果たしたことの証(あかし)でもあるだろう(笑)。


 ストレイジが解散させられたことでセブンガー同様に退役状態だった女性隊員・ヨウコが、バロッサ星人三代目が巨大化して都市部で大暴れしたために、退役したハズのセブンガーのコクピットに私服姿で乗りこむ! いつでも出撃できるようにと、セブンガーは博物館に展示されて以降もストレイジ整備班の初老の班長イナバ・コジロー=通称・バコさんによって常に整備されていたと語られることが、退役から華麗な復帰をとげるセブンガーとヨウコのカッコよさに高い「ドラマ性」も与えている!


 ウルトラマンゼットの基本形態・アルファエッジが羽交い締め(はがいじめ)にしたバロッサ星人に、セブンガーがジャンピングキックを喰らわし(!)、その衝撃で精巧なミニチュアの中華料理店の周辺に配置された自転車が吹っ飛び、ブロック塀(べい)の手前にビルの破片が飛んでくる!
 坂本浩一監督お得意の「ガード下アングル」でバロッサVSセブンガー、そして別の男性パイロットが操縦するキングジョーストレイジカスタムが捉えられ、セブンガーが右腕の「ロケットパンチ!」もとい「硬芯鉄拳弾(こうしんてっけんだん)!」を発射する!


 臨場感とカタルシスにあふれる演出が、セブンガーの復活を実にカッコよく描いていた。


 特筆すべきはセブンガー&ヨウコを、ゼットの新武器でもある悪の黒いウルトラマンことウルトラマンベリアルの顔面を持つしゃべる魔剣・ベリアロクとカラませて、それぞれのキャラをさらに掘り下げたことだろう。


「おまえがオレさまを使うことなど、2万年早い!」


 ベリアルの因縁(いんねん)の宿敵であるウルトラマンゼロの定番フレーズ「2万年早いぜ!」をベリアル自身が、もといベリアロクがパクるのはどうかと思ったが(笑)、これは「良いか悪いか」ではなく「面白いかどうか」で行動を決めるベリアロクから見て「2万年早いぜ!」という物言い自体を「面白い」と判断したからこそだろう(爆)。


 「どうせ、できないんでしょ!?」というヨウコの挑発をも「面白い」とベリアロクが感じたからか、魔剣ベリアロクの使い手(!)となったセブンガー=ヨウコは、ストレイジの理系女子=オオタ・ユカが遠隔操作するキングジョーストレイジカスタムの脚部を構成する高性能輸送車・レッグキャリアーにスノーボードのように乗りこみ、バロッサ三代目に突撃する!


「セブンガー・波乗りスラッシュスペシャル!!」


 セブンガーが都心のビル街の奥のバロッサに向けて突っこむさまが、コクピット内のヨウコの主観から捉えられる!
 バロッサが爆発四散した衝撃で窓ガラスが室内に吹っ飛び、机が宙に舞うさまがオフィスのミニチュアを主観に描かれる!
 その大爆発を背景に、セブンガーがベリアロクを手に勝利のポーズをバッチリとキメる!


「なかなか楽しませてもらったぞ」


 ベリアロクは満足げにヨウコにそう語った。我々視聴者も「なかなか楽しませてもらった」のだが、それはその迫力あふれる「特撮映像」もさることながら、それだけでもなかったのだ。
 それは、一応のレギュラー悪・寄生生物セレブロに憑依(ひょうい)されてしまった地球防衛軍・日本支部クリヤマ長官に強引に解散させられたストレイジのハルキ・ヨウコ・ユカ・バコさん、そしてあえてここでは書かないがヘビクラ隊長が退役してもなお、チームとしての結束力の強さを誇っていたことを、セブンガーのカッコよさを通して見せつけられたからだ!


*放映終了後も凋落しない『Z』の「商品的価値」に象徴される「人気」度合い!


 近年のウルトラマンシリーズとしては珍しく(汗)、ネット上の反響や関連商品の売れ行きも比較的好調だった『ウルトラマンZ』が全25話をもって2020年末に放映を終了した。


 たとえば『ウルトラマンR/B』の場合、あまりにコミカル寄りに振り切った作風が第1世代の高齢特撮マニア層から反発を喰らっていたり、一応の敵キャラとしてシリーズ前半に登場した愛染マコト社長=ウルトラマンオーブダークノワールブラックシュバルツ(笑)=精神寄生体チェレーザが「ネタキャラ」としても大評判となるも、シリーズ中盤で退場したことでライト層の関心を少々ウスくしてしまう――このタイミングで同じく円谷プロ製作で放映を開始した変身巨大ヒーローが巨大怪獣と戦う深夜アニメ『SSSS.GRIDMAN(グリッドマン)』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190529/p1)がアニメ&特撮ファンの間では大人気となったことで、やや話題も奪われた――。
 「ウルトラ」の関連玩具の不調が顕著(けんちょ)となったのはこの『R/B』当時であり、バンダイが『ウルトラマンX(エックス)』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1)以来発売してきた20センチ強のソフビ人形『ウルトラBIG(ビッグ)ソフビ』と『ウルトラ怪獣DX(デラックス)』シリーズは『R/B』をもって打ち切られたほどだった――『R/B』主人公のウルトラマンロッソとウルトラマンブルの人形は放映終了数ヶ月を経ても売れ残って半額処分されていた(汗)――。


 また、『ウルトラマンタイガ』(19年)は第1話『バディゴー!』冒頭(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190811/p1)でせいぞろいした7大ニュージェネレーションウルトラマンたちの宇宙空間での大活躍を描いたり、ウルトラマンタイガ・ウルトラマンタイタス・ウルトラマンフーマといった3大ウルトラマントリオを主人公格とし、彼らの間でかわされるコミカルなやりとりが「カワイイ」(!)などとコメントされたほどにシリーズ序盤は好調だったのだ。
 だが、作品自体は昭和の時代に逆行したかのようにタテ軸・連続性がきわめてウスい「1話完結」形式の趣(おもむき)が強く、しかもレギュラー悪のウルトラマントレギアにそそのかされた平和的な宇宙人が葛藤(かっとう)の末に悪に走る陰鬱(いんうつ)で湿っぽい話が多発したために、こちらもシリーズ後半は失速したと見てもよいだろう(爆)。
 動画無料配信サイト・YouTube(ユーチューブ)での第1話の再生回数が1週間で100万回を超えていたのに、シリーズ中盤以降は毎回30万回程度に凋落(ちょうらく)したのがそれを端的に象徴する――『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』と違って地上波で放映されない地域が多いことを思えば、ネット配信で鑑賞する地方在住の特撮マニアは相応にいたハズなので、コレは同作のファンの方々には非常に申し訳がないのだが『タイガ』の人気の低さを証明してしまう低い数字である――。
 ちなみに、そのYouTubeで『タイガ』シリーズ後半と同時期に週1回で配信されて、しかも『タイガ』の前日譚(ぜんじつたん)として製作された短編『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200110/p1)の方が、ネットでしか鑑賞できない作品なので単純比較はできないものの、再生回数では毎回『タイガ』の倍以上を稼(かせ)いでいた(汗)。


 さて、『Z』の後番組として2021年1月から総集編番組『ウルトラマンクロニクルZ ヒーローズオデッセイ』(21年)が放映されている。これは『Z』、そして2021年で放映25周年を迎えた『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)・『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971215/p1)・『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)の「平成ウルトラ3部作」のテレビシリーズや劇場版などを特撮名場面を中心に再編集して構成した番組だ。
 同枠の同じく総集編番組『ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE(ザ・クロニクル)』(17年)以来、毎年1月~6月の半年間にかつての『ウルトラマン列伝』(11~13年)や『新ウルトラマン列伝』(13~16年)と同様の形式で過去作の傑作選や名場面集を流す番組が放映されている。しかし、前年末に放映が終了したばかりの作品がメインで扱われるのは『Z』が初である! まぁ特撮場面が占める割合が近年のウルトラマンではダントツで高い『Z』ならワザワザ再編集せずにそのまま半年間再放送しても充分にイケるかと思えるくらいだが、やはり『クロニクルZ』自体が『Z』の反響の高さから企画された番組だと解釈してもよいだろう。


 そして、もうひとつ、注目すべき動きがある。
 先にバンダイのソフビ人形『ウルトラBIGソフビ』の発売が『R/B』で打ち切られたと書いた。しかし、その新商品として2021年5月29日に『Z』の主役ウルトラマンであるウルトラマンゼット・オリジナルと特空機1号のセブンガーが発売されるのだ!
 たとえばお金持ちのマニアを対象とした高額ブランド「プレミアムバンダイ」などでは『光る! 鳴る! 特空機1号セブンガー』なる高額な合金玩具など、ウルトラマンにかぎらず放映を終了した特撮やアニメの関連商品をネット限定で通販するのはまぁフツーに行われている。だが、一般の玩具店で販売される本来のターゲット=就学前の幼児に向けた商品として、すでに打ち切られたシリーズ展開がこのようなかたちで復活をとげるのはきわめて異例のことだろう。
 バンダイにそれを決断させたほどに『Z』、そしてセブンガーの商品としての価値はいまだに大きいのではあるまいか?――実際、セブンガーをはじめ、バンダイのソフビ人形『ウルトラ怪獣シリーズ』はきわめて好調で『Z』の放映中にすでにプレミア付きとなる商品まであった!――


 そうした動きがあとから余波として見られるほどに、『Z』は相応の評判を世間から得たと解釈してもよいだろう。


 2010年代以降のニュージェネレーションウルトラマンシリーズでは、最終章の撮影と並行して例年7~9月の時期に撮影されてきた来春公開用の最終回後の後日談でもある『劇場版』は、新型コロナによる2020年4~5月の緊急事態宣言に伴なう撮影一時中断の余波によって、『Z』にかぎらずこの手のテレビドラマの現場スタッフとは「作品」単位だけでなく拘束「期間」も込みでの契約であるために、やむなく流産させざるをえなかった……と捉えるのが妥当な推測だろう。しかし、『Z』のこの勢いがあれば興行収入も例年よりも高く行けそうなのだし、改めての製作Goサインを出してほしいところだなぁ……
――後日付記:かの庵野秀明(あんの・ひであき)監督による映画『シン・ウルトラマン』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20220618/p1)と公開時期がカブる可能性があったために、今回は最初から製作予定がなかったという情報もある――


 シリーズ後半で失速して当初は得られていた支持層を次第に失ってしまった前作の『タイガ』や前々作の『R/B』とは異なり、『Z』が放映終了まで、いや終了後もいまだに根強い「人気」を誇っているのはナゼなのか!? 今回は『Z』第2クール=シリーズ後半を振り返りながら、それを検証することで『Z』の総括としたい。


*敵にも味方にも視聴者がイイ意味でツッコミできる「ネタキャラ」(笑)たりうる珍妙なキャラクターを投入!


 ぶっちゃけ云わせてもらえば、『R/B』と『タイガ』がシリーズ後半で失速したのはコミカルな「ネタキャラ」を廃したのが大きな要因だったと思える。
 『R/B』の「ネタキャラ」はもちろん愛染マコトだったが、『タイガ』の「ネタキャラ」はタイガ・タイタス・フーマ、つまりウルトラマンたちそのものだったのだ(笑)。
 先述したように、『タイガ』のシリーズ序盤ではふだんは彼らが主人公青年・工藤ヒロユキ(くどう・ひろゆき)の周囲でミクロ化した半透明な姿と化して、ボケとツッコミの掛け合い漫才のようなやりとりを繰り出すのが本編場面での大きな見せ場となりえていた。
 だが、シリーズ中盤以降はそんな描写が極端に少なくなったどころか、タイタスまたはフーマが一度も登場しない回もあったために、タイタスが初変身の直後に延々と繰り出して大評判となったマッスルポーズもほとんど拝(おが)めなくなったのだ(笑)。


 さて、『Z』でも「ネタキャラ」はやはり主人公ウルトラマンであるゼット自身が務めている(笑)。第21話『D4(ディー・フォー)』~最終回(第25話)『遙(はる)かに輝く戦士たち』に至る最終章5部作ではさすがにそれまで通りとはいかなかったものの、地球防衛軍・日本支部の対怪獣ロボット部隊・ストレイジに所属する主人公青年=ナツカワ・ハルキ=ウルトラマンゼットとの間でかわされる、敬語とタメ口の区別もできないデタラメな日本語(爆)による会話はシリーズを通して描かれつづけた。
 また、ある意味ではゼット以上の「ネタキャラ」として、ストレイジの隊長であるヘビクラ・ショウタ=『ウルトラマンオーブ』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170415/p1)のライバルキャラ=ジャグラス・ジャグラーも最後まで健在だった。そういや、ハルキはジャグラーの変身態を「トゲトゲ星人」と呼んでいた。これはジャグラーの「ネタキャラ」ぶりや『Z』のコミカルな作風を象徴させるのには実に的確な呼称だったと思うのだ(笑)。


 ちなみに、第23話『悪夢へのプレリュード』ではヘビクラ隊長は銭湯(せんとう)で腰に手を当ててラムネを飲んでいた(笑)。この仕草(しぐさ)は『ウルトラマンオーブ』でも風来坊(ふうらいぼう)主人公のクレナイ・ガイ(ウルトラマンオーブ)の日々の楽しみとして描かれてきたものだ。映画『劇場版 ウルトラマンオーブ 絆(きずな)の力、おかりします!』(17年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200406/p1)のラストで、ガイが銭湯でジャグラーに出くわして仰天(ぎょうてん)する場面があった。別世界といえど、ジャグラーはあれ以来、銭湯通いが習慣になったようであり(笑)、今回の銭湯の描写はかつて対立していたガイとの関係性が現在では良好なことまで暗示しているのかもしれない微笑(ほほえ)ましい演出だった。


*ゼットの新武器でおしゃべりする魔剣ベリアロクや、宇宙海賊バロッサ星人2代目も「ネタキャラ」だった!(笑)


 そして、『Z』ではシリーズ後半に入って以降、さらに新たな「ネタキャラ」が加えられたのだ。


 第15話『戦士の使命』には、第6話『帰ってきた男!』~第7話『陛下(へいか)のメダル』の前後編につづいて朝倉リク=ウルトラマンジードがまたまた再登場を果たし、『ウルトラマンX』の最終回前後編(第21話~第22話)に登場した強敵・虚空(こくう)怪獣グリーザを相手にゼットとの共闘が描かれた。
 この回ではウルトラマンジードとウルトラマンゼロの強化形態・ゼロビヨンドとウルトラマンベリアルの強化形態・アトロシアスのウルトラメダルを使い、ゼットが最強形態=ウルトラマンゼット・デルタライズクローの姿を初披露する。しかし、その専用武器となる剣からして「ネタキャラ」なのだ(笑)。


 宇宙からグリーザを追ってきたウルトラマンジードはグリーザの体内に取りこまれてしまう。しかし、その中にあった「宇宙の穴」を縫(ぬ)う「針」にジードの体を構成するジードの父でもあったベリアル因子(いんし)がふれたことで、持ち手の部分がまんまウルトラマンベリアルの顔(爆)をつけた黒い幻界魔剣(げんかいまけん)・ベリアロクが誕生する!
 映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)でデビュー以来10数年、敵キャラとして登場するのみならず、近年ではウルトラマンの変身や強化アイテムにまで使われるほどのウルトラマンベリアルはすっかり「便利屋さん」キャラと化した感がある(笑)。ただ、今回は実の息子・ジードの体内に含まれる因子からの再生だったので、一応は疑似(ぎじ)科学的な説得力もあり、ジードがたしかにベリアルの息子だと改めて実感させてくれたのは好印象だろう。


 大地に突き刺さったベリアロクを引っこ抜くことでゼット=ハルキがその使い手となるのは、ちょうど同時期にスタートした『仮面ライダーセイバー』(20年)の第1章『はじめに、炎の剣士あり。』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201025/p1)で主人公の小説家で書店も経営する青年・神山飛羽真(かみやま・とうま)=仮面ライダーセイバーが、炎の中に出現した長大なる聖剣・火炎剣烈火(かえんけん・れっか)を引き抜くことで「炎の剣士」=セイバーに変身するに至る描写も彷彿(ほうふつ)としてしまう。


 ただ、火炎剣烈火とは違い、


「オレさまを手に入れて、おまえは何をする?」
「オレさまは斬(き)りたいときに、斬りたいものを斬る!」
「オレさまの使い手は、オレさま自身が決める」


などと持ち手にあるベリアルの顔で主張する(爆)ほどに意志をもつベリアロクは、一筋縄(ひとすじなわ)ではいかなかった。


「この野郎! すみやかに抜けやがりなさいよ!」(大爆)


 史上最大のデタラメすぎる日本語でくやしがるゼットへのハルキのまじめすぎるツッコミが、その「ネタキャラ」ぶりにさらに拍車をかける!


「これからいっしょに戦うんだから、あいさつくらいしないと失礼っスよ!」(大笑い)


 ウルトラマンの最強形態、そして新必殺ワザ登場の前段としては通常ありえない描写だ。しかし、ベリアロクの行動の動機はあくまで「面白いかどうか」であり、面白くなければひたすら非協力的で、面白ければたとえ敵でも使われてしまう、いくらでも「立ち位置シャッフル」が可能なキャラなのだ。
 まぁ、ウルトラマンジャックのウルトラブレスレットとかウルトラマンタロウのキングブレスレットとかウルトラマンレオのレオマントなどと違い、刀=「武器」のクセに「人格」がある(爆)ベリアロクには隔世の感があるが。


 ちなみに、特撮ジャンルで「人格」があってベラベラとおしゃべりもする剣の第1号は、『五星(ごせい)戦隊ダイレンジャー』(93年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111010/p1)で6人目の白い戦隊ヒーローである小学生が変身するキバレンジャーが変身や武器に用いていたトラの顔面がついた白虎真剣(びゃっこ・しんけん)である。もちろん、おしゃべりする剣の元祖は西洋の神話か洋ものファンタジーあたりかと推測するのだが、ネットでググってみてもその類例自体が発見できなかった――まさか、『ダイレンジャー』が世界初だったということはさすがにないよね?(汗)――。
 国産テレビゲームでは今もつづく西欧中世ファンタジー風ゲームの古典『テイルズ オブ』シリーズ(95年~)の第2作『テイルズ オブ デスティニー』(97年・ナムコ)という作品が元祖らしい。その後はあまたのマンガやライトノベルやアニメに登場しているそうだ。


 このベリアロクは、『仮面ライダー鎧武/ガイム』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20140303/p1)や『魔法少女まどか☆マギカ』(11年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200329/p1)のメインライターでも有名な虚淵玄(うろぶち・げん)が手掛けた日本と台湾の合作による中華ファンタジーの特撮人形劇の大傑作『Thunderbolt Fantasy(サンダーボルト・ファンタジー) 東離劍遊紀(とうり・けんゆうき)』(第1期・16年(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191109/p1) 第2期・18年(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191110/p1) 第3期・21年)に出てきた、人心を惑わせて天下を乱す魔剣・妖剣・聖剣・邪剣を36種もおさめた「魔剣目録」に含まれている、おしゃべりもする剣たちの1本なのかもしれないが(爆)。


 これほどまでに「ネタキャラ」として描かれても、「デスシウムスラッシュ!」と叫んで「Z」型の光跡を残してグリーザを一刀両断する「カッコよさ」自体はしっかりと描かれてはいたのだ。


 しかし、第17話『ベリアロク』でベリアロクは自身と同じ「ネタキャラ」と対決することとなった(笑)。第10話『宇宙海賊登場!』にて『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)などに登場したサーベル暴君マグマ星人のマグマサーベルや暗黒星人ババルウ星人の鉄球付き刺股さすまた)などを強奪したほどの強敵として描かれるも――『ウルトラマンメビウス』(06年)第16話(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060928/p1)に登場した宇宙剣豪ザムシャーの刀・星斬丸(ほしきりまる)も含まれていたそうな!――、ひたすら「バロッサ、バロッサ」とワメくだけ(笑)だった海賊宇宙人バロッサ星人の「9999人」もいる弟(爆)のひとりがさっそく復讐(ふくしゅう)にやってきたのだ!


 先の第10話ではロシアの作曲家・ハチャトゥリアンのバレエ楽曲『剣の舞』で踊っていたバロッサだったが(笑)、第16話『獅子の声』のラストで宙から舞い降りてくるバロッサ星人を地上からの目線で捉えたカットでは、ウォルト・ディズニーのアニメ映画『ファンタジア』(1940年・アメリカ)や日本に空前のディスコブームを巻き起こした映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年・アメリカ)をはじめ、往年の特撮怪獣映画『決戦! 南海の大怪獣』(70年・東宝)の予告編にまで流れたロシアの作曲家・ムソルグスキーの手になる『禿山(はげやま)の一夜』が流された!


 決してロシアっぽくはない(爆)バロッサ兄弟の双方に、ロシアを出自とする有名楽曲をあえてつけてみせる音楽演出にも、バロッサをあくまでも「ネタキャラ」として描く意図がうかがえる。「バロッサ、バロッサ」としか云わなかった兄とは違ってしゃべりまくる弟の声を、大の「特撮」好きでも知られる声優・関智一(せき・ともかず)に演じさせたのもまたしかりだ。


・バロッサが開口一番、「聞いて驚け!」と自己紹介するのは、『獣電戦隊キョウリュウジャー』(13年)のキョウリュウレッドの名乗りのパクりである(笑)。
・宇宙忍者バルタン星人やどくろ怪獣レッドキングなど、着ぐるみの造形が明らかに異なるのに同一個体とされてきた再登場怪獣や宇宙人を、1978年に起きた第3次怪獣ブーム以来、本邦初のマニア向けムックや子供向けのウルトラ怪獣百科などでは「初代」「二代目」などと区別するのがすでに一般的になっていたのに、『ウルトラマン80(エイティ)』(80年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110108/p1)映像本編などでは再登場怪獣や再登場宇宙人回でいまだにクレジットされていなかった「三代目」や「五代目」などの分類表記を、バロッサ星人の弟は自ら「二代目」と名乗ることで「公式」名称にしてしまったのだ!!(笑)
・「ハデに行くぜ!」だの「コイツは宇宙のお宝、いただいていくぜ!」だのは、バロッサ星人と同じ宇宙海賊だった『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111107/p1)のキャプテン・マーベラス=ゴーカイレッドの決めゼリフの引用だ。氏が同作のナレーションや玩具の音声ガイダンスを務めていたことを意識したメタ的なギャグだが、海賊が海賊からパクるなよ(爆)。
・「ひきょうもラッキョウもあるものか!」は『ウルトラマンタロウ』(73年)第27話『出た! メフィラス星人だ!』に登場するも、兄の悪質宇宙人メフィラス星人・初代が紳士的だったのとは正反対に、バロッサ並みのチンピラ宇宙人(汗)として描かれたためにかつてはさんざんに非難された弟のメフィラス星人・二代目の迷セリフだったが、ここ10数年ほどは真逆の好意的なギャグ文脈で引用されているものである!(笑)――ちなみに、紳士的な初代ではなくチンピラの二代目の方が地球に来たのは、当時の小学館学年誌の記事によれば「(初代が)忙しかったから」だとのことだ(爆)――。


 まぁ、バロッサ星人が『ウルトラQ(キュー)』(66年)第4話『マンモスフラワー』に登場した巨大な怪奇植物ジュランの種(たね)を飲んで巨大化したり、初代『ウルトラマン』(66年)第38話『宇宙船救助命令』に登場した光熱怪獣キーラみたいに相手の目を眩(くら)ます「キーラフラッシュ!」を発射するのは台本にもあったのだろう。しかし、先に挙げたバロッサ二代目のセリフの大半は、自身が特撮マニアであることから「何をすれば我々のツボをくすぐるのか」を完全に熟知した関のアドリブだったのだろう(笑)。


 それは氏ばかりではなく、ひいては『Z』のスタッフが全体として、ここでは良い意味での「マニア」だったからこそ、『Z』を最後まで失速させなかったのではなかろうか!?
 

 一度はバロッサの手に奪われるベリアロクだったが、


「おまえの攻撃はつまらん。オレさまはもっと面白そうなヤツのところに行く」
「風の吹くまま、気の向くままさ」―― ←・風来坊かよ!(爆)――


などと云って、初登場から数週で早くも「立ち位置シャッフル」を見せたのも、スタッフたちの良い意味での「マニアック」さを象徴した作劇だろう。


 クライマックスではゼット=ハルキの逆転描写で、『Z』の作風には実にふさわしい主題歌『ご唱和ください 我の名を!』が絶妙なタイミングで流れはじめて、ゼットがベリアロクから放つ斬撃ワザ「デスシウムスラッシュ!」で「Z」字状にバロッサをブッた斬る!


 敵をやっつける必殺ワザのカタルシスとしてはそこまででも充分なのだが、まだ逃亡をつづけているバロッサをベリアロクから抜け出して巨大化した雲状のベリアルの顔面の幻影(!)が追いかけてきて、その口をバカでかく開けてバロッサをパックンチョと喰ってしまう!(笑)


 それを見たゼットがつぶやく。


「なんてヤツでしょう!?」(爆)


 日本版『アラビアン・ナイト』をねらった『ウルトラマンタロウ』でさえここまでデタラメな描写はなかったが、シリーズの序盤と比べてややテンションが落ちていた『R/B』と『タイガ』のシリーズ後半にこそ、こんなデタラメな特撮映像的ケレン味で、客引きすることが必要だったのではなかろうか!?


*「年上」好みだったヨウコが、「年下」=ハルキ好みに心変わりすることの作劇的な意味あい!?


「今この世界に怪獣の居場所はない。だから誰かに押しつけちゃいけない。命を奪う責任を……」


 これは第11話『守るべきもの』でゼット=ハルキが倒したどくろ怪獣レッドキングA(エー)が暴れたのは、妻のレッドキングB(ビー)が生んだ卵を守るためだったと知り、一時的に戦意を失うほどに意気消沈したハルキの「怪獣はどうしても倒さなきゃならないのか?」との問いにヨウコが第12話『叫ぶ命』で返した言葉だ。
 『ウルトラマンコスモス』(01年)や『ウルトラマンX(エックス)』(15年)など、かつても怪獣との「共存」をテーマとした作品はあったが、『Z』の世界では「怪獣の居場所はない」と云い切った。


ウルトラマンのどんなところが好きなの?」
「怪獣、殺すところ!」(汗)


 これは『宇宙戦艦ヤマト』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)や『科学忍者隊ガッチャマン』(72年)のリバイバルブームを機に起きた空前の第1次アニメブームの最中だった1978年夏休みの時期に放送された朝のワイド番組『小川宏ショー』(65~82年・フジテレビ)で、子供たちに好きなヒーローやアニメについてインタビューした際の光景だ――アトラクション用の初代ウルトラマンと『ウルトラマンレオ』(74年)に登場した兄怪獣ガロンとの対決もその場で演じられていた――。
 先のハルキとヨウコの会話はウルトラマン、ひいては変身ヒーロー作品本来の性質を改めて見つめ直したものだ。しかし、「命を奪う責任」を導き出したのは、『Z』が単に勧善懲悪(かんぜんちょうあく)のカタルシスに「原点回帰」するだけではない、テーマ的にも一歩進んだ秀逸(しゅういつ)な結論だと感じられた。


 第11話~第14話まで引きずったこの展開は、明朗快活な作風の『Z』であえてやることはなかったのでは? との想いは正直、個人的にもある。
 ただ、第12話のクライマックスで爆撃雷獣グルジオライデンを前にゼットが両腕を十字に組んで必殺ワザ「ゼスティウム光線!」を放とうとするも、怪獣を倒すことに躊躇(ちゅうちょ)してしまってハァハァと息を荒げるハルキを演じる平野宏周(ひらの・こうしゅう)の演技や、ハルキの躊躇が原因でグルジオライデンに敗れたゼットの姿がアルファエッジから素体のオリジナルへと戻り、光の粒子となって消えてしまう描写などは実に見応えがあったのも確かだ。
 そして、先の会話に見られたように、あくまで仲の良い先輩後輩としてのハルキとヨウコの関係性が劇的に変化する発端(ほったん)としても、第11話のレッドキングの事件は必要不可欠だったかと思えるのだ。


 第13話『メダルいただきます!』ではこの展開にワンクッションをはさむかたちで、ストレイジの基地に突然現れたコイン怪獣カネゴンがハルキのウルトラメダルを全部喰ってしまうコミカルな総集編だった。しかし、その少ない新撮部分の脚本でも、ハルキに先の件をまだ引きずらせるかたちで、彼の苦悩を視聴者に念押しさせている。


 そのラストシーンで映された、ハルキの机に置かれたカップ焼きそばには、


「とにかく食べな ヨウコ」


とのメッセージが書かれた付箋(ふせん)が貼(は)られていた……


 この総集編の冒頭で、「なんかモヤモヤして……」と腕立て伏せをするハルキは「あの一件」以来、食欲がないと口にして、ヨウコは「ほどほどにしなよ」と忠告した。これはその気づかいを端的に象徴するものだ。
 ここでもし、出前で注文した重たそうで胃もたれもしそうな「カツ丼(かつどん)」などが机に置かれていたら、ただでさえ意気消沈していたハルキや視聴者からすれば、いくら先輩といえども少々の押しつけがましさを感じたかもしれない(笑)。
 だが、カルめの「カップ焼きそば」ならば、ハルキにそうした精神的な重み・負担をかけることもなかろうと判断したヨウコの人間性には、先の「命を奪う責任」について語ったのと併(あわ)せて、個人的にはお株が急上昇したものだ。


「ヨウコ先輩はオレを助けてくれた。今度はオレが助ける番だ!」


 これは第17話でバロッサ星人二代目の攻撃からヨウコが搭乗するウインダムがゼット=ハルキをかばった際にハルキが叫んだものだ。「助けてくれた」には「カップ焼きそば」に象徴されるヨウコの精神的な支えも含まれていたことだろう。


 第23話の冒頭、ストレイジの解散で地球防衛軍基地の警備員となってしまったハルキは青空を見上げるや、セブンガー・ウインダム・キングジョーストレイジカスタムの形をした雲を見つけて溜め息をつく。私事で恐縮だが筆者も先日、東宝怪獣映画の大スター・ゴジラの頭部から背びれの部分を彷彿とさせる雲を見かけてハルキとは逆に狂喜したが(笑)、日頃の鬱積(うっせき)したものがそんな幻影を見せたとばかりに、ハルキの内面を描いたこの演出は実に秀逸だった。


 そんなハルキのもとに、今は防衛軍の航空隊に所属するヨウコが「お昼いっしょに食べない?」と現れる。サンドウィッチを食べるハルキに「お昼それだけ? 大丈夫なの?」とヨウコが見せる気づかいも印象的だが、


「最近、目が死んでたよ」(!)


と、冒頭の場面との係り結びとしてハルキを語るヨウコの洞察(どうさつ)力の鋭さを示した多面的な描写も好印象だ。


 そして、これまで点描されてきた、ハルキを含めた男性隊員たちとの「腕相撲(うでずもう)」にこだわるヨウコの動機が明かされる! 曾祖父(そうそふ)の代からつづく軍人一家(爆)を出自とするヨウコは、父から「自分より強い男としか結婚するな!」(汗)との教えを受けたために、実はこれまで男性との交際経験が皆無(かいむ)だったのだ。
 ヨウコがハルキとの腕相撲を重ねてきたのは、自分に勝てるような「強い男」になってもらうため、つまりハルキに対する明確な意志表示と解釈すべきところだろう!


「勝ったら結婚ですか!?」(爆)


 この天然ボケが実にハルキらしいが、ヨウコが「勝ってから云え」(笑)と冷徹に放ったことに「チェスト~!!」とおもいっきり気合いを入れて勝負したことからすれば、決してまんざらでもないのだろう。


 『ウルトラマンティガ』(96年)・『ウルトラマンダイナ』(97年)・『ウルトラマンマックス』(05年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060503/p1)など、主人公の青年と女性隊員が最終展開で急速に進展し、中には結婚にまで至る例もあった。しかし、ハルキとヨウコの関係性の変化に見られた発端となる事件や心の変遷(へんせん)はさして描かれなかったように思えて、個人的には共感しづらいものがあったものだ。
 ヨウコが設定年齢59歳のバコさんや「だいたい5000歳」(笑)のウルトラマンゼットに恋するような「超年上」好みとして当初は描かれたのは、シリーズ中盤以降に「年下」=ハルキ好みに心の変遷をとげるさまをメリハリをもってシンボリックに描くためではなかったか!? その意味でも第11話~第14話のいわゆる「鬱(うつ)展開」は、ハルキとヨウコの関係性の変化を描くには欠かせない要素となりえたのだ。


 そんな淡い恋愛描写と並行して、防衛軍が本作にもゲスト出演したウルトラマンゼロをモチーフにして建造させたとおぼしき特空機4号・ウルトロイドゼロの公開機動テストを強行したために、ウルトロイドゼロを「敵」と認識した『帰ってきたウルトラマン』などに登場したオイル怪獣タッコングと、初代『ウルトラマン』や映画『大決戦! 超ウルトラ8兄弟』(08年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101223/p1)に登場した海獣キングゲスラが湾岸地帯に、『ウルトラQ』などに登場した古代怪獣ゴメスと地底怪獣パゴス、そして『ウルトラマンX』などに登場した溶鉄怪獣デマーガが山間部に現れる!
 ニュージェネウルトラマンでは怪獣が単体ではなく複数で登場する回がもはや当たり前となっている。しかし、同一の着ぐるみを同一種族の複数個体に見立てたのではなく、別種族の怪獣を5体も一気に登場させる「怪獣総進撃」状態(!)はテレビシリーズでは初のことだ! それもタッコング&キングゲスラにはハルキが変身したゼットを、ゴメス・パゴス・デマーガにはヨウコが搭乗するウルトロイドゼロを対戦させることで、本編で描かれてきたハルキとヨウコの関係性の変化をさらにドラマチックに見せる意図もあるのだ! 「ドラマ」と「バトル」の両立・一体化!
 先述した『ウルトラマンダイナ』最終章3部作でも、「ドラマ」と「バトル」が並行するのではなく、こうした大乱戦の怪獣バトルに「人間ドラマ」を挿入・点描する手法をとっていたら、個人的にはその印象はまったく異なっていたかと思えるのだ。


*みんな「大好き」、ジャグラスジャグラー=ヘビクラ隊長の「真意」とは!?


 さて、序盤の第5話『ファースト・ジャグリング』で、視聴者にはすでにヘビクラ隊長の正体がジャグラーだと明かされていた。しかし、ハルキ=ゼットがようやくそれを知るのは第23話のラストシーンのことだ。


「見えるものだけ信じるなって、教えただろ」


 第2話『戦士の心得(こころえ)』で神出鬼没(しんしゅつきぼつ)な透明怪獣ネロンガの攻略に苦慮していたハルキへのヘビクラの助言「見えるものだけ信じるな」との見事な係り結びとして、ヘビクラがハルキの眼前でジャグラー怪人態に変身する描写がまた実に絶妙だった。


 ところで、第20話『想い、その先に』でユカがすっとんきょうな叫び声を上げたために、ヘビクラ隊長が盆栽(ぼんさい)の枝を誤って切り落としてしまう描写があったように、これまでストレイジの基地内でヘビクラが盆栽を手入れするさまが点描されていたことに注目していた人は多いことだろう。そして、鋭い人はそれがさりげないかたちでヘビクラ=ジャグラーの行動の動機を描いた演出だと気づいていたのではなかったか?


「むかし、大きな樹(き)を斬ったことがあってな……」


 第24話『滅亡への遊戯(ゆうぎ)』で唐突にジャグラーが切り出したこんな話にハルキは困惑した。これは『ウルトラマンオーブ』の放映終了直後からAmazon(アマゾン)プライム・ビデオで週1回の更新で全12話が配信された『オーブ』の前日譚『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA(ジ・オリジン・サーガ)』(16年)episode(エピソード)7『くるる~眩る~』で描かれた出来事を指している。
 『THE ORIGIN SAGA』の前半は地球から7万光年離れた緑豊かな星・王立惑星カノンを舞台としていた。そこには北欧神話に登場する超巨大な末広がりの世界樹ユグドラシルのような「命の樹」なる大樹が太古から存在し、これを失うとカノンに滅びが訪れるとの伝説があったのだ。
 だが、その「命の樹」こそカノンが戦乱に明け暮れる元凶だと見なしたジャグラーは、「命の樹」をかばおうとするアマテ女王が巨大化変身した戦神(いくさがみ)ともども斬り倒してしまい(汗)、惑星カノンの王族を敵に回してしまう。
 しかも、その行為をアスカ・シン=ウルトラマンダイナから「光の戦士の戦い方じゃない!」と否定されたことから、ジャグラーは良き相棒だったガイに別れを告げてひとりカノンを去っていく……


 ちなみに、『THE ORIGIN SAGA』には、アスカ以外にも『ウルトラマンガイア』の高山我夢(たかやま・がむ)=ウルトラマンガイアと藤宮博也(ふじみや・ひろや)=ウルトラマンアグルや『ウルトラマンコスモス』の春野ムサシ=ウルトラマンコスモスも並行宇宙を越境してきて、ほとんどレギュラーとして登場している。そういう先輩ヒーロー客演イベントはWeb(ウェブ)ドラマだけでなく地上波放送でもやってください!(笑)


 『THE ORIGIN SAGA』当時はまだ、後年とは正反対に冷静で任務に忠実なエリート戦士だったジャグラーが後年に「闇」に支配されるに至ったのは、この出来事で自身の「正義」を否定されたのが発端(ほったん)だったのだ。
 そんな苦い過去から、自身の「正義」を絶対視する人類とセレブロに「正義」の「危(あや)うさ」を思い知らそうとして、ジャグラーは双方を常に監視可能なストレイジの隊長となり、セレブロに踊らされた人類がつくった「正義」の象徴=ウルトロイドゼロを奪うために、これまで「立ち位置シャッフル」を繰り返してきたことが判明するのだ!


「見返してやれ。エラそうな能書きだけで人の生き方を否定するヤツらを。オレもそうするつもりだ」


 人生途上でさんざん自身の「生き方」を否定されてきた筆者としては、とても共感するセリフである(爆)。これはストレイジの解散から間もない第22話のラストでジャグラーがヘビクラ隊長の姿でハルキに語りかけたものだ。『Z』は『THE ORIGIN SAGA』、ひいては『オーブ』の間接的な続編でもあるのだとジャグラー自身が雄弁に物語っていたといえよう。


 『Z』の視聴者の大勢としては、通販サイトの最大手・Amazonのプライム会員(月額500円で見放題・笑)にしか視聴できなかった『THE ORIGIN SAGA』を観ていない人の方が圧倒的大多数だったかと思われる。特撮マニアでその作品の存在やアラスジを知ってはいても実際には観ていない御仁も多いだろう(汗)。そんなきわめて狭い層しか知らない作品で描かれたキャラのバックボーンを、現行の最新作で導入しても通じないとの批判は当然あろう。
 これは往年の70年代の小学館学年誌の特集記事のみに記載されていた、映像本編では語られなかったウルトラシリーズのウラ設定の数々にも通じる問題である――当時の学年誌は数百万部の発行部数を達成していたが、それでも子供たちの全員が学年誌を読んでいたワケではないのだ――。


 ところで、実は前日談『THE ORIGIN SAGA』もまた、厳密にいえばテレビシリーズの『オーブ』にはそのまま直結してはいないそうだ(汗)。


 マニア諸氏はすでにご存じだろうが、実は『ウルトラマンオーブ』の物語は、メインだった田口清隆(たぐち・きよたか)監督とメインライターの中野貴雄(なかの・たかお)によって『THE ORIGIN SAGA』の製作後、映像化されなかったウラ設定も含めた全10章からなる「エピソード10」が構想されていた。


・第1章『命の樹』編
・第2章『俺は銀河の渡り鳥』編
・第3章『ブラックホールを盗んだ男』編
・第4章『激闘! イシュタール文明』編
・第5章『ルサールカより愛をこめて』編
・第6章『さすらいの太陽』編
・第7章『宇宙魔女賊ムルナウの逆襲・サデスの帰還』編
・第8章『超空大凶獣デザストロ』編
・第9章『冥府魔道の使者』編
・第10章『渡り鳥、宇宙(そら)を行く』編


 「エピソード10」構想では、第1章が前日譚『THE ORIGIN SAGA』、飛んで第6章がテレビシリーズ本編『ウルトラマンオーブ』、第7章が映画『劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』、第8章が映画『劇場版 ウルトラマンX きたぞ! われらのウルトラマン』(16年)のラストと『劇場版 ウルトラマンオーブ』のラストで言及された怪獣デザストロとの戦い、第9章が『ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE』の枠内で放映された短編『ウルトラファイトオーブ』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170603/p1)と、時系列に沿った位置づけが巧妙になされているのだ。
 そして、第2章でオーブはのちに『劇場版オーブ』の悪役として登場した宇宙魔女賊ムルナウとガピヤ星人サデスと初めて出会い、第5章ではテレビシリーズのタテ軸のカギとして回想されてきた過去話である西暦1908年における出来事であったロシア人(北欧人?)の美少女・ナターシャと光ノ魔王獣マガゼットンが登場するのだ。
 余談だが、第3章のサブタイトルは、歌手の沢田研二が主演した中学教師が原爆を製造する退廃的な名作カルト映画『太陽を盗んだ男』(79年・東宝)から「盗んだ」ものだろう(爆)。


 なので、『Z』を「エピソード10」構想につづく『オーブ』の第11章以降の物語として連続性を持たせて、ウルトラマンシリーズの「大河(たいが)ドラマ」の一端として「世界観」を拡大させたのは、視聴者の興味を持続させるのにはきわめて有効な設定的なお遊びだっただろう。
 そして、仮に『THE ORIGIN SAGA』で描かれたジャグラーの出自を知らなかったとしても、「正義」に懐疑(かいぎ)的なそのキャラクター自体は決して視聴者の理解を超えるものではないのだ。マニア誌やネット媒体であとから『THE ORIGIN SAGA』や『オーブ』ネタの挿入や作品の存在を知って、それからそれらの作品をさかのぼって鑑賞するようなライト層や子供たちも確実にいるだろうことを思えば、長大なるウルトラマンシリーズそれ自体に関心を持ってもらうという意味でもバンバンザイなのである。



涼「現実に耐えきれない人間もいる」
翔一「どうしてですか? こんなに世界はキレイなのに。ほら、空も雲も木も花も虫も鳥も家も草も水も……」
涼「世界は美しいだけじゃない」
翔一「そうかな? そういうのって見方によるんじゃないですか」
涼「人間が皆、自分と同じだと思わない方がいい」


 これは2021年で放映20周年を迎えた『仮面ライダーアギト』(01年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011108/p1)の第12話における津上翔一(つがみ・しょういち)=仮面ライダーアギトと葦原涼(あしはら・りょう)=仮面ライダーギルスの会話だ。
 基本的には「いい人」だが、自分の価値観を絶対視する翔一に対し、何に対しても懐疑的な(汗)涼は多面的なものの見方を提示している。……個人的にもたしかに世界なんてキタナイものだらけだとは思うけど(爆)。


 「正義」のヒーローが「絶対悪」を倒せばよかった昭和の時代とは異なり、「正義」を疑う観点もが示された平成仮面ライダーが放映されて早20年が経過し、多様な価値観を群像劇を通じて描く手法は特撮変身ヒーロー作品では今やすっかりスタンダードとなっているのだ。
 この20年間さんざんに面白い『仮面ライダー』を観てきたハズなのに、いまだに『アギト』が超面白いと思えるのは――個人的にはリアルタイム以上に!――、やはりその作劇やテーマ自体も実に優れていて普遍性もあったからだろう。


 第11話~第14話にかけての、自身の卵を守るという「正義」を示したレッドキングを倒さなくてはならない「正義」を、ハルキが疑いつづけた展開はたしかに少々陰鬱ではあった(汗)。しかし、そうした観点は特撮変身ヒーロー作品ではもはや必要不可欠な要素であり、それを提示するキャラは本作『Z』では、やはり善悪があいまいで揺れているがゆえに物事を多面的に見られたり、悪に落ちてしまう人間にも一理を認めてあげられる視点があるジャグラーこそが最もふさわしかったのではあるまいか?


 第24話でクリヤマ長官に憑依したセレブロに「選択肢(せんたくし)はふたつだ」と脅迫されて、当初の目的であったハズのウルトロイドゼロを奪うことよりも、ハルキの命を救うことを優先してしまったジャグラーが、


「また、やっちまった……」


とボヤくのも、一方では非情に徹しきれない彼の「人間性」を象徴するものだ。


 ジャグラーは単に「ネタキャラ」として消費するだけでは実にもったいない、背景に高い「ドラマ性」をもっており、「善悪の多様性」や「物事の多面性」といった「テーマ面」でも有効に活用することができるキャラクターとして我々は再認識をする必要があるだろう。


 その意味では、ふだんはノーテンキなユカが第23話で放った、「正義」が守るべき範疇(はんちゅう)に「地球」や「怪獣」も含めるか、「人類」だけに置くかで変わってくる、以下の嘆きも高く評価されるべきだ。


「地球を守るんじゃなくて、人類が人類、守ってるだけじゃん!」


*魅力的なラインナップの「怪獣軍団」と魅惑的なセレクトの「合体怪獣」までもが「最終章」には登場!


 第24話で『ウルトラセブン』(67年)に登場した発泡怪獣ダンカン(!)、『帰ってきたウルトラマン』(71年)ほかに登場した凶暴怪獣アーストロン、『ウルトラマンタロウ』(73年)ほかに登場した火山怪鳥バードン、『ウルトラマンレオ』(74年)に登場した宇宙昆虫サタンビートル(!)、『ウルトラマン80』(80年)第1話(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100502/p1)に登場した月の輪怪獣クレッセント、『ウルトラマンG(グレート)』(90年)に登場した昆虫怪獣マジャバ(!!)などの怪獣たちが「世界各地」でいっせいに目を覚ます怪獣ファン狂喜必至の描写は、第22話で「人類が人類を守るだけのウルトロイドゼロ」に対する反乱として「日本各地」で怪獣が出現した一連を、異なる怪獣たちで反復することでいっそうドラマ性やテーマ性を深めていた。
 その怪獣たちがウルトロイドゼロに吸収されて、それらの各部位が装甲を突き破るように露出した「合体怪獣」である「殲滅(せんめつ)機甲獣デストルドス」が誕生する!


 2010年代のニュージェネレーションウルトラマンの最終章に個人的にはいまひとつの感があったのは、初代『ウルトラマン』の宇宙恐竜ゼットン、『ウルトラマンA(エース)』(72年)最終回(第52話)(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)の合体超獣ジャンボキング、『ウルトラマンメビウス』(06年)最終章3部作(第48話~第50話)の暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人などの最終回登場怪獣に匹敵するほどにインパクトの高い怪獣が登場しなかったことが大きい――強(し)いて挙げれば『ウルトラマンR/B』の最終章に登場した、ハデな原色のケバケバしいデザインで『A』の超獣を彷彿とさせた怪獣「コスモイーター・ルーゴサイト」は魅力的に感じていた――。
 やはり「合体怪獣」という存在はそれぞれの怪獣のパワーが結集して倍増したようにも思えて強そうに見えるものなのだし、ウルトラマンシリーズの「合体怪獣」としてはジャンボキングに次ぐ二番手となる『ウルトラマンタロウ』に登場した暴君怪獣タイラントがいまだに根強い人気を誇っているのを思えば、それらを彷彿とさせる「合体怪獣」を最終章で登場させた『Z』の方法論はやはり正しいものだろう。
 第1期ウルトラシリーズの美術デザイナー・成田亨(なりた・とおる)は古代ギリシャ神話の神獣キメラ(キマイラ)のような「合体怪獣」には否定的だったが、先人には敬意を表しつつも個人崇拝のような原理主義にもなってはイケナイとも思う。今後のウルトラシリーズでも終盤などではこのように強そうな「合体怪獣」を登場させてほしいものである!


 ところで、ウルトロイドゼロは第11話で救われたレッドキングBをも吸収してしまっており(!)、ハルキのトラウマを誘発するかのようにデストルドスの右肩にレッドキングの首が伸びている(汗)。カオス的であるのみならず、セレブロの頭脳戦・心理戦をも象徴する形態であるのもデストルドスの大きな魅力だろう。


*ハルキとバコさん、そしてウルトラマンゼットとの感動的な「別れ」が描かれた!?


 さて、主人公青年がウルトラマンとしての正体を最終章まで決して明かさなかった昭和以来の伝統が『ウルトラマンメビウス』で途切れて以降、シリーズの序盤から主人公の正体が主要キャラには公然となっている『ウルトラマンジード』(17年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200523/p1)のような例も見られるようになったが、『Z』では最終回の1本前である第24話でハルキがその正体を告白する。
 先述した流れからすれば、その相手がヨウコでもドラマチックに描けたことだろう。なにせヨウコが熱を上げたゼットの正体がハルキだったのだから(笑)。
 だがこのとき、ヨウコはセレブロに憑依されて、ウルトロイドゼロのコクピットでラリった表情でエキセントリックに絶叫していたために(汗)――ヨウコ役の松田リマの明確に差別化した演技が絶品!――、実際にハルキが告白した相手は意外や意外、バコさんだったのだ!


 防衛軍の整備班がクローズアップされるのは故・綿引勝彦(わたびき・かつひこ)が演じるアライソ整備班長が登場した『ウルトラマンメビウス』第15話『不死鳥の砦(とりで)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060924/p1)以来かと思うが、特空機なる架空のロボット兵器に現実感を醸(かも)し出すために、『Z』では整備班は大人数の隊員が所属する重要部署との位置づけがなされていた。
 登場しない回もあったが、バコさんは決して「周辺キャラ」にとどまらず、戦闘飛行メカを「もっとていねいに扱え!」などと『メビウス』の防衛組織・GUYS(ガイズ)の隊員たちを怒鳴り散らしていた一本調子の印象が強いアライソ班長とは対照的に、格闘技やトランプ手品にマグロの解体(爆)などの多彩な特技を持ちながらも「むかし…… ちょっとな」と多くを語らないバコさんは、ハルキからしても真実を明かしやすい相手ではあったろう。


 だが、特筆すべきはそのシチュエーションの描き方である。


「ちょっとドライブ、行かないか?」


 この緊急事態時にバコさんがハルキをドライブに連れ出すのはもちろんそれなりの意図があってのことだ。ウルトラマンゼットの正体をウスウス気づいていたであろうバコさんがハルキから話を引き出すための有効な手段だったのは想像に難(かた)くない。


 だが、ハルキもバコさんも車中ではひたすら「黙して語らず」。やがて……


「やっぱオレ、行きます!」
「行くって、おまえ……」


 この場面でのハルキのセリフはそれっきりだ。「実はオレ、ウルトラマンゼットなんです!」とはひとことも云っていない! だが、バコさんをひたすら見つめるハルキの表情だけで、自身の予感が的中したことを確信したバコさんもまた


「そうか…… 行ってこい」


と声をかけるのみだった。


 運転席でやや呆然(ぼうぜん)としたバコさんの横顔の背景に、車外へ駆けだしたハルキが変身直前に入る直方体の「光の異空間」に突入するさまが車窓越しに描かれる特撮合成演出がまた絶妙だ!


「最近のウルトラマンはしゃべりすぎだ! 神秘性がなくなる!」


 『ウルトラマンR/B』第8話『世界中がオレを待っている』(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20181104/p1)でのウルトラマンオーブダークによる、この旧態依然としたオールド特撮マニアのような否定的文脈での主張にはまったく賛同しないし、ウルトラマン自身がベラベラとしゃべって彼ら自身のドラマを展開していくことにウルトラシリーズの新たな鉱脈すらある! くらいに個人的には思っているのだが(笑)、たとえ「多くを語らず」とも通じ合えているハルキとバコさんの関係性を端的に描いたこの場面がサイコーにカッコよく感じられたのもまた事実なのだ。


 「むかし…… ちょっとな」というセリフの「むかし」という語句には、メタフィクション的にはバコさんを演じた橋爪淳(はしづめ・じゅん)が、特撮マニアには映画『ゴジラVS(対)スペースゴジラ』(94年・東宝)の主人公・新城功二(しんじょう・こうじ)役や映画『ゴジラ FINAL WARS(ファイナル・ウォーズ)』(04年・東宝http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060304/p1)の国連事務総長秘書官役、『大江戸捜査網』(90年)や『若大将天下ご免!』(87年)などのテレビ時代劇の主演などを務めてきたことまでダブル・ミーニングがされているのだろうが、先述したバコさんの静的なカッコよさは、ロマンスグレーの頭髪に白いヒゲがめだつ熟年俳優だからこそ成しえた必殺ワザだろう。


 ハルキとバコさんの別れの場面も哀愁(あいしゅう)が漂(ただよ)う演出だったが、デストルドスに敗れたゼットがガラスのように砕(くだ)け散り(!)、一心同体だったハルキと分離してしまう場面もまたしかりだ。ここでは『ウルトラマン』最終回(第39話)『さらばウルトラマン』でゼットンに敗れた初代ウルトラマンを迎えに来た宇宙警備隊の隊長でウルトラ兄弟の長男・ゾフィーと初代マンが、赤い球体の中で会話する描写のオマージュがなされた。
 初代マンに変身していた防衛組織・科学特捜隊のハヤタ隊員と初代マンがゾフィーによって分離され、長い「別れ」となったように、ゼットとハルキも「別れ」のときを迎えたのかも!?――最終回ラストはまだなので、そんなことになるハズはないのだが(爆)――と視聴者に衝撃を与えるミスリード演出としては絶妙だった。


「こういうとき、地球では……ウルトラさびしい気持ちでいっぱいでございます」


 ゼットがいつもながらのウルトラデタラメな日本語(笑)でハルキに「別れ」を告げても、それを笑った視聴者は誰ひとりとしていなかっただろう。むしろこんなウルトラ非常事態でさえゼットの「らしさ」を貫いた演出こそが、視聴者の涙をより誘ったのではなかったか?


*「タテ軸」「連続もの」要素よりも「ウルトラ面白カッコよさ」の方が優先!?


 デストルドスが世界の主要都市を次々に破壊する中、セレブロの「正義」に鉄槌(てっつい)をくださんと、ジャグラー=ヘビクラ隊長によって解散したハズのストレイジが整備班のメンバーも含めて再結集する!
 そして、キングジョーストレイジカスタムにハルキが、ウインダムにヘビクラが、セブンガーにバコさんが搭乗して全特空機が出撃、デストルドス撃退とヨウコ救出のためにストレイジが総力戦を展開した!


 平成の『ウルトラマンティガ』以降のウルトラマンシリーズの最終回は3部作や前後編などの連作形式によって全世界的な危機が描かれ、主人公側が総力戦で挑(いど)むのが恒例(こうれい)となっている。それは『Z』でも踏襲(とうしゅう)されたのだが、先述したハルキとヨウコの関係性の変化が最終回のクライマックスで頂点に達することで、本編の「人間ドラマ」と「特撮バトル」の双方を渾然一体(こんぜんいったい)にして盛り上げた作劇的技巧は、ニュージェネウルトラマンの最終章の中でも突出して完成度が高かったかと思える。


 ウルトロイドゼロのコクピットで、ヨウコはハルキとの「腕相撲」の日々を回想した末に、


「よっしゃぁ~~! やっと勝ったぁ~~!! ……あ、結婚しなくちゃいけないのか?」(爆)
「アンタ、なんで泣いてんのよ!」


と、ハルキがついにヨウコに勝利するさまを夢に見る。


 この場面は『帰ってきたウルトラマン』最終回(第51話)『ウルトラ5つの誓い』の冒頭で、触覚宇宙人バット星人に捕らわれた『帰ってきた』最終第4クールのヒロインである女子大生・村野ルミ子が主人公の郷秀樹(ごう・ひでき)=ウルトラマンジャックと結婚式を挙げる夢を見る描写を彷彿とさせる。
 最終展開で侵略宇宙人に拘束(こうそく)されるヒロインが「主人公と結ばれる夢を見るシチュエーション」がまったく同じなので、おそらくは『帰ってきた』のオマージュも入っていたのだろうが、これはヨウコがバコさんやゼットのような「超年上」好みから「年下」のハルキに心変わりしたさまの何よりの証(あかし)となっている。


 キングジョーをロボットモードに変型させて高空でデストルドスと組み合ったハルキは、デストルドスの腹部からヨウコを抜き取ることに成功する!
 しかし、乱気流の中でヨウコは宙をまっ逆さまに落下! 救出に向かうハルキが空に飛び出す!


 アニメ作品などで時折り見るような、まさにナマ身でのランデブー落下飛行の状態で向き合うハルキとヨウコの背景に、「光の異空間」内での変身シーンのバンク映像でハルキの真後ろに出現する際のようなウルトラマンゼットの巨大な姿が「実景」の大空の中に現れた!


 そして……


ゼット「ご唱和ください、我の名を!」
ハルキ「ウルトラマン、ゼぇぇ~~ット!!」


 ハルキだけではなくヨウコも、そして地上でこれを見守っていたストレイジの隊員たち全員が「ウルトラマン、ゼぇぇ~~ット!!」と唱和して熱く叫ぶ!!


 これには『ウルトラマンA』のシリーズ前半で描かれた主人公の防衛組織・TAC(タック)の隊員・北斗星司(ほくと・せいじ)と南夕子(みなみ・ゆうこ)の変身時の掛け声「ウルトラ・タッチ!」のように、ハルキとヨウコがウルトラマンゼットに合体変身をとげるのか!? とおもわず錯覚したほどだった。
 また、『ウルトラマンメビウス』最終回(第50話)(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070505/p1)やその後日談であるオリジネルビデオ作品『ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス』(08年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20080914/p1)で主人公のヒビノ・ミライ=ウルトラマンメビウスとともに「メビウ~~ス!!」と叫んだGUYS隊員たち全員が、ウルトラマンメビウスの最終強化形態であるウルトラマンメビウス・フェニックスブレイブに合体変身した描写をも彷彿とさせた。
 『ウルトラマンティガ』最終回(第52話)(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961207/p1)で世界中の子供たちの「光」がウルトラマンティガを復活させ、ティガと合体して体内で共闘する描写もそうだったが――正直、個人的には『ティガ』にあまり良い印象を持っていないのだが(汗)、最終章単独では高く評価している――、こうした演出こそ視聴者が劇中キャラとの一体感を得られて、感情移入をより高める効果を発揮するのだ。


 主題歌のタイトルでもある「ご唱和ください、我の名を!」なるゼットのウルトラ変な定番セリフは、最終章を盛り上げるために逆算して考案されたのではなかったか!? と思えてくるほどである。


 バトルシーンには実にふさわしい、『Z』の主題歌『ご唱和ください 我の名を!』が流れる中、


「まだまだイケますね、ゼットさん!」
「もちろんでございますよ!」


と、最終決戦の最中でさえハルキとゼットがそんなやりとりをしてしまう「ウルトラ面白カッコいい」作風こそ『Z』最大の魅力なのだろう。


 デストルドスを撃破して、「宇宙で困ってる人を助けに」とゼットとともに地球を離れることとなったハルキとヨウコの「別れ」の場面すらもが、


「盆と正月には帰ってきますね!」
「実家みたいに云うな!」(笑)


なんて調子だったのだから。


 セレブロの方は最後は虫取り網(あみ)で捕獲(汗)されたほどにラスボスとしては小物感が拭(ぬぐ)えず、そもそもセレブロに憑依された青年・カブラギが登場しない回も多かったとか、怪獣を狂暴化させる要因とされた宇宙全体に飛び散っている「ベリアル因子」でもある「デビルスプリンター」の件は結局、文字通り「回収」されずに終わったなど、タテ軸的には「?」な欠点もたしかにあった――最終回のラストでゼットが「これからハルキとデビルスプリンターを回収する旅に出るのでございますよ!」などというセリフでも入れてくれれば言い訳がついたであろうに――。


 だが、そういった欠点がありつつも、「キャラクタードラマ」としての面白さを優先した作劇こそが、『Z』が最後まで子供たちやマニア層からの支持を離さなかった大きな要因かとは思えるのだ。


 平成ウルトラ3部作はリアルタイムではテーマやドラマ的な部分で当時の年長特撮マニアたちの注目を集めたり、そこを中心に論じられたりもしたものだ。しかし、それとは別に防衛組織の隊員たちやそれを演じる役者さんたちにも熱い視線を送るファン層も一定数は存在していた。
 当時の筆者は特撮番組をそんなミーハーな視点で語るのは邪道だと考えていたのだが(汗)、実際に商業的には久々に成功したといえる『Z』に対する若いファンたちの盛り上がりぶりを見るにつけ、もう21世紀に入ってからはとっくにそのようにも考えを改めてはいたのだが(笑)、ヒーローや登場人物のキャラクター人気が主導するような『ウルトラマン』作品こそが実は充分に魅力的な作品でもあったのだ! という結論を再確認の意味でも噛みしめているのであった。


*エースからゼットの手に! ウルトラマンエースウルトラマンゼットに、先輩ヒーロー客演編の普遍性を透かし見る!


 さて、『Z』がマニア層から支持された要素について考察してきた結果、本来ならば筆者が最も語りたかった、昭和のウルトラマンエースが客演した第19話『最後の勇者』について語る紙幅がなくなってしまった(汗)。ここではその最も重要な部分のみについてふれさせていただこう。


ヤプール! かつておまえは云った。『勝った者は負けた者の怨念(おんねん)を背負って生きるんだ』と。それでも私は、ウルトラマンは戦いつづける! この宇宙に真の平和が訪れるその日まで!」


 『ウルトラマンA』の名作回である第48話『ベロクロンの復讐』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070402/p1)での女ヤプールの捨てゼリフに対する返答にもなっている、この熱血少年マンガ的な超カッコいい名セリフは、この『Z』第19話にも登場した『A』第13話『死刑! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1)~第14話『銀河に散った5つの星』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1)の前後編が初出である殺し屋超獣バラバの創造主である、というか今回のバラバの正体でもあるらしい、バラバの姿で不完全な復活を果たしている異次元人ヤプールに向けてウルトラマンエースが放ったものなのだ。これとの係り結びとしてラストでウルトラ意外な事実も明かされる!


「ゼット(=Z)にはなぁ、地球の言葉で『最後』という意味がある。おまえがこの宇宙から戦いをなくして平和をもたらす『最後の勇者』となれ……」


 マニアや怪獣博士タイプの子供であれば、『ウルトラマンZ』というネーミングに昭和の『ウルトラマンA』のネーミングとの共通項を誰もが連想したことだろう。しかし、『A』と『Z』のアルファベットの最初と最後から採った名前つながりで、エースとゼットがすでに旧知の仲であったのだとした描写自体がまずは秀逸である。そして、そこに後付けでも意味やドラマ性を持たせるために、エース自身がまさにゼットの名づけ親だったとしてみせる! もちろんそれは点描でしかない。ナマ身の人間によるドラマではなく宇宙人・仮面ヒーローたちによるドラマではある。しかし、それであっても高いドラマ性を与えることはできるのだ!


 なお、『Z』第19話は動画無料配信サイト・YouTubeで配信当日に「急上昇ランキング」の第29位にランクインし、1週間で再生回数が150万回を超えていた!――この時期の通常回の再生回数は80万~100万回前後――
 往年の昭和のレジェンドヒーローがゲストで登場するサプライズ回でも、世代人でもない若年層やライト層までもが支持をするのだという厳然たる事実があることに、もはや疑いの余地はないだろう――そもそも『A』をリアルタイムで観ていた世代の方が今となっては少数派だろう(笑)――。ウルトラシリーズにかぎらず各社のシリーズヒーローものでも、積極的にレジェンドヒーロー客演回や客演映画を製作するべきなのである!

2021.4.22.


(了)
(初出・当該ブログ記事)


 2021年9月現在、放映中のTV特撮『ウルトラマントリガー』(21年)に、前作のヒーロー・ウルトラマンゼットが並行宇宙を越境してきて客演した#7のサブタイトルは「インター・ユニーバース」! 直訳すると、「宇宙」と「宇宙」間、異なる「宇宙」と「宇宙」相互同士の「関係性」! といった意味になる。「グローバリズム」とは異なる「インター・ナショナル」という語句とも同様に、両者が溶け合って混ざって平均化・均質化されてしまったのではなく、互いの個性・特質を保ったままでの併存! もしくは、鎖国ではなく併存しつつも相互で影響を与え合っている! といったことを意味する言葉にもなるので、実に示唆的でもある。


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てれびくん超ひゃっかシリーズ ウルトラマンZ ヒーロー&怪獣ずかん

ウルトラマンZ』後半評! ゼットが『ウルトラマントリガー』にゲスト出演記念!
#ウルトラマンZ #ウルトラマンゼット #ウルトラマントリガー #ジャグラスジャグラー
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ウルトラマンZ前半評 ~ギャグ漫画・ギャグアニメ的なキャラ立て・会話劇での「お遊び」の中に「タテ糸」を挿入!

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 シリーズ最新作『ウルトラマントリガー』(21年)#7に、前作『ウルトラマンZ(ゼット)』(20年)が客演記念! とカコつけて、『ウルトラマンZ』前半評をUP!


ウルトラマンZ』前半評 ~ギャグ漫画・ギャグアニメ的なキャラ立て・会話劇での「お遊び」の中に「タテ糸」を挿入!

(文・久保達也)
(2020年9月下旬脱稿)
(2021年1月中旬改稿)

*ハルキ&ウルトラマンゼット=主人公で「遊ぶ」(笑)


 ウルトラマンゼットに変身する主人公のハルキといえば「オッス!」「チェストぉ~~!」が毎回の定番セリフであるように、一見すると熱血体育会系のキャラのように描かれてはいる。ただ、よく観るとそれは特空機(巨大ロボット)を操縦したりウルトラマンゼットとしての怪獣との戦闘時に顕著(けんちょ)となる姿であり、普段はむしろややポ~ッとした天然ボケが強いキャラとして描かれているのだ。
 地球防衛軍日本支部のロボット部隊・ストレイジのヘビクラ・ショウタ隊長やヨウコ隊員&ユカ隊員、バコさんにクリヤマ長官らとの基地内でのやりとりでは彼らにイジられるのを喜んでいるような表情が見られるが(笑)、そんなキャラ造形はいわゆる体育会系の特徴であるアツ苦しさや強引さが苦手な我々のような人種からしても好感がもてるだろう。


 ゼットも地球に来たばかりとはいえ、敬語とタメ口を混同して話すほどに(笑)地球語、いや日本語があまりにデタラメな歴代ウルトラマンでは通常あり得なかったキャラとして初登場時から描かれてきた。そして歴代ウルトラマンを「師匠」だの「兄さん」だの「先輩」と呼称して上下関係を重んじる姿勢は、ハルキ同様の体育会系の気質を端的に表している。
 そんな似た者同士のハルキとゼットの関係性は、彼らの天然ボケぶりを最大限に活かして毎回描かれているボケとツッコミの掛け合い漫才的なやりとり抜きに語ることはできず、これも『Z』の「お遊び」演出を最大に象徴するものだ。


「ウルトラ緊急事態だ! おまえの身体を借りるぞ!」


 「ウルトラマンZ(ゼット)』(20年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200723/p1)第7話『陛下(へいか)のメダル』では、往年の『ウルトラセブン』(67年)そして『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)以降に時折見られるようになったウルトラマンの等身大バトルが描かれた!


 この際、ゼットはハルキに等身大での活動制限を「地球時間で50秒」と語る。


 おもわず笑ってしまうセリフではあるものの、ウルトラマンの地球での巨大戦闘時は制限活動時間が3分間であることからすれば一応の説得力も感じられはするだろう(笑)。
 こうしたSF作品としての疑似(ぎじ)科学性をもまずはコミカルに見せることこそが、つづく一連の描写で面白さとカッコよさを両立させたのではあるまいか?


「ゼットさま、小さくもなれるんですね!」(笑)


 かなり年上の男性が好みでハルキからゼットの年齢を「だいたい5000歳」と聞いて以来、ヨウコは「ゼットさまぁ~~」と序盤からゼットに熱を上げてきた。自身の年齢を「だいたい」などと正確に答えられないアバウトさもまたゼットのキャラを端的に象徴しているが、実際5000年も生きていたらカウントするのも大変だろうと、これも「地球時間で50秒」と同様に一応のリアルさと説得力を感じられるものではある(爆)。
 それよりもただでさえ笑えるハルキとゼットの関係性に「ゼットさまぁ~~!」と時折ヨウコが割りこむことが、その抱腹絶倒演出にさらに拍車をかける効果を上げているのは確かだ。


「お会いできて、光栄です!」


 最敬礼したヨウコのヘルメットが、ゼットの胸にある「Z」字状のカラータイマーを直撃(!)してゼットが苦しんだり(笑)。


 この回を演出した坂本浩一監督ならではだが、ゼットがヨウコをかかえながらのペアダンスバトルを披露し、「ウルトラきつい」となげいてみたり(爆)。


「使い方は、え~と……」
「忘れたんスかっ!?」


 第9話『未確認物質護送指令』で、ウルトラマンコスモスウルトラマンネクサスウルトラマンメビウスのウルトラメダルを入手したにもかかわらず、その使い方はどうだったのかゼットは宙を見上げて考えこみ、そのスキに背後からキングジョーに張り倒される(爆)。
 「力には力で」とゼットは初代ウルトラマンウルトラマンエースウルトラマンタロウのメダルでパワータイプのウルトラマンゼット・ベータスマッシュにチェンジするも、キングジョーにかなわない。


「ダメだ、どうしよう……」
「オレに聞く!?」(大爆)


 地球人・ハルキに相談してしまう情けないウルトラマンゼットは完全に三枚目として描かれていた(笑)。


*ヘビクラ隊長(ジャグラスジャグラー)の描写も「遊び」になっている!


「オレ、隊長だったりするんだよな。似合うだろ」(笑)


 映画『劇場版 ウルトラマンジード つなぐぜ! 願い!!』(18年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180401/p1)ですでに対面していた朝倉リク=ウルトラマンジードに、『Z』第6話『帰ってきた男!』で再会してオドケてみせたように、ヘビクラ隊長の正体は『ウルトラマンオーブ』(16年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170415/p1)のライバルキャラ・ジャグラスジャグラーだった!
 『ウルトラマン』シリーズにかぎらず、『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』シリーズでも、かつてのヒーローを演じた役者が後年のシリーズでまったく別の役を演じるのは昭和のむかしからよくあったことだ。
 これまでのニュージェネレーションウルトラマンシリーズの各作が、基本的には個々に別次元の世界とされてきたこともあり、『オーブ』でジャグラーを演じた青柳尊哉(あおやぎ・たかや)氏が『Z』でヘビクラを演じるのは、当初は『Z』の世界観は『オーブ』とは別次元なのだと明確に印象づけるためのキャスティングだとさえ個人的には思ったほどだった。


 しかし、そのキャスティング自体がミスリード演出であり、実際にはまったく逆でコレはうれしい誤算だったのだが、序盤では基地のモニターでゼットや対怪獣用ロボットの特空機1号・セブンガーの戦況を見守るユカに「ちょっとトイレ」(笑)とヘビクラが席をハズす描写が何度も描かれていたことで、「もしや!?」と期待した向きは相当数にのぼったことだろう。
 そういえば、『Z』第1話『ご唱和(しょうわ)ください、我の名を!』では、冒頭で描かれた古代怪獣ゴメスとの戦闘中にセブンガーの活動の邪魔(笑)をしてしまったハルキをクリヤマ長官が叱責する中、ヘビクラが謝罪をうながすためにハルキの尻をつねる描写があった。
 コレは先述した映画『劇場版ジード』でも、テレビシリーズの『ジード』でウルトラマンゼロが体を借りていたサラリーマン・伊賀栗レイト(いがぐり・れいと)を相手にジャグラーがやらかしたことだった。


 これを踏襲(とうしゅう)したのだとすれば、第1話の時点ですでにヘビクラの正体はほのめかされていたのだ(爆)。


「戦士の戦い方ってぇのを見せてくれよな」


 そう云いつつ、第8話『神秘の力』ではハルキの頬(ほお)にキスをするなど(大爆)、腐女子(ふじょし)大喜び的な描写が多いこともジャグラー人気の秘訣(ひけつ)なのだろう。


 『オーブ』で青柳氏が「子供がトラウマになるような悪役」をめざして演じたものの、結果的には「ネタキャラ」となってしまったジャグラー(笑)を再度引っぱりだしたことこそ、ある意味『Z』最大の「お遊び」であり、若い世代を中心としたライト層――といっても今となっては彼らこそが特撮マニアの中での主流派で、視聴や知識収集の熱心さの度合いでいえば新コア層だともいえる――の誘致にもおおいに貢献したともいえるだろう。


 ちなみに、講談社が2020年7月から月2回刊行し、全40号で円谷プロ作品を紹介する分冊百科マガジン『ウルトラ特撮 PERFECT MOOK(パーフェクト・ムック)』の刊行順は2019年7月18日に刊行されたプレ創刊号(vol.0・ISBN:4065164826)で募集した作品の人気投票を基準としているが、『オーブ』はvol.12(20年12月26日発行・ISBN:406520934X)として刊行、つまり人気投票で第12位だったワケだ。
 このベストテン企画では恒例のことながら、昭和ウルトラの第1期&第2期ウルトラマンシリーズや『ウルトラマンティガ』(96年)に『ウルトラマンメビウス』(06年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)、そして『怪奇大作戦』(68年・円谷プロ TBS)などが並ぶ結果となっている。
 しかし、なんと『オーブ』はこれらに次ぐ人気で、ニュージェネシリーズの中ではダントツ首位なのだ!――ちなみに第13位は『ミラーマン』(71年・円谷プロ フジテレビ)、第14位は『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)、第15位は『ウルトラマンジード』(17年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170819/p1)だった――


 この事実からしても、ジャグラーの再登板はきわめて妥当(だとう)な英断だったといえるだろう。なので、『ジード』の伏井出ケイ(ふくいで・けい)=ストルム星人とか『ウルトラマンR/B(ルーブ)』(18年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180826/p1)の愛染マコト(あいぜん・まこと)=精神寄生体チェレーザなどの「ネタキャラ」悪役たちも、今後の作品でジャグラーのようにシレッと復活させて『Z』と同様の成果をねらうべきかと思えるのだ。


 もっとも、第13話『メダルいただきます!』で、ストレイジの基地に突然現れたコイン怪獣カネゴンをかくまおうとしたハルキと、それに気づいてしまったヘビクラ隊長とで交わされた、


「なんだ、コイツ?」
「バレました?」
「気づくわ!」(爆)


などのやりとりで見せたヘビクラのコミカルな一面は、同じコミカル演技でも、ジャグラーの「ネタキャラ」ぶりとは明確に差別化されていた。
 単にキャラ人気に頼るのではなく、ヘビクラとジャグラーがまったくの別人格であるかに装う、あるいはホントにヘビクラとしての人格も新たに誕生しつつあるジャグラーの、青柳氏による演技や演出もまた見事といえよう。
 第10話でヘビクラがジャグラーであるとも知らずにユカが「解剖したい!」とのたまった際、ヘビクラが飲んでいたお茶をプッ! と吹き出す描写もサイコーだったが(笑)。


 ただ、これまでに述べてきた「お遊び」的な要素も、


・特空機の出撃場面で『帰ってきたウルトラマン』(71年)の防衛組織・MAT(マット)以降の伝統となった「ワンダバ」を連呼する男性コーラスと、『ウルトラセブン』(67年)の防衛組織・ウルトラ警備隊の戦闘機発進時の基地内アナウンス「フォース・ゲート・オープン!(第4隔壁門・開扉!)」が流れたり!
・特空機が単体ではなく、セブンガーとウインダムがコンビで活躍するさまが多く描かれたり!
・ハデな戦闘のみならず、第9話『未確認物質護送指令』ではヘビクラとユカがホンモノのウルトラメダルを輸送するヨウコのオトリ役となり、宇宙ロボット・キングジョーの分離・合体を駆使してこれを奪おうとするバロッサ星人との間で頭脳戦・スパイ戦・追撃戦が演じられたり!
・そのキングジョーの残骸から特空機3号として新生したキングジョーストレイジカスタムが、ロボットモード・セパレートモード・タンクモードの3形態に合体・分離・変型して戦ったり!


 そうした超兵器を有する防衛組織ならではのカッコよさや勇ましさがシリーズ序盤からしっかりと描かれていたからこそ、微笑(ほほえ)ましく思えるギャグ演出となりえていたのであり、そのサジ加減を誤ると印象は一変してしまうのだろう。


 ところで先日、YouTubeで配信された『ウルトラマンマックス』(05年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060503/p1)第31話『燃えつきろ! 地球!!』を、本放送以来15年ぶりに視聴した。内容はほぼ忘れていたのにもかかわらず、防衛組織・DASH(ダッシュ)の隊員たちが挑発星人モエタランガによって往年の野球アニメ『巨人の星』(68~71年)の主人公・星飛雄馬(ほし・ひゅうま)のように目が炎と化して燃える熱血キャラとなって暴走する場面で、リアルタイムでいっしょに観ていた当時5歳の甥(おい)が「なにコレ? アホみたい」(大汗)とアキレていたのを思い出してしまった――『激走戦隊カーレンジャー』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110521/p1)でも、目に炎がやどるギャグ演出回があったと記憶している(笑)――。


 まぁ、もちろん甥がそうであったというだけであって、その一例をもってして全国の子供たちも同様の反応を示していたのだとはいえないが。改めて当時のネット上の超巨大掲示板2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)での反応を調べてみると、のちに『仮面ライダーフォーゼ』(11年)やロボットアニメ『天元突破グレンラガン』(07年)に深夜アニメ『キルラキル』(13年)などのメインライターを務める中島かずきが脚本を手掛けたこのギャグ回は、否定的な感想ももちろんあったのだが概して評価は高かったのだった(笑)。
 この2004~2005年は、それまでの特撮マニア間でのハード&シリアス志向が草の根(主に2ちゃんねる・笑)で急速に相対化が果たされてきて、子供向けのギャグ路線もおおいにOKだろう! むしろシリアス志向こそが今でいう「中二病」に過ぎないだろう! というようになり、特撮マニア間での価値観が大きく地殻変動した時期だった――その数年前である2001年ごろだとまだ、子供間では大ヒットしているのにも関わらず、『百獣戦隊ガオレンジャー』(01年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20011113/p1)の熱血B級ノリが、2ちゃんねるに集う年長マニア間では「リアルではない! 軽躁的である!」として酷評されていた時代であったのだ(汗)――。


 なので、往年の『帰ってきたウルトラマン』第48話である怠け怪獣ヤメタランスが登場する『地球頂きます!』などのギャグ回などもビミョーなところがあるのだが、防衛隊にしろウルトラマンにしろ、フザケすぎても子供たちの憧憬対象にはならなくなってしまう危険性はたしかにあるのだ。


*宇宙海賊バロッサ星人は「宇宙の神秘」とは真逆な「チンピラ宇宙人」として「遊ばれる」!(笑)


 ウサギのような金色の長い耳にまんまるな青い目をした一見可愛らしいデザインに見えた、第10話『宇宙海賊(うちゅうかいぞく)登場!』に登場したバロッサ星人。だが終始、「バロッサ! バロッサ!」とエキセントリックに叫ぶばかりで地球語を話すことができず、人間の頭をつかんで意思を乗っ取ることで会話をするあたり、地球人を「下等生物」と呼んでいたワリには自分がそうではないのか?(笑)


 なにせ、ゼットのタイプチェンジ形態・ガンマフューチャーとの巨大戦では、ロシアの作曲家・ハチャトゥリアンによる有名なバレエ楽曲『剣の舞』に軽快に身を踊らせながら(笑)、背中から次々に剣を引っ張り出して、名作映画『七人の侍』(54年)や『仮面ライダーゼロワン』(19年)終盤(https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200921/p1)のように大地に突き刺していく!
 その中には『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)が初出で、ニュージェネウルトラマンシリーズでも再登場を繰り返してきたサーベル暴君マグマ星人のマグマサーベル(!)や、暗黒星人ババルウ星人の武器である巨大なトゲ付き鉄球(!)が付いた刺股さすまた)までもが含まれていた!
 たしかにバロッサのどチンピラぶりは、『レオ』初期に登場した通り魔的宇宙人を彷彿とさせる。こいつは「宇宙人」ではなくて「星人」である!(爆)


 ちなみに、ゼット・オリジナルとの等身大戦では全身を透明化するマントを使っていたが、コレは『帰ってきたウルトラマン』第19話『宇宙から来た透明大怪獣』に登場した忍者怪獣サータンの毛でつくったのだとか(笑)。まぁコレらは昭和世代大喜びの「お遊び」ではあるのだけれど、一見お笑い系のバロッサがそんな歴代の強敵を次々倒して武器を奪ってきたとして描くのは、その圧倒的な強さと「海賊」らしさを印象づけるには実に効果的だった。


 しかも、バロッサは断末魔に弟たちが復讐(ふくしゅう)に来ると叫び、「何人でもかかってこい!」とゼットが挑発するや、その弟は「9999人」もいるのだとか(爆)。


 『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』ではこんなコミカルな敵が登場するのがすでに当たり前となっているだけに、『ウルトラマン』シリーズでも『ウルトラマンマックス』あたりからはそのようなキャラが登場するのも不思議ではないのだけれど――先の『マックス』第31話『燃えつきろ! 地球!!』などはその典型!――、昭和の第2期ウルトラマンシリーズに大挙登場したチンピラ宇宙人たちが、20世紀の年長マニアたちから糾弾(きゅうだん)された70~90年代を知る身としては、やはり感慨を深くせずにはいられない。


 「9999人」もの弟たちの復讐が今から楽しみだ(大爆)。



 抱腹絶倒だった第10話につづいて、第11話『守るべきもの』、そして第12話『叫ぶ命』はハルキに試練が訪れるかなり重い話だった。それを乗り越えて成長するハルキを描くために、この鬱(うつ)展開は第2クール初頭までひっぱられるようだ――紙幅の都合もあり、これについてはハルキの成長を無事見届けてから語ろうと思う――。


 ただ、第1クールがこれまでに述べてきた「お遊び」演出に満ちあふれた明朗快活な作風であり、特撮場面の方が本編よりも尺数の比率が高いのでは? と思えるほどに見せ場が充実していたことからすれば、それだけが理由で視聴者が『Z』から離れる事態には至らないと思える。ほぼ総集編のコミカルな第13話『メダルいただきます!』――もちろんこのサブタイトルは先の『地球頂きます!』へのオマージュである(笑)――をワンクッションはさんでから第2クールにつなげる、緊張感をほぐす配慮からして象徴的である。


 まぁ、その第13話からして史上最大の「お遊び」があったのだが……


カネゴン「赤いアイツだ!」


 ゼット・ベータスマッシュの姿を見上げたカネゴンはあわてふためく。ネット配信されたことで若い特撮マニア間でも有名になった、全身赤を基調として両目をゴーグル状の部分が覆(おお)うベータスマッシュのデザインは、早朝の子供向けバラエティ『おはよう! こどもショー』(65~79年・日本テレビ)の枠内で放映された『レッドマン』(72年・円谷プロ 日本テレビ)の主人公ヒーロー・レッドマンに酷似していたからだ(笑)。
 『レッドマン』は造成地や採石場レッドマンと怪獣が戦うだけの3分ほどの帯番組として製作されたが、その中でカネゴンは原典『ウルトラQ』(66年)での「善良」なる怪獣役とは異なり「悪役」として登場してしまい(爆)、槍状の武器「レッドアロー!」で串刺しにされてしまったのだった(大汗)。
 レッドマンは2008年ごろからネット配信を観た若い特撮マニア間で「赤い通り魔」(爆)なる新しい異名を頂戴し、2012年に開催された企画展「館長庵野秀明 特撮博物館」での音声ガイドでもそのように言及されてしまったりして、人口に膾炙(かいしゃ)したものなのだ。老若に関わらず相応のマニア諸氏であれば、このセリフにはきっと爆笑したことだろう(笑)。


*『Z』には「タテ糸」もあるが、まずは「お遊び」で魅せている!


「『ウルトラマンオーブ』では遊び回ではなく縦軸回をきちんとやれ、みたいな話になりましたが、そもそもこのシリーズでは縦軸回とか遊び回とかを分けず、「基本的に遊ぼう」と主張しました」

講談社シリーズMOOK『ウルトラ特撮 PERFECT MOOK vol.12 ウルトラマンオーブ』(講談社 2020年12月26日発行) 監督・特技監督 田口清隆「君にも見えるウルトラの証言」)



 『ウルトラマンZ』のみならず『ウルトラマンオーブ』でもメイン監督だった田口清隆(たぐち・きよたか)監督の発言にもあるとおり、『新ウルトラマン列伝』(13~16年)の枠内で放映され、その期間も短かった『ウルトラマンギンガ』(13年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200819/p1)、続編の『ウルトラマンギンガS(エス)』(14年)、そして『ウルトラマンX(エックス)』(15年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200405/p1)とは異なり、やっと一枚看板の作品として放映された『ウルトラマンオーブ』以降のウルトラマンシリーズは、昭和以来の伝統である一話完結形式を継承しつつも、そのタテ糸がしっかりとした連続ドラマ性や、各作で作品世界は異なるとはいえ並行宇宙を越境できる概念の導入で、他のウルトラシリーズともつながっている趣(おもむき)が強かった。


 それらの連続ドラマ性や作品越境性を踏襲したかのように、主人公のウルトラマンタイガがウルトラマンタロウの息子であるとか、タイガの仲間でトライスクワットなるトリオを組んでいるウルトラマンタイタス&ウルトラマンフーマが、それぞれ『ザ☆ウルトラマン』(79年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200508/p1)や『ウルトラマンオーブ』と『ウルトラマンR/B』の主人公ウルトラマンたちと同じ星の出身だとか、敵であるウルトラマントレギアがウルトラマンタロウと古くからの因縁(いんねん)がある関係だとか……
 そうしたキャラたちの出自をめぐるナゾ解きをタテ糸に人物相関図の激変ぶりを描いたならばきっと面白くなったであろう前作『ウルトラマンタイガ』(19年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210606/p1)は、実際にはそんな大河ドラマ的なシリーズ構成よりも各回の単品としての物語を重視したつくりになっていた。
 それも地球での平和な暮らしを望む宇宙人たちがトレギアにそそのかされ、葛藤(かっとう)の末に悪事に走るような陰鬱(いんうつ)で湿っぽい話を連発したためか、ネット上での特撮マニア諸氏の反響を見るかぎりでは、序盤ではたしかに楽しんでいた若年(じゃくねん)層やライト層が次第に離れてしまう残念な結果となっていた。


 最新作『ウルトラマンZ』の作品世界や作劇は『タイガ』とは一転して、先述したような近年のウルトラマンシリーズに顕著な連続ドラマ性や作品越境性を強く感じさせるものだ。しかし……


*師匠・ウルトラマンゼロに「遊ば」れるウルトラマンゼット!(笑)


ウルトラマンゼロ「おまえなんか3分の1人前だ!」(爆)


 第1話『ご唱和(しょうわ)ください、我の名を!』の冒頭でウルトラマンゼロウルトラマンゼットにそう吐き捨てるに至ったほど、先輩ウルトラマンのゼロは新米ウルトラマンのゼットから弟子入りを志願されるもさんざん邪険に扱う(笑)。
 だが、宇宙警備隊の若き隊員たちのためにウルトラマンヒカリが開発した歴代ウルトラマンたちの力を秘めたウルトラメダルと、それをハメて用いるパワー召喚用アイテム・ウルトラゼットライザーを、ウルトラ一族の故郷であるM78星雲・光の国を襲撃した凶暴宇宙鮫(ざめ)ゲネガーグが飲みこんでしまう! ゼットとともに宇宙でゲネガーグを追跡していたゼロは、ゲネガーグが口から吐き出した、初代『ウルトラマン』(66年)に登場した四次元怪獣ブルトン(!)によって異空間に飛ばされ、行方不明となってしまう!


「オレの心配するなんざ、2万年早いぜ!」


 第7話『陛下のメダル』で、『ウルトラマンジード』にも登場したベリアル融合獣である巨大怪獣ペダニウムゼットン、そしてそれが変身したスカルゴモラにゼットとジードが苦戦していたそのとき、「シャイニング・スター・ドライブ!」で時間を逆行させ、ワームホールから脱出できたゼロが颯爽(さっそう)と駆けつける!
――『ウルトラマン列伝』(11~13年)の枠内で放映された短編『ウルトラゼロファイト』第2部『輝きのゼロ』(12年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200314/p1)の終盤で、ウルトラマンベリアルの亡霊に憑依(ひょうい)されて全身が黒い姿のゼロダークネスと化してしまい、自らの手でウルティメイトフォースゼロの仲間であるグレンファイヤー・ミラーナイト・ジャンボット・ジャンナインたちを葬(ほうむ)ってしまったウルトラマンゼロが、彼らを復活させるために使った時間逆行能力の再使用!――


 美しい夕陽を背景にゼット、そして『ジード』ではゼロの後輩ウルトラマンとして描かれたジードとゼロ、3大ウルトラマンの共闘が実にカッコよく描かれることになったのだ!


 ただ、それは決してビジュアル的にカッコいいばかりではない。


「オレの弟子を名乗るなら、根性見せやがれ!」


 あいかわらずのヤンキー口調ではあるものの(笑)、このセリフは第1話では「3分の1人前」などと罵倒(ばとう)していたゼットの「弟子」入りを、ゼロが暗に了承したと解釈できるシャレたものなのだ!


 ゼロ&ジード&ゼットの3大ウルトラマンが第7話のクライマックスで見せた共闘は、ゼロとゼットの関係性の変化を最大限に象徴するからこそ盛り上がったのである。これも近年のウルトラマンシリーズでようやく見られるようになった、バトル場面に仮面キャラクターたちの人間ドラマも挿入する作劇的技巧なのだ!


・『ウルトラマンガイア』(98年)のウルトラマンガイアとウルトラマンアグル
・『ウルトラマンメビウス』(06年)のウルトラマンメビウスウルトラマンヒカリ
・『ウルトラマンギンガS』(14年)のウルトラマンギンガとウルトラマンビクトリー


 「1号ウルトラマン」と「2号ウルトラマン」の関係性の変化を描いたかつてのシリーズのように、ゼロとゼットの関係性の進展を描いた『Z』も、キャラの群像劇を描く「連続ドラマ」としての印象を序盤の時点で強くさせたのだ。


 第1話でゼットに倒されたゲネガーグの体内から各地に散らばってしまい、『Z』の防衛組織・地球防衛軍日本支部がひそかに回収したウルトラメダル。それらをねらう怪獣研究センターの青年カブラギ・シンヤに寄生した本作のレギュラー悪である寄生生物セレブロとの「お宝争奪戦」は、古くは『南総里見八犬伝』や『指輪物語ロード・オブ・ザ・リングス』、戦前でも吉川英治の名作時代小説『鳴門秘帖(なるとひちょう)』にはじまり、TVの時代になってからは『隠密剣士(おんみつけんし)』(62年・宣弘社 TBS)や『仮面の忍者 赤影』(67年・東映 関西テレビ)など、脚本家の故・伊上勝(いがみ・まさる)氏らがテレビ草創期の1950年代後半から1960年代前半の時代には「連続もの」として製作されるのが当然だった、超人ヒーロー時代以前の覆面ヒーローや時代劇ヒーロー作品で得意としてきた手法の継承でもある。


 そのセレブロとは別に、『Z』の世界では先述したウルトラマンジードの実の父親で、この10年ほどの劇場版やテレビシリーズでは常連の敵キャラとなっているウルトラマンベリアルの細胞の因子・デビルスプリンターが次元を超えてさまざまな宇宙に拡散して怪獣を凶暴化させており、ゼロやジードをはじめとするウルトラ一族が集っている宇宙警備隊がそれらを捜索して消去しているとされている。
 このデビルスプリンターはセレブロ=カブラギがそれを利用してウルトラマンベリアルメダル(!)を独力で生成する描写などの伏線として有効に機能するのみならず、作品世界のスケール感を中心となる舞台の地球から宇宙全体へと拡大させている。


*『Z』には「タテ糸」もあるが、まずは「お遊び」で魅せている! その2


 いろいろと挙げてきたが、もちろんこれらの「連続もの」としての要素も、『Z』を面白くさせている要因ではある。


 ゼットが名実ともにゼロの弟子と成りえた第7話のラストで、カブラギが身分証明書を落としたのを発端(ほったん)に、第8話『神秘の力』以降に描かれた、カブラギを不審がる地球防衛軍日本支部のロボット部隊・ストレイジのヘビクラ・ショウタ隊長=ジャグラスジャグラーによるカブラギの正体解明を旨(むね)とするサスペンス展開。そして、カブラギがセレブロとしての本性を表すのみならず、ヘビクラもまたジャグラーにたびたび変身しては繰り出されたウルトラメダル争奪戦は、まさに「連続もの」としての真骨頂と呼ぶべきところだろう。


 たとえば第2話『戦士の心得(こころえ)』に登場した透明怪獣ネロンガの放電ヅノを、第4話『二号ロボ起動計画』でストレイジが地底怪獣テレスドンへの有効な攻撃手段として転用するのは、「連続もの」ならではの面白さである。


 だが『Z』の場合、そういった「連続もの」要素よりも、ストレイジ装備研究開発班に所属する理系女子で怪獣出現や怪奇現象発生に狂喜するオオタ・ユカ隊員がよりにもよって冷蔵庫(笑)でネロンガの放電ヅノを保管したために、主人公ナツカワ・ハルキ隊員が入れていた焼きプリン(笑)がダメになってしまい(爆)、ハルキが落胆する……といった「面白さ」の方を強調して演出している印象が強いのだ。


 先に挙げたインタビューの中で、『ウルトラマンオーブ』ではしっかりとしたタテ糸を据えるという命題を課しながらも、そこに基本的な方針として「遊び」を挿入した田口監督は、『Z』では逆に「遊び」にあふれる演出の方を「主」として、そこに「従」として「タテ糸」を挿入しているといった感がある。


 田口監督が自ら起用したメインライターで『Z』の放映直前に37歳の若さで他界した脚本家の故・吹原幸太(ふきはら・こうた)氏は、学生時代に劇団を旗揚げし、主宰(しゅさい)する劇団の舞台を中心にテレビドラマや映画などの脚本も幅広く手がけていたそうだ。


 特撮評論家の故・竹内博氏が70年代半ばに主宰した特撮同人・怪獣倶楽部(クラブ)をモチーフにした深夜ドラマ『怪獣倶楽部~空想特撮青春記~』(17年・毎日放送http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20170628/p1)も実は氏の脚本作品であり、それ以外にも、


・『動物戦隊ジュウオウジャー&手裏剣(しゅりけん)戦隊ニンニンジャー スーパーライブ』(16年)
・『宇宙戦隊キュウレンジャー 究極の選択! 天秤(てんびん)にかけられた友情!!』(17年)
・『快盗戦隊ルパンレンジャーVS(ブイエス)警察戦隊パトレンジャー 華麗なる新戦士! ルパンエックス・パトレンエックス!!』(18年)
・『騎士竜戦隊リュウソウジャー シアターG(ジー)ロッソに現る!!』(19年)


など、氏は東京ドームのシアターGロッソで開催された近年のスーパー戦隊のアトラクションショーの脚本をも手がけていたのだ。


 ところで田口監督といえば、映画『劇場版ウルトラマンオーブ 絆(きずな)の力、おかりします!』(17年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200406/p1)のクライマックスで、怪奇現象追跡サイト・SSP(エスエスピー)のメンバーたちが、


「みんなでウルトラマンを応援しよう!」
「行くよ! せ~~のっ!」


と観客に呼びかける、夏休み恒例のイベント『ウルトラマンフェスティバル』でライブステージの進行役を務めるお姉さんの役目をまんまパクった演出が、個人的には強く印象に残っている。
 学生時代からマニアックな自主映画を大量に製作してきた田口監督はプロの現場に入ってからもなかなかマニアックな感覚から抜け出せなかったそうだが、たまたま観た『ウルトラマンフェスティバル』のステージショーに対する、特撮マニアたちのツボとは異なる子供たちの熱狂ぶりに接したのを契機に、以降は我々のような偏向した特撮マニア向け(笑)ではなくフツーの標準的な子供を強く意識してウルトラマンを演出するようになった旨を同映画のパンフレットで語っていた。なるほど、それは実に正しい選択である。スーパー戦隊のアトラクションショーを多数手がけた実績を持つ吹原氏を田口監督が指名したのは、そんな心の変遷(へんせん)と決して無関係ではあるまい。


 ちなみに吹原氏は、『仮面ライダージオウ』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20191020/p1)のオリジナルビデオ作品で小学館の幼年誌『てれびくん』の愛読者全員サービスDVD『てれびくん超バトルDVD 仮面ライダービビビのビビルゲイツ』(笑・19年)の脚本も担当しており、漫画家の故・水木しげる氏の代表作『ゲゲゲの鬼太郎(きたろう)』に登場する人気キャラ・ビビビのねずみ男とかけあわせたそのタイトルは実に「遊び」心にあふれていた。
 そんな吹原氏の「遊び」の心にシンパシーを感じ、それこそが『Z』、ひいては「新時代」のウルトラマンに最も必要だと田口監督が考えたからか、『Z』は全体的に前作の『タイガ』とはまったく異なる明朗快活な作風となったのだ。


*防衛組織の隊員やカプセル怪獣でも「遊ぶ」!


 先述した『ウルトラマンオーブ』は、毎回の中心となるレギュラーキャラが怪奇現象追跡サイト・SSPに所属する若者たちであり、当初は実作品とは異なり怪獣攻撃専門の防衛組織は完全に出さないとの案もあったそうだ。だが、田口監督がそれはさすがにリアルではなかろうと強硬に反対したことから、折衷(せっちゅう)策としてヒロインである夢野ナオミの叔父(おじ)・渋川一徹(しぶかわ・いってつ)が所属する防衛組織・ビートル隊をセミレギュラー的に出すかたちに落ち着いたそうである。以降は、


・『ウルトラマンジード』では、主人公少年&ヒロインやその仲間と正義の宇宙人組織が協力して悪側と対決、
・『ウルトラマンR/B』では、主人公の青年兄弟と女子高生の妹、アパレルショップを経営する父と行方不明から帰還した母による家族組織(!)が悪と戦い、
・『ウルトラマンタイガ』では、主人公青年と宇宙人男性、終盤ではその正体が宇宙生まれのアンドロイドだと発覚した若い女性らが、元警察組織にいた地球人女性が結成した民間の警備会社に所属して共闘する


といった調子であり、昭和の初代『ウルトラマン』から平成の『ウルトラマンメビウス』に至るまで、主人公が地球の大規模な防衛組織に所属するという『ウルトラマン』シリーズとしては当たり前だったパターンを破る変則的な設定がつづいてきた。これは近年の子供たちの「メカ離れ」により、劇中で防衛組織のカッコいい戦闘機や特殊車両などのメカを大活躍させても、それらを商品化したバンダイ発売の合金玩具が売れなくなった背景事情が大きな要因として考えられる。


 そして、やはり田口監督がメインを務めた『ウルトラマンX』以来、実に5年ぶり(!)に本格的な防衛組織をレギュラーとして復活させるにあたり、スタッフ陣は『ウルトラマンZ』では戦闘機や特殊車両のカッコよさではなく、それ以外の要素で防衛組織が視聴者に魅力的に映るような方策を次々に繰り出している。


 『Z』に登場する地球防衛軍・日本支部のロボット部隊であるストレイジは、


・設定年齢34歳のヘビクラ・ショウタ隊長
・主人公青年でウルトラマンゼットに変身するナツカワ・ハルキ
・作戦班所属パイロットのナカシマ・ヨウコ
・装備研究開発班に所属する科学者のオオタ・ユカ


 以上の男女各2名が主要メンバーとして所属するのみだ。


 だが、整備班リーダーの還暦(かんれき)間近で白髪まじりのイナバ・コジロー=通称・バコさんが率いる整備班の隊員たちがメカの格納庫や作戦現場に多数配置されたり、ロボット部隊の基地とは別に所在する怪獣研究センターの描写や、ストレイジを創設した日本支部長官・クリヤマセミレギュラーで登場するなどにより、予算が少ない中でもその組織のスケールの大きさを醸(かも)し出すことには成功している。
――ちなみに、クリヤマ長官を演じるのは、ちょうど『Z』の放映期間中に動画無料配信サイト・YouTube(ユーチューブ)で配信されていた『仮面ライダーウィザード』(12年)では、主人公側のキャラで骨董(こっとう)品店・面影(おもかげ)堂を経営する「輪島(わじま)のおっちゃん」を演じていた小倉久寛おぐら・ひさひろ)氏だった――



 本部で通信を担当するのが女子隊員の主な任務だった昭和ウルトラとはさすがに時代が違うとはいえ、『Z』での女子隊員の大活躍ぶりには目を見張るものがある。


 曾祖父(そうそふ)の代からつづく軍人一家を出自とするヨウコが、ストレイジに配備される対怪獣用ロボットの


・特空機1号であるセブンガー
・特空機2号であるウィンダム
・特空機3号であるキングジョーストレイジカスタム


などのコクピットに乗りこんで毎回怪獣とカッコよく戦うさまは、昭和ウルトラにたとえれば初代『ウルトラマン』の防衛組織・科学特捜隊のアラシ隊員や『ウルトラセブン』の防衛組織・ウルトラ警備隊のソガ隊員、『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)の防衛組織・TAC(タック)の山中隊員など、「射撃の名手」として設定された隊員たちの役回りを継承しているともいえる。


 まぁ、リアルに考えたら特空機のコクピット内にいるヨウコの戦闘時の掛け声や悲鳴が、エコーのかかった大音量で外部に聞こえたり外部に流したりするハズはないのだけれど(爆)、これは往年のロボットアニメ『マジンガーZ(ゼット)』(72年・東映動画→現・東映アニメーション フジテレビ・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200119/p1)の時代からのお約束でもあるし、ハルキとウルトラマンゼットの関係性のようにヨウコが特空機と「一心同体」と化しているかのような描写によって、そのキャラを立てるための演出でもあるのだろう。


 第6話『帰ってきた男!』では、冒頭からハルキが操縦するセブンガーとヨウコが操縦するウインダムが模擬(もぎ)戦闘を繰りひろげる! 『Z』での特空機の導入は、昭和から平成にかけてはウルトラマンの戦闘場面といえば大抵はクライマックスの1回だけだったウルトラマンシリーズに(除く『レオ』)、ようやく冒頭や中盤でも特撮戦闘場面を描くようになってきた近年の作品群に見られる、子供たちや視聴者へのツカミを増やためのすバトル演出をさらに発展させた手法として高く評価されるべきだろう。


 ただ、そればかりではなく、この回では映画『劇場版 ウルトラマンジード』に登場した白亜のロボット怪獣であるラストジャッジメンター・ギルバリスが再来し、その光線からウインダムがセブンガーをかばって倒れる描写があったのだ。
――なお、この映画にも登場したジャグラー=ヘビクラが「(ギルバリスが)復活したのか!?」とつぶやく描写で、その映画とこの回の双方を演出した坂本浩一監督は、マニアよりも怪獣博士タイプの子供たちの方が気にするだろう、『劇場版ジード』と『Z』第6話に共通項がある登場人物がいることをキチンと念押しさせていた――


 ところで、第10話『宇宙海賊登場!』に登場したチンピラ宇宙人(笑)、もとい海賊宇宙人バロッサ星人のような等身大宇宙人の攻撃からヨウコがハルキをかばうよりも、ギルバリスのような巨大怪獣の攻撃からハルキが操縦するウインダムをかばってヨウコが操縦するセブンガーが盾(たて)となる描写の方が、後輩のハルキに対する先輩のヨウコの想いの描写としては、格段に印象強く残るのではなかろうか? 先にヨウコは特空機と「一心同体」として描写されていると書いたが、それはハルキとの「関係性の変化」を描くための効果的な手段にも成りうるのである。



 さて、ヨウコとは対照的な理系女子(リケジョ)のユカは、初代『ウルトラマン』の科学特捜隊でいうならば各種光線銃や宇宙語の翻訳機、地底戦車に至るまでのメカ開発を担当したイデ隊員や、『ウルトラマンA』のTACで兵器開発専任だった梶(かじ)隊員的なポジションだろう。
 また、同じTACの巨漢でややお人好しの今野(こんの)隊員や、『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)の防衛組織・ZAT(ザット)の常にスットボケた印象で怪獣の捜索中に釣りに興じたこともある北島隊員(笑)らに見られたギャグメーカーとしての役回りも与えられていた。
 ユカはこの双方を兼ね備えていたイデ隊員を彷彿とさせるが、やはりかつては男性隊員の役割だった兵器開発とギャグメーカーを兼任する女性隊員として、そのキャラは立ちまくっている。


 たとえば、第8話で行方不明になったハルキを捜すヨウコが、街中で買い出し帰りのユカに出くわす場面。


「ハルキ見なかった!?」
「そんなことより、コレ見てよ!」


 後輩のハルキを心配するヨウコに対し、ユカは買い出しの途中でひろったハルキがウルトラマンゼットへの変身に使用するアイテム・ウルトラゼットライザーを得意げに示したあげく、それが地球外物質でできているなどと大喜びする(笑)。
 この両極端な対比でキャラを掘り下げる演出は実に見事だったが、仲間の安否(あんぴ)よりも自身の趣味嗜好(しこう)を優先してしまうユカの姿は、ほぼ同じ人種の我々オタクたちからすれば「あるある」(汗)的なリアルすぎる描写であり、苦笑するしかなかったものだ。


 『帰ってきたウルトラマン』の防衛組織・MAT以来の伝統である武道場での稽古(けいこ)場面でヨウコにいとも簡単に組み伏せられるさまにはじまり、買い出し中に超古代怪獣ゴルザ・超古代竜メルバ・宇宙戦闘獣超コッヴが合体した合体怪獣トライキングを見かけて、


「3怪獣合体、超激レア!」


と喜んだり、あげくはこの回の敵役として登場した変身怪人ピット星人の美人姉妹とのバトルもそっちのけで


「お願い、研究させて!」(爆)


と頭を下げてみたりと、この第8話でユカを我々のような人種とほぼ同族として描くことで一気に感情移入を集める演出はあまりに秀逸(しゅういつ)であった(大爆)。


ウルトラマンゼロウルトラマンジード=「師匠」&「先輩」関係でも「遊ぶ」!


 これらの方法論が最大限に活かされたのが、「師匠」のウルトラマンゼロ、そして「先輩」のウルトラマンジードとウルトラマンゼットとの関係性を描いた第6話&第7話だろう。


 『ウルトラマンジード』で「師匠」のゼロと共闘関係にあったジードはゼットにとって


「ウルトラすごい兄弟子でございますよ!」(笑)


であり、ハルキはハルキでジードに変身する朝倉リクのことを


「リクくん先輩」(笑)


と呼ぶのだ。ゼットもハルキもいかにもな表現だが、これではジード=リクのことを尊敬しているのだかコケにしているのだかよくわからない(爆)。
 だが、ジード=リクをゼットやハルキが称したとおりに描くことで、「ウルトラすごい兄弟子」だの「リクくん先輩」などと云ってしまう「面白さ」を「カッコよさ」へと昇華させる作劇的技巧にこそ注目すべきだろう。


「(ウルトラマン)ヒカリがこれをキミにって……」


 第6話&第7話では、『ジード』で元々「星雲荘」なる古アパートでリクと同居していたことから共闘する仲間となったマスコットキャラ・ペガッサ星人ペガも、近年は円谷プロの専属になったのか? と思えるほどの人気若手声優・潘めぐみ(はん・めぐみ)氏が声をアテることで再登場した――まぁ新人とはいえ顔出しの役者さんとは異なり、着ぐるみキャラや声優さんなのでギャラが安いからこそ可能な処置なのだろう(汗)――。
 第6話の回想では、映画『劇場版 ウルトラマンジード』にも登場したジードと因縁が深いロボット怪獣=ギルバリスとの戦闘でリクが変身に使用していたアイテム・ジードライザーが破壊されてしまったことが判明する。ペガはその代わりにとウルトラマンヒカリから託された、ハルキがゼットへの変身に使うゼットライザーを、そしてウルトラマンギンガ・ウルトラマンエックス・ウルトラマンオーブのウルトラメダルをリクに渡すために地球に来訪したのだった――ペガもそんな重要な任務を与えられるほど、ウルトラマンヒカリから信頼を得ているのだと、怪獣博士タイプの子供たちや我々マニア視聴者たちに思わせるのが秀逸!――。



 『Z』のキーアイテム・ウルトラメダルと変身アイテムのゼットライザーは、M78星雲の宇宙科学技術局に所属するウルトラマンヒカリが若き宇宙警備隊員たちのために開発した設定になっている。思えば『ジード』でも、リクがジードへの変身に使用した歴代ウルトラマンの力を秘めたウルトラカプセルは実はヒカリが開発したという設定になっていた。
 要はただの玩具まるだしのオモチャで、昭和ウルトラの世界観とはかなり異なるトンデモな属性をもったアイテムの数々でもあるのだが(笑)、そこに少しでも必然性を与えるためにも、昭和ウルトラ世界のウルトラ一族であるウルトラマンヒカリがつくった超科学アイテムだということにしておけば許せてくるどころか、けっこうな説得力&昭和ウルトラ世界直系の由緒の正しさも醸せてくるのだ!(笑)


 ちなみに、映画『劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦! ウルトラ10勇士!!』(15年・松竹・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200404/p1)の続編として製作され、『新ウルトラマン烈伝』の枠内で放映された短編『ウルトラファイトビクトリー』(15年)にもウルトラマンヒカリは登場していた。そして、ここでは宇宙の帝王や悪霊を封印する力を持つ魔笛封印剣(まてきふういんけん)・ナイトティンバーを、『ウルトラマンギンガS』の2号ウルトラマンであるウルトラマンビクトリーに与えていた。
 『ジード』や『Z』もそうだが、この『ファイトビクトリー』にも本来は『ウルトラマンメビウス』の2号ウルトラマンだったヒカリのみが登場して、1号ウルトラマンウルトラマンメビウスは登場していない――YouTubeで配信された短編の最新作『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀(いんぼう)』(20年)ではヒカリとともにメビウスも登場したが――。
 ただ、最新ヒーローをパワーアップさせるには打ってつけの存在として、ヒカリを良い意味での「便利屋」として機能させるに至った『メビウス』での「M78星雲・宇宙科学技術局」所属という設定は、将来的な展望を見据えたすばらしいものだったのだ。……いや、当時は絶対にそこまで考えてはいなかっただろうが(笑)。


 むしろ、しょせんは商品点数を増やすための「2号ウルトラマン」にすぎず、フツーであれば『メビウス』前作の『ウルトラマンマックス』の2号ウルトラマンであるウルトラマンゼノンのようにとっくに埋もれてしまっていたであろうヒカリの存在を、最新ヒーローの変身アイテムや武器の背景=バックボーンとして最大限に活かして、ウルトラシリーズの世界観の再確認にもつなげている、近年のスタッフたちにも敬意を表すべきなのだ。ヒカリが露出をつづけることで、必然的にその出自である2021年で「15周年」を迎える『メビウス』にも世間の関心の目は向けられるのだから。


 第6話のクライマックスではギルバリスに破壊されて大炎上したコンビナートの紅蓮(ぐれん)の炎を背景に、


・ギンガ&エックス&オーブのウルトラメダルとゼットライザーでリクが変身したウルトラマンジードの最新形態・ギャラクシーライジン
ウルトラマンゼットのパワー形態であるベータスマッシュ


 両者が「ウルトラすごい」共闘を繰りひろげた!


 先端がトガった青い目が特徴のジードのマスクをそのままに、濃紺をベースに赤や金が配色されたアーマーを全身に装着したギャラクシーライジングの必殺技は、全身を発光させて巨大な炎を放つ「レッキングフェニックス!」だ!
 そして、ゼットは第5話『ファースト・ジャグリング』で、太古にウルトラマンが冷凍怪獣ペギラを封印したとして語られた槍(やり)状の新武器・ゼットランスアローから炎の力「ゼットランスファイヤー!」を放った!


 コンビナートを手前に勝利のポーズをキメる両雄の背景には炎が上がるさまは、東映製作のメタルヒーロー時空戦士スピルバン』(86年)にはじまるヒーローものお約束の定番演出なのだが、実にカッコいい!



 さて、序盤で語られたように、『Z』の世界では次元を超えてさまざまな宇宙に拡散して怪獣を凶暴化させる元凶・デビルスプリンターなる存在が設定されており、その調査のためにジードはこの世界の地球に飛来するに至ったのだ。そのデビルスプリンターは『ジード』のレギュラー悪のみならず、映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE(ザ・ムービー)』(09年・ワーナー・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101224/p1)から『Z』に至るまで、この十数年もの間にウルトラマン最大の宿敵として描かれつづけてきたウルトラマンベリアルの細胞の因子なのだ!
 このベリアルもまた先述したウルトラマンヒカリと同様に、近年ではすっかり「便利屋さん」と化したかの印象が正直、個人的にもある。ただ、新作がつくられるたびにベリアルを引っぱりだすことで近年の作品に連続性を与えて、しかもそれらを基本的にすべて別次元での出来事として描くことで、むしろ宇宙規模どころか並行宇宙規模での世界観拡大の効果を上げているのは確かだろう。


 ひさびさの地球なのに、いやだからこそなのか、第7話の冒頭でリクがカップラーメンを食いまくる描写はたしかに「リク先輩」ではなく、「リクくん先輩」(笑)と呼びたくなる一見オチャメな演出ではある。
 だが、第6話のラストに回想として挿入された映画『ウルトラ銀河伝説』からのベリアルVSウルトラマンタロウの場面――原典の映像ではベリアルの体皮がハガれ飛ばされていないので、実は改めて撮り直したものだったそうだが――、そして映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦! ベリアル銀河帝国』(10年・松竹・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20111204/p1)以来、定番で流れているベリアルのテーマ音楽が象徴するように、この回ではカブラギ=セレブロが高純度のベリアル因子からベリアルメダルを精製し、『ジード』ではベリアル融合獣として登場したスカルゴモラ・サンダーキラー・ペダニウムゼットンの3体に自ら変身してジードとゼットに挑戦するのだ!


「これ以上、ベリアルを……、父さんを……」


 『ジード』最終回(第25話)『GEED(ジード)の証(あかし)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20180213/p1)でジードの実の父親であるウルトラマンベリアルの満たされない想いに心を寄せ、「もう終わりにしよう」と浄化して葬ったハズのベリアルの細胞がいまだに宇宙に悪影響をおよぼしている……
 『ジード』では戦闘を控えたリクが、「腹が減っては戦(いくさ)はできぬ」とばかりにカップラーメンを食べるコミカルな定番描写があったものだ。だが、今回は父のベリアルがいまだ宇宙の脅威であることに対するリクの焦燥感・切迫感といった、おもわずヤケ喰いせずにはいられなくなるリクの心象風景としても機能しているのだ。


*ヘビクラ隊長(ジャグラスジャグラー)の描写も「遊び」になっている! その2


「正義にめざめたって云ったろ」(←・ウソつけ!(笑))


 そして、映画『劇場版ジード』では、リクをはじめとする正義側のキャラとして登場したジャグラーが、髪型もメイクも服装も異なるもののそのエキセントリックな語り口調はほぼ同じ(爆)なストレイジのヘビクラ隊長の姿でリクとの再会を喜び合う(?)描写は、やはり『ジード』と『Z』世界の間接的な関係性が強調されるばかりではなく、視聴者にジャグラーの行動の真意についてより洞察させる効果も発揮しているのだ。


 第7話のクライマックスバトルではカブラギがベリアルメダルで自らベリアル融合獣に変身! 夕焼けに染まる工場街でジード&ゼットとの大激闘が展開される! 平成以降のウルトラマンのタイプチェンジのように、ベリアル融合獣が


・どくろ怪獣レッドキングと古代怪獣スカルゴモラが合体したスカルゴモラ
・宇宙怪獣エレキングと異次元超人エースキラーが合体したサンダーキラー
・宇宙ロボットキングジョーと宇宙恐竜ゼットンが合体したペダニウムゼットン


へと自在に姿を変える演出がまた、『ジード』にしか登場できない設定の怪獣たちかと思わせておいて、ここで再登場させてくれたことのファンサービスへの喜びとともに、『Z』における3つのメダルの力をウルトラゼットライザーを使用して起動させるという基本設定的にも、あってしかるべき設定的整合性もあるクレバー(利口)な描写だったのだ!


 ところで、『オーブ』から『Z』に至るまで、ジャグラーは宇宙恐竜ゼットンと双頭怪獣パンドンが合体した合体魔王獣ゼッパンドンに何度か変身してきたが、ジャグラーは歴代怪獣をカードで召喚する際、


ゼットンさん」「パンドンさん」


などと、ウルトラシリーズ初期作の人気怪獣は「敬称」(笑)をつけて呼んでいた――一方で、マガオロチなどの近作の怪獣は「呼び捨て」にする差別化された演出も秀逸だった(笑)――。


 これに対して、カブラギはたとえばスカルゴモラに変身する際は


「どくろ怪獣」「古代怪獣」


などと、怪獣を名前ではなくその「別名」で呼んでいるのだ。コレは普段から無表情・無感情なカブラギ=セレブロのキャラをいっそう念押しして、ジャグラーとの対比でキャラの明確な違いを印象づけるには絶妙な演出だ。


*ゼット・ゼロ・ジード、3大ウルトラマン共闘は超カッコいいけど「遊び」要素もある(笑)


 『Z』ではハルキは立方体型の異空間内でゼットに変身するが、この第7話ではそれが宙から舞い降りてくる描写にまず目を惹(ひ)きつけられた!
 つづいて夕陽をはさんで、工場街に並び立つジードとゼットの目とカラータイマーが、夕陽からの木漏れ日に照らされて輝く華(はな)のある演出!
 そして、巨大ロボットアニメもとい巨大変身ヒーローアニメ『SSSS.GRIDMAN(グリッドマン)』(18年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20190529/p1)並みにミニチュアセットに多数張られた電線を画面手前にナメながら、工場街を進撃するスカルゴモラをカメラが横移動で追いつづける!
 さらに、ジード&ゼットとスカルゴモラの激突は地上にいる人間の目線から見上げているかのように、画面手前に歩道橋や信号機を配置しながらの超煽(あお)りアングルで周囲360度の全包囲から回転して捉えられる!
 この大激闘を高速道路のガード下から捉えたカットでも、画面手前に歩行者用の信号機が配置されているほどであり、こうした遠近感・臨場感を醸し出す演出こそ、視聴者に「ウルトラすごい!」と実感させるのだ!


 なお、近年のウルトラマンにおけるバトル演出に顕著な「ガード下アングル」は坂本浩一監督とか田口清隆監督らが編み出した新しい手法だと若い特撮マニア諸氏は思っているかもしれないが、2021年に「放映50周年」を迎える『スペクトルマン』(71年・ピープロ フジテレビ)第5話『恐怖の公害人間!!』の中で、新宿駅周辺で巨大化した猿人ラーとスペクトルマンが戦うさまをガード下から捉えたカットがあった(汗)。『スペクトルマン』はかなりの低予算だったらしいが、それが逆にこうした斬新(ざんしん)な演出を生み出す契機となったとも考えられ、「ガード下アングル」も実は意外に歴史が古い特撮演出だったのだ。


 スカルゴモラが吐き出した炎でジードとゼットの背景は一面燃えあがり、ゼットの胸中央に「Z」字型でデザインされたカラータイマーが赤く点滅をはじめる!
 最大に危機感をあおりたてる演出が予兆として、第1話以来、消息不明だったウルトラマンゼロの「助っ人参上!」にカタルシスをもたらすのだ!


 ウルトラ6兄弟の赤いブラザーズマントを彷彿とさせる青いマントをなびかせてゼロが宙から着地するや、映画『ゼロ THE MOVIE』以降は定番の、意外に静かなファンファーレによるイントロから徐々に高揚感を上げていくゼロのテーマ曲が流れだす音楽演出がゼロのカッコよさを最大限に高めていく!


「主役は遅れてくるってヤツですね」
「頼もしくなったじゃねぇか」


 映画『劇場版 ウルトラマンギンガS』以降のテレビシリーズ・劇場版・Web(ウェブ)ドラマなどで、ゼロは後輩が危機に陥ると颯爽(さっそう)と駆けつける頼もしい先輩ウルトラマンとして描かれてきた。
 「主役は遅れてくる」はそんなゼロの登場時に定番セリフとしてもすっかり定着しているが(笑)、ゼロがジードのバトルスタイルの進化を見てもいないのに、自身の定番セリフをイジくるようなツッコミを見せたジードに「頼もしくなった」とその成長を即座に感じ取るこの短いやりとりは、端的に先輩後輩関係を描く演出として高いドラマ性を集約させたものなのだ!


「師匠、オレはオレは!」
「ああ、今から見せてもらう」


 ジードが良き後輩としてゼロに認められたのを見て、ゼロを勝手に師匠としてあがめるゼットが「オレはオレは!」と駄々っ子のようにアピールするさまは、まぁこのテの子供向け番組にこそふさわしい、シリーズ最新の新米ヒーロー定番の実に子供的なメンタル描写で笑ってしまうのだが、それは同時に新人ヒーローとしてはキャラが立っていることも意味する。ジョークを放つほどの余裕を見せたジードとは実に対照的であり、だからこそゼロはゼットに「頼もしくなった」姿を実戦での行動で示せと課したのだ。


「なにコレ! ドキドキの展開!」


 ヨウコが狂喜したのは、単にカッコいいウルトラマンが3人揃い踏みを見せたことに対してだけではないのは、もはや明白だろう。
 『Z』ではウルトラマン同士の会話は一般の地球人には聞こえないことになっており、第3話『生中継! 怪獣輸送大作戦』ではゼットがビルの屋上にいるヨウコに初代ウルトラマンのウルトラメダルを投げてくれるよう、必死にボディランゲージで訴える描写があったほどだ(笑)。だが、それでもヨウコがゼロ・ジード・ゼットたちが会話をしているとおぼしき立ち居振る舞いからその関係性を感じとることができたのだと視聴者が解釈できるほどに、ウルトラマンの「人間ドラマ」を演じるスーツアクターたちの所作が見事だったのだ。


 夕陽を背景に中央の位置に陣取るゼロがマントを投げ捨てる実に「らしい演出」を皮切りに、ゼロはストロングコロナゼロへ、ゼットはベータスマッシュへと、ともに赤を基調とした熱血感にあふれるパワータイプへとチェンジ!
 ベータスマッシュが押さえつけたスカルゴモラに、ゼロが必殺の火炎光線「ガルネイト、バスタ~~ッ!」を浴びせかける!
 そしてゼットはゼットランスアロー、ゼロはウルトラゼロランスと、ともに槍(やり)状の武器を手に攻撃をたたみかける!
 ゼットとゼロの関係性に変化の兆(きざ)しが見えてきた端的な象徴として、これらの華麗な連携攻撃が描かれているのは論を待たないのだ。


「そろそろ行きますか!」
「おまえが仕切んな!」


 夕陽を背景にゼットを3人の中央に陣取らせるゼロ! これぞ「おまえなんか3分の1人前だ!」とゼットをさげすんでいたハズのゼロが、ゼットの成長を認めた瞬間だ!


「レッキングフェニックス!」
「ワイドゼロショット!」
「ゼスティウム光線!」


 最初から最後まで、この回のクライマックスバトルにはウルトラマンの人物相関図・力関係の変遷をも点描されていた! といっても過言ではないだろう。


「いつもメダルの力、使わせていただき、ありがとうございます!」
「ハハハ、気にすんな」


 初代『ウルトラマン』のコミカライズを『週刊少年マガジン』で連載していたことでも縁がある、70年代に小学館週刊少年サンデー』に連載された怪奇漫画の大家・楳図かずお(うめず・かずお)氏原作の大人気ギャグマンガまことちゃん』(76~81・88~89年)の幼稚園児の主人公・まことちゃんのキメポーズである親指・人差し指・薬指の3本だけを立てて「グワシッ!!」と叫んでいたのに酷似したフィンガーサイン(笑)を、ゼロが示すのもすっかりおなじみとなったが、まさにゼロの上機嫌・絶好調ぶりを表するサインが新米ゼットに手向けられた理由は、もはや書くまでもないだろう。


*ティガ・ダイナ・ガイアら平成ウルトラ3部作の力でも「遊んで」しまうゼットさま!(笑)


「今までで一番タイプかも~~~♪」


 これはゼットが師匠のウルトラマンゼロから聞いたことがある、別次元のウルトラマンとしてハルキに語ったウルトラマンティガウルトラマンダイナ・ウルトラマンガイアのウルトラメダルにより、


「変幻自在、神秘の光! ティガ先輩! ダイナ先輩! ガイア先輩!」


とのハルキの叫びでゼットが第4の形態であるウルトラマンゼット・ガンマフューチャーにタイプチェンジした、第8話のクライマックスでヨウコが叫んだものだ。


 ティガ・ダイナ・ガイアのような頭部がエグれたデザインに昭和ウルトラマンでは見られなかった紫や金を配色したスーツ、プロテクター状の胸部と、まさに平成ウルトラマンの特徴を結集させたかのデザインに貫かれたガンマフューチャー。
 彼はティガ・ダイナ・ガイアと因縁(いんねん)が深い5大怪獣が合体したファイブキングに、頭部からガイアの必殺光線「フォトンエッジ!」を放った!


 ウルトラマンシリーズとしては従来ほとんど見られなかった、熱血系のロック仕様の主題歌『ご唱和ください 我の名を!』が流れる中――作詞・作曲・歌唱を担当した遠藤正明氏は子供向け合体ロボットアニメ『勇者王ガオガイガー』(97年・名古屋テレビ サンライズ)の主題歌で注目を集め、『爆竜戦隊アバレンジャー』(03年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20110613/p1)の主題歌は当時の歴代スーパー戦隊シリーズ中で売り上げ首位を記録した!――、魔術師のように指を鳴らす「ガンマ・イリュージョン(幻影)」なる合図により、ガンマフューチャーの周囲にティガ・ダイナ・ガイアの幻影――ほとんど実体(笑)――が現れる!
 『ウルトラマンギンガS』でもウルトラマンギンガの強化形態・ギンガストリウムが昭和のウルトラ6兄弟いずれかの必殺光線を放つ際に、その隣りにそれぞれの昭和ウルトラマンの必殺光線ポーズを取る幻影が出現していたが、ティガ・ダイナ・ガイアはまるで本人たちがそこにいる感じで(笑)ファイブキングに必殺光線をいっせいに発射した!
 さらに、ガンマフューチャーは自身がつくりだした魔法陣(!)で体をミクロ化してファイブキングの体内に瞬間移動した末に、そこから必殺ワザ「ゼスティウム光線!」を放つのだった!



「テイガ・ダイナ・ガイアって20代男子の少年の夢がつまってる!」


 これは第8話がYouTubeで配信された際に寄せられたコメントのひとつだが、『ティガ』も2021年で放映25周年(!)を迎え、当時のメインターゲットの上限はすでに30代に達したことだろう。
 『Z』の後番組として2021年1月から放映が開始された総集編番組『ウルトラマンクロニクルZ ヒーローズオデッセイ』(21年)では、『Z』と『ティガ』を中心に『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971215/p1)と『ウルトラマンガイア』(98年)の名場面を編集して構成している。
 『Z』と平成ウルトラ3部作を毎回対比して観ることで、傍から見れば大同小異なのは重々承知はしているものの、評論オタクである筆者としてはそのあまりの作風や作劇の違いを実感させられてしまう――個人的には『Z』的な作劇の方が子供番組として、あるいは21世紀以降のオタク向け作品としても正しい作劇だと考えているが――。


 だが、そうは思わない意見も当然あってよいし、反体制・反権力を気取って、それら平成ウルトラ3部作やリアル志向の作品を賞揚する意見を過剰に敵視したり弾圧するような振る舞いをするような幣にも陥ってはならないのだ。
――だいたい歴史的にも左派の独裁政権の方が右派の独裁政権よりもその約10倍もの人数規模で、右派寄り・旧体制寄り・資本主義者寄りだと目した自国民を死刑にしたり強制収容所送りにしてしまうものなので気を付けないとイケナイ。第2次世界大戦での戦死者数よりも戦後の旧共産圏での粛清で死亡した人数の方がはるかに多いのだ(汗)――


「やっぱウルトラマンはあのころの方がはるかに面白かった」
「ニュージェネウルトラマンは役者はイケメンと美女ばかりだが中身は薄っぺらい」


 これは平成ウルトラ3部作が放映されていた90年代後半当時の第1期ウルトラシリーズ至上主義者たちの意見とだいたい同じであるのと同時に、平成ウルトラ3部作が原体験で最近のウルトラシリーズにはノレないリアル志向のキマジメなマニア青年たちが、2010年代以降のウルトラシリーズに感じている感慨でもあるのだろう。


 まぁ、何十年と特撮マニアをやっていると、自身の幼少時にハマったそれぞれの時代のヒーローを「思い出補正」で神格化して、長じてから遭遇した近作のヒーローたちには幼少時のヒーローたちと比較してアレが足りないだのコレが足りないだの、美形役者人気に頼ったミーハー作品に過ぎないだの、『ゴジラ』シリーズでも『ウルトラマン』シリーズでも『仮面ライダー』シリーズでも、あるいは『宇宙戦艦ヤマト』シリーズや『機動戦士ガンダム』シリーズ、欧米でも『スター・ウォーズ』シリーズや『スタートレック』シリーズなどで連綿と見られてきた既視感あふれる光景なのである(汗)。
 筆者も10代のころにはハード&シリアス志向の第1期ウルトラシリーズ至上主義者だったのであり、第2期&第3期ウルトラシリーズを下に見ていたので身に覚えがあるのだ(爆)。


 ただ、テイガ・ダイナ・ガイアのウルトラメダルで誕生したガンマフューチャーが披露した、作品としてはややリアル寄りであった『ティガ』『ダイナ』『ガイア』とは実は完全に相反している――まぁ、のちの『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041108/p1)や『仮面ライダークウガ』(00年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001111/p1)などと比べれば、全然フツーのヒーローものだったけど、第1世代特撮オタクたちは「コレぞ待望していたリアル路線だ!」として持ち上げていたのだ――、ほとんどインチキでナンでもアリでもあるティガ・ダイナ・ガイアがゼットと同時に全4体で出現してしまう特殊能力は(笑)、平成ウルトラ3部作の熱心なマニアたちには違和感が残るものかもしれない――今どき、『ウルトラマン』とはかくあるべし! 平成ウルトラ3部作のウルトラマンを引用するのであればなおさらかくあるべし! などと主張している特撮マニアなどはほとんどいないかな?(笑)――。


 しかし、世代人ではない若い特撮マニアや、世代人でもライトな特撮マニア層であれば、ティガ・ダイナ・ガイアを同時に一挙に召喚してしまうようなゼットの万能性は変身ヒーローとしての普遍的なカッコよさとして受け取られたかと思えるのだ。
――逆にむしろ昭和の時代の方が、ヒーローにここまでインチキな分身ワザを披露させて、しかも合成などヌキでカメラを止めている間にカメラアングル内にヒーローに入ってもらう原始的なもろバレのトリック撮影で、80年代の戦隊ヒーローの分身ワザのようなモロに「B級」で安っぽく見えてしまうような映像であったならば、マニアも子供たちも幻滅して反発したかもしれない(笑)――


 とにかく今の時代はデジタル合成で、こういう分身ワザも実に幻想的にカッコよく描くことができるのだ。ゼット・ガンマフューチャーが指を「パチッ!」と鳴らすフィンガーアクションで、テイガ・ダイナ・ガイアの分身像が現れるような華(はな)のあるカッコいいヒーロー演出こそが、小難しいことはともかく社会派テーマ・人間ドラマ的な要素などでもなく、「20代男子の少年の夢」を再来させるものとして、往年の平成ウルトラ3部作世代の大きなお友達にも喜ばれたのではなかろか?


 先述したヨウコの「今までで一番タイプかも~~~♪」は、まさに多くの視聴者の声を代弁したセリフとなり、共感を集めたことだろう(笑)。


*「遊び」=「コミカル演出」や「ギャグ描写」を改めてドー見るか!?


 『ウルトラマン』にかぎらず、『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』でも近年ではコミカル演出やもうほとんどギャグになっている奇抜な特撮演出が当然のように行われているが、「子供番組」としてはシリアスな展開とのバランスを取るためとはいえ、それまでのドラマやバトルの流れとは関係なく唐突に描かれるギャグが浮いてしまう例が時折り見受けられる場合もある。『Z』でも本編ドラマ以上に、特撮場面でもコミカル演出が積極的に導入されている感が強い。
 しかし、ストレイジの隊員たちやゼットを中心としたウルトラマンの関係性に高いドラマ性を与えるために、『Z』のコミカル演出はクライマックスバトルを寸断するどころか、むしろ高揚感をもたらす自然な流れとして機能する作劇がなされていると思える。


 往年の『帰ってきたウルトラマン』の防衛組織・MATの隊員たちのようなリアルでナマっぽい人物描写の方が、作品としては優れているという意見にはもちろん同意する。しかし、やはり今の時代に、いやあの70年代初頭当時であっても、あれらはやや重たすぎる描写ではあっただろう。そう考えると、21世紀のウルトラやライダーや戦隊でのにぎやかで戯画化(ぎがか)されたマンガ的な人物描写は、子供向け番組としては、いや今どきの年長マニア向け作品としても決して間違ってはいないとも思うのだ。

2020年9月下旬執筆
2021年1月中旬改稿


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2020年秋分号』(20年9月27日発行)所収『ウルトラマンZ』合評より抜粋)


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仮面ライダースーパー1総論 ~江連卓の真骨頂! 草波ハルミはシリーズ初の真正ヒロイン!

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 「東映特撮 YouTube Official」にて配信されていた『仮面ライダースーパー1(ワン)』(80年)が完結2ヵ月(汗)記念! とカコつけて……。『仮面ライダースーパー1』評を発掘アップ!


仮面ライダースーパー1』総論 ~江連卓の真骨頂! 草波ハルミはシリーズ初の真正ヒロイン!

(文・T.HONMA)
(1997年執筆)


 『仮面ライダースーパー1(ワン)』のメインライターを務めた脚本家・江連卓(えづれ・たかし)は、昭和44年(1969年)に石森章太郎の漫画原作で東映製作の1時間枠の実写TVドラマ『フラワーアクション009ノ1(ゼロゼロくのいち)』第1話の脚本で龍達彦名義でデビューして以来、アクションスター・千葉真一主演の『ザ★ゴリラ7(セブン)』(75)、『キイハンター』(68~73)などの東映作品に関わった。


 70年代にはアングラ劇団「幻想劇場」も主宰。自身が脚本も担当したスーパー戦隊シリーズバトルフィーバーJ』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120130/p1)第44話「地獄谷の月影一族」に登場した秘密結社エゴスの怪人・ゲンソウ怪人は、江連が主宰するこの「幻想劇場」の名前にちなんだもの。月影一族も幻想劇場のメンバーたちだったそうである。


 特に71年から始まった『仮面ライダー』シリーズでは現在までに3シリーズ、


・『仮面ライダー(新)』(79・通称:スカイライダー・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20210102/p1
・『仮面ライダースーパー1』(80)
・『仮面ライダーBLACK RX』(88・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20001016/p1))


のメインライターも務めた。


 江連の大ファンでもある筆者は、ご本人に直接インタビューをしてみた。すでに各マニア向けムックでも明かされいる情報も含めて紹介していこう。



「最初、『スカイライダー』でね、伊上勝(いがみ・まさる)さんがメインライターだったんだけど、途中で伊上さんが色々あって書けなくなってメインになったんだよね。視聴率がよくなくてテコ入れというところだった」(江連談)



 『スカイライダー』ではシリーズ後半、歴代の先輩の仮面ライダーが1人ずつゲストで出て、主人公と共同戦線を張るという物語になった。



「あれはね、3日間で10本書くっていう作業だった。パワーがあったからね。12時までに1本書いて、6時までに1本書いて、午前3時までに1本書いてっていう調子だった。それで3日間徹夜……。もうあんなことは出来ないねえ』(江連談)



 『スカイライダー』は終盤で、主人公・筑波洋(つくば・ひろし)(村上弘明)の両親が登場したり、波乱に富んだストーリーだったが……。



「うん、あれは村上弘明がなんか弱々しくて暗いイメージがあったんで、そういう母性愛を込めたストーリーにしたの。荒木しげる仮面ライダーストロンガーこと城茂(じょう・しげる)や佐々木剛(ささき・たけし。仮面ライダー2号こと一文字隼人(いちもんじ・はやと))を出したのも、そういう弱々しい主人公を両脇から支えていくっていうイメージだね」



 その一方で、31話「走れX(エックス)ライダー 筑波洋よ、死ぬな!」~32話「ありがとう神敬介(じん・けいすけ) とどめは俺にまかせろ!」のような少年の心を見せる話が多いのも江連作品の特徴である。
 スカイライダーの宿敵・ネオショッカーに捕らわれた少年たちは、アジトまで石を運ばされる。だが、一番早く運んだ者しか生き残れない。それを見た主人公の筑波洋は物陰から「全員同時にゴールインしろ」とささやく。少年たちは助け合って同時にゴールする。ネオショッカーの怪人・トリカブトロンは全員を処刑しようとするが、そこにXライダーとスカイライダーが現れ、彼らを助け怪人を倒す! 少年たちには友情を固めた喜びと、物事をなし遂げたという感動が残るのだ。
 ここにのちの東映不思議コメディ枠で放映された児童ドラマ『おもいっきり探偵団 覇悪怒組(はあどぐみ)』(87)のひな形を見る思いがするのは筆者だけではあるまい。(中略)



 そして、少年ドラマとしては傑作である『仮面ライダースーパー1』に話を移そう。江連は『スーパー1』では1話からメインライターを務めた。
 『スーパー1』は当初から最強のメカニカルライダーとして子供たちの話題を集めた。シャープなつり目、銀色と黒のメカニカルな体のツートンカラー、そして5つの種類のメカニカルなハンドを持ち2台のバイクを乗りこなす。
 筆者は少年時代、そのカッコ良さに憧れ、早く第1話を見たくてうずうずしていた。だが、その期待はいい意味で裏切られ、1話を見て愕然となった。というのは、1話では闘いの場面がないのである。30分枠前半のAパートこそスーパー1の能力をたっぷり見せてはいるものの、Bパートでは変身システムが破壊され、自ら変身ポーズを模索するという状態だったのだ。


 そして、1話のラストでようやくスーパー1に変身できたのだが、そのための変身ポーズはマスターができていなかった。そのために2話では少林寺拳法を会得する。しかし、それでも主人公は変身ができず、地獄稽古をしてその呼吸法をつかむのだった……。
 闘いの場面が見たくてしょうがなかった少年時代の筆者は、2話のラストのアクションシーンに2週越しの喜びを感じた思い出がある。



「やっぱりメカニカルな設定なら、なおさらメンタリティの強化が必要だと思ったんですね。あれは梅花(ばいか)っていう少林拳の技で、岡田勝(おかだ・まさる)(擬闘・大野剣友会)と主役の高杉俊介(たかすぎ・しゅんすけ)を公園に呼んで教えたんですよね。なんでもない男がいきなり変身しちゃうのはナンセンスだと思いますからね。肉体をいじめていじめてようやく変身できるっていう風にね。僕もね、20代の頃は1日何10キロって走って空手・拳法・柔(やわら)色々やったからね。『スーパー1』の時は高校生に拳法を教えてたんですよ」(江連談)



 そうして始まった『スーパー1』は好評で20パーセント近くの視聴率をとった。



「やっぱり僕は大衆に受けるものが好きだから、視聴率いいと喜んじゃうね」(江連談)



 『スーパー1』のシリーズ後半は敵組織が「ドグマ」から「ジンドグマ」に変わり、小学生たちが隊員である「ジュニアライダー隊」が組織されるなど、より児童番組化してくる。だが、ここでこそ江連の少年ドラマ性は、『スカイライダー』や『覇悪怒組』同様、キラ星の如くきらめく。特に38話「危ない! 冷蔵庫怪人の中に入るな!」は特筆すべき作品である。


 ガラクタ置き場に置いてある冷蔵庫の中には無限の道が広がっており、そのトンネルの向こうはパラダイスのような草原が広がっていた。ジュニアライダー隊は勉強をしなくてもよい、遊んでいるだけでいい、そのパラダイスにどっぷりとつかり、元の世界に戻る気すらなくなってしまった。
 だが、そのぬるま湯世界の裏には奴隷として働かされている反逆者たちの姿があった。ジュニアライダー隊は彼らを救うために反逆し、闘うことにした。そこにスーパー1が助けに来て敵怪人を倒し、彼らを元の世界に戻す。少年たちは自分たちの甘えグセを自分たちの手で戒めて戻ってくる。


 江連はご子息がちょうどヒーローものを見る年代だったので、依頼心を拒絶する男になるようにメッセージを与えるつもりだったとも言う。



 また、『仮面ライダースーパー1』はライダーシリーズ初ともいえるヒロインとの恋愛を描いたシリーズでもある。後述する『仮面ライダーBLACK RX』でも同様だが、子供番組に限らず恋愛をやりたがる作家が江連である。


 『スーパー1』のヒロイン・草波ハルミ(くさなみ・はるみ)(田中由美子)はお転婆でおきゃんだが、可憐な面をもつヒロインである。彼女が13話「見つけたり! 必殺梅花の技」では敵に一敗地まみれて修行する主人公・沖一也(おき・かずや)(高杉俊介)におせち料理をもってくる。しかし、一也はそれを吹っ飛ばして怒鳴る。


「奴を倒すまで俺には正月はない!」


 けれど、ハルミは一途に一也に尽くす。シリーズが進むにつれ、子供心にこのふたりの愛の行方が筆者はとても気になった。


 そして最終回。それは見事に結実していた。敵の首領・悪魔元帥の罠によって一度は死んでしまうスーパー1。ハルミはスーパー1を宇宙のチリにしてしまうとのたまう悪魔元帥に、


「私もいっしょに宇宙のチリにして下さい……。一也さん、私はいつまでもあなたといっしょよ」


 そのハルミの凄絶な愛のかたちに、子供だった筆者は目からウロコが落ちる思いだった。何も役に立てないハルミだが、いっしょに死ぬことはできる!


 この最終回を見た東映の吉川進プロデューサー(当時は『太陽戦隊サンバルカン』(81年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120206/p1)を担当)の奥方に、「その辺のメロドラマより何百倍も感動したわ」と、江連も言われたという。


 しかしそこは子供番組、スーパー1はその後、生き返って(元々酸素のない宇宙でも活動できるため・笑)、ジンドグマを倒して大団円となる。


 だが、一也とハルミはしばし別れなければならなかった。一也には本来の惑星探索の任務があったのだ。スペースシャトルに乗る直前、一也は少年たちに語る。


「正義を愛し、悪を憎むジュニアライダー隊の心を地球の上に広げるんだ。そして大きくなってもその心を忘れるな」


 手を振って一也と別れるハルミとジュニアライダー隊。盛り上がる主題歌。「いつの日か必ずまた会おう」と言う一也。こうして『仮面ライダースーパー1』は幕を閉じた。筆者は江連が手掛けた後年の青春ドラマ『不良少女とよばれて』・『少女が大人になる時 その細き道』(共に84)同様にこのラストで泣いた記憶がある。


 江連はキャラクター子供番組といえども決して手抜きなどせず、全身全霊でうち込んでいたのである。



「当時、『電子戦隊デンジマン』(80・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20120205/p1)のメインライターが上原正三(うえはら・しょうぞう)さんだったんですよ。上原さんの姿勢に学ぶことも多かったですね。本当に全力で打ち込んでやるっていうね。子供番組だからこの程度なんて妥協は全くなかったですね」



 当然とは思いつつも筆者は思わず目頭が熱くなった。


ライダーシリーズ初の真正ヒロイン・草波ハルミ!

(文・T.HONMA)
(2000年11月脱稿)


 『仮面ライダースーパー1』は『仮面ライダー』シリーズ中、最も語られないシリーズになっている。ウルトラシリーズでいえば『ウルトラマンレオ』(74・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)のような感じであろうか?
 共にシリーズ第2期のラストの作品であること。まったくの新シリーズ『秘密戦隊ゴレンジャー』(75)や『宇宙刑事ギャバン』(82)の登場直前で、子供たちが新しいヒーローを見たいのに、まだ過去作と同じような『ウルトラ』や『ライダー』が続くということで四面楚歌にあった点なども似ている。空手や拳法を使い、特訓するヒーローであること。そしてヒロインを重視していることなども似ている。


 そして、シリーズが多少の路線変更をしても、その根本のドラマ性自体は貫徹した点も同じである。シリーズ中最も熱血度が高い点も同じである。このへんは戦隊シリーズに例えると、『科学戦隊ダイナマン』(83)のような感じである。


 『スーパー1』も『レオ』も実は完成度は高いのだ。ただ、世間の注目度が「下」なだけなのだ。ただし、『レオ』に関しては近年は再評価が高まってきている。しかし、『スーパー1』だけはライダーシリーズのエアポケットと化している感がある。


 『スーパー1』も序盤は一部の高年齢層のライダーマニアには評価が高かったらしい。それは『スカイライダー』と比すればドラマ重視になったという理由ゆえである。当時は第1次アニメブーム全盛期でもあり、77年に総集編映画が大ヒットしたことで著名になった『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ(74・同『2』78・同『Ⅲ』80)などがまだ子供間では人気があって『ヤマトⅢ』も放映中。『スーパー1』が第2クール終盤を放映中の81年3月14日(土)には『機動戦士ガンダム』(79・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)の総集編映画の第1作目が公開。それと連動して関東地方では公開前月の2月16日(月)から第1回目となる平日夕方の再放送も高視聴率を獲得。80年1月に放映が終了したばかりの『伝説巨神イデオン』(80)も春休み合わせの平日朝8時半枠で再放送がはじまり、富野喜幸監督によるリアルロボットアニメ2作品が児童間でも急に大人気となり、『ガンダム』や『イデオン』の主役メカや敵メカのプラモデルも爆売れをはじめていた。
 よって、『電子戦隊デンジマン』(80)や『太陽戦隊サンバルカン』(81)や『スーパー1』を見ていた小学生でも、今まさに児童間でも人気沸騰中となっている富野アニメを見るついでに特撮ヒーローものを見る、といったスタンス程度の方が多かったはずだ。


 そして、『スカイライダー』(79)の完成度に首をかしげた、年長で中高生以上の旧ライダーシリーズファンは『スーパー1』の時点ではすでに離れており、家庭用ビデオもまだまだ普及していない時代だったので、現役児童であった我々小学生を除けば、『スーパー1』を見ていた特撮マニアは少なかったのではないだろうか?


 とはいえ、視聴率では『ウルトラマン80(エイティ)』(80・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1)よりも『スーパー1』の方が倍近くで圧勝ではあったものの、小学3年生から4年生であった筆者個人の周囲では、『80』や『ガンダム』の人気に比べて語る友達が少ないシリーズでもあった。


 しかも、再放送も関東地方では1度もなく、LDもバンダイ発行のマニア向けの文庫本サイズ書籍「EB」シリーズも、第1期ライダーと第3期ライダーシリーズは発行されたものの、『スーパー1』を含む第2期ライダーシリーズ分は発行されずに、単独のマニアムックすらもない。そういう意味では『レオ』よりも不幸なシリーズといえる――『レオ』の場合、否定評も多いが、語られるだけマシである――。


 『レオ』と比べても、なぜ語られないのか? それはあまりにもバランスがよすぎて、そつなくまとまりすぎているからだとも思う。『レオ』の場合、良くも悪くもヒーローのルックスも内容も変わっている異色作だということで注目度はある。しかし、『スーパー1』を見ると、往年の『ライダー』シリーズとの差が、ルックスにしろ内容にしろどこにあるのか一目ではわかりにくい。ただ、スーパー1のルックスや黒と銀といった色彩が、元祖・1号ライダーに近くて、それがシャープでスマートであるといった程度である。


 筆者個人はもちろん『スーパー1』が好きなのだが、それでもマイ特撮ベスト10には入れないと思っている。次点ぐらいにはなってしまう。と思って、最近ビデオを見てみた。なるほど、前作『スカイライダー』での失敗から「石橋を叩いて渡る」くらいに神経が細部に行き届いている。だが、逆に言うと「バランスが良すぎる」ということは、パッと見でのツカみや面白味にはやや欠けるということなのだ。人間も同じである。偏りすぎても困るが、バランスが良すぎても、取っつきが悪くなるのだ。



 本作の文芸陣としては、江連卓(えづれ・たかし)・土筆勉(つくし・つとむ)・鷺山京子(さぎやま・きょうこ)の3人が務めている。筆者にとっては最高のメンバーである。この3人は青春ドラマの大御所でもある。


・『スーパー1』当時の江連は、大映テレビ製作のTVドラマ『明日(あした)の刑事』(80)と『噂の刑事トミーとマツ』(79~81、82)と『デンジマン』を執筆していて充実していた時期。人生で一番忙しい時代だったとも言う。
・土筆は『ウルトラマン80』のサブメインライターもやっていた。
・鷺山は東映製作の30分枠スポ根ドラマ『燃えろアタック』(79~80)とその後番組である少年野球を題材とした『それゆけ! レッドビッキーズ』(80~82)も並行して執筆していたし、『まんがはじめて物語』(78~84)も執筆していた。


 つまり、大映東宝系(円谷)・東映の青春ドラマの主力が合作したのが『スーパー1』だともいえるのだ。
 この頃、ユニオン映画製作の学園ドラマ『あさひが丘の大統領』(80)が終了して、60年代後半から続いてきた日本テレビの学園ドラマが終焉を迎えてしまう。大人気刑事『太陽にほえろ!』(72~87)も若手刑事・ボン(宮内淳)の殉職で、視聴率が裏番組の『3年B組金八先生』第1作(79)に喰われはじめて、青春ドラマの実権が日テレからTBSに移った時代である。『俺はおまわり君』(81)で『俺たちの旅』(75)から流れる「俺たちシリーズ」や中村雅俊の青春ドラマシリーズも終了する。


 一方の当時の大人気アイドル歌手・山口百恵(やまぐち・ももえ)が主演を務めることが多かった、波乱万丈の人間模様を描いたTVドラマ「赤いシリーズ」(74~80)も終了し、大映テレビ製作のTVドラマも伊藤麻衣子堀ちえみといった80年代前半の新世代が台頭する前のエアポケットとなっていた。
 ただし、この1980年のアイドルシーンは、ポスト百恵の松田聖子(まつだ・せいこ)と河合奈保子(かわい・なおこ)や「たのきんトリオ」がデビューして大人気を博した年ではあるが、中森明菜・小泉京子・早見優堀ちえみ石川秀美などの豊作の82年組アイドルを経て、さらにあまたの人気アイドル歌手が登場していく前の充電期であったともいえる。


 坂上味和主演の『刑事犬カールⅡ』(81)もコケて、30分枠の一般ドラマはこれで死滅した。要するに一つの節目の時代といえる。



 そこで考えてみた。『スーパー1』のヒロイン・草波ハルミ(くさなみ・はるみ)(田中由美子)はいったいなんだったのか?


 70年代の特撮ヒロインは「お姉さん」的要素が強かった。吉沢京子(『柔道一直線』・69)も、榊原るみ(『帰ってきたウルトラマン』・71)も、水の江じゅん(『人造人間キカイダ―』・72)も、小野ひずる(『仮面ライダーV3』・73・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20140901/p1)も、松岡まり子(『仮面ライダーアマゾン』・74・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20141101/p1)もみんな「お姉さん」だったのだ。それが『スーパー1』辺りから変わっていくのだ。


 まあ、1980年に放映されていた3作品、『燃えろアタック』の主演・荒木由美子も、『それゆけ! レッドビッキーズ』の主演・斎藤とも子も、『ウルトラマン80』10話「宇宙からの訪問者」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20100704/p1)ゲストで銀河共和同盟の惑星調査員・アルマこと遠藤真理子も「お姉さん」だったのだが、主人公ヒーローよりも圧倒的に「年下のヒロイン」はこのハルミが最初、特撮史上初ともいえるのだ。
(『仮面ライダーストロンガ―』(75・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201231/p1)の変身ヒロイン・タックルこと岬ユリ子のような前例もあるにはあるが、「年下」「幼さ」「天真爛漫さ」を強調したキャラクターではなく「女戦士」としてのキャラであった)


 聞けば、草波ハルミを演じた田中由美子は、後年の84年に江連が手掛けた『不良少女とよばれて』や『その細き道』のオーディションにも来て、江連に「あの頃はお世話になりました」とあいさつをしたともいう。しかもこの時点でもヒロインのオーディションに来たのだというのだから、その4年前の『スーパー1』の時は相当に若かったといえる。後年の「年下」「幼さ」「天真爛漫さ」を強調するようになっていく特撮ヒロイン史においては、実質的にはその発端のヒロインだったといってよいだろう。


 『スーパー1』の時はまだセーラー服で東映の大泉撮影所に来ていたという。「ルンルン由美子」という仇名がついていたらしい(笑)。


 つまり、筆者が長年、『スーパー1』に今一つ物足りないと思っていた部分はそこだったようだ。彼女がもう少し年上で、荒木由美子や斎藤とも子、伊藤麻衣子のように「お姉さん」度が高かったら、筆者は『スーパー1』をライダーシリーズ最高傑作だと絶叫していたかもしれないのだ(笑)。
 田中由美子はかなりの美人である。同時期の『太陽戦隊サンバルカン』(81)の嵐山美佐役の根本由美も同じだが、語られる機会が少なすぎるヒロインだといえる。「お姉さん」としては若すぎるのだ。だが、どちらも涙もろく、艶っぽい場面が似合うといえる。スタイルもいい。
 ちなみに当時の子供向け番組『ママとあそぼう! ピンポンパン』(66~82)も2代目お姉さん・石毛恭子(71~75)や3代目・酒井ゆきえ(75~79)はお姉さんだったが、4代目の大野かおり(79~81)からお姉さん度が減っていた。だから『ピンポンパン』は見なくなった(汗)。


 そしてもう一つ、田中由美子は背が低いのだ。まあ、荒木由美子伊藤麻衣子も背が低く、それが背の高い共演者の中で、逆に目立つことになって成功していたのだが、ただでさえ、「お姉さん」度のない彼女が背が低いことは、この手の子供向けヒーローもので男児の憧憬対象ともなるヒロインとしてはマイナスのような気もする。ヒーローが30近いオッサンなのにヒロインが10代なのでは、視聴者側でもロマンスの発生可能性を感じにくくなるからだ。


 そして、田中由美子はギャグメーカーでもあった。『キカイダ―01(ゼロワン)』(73)の途中参加ヒロイン・ミサオの松木聖(まつき・ひじり)や『星雲仮面マシンマン』(84)の葉山真紀(塚田きよみ)など、ギャグメーカーを兼ねたヒロインは存在するが、ハルミの場合は弟の草波良(くさなみ・りょう)とほとんど同格というか、作品内では長幼・上下がない感がある。つまり、「ドジでのろまな亀」的なヒロインのハシリでもあったのだ。良は姉のハルミのことを大好きだとは思うが、尊敬はしていないと思う(笑)。


 良役の早川勝也は『燃えろアタック』でも荒木由美子の従兄弟の清(きよし)役をやっている。あちらは、ヒロイン主人公への尊敬や憧れ度が強い。つまり、色気も感じているし、お尻も触りたい、お風呂ものぞきたい感じなのだ(笑)。それに対して、ハルミは子供っぽい無邪気で明るいドジっ子な色気のないヒロインだったのだ。要するに三枚目のヒロインだった。80年代後半に大流行したバラドル(バラエティ・アイドル)のハシリともいえる。


 じゃあ筆者はハルミのことが嫌いか? と問われれば、ハルミも大好きだし、田中由美子も大好きだ。ただ、水の江じゅんや荒木由美子・斎藤とも子・伊藤麻衣子のようにいっしょになれれば死んでもいい!! と思えるほどではない(笑)。一生の友達になってほしい感じなのだ。


 案外、「結婚するならこんな人」という条件ならば、「恋愛と結婚は別」という感じでいけば、本当に死ぬほど好きな人よりも、そこそこの人のほうが気楽でうまくいくものなのかもしれない。だって筆者の前に『人造人間キカイダ―』(72)のヒロイン・ミツコさんが出てきちゃったら恐らく気を使いまくって死んじゃいそうですけど、ハルミが出てきても気楽に話せそうだから。艶っぽさのある人だから、夕陽の下で噴水の水をすくいながら、図書館で借りた本を片手に難しい話を語り合いたい感じがするのだ(笑)。


 涙もろいあたりも、江連ヒロインの定番。おっちょこちょいで血液型はB型だろう。『マシンマン』の真紀はあまり泣かないヒロインだが、ハルミはよく泣く。根底はウエットなのだ。あと、余談だけど、同時期の同年代の女優・三原順子などとも同様、当時流行りの一輪車がうまい方。運動神経はすごくいいようだ。(17話・24話など)


 加えて、1980年は空前の大MANZAI(漫才)ブームが勃発して、若者間でもそれまでのしっとりとしたフォークやニューミュージックが流行していた70年代の空気が突如として終焉! それらのウェットなノリがダサいこととされて、急速に時代の空気が軽躁的になってきて、『太陽にほえろ!』も同時期のドック刑事(神田正輝)の登場とともに喜劇路線になっていくし、漫才ブームビートたけしが売れまくるし、この流れの果てに明石家さんまが主役のTVドラマ『男女7人夏物語』(86)なども空前の大ヒットを飛ばすようになっていく。


 といっても、『スーパー1』は内容はあのクサくてタマらないけどカッコいい江連節なので、そういう風潮とは無縁である。江連自身は見ていなかっただろうが、『キカイダ―』と似ている部分も散見される。恋愛要素は激しいものがあるし、ギャグメーカーにはチョロ(佐藤輝昭)というキャラクターがいるし、「姉と弟」の話はあるし、『キカイダ―』のリメイク的な部分もある。というか、『キカイダ―』でやってしまったことを80年代初頭にもう一度やってみたという感もある。だけど、『キカイダ―』よりも軽いし明るい。それはハルミのキャラクターのせいだけでなく、作り手たちが過度に陰気にならないようにわざとウエットな部分を廃していたとも取れるのだ。


 そして、『スーパー1』のシリーズ後半は、ジュニアライダー隊という子役たちが活躍することで、少年野球を描いたヒロイン監督と児童たちの群像劇ドラマ『レッドビッキーズ』的な作風にもなっていく。ヒロイン・ハルミも完全主役になっていく。


 ここで特筆すべきは、途中参加のマサコ(永塚りえこ)という親友の女性キャラとコンビを組むようになったことである。
 筆者が好きなヒロインは、ライバルや脇役に支えられないと輝かないタイプが多い。一人では芸がない人ばかりである。荒木由美子も『燃えろアタック』では中盤、ユカ(中原歩)という親友とコンビを組んで輝き出した。伊藤麻衣子も伊藤かずえという妹分・ライバルによって輝いた。だから、斎藤とも子も『それゆけ! レッドビッキーズ』で、『スーパー1』のマサコのような親友の相棒キャラと組めば、途中降板はせずに継続して出演できたようにも思うのだ。要するに、ちょっと行動力のある登場人物が脇でチームを支えるとかして主役を盛り立てる感じにすれば、総合的なキャラクターシフトでメインヒロインもそのキャラが立ってきたのではないのかとも思うのだ。ハルミ(田中由美子)も斎藤とも子も、そうしてあげることで輝けるタイプなのだ。


 そういう意味でマサコは貴重である。脇役としては120%出ているし、マサコを登場させるために必然的に接点を持つことになるハルミの出番は、シリーズ後半では更に増えている。女の友情物語になってきているのだ。


 ただ、このシリーズ後半をつまらないという人も多い。筆者の場合、ハルミさえ出ていれば大きな不満はないのだが(笑)、妙に対象年齢を下げすぎた感じがある。人間ドラマはあるがターゲットの年齢層は低いというのは『ウルトラマンタロウ』(73・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)に似ている。しかし、もっと「おやっさん」やチョロの人間ドラマ的な側面も出してみせれば……とは思うのだ。


 そういえば、第2期ライダーシリーズまでの『ライダー』各作は、過去を背負っていたりするような影のある人物が主人公以外にはいない。意図的に廃しているのだろうが、マニア層のみならず小学校高学年以降ともなれば、そういうのが見たい人間が多いのだ。『帰ってきたウルトラマン』の坂田健(さかた・けん)とか、『ウルトラマンレオ』のモロボシ・ダン隊長とか……。


 しかし、ハルミのあの明るさも何か過去にあったからだと筆者はニラんでいる。だいたい過去のない人はいないのだ。そう言っているうちに今、放映されている『キカイダ― THE ANIMATION』(2000)のヒロイン・ミツコさんには重厚な過去が肉付けされていくようである。それは嬉しいのだが、ほどほどにしないとしつこくなると思う。
 江連が手掛けた80年代の大映テレビ製作の大ヒットTVドラマなどで例えると、『不良少女とよばれて』(84)・『乳姉妹(ちきょうだい)』(85)・『ヤヌスの鏡』(85)・『プロゴルファー祈子(れいこ)』(87)・『セーラー服反逆同盟』(86)・『テニス少女夢伝説! 愛と響子』(89)あたりだと、ドラマチックな過去設定があっても、しつこくて鼻につく域には至らない寸止めにはなっている。しかし、青春ドラマではないので単純比較はできないものの、江連が手掛けたレディースコミック原作の近年のTVドラマ『凄絶!嫁姑戦争 羅刹(らせつ)の家』(98)などは本誌主宰者氏は絶賛していたけど、個人的にはしつこすぎて失敗していると思うのだ。


 要するに、『スーパー1』のようにあっさりしすぎていてもやや物足りないが、やりすぎていてもつまらなくなるということだ。
 かの脚本家・長坂秀佳(ながさか・しゅうけい)なども同じである。『キカイダ―』や『快傑ズバット』(77)、名作刑事ドラマ『特捜最前線』(77~86)のシリーズ中期は視聴者のニーズと完成度がマッチしていたのだが、『特捜最前線』のシリーズ後期は話が凝りすぎて失敗していると思う。そのバランス感覚も重要なのだ。だから、大映テレビ作品も『特捜』もシリーズ後半では視聴率が落ちているのだ。


 ちなみに、おやっさんこと塚本信夫は後年、チョロ役の佐藤輝昭、ハルミ役の田中由美子と、『スーパー1』の劇中同様にしばらくスナックを開店していたという。(書籍『仮面ライダーが僕の友達だった』(金田一だん平・北宋社・1986)参照)



 そして最終回――。ハルミはスーパー1が死んだ時、「いっしょに死ぬ」と言った。ハルミは本当はスーパー1こと沖一也(おき・かずや)がずっと好きだったのだ。一也の正体は前から知っていたし、最終回1本前の47話で初めて知ったなんて嘘に決まっている!!(基本的に全てのライダーヒロインは主人公たちの正体を知っていたのではなかろうか!?)
 一也が怪人ギョストマに破れた時、おせち料理を作ってそれを吹っ飛ばされても一也に尽くしたハルミ(12~13話)。シリーズ前半の敵幹部・メガール将軍が死んだ回で、その恋人・池上妙子も死んだ時(22話)、いつ自分もあのようなことになるのか? という恐怖と戦ってきたことが、この最終回で分かるのだ! 彼女は往年の東映ヒロイン同様、十字架にハリツケにされることも多かったし、危険は感じていたと思う。
 「いっしょに死ぬ」と言った瞬間、喰い足りない今までのドラマが帳消しになるぐらいに彼女は輝くのだ! ハルミはずっと一也が死んだら自分も死のうと思っていたのだ。その不安と闘って、それ故にわざと道化師を演じてギャグメーカーをやってきたのだ。


 最終回だけならば、『スーパー1』は『キカイダ―』や『ミラーマン』(71)をもしのぐ出来ともいえる! そして、この最終回はライダーTVシリーズ最高傑作ともいえる!(そういえば、ウルトラでも『レオ』の方の最終回も、シリーズ最高という人が近年では一部にいますね)
 どうも「いっしょに死ぬ」とか「愛をつらぬく」とか、そういうシチュエーションが筆者は好きだ。痛みをいっしょにこらえるとか、失明したらおまえがあいつの目になるとか……。だって、世の中半分は男で半分は女なのでしょ。可能であるかはともかく、誰だってつらぬける愛をもつ相手と知り合えるロマンスに酔いしれたいところがあるだろう。男である筆者が人造人間や改造人間をもし好きになったら、『レオ』24話のカロリンや『スカイライダー』4話のサソランジンの美也さんは好きなので、つらぬけるような気がする(笑)。


 この最終回でハルミは完全に主役になったといえる。従来のいるかいないのか判らないようなライダーガールズに比べてハルミの意味は大きいし、あれ以上のことをやったヒロインは西暦2000年時点では『真・仮面ライダー 序章(プロローグ)』(92)の明日香愛(あすか・あい)以外にはいないだろう。


 ところで、『真・仮面ライダー』のヒロイン・明日香愛(野村裕美)は本当に死んでしまうのだ。しかも、ヒーローをかばって……。更にヒーローとの愛の結晶を生んで昇天するのだ。


・『キカイダ―』のミツコは、愛をつらぬけずに苦しんだ。
・『スーパー1』のハルミは、つらぬこうと決意してつらぬけずに生き残った。
・『真・仮面ライダー』の愛は、つらぬいて死んでいった。


 男でも女でも愛をつらぬくのは立派である。どれも美しく、悲しく、筆者の愛したヒロインである。原作漫画家の石ノ森章太郎は実はこの辺のドラマを一番やりたかったのだろう。


長坂秀佳脚本と畠山豊彦(はたけやま・とよひこ)監督のコンビは『キカイダ―』で。
・江連卓脚本と山田稔(やまだ・みのる)監督のコンビは『スーパー1』で。
・宮下隼一(みやした・じゅんいち)脚本と辻理(つじ・まこと)監督のコンビは『真・仮面ライダー』で。


 それぞれの男女ドラマを展開したのだ。そういうことである。


 総括して『仮面ライダースーパー1』は、パワフルなヒーロー性を狙いつつも、『秘密戦隊ゴレンジャー』(75)から『太陽戦隊サンバルカン』(81)までスパイアクション重視で来ていた「戦隊」シリーズに対して、『キカイダ―』(72)・東映版『スパイダーマン』(78)・『がんばれ! レッドビッキーズ』(78)などの人間ドラマ性を合体させており、シリーズ後期の敵怪人やジュニアライダー隊など表層・テイスト面ではチャイルディッシュなところもあるのだが、ヒロインとの関係性描写についてはやや高年齢層の支持を狙ったとも整理できる。シリーズ中盤ではやや失速するが、最終回では盛り返した黄金のパターンでもある。


 そして、ヒロインに関しては、それまでのヒロインにあった成熟した「お姉さん」度を廃し、親しみやすく明るいヒロインを生み出し、特撮ヒロインのアイドル化のハシリとなったといえるのではないだろうか?


 設定のハードウェア面では、後年の『超人機メタルダー』(87)に似ている要素もある。ヒーローのメカをチェックするマシーンがあり、敵組織が4大軍団であることなど。マニア間では評価が高い『メタルダー』だが、筆者は着ぐるみキャラによる男クサいだけのドラマはやや好みではなく、ヒロインとの男女の恋愛ドラマ要素が非常にウスい点については個人的には不満を抱いている。この『メタルダー』の設定でも、江連が執筆すればヒロインとの関係性に報われることがない恋情描写を投入してもっとハートフルになったと思うし、個人的にはそういう作品にしてほしかったのだ。


(『メタルダー』のヒロイン・仰木舞(おおぎ・まい)役の青田浩子は、同作前年に放映された『このこ誰の子?』(86)という江連作品にもゲストヒロインとして出演しているので要チェック!)



 では、芥川隆行来宮良子のナレーション風に―――


「この物語は、『仮面ライダースーパー1』の脚本家で昨今の生ぬるいスタジオドラマに嫌気がさした江連卓が、乙女の純愛と少年の友情を80年代に再生できるか否かを問う、壮大なロマンである」


 結論――。『仮面ライダースーパー1』は傑作ではないが、いぶし銀の良作だったのである。


(了)
(前半部分初出・同人誌『江連卓 その脚本世界』(1997年発行)。後半部分初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2001年号』(00年12月30日発行)。共に『仮面特攻隊2001年号』所収『仮面ライダーシリーズ大特集』「仮面ライダースーパー1」合評に個別に掲載した上で両者を抜粋)


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(文・T.SATO)
(2016年2月28日脱稿)

開幕は「米軍追放! 沖縄への自衛隊の誘致!」を主張する1970年代前半の金城哲夫


 開幕早々は意表外なことに、誰でも予想するであろう、初代『ウルトラマン』(66年)を製作中の1960年代中ばの円谷プロを舞台にした、甲斐甲斐しくも頼もしく立ち回る、ウルトラシリーズを立ち上げた脚本家・金城哲夫(きんじょう・てつお)の若き日の勇姿……といったアリガチな導入部にはなっていなかった。


 飛行機に搭乗しての――実は航空自衛隊(!)のヘリコプターだと徐々にわかってくる――、金城のレポートによるラジオ中継の姿が描かれるのだ。そして最後には、


「米軍を追い出して、代わりに自衛隊を沖縄に誘致すべきだ!」(!)


といった趣旨の発言をしてしまうのであった……!


 当然のことながら、沖縄の故地では物議を醸してしまう金城哲夫


 特撮マニア的には沖縄における仕事での光景ということで、コレは金城が円谷プロを退職して沖縄に帰省したあとの1970年代前半のことだろう、という推測はつくのだけど。


 あとでめくった本舞台のパンフレットでの解説や関係各位へのインタビューでの発言を総合すると、コレは1972(昭和47)年を舞台とした一幕である。つまり、太平洋戦争での1945(昭和20)年の日本の敗戦以来、そして沖縄ほかを除く日本本土が1952(昭和27)年に独立を回復したあとも、アメリカの占領下にあった沖縄が日本に返還された年である。


 72年にホントウに起きた出来事であったのかについては、筆者の乏しい調査力ではウラ付けが取れなかったのだけれども、コレは沖縄のローカルラジオ局の番組『トヨタ・モーニング・パトロール』(RBC琉球放送ラジオ)において、自衛隊のヘリに搭乗してラジオ中継を行なっていた際のエピソードであるようだ。


 その結果として、



自衛隊を賛美したと沖縄の教職員に嫌われ、袋叩きにされたみたいですね」

(本作パンフレット「金城の同僚の脚本家・上原正三インタビュー」)



ということになり、このラジオ番組を降板(!)することになってしまったという逸話の舞台化なのであったのだ。



 コレは世間一般でイメージされている「沖縄ナショナリスト」、あるいは沖縄と日本本土との仲介者たらんとしたような「インターナショナリスト(国際人)」としての金城の姿でもない。
 米軍の駐留には反対するけれども、日本の自衛隊の駐留には賛成する! あるいは米軍には出ていってもらうけれども、その代わりに自衛隊には入ってもらおう! などという、当時の日本や沖縄の左派はもちろん、アメリカに奴隷的に屈従するどころか、むしろ安全保障や経済発展のためには米軍に駐留してもらおうとさえする、自主防衛などは可能性としてすら考えもしない御仁が圧倒的な多数を占めるに至っていた当時の右派や政府自民党ともまた異なる、第3の思想的な立場ですらあるのだ(汗)。


 1990年前後からの東西冷戦体制終了後、あるいはアメリカの国力が相対的に低下してホントに有事の際には日本を防衛してくれるのかについてが怪しくなってきた21世紀の日本でならば、アメリカに頼らないかたちでの日本の自存自衛や自立について考える、などといった言説なども表面化はしてきたけれども、コレはそんな言説などはほとんど微塵もなかった、あるいは表面にはなかなか出てこなかった1972年時点での発言なのである。
 金城の右派でも左派でもない、その両者をもはるかに踏み超えて、時代もはるかに先駆けていた高踏派といった感じの発想ではあり、しかもそれを沖縄内での空気も読まずにシレッと発言してしまっているあたりで、筆者には金城の頭脳がやはりイイ意味での「宇宙人」、時代をはるかに超えていた異能のヒトに思えてきてしまう。


 しかも、この金城の発言は、いわゆる特撮評論におけるあまたの金城論での、「近代」や「戦後民主主義」の理念に合致した良心的な御仁であったということにしておこう! というような文脈には合致しない、ある意味では不都合な事実ですらあるのだ。
 おそらく、本舞台の脚本家さんもその取捨選択には迷ったことであろう。しかし、仮にご自身の思想的な立場とは異なっていたとしても、このような歴史的な事実を見て見ぬフリをする……それは自身の思想的な立場とは真逆な陣営を利することになるので、お仲間・身内を守るためにも隠蔽しておこう! なぞといった左右双方で共にアリがちでも実に卑劣なふるまいなどはせずに、金城の発言自体の是非・価値判断はいったん棚上げとして、それをも包み隠さずに舞台劇の脚本としてみせた! といった事実にまず、筆者個人は絶大なる誠意を感じてしまうのであった。


 そんな意表外な短い導入部を経て、本舞台は時代を7年ほどさかのぼっていく……。


ウルトラシリーズを立ち上げた金城哲夫の略歴! 本舞台を公演した劇団民藝


 金城哲夫。1960年代後半の第1期「ウルトラ」シリーズのメインライターにして、同シリーズを製作した円谷プロの企画文芸部の部長を20代後半の若さにして務めた御仁である。といっても、創立当初の円谷プロはあくまでも弱小映像製作会社に過ぎなくて、部員がひとりしかいないような「部」の部長ではあったそうだけど。
 それに「20代後半の若さ」とはいっても、筆者個人の子供時代の記憶でも、1980年前後よりも前の時代における20代後半~30歳前後の人間というのは、1990年前後以降からの昨今とはまるで異なり、今の基準でいったら充二分に見た目もオトナであり、思春期・青年期的なモテ/非モテなどの価値観の内面化などもあまりないことから、そこのあたりに過剰にマウント心や劣等感を持つことなどもなく、メンタリティも含めて早々に落ち着いて成熟もできていたオジサンですらあったと思うのだ。


 そして、劇団民藝(げきだん・みんげい)。筆者のように関心領域が実に狭くて特撮やアニメといった虚構性の高いジャンルしかロクに鑑賞してこなかったような重症なオタクであっても(汗)、マニア向けムックなどでのジャンル作品に登場した役者陣の略歴紹介などは読んできたので、その存在くらいはナンとはなしに知っていた歴史と実績のある「新劇」の一派であるベテラン演劇集団である。
――「新劇」というのは、歌舞伎などの江戸時代以前の歴史時代を舞台とした伝統演劇ではない、明治以降に誕生した近代演劇・現代演劇一般のこと。しかし、1970年前後に誕生した、いわゆる「アングラ劇団」や下北沢の小劇場などで公演している、さらなる新しい演劇集団ともまた別モノとして区分する慣習であるようだ――。


 ほかの「新劇」集団などとも同様に、「劇団民藝」からも有名俳優を多数輩出していたハズだと記憶していたので、試しにネットでググってみると……。奈良岡朋子(ならおか・ともこ)・宇野重吉(うの・じゅうきち)・大滝秀治(おおたき・ひでじ)・多々良純(たたら・じゅん)・加藤嘉(かとう・よし)・佐野浅夫(さの・あさお)・佐々木すみ江(ささき・すみえ)・米倉斉加年(よねくら・まさかね)・吉行和子(よしゆき・かずこ)・中尾彬(なかお・あきら)・山田康雄(やまだ・やすお)・綿引勝彦(わたびき・かつひこ)……と主に昭和後期に活躍していた壮々たるメンツが出てくるワ、出てくるワ。
 このうち、綿引勝彦については、我らがウルトラシリーズである『ウルトラマンメビウス』(06年)#15「不死鳥の砦(とりで)」(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060924/p1)において、昭和の歴代ウルトラシリーズの怪獣攻撃隊の戦闘機の整備士だったとして出演を果たして、重厚な演技を見せているのはご承知の通りである。


 そんな由緒もある「劇団民藝」が金城哲夫を主人公とした舞台を2016年2月10日(水)~21日(日)にかけて上演するという。場所は21世紀以降に開拓されたオシャレな新興エリアである、新宿駅は南口正面に横たわる甲州街道の横断歩道を渡ったさらに先、高島屋東急ハンズが南一直線に連なっていく木製テラスの通路の徒歩10分弱の先の果て、紀伊國屋(きのくにや)書店・新宿南口店ビルの7階、数百人は収容可能なサザンシアターである。試しに2月の晴れた暖かい日曜の午後、オタク仲間数名とともに鑑賞に行ってみた。


 「劇団民藝」さまも我々オタク層に媚びやがって! なぞと思わないでもなかったけれども(笑)、実際に出掛けてロビーで待ち合わせをしていると、少なくとも筆者の観劇した回では、同好の士のオタク層がワラワラといるというようなことはまったくなかったのであった。明らかに我らと同類の異形の士(失礼)だと看て取れたのは、2~3人の年輩オタク集団1組だけである。
 してみると、オタク層の誘致には失敗したと見るべきか?(汗) 映画の3.5倍ほどの高額料金がオタクたちを遠ざけているのか? 単に宣伝不足なのか? 意外にも60~70代以上の年輩層の観客がほとんどであり、彼らのみで満席となっているような状況であった。
 彼らは招待客や長年の「劇団民藝」ファンや演劇マニアの方々なのであろうか? パンフレットによると、「民藝」協賛会員で年会費を払えば、年に数回ある毎回の公演に招待券が配布されるようではあるけれど……。


実在の著名人を材に取った舞台を観る際の心構え!


 舞台は15分の幕間(まくあい)休演を挟んで、約1時間ずつの前編・後編トータル2時間ほどの芝居を通じて、金城哲夫の1965年~1976年にかけての10年強、その若すぎる享年37歳の逝去を、簡にして要で手堅くまとめていた。


 筆者のようなスレたロートル・オタクにとっては、金城についての目新しい発見は冒頭の導入部を除けばあまりなかったのも事実ではある。しかし、もちろん我らのようなスレた特撮マニアたちに向けた舞台であろうハズもない。より広くに開かれた、金城哲夫はおろか『ウルトラマン』すらもロクに知らないような一般層――厳密には一般層ではなく演劇マニア層とでもいうべきだろうけど――にも理解ができるように、翻案されて表現された舞台劇であるべきだ。
 もちろん本舞台はドキュメンタリーではなく、ノンフィクションや人物研究・評伝でもない。あくまでもフィクションである。であるからには、細部がことさらに正確である必要はさらさらなく、トータルでの事物や金城とその時代の本質・エッセンスを抽出・凝縮して「事実よりも真実」、そのへんをシンボリックに表現ができていれば、細部の大胆なアレンジも問題はないのである。


 もちろんフィクションとはいえ、金城はマニア間での研究も進んでおり、ある大ワクの中での評価や人物像も確定してしまった実在の人物ではある。その人物の可能性的には充分有り得たかもしれない別の一面を付加してみせる……というようなことではなく、それは有り得そうもない、その解釈はさすがにいかがなモノなのか? といったようなハズしてしまった描写があったのならば、それはたしかに長年の特撮マニアとしての金城への一応の理解からしても「こんなのは金城じゃないやい!」などとイヤ~ンな気持ちになってしまったことだろう。


 しかし、そのような極端な不備などはまったくなかった。そして、金城の性格・人となり・その想いや、その人生の精髄・キモなどを手堅く抽出して、舞台劇として見事に仕上げることができていたとも思うのだ。


遡って穏当に『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の1960年代後半!


 1965(昭和40)年。本邦初の本格的TV特撮番組『ウルトラQ』(66年)の放映間近、すでに次作である初代『ウルトラマン』(66年)をも企画中であった円谷プロ企画文芸部が描かれる。


 特撮の神様・円谷英二つぶらや・はじめ)特撮カントクの長男にして、兄貴分でもある長身スマートなTBSのディレクター・円谷一つぶらや・はじめ)カントクを前にして、明朗快活・豪放磊落(ごうほうらいらく)にふるまって、『ウルトラマン』の企画を披露している若き日の金城哲夫が登場する。
 ついでにその場で、『ベムラー』⇒『レッドマン』⇒『ウルトラマン』と、特撮マニア間では知られてきた仮題タイトルが連呼のかたちで正式タイトルへと変化していき、一挙に一瞬にして決定していく。そして、興が乗った円谷一も、その場で即興で初代『ウルトラマン』の主題歌を作詞してみせて、金城と肩を組んで仲良く合唱をはじめてしまう(笑)。


 コレらはタイムスケールを極端に縮めてしまったウソである! 歴史修正主義である! なぞと糾弾するヤボな特撮マニアなどは今さらいないだろう(多分)。微笑ましいシークエンスではある。



 同じく1965年。『ウルトラマン』の準備が本格的にスタートする。そこに新たに登場するのが、本舞台の副主人公でもある同郷の沖縄出身の新参脚本家・上原正三(うえはら・しょうぞう)である。


 すでに前作『ウルトラQ』などに登場した怪獣の着ぐるみを流用、もしくは改造した怪獣を用いて、1話あたりの登場怪獣の個体数を増やしてしまうことを着想する金城哲夫たち。しかし、ヒーローに倒されるためだけの存在としての怪獣に早くも疑念をいだいて、そのアンチテーゼとして善良なる可愛らしい小怪獣である友好珍獣ピグモンのキャラクターの着想も同時に得るのだ。


 その着想イメージの舞台演出的な具現化として、実際にスーツアクターが着用したピグモンの着ぐるみまでもがココで登場。可愛らしい挙動をさせることで、劇場の観客までをもナゴませる。なお、本舞台ではピグモンピグマリオン・モンスターの略だとされていた――今では差別用語になってしまったので黒歴史(くろ・れきし)として大声で語るべきことではナイのだろうけど、元々はアフリカの低身長部族の名称から取ったピグミー・モンスターの略称としてのネーミングであったハズである(汗)――。



 飛んで1968(昭和43)年。円谷プロ製作である空飛ぶ空中戦艦が活躍する『マイティジャック』と怪奇現象を科学的に解決する専門チームを描いた『怪奇大作戦』(共に68年)が視聴率的には低迷して、関係各位からのプレッシャーにさらされている金城哲夫が描かれる。
 『ウルトラマン』の視聴率が異様に高すぎたのであって、直前作『ウルトラセブン』(67年)や今作『怪奇大作戦』の視聴率も充分に高いじゃねーか!? と金城はのたまってみせている。この観点はドチラかといえば後世の我々特撮マニア諸氏による後出しの視点のような気もするけれども、そんなメタ視点をも代弁するかのようにグチってみせる金城が描かれることで――観客とのメタ対話だとも受け取れる――、金城の苦悩がセリフや演技としても体現されていくのだ。


1970年代初頭の『帰ってきたウルトラマン』でのゲスト脚本は、上原脚本の名作前後編に刺激されたと解釈!


 さらに飛んで1971(昭和46)年、故郷の沖縄に帰還後――69年の帰郷前後の悶着は描かれない――、ひさしぶりに金城哲夫は上京して顔を出した円谷プロで、子供間で勃興してきた新たな第2次怪獣ブームに乗じて製作されることになった新番組『帰ってきたウルトラマン』(71年)のメインライターとなった上原正三や、円谷英二逝去後に2代目社長となっていた兄貴分・円谷一らと旧交を温めていた。


 人前では子供じみた強がりであろうか、『帰ってきた~』の上原のシナリオを提示されても「フ~~ン」と気のナイ返事で、手をつけないでいた金城を描写する。


 だが、上原と円谷一が席をハズすや、パッと手に取って熟読玩味をしだすのだ(笑)。周囲には誰もいないのだから目撃されたハズがないであろうその光景に対するベタな脚色は、もちろん舞台劇としてのストーリー展開上での都合論ではあるだろう。
 しかし、「そーいうこともあってもイイかも……」「金城ならば、いかにもそーいうこともアリそうだ……」といった感慨とともに、金城個人の陽気でヤンチャな子供性、幼児っぽいところも多分に残っている性格、そしてイイ意味でそれをカリカチュア(戯画的)のかたちで描くことで、そのキャラクター・人物像を立てることもできている。ごくごく個人的にはこーいう描写も許容範囲だし、喜劇的な描写として私的には好印象ですらある。


 けれど、上原が手掛けた『帰ってきたウルトラマン』のシナリオは、金城が手掛けた初代『ウルトラマン』のシナリオとはやや異質な手ざわりを持っていた。そう、それはある意味では牧歌的ですらあった初代『マン』での局所的な怪獣による匿名的な都市破壊の物語ではなかったからだ。
 局地的な怪獣災害ではなく巨大怪獣の大移動を伴なう広域災害ですらあり、2大怪獣が実在の記名的な大東京の各所を荒らしまくって、ついには怪獣攻撃隊・MAT(マット)の上部組織である地球防衛庁の長官たちが1千万都民を避難させて、東京に小型水爆級の火力を持ったスパイナー爆弾を使用することで怪獣を撃滅せんとするストーリーとなっていたのだ。そう、それは上原が執筆した脚本回である#5「二大怪獣 東京を襲撃」~#6「決戦! 怪獣対マット」の前後編であったのだ!


 その内容に深甚なる衝撃・感銘を受けて執筆を決意する金城! 在京中の数日間のうちに、『帰ってきたウルトラマン』#11「毒ガス怪獣出現」を執筆してみせるのであった……。


 金城執筆の動機が『帰マン』#5~6の前後編にあったという逸話は寡聞にして知らないので、このへんは脚色だとは思われる――新たに発掘された新事実に基づいていた描写であったのならばスイマセン(汗)――。


 ドチラかといえば本舞台の脚本家さんが、この舞台を書き起こすにあたって歴代ウルトラシリーズを再鑑賞して、この金城ならぬ上原脚本回である、子供時代にも幾度か鑑賞したハズであろう『帰マン』#5~6が、――我々特撮オタクたちも子供のころはともかく中高生、あるいは青年期の再視聴で改めて絶大なる感銘を受けたように――「太平洋戦争」や「東京大空襲」に「疎開」といった先の大戦での国民的な記憶にもセリフや記録写真でふれてみせている、非常に重厚なる内容であったことを再発見!


 この名作前後編の劇中での、先の大戦がらみのセリフの数々も長々と引用してみせるかたちで、


「ただの子供番組だと思われている『ウルトラマン』シリーズだけど、実はこんな社会派の題材も扱われていたんだゾォ~!」


などというように、ココぞとばかりに一般層にも紹介・啓蒙をしてみせたかった! という気配もプンプンとしてくるのであった……。スレたマニア的には一方で「何を今さら」的な気恥ずかしさもあるのだけれども、むろんそんなごくごく少数の自意識過剰な老害オタクなぞは無視しても問題はないのだ。これらの引用をカンゲイいたします(笑)。


 ただし、舞台作品にかぎらずフィクション・ドラマというモノは、正確性が求められるドキュメンタリーではない以上は、ディテールを超えたエッセンス、「事実よりも真実」を目指すべきではあるのだ。
 金城がナンとはなしに『ウルトラマン』シリーズのシナリオをフワッと再び手慰みで書いてみました! というようなナチュラルなストーリー展開では、劇的ではないのでフィクション・物語作品としてはあまり面白くはないだろう。
 やはりふたたび筆を執るに至るまでのキョーレツなる背景・原因・動機などをウソでも設定してみせたり、あるいはココで『帰マン』の大傑作回である#5~6にも同時にスポットを当ててみせることで、ウルトラシリーズの傑作編自体の紹介やその裏面史などもダブらせるかたちで、ダブルミーニングやトリプルミーニングで事物を全的に一挙にウキボリにもしてみせよう! といった作劇の方が、劇的・ドラマチックでもあり、事物の「事実」ならぬ「真実」にはより接近していけるともいえるだろう。
 そして、その方が観客も金城の変心自体に腑が落ちてナットクもできるだろうし、ストーリー展開自体にもメリハリ・抑揚も出てきて、フィクションの作劇術としては正しいとすら思うのだ。


 なお、本舞台においては、『帰マン』#11の初稿は「毒ガス」が「米軍」由来ということにされていた。そして、TBSのプロデューサー側からそれでは「マズい」というダメ出しが出たことで「旧日本軍」由来の毒ガスとして改稿することになったというストーリー展開になっている。
 浅学で恐縮なのだけど、コレも新発見の実話なのであろうか? たかが一介の子供番組にもTV局側からの介入があったのだ……という「一般論」を、ココで具現化させるための脚色であったのだろうか?――繰り返しになるけど、脚色があっても構わないと考えていることは、くれぐれも念のため――


 本舞台においても、この#11の劇中セリフの数々がコレまたそのまま長々と引用されることになる。この「旧日本軍由来の毒ガス」が、MATのイヤミなレギュラーキャラでありエリート隊員でもあった岸田隊員の父――もちろん旧日本軍のおエライさんだったのだろう――の汚点、そしてそれは岸田隊員の兄の自殺の原因にも関わってくる「家系の恥」でもあったのだ! という一連のシーンでの実に重たいセリフの数々のことである。


 ただし、ヤボを承知で細かいツッコミを云わせてもらえば、「米軍出自の毒ガス」を「旧日本軍由来の毒ガス」として、それを岸田隊員の苦悩や人物像への肉付けともした改稿版の方が、ドー考えてもマイルドな方向には中和されておらず、子供番組としてはよっぽどヘビーでヤリすぎで踏み込みすぎてしまってヤバい方向へと振り切れてしまっているのではなかろうか?(汗) 『帰マン』#11の内容自体もさることながら、金城の劇中初稿の「米軍」出自を「旧日本軍」出自の毒ガスに改訂させてもっとヘビーにして、しかも結局はそれにOKを出してしまった、そのTBS側のザルなチェック体制に至っては、もっとマズいだろ!(笑)


 いやまぁ本舞台では、TV局側を一種の無理解で作品内容にも干渉してくるプチ権力としての「悪役」に割り振って、それであってもウラから抜け道を探し出して、むしろよりテーマを明確にした作品を仕上げて、しかもそれを通してみせる老獪なところもあった金城! といったところでの、物語的に主人公を立ててみせた一連の描写ではあるのだろうけど。


 とはいえ、コレが実話であろうがなかろうが、金城の独力のみならずTBS側の横ヤリによっても、むしろこの『帰マン』#11のドラマ性やテーマ性は格段に高まったことにはなってしまうだろう。小説ならぬ映像作品というモノは集団作業・総合芸術でもあるので、この事実を描いてしまうことで、金城個人の才能の特権性についてはややウスれてしまうやもしれない。そして、創作において多数といわず複数の人間の意向が入り込んでいく過程自体には「船頭多くして何とやら」に陥(おちい)る危険性ももちろんあるのだ。しかし、作品に作家個人の初期構想以上の多層性・重層性をも付与していくという効用があるのも事実である以上は、むしろTV局や玩具会社などの外部からの介入も適宜には肯定されてもイイようには思うのだ。


 ただし、1970年代初頭当時においても、我々日本国民にとってはそこまでアメリカさまが怖かったり、アメリカへの反対意見表明や在日米軍基地批判、日本政府批判や政府自民党批判などがタブーであったことなどはないだろう(汗)。むしろ「米帝批判」(アメリカ帝国主義批判)は常套的なスローガンですらあったハズである。
 それは本作『帰マン』放映直前の1970年秋クールに放映が開始された、我らが初代『ウルトラマン』にも関わった脚本家・佐々木守脚本による、左派的な志向も多大にあったコミカルなホームドラマ『お荷物小荷物』が沖縄問題をテーマに据えており、その最終回では日本国憲法9条が廃棄されて人々が戦地に招集されていくようなストーリー展開を持った作品が平気で放映されて、視聴率も30%を達成していた事実でもわかることである。
 学生運動の成れの果てである連合赤軍が翌1972年に起こした「あさま山荘事件」とその後の取り調べで仲間内での大量リンチ殺人が発覚するまでは、むしろ国民間では相応の規模でこのテの左派的な社会派テーマと共鳴するような空気が良くも悪くもあったのだ。
――もちろん近隣諸国の国際情勢が大きく様変わりした21世紀においては、『お荷物小荷物』などが提示していた問題意識は古びてしまった面があるのも否めない。しかし、それはまた別の議論であるし、全肯定でも全否定でもない是々非々で、各自が個々に判断すべきことではあるだろう――


75年海洋博:「科学の光と影」以前、沖縄の「南海楽園性」と「ムラ世間的因習性」!


 1975(昭和50)年、沖縄で開催された海洋博「EXPO 75」の開会式やその前夜祭、閉会式の構成・演出を務めて、実質プロデューサー&各位への折衝役をも務めることになった金城哲夫


 式での披露に備えて、いかにも沖縄的で南洋の多幸感に満ち満ちた、浅黄色の着物を着た娘たちによるハイテンポな沖縄舞踊の練習光景が相応の長尺を使って描かれる。
 と同時に、この海洋博に特に限定した話でもナイ、どこにでもある話だとは思うので、この出来事を特にヒドい話として特権化することもないとは思うのだけど、日本本土のお役人や主催者側からは「さらにもっとハデに!」「人員を増員して!」「でも、予算の範疇で!(笑)」などとハッパをかけられている、中間管理職的な悲哀に満ち満ちた金城の姿も描かれていく――古今東西・世界中、下請け会社は皆こーなっているとも思うけど(汗)――。


 増員したことで、踊り子の娘たちから「ひとりひとりの給金が減らされた」ことを知らされる金城……。


 ここの展開で安直な善悪二元論に陥(おちい)って、本土=日本が「絶対悪」の加害者で、沖縄こそが被害者で純粋無垢(むく)な「絶対善」なのだ! 沖縄こそが大正義! なぞといったような陳腐凡庸(ちんぷぼんよう)で単純な構図になってしまったのならば、思いっきり小バカにしてやろうか!? そーいう論評をする観衆の側も小バカにしてやろうか!? などと構えていたのだけれども……(心の中だけで・笑)。


 ここでは古き良き、もとい古き忌(いま)まわしき「日本」、もしくは古き忌まわしき「地方」、ついでに古き忌まわしき「沖縄」の、悪い意味で因習的で土俗的なムラ世間といった要素も露呈してくるのであった……。


 会場前の大海原に漁船を大量に登場させることについての交渉の際の出来事である。海洋博によって漁場を失ってしまったガラの悪い漁師たちは、ムリからぬことではあるし同情の余地もあるのだけれども、「武士は喰わねど高楊枝」で乞食のようなマネはせずにストイック(禁欲的)にふるまってグチも吐かない! ……などといったことはさらさらなくって(汗)、すでに充分とはいえないまでも補助金が出ていたハズなのに、したたかにもおカネをせびってきて、あいさつに来る際には前近代的なワイロまがいの酒瓶の持参までをも金城に要求してくるのであった……。


 そんな理不尽なことがあっても、「日本ナショナリズム」の側にも、「沖縄ナショナリズム」の側にも付かない(性格的にも付くことができない)、筆者から見ると実にカッコよくて左右双方に存在しているそれぞれに種類が異なる悪へと自堕落に墜ちていく道には決してハマっていくことがない気高き苦渋の金城哲夫! しかして、その行為はまた「日本」からも「沖縄」からも同情されずに、つまりはその両者からの挟撃・板挟みにあってしまって、誰にも理解されない細くて高き尾根の道を進んでいくことをも意味していたのであった。


 一応の「コスモポリタン」(世界市民)的な先駆的な理想の持ち主が、前近代的な意識を保持したままである「日本」と「沖縄」の両陣営の人々に、自身の一応の高邁なる理想を理解されずに糾弾されてしまう理不尽と苦悩が、二元論ならぬ三元論(!)として、ここではシッカリと描かれているのだ……。


76年昇天:後年の特撮マニアや40年後の上原正三とメタ会話する臨終の金城!


 1976(昭和51)年、逝去の年。アルコール中毒と化して、妻にお酒を制限されている金城哲夫が描かれる。


 そこに、後年の我々オタク族の代弁者の役目も務めさせているのだろう、『ウルトラマン』シリーズのマニアであるという青年が金城のもとに訪ねてくる――当時はまだオタクという言葉もオタク差別すらもがなく(イケてる系/イケてない系のスクールカーストの分化すらもがまだナイ時代であり)、そもそもオタクやマニアの存在すらもが世間には認知はされていなかった時代だけれども――。


 1960年前後生まれのオタク第1世代が青年期を迎えてマニア活動をはじめた70年代末期の第3次怪獣ブームというモノは、TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(74年)の総集編映画化(77年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20101207/p1)にはじまる第1次アニメブームや、SF洋画『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』(77年・78年日本公開・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20200105/p1)にはじまるSFブームとも一体化した超特大ブームでもあった。


 しかし、この1976年とは、そのブームの直前の雌伏の時期であり、本邦初のマニア向けムックが発行されるのも翌77年末のことであるからして、金城や上原が沖縄出身であることは世間や特撮マニア間でも知られてはいなかったので、コレも実話ではなく本舞台劇におけるフィクションなのだろう。そして、彼を後年のオタクの代弁者――あるいは本舞台の脚本家の分身?――として、金城と仮想的に対話をさせることで実現させるメタ・フィクションでもあるのだろう。


 初代『ウルトラマン』放映からでもすでに10年が過ぎた1976年。放映当時の子供が青年へと成長した姿でもあり、早稲田大学に在学中だという彼は、『ウルトラセブン』における金城脚本回である#42「ノンマルトの使者」における、地球の先住民(!)である海底人・ノンマルトたちが地球人こそが実は侵略者なのだ! と糾弾してみせるシーンを身振り手振りで再演してみせる(笑)。そして、


「アレは沖縄の怨念の象徴ですよネ!」


などと、いかにもオタク的な、自分の得意なジャンルの話題になると急に冗舌となってテンション高くて、空気も読まずにマクし立てていく光景が描かれる。


 それを面映ゆそうに受け止めている金城……。


 1980~90年代におけるマニア向け書籍などでの研究で、その沖縄出自の境遇とストレートに紐付けるかたちで深読み・解読されるかたちで確立してきた金城哲夫論。しかし、90年代末期以降は金城の周辺人物へのインタビューなどによって、「金城は当時そこまでストレートに沖縄問題を『ウルトラ』シリーズなどの虚構作品に仮託していたワケではなかった(大意)」とする証言が多々出てくることにもなっていく。
 それもごもっともなことではある。沖縄出自の要素が無意識に作品にも反映されていた面はたしかにあったのだろうけど、その一方で作劇の都合論でのストーリー展開にすぎなくて、深読みすれば沖縄論にも接続できるストーリーに着地しただけのこともあっただろう。つまりは「出自」と「作劇的都合」というコーヒーと牛乳の双方があったのであり、あるいはその両者がコーヒー牛乳的に混合していたこともあったのであろう。


 ということは、「ノンマルトの使者」というエピソードには、金城による「沖縄の怨念の象徴」といった面もたしかに無意識にはハラまれていた可能性はある。しかし、さすがの金城もそこまでは考えてもいなかった可能性もある。つまりは相矛盾する両方の可能性が論理的には同時に成立してしまうのだ!


 「ノンマルトの使者」というエピソードにはそんな両義的なところもたしかにある。よって、金城個人にそのような作品解題を捧げてみせることで、しかも「無意識」の次元において発揮された作劇のことまで指摘されてしまえば、それはたしかに自分でも「肯定」だとも「否定」だとも取れない、あるいは「肯定」&「否定」の両者を同時に「メタ肯定」するような態度を、つまりは「面映ゆそう」なドッチだとも取れる複雑な表情をさせてみせることこそ、実に正しいストーリー展開であったかもしれないのだ。


 そして、このシークエンスは我々特撮オタクたちにとっては実にイタい(笑)。まぁこの描写の一点だけをもって、本舞台は「オタク差別」というモノを作り手たちがそのメンタルの根底にはやどしていた作品でもあったのだ! なぞとケツの穴の小さい糾弾などをする気は毛頭ナイけれど。
 個人的には、オタク第1世代のライターたちであるオタキング岡田斗司夫唐沢俊一的な「オタク・イズ・ビューティフル」言説や「オタク・エリート」論などの方がネタであってもドーかとは思ってきたし(汗)、オタクの在り方について少しでも疑義や異論を差し挟んでみせたら「それはオタク差別だ!」、「オタクの側にも改善すべき欠点があるんじゃネ?」などというような異論を述べてみせたら、即座に「裏切り者!」呼ばわりをしてきて、我々オタク自身を批判も許さぬ神聖不可侵の天皇的な存在に祭り上げかねない、狭苦しい論法もドーかとは思っているけれど(笑)。



 アルコール中毒の更正のために(汗)、病院へと入院することになった金城。しかしそれなのに、自宅のウラにあるさとうきび畑に隠し埋めておいた酒瓶で最後の一杯とばかりによろしくやっているダメンズ金城哲夫も描かれる。


 そこにちょうど40年後の現在、つまりは2016年の未来(!)から、かつての同僚・上原正三のお迎えがやって来てしまう!


 そして、時空を飛び超えて、その後の40~50年間の歴史・世相風俗・戦争廃絶の有無・国際情勢をふたりが問答しながら鳥瞰(ちょうかん)していく、反則ワザでメタフィクション形式でのしばしの邂逅(かいこう)が行われて……。


総括:鑑劇を終えて。脚本&演技ともに金城のエッセンスの抽出には成功!


 ムチャクチャに面白かったとまではいえないけど、ダレることなくタイクツすることなく、鑑賞することができた。要所要所でウルッとも来た。筆者よりもウルサ型のイジワルな特撮マニア連中がナニを云うのか、どのようなキビしい持って回った感想を持つのかはわからないけれども……(汗)。大名作だった! なぞとは確言しないけど、脚本・演出・役者陣が、作品の題材を見事に自身たちの血肉と化して消化できた上で、金城の半生を物語として表現・定着できていたとも個人的には思うのだ。


 舞台劇である以上は、美術セットの関係からも細かい場面転換は不可能である。しかも主要な登場人物は実質3人だけなのである。よって、TVドラマや映画の演出技法で云うならば、長廻しのワンカットで延々と少数の役者陣の芝居を観続けているような作品でもある。


 もちろん鑑賞中はよけいなことは考えずに、筆者も基本はストーリー展開に没入している。しかし、あとで冷静に考えれば、金城哲夫役の役者さんはほとんど全編出ずっぱりの一人芝居に近いものがあり、金城の生前の人柄も再現するために、基本は終始テンション高くて明るくしゃべりっぱなしなのであった……。ある意味でこの演劇は、演者である氏の技量にかかっている。そして、氏はその責務を充分に果たしていたといってイイだろう。


 加えて我々マニアには、見た目からして眉毛が太くて意志的でエネルギッシュさをも感じさせる、昭和末期の1980年代に大ヒット曲も放った豪放なコミックソング的な演歌歌手・吉幾三(よし・いくぞう)をもほうふつとさせる金城哲夫の風貌は、マニア向け書籍に掲載されてきた写真によってもよく知られてきたところでもある。
 もちろんフィクションである以上は、ソックリさんを演者に起用する必要は毛頭ナイ。筆者個人のことをいえば、仮に金城にそれほど似ていない御仁が演者を務めていたとしても、そのへんは割り切って金城だと見立てて鑑賞することもできるタイプではある。


 しかし、それが役者さんの演技の力というものなのだろう。本舞台を鑑賞していると、この「金城」はいかにも豪放・快活で、伝え聞いて個人的にイメージを膨らましてきた「金城」らしいのである。


 当初はTBSの映画部ディレクターで、円谷英二の没後には円谷プロの2代目社長に就任する「円谷一」もまた、ムダに粘らず早撮りで有名で快活な御仁であったと各種マニア向け書籍で伝聞されてきた。この役を務められた長身で若干(じゃっかん)年輩ながらも快活な役者さんの方も、筆者個人の脳内補正もあるのだろうけど、七三分けっぽい髪型からしてコチラがイメージしてきた円谷一、あるいは円谷一の息子さんであられる往年の『宇宙刑事シャイダー』(84年)こと、こちらもすでに故人であられる俳優・円谷浩つぶらや・ひろし)の風貌からも類推される、いかにも円谷一らしい姿に見えてきてしまうのだ。


 脚本家でありながらも円谷プロ文芸部の部長として対外交渉・プロデューサー的な役回りも務めていた金城や、撮影現場にいる大人数を大声でまとめあげていた円谷一監督と比すると、相対的に線が細くて凡人の平均的なテンションの持ち主であることからしてホッともさせられる「上原正三」役の役者さんのルックスや演技もまたしかり。


異色派ならぬ埋没気味な王道派作家・金城哲夫に陽が当たるまでの歴史!


 正直、スレた特撮マニアであれば、70年代末期に本邦初のマニア向けムックが発行されて以来、金城哲夫は研究も進んでいて、その人物・人となりも昭和特撮マニア間では充二分に知られてもいる。
 ここ四半世紀の間でも金城は、すでに1993年8月5日(木)にNHK-BS2での90分枠特番『ウルトラマンの世界』などの1コーナーでも金城の足跡目当てで沖縄まで取材に行ったり――近年では読売新聞の鈴木美潮(すずき・みしお)が特撮スポークスマンだが、当時はNHKのアンドロイド美少女もといニュースキャスター・宮崎緑(みやざき・みどり)が『ウルトラマン』マニアであることをカミングアウトして本番組の司会も務めていた――、『知ってるつもり?!』(日本テレビ・89~02年)1998年9月13日(日)放映回や、2010年にも『歴史秘話ヒストリア』(NHK・09~21年)2010年9月15日(水)放映回などの、一般層に向けた評伝形式の人気TV番組でも幾度か紹介されてきたほどなのである。


 とはいえ、昭和特撮も遠くなりにけり。平成も約30年に至ろうとする、昨今の若い平成特撮マニアたちにとっては、金城も重きを置かれた特別な存在ではナイのだろう――それが悪いというのではなく――。しかし筆者のように昭和特撮で産湯を浸かったロートル・マニアたちにとっては、金城哲夫は相応に大きな存在なのである。


 とはいえ、その人物・作品評価も一朝にしてなったものではない。オタク向けのジャンルが青年層の間ではじめて勃興した70年代後半~80年代初頭にかけては、第1期ウルトラシリーズが神格化されるようになるに伴ない、それらを支えた脚本家たちや本編演出の監督たちに対する注目や神格化が始まった。
 それでも「ウルトラ」評論史の黎明期においては、いわゆる変化球・アンチテーゼ編、怪獣攻撃隊の隊員たちの意外な一面や湿った苦悩、ゲストキャラとのカラみなどをヒューマンに描いた「人間ドラマ」や、科学の進歩やヒーローの正義に疑義を呈してみせる「社会派テーマ」などを扱った「問題意識」が明瞭な作品の方が、圧倒的な注目を浴びていた。


 つまり、「怪獣もの」や「変身ヒーローもの」の本来の魅力、本来の路線である、怪獣との一進一退の乾いた攻防劇、作戦・知謀のゲーム的な面白さ、怪獣自体の特殊能力から着想して作ったエピソード、ヒーローの特殊能力を活かして爽快な戦いのカッコよさを描いた作品などには、あまり注目は集まってはいなかったり、批評的な言辞や解題などは与えられてはこなかったのだ――今でも同じか?(笑)――。
 よって、変化球・アンチテーゼ編のエピソードの作り手たちであった、佐々木守脚本・実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)監督コンビなどの作品群の方が、年長マニアたちによる「ウルトラ」評論の俎上に真っ先にのぼることになったのだ。続けて、沖縄・辺境・弱者の怨念といったカラーを感じ取ることができる上原正三作品や、スパイスもある独自の叙情性を備えていた市川森一(いちかわ・しんいち)作品が俎上にのぼるようになっていく。


 しかし、金城哲夫は第1話・最終回・イベント編などといった、カラッと乾いたSF的な世界観設定をも提示する基本設定編を手掛けた脚本家だというイメージはあっても、その「作家性」がどのようなものであったのかについては判然としない感じではあり、そのような観点から70~80年代においては、その作家性の詳細についてはあまり語られてはこなかったのも事実なのだ。


 そこに転機が訪れる。もう早くも四半世紀も前の出来事になってしまうけれども、1992年に発行されたムック『別冊宝島 映画宝島Vol.2 怪獣学・入門!』(JICC出版局(現・宝島社)・92年5月30日)に掲載された、当時ともにまだ20代の若者であった切通理作(きりどおし・りさく)と佐藤健志(さとう・けんじ)による長編論文の鮮烈な登場である――両論文はともに切通の方は『怪獣使いと少年 ―ウルトラマンの作家たち 金城哲夫佐々木守上原正三市川森一』(JICC出版局・93年6月1日発行・ISBN:4796606718)、佐藤の方は『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋・92年7月1日発行・ISBN:4163466606)の名義で、単著として刊行されることになる――。


 ココで現在までにつづく、金城哲夫の「作家性」と「作家像」がはじめて断片ではなく体系的に言語化・成文化されて確立されたといってもイイだろう。正直、筆者もこの両者が確立してみせた「金城像」については当時、大いに感銘を受けている。影響も受けているし、大ワクとしては異存もないのだ。


 ただし、そのころには筆者ももう子供ではなく小賢(こざか)しい若造になっていたので(汗)、読後数ヶ月もすると細部においてはコレはいかがなものであろうか? というような疑問をいだくようにもなっていく。コレはやはり、金城哲夫を「王道」の「娯楽活劇作家」として語るというモノではない。今までの佐々木守上原正三を持ち上げていたのと同じく、旧態依然の社会派テーマ優先主義的な「論法」のバリエーションの応用ではないのかと……。
 しかも、完成作品それ自体ではなく、作品の外側にある彼の生育環境・志し・挫折・逝去時の模様などの情報によった答案の答え合わせですらあり、金城のあまたの作品群の中から必ずしも金城らしくはない……と云っては云い過ぎやもしれないけれども、数は少ない例外的なドラマ性やテーマ性が高く感じられるエピソードの断片や描写などをひろってきて、そこに金城の人生模様から汲み取れた苦悩を代入してみせることで、「そーだ、そーだ、金城の人間性や作家性、沖縄と本土との架け橋たらんとしたテーマ意識がここに表出されているのに違いない!」といったかたちで証明するといったモノである。


 あげくの果てに、金城が東京では沖縄での戦争体験のことや基地問題をあまり語ってはこなかったという、当時の円谷プロのスタッフ側の証言が出てくると、今度は特撮マニア諸氏は別所での上原正三などによる推測発言なども援用するかたちで、


「安易には語れないほどに重たい、封印したい体験があったのだ……」


などという、歴史上の敬虔(けいけん)なクリスチャンの修道者がよくやるような「艱難辛苦(かんなんしんく)、我にのぞみたまえ!」ばりに、「戦争体験が重たければ重たいほど、作家としてのステータスやステージが上がる」のだと云わんばかりの、新たな神格化が始まりだしたり、深読み競い合い合戦・信仰告白競争が始まったりもする。


 オイオイオイ。怪獣との一進一退の攻防劇、作戦や知謀のゲーム的な面白さ、怪獣自体の特殊能力から着想して作った王道の娯楽活劇エピソードの作劇術の方こそを、分析・解析する気はもうまったくなくなってしまったのかヨ!?(笑)



 ところで、金城の作家性については、後天的な環境や学習によらない、もって生まれた先天的な気質・性格面の要素の方が大きいとも私見する。筆者個人の見解や人間観で恐縮なのだが、社交的な人間と控えめな人間の「性格」の違いから来る感情表現の違いや人生観や人間観は、享楽的であったり厭世的であったりして、筆者の乏しい経験からも非常に大なる落差をもたらすものだとも思うのだ。
 そして概して、生まれつき快活で豪放磊落な「性格」の人間は、シミったれた陰気なお話や、自分に同情・憐憫(れんびん)を乞うているような話題が「卑屈」にも思えてキライだくらいに思っているようなのである――偏見であるのならば失礼(汗)――。だからこそ、単に自身の明朗な「性格」ゆえに、過去の悲惨な戦争体験を積極的には語らない、といったようなこともあるようには思うのだ。


 筆者も含むシミったれた「性格」の弱々しいオタク一般は、自身の悲惨な境遇(汗)をドコかで打ち明けて、自戒も込めて云うのだけど、ダメ人間同士の間でだけは認め合ったり慰め合ったりキズをナメ合ったりしたいと思っているフシがあると思う(笑)。コレは若いオタク世代であれば、2010年前後から勃興する(ひとり)ボッチを題材としたライトノベルや深夜アニメの隆盛などにも通じていると私見


 しかし、金城哲夫はその点では我々のようなオタク側の「性格」類型の人種ではナイようではある。そーいう意味では従来の金城論は、「性格」の問題と「境遇」の問題を混同して、「性格」問題をあまり見ないか、見えてはいても意識的にか無意識にか無視して「境遇」問題の方ばかりを優先しすぎていたようにも思うのだ。
 筆者個人の見立てでは、「後者」も無視はできないものの、金城の作風に大きな影響を与えているのは、あくまでも「前者」の「快活」「豪放磊落」たる底抜けに明るい「性格」であったと思えるのだ。そしてそれに挫折を与えて鬱屈させるのではなく、自由気ままを可能にして、あの時代のアメリカ占領下の沖縄で湯水のように大枚はたいて、琉球王国時代の実在の遊郭の遊女を主人公にした自主映画『吉屋チルー物語』(62年)を20代前半の若さで製作ができてしまったような、実家のプチ・ブルジョワ的な裕福さが、その純粋培養を可能にさせてもいる。


 とはいうものの、60年代後半における第1期ウルトラシリーズにおいては、その楽天的なカラーが脚本作品にもある程度まではストレートに表出されていたともいえるけど、先の『帰ってきたウルトラマン』#11「毒ガス怪獣出現」の作風を見てみれば、コレはある意味では上原正三よりも上原正三らしくて、『帰マン』そのモノといった作品に仕上がっていたとも思うのだ。
 そう考えると、オトナたちはともかく70年代初頭の子供たちはまだ濃厚には感じていなかったかもしれない、科学や進歩や高度経済成長に対する楽天的な希望があった60年代とそれへの懐疑が前面化した70年代との時代風潮の断絶・亀裂を、金城個人もその全身でナチュラルに体現していただけのようにも思えて来るのだ。


 第1期ウルトラシリーズ至上主義者のオタク第1世代の特撮マニアたちは、第2期ウルトラシリーズでも金城が登板さえしてくれれば近未来的な明るいSFテイストを維持できたであろうものを……とグチってみせる言説が、20世紀においては定番ではあった。けれども、やはり金城自身が仮に登板を継続していたとしても、70年代前半の「時代の空気」の中で執筆したのであれば、今あるかたちの日常寄りの『帰ってきたウルトラマン』(71年)のような作品に仕上がったのではなかろうか?
 もっと云うなら、『帰マン』の反転として日常性よりもスペクタクル性を志向した次作『ウルトラマンA(エース)』(72年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)、『A』のアンチとしてマイルドで牧歌的な作劇となった次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)、そのまた『タロウ』の反転としての実にシビアで切迫感と孤立感にあふれる作劇となった次作『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)。たとえ金城でも70年代前半という「時代の空気」の中では、結局は今あるいわゆる第2期ウルトラシリーズのような作風の変遷を遂げていったような気がしないでもないのだ。
 それは金城が沖縄に帰郷後に手掛けた、沖縄の史実に材を取った沖縄芝居に、子供向け特撮ではないからだとの理由もあるのだろうが、牧歌的な要素があまり感じられないところからも察せられてくる。


 加えて、沖縄の米軍を追い出して、その代わりに自衛隊に駐留してもらおう! なぞと、同時代の左右の思潮とも次元の異なる着想を得てしまう金城が、その後も生き長らえていたとすれば、その後にどのような思想的な変遷を遂げていき、どのような高い境地へと到達していたかについても興味はそそられる――もちろん始末が悪くて出たがりでおしゃべりな老害的な存在に堕してしまった可能性だって有り得るけれども(笑)――


 とはいえ、まずは60年代後半における初代『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』における、ドラマ性やテーマ性よりも明るく楽しいエンタメ活劇を実現できていた金城脚本回の妙味を、いかにそのように言語化・言説化していくのか? そして、それをそのままに踏襲とは云わず、いかに日本特撮の進むべき道標の補助線ともしてみせるか? それをさしあたっての筆者個人の課題としていきたい。


追伸:沖縄でも居場所を見つけられないであろう我々オタクたち(汗)


 我々オタクは地縁・血縁・学校・会社などにはさして帰属意識なぞは持っていないのがフツーである。しかし、そーいう意味では虐げられしものの象徴とはいえ、金城や上原には帰るべき、あるいは依拠すべきものとしての密で牧歌的な人間関係も保持した楽園性のある沖縄があったのは幸いなのだろう。
 しかし、コミュニケーション弱者であり、現実世界・3次元世界ではなく特定のマイナー文化趣味にアイデンティファイしてしまった我々のようなオタクたち、もとい筆者にとっては、そのような地縁・血縁的な濃密な人間関係の中で生きている沖縄もまた、典型的なムラ世間ではあり、気が合う人間が見つけられなかった場合には息も付けない場所となってしまう可能性が高い気もしている(汗)。そして、そのような空間には馴染めない趣味人に対する異物を見るような蔑視の視線までもが先回りして想定されてくる。
 やはり我々のようなオタク人種は、周囲が後腐れのない他人ばかりの匿名性が維持できる都心や近郊などでこそ、浮かぶ瀬もあるようには思うのだ(爆)。


追伸2:隣席の上品な高齢女性が円谷一役の役者さんの母君であらせられた!


 観劇終了後、隣席の上品で小柄な高齢女性が突如として話しかけてこられた。しばしの社交辞令的なカルい雑談のあと、どのような関係や興味でこのような舞台を観に来られたのですか? といった趣旨の質問をされてきた。ガチのオタクであることをカミングアウトすることは憚られたし、マニアといった存在自体を知らない可能性もあるので(汗)、遠回しに『ウルトラマン』などのファンなので……といった返答で、こちらも逆に同様の質問を返していった。
 すると驚くなかれ。この高齢女性は円谷一役の役者さんの母君だというのだ! 「スゴいじゃないですか!?」と返すも、この役者さんはどうも役者の道を進まれてからはご実家には帰省されたことがないらしい……。エ~~~ッ!? ……ウ~ム。
 たとえTVドラマでは見ない役者さんではあっても、劇団民藝ほどの団体で、端役ではなく主役級の役者さんとしてご活躍されている以上は相応のポジションにはいるハズなので、その旨を語り合いつつ、貴重な5分間ほどの時間を座席に座ったままで過ごしたのであった……。


(了)


『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』寸評

(文・フラユシュ)


 最近の金城の研究で発掘された新たな事実を踏まえつつ、基本的には山田輝子の『ウルトラマン昇天 -M78星雲は沖縄の彼方』(朝日新聞・92年7月1日発行・ISBN:4022564903、『ウルトラマンを創った男 -金城哲夫の生涯』として朝日文庫化・97年8月1日発行・ISBN:4022612088)や上原正三の『金城哲夫 ウルトラマン島唄(しまうた)』(筑摩書房・99年10月1日発行・ISBN:4480885072)を基に再構成したといった印象。
 論壇誌中央公論』か『文芸春秋』だったかに90年代に発表されたルポ――現物紛失のため詳しい内容を記載できず――なども参考にしているかもしれない。


 自衛隊賛美発言なども再現。ここでその発言に対して思想的なことをカラめると、左右いずれの陣営にも思考停止をした議論にならない輩がケンカを吹っかけてきそうなので、ヘタレてしまうけど、そこには深くはふれないようにする。
 各関係者の発言をまとめた人物伝としてよくできていた。ただ何か物足りなさというか、「夢見る心」や「舞台劇的な飛躍」が少し足りないような気もする(最後に夭折する直前、2016年の上原と通信するあたりなどはスキなのだが)。それは、本舞台以前に観賞した、別の金城哲夫の舞台劇の印象が筆者の心の中に残っていたからかもしれない。


 最後の方で、特撮ファンらしき大学生が金城を訪ねて、金城本人も意識していなかった(?)ような沖縄問題や日米問題などの風刺を、『ウルトラ』シリーズに対して深読みして演説しているシーンには、我ら深読みオタクのまさに鏡像にもなっていて思わず苦笑。以前、リアルロボットアニメの金字塔『機動戦士ガンダム』(79年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19990801/p1)を手掛けた富野監督が、自分の下に付いた若いアニメーターに「僕もインドに行けばニュータイプ(新人類)になれるでしょうか?」と真顔で言われたという話も思い出してしまった(笑)。
 この芝居では金城自身がポカンとそれを聞いていて、それに対して特にコメントはしないで終わるのだけど、実に妥当な表現だろう。



 実は90年代にも金城哲夫の伝記芝居が上演されたことがある(題名失念)。先日の芝居に刺激を受けて、もう手持ちの資料も散逸してしまったこの芝居に関して、記憶のみだが覚えていることを書き綴ってみよう。この芝居、Wikipediaにも記載がないのだが、92~93年の冬であったと記憶している。まだ当時は先の『中央公論』か『文芸春秋』に掲載されたルポと『映画宝島 怪獣学・入門!』(92年・JICC出版局(現・宝島社))が出たばかりで、切通理作の『怪獣使いと少年』(93年・JICC出版局(現・宝島社))も書籍化されていなかったと思うからだ。場所は東京は両国の舞台だったと思う。


 では、筆者が覚えているかぎりでのアラスジを記そう。


 冒頭は晩年の金城の2階からの転落事故から始まる。そして舞台は、青春時代の円谷プロ時代と沖縄へ帰ってからの地元との衝突が、交互に描かれていたと思う。
 そんな中、沖縄へ帰郷してから、金城は米兵の子を宿した自殺未遂の少女と知り合う。仕事のさなか親身になり彼女の世話をする金城。最初は自暴自棄だった彼女は、親身になる金城にだんだんと心を開いて、やがて彼女は自分の子の父親を探すために米国へと旅立つことを決意する。
 そのとき彼女は金城に対して「あなたは私の命の恩人でヒーローだ」と言っていたような。あるいは「あなたは私のウルトラマンだ」と言っていたような。
 希望の空へと旅立つ彼女を空港で見送ったあと、金城は以前から家族が薦めていたアル中治療をする病院に入院することを決めて、もう一度イチからやり直そうと決意して、希望を見出したところで幕だったと記憶している。


 なにぶん資料も残っておらず、記憶のみで書いているので、間違っていればご容赦を願いたい。ちなみに往年の円谷プロの特撮巨大ヒーロー『ミラーマン』(71年)の発端企画は69年に沖縄へ帰省する直前の金城による企画書で、発想の元は米兵と沖縄人の少女とのハーフの子供達がヒントにあったとする説があることを記載しておく。もちろんその少女とのエピソードは架空のエピソードなのだろうが、物語としては妙にカタルシスがあったことを記憶している。


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2016年春号』(16年2月28日発行)~『仮面特攻隊2017年号』(16年12月29日発行)所収『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』合評より抜粋)


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